【ゆっくり解説】狗邪韓国『朝鮮半島にあった倭人の国』

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狗邪韓国は朝鮮半島の南東部にあった倭人の国です。
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Пікірлер: 44

  • @user-ms9uh5oc2h
    @user-ms9uh5oc2hАй бұрын

    好太王碑(広開土王碑)ってのが有るけれども「これは日本人によって捏造された」とか言ってたのも韓国の学者なんだよね。 この碑の拓本をとったものが昔からあるんだけれども、こういうものを全部調べた結果、捏造されたという証拠は一切なかった。

  • @kooota7455
    @kooota7455Ай бұрын

    国境がどこだったかは諸説あるけど、経済圏としては北部九州と半島南部は共同体と思います。

  • @user-qo8bp1hh9v

    @user-qo8bp1hh9v

    Ай бұрын

    フランス北部のノルマンディー公が対岸のイングランド(ブリテン島の南部だけ)王になったり、デンマーク王が対岸のノルウェーその他の王を兼ねたり、北アフリカのイスラーム帝国がイベリア半島に進出したり。 海峡の両岸をひとつとする勢力圏が構築されることは珍しくないからね。

  • @mad_Pumpkin

    @mad_Pumpkin

    Ай бұрын

    「倭人」としてひとくくりにすると国ぽく考えちゃうけど範囲が曖昧ですよね。いまの国境はのちの人々が引いた線だから当時はないので朝鮮半島と日本列島の間で人や文化の行き来があって経済圏を形成していたと考えた方が自然な気がしますね。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったがАй бұрын

    動画ありがとうございます。 こういう情報についてはなかなか日韓とも歴史的に調べたがりませんけれど、きちんとした歴史的検証が必要なのではと思います。 そもそも日本人、韓国人という意識が当時の人々は今のような国家意識に基づいているとは思えないですから、日本人の集落が朝鮮半島南部にいても、逆に朝鮮人の集落が対馬とか、九州北部にいても不思議ではないんですよね。

  • @zennin375

    @zennin375

    Ай бұрын

    実際に九州北西部には朝鮮人が住んでいました。

  • @wajin5695
    @wajin5695Ай бұрын

    倭人伝の里数ですが、確かに1里を76.5m(短里)とすると近代地図に上手く符合します。なぜ符合するかというと、天文観測による実測だからです。もし、歩測とか概念的とすると地図に符合するのは不自然です。短里というのは制定された形跡は無いのですが、一寸千里法で測ると、何故かというより必然的に76.5mとなるのです。方法は夏至南中時に2箇所の棒の陰長差がそのまま里数となります。  シミレーションしてみると沙里院が21.53寸、狗邪韓国(巨済島南端)の影長は15.93寸、この2箇所の差は5.6寸は南北5600里を意味し、ピタゴラス三角より5/4倍すると7000里となります。ただ実体の無い里数であり、長里(435m/里)ではないので、デタラメに見える距離です。そこで、狗邪韓国は洛陽とほぼ同じ緯度であることから、南北は長里への置換えは容易です。ただ東西と斜めは計算値はあっているものの実体の無い距離なので、場所はズレています。  万二千里の女王国も、逆算すると蘇州の㑹稽と同緯度の何処かということになります。逆に言うと、㑹稽と同じ緯度の場所を探し当てたのが万二千里で、沙里院より9600里の川内川が測定地なのです。なお、女王国(入口)は、10500里辺りの伊都国や奴国辺りで、すでに目的に到着しているので、これ以上の距離の説明ができないのです。行けば分かるので、広げれば吉野ヶ里や甘木辺りだったかもしれません。長くなりすみません。

  • @user-ok5qc4hm8i
    @user-ok5qc4hm8iАй бұрын

    日本史の授業でしっかり取り上げると半島の人が発狂しそうなテーマですね。

  • @saburoutanba581
    @saburoutanba581Ай бұрын

    帯方郡から狗耶韓国までの距離が七千里→一里は約72m。 洛陽から大月氏国まで一万六千里→一里は約500m。 如何に西晋の初代皇帝司馬炎のお爺チャンを偉く見せる為とは言え、やっぱこの辺はかなり盛り過ぎだとおもう。

  • @countryboy5832
    @countryboy5832Ай бұрын

    国家ではなく民族の観点から朝鮮半島の歴史を改めて動画にしてほしいです

  • @conanrockwell4254
    @conanrockwell4254Ай бұрын

    伽耶 のことですよね?

  • @user-mh8bf7md5i
    @user-mh8bf7md5iАй бұрын

    どの時代、どの地域にも存在する「江戸商人」

  • @tucker_skebevich
    @tucker_skebevichАй бұрын

    巨済島の可能性も。

  • @user-fw7sn8ot6l
    @user-fw7sn8ot6lАй бұрын

    任那のことやんな

  • @user-hino2m
    @user-hino2mАй бұрын

    エベンキ族に乗っ取られるまでは倭種しかいなかったわけでそうでしょうね。

  • @auapo004
    @auapo004Ай бұрын

    任那の日本府て習いました。

  • @shou-sho
    @shou-shoАй бұрын

    洛陽~邪馬台国の距離の考察についてだと、山尾幸久『魏志倭人伝』(講談社現代新書)が卓出してますが残念ながら畿内説です(笑) 渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』が説くように、「政治的なもので意味はない」でいいと思います。

  • @user-yg4jx6ye5g
    @user-yg4jx6ye5gАй бұрын

    魏志倭人伝より300年ほど昔、漢の元帝のころに王昭君を娶ったことで知られる呼韓邪単于という人がいますが………他人のそら似ですねw

  • @siskark
    @siskarkАй бұрын

    起源の国伝説は?おら〜古代史分からん🥴信用ならん😤

  • @user-we1lh6rt7m
    @user-we1lh6rt7mАй бұрын

    倭人⇒ワジンと読んでいますが、ワジンと読むのではなく倭=ウワイ・ウバイと読むのが正しいと、歴史言語学者の加治木義博氏が述べています。だから、倭人=ウバイドあるいはウワイドなんですってよ。これって面白いですね。

  • @user-gw6id5el1j
    @user-gw6id5el1jАй бұрын

    普通にしゃべれないのかな

  • @user-0615oota
    @user-0615ootaАй бұрын

    この様な歴史学的な論にも自己の感情を優先して評価しようとする態度は言うまでもなく”学問を追い求める徒”とは言えないよね! 何処の誰とは言わないけれどそんな思考では”ノーベル賞”はチョット遠いのかなと思うね!

  • @wowvov123
    @wowvov123Ай бұрын

    まあ邪馬台国は大和だけどね。投馬国は出雲だね。

  • @user-sc4pr4ms4u

    @user-sc4pr4ms4u

    Ай бұрын

    流石に根拠が無くね?邪馬台がヤマトと呼びなのは同意だけど、魏志に出てくるヤマトと機内のヤマトは別モンじゃない? だから魏志のヤマトは九州の何処かであってると思う

  • @user-lm9sy2qq6w

    @user-lm9sy2qq6w

    Ай бұрын

    @@user-sc4pr4ms4u 根拠はある。 「邪馬台」は当時の中国語(後漢中国語)の発音で"*jamadə"であったと言語学的に推定されており、当時の日本語での「大和」"jamatə"と完全に一致する。九州の山門など他地域のヤマトでは発音が一致しない。

  • @user-sc4pr4ms4u

    @user-sc4pr4ms4u

    Ай бұрын

    @@user-lm9sy2qq6w なるほど。でも距離的におかしくね?もうわかんねーから間とって元は同じだったことにしようぜ。  東征したほうを「ヤマト神武朝」、九州に残ったほうが「ヤマト卑弥呼朝」これなら呼び方の発音が違うことないし色々辻褄あわん?

  • @user-fw7sn8ot6l

    @user-fw7sn8ot6l

    Ай бұрын

    推定やん、なんの論拠にもならんw

  • @wowvov123

    @wowvov123

    Ай бұрын

    距離なら合ってるよ。狗奴国がどこだったか問題が残るのが邪馬台国畿内説の弱点ではあるけどね。熊野かね?方角に関しては正解さを求められるようなものじゃない。

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