【ゆっくり解説】交易から見た邪馬台国

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Пікірлер: 32

  • @takedaharuki
    @takedaharuki7 ай бұрын

    纒向遺跡の交易は原の辻(はるのつじ)遺跡とはまた異質のものを感じます。だから分けて正解だったかも。どちらかと言えば、纒向遺跡は国内的な交易のウエイトが大きそうなイメージです。

  • @user-gj8en8uy8u
    @user-gj8en8uy8u7 ай бұрын

    ありがとうございます! 違う視点からの解説面白かったです。

  • @れーしch歴史

    @れーしch歴史

    7 ай бұрын

    ありがとうございます。感謝しております。喜んでもらえる様な動画を制作できる様に頑張ります!

  • @user-mh8bf7md5i
    @user-mh8bf7md5i7 ай бұрын

    「生口」が奴隷だとしたら、贈られた皇帝は「今更数人贈られても…。」って困ると思います。 魏の返礼から見るに、生口は「特殊技能」を持つ人たちではないでしょうか。

  • @user-rg8yx5nl4d

    @user-rg8yx5nl4d

    5 ай бұрын

    中国で行われていた、人肉食用の人間です

  • @koppepanx7979
    @koppepanx79797 ай бұрын

    地元、一支国が紹介されて嬉しいよ~ 因みに一支国は交易で栄えてたけど、深江田原平野は長崎県2位の大きさの平野で弥生時代からも意外と稲作頑張ってたんよー。 あと、一支国博物館ていう島にしてはめっちゃデカい、力入れてる博物館あるからみんなもきてね~

  • @sunsun2181

    @sunsun2181

    7 ай бұрын

    壱岐国は、立派な歴史がありますし、出土品も素晴らしいですね。

  • @shou-sho
    @shou-sho7 ай бұрын

    ずっと気になってたので一応。 「柵方」じゃなくて「冊封」ですね。

  • @takeshi492
    @takeshi4927 ай бұрын

    紀元8年〜23年に流通した「貨泉」と呼ばれる通貨が北部九州と畿内両地域で出土しています。3世紀以前の鉄器は北部九州が出土分布の中心になっていますが、何故か飛地で北陸長野県がもう一つの中心となっていて、長野から東京千葉に鉄釧が多数流入していて千葉県には当時の加治遺構も存在します。長野から出土した2世紀の鉄剣は、辰韓のハデ43.44号墳の馬具とほぼ同じデザインとなっています。北部九州から多数出土した銅矛は、紀元前2000年頃のアンドロノヴォ文化の青銅器と外見はほぼ変わらず、千数百年かけて遼西、遼東地域を経由して流入した事はほぼ間違いないと思われますので燕と北部九州との関係は弥生後期に於いて深かった事が見て取れます。

  • @nekono_mimikon
    @nekono_mimikon7 ай бұрын

    匈奴国から奴国にしたかったけど、匈国になってしまった感があります。 姜維が変換できず生姜維新から削ろうとして生姜維などになるように。

  • @user-qx5ww1sj9u
    @user-qx5ww1sj9u7 ай бұрын

    中々に興味深い内容だし今じゃ日本も立派な貿易大国だと思うけどこう言うの見てたら我が国が最初に貿易始めたのっていつ位からなんだろうって思う時がある🙄

  • @nekono_mimikon

    @nekono_mimikon

    7 ай бұрын

    遺跡からの出土品で見れば縄文時代後期には朝鮮半島と交易していたようですね。

  • @sunsun2181

    @sunsun2181

    7 ай бұрын

    1つは、縄文時代の終わりに、縄文人は中国から稲モミをもらっています。なにか交換にお返ししていたら、貿易の始まりでしょう。 縄文人は、海洋民族なので、中国にも、朝鮮半島にも、今のロシア領土あたりにもいっていました。

  • @user-qx5ww1sj9u

    @user-qx5ww1sj9u

    7 ай бұрын

    @@sunsun2181 縄文人の行動範囲にはビックリですが成る程ですね🙄 御教示頂きありがとうございます(⁠^⁠^⁠)b

  • @YO-high
    @YO-high7 ай бұрын

    動画お疲れ様です。 貿易とはなかなか現実的な見方かと存じます。 で、まっさきに思うことは、、、 15:40 の点線ですがこれは、日本列島→朝鮮半島のルートだってこと。普通に考えて「対馬海流」を考えると、「日本書紀」に書かれてる通り、朝鮮半島からは「多沙の津」から「対馬」の航路だということ。 狗邪韓国→対馬というルートは 「 無 い 」 ってこと。。 これは、「対馬」→「狗邪韓国」であり、魏志倭人伝は「 帰路 」を記述したってこと。 往路だと「多沙:任那」→「対馬」→「壱岐」→「伊都国」で、帰路は「末羅」→「壱岐」→「対馬」→「狗邪韓国」となる訳。 これは対馬海流を考えれば、現実的なルート。狗邪韓国から対馬には行かないってこと。 往路では「末羅国」はスルーなので、「官」の記名は無いしなぁ。 魏志倭人伝の記述は「帰路」ってこと。たぶん、、「往路」は違うんじゃないかなぁ。 継体天皇の時代に「多沙」を「百済」に割譲してしまったけれど、これは「朝鮮半島」から「日本」に行くルートが無くなったってこと。なので「非難囂々」だったわけで。日本は半島経営を諦めたって意味になる訳なんだよなぁ。 色々な書物を読むと、当時の人の現実と理想のはざまってのを感じます。 漢書の班固、後漢書の范曄の意志ってのを考えると、、、、陳寿の「魏志倭人伝」の偏向がつくづくわかると思っております。 面白かったです。 纏向遺跡はなぁ。。個人的には邪馬台国かと思っております。 魏志倭人伝に書かれてる「女王国」は九州で、卑弥呼の都とする「邪馬台国」は「纏向」じゃないのかなぁと。 女王国と邪馬台国は別であり、卑弥呼も邪馬台国とは別だと考えると、思ったよりスッキリするような気がいたします。 で、個人的には、畿内の纏向には「北九州」のニギハヤヒが先に「畿内」に降臨して、後から「狗奴国」の神武が畿内に降臨すれば「日本書紀」のとおりになるんじゃないかと思っております。

  • @as3982
    @as39827 ай бұрын

    前漢より前の時代の倭人については、中国人の張莉教授の論文が詳しいです。この倭人とは越のハニ族のことです。ハニ族と日本人の遺伝子はほぼ一致します。

  • @user-di9hz7ur9q
    @user-di9hz7ur9q7 ай бұрын

    現代的な国民国家ではないんだから倭人も朝鮮半島に住んでたりしたんだろうけど、現代の国家の枠組み、フィルターを通じてだと様々な利害関係あるから結局真の歴史的事実に迫ることは難しいんだろうなぁ…(−_−;)

  • @panda688
    @panda6887 ай бұрын

    纏向遺跡は、ある文化圏の他の文化圏の窓口と内部交易の最大の市場が分離していても何の不思議もなく、山川の障害でもありそうなことが海という最大の地形要因でより明確に出ただけという見方もあると思います。

  • @show_kazitani
    @show_kazitani7 ай бұрын

    ヤマタイシリーズ面白い 再生回数回ってんのかな〜 →番吾の戦い(14万)www

  • @sunsun2181
    @sunsun21817 ай бұрын

    纏向は、馬具が出土しています。「牛馬いない」邪馬台国ではないですね。そもそも、とっくの昔に大和朝廷で畿内にいるんだから、大和朝廷の町だってでかくなってるでしょ。まあ、それが纏向かなと思います。

  • @ToshiF
    @ToshiF7 ай бұрын

    私も、ちょうど同じように邪馬台国は交易を独占し、ジブラルタルのような海峡都市として伊都国があったのではないかと、昨日魏志倭人伝 雑感を書いたところでした。 かつて百か国あったのが、魏志倭人伝の時代に「今使譯所通三十國」となっているのは、海峡交易を邪馬台国が独占して、他の国々による交易を妨げたからではないかとも思えてきます。その結果、出雲などは別のルートを使って新羅と交易するようになり、狗奴国は女王国と対立するようになったのかもしれません。

  • @pappakappappappar
    @pappakappappapparАй бұрын

    壱岐は一大国ではありません 壱岐が一大国なら この小さな島に対馬の3倍人が住んでることになります

  • @lullaby000kawa
    @lullaby000kawa7 ай бұрын

    何はともあれ頑張って欲しいわ。見返してやれよ!

  • @user-gu2iq9cs3o
    @user-gu2iq9cs3o7 ай бұрын

    卑弥呼は徐福の末裔で丹後の籠神社の海部氏の系図に「日女命」と載っています。一人目の「日女命」が卑弥呼で二人目の「日女命」が台与ですよ。

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