【安藤寿康・朝倉祐介】遺伝と格差 頭のよさとは何か? 遺伝の影響を無視せずに格差について考える

#生まれが9割の世界をどう生きるか、#ゼロからわかるファイナンス思考、#遺伝
足の速さや体格には遺伝の影響が大きいと思う人は多い一方で、知性に関してはそういう認識を持っている人は少ないのではないのではないか?、現代社会において「頭のよさ」は過大評価されているのではないか?などの問題意識を抱いているスタートアップ経営者・投資家の朝倉祐介さんと、行動遺伝学者の安藤寿康さんに意見を交わしていただきました。
階層の固定化ともいえる格差状況を是正することは可能なのか?、遺伝の影響を鑑みた際に人を育てる立場にある人はどうするのがよいのか?など。経営者と行動遺伝学者の視点からみたこれらの問いへの回答とは…?
◆安藤寿康さん著『生まれが9割の世界をどう生きるか』(SBクリエイティブ)
www.amazon.co.jp/dp/4815615888
◆朝倉祐介さん著『ゼロからわかるファイナンス思考』(講談社)
www.amazon.co.jp/dp/4065235030
◆当チャンネルでこれまでに安藤寿康さんにインタビューした回の再生リスト(全4本)
kzread.info?list...
◆朝倉祐介さんのVoicyチャンネル
voicy.jp/channel/621

Пікірлер: 13

  • @user-il3st6hb5f
    @user-il3st6hb5f Жыл бұрын

    いつも興味深く視聴させてもらっています。大変ありがたいチャンネルで、感謝しています。 この回だけは二度視聴しました。というのも、ここで語られる内容、語られる様子について、これが本当に未来に残したいと思えるものか疑問が残ったからです。 再度視聴して、その疑問はより深くなりました。

  • @archipelagoperson

    @archipelagoperson

    8 ай бұрын

    知能分野にも遺伝子が作用していることは事実でしょうが、それとは別に行動遺伝学にはやはり方法論的な限界があります 行動遺伝学が導かれた答えを「遺伝率」というミスリードを招く言葉を用いて吹聴することもいかがかと思いますよ まず、行動遺伝学では人の能力を「遺伝と環境」の二つの要因のみで成立していると仮定します 行動遺伝学はこの仮定を公理としているのですが、当然ながらその証明は行われていませんし、遺伝や環境以外の要因、例えば自由意志の存在や量子力学的な偶然性に関しては検証はおろか否定すらしていない状態でスタートしています で、まあその点があった上で更に致命的なのが、遺伝率の検証方法で、基本的に”行動遺伝学的遺伝率”というのは双子の実験によるものなので、”同じ国”の”同じ世代”の差のみに着目した研究です 要するに何か普遍的な遺伝子の作用に関する研究を行っているのではなく、どちらかというと遺伝子を固定的な定数と仮定した場合の変動的な社会の性質を研究と言えるでしょう そこに普遍性や生物学的なイメージを連想させる”遺伝率”という名称を用いる事は、おこがましいというか行動遺伝学という限界のある学問の価値を底上げしようという打算に基づいた命名なのではないかという批判的な気持ちにさせられます 本当に遺伝率に関する真偽を明らかにする意図があるのであれば、そのデータを公開、または紹介する際に、必ずいつの研究データ化を明らかにして、例えば昭和~年の遺伝率であるというような紹介の仕方をすべきでしょう 行動遺伝学的遺伝率というのは、遺伝率というファクターを定数として置いて変動する環境率を求めているだけなので、変動する環境に応じて遺伝率も変化します 遺伝率 = 能力 - 環境格差 としているだけなので、個々の環境格差の作用が時代やグローバル化と共に変化すればそれだけ行動遺伝学的遺伝率が提示する遺伝率は変わるのです 一例とすれば原始時代における行動遺伝学的遺伝率は極めて低かったでしょう しかしそれと比較すれば江戸時代の行動遺伝学的遺伝率は上昇したかもしれません また更に江戸時代と比較すれば現在の行動遺伝学的遺伝率は更に上昇しているはずです これは生物としての遺伝システムが変化したからではなく社会環境が変化したからです リベラルで平等な社会を作り出せば出すほど、それだけ遺伝子の影響が強くなるという視点は行動遺伝学によって喧伝されたものだと思いますが、歴史学を極めたところで真実の歴史を明らかにすることはできないように、遺伝率という名称を誇らしげに使用するほどの方法論ではないように思います

  • @hiromori4400
    @hiromori440010 ай бұрын

    遺伝とIQだけで無く遺伝と運動能力や遺伝とコミュ能力とか遺伝と病気への耐性とか遺伝と肥満とかやってから話して欲しい。高いIQを使うには体力や健康が要る。なのでIQより体力や健康の方が高い能力とも取れる。

  • @archipelagoperson

    @archipelagoperson

    8 ай бұрын

    知能分野にも遺伝子が作用していることは事実でしょうが、それとは別に行動遺伝学にはやはり方法論的な限界があります 行動遺伝学が導かれた答えを「遺伝率」というミスリードを招く言葉を用いて吹聴することもいかがかと思いますよ まず、行動遺伝学では人の能力を「遺伝と環境」の二つの要因のみで成立していると仮定します 行動遺伝学はこの仮定を公理としているのですが、当然ながらその証明は行われていませんし、遺伝や環境以外の要因、例えば自由意志の存在や量子力学的な偶然性に関しては検証はおろか否定すらしていない状態でスタートしています で、まあその点があった上で更に致命的なのが、遺伝率の検証方法で、基本的に”行動遺伝学的遺伝率”というのは双子の実験によるものなので、”同じ国”の”同じ世代”の差のみに着目した研究です 要するに何か普遍的な遺伝子の作用に関する研究を行っているのではなく、どちらかというと遺伝子を固定的な定数と仮定した場合の変動的な社会の性質を研究と言えるでしょう そこに普遍性や生物学的なイメージを連想させる”遺伝率”という名称を用いる事は、おこがましいというか行動遺伝学という限界のある学問の価値を底上げしようという打算に基づいた命名なのではないかという批判的な気持ちにさせられます 本当に遺伝率に関する真偽を明らかにする意図があるのであれば、そのデータを公開、または紹介する際に、必ずいつの研究データ化を明らかにして、例えば昭和~年の遺伝率であるというような紹介の仕方をすべきでしょう 行動遺伝学的遺伝率というのは、遺伝率というファクターを定数として置いて変動する環境率を求めているだけなので、変動する環境に応じて遺伝率も変化します 遺伝率 = 能力 - 環境格差 としているだけなので、個々の環境格差の作用が時代やグローバル化と共に変化すればそれだけ行動遺伝学的遺伝率が提示する遺伝率は変わるのです 一例とすれば原始時代における行動遺伝学的遺伝率は極めて低かったでしょう しかしそれと比較すれば江戸時代の行動遺伝学的遺伝率は上昇したかもしれません また更に江戸時代と比較すれば現在の行動遺伝学的遺伝率は更に上昇しているはずです これは生物としての遺伝システムが変化したからではなく社会環境が変化したからです リベラルで平等な社会を作り出せば出すほど、それだけ遺伝子の影響が強くなるという視点は行動遺伝学によって喧伝されたものだと思いますが、歴史学を極めたところで真実の歴史を明らかにすることはできないように、遺伝率という名称を誇らしげに使用するほどの方法論ではないように思います

  • @user-ff1fe4xd2e
    @user-ff1fe4xd2e Жыл бұрын

    周りより優秀な場合、あまり努力したり頑張らなくても何とかなってしまう。 いいかげんでだらしない人間にその傾向が有るのではないかな? 映画とかのキャラクターで、いいかげんだけどヤルときはヤル。 これは、フィクションで楽しいから描かれるのではなくて、そおいう人間が能力は有るっていうのを経験で感じている人が多いからなのではないかな。

  • @archipelagoperson

    @archipelagoperson

    8 ай бұрын

    知能分野にも遺伝子が作用していることは事実でしょうが、それとは別に行動遺伝学にはやはり方法論的な限界があります 行動遺伝学が導かれた答えを「遺伝率」というミスリードを招く言葉を用いて吹聴することもいかがかと思いますよ まず、行動遺伝学では人の能力を「遺伝と環境」の二つの要因のみで成立していると仮定します 行動遺伝学はこの仮定を公理としているのですが、当然ながらその証明は行われていませんし、遺伝や環境以外の要因、例えば自由意志の存在や量子力学的な偶然性に関しては検証はおろか否定すらしていない状態でスタートしています で、まあその点があった上で更に致命的なのが、遺伝率の検証方法で、基本的に”行動遺伝学的遺伝率”というのは双子の実験によるものなので、”同じ国”の”同じ世代”の差のみに着目した研究です 要するに何か普遍的な遺伝子の作用に関する研究を行っているのではなく、どちらかというと遺伝子を固定的な定数と仮定した場合の変動的な社会の性質を研究と言えるでしょう そこに普遍性や生物学的なイメージを連想させる”遺伝率”という名称を用いる事は、おこがましいというか行動遺伝学という限界のある学問の価値を底上げしようという打算に基づいた命名なのではないかという批判的な気持ちにさせられます 本当に遺伝率に関する真偽を明らかにする意図があるのであれば、そのデータを公開、または紹介する際に、必ずいつの研究データ化を明らかにして、例えば昭和~年の遺伝率であるというような紹介の仕方をすべきでしょう 行動遺伝学的遺伝率というのは、遺伝率というファクターを定数として置いて変動する環境率を求めているだけなので、変動する環境に応じて遺伝率も変化します 遺伝率 = 能力 - 環境格差 としているだけなので、個々の環境格差の作用が時代やグローバル化と共に変化すればそれだけ行動遺伝学的遺伝率が提示する遺伝率は変わるのです 一例とすれば原始時代における行動遺伝学的遺伝率は極めて低かったでしょう しかしそれと比較すれば江戸時代の行動遺伝学的遺伝率は上昇したかもしれません また更に江戸時代と比較すれば現在の行動遺伝学的遺伝率は更に上昇しているはずです これは生物としての遺伝システムが変化したからではなく社会環境が変化したからです リベラルで平等な社会を作り出せば出すほど、それだけ遺伝子の影響が強くなるという視点は行動遺伝学によって喧伝されたものだと思いますが、歴史学を極めたところで真実の歴史を明らかにすることはできないように、遺伝率という名称を誇らしげに使用するほどの方法論ではないように思います

  • @dan---
    @dan---9 ай бұрын

    ちなみに容姿が悪くて差別、いじめ、容姿に関係なくても差別、いじめを受けてきたら頭の健康に影響ありますか?良い遺伝子の人が差別、いじめを受けてきたとして頭の健康に影響ありますか?

  • @archipelagoperson

    @archipelagoperson

    8 ай бұрын

    知能分野にも遺伝子が作用していることは事実でしょうが、それとは別に行動遺伝学にはやはり方法論的な限界があります 行動遺伝学が導かれた答えを「遺伝率」というミスリードを招く言葉を用いて吹聴することもいかがかと思いますよ まず、行動遺伝学では人の能力を「遺伝と環境」の二つの要因のみで成立していると仮定します 行動遺伝学はこの仮定を公理としているのですが、当然ながらその証明は行われていませんし、遺伝や環境以外の要因、例えば自由意志の存在や量子力学的な偶然性に関しては検証はおろか否定すらしていない状態でスタートしています で、まあその点があった上で更に致命的なのが、遺伝率の検証方法で、基本的に”行動遺伝学的遺伝率”というのは双子の実験によるものなので、”同じ国”の”同じ世代”の差のみに着目した研究です 要するに何か普遍的な遺伝子の作用に関する研究を行っているのではなく、どちらかというと遺伝子を固定的な定数と仮定した場合の変動的な社会の性質を研究と言えるでしょう そこに普遍性や生物学的なイメージを連想させる”遺伝率”という名称を用いる事は、おこがましいというか行動遺伝学という限界のある学問の価値を底上げしようという打算に基づいた命名なのではないかという批判的な気持ちにさせられます 本当に遺伝率に関する真偽を明らかにする意図があるのであれば、そのデータを公開、または紹介する際に、必ずいつの研究データ化を明らかにして、例えば昭和~年の遺伝率であるというような紹介の仕方をすべきでしょう 行動遺伝学的遺伝率というのは、遺伝率というファクターを定数として置いて変動する環境率を求めているだけなので、変動する環境に応じて遺伝率も変化します 遺伝率 = 能力 - 環境格差 としているだけなので、個々の環境格差の作用が時代やグローバル化と共に変化すればそれだけ行動遺伝学的遺伝率が提示する遺伝率は変わるのです 一例とすれば原始時代における行動遺伝学的遺伝率は極めて低かったでしょう しかしそれと比較すれば江戸時代の行動遺伝学的遺伝率は上昇したかもしれません また更に江戸時代と比較すれば現在の行動遺伝学的遺伝率は更に上昇しているはずです これは生物としての遺伝システムが変化したからではなく社会環境が変化したからです リベラルで平等な社会を作り出せば出すほど、それだけ遺伝子の影響が強くなるという視点は行動遺伝学によって喧伝されたものだと思いますが、歴史学を極めたところで真実の歴史を明らかにすることはできないように、遺伝率という名称を誇らしげに使用するほどの方法論ではないように思います

  • @user-gz8re6pb5d
    @user-gz8re6pb5dАй бұрын

    努力する気なくなった

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