I like motorcycles so much that I forget to sleep...
映画蘇るヒーロー片山敬済で片山氏のインタビューにブリーフ1枚で対応しようとしたマモちゃん。無冠だが人間味溢れる人柄。
一言で言うなら、「ソノートの青騎士」だ。 まあ、結構やんちゃな人だったらしく、ガードナーと一緒にイタズラしまくっていたって聞くがw
引退後のシュワンツがキャリアを振り返ったときに、この89シーズンには悔いがあると言っていた。 「あのシーズンのガンマにはアドバンテージがあったから、誰かが僕にリスクを控えることを教えてくれていたら・・・・」 って。 と言いつつ、 「でも23歳の若者だから・・・聞く耳もたなかったろうなぁw」 だって。 それこそがシュワンツであり、あの速さの原点なんですよね。
1989年スズキRGV-Γ500は、ホンダNSR500とヤマハYZR500と対等に戦えるだけの性能が追い付いて3メーカー足並み揃ったでしたね‼️🤗 ただRGV-Γ500の性能を引き出せるのがシュワンツだけだったのでチームメイトのハスラムが援護サポート出来なかった? 毎年シュワンツのチームメイトが変わってしまうのもRGV-Γ500乗りこなせるのがシュワンツだけだったのが理由でしたね‼️🤗
レジェンドです👍
今でもこの人のコーナリングが世界で一番美しいと思う
バリ伝のアンダーソンとダブる
「地味な積み重ね」の人だと思う。 チャンピオンになるまでは、「二番手以下」の評価をされていた人だ。 だが、「生き残った」なぁ。 ホントもう、大怪我するライダーは嫌いだ、俺が泣いちゃうから。
シリーズチャンピオンでない「レジェンド」って時点で、凄いライダーだと察して欲しい。 めっちゃ速くてめっちゃ優しくて、めっちゃ忘れがたいライダーだ。
最後のシーズンは、端から見ても焦りすぎだった。 マシンの性能不足を、己の技量でどうにかしようと思ったのだろう。 頑張りすぎだ。 勝ち負けよりも、走り続ける姿を見たいファンがいるってことを、ちょっとは考えてほしかった。
実際は、多分、目が付いて行かない。
出場するだけで勇者、完走するだけで英雄、優勝すれば伝説となる。 マン島TTレースを象徴する有名な言葉ですね
本田のローソンかぁ〜
カワサキがモノコックフレームに 拘らなかったら KR500はもっと 活躍出来たと思うのだが…
NS500の説明の時にNSR500写真だったり、VFR750デイトナ仕様にRC30の写真だったり、ロクに知らんのに小遣い稼ぎ動画を上げるなと。
晩節を汚すような事をしないでくれ
シュワンツとレイニーのバトルは本当に熱かった❤シュワンツ大好きだったなぁ(๑♡∀♡๑)
ソノーㇳの青騎士かぁ。 自分が割って入れないタイトル争いには、敢えて割って入らない、フェア精神の持ち主だったなぁ、クリスチャン・サロンは。 まさに「青騎士」の名に相応しい人だったな。
Eddie is a class act❤
凄い😊
特にロスマンズでのライディングは凄みがあった
セナと同じ事を言っているね😮
ガードナーとドゥーハンが一緒に練習してる所見た事ない😂🤚🏍️🏍️めちゃくちゃ仲が悪かったのか😂⁉️⁉️⁉️⁉️🏍️🏍️
唯一、二人に割って入れた「プリンス片山」。 敢えて割って入らなかったC・サロン。 そして、追いつけなかったエディ。 ドラマチックなシーズンだったなぁ。
パトリック・ポンズという盟友がいたよね
こりゃ、何かあったら逝くわ
当時のスペンサーに対してのスタートに関するインタビューで、彼が答えたのは「いつでも、抜けるからね。」だったよw スペンサー自身も押し掛けは早かったけど、後から抜けば良いって思ってたってこと。
高校時代、ヘルメットはガードナーでした。
当時の冗談だが。 「レースが第一コーナーで終わるなら、ロン・ハスラムはチャンピオンだ」 それくらい、スタートダッシュでは強かった。 ELFの、変態的な操縦性で頑張れるほど、ハスラムは凄かったと思うよ。
ケニー・ロバーツとフレディ・スペンサーとの争いで、「自分はチャンピオンになれるポイントは稼げないから」と、 トップ二人の争いには、敢えて介入しなかった紳士だな。 紳士なだけではなく、「レインスペシャリスト」の異名を持つテクニシャンでもある。 一位を得たレースは、ちょっと凄いぞ、マジで凄いぞ。
この時のローソンはまだ新人だったけど、この後から速く安定した走りで長い期間にわたり世界チャンピオンを続けることになるのです。
当時は今のようにSNSがなくてバイク本でしかレースの情報は得られなかった。またレースのビデオは一部でしか入手できなかった。今はスマホで二人のバトルが見れてイイよねえ。
リアルタイムでは見ていませんでしたが、後から雑誌なんかでコーク・バリントンの活躍は知っていました。正直マシンがまともなら500ccでもチャンピオンとれたと思います。KR500は、正直あのクソフレームがなければ、当時の普通のフレームでマシンを作っていればもっとカワサキのGP活動は続いていたのにと思うと悲しいです。タラレバだけど。 カワサキのGP復活を陰ながら祈っています。
人間性の良さが溢れていたライダーでした。 貴公子と言う言葉がピッタリの尊敬できるライダーでした。
3気筒NS500 今現在見ても 最高にイカス
ステディ?いやいや、全日本チャンピオンの後輪滑りまくりのコーナリングを真後ろで見た私はそんな言葉は信じられない。たぶん、スクーターだろうがYSR50だろうがとんでもない走りをしたライダーだと思う。
昔H社に居ました。テストコースで走ってもらい、技術者達がいるピットみたいな場所があったそうですが技術者たちが待機してる場所を15cm~20cm位の間隔を開けて200km上で駆け抜けていったそうですw 彼がホンダ技術者達をおちょくっていたそうですw
髭、剃っちゃったんだW
一度だけ、彼の走りを目の当たりにした。 富士スピードウェイでのレースだ。 第一ヒートは転倒リタイヤ、第二ヒートは追い込みながらも二位、と、振るわない結果だが。 スタート時に一番後ろから、当時の250CC世界チャンピオンを追い込む姿は、心に残る、残りまくるわな。 あと一周あったらなぁ。
反対車線を走らないのは普通
今やバイクもライダーも進歩して、シュワンツより速く走るライダーは沢山居るかもしれない だが、彼ほどエキサイティングなレースをするライダーを俺は知らない そう思えるほど格好いいしいつまでも憧れのライダーです
ケビン・シュワンツ・・・素晴らしい伝説のライダーだった一人です。 2000年オーストラリアンサファリで見かけました。 お兄さん?同じ顔してました。オフロードも走るんですね。 #34、今でも好きなナンバーです。
笑顔ともみあげが素晴らしいライダー。タイトル争いよりもマシン開発に捧げた現役時代は年間ランキング1位のどのライダーよりカッコいい。
スペンサーはYZRの始動性の悪さに助けられチャンピオンになれた
Drove by where Erv's old house and workshop used to be on Spring Street in San Jose CA yesterday when it was Kanemoto Motors and he built dirt track motors. It's a group of storage units now.
アメリカライデングの全盛期 ヨーロピアンライデングも速かったけどね ケニー・ロバーツの走りみたいだね
ローソン・レイニー・ドゥーハンがレジェンドだが、ファンの数ではγの34番シュワンツだったね あの頃不味いラッキーストライク吸ってたヤツはシュワンツファンだと思ってる
Will watch
2:31
ロッシの登場とほぼ入れ違いだったのが残念 2人の最強バトル見てみたかった
直線は出てると思うけど、低速域は見せないよな
Пікірлер
映画蘇るヒーロー片山敬済で片山氏のインタビューにブリーフ1枚で対応しようとしたマモちゃん。無冠だが人間味溢れる人柄。
一言で言うなら、「ソノートの青騎士」だ。 まあ、結構やんちゃな人だったらしく、ガードナーと一緒にイタズラしまくっていたって聞くがw
引退後のシュワンツがキャリアを振り返ったときに、この89シーズンには悔いがあると言っていた。 「あのシーズンのガンマにはアドバンテージがあったから、誰かが僕にリスクを控えることを教えてくれていたら・・・・」 って。 と言いつつ、 「でも23歳の若者だから・・・聞く耳もたなかったろうなぁw」 だって。 それこそがシュワンツであり、あの速さの原点なんですよね。
1989年スズキRGV-Γ500は、ホンダNSR500とヤマハYZR500と対等に戦えるだけの性能が追い付いて3メーカー足並み揃ったでしたね‼️🤗 ただRGV-Γ500の性能を引き出せるのがシュワンツだけだったのでチームメイトのハスラムが援護サポート出来なかった? 毎年シュワンツのチームメイトが変わってしまうのもRGV-Γ500乗りこなせるのがシュワンツだけだったのが理由でしたね‼️🤗
レジェンドです👍
今でもこの人のコーナリングが世界で一番美しいと思う
バリ伝のアンダーソンとダブる
「地味な積み重ね」の人だと思う。 チャンピオンになるまでは、「二番手以下」の評価をされていた人だ。 だが、「生き残った」なぁ。 ホントもう、大怪我するライダーは嫌いだ、俺が泣いちゃうから。
シリーズチャンピオンでない「レジェンド」って時点で、凄いライダーだと察して欲しい。 めっちゃ速くてめっちゃ優しくて、めっちゃ忘れがたいライダーだ。
最後のシーズンは、端から見ても焦りすぎだった。 マシンの性能不足を、己の技量でどうにかしようと思ったのだろう。 頑張りすぎだ。 勝ち負けよりも、走り続ける姿を見たいファンがいるってことを、ちょっとは考えてほしかった。
実際は、多分、目が付いて行かない。
出場するだけで勇者、完走するだけで英雄、優勝すれば伝説となる。 マン島TTレースを象徴する有名な言葉ですね
本田のローソンかぁ〜
カワサキがモノコックフレームに 拘らなかったら KR500はもっと 活躍出来たと思うのだが…
NS500の説明の時にNSR500写真だったり、VFR750デイトナ仕様にRC30の写真だったり、ロクに知らんのに小遣い稼ぎ動画を上げるなと。
晩節を汚すような事をしないでくれ
シュワンツとレイニーのバトルは本当に熱かった❤シュワンツ大好きだったなぁ(๑♡∀♡๑)
ソノーㇳの青騎士かぁ。 自分が割って入れないタイトル争いには、敢えて割って入らない、フェア精神の持ち主だったなぁ、クリスチャン・サロンは。 まさに「青騎士」の名に相応しい人だったな。
Eddie is a class act❤
凄い😊
特にロスマンズでのライディングは凄みがあった
セナと同じ事を言っているね😮
ガードナーとドゥーハンが一緒に練習してる所見た事ない😂🤚🏍️🏍️めちゃくちゃ仲が悪かったのか😂⁉️⁉️⁉️⁉️🏍️🏍️
唯一、二人に割って入れた「プリンス片山」。 敢えて割って入らなかったC・サロン。 そして、追いつけなかったエディ。 ドラマチックなシーズンだったなぁ。
パトリック・ポンズという盟友がいたよね
こりゃ、何かあったら逝くわ
当時のスペンサーに対してのスタートに関するインタビューで、彼が答えたのは「いつでも、抜けるからね。」だったよw スペンサー自身も押し掛けは早かったけど、後から抜けば良いって思ってたってこと。
高校時代、ヘルメットはガードナーでした。
当時の冗談だが。 「レースが第一コーナーで終わるなら、ロン・ハスラムはチャンピオンだ」 それくらい、スタートダッシュでは強かった。 ELFの、変態的な操縦性で頑張れるほど、ハスラムは凄かったと思うよ。
ケニー・ロバーツとフレディ・スペンサーとの争いで、「自分はチャンピオンになれるポイントは稼げないから」と、 トップ二人の争いには、敢えて介入しなかった紳士だな。 紳士なだけではなく、「レインスペシャリスト」の異名を持つテクニシャンでもある。 一位を得たレースは、ちょっと凄いぞ、マジで凄いぞ。
この時のローソンはまだ新人だったけど、この後から速く安定した走りで長い期間にわたり世界チャンピオンを続けることになるのです。
当時は今のようにSNSがなくてバイク本でしかレースの情報は得られなかった。またレースのビデオは一部でしか入手できなかった。今はスマホで二人のバトルが見れてイイよねえ。
リアルタイムでは見ていませんでしたが、後から雑誌なんかでコーク・バリントンの活躍は知っていました。正直マシンがまともなら500ccでもチャンピオンとれたと思います。KR500は、正直あのクソフレームがなければ、当時の普通のフレームでマシンを作っていればもっとカワサキのGP活動は続いていたのにと思うと悲しいです。タラレバだけど。 カワサキのGP復活を陰ながら祈っています。
人間性の良さが溢れていたライダーでした。 貴公子と言う言葉がピッタリの尊敬できるライダーでした。
3気筒NS500 今現在見ても 最高にイカス
ステディ?いやいや、全日本チャンピオンの後輪滑りまくりのコーナリングを真後ろで見た私はそんな言葉は信じられない。たぶん、スクーターだろうがYSR50だろうがとんでもない走りをしたライダーだと思う。
昔H社に居ました。テストコースで走ってもらい、技術者達がいるピットみたいな場所があったそうですが技術者たちが待機してる場所を15cm~20cm位の間隔を開けて200km上で駆け抜けていったそうですw 彼がホンダ技術者達をおちょくっていたそうですw
髭、剃っちゃったんだW
一度だけ、彼の走りを目の当たりにした。 富士スピードウェイでのレースだ。 第一ヒートは転倒リタイヤ、第二ヒートは追い込みながらも二位、と、振るわない結果だが。 スタート時に一番後ろから、当時の250CC世界チャンピオンを追い込む姿は、心に残る、残りまくるわな。 あと一周あったらなぁ。
反対車線を走らないのは普通
今やバイクもライダーも進歩して、シュワンツより速く走るライダーは沢山居るかもしれない だが、彼ほどエキサイティングなレースをするライダーを俺は知らない そう思えるほど格好いいしいつまでも憧れのライダーです
ケビン・シュワンツ・・・素晴らしい伝説のライダーだった一人です。 2000年オーストラリアンサファリで見かけました。 お兄さん?同じ顔してました。オフロードも走るんですね。 #34、今でも好きなナンバーです。
笑顔ともみあげが素晴らしいライダー。タイトル争いよりもマシン開発に捧げた現役時代は年間ランキング1位のどのライダーよりカッコいい。
スペンサーはYZRの始動性の悪さに助けられチャンピオンになれた
Drove by where Erv's old house and workshop used to be on Spring Street in San Jose CA yesterday when it was Kanemoto Motors and he built dirt track motors. It's a group of storage units now.
アメリカライデングの全盛期 ヨーロピアンライデングも速かったけどね ケニー・ロバーツの走りみたいだね
ローソン・レイニー・ドゥーハンがレジェンドだが、ファンの数ではγの34番シュワンツだったね あの頃不味いラッキーストライク吸ってたヤツはシュワンツファンだと思ってる
Will watch
2:31
ロッシの登場とほぼ入れ違いだったのが残念 2人の最強バトル見てみたかった
直線は出てると思うけど、低速域は見せないよな