【ゆっくり解説】侏儒国『魏志倭人伝に登場する謎の小人の国』
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「種子」が「しゅじゅ」の当て字だったりしてな。
私も最近どこかのチャンネルで、インドネシアのフローレス人が小さかった理由として、天敵が居ない孤立環境下では個体の大きさが著しく小さくなる傾向がある、という話を聞きましたね。イギリスのどこかの島の鹿(だったと思うけど)の大きさが普通の鹿の六分の一しかないという話があったような。それも、たった2,000年程度(だったような気が)の非常に短い時間でそこまで小さくなったとか。
天(あま)と海(あま)の南北1分差は、相対運動の関係から同じことになります。 天体の南北1分差 =洋上の南北1分緯度差 =1海里(1.85km) の南北差 =倭人が里のかわりに日をもって計る距離一日差(私の超新説) 天体の南北30分差 =洋上の南北30分緯度差 =30海里(55.5km) の南北差 =倭人が里のかわりに日をもって計る距離三十日差 一寸千里法に基づく(南北)短里説(一里76.7m)だと南北千里は南北76.7km。ところが魏志倭人伝の行程で南北渡海千里を三回繰り返す距離の南北千里76.7kmでは解釈できない。(南北を東西にする解釈など言語道断)ここは、倭人が測量に関与していると考えて、南北千里=南北三十日=南北30分=南北55.5kmとしましょう。南北四千里=南北120分=南北2度です。 30°30'N(種子島)+2°N(四千里)=32°30'N(女王) また、 南北30分=南北30海里=南北三十日 南北60分=南北60海里=南北六十日 南北1度=南北60海里=南北六十日 南北6度=南北360海里=南北三六十日 で、南に一年の航海で南に緯度6度低いところに到達しますから、 32°30'N(女王)ー6°N=26°30'N(小笠原諸島)となります。
中国語で侏儒とは小人症の意味らしい。 倭人伝を素直に読めば邪馬台国は豊前豊後だし東に海を渡る倭種の国は豊後水道の向こう。 その国から南の侏儒国は土佐中村あたりになるけど高知県は弥生時代前期の遺跡ってあったっけ?
島嶼化で身長が低くなったと思われる 現代でも、都道府県別平均で沖縄県は最も身長が低い
背が低いと聞いて、日本住血吸虫を思い出したけど、九州だと筑後川下流域だったと思うので、場所が合わない
江戸時代、沖縄は鎖国してなくて中国と交易がありましたが、その時代の中国の書物には、沖縄の周辺に小人の国があると書いてあるそうです。 かなり古い日本の本で読みました。
@user-bf4up4vc5r
2 ай бұрын
沖縄の周辺?どこですか?
現代と違って遠方との婚姻は少なかったと思われるので、低身長の遺伝的形質を持った集団が居住する地域があった可能性はあると思う。また、孤島の生物は小さくなると聞いたことがある(宮島の鹿は奈良公園の鹿よりずっと小さいとか)ので種子島は有り得ると思う。
北海道の方に伝わる伝説の小人族、コロポックルのことではないのかという方もいますね。
@user-lm9sy2qq6w
8 ай бұрын
コロポックルについては、千島アイヌ人がモデルになっていて彼らが手に持ってるフキの葉が2メートル超えの巨大な品種だった、というのが真実だった気がする
動画ありがとうございます。 シラス台地による亜鉛欠乏による低身長ですか。私はれーしさんが最初に触れた栄養不足かなと思っていたので、この説には説得性があると思いました。 あと、歯が大量になかった人は私個人は単純に虫歯が痛くて抜歯したのかな、と思いました。
種子島か、それともフローレス島か
ホビットが居たというインドネシアのフローレス島を推す
伊都国吉野ヶ里から南に水行10日2500里邪馬台国、4000里で種子島侏儒国になり里程で303キロで一致します
小人で思い出したのが少彦名命…武内少彦名😝 九州における南の玄関口だから、例え小人であっても知識や技術はなかなかのものだったのかも知れない、鉄砲伝来地も種子島だし😊
風土病で日本住血吸虫病というのがあったんだけど病気になると身長が伸びなくなるらしい。そういう人が多かったのかも。
@user-bf4up4vc5r
2 ай бұрын
山梨県ですよね。自分も何かの本とかで、軍隊が国民調査したら山梨県の一部の部落にそういう地区があったと読んだことがある。
俺が低身長なのも鬼界カルデラの影響だった…?😨
小人の国って何かガリバー旅行記みたいだけど要は白木みのるさんみたいな感じのやつなのかなあ🙄
広田遺跡の身長が特に低いわけじゃなくて九州南部も沖縄も東日本も似たようなもんなので、九州北部が特異的に高いんだと思います。 遺伝的に背が高かったとか栄養の問題とか色々あるんでしょうが。
巨済島から対馬まで最短で56km、対馬から壱岐まで最短で47kmで、どちらも約一千里。 種子島から200kmだと、天草、宇城、延岡あたり。 270kmだと、嬉野、柳川、九重あたり。九州北部にまあまあ近いじゃない😊
侏儒国が名前の通りの小人さんの国だったとして、当時の日本には渡来人との混血で高身長化した民族と低身長の縄文人スタイルのままの民族がいる訳なので、どこかしらにあって不思議は無いでしょうね。 もっとも山海経に出て来る周僥(焦僥)という小人の国をモデルに、淮南子によれば中国の東にある黒歯国などとセットで陳寿が適当に添えたものだと思いますが。
侏儒国は里程で書かれてるので、実際に行った中国人が居て、その伝聞なんでしょうね(倭人は日をもって計る、いわゆる日程なので) となれば、距離的に種子島が比定地バッチリです👍
江戸時代の平均身長なんて男性155~158cm、女性143~146cmじゃんよ
鹿児島説に則るとして豚食いはじめてからはデカくなるんだからやっぱたんぱく質って大事なんやなって
第二次大戦中の英領インドのグルカ兵、日本陸軍の台湾高砂族義勇兵、現代だとコンゴ内戦下でのピグミー諸部族出身者の傭兵部隊が全員低身長でかつ密林での戦闘に非常に長けていました。 弓や銃火器での戦闘であれば的が小さい。小回りが利く。というのは時代を超えて有利に働くかもしれません。平原でのコザックやアフリカマサイ族ズールーの戦士たちは長身ですが隠れる場所がもうない場所となると戦術も変わるので接近戦で体格が勝る方が有利だったのかもです。素人考えでベタですが戦争による選別もあったのかもしれません。 とは言え戦争の選別に依らない個人的には亜鉛欠乏症説はとても面白い着眼点だと思いました。
広田遺跡から発見された人骨から、頭骨整形をしていたのでは?と言われてますね。
個人的には、実在したとしても侏儒国から先はみんな現在の日本国外ではと感じる。 プレスタージョンの国とかワークワーク島みたいな、伝説に近いんじゃないかとさえ思う。
侏儒国=しゅじゅ国→しゅし国=種子国=種子島=「たね しま」=「たね が(の) 島」というのはいかがでしょうか。
@S_McQueen
8 ай бұрын
俺も種子だと思った
@user-ox2md6ep9o
8 ай бұрын
正に同じ事を書こうと思ってたw
太古、 氷河期(海面が現在より最大100メートル以上低くかった)と(12800年前の?)ポールシフト?は重要。 ポールシフト以前、 北極は北米大陸の北に有ったらしい。 日本列島はもっと暖かかった。 南極大陸は極寒ではなかった(温帯~ツンドラ?)
侏儒国って記紀で土蜘蛛と呼ばれている人たちが住んでいる場所のことではないですか? 身体的特徴は背が小さく、手足が長い。戦うと強く、天孫降臨より前には日本にいたらしいです。 土蜘蛛は全国各地にいたらしいので、 そういう人たち(多分海洋民族)が各地にいたのではないですかね。
22:41 グルカ兵なんか背がかなり低いけどめちゃくちゃ強いことで有名だから背の低さは別の能力でカバーできると思いますよ あと平均身長が10㎝低い程度でわざわざ「侏儒」なんてつけるか疑問ですね 当時は154㎝の男性なんて珍しくもなんともないでしょう 「侏儒(極めて小さい)」なんて名称、もっとわかりやすいくらい小さくて初めて名づけるかと…(ピグミー族のように) 3尺から4尺(90㎝から120㎝)なんて幼稚園から小学校低学年くらいの身長ですので、 当時本当に背の小さい集団がどっかに住んでいたのではないかと思います
辰韓で扁平の頭の文化があるなら近辺の島に移住していてもおかしくはなさそう 九州説のほうがしっくりくるな
90度反転説だと、どうなるんや?
抜歯は勇気を示すが役には立たない。 アボリジニの割礼は皮を切り取るのではなく陰茎を縦に裂くというものだったとか。結果オーライで人口抑制には一役買ってずっと存続する文化になったという考察をどこかで見ました。 抜歯も不便さがいいバランスを取る結果になって文化として続く時期があったのではないでしょうか。 その後に「不便だなあ」という考えが強まって廃れたのかな。と思いました。
そういえぱ、白木みのるさんは島根出身だったな。 日本海側は意外と南洋系とか中国南部の血統が入り込んでるし、飛騨あたりもそうだよね。 土蜘蛛伝承とかとも関係あるのかもなあ。
@user-ci3zi4vp3e
8 ай бұрын
皆謝ると言えども土蜘蛛の語源恙虫の説穴賢の説があると云う 恙虫の説と穴賢の説を知りたい場合はご返信をください
お歯黒。 ちょっと昔、近世まで 女性は結婚すると その証として、 お歯黒にする習いだった
おいらの身長は170cm程度なので、ゲルマン民族から見たら小人ですw
種子島の島名の由来は?当時の中国語読みでもしかして、しゅじゅだったりして…しゅじゅに当て字して、後に訓読みしたとか?笑
出雲の元王家伝承に曰く、 春分の日と秋分の日が 我が国の古代の 正月元日。 (春と秋の元日には 各地の神と呼ばれた王族や豪族の首長らが出雲王の王宮に参賀。出雲王は国会を召集して国事が議され、、、(出雲の神詣で。の元ネタ)) 史書?等にわざわざ 春正月。 とあるのは 春正月の春分の日をさすのでは? ↑から、建国記念日は 春分の日。の筈です?
君子の反対の小人(しょうじん)じゃなくて巨人の反対の小人(こびと)ですか、たまげたなぁ
小人というと千島アイヌを連想しました。 樺太や北海道アイヌにはコロポックルの伝承があったけど、千島アイヌにこんな伝承ある?って聞くと激昂したのだとか。 ソビエトの影響でこの辺の掘り下げできる資料もうないんだろうなあ…。
いろんな部族民族がいたアイヌでも低身長の部族は嘲笑の対象になってコロポックルとして伝承となってまで残ったとか言われるし、小柄な集団ってそれだけで目立つのかな?
侏儒→シュジュ→シュシ→種子→種子島(たねがしま)ではないのかな?と思った
ホモフローレンシアでは?
侏儒って音読みだから当時の日本人はそんな言い方しないですよね
@user-lm9sy2qq6w
8 ай бұрын
それを言い出すと、例えば北条政子だって「ほうじょうまさこ」とは当時は読まなかったですよ。他の歴史人物、地名も全てです。動画では「便宜上」というものがあると思います。
シラス台地を題材とした映画がありまして。監督が「ゴジラ」などの特撮映画で有名な本多猪四郎監督だったりします。
天下図という、世界地図が、ソウル大学校の韓国学研究院所蔵されています、中国、ちようせん、日本、りゆうきゆう、を中心に50以上の国の名前が、あがっています。その中には、大人国、女人国、不死国、など興味深いものがあります。😮
その辺りは適当な噂話でしょうね。実際にそんな場所は無いわけですから。
伊都国(井原)から侏儒国(北種子島)は4000里ですよ。一寸千里法で量ってみます。井原の日陰長は14.23寸、種子島は10.24寸、この差は4寸つまり4000里である。一寸千里法の里数は、長里と比べ約5.7倍と実里と異なる。 調査目的は、使節団を派遣するに兵站を整えるため、距離の調査が必要だった。おそらく、西回りで大分まで、途中12000里も測ったのでしょう。231121
まるでグリム童話やな。魏志倭人伝なんてホンマに真に受けたらアカンのちゃう‼️
空飛ぶスパゲッティモンスターが触手で侏儒国の住人の頭を押さえていた説。(適当)
鹿児島説に則るとして豚食いはじめてからはデカくなるんだからやっぱたんぱく質って大事なんやなって