ワイン・ガードナー|豪快"ブルーサンダー"、貪欲に勝利を追い求めた現役人生
Автокөліктер мен көлік құралдары
1987年WGP500覇者「ブルーサンダー」ことワイン・ガードナー
オーストラリア人初のWGP500チャンピオンとして
その後の同郷ドゥーハン、ストーナーの活躍にも繋がってきましたよね。
ワークスマシン相手に市販車両でも貪欲に食らいついたガードナー。
鈴鹿8耐での活躍もあり、日本人のファンも多いのではないでしょうか。
[ 目次 ]
0:00 幼少期~少年期(1959-)
1:00 レース参戦・恩師との出会い(1976-81)
2:02 WGP500衝撃のデビュー(1983)
3:16 善戦の2年目(1984)
3:43 3年目 & 鈴鹿8耐初勝利(1985)
4:29 ロスマンズで突然のエース抜擢(1986)
5:19 遂にWGP500タイトル獲得(1987)
5:55 新世代の台頭(1988)
6:20 怪我に悩まされる(1989)
6:41 10年目にしてWGP引退へ(1992)
7:08 二輪引退後は四輪参戦
7:33 現役引退、息子の育成
8:13 まとめ
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◆ワイン・ガードナーの自伝映画
amzn.to/3sVwXk6
#RidersMemory
Пікірлер: 108
ワインガードナーが大好きで鈴鹿8耐を3回ほど観戦しに行きました。 自分にとって最後の8耐観戦でガードナー、ビーティー組が優勝した時は泣きました😂 ガードナー大好き❗️
ロスマンズに乗るガードナー大ファンでした
ガードナーがロスマンズカラーで乗った頃のNSR500はデザインと色が洗練されてて美しかった レーシングバイクと言うと先ずこのマシンを思い浮かべる
大ファンのガードナー選手のまとめありがとうございます。WGP時代はリアルタイムで見ていました。 そして、引退発表とその後のレースでの優勝を見て泣きました。今見ても泣けてきますね。 自分はガードナーにあこがれ、バイクはホンダと決め最初のバイクはNSR250Rでした。まあ、初心者に扱い切れる代物ではなかったですけど、歴代乗り継いできました。そして、NSRの開発中止とともに、自分のレーサーレプリカ人生も終わりました。
丁度、ピッタシの年代です。友達がこのガードナーヘルメットを、私がローソンヘルメットをかぶっていました。ホンダのCMに出ていたり、ガードナールックス良いですよね。ウンチーニ良かったですね。失礼ながら、ウンチやないで!ウンチーニや!良い時代です。
@tamyas3144
2 жыл бұрын
ヒデヨシの台詞だね!
@maruhiroya417
2 жыл бұрын
皮肉にもウンチーニがいたチームはガードナーが初タイトルを獲った年からホンダに鞍替えしました。
ガードナー大好き。ガードナーといえば、ロスマンズホンダNSR500とRVF750の8耐だろう。 87年当たりの全盛期はリアルタイムで見てはいないが、好きなレースは90年のオーストラリアかな。割れたばたつくカウルで優勝をもぎ取るスタイルは素晴らしかった。 個人的には92年の位相同爆NSR500と蛍光ピンクっぽい色をあしらったヘルメットの組み合わせが大好き。92年も鈴鹿で転倒して怪我したので、ドニントンでの優勝はとても興奮したのをいまだ覚えている。 OKIカラーのRVFも好きだったな。ドゥーハンとガードナーのコンビなんて伝説だろ。ただし一回ガス欠でリタイアしているが。 93年もNSR500で走れれば有終の美を飾れて最高だったのにな、と思う。 ドゥーハンはあの年は怪我の影響で速くなかったから。 引退が1年早かった。もっと見たかったです。
@Jojo6vm
2 жыл бұрын
私もあのオーストラリアGPが印象深いです。下が擦りそうなぐらいずれたカウルでバトルしてましたもんね!
いやぁ懐かしい所ありがとうございます❗️僕が原付に乗り始めた頃(88.NS50Fです)バイク屋にガードナーのポスターが貼ってあり、まだレースに興味がない頃でしたが しばらくしてTVでレースを見るようになって知りました、ガードナーは熱い男❗️ってイメージでしたね(500に乗ってるライダーはみんな熱いですが)一度転んで追い上げたり、母国、第二の故郷、なんてシチュエーションになると凄い勢いで食い込んで来るイメージでした。ドゥーハンが勝つとあからさまに機嫌悪そうだったりしてたけど、ライディングフォームが低くてカッコ良かったです、自分でチーム作ったり、息子さんもmotoGPで走ってるとは知りませんでした、TVで放送してくれたら毎戦見られるんだけどなー😭次回も楽しみです。
バイクが好きになって最初に惚れ込んだライダーでした レプリカのヘルメット買ったなぁ
@K-don
2 жыл бұрын
同じく。我が家には、未だに初期カラーリングのメットが保存されています。
ライディングフォームがかっこいい!
@user-rf3fq6eq1v
2 жыл бұрын
そうだよ! ドゥーハンのフォームは 好きじゃない やっぱりガードナーがいい
鈴鹿のヘアピンでブルブルとリアタイヤをスライドさせながらブラックマークを残して立ち上がっていく後ろ姿は今でも目に焼き付いてる
ヘルメットデザインがカッコいいライダー。最後のトロイリーデザインが欲しかった。
ガードナーのアグレッシブな走りは今でも鮮明に残ってますね そして鈴鹿8耐での逆転劇、後に8耐では無敵の存在だったりと ホンダの歴代ライダーで一番印象深いライダーです。
大好きなライダーです! チャンピオン獲得の年、クシタニのショールームで直筆サインも自分の名前入りで書いてもらいました! 握手もしてもらって、良い思い出です👍😆
日本で見たあらゆるレースの中で、92年の雨の鈴鹿のガードナーの鬼神の走りが一番、印象に残っている。
@K-don
2 жыл бұрын
転倒した後に、また走り出したんですよね。 絶対に復活するという強い意志が感じられたし、あのボロボロのカウルでどんどんと順にをあげている姿は鬼神にふさわしいですよね。
@user-zc2kn2oj3x
11 ай бұрын
初めて8耐に行ったのが92年でした。間近で観てました。転倒後の走りは、側で観ててもあきらかに他より速い事に感動しました。懐かしいな〜。シャンパンではなく,バケツの水をピット上からガードナーにかけられたのを喜んでました!
もっと勝ってた印象が残ってるけどGP500で世界チャンピオンになったのは一回だけなんだ
ワイン・ガードナーさん、とても熱い走りをするので好きです。
1番バイクにのめり込んでた頃の、憧れのライダー。ホンダ党だった私にとっては神。 ロスマンズカラーのNSR、タミヤのプラモにもなったので、86年のゼッケン4が印象深い。 8耐RVFでハングオンしてる写真のポスター、部屋に貼ってたなあ。
懐かしいね、この頃80年代GPが最高でした❣️スペンサー、ローソン、ガードナー、後半レイニーとシュワンツが台頭してきた❗️皆個性的なライディングで、マシンも年々パワーアップしてきてコントロールが難しくハイサイドが増えていったと感じました、結果ライダーの怪我が酷く、レイニーの下半身不随に繋がったと解釈してます‼️
4輪でガードナー見てた身だけど。1999年JGTC富士でトップチェッカー受けたレースはリアタイで見てた! 当時あのエッソタイガースープラ好きだったしその時めちゃくちゃ嬉しかった~ 息子のレミーはMoto2から応援してるから頑張って欲しい!
若い頃ガードナーレプリカヘルメット被ってた、友達はスペンサーやシュワンツなど有名どころ。 休日は数台でツーリングに明け暮れた良き思い出ですね。
確かに。ガードナーは良いマシンに恵まれず可哀そうだった。 まともなマシンに乗れていたらもっとケガも少なくてチャンピオン回数も重ねていたと思う。 それでもガードナーはマシンの欠点を気合と根性でカバーでトップ争いに絡むと言うか、反射神経の良さとパワーとバランス感覚の素晴らしさは天下一品だった。 ハイサイドを押さえつける事数知れず、コースアウトした上でのチェッカー回数ならGPライダー随一なんじゃないかな。 他のライダーがこける所でこけずにコースに何度も戻る姿は豪快かつ驚異的だった。 4強の他の誰も真似ができない素晴らしい反射神経とパワーの持ち主。 ホント、だからこそ、ただただただマシンに恵まれなかった事は残念に思う。 あと一つ、オーストラリア人初のWGPチャンピオンと言う事で、1988年にオーストラリア勲章を授かっています。 Wikiには載ってないけれど、そういった事も若い人には知っていて欲しい。
ガードナーの安全運転しよう!みたいな ポスター見た時はお前がそれを言うなと思った。
ガードナーは俺のヒーロー NSR92ロスマンズ、ヘル、南海ツナギ😍全て真似して攻めてた28年前😍いい思い出です
やっぱり90年NSR乗ってた同士ですと、ワインガードナー好きです。
息子のレミーはMotoGP昇格の来年からヘルメットをSHOEIにして欲しいなぁ スーツもクシタニだと最高
@ikhok9ke
2 жыл бұрын
ツナギは南海でお願いします。
1990年の地元オーストラリアGP、フィリップアイランドでの優勝かな・・ハイサイドくらってカウルもはずれかけ、高速コーナーで暴れるマシンを必死にねじ伏せながら闘走wしていた姿が神がかっていて一番印象的でした。ケガも多く実力的にはちょっと微妙・・でしたが、ホンダファンが多いからか、日本ではスター性もあり、とにかく人気のあるライダーでしたね。
ドゥーハンより断然ガードナーだな!
ガーちゃん1番好きなライダーでした👍
不利、劣勢でも格上を飲み込んでいく、日本人てそういう競技者が大好きですよね
ガードナーは自分の師でもある。サーキットのライディングや考え方を学んだ!よき時代であった。
ガードナーが1番好きで、ガードナーヘルメットを全て持っていましたね!
90年代以降のWGPファンの自分にとっては、ガードナーは既に全盛期を過ぎた時期であり、当時熱心なガーファンとのギャップを感じていたのを覚えているw そのライディングもどこが優れてるのかよく分からない(立ち上がりが凄いのは勿論分かるが)不器用なもので、切り返しは重たそうで倒し込みも遅い。逆にクリップに着くのはえらく早いw そんな一見、洗練されてない走りでもって、シュワンツをブレーキングで刺したりするのだ! かつて福田照男がガードナーを「ミラクルパワー」と称したが、本当に気持ちが乗ってる時のガードナーは、キャリア後年においても意味不明な速さを見せてた。 逆に気持ちが萎えると一瞬で急降下してた感じ。 「感情が乗り移ったようなライディング」、と言う意味で歴代1位だろうなきっと。
ガードナー格好いいですね😀👍
本当に美しいハングオンでした
若い頃 ガードナーに憧れてました、NSRで走り屋してました
この歳になっても峠に行くとついあのころのライダーもどきに、、、いや、安全運転で楽しんでいます(^^)/
スペンサーも4番を着けた年は活躍したが彼が4番を着けた年は映像を観て凄いライダーだと感じた。登り坂の頂点の高速コーナーをフロントをバタバタと暴れたまま全開で切り返したのは痺れた。(多分イースタンクリーク)低速コーナーの立ち上がりでは車体を揺らしながら短時間にホイールスピンとグリップを繰り返しながら加速、迫力満点。やはり現在と違いトラクションコントロールの無い時代のレースは見所があって面白い。
懐かしいなぁラッキーストライクヤマハの下半分が黒のつなぎのデザインは最初見た時違和感が凄かったけど見慣れたらかっこいいと思うようになった、不思議だなぁ。
ワイン・ガードナーのあのアグレッシブな走りが好きで、オフロードで 身に付けたパワースライドを愛車のME-06で峠道を周囲に見せつけながら 走るのが楽しかったですね、4stでもトルクが高いのでアクセルを開けると 簡単にグリップ力の低いタイヤは滑り出すので意外に簡単なんですよね。
その頃のバイク雑誌の表紙にはガードナーの写真 その見出しは「天才はいつもクレージー」😉
87年ワイン・ガードナーはWGP500タイトル獲得と同時に、母国オーストラリア人プロゴルファーのグレッグ・ノーマンと共に87年度スポーツマンイヤーを受賞している✨ まさに盟友でレジェンドである‼️
セミワークスながらワークスを脅かし、その実力をワークス入りしても発揮できたライダー。 ミッキー・ロークに似ているのも話題になった事あったな。まさか、ミッキー・ロークみたいに波乱万丈に生きるのは面白かったけど。
「身体を鍛えなきゃあのカンガルーには勝てない」って言ってローソンが筋トレをはじめたんだってね、87’のガードナーはそれほど力強かったよ、引退する前の91’・92’は痩せちゃって「GP500ccって過酷なんだなー」と思ったね。
今でも自分のヒーローです🥰
雨の鈴鹿、転倒後の鬼の追い上げに関して全く触れてないのが残念でならないっすね。。システム的に浅くしか調べずに作った動画なんでしょうね。。
ライディングスタイルはローソンと真反対だから この二人の争いは本当に面白かった そして、親子共々警察に厄介になって、大いに笑わせてもらった
1992 WGP R1 雨の鈴鹿で転倒し、不自然に曲がった足を見て胸が締め付けられました(>_
ガーさんとホンダV4。好きだったな。
大好きでした! ナンバー1になった時は嬉しかった〰️! トロイのヘルメットはいまだに飾ってあるよ! 引退レースは転んだけど、めちゃめちゃカッコ良かったよ! その後、4輪に行ったんでしょ!
3気筒NS500 今現在見ても 最高にイカス
立ち上がりのパワースライドは今でも記憶に残る、普通ならタイヤ温存するのに何でなの?と。乗れてる時のファンサービスだったのだろうか?その後もラップタイムそれほど落とさないし、どういうコントロールしてるん?
ワインガードナー ケビンシュワンツ ウェインレイニー等 カッコいいレーサーが多かった🙆
ロバーツ家以来の親子2代での王座獲得に期待している
子供の頃、あこがれの存在でした… 南海部品でのサイン会にも並びましたが順番的に貰えずじまいの記憶があります… ですが大人になりオートポリスでGT選手権でピットウォークの際にやっとチャンスが訪れてサインを求めた時に落書きみたいな適当なサインを書かれ…幻滅… 大嫌いになりました。 でも同レースに参加していたキャロッセクスコの加瀬社長と一緒に写真を撮らせて頂きたいとお願いしたところ裏からわざわざ出てきて頂き選手や参加車両のインプレッサと一緒に写真を撮らせてもらい神対応を見せて頂きました😄 加瀬社長…お亡くなりに大変残念でなりません
昭和懐かしい… すっかりオジサンです。(笑)
ここにいる奴らは50前後だなw
四輪レースを見てきたので、「二輪のガードナー選手」をあまり知らない世代ですが、20年ほど前のJGTCテストのときに著書にサインをして貰いました 今さらなのですが、オートバイはホンダでGTではトヨタだったのかは謎です ショウエイヘルメットが四輪レースから撤退して久しいですが、最後まで自動車レース用「x_four」を使用されてました
80年代後半は役者が沢山いてレースに見ごたえがあった。今は特定のライダーばかりが勝ってちょっと面白みに欠ける。
2輪ではホンダ、4輪ではトヨタと繋がりがありましたね。
昔乗ってたロスマンズNSRにゼッケン5をつけてたよ!
8耐のガス欠を思い出す。
やっぱ勉強は大事なんや😂
高校時代、ヘルメットはガードナーでした。
この人とシュワンツが観ていては面白かった。
二輪も四輪もこなすスペシャリストの1人★ただ傷なのはツインリングもてぎでの件さえなければ…
@katsujinakamura6966
2 жыл бұрын
なければどうなの?
@maruhiroya417
2 жыл бұрын
公道でもやらかしてなかったっけ?ニュースにもなっていた記憶が。
@user-td2nr4ni3
2 жыл бұрын
@@maruhiroya417 ライダーとしては、かなり素晴らしいのですが…
ガードナーはチャンピオンをとってからは転倒で怪我ばかりして最後まで実力を発揮できなかった。 業務請負ライダーそのもので、マシン開発するのではなく与えられたマシンで速く走ることだけを考えていた。 だから、ローソンのようにNSRを変えていくことには興味がなかった。
速いとゆーより強い(根性)とゆー印象のライダーだったな 勿論速くもあったんだけど
ガードナーとドゥーハンが一緒に練習してる所見た事ない😂🤚🏍️🏍️めちゃくちゃ仲が悪かったのか😂⁉️⁉️⁉️⁉️🏍️🏍️
徳野と組んで鈴鹿8耐で激走の末、残り30分でマシントラブルでストップした平を抜き去り優勝した シーンは強烈な印象として残っている。
私は平さんの大ファンだったので、ガードナーは憎たらしい存在でしかなかったw
ガードナーといえば ピーターノース 似てたなぁ どっちも飛ばし屋
高校生の頃ガードナーのメット被ってcbrで大垂水走ってたよ 周りからは遅くて迷惑がられたけどw
メチャクチャ速いけどよく転倒する印象
ガードナーレプリカと平レプリカのヘルメットが溢れてたw
サムネにやられて来ました(・ω・)ノ
ガードナーは現役時代はヒーローだったけど、後日談でかなり、品格を落とした感がある。 エース待遇となった際はホンダ最高額の契約条件として、結果は89王者の契約更新を妨げることとなる。 また、同郷後輩のドゥーハンとは表面上は良好な関係を報じていたが、後のドゥーハンは多くはコメントしていない。また、開発能力も乏しく、大失敗作として有名な88NSRも当初のガードナーの『問題なし!』評価で開発は迷走したらしい。その後は開発についてはエースとしての存在感は薄かったと言われる。
8耐でガス欠、かけ寄ったマーシャルに八つ当たりしてるの見てファンやめたっけ。
モテギでのモンペア騒ぎがなければなぁ、、、
あの8耐って徳野がノロくて勝てないからガードナーが行ったと聞いたけど?
@user-vh8rb8xi3l
2 жыл бұрын
ガードナーが乗ったあとのマシンがサスがスカスカで、転ばないように走るのが精一杯だったと後日徳野さんが雜誌で語ってます。二人のセッティングの差が余りに大きすぎたのでしょうね。耐久レースの難しさです。
@user-xj2bx1hv9p
2 жыл бұрын
@@user-vh8rb8xi3l そうなんですね~😫 初耳です! ただ、どのみちライダーの技術的に無理ある組み合わせに感じるから徳野さんが気の毒ですね
アクセル全開の時間を長くしたいからコーナー立ち上がりでもアクセル全開なのでスライド走法になる
まさか、日本で、逮捕されるとは!栄光も、地に堕ちたね。
92年の鈴鹿のレポートがこれだけなの?www というか、ペラペラすぎるだろ...こんなんで知った気になれるレベルの人が一般化したせいで国が弱体化してるんじゃないの?w
たしかウンチーニ💩を轢いたのがワイン🍷だったよな
ワインガードナーって、ただの棚ぼたライダーだな。 実力はそこそこ。 フレディが不慮の病で引退したから、棚ぼたのホンダのエースになったにすぎない。 8耐もケニー•平組のリタイアで棚ぼた優勝。 リタイアするまで、3周遅れの2位。 熟成したホンダ車に乗っても、開発中のヤマハにすら3周遅れが精一杯。 マシンの性能を凌駕する天才ライダーと性能をフルに使い切れない凡人ライダーの差!
@mazda3679
2 жыл бұрын
そうかな?オレはそうは思わんなまぁ確かに天才では無かったかもしれないが諦めずにアグレッシブに走るガードナーは目にも心にも焼き付いてるよ
@user-osaka-load
2 жыл бұрын
遅いマシンでも限界ギリギリで早く走らせる半面、ドゥーハンがホンダのエースになってからはNSRがYZRに近いハンドリングになって、順応に苦労していた印象はありますね。
@user-zi4pe1hf7q
2 жыл бұрын
@@user-osaka-load 遅いマシンじゃない。ライダーがダメなんだよ。げんにフレディースペシャルを試乗させたら、数周走らせてギブアップ。乗ることすら出来ない始末。凡人並みのライダーに合わせたマシンじゃ、勝てないわな!
@user-rp3nl8ky4f
2 жыл бұрын
実力そこそこで世界一になれとは ずいぶん ぬるい世代だったんやな
@gardner-wp3em
2 жыл бұрын
ドゥーハンの5年連続チャンピオンも 強力なライバルがいなかった時代だから 「棚ぼた」なんでしょ?