アントン・マンク|38歳で年間王者!カワサキの連覇を支えたドイツの英雄
Автокөліктер мен көлік құралдары
80年代前半のWGPでのカワサキのエースライダー
ドイツの英雄、アントン(トニ)マンク。
主に中排気量クラスでの活躍が目立ち
250、350ccクラスで通算5度のタイトルを獲得し
MotoGP殿堂入りも果たした伝説のライダーの人生を振り返ってみます。
[ 目次 ]
0:00 町の悪戯っ子として有名だった('49-'69)
1:23 メカニックとして活躍('70-'73)
2:00 溢れる非凡さでカワサキ熱視線('75-'77)
2:44 バリントンに迫る勢い('78-'79)
3:24 カワサキの次世代エースへ('80)
4:21 両クラス制覇の快挙('81)
4:58 最後の350cc王者に('82)
5:28 スズキに移籍するも怪我の苦悩('83-'84)
5:54 王者の復活('85-'87)
6:38 引退、そして伝説へ('88-)
7:39 まとめ
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#RidersMemory
Пікірлер: 9
まさにいぶし銀なライダーでした。鈴鹿のラストウィンを見れたのは光栄です。サインもいただき私の宝物です🎉
渋いライダーだなぁっと小学生のころ、思ってました
個人的には1986年全日本ロードレースの最終戦にゲスト参戦した際の清水雅広さんとの2位争いが印象に残っています。 この年のNSRはYZRに比べて戦闘力で劣るとされていましたが、トップのカルロス・ラバードを除けばこの二人が他のYZR勢を置き去りにするぶっちぎりの走りを見せてくれました。 コーナー毎に順位を入れ替えるデッドヒートを演じ、当時中学生の私はテレビの前で大興奮でした。 ラスト近くで清水さんがクラッシュという形で勝負が着いてしまいましたが、レース後に「ナイスファイター」と言って、清水さんの事をとても褒めていたそうです。 あ、すいません。単なる清水雅広ファンのコメントになってしまいました。
接戦に異常に強いという印象
スペンサーのマシンはRS250RWとなってましたが実質NSRです。まあ、ろくに練習もしないで速く乗れてしまうスペンサーが凄かったんですが・・。この年のスペンサーは史上最強でした。攻めすぎて膝をコースのバリヤーにぶつけてましたもんw
奥さんが超美人なのよ!
HBスズキ→HB ヤマハ→マールボロホンダ→ロスマンズホンダとスポンサーのタバコメーカーが変わってるのが面白い。ヘルメットのカラーもデザイン一緒で変わっている。
白いKRは型落ちのマシンだよ。
87シーズンはスポット参戦の小林を含めて優勝したのが八人くらいの群雄割拠、でも2勝以上したのはマンクだけ…だったはず。