Wayne Rainey | "Mr. 100%" ran through with all his might
Автокөліктер мен көлік құралдары
WGP 3 consecutive victories, Schwantz's eternal rival
Also known as "Mr. 100%", Wayne Rainey
Looking back on Rainey's active life, one of the legendary "four-strong".
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[Partial correction]
Rainey's correct date of birth
It is October 23, 1960.
June 19, 1964 in the video
It was Kevin Schwantz's date of birth ... I'm sorry.
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【table of contents】
0:00 Childhood ~ (The correct date of birth is October 23, 1960)
0:45 Superbike Champion (1983-87)
1:09 WGP500 & Suzuka 8 Hours debut (1988)
1:41 A regrettable second year (1989)
2:10 Achieved first victory based on lessons learned from failure (1990)
3:07 Two consecutive victories with stable running (1991)
3:38 Defeat Doohan for the third straight victory (1992)
4:45 Immediately before the fourth straight victory ... Tragedy season (1993)
6:36 After retirement (1994-)
7:16 Impressive Suzuka Demo Run (2019)
7:39 Summary
◆ Wayne Rainey DVD
amzn.to/2XT34FR
☆ Other notable riders ☆
○ Kevin Schwantz | WGP domination with legendary braking! Active life that attacked to the end
• ケビン・シュワンツ|伝説のブレーキングでWG...
○ Freddie Spencer | Legendary W entry, active life of a perfect sensation genius rider
• フレディ・スペンサー|伝説のWタイトル、完全...
〇 Eddie Lawson | WGP 4th victory, legendary "winning contractor" rider
• エディ・ローソン|WGP4度の制覇、伝説の"...
#RidersMemory
Пікірлер: 53
暴れる2スト500ccのマシン・・・ ねじ伏せて走るライダーたち・・・ 乾いたエキゾーストサウンド・・・ 焼けたオイルの匂い・・・ すべてが輝いていた時代だった。
南海のレイニーレプリカのスーツとブーツとヘルメット全部今でも大事に持っています。当時TZ250で暴れていますた懐かしいです。ありがとう。
先日「レイニーの動画もお願いします」ってコメントさせてもらったばかりです😍本当にありがとうございます❗️この頃のライダーは皆んな好きでしたが特にレイニーは大好きなので本気で嬉しい❗️89年の鈴鹿でのシュワンツとのバトルは忘れられないです、トップを走っていても常に全開、テレ東の放送で千年屋アナウンサーの実況が聴こえてそう。120%レイニー、懐かしいですねー‼️
89 鈴鹿のレイニー vs シュワンツのバトルは今でも鮮明に覚えており、新しい時代の幕開けを感じました。 事実、それはその通りとなったのですが、当時はネットとかもない時代、2人のライバル関係はAMA時代から続いていたとは知る由もなく、、、 レイニーさんの事故も覚えています。 放送ではとらえられていなくて、「誰か転倒している、レイニー?珍しいな」位だったのですが、それが選手生命を絶つ程の事故とは、、、 その後のシュワンツさんも魂が抜けたようになってしまいましたね。
1989年の日本GP、シュワンツとのバトルでダンロップコーナーをカウンター当てっぱなしで抜けて来た。あれは凄かった。
いつも優しい顔。それが・・ウィン・レイニー。速度より「ラインとか・繋がり」を常に意識。だから、速くて美しかった。忘れない。
本当に80年代から90年前後は、バイクレースシーンを楽しませて貰った。そしてレイニーとシュワンツの走りは、一流のエンタテインメントとしても昇華させた。彼と彼等の走りは、今も目に焼き付き、そして思い出す度に当時の興奮が甦ってくる。
ウェインとケビンのレースはGPライダーの凄みを見せつけてくれて、 鳥肌どころか何度も涙が出ました。 たしかドニントンパークのレースの夜(鈴鹿だったかも)、 偶然ウェイン、ケニー一行とレストランで隣のテーブルになりました。 ウェインが群を抜いてハンサムでした。(ケニーすみません笑) どうしても、あのクラッシュが無ければと考えてしまいます。
スタートからトップで飛び出すスタイルはレイニーの真骨頂。日本GPでのシュワンツとのバトルは伝説的!! この動画はよいまとめ方で素晴らしいですね。
この人、とにかく手堅かったイメージ。 バイクレースで手堅いってどれだけ凄い事か 他のライダーと比べればよくわかる。
そおなんです、この頃のGP大好きでした。日曜日の深夜にテレ東で放映してたし、コンビニでビデオが販売されてました。レイニーとシュワンツのバトルは忘れられません。垢青ツートンのメット大好きでした。めちゃくちゃ面白かったありがとうございます
スタートから逃げ切るスタイル、レイニー。 でもタイヤの余力を残し、シュワンツとのバトルを楽しむかのようなレース展開。 美しいライディングフォーム等々、憧れのライダーだった人は多かったはず。 この時代に生まれてきた事に感謝。
1993年からヘルメットのメーカーを替えたんだよね、あれが今でも心に引っ掛かってるよ。
やっぱレイニー
あのクラッシュ当時はケビンのファンだったけど ライダー生命は絶たれたが、ウェインが生きててくれて良かった。
ウエイン・レイニー 私の一番好きな、あこがれのライダーです。 SHOEIのレイニーレプリカのヘルメット(最初のヴァージョン)の後頭部に、WAYNE の白い文字を貼って、FZRに乗ってました。 もしもレイニー氏に会えたなら… 固まって、何も言えず、何もできなくなってしまうだろうなあ… 彼はそのくらいの存在です。 アップありがとうございます。(^-^)
レイニーたちの時代はまだトラクションコントロールとかなかったからね・・ハイサイドも起きやすかった。 でもシュワンツとの熱いバトルは今でも伝説だよ
@user-sy9qd1ms6f
2 жыл бұрын
それがレーサーですよね☺️ 確かに、今のバイクの方が速いかも知れませんが、コントロールしながら速く走る、それがテクニックですからね。 今のバイクレースには魅力を感じません😅
2019年の鈴鹿Sound of ENGINEにて、あの特殊改造をされたマシンを駆り、エディー・ローソンやケニー・ロバーツと一緒に走っている姿を現地で見た時は、本当に感動モノでした。 因みに、あの上半身だけで操る様に特殊改造されたバイクの開発には、兄弟そろって世界GPで活躍し「青木三兄弟」として名を馳せていましたが、マシンのテスト走行中に事故に遭い、レイニーと同じ様に下半身不随となってしまった次男の青木拓磨氏が関わっています。(当日、一緒にトークショーをされていました)
あのクラッシュは今でも当時ショックでした!
レイニーの事故はWGP500のケビン シュワンツだけでなくF-1のアラン プロストにも影響がありプロストは無事な身体でレース人生を終えたいと言い引退を決意したそうですね。
本当に偉大な大王だった これからもお元気でいて頂きたい
自然と目頭が熱くなる。 アップありがとうございます。(*´ω`*)
絶頂期のレイニーはほんとつまらないってくらい速かったなー これ無料でみれるなんて時代だね!
いい動画です。
88年のドニントンパークでの優勝がカーボンディスクブレーキを搭載したマシンの初優勝でしたね。
あのイタリアGPでの転倒、そして引退... 本当にショックでしたね でもレイニーはGP史上最高のライダーだったと思います。
ヤマハバイクをパワースライドしながらもスレスレの走りみんなそうかもしれないですが、この人とランディマモラという人の走りは同時のGPの過酷さを示しているはずです。
今更なのですが、引退後ウェインの言葉にもかなり重い一言が有った筈ですが…。
個人的なレイニーのイメージは地味で真面目な職人気質のライダーだね?シュワンツは優勝か転倒かリスキーで挑戦的なライダーだったね?
4強 6強時代の黄金期でした
500個目の👍頂きました! GP500のhero Wayneに🍾
高校生の頃、小遣いためてレイニーのレプリカヘルメット買いました。南海部品までウキウキしながら原付きで買いに行ったな〜
予選で下位に沈んでも、決勝日の練習走行では、タイムを出すのが当たり前みたいになっていた。 当時は、セッティング能力がスゴい!んだな〜と思っていた。 けれど、後日談によると、セットが決まらなければ、最終的には『気合!!』で走るライダーだったとのこと。後日談で現役時代のイメージとの差異に、少しガッカリのライダーも少くない反面、レイニーのそれはプラス評価でしょう。 おまけで2人のwayneは同じ名前ながら、英語の訛の違いで、ウェインとワインです。
レイニー好きでレプリカヘルメット被ってたけど、バイクはロスマンズカラーのNSR乗ってたっけ😆
青木3兄弟
派手ではない、と言いたいけど、それはシュワンツと比べての話で、ローソンより明らかに力強く、ガードナーほど田舎臭くないフォームでクリッピングまでに ブレーキでかわしていったシュワンツをスルスルと逆転。ヤマハのバイクのすごい宣伝になった。比べるなら、洗練されたケニー・ロバーツとでも言えばいいんだろうか?極わずかのハードブレーキサーキットをノ除けば絶対的な王者だったね。もう一人のキングだった。
92年だけagv被ってるの知らなかった。
あの事故が無ければ、しばらくレイニー シュワンツ ドッーハンの三つ巴3強時代が続いたはずで、 もしはないのだが、つくづく残念だった。あのミサノのレースは250で原田も転倒して荒れたレースだった。
レイニーは、1960年生まれではないでしょうか。
@Bikegin
2 жыл бұрын
Un mito indimenticabile !
100%では無く120%レイニーと呼ばれてましたね。
一瞬の対処が遅れれば下半身不随かなくなるか😱紙一重である😱危なかった事は数知れず😱健康でいられた事に感謝😉
次はドゥーハンで決まり‼︎
@manspider1701
2 жыл бұрын
コシンスキーもお願いいたしますm(_ _)m
@manspider1701
2 жыл бұрын
@@RidersMemory マジすか!!やったー
@YU-zs6mi
2 жыл бұрын
ランディ・マモラさんもお願いします!
バリ伝のアンダーソンとダブる
レイニーのドライブスタイルは・・「綺麗」の一言。ノリックは多々ただ残念。直ぐに現場に行った。。よくわからないんよ。事故の原因。未だに。
最後のシーズンは、端から見ても焦りすぎだった。 マシンの性能不足を、己の技量でどうにかしようと思ったのだろう。 頑張りすぎだ。 勝ち負けよりも、走り続ける姿を見たいファンがいるってことを、ちょっとは考えてほしかった。
南海サポートなったライダー 結構不幸みまわれた印象あった 忘れてた 確かこの時代、何人か南海ライダーヤバかった印象ある みんなきづかなかった? 他はだれだったかなあ