【西園寺禧子】夫・後醍醐の心を永久に鷲掴んだ恋の歌人【ゆっくり歴史解説】後編

Ойын-сауық

「両統迭立」番外編。
今回は、後醍醐の妻・西園寺禧子の解説後編、禧子視点の「正中の変」「元弘の乱」です。
この二つの大事件の陰で、禧子はどのように夫を支え、散っていったか。
二人がやり取りした和歌を中心に解説していきます。
前編: • 【西園寺禧子】夫・後醍醐の心を永久に鷲掴んだ...
「正中の変」: • 【両統迭立】杜撰な陰謀?卑劣な罠?「正中の変...
「元弘の乱」: • 【両統迭立】始まりの終わり「元弘の乱」/後伏...
#ゆっくり解説 #両統迭立 #鎌倉時代 #後醍醐天皇 #西園寺禧子 #元弘の乱 #正中の変

Пікірлер: 19

  • @user-hg6cw6kw5w
    @user-hg6cw6kw5w4 ай бұрын

    涙!!!😭😭😭さちこがなくなる前に後醍醐と再会を果たせたのが救い😭前回と今回で後醍醐のイメージがガラッと変わり、この頃の歴史の見方が変わりました。素晴らしい動画!✨このエピ入りで後醍醐主役の大河ドラマが見たい!!難しいだろうけど😅

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そう言っていただけると大変嬉しいです!私も、禧子とのエピを知って後醍醐へのイメージがかなり変わりましたし、後醍醐がますます好きになりました! 後醍醐主役の大河!ぜひぜひ見てみたいですが、色々難しいんでしょうねえ。。。 なので、禧子主役の映画なら!と、思っていたりします。長さ的にも、内容的にも映画にピッタリだと思うんですけどねえ!

  • @user-hg6cw6kw5w

    @user-hg6cw6kw5w

    4 ай бұрын

    映画!✨それならいけそう!ぎゃー見たいよう😭

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    @@user-hg6cw6kw5wさん コメント、そしてご賛同ありがとうございます! 禧子主役なら、難解過ぎるこの時代背景をさらっと流しつつ、宮中の雅さと、後醍醐との恋だけを追えるので一般人でもとっつきやすいと思うんですよね。 おまけに、後醍醐のけた外れの寵愛っぷり!品のあるイケメン俳優さんが演じれば女性受けだって絶対ばっちり!(笑)

  • @harigane4773
    @harigane47733 ай бұрын

    さちこ〰😭 ずっと後醍醐のことをイカれた権力モンスター(魅力もスゴイ)だと思ってたけど、一気に愛の戦士みたいに思えてきました! 人ってホントにいろんな側面もってますね〰。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    3 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 後醍醐のあまり知られていない一面を少しでも知ってほしくて作った動画だったので、そう言っていただけると大変嬉しいです! おっしゃるとおり、教科書等浅く知るだけだと、後醍醐はそういうイメージになってしまうんですが、調べていくと、この禧子のことに限らず、色んな一面が見えてくる方で、だからこそ、尊氏とはまた違う、稀有なカリスマ性と魅力があったのかなあと。

  • @mashiro1525
    @mashiro15254 ай бұрын

    楽しく見させて頂いてます✨ この時代大好きなのでとっても興味深いです🥹 投稿頑張って下さい...!! 追記 唐突な禪院直哉に笑いました

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 私もこの時代が大好きなので、そう言っていただけると大変嬉しいです! これからも頑張って投稿してまいりますので、お付き合いいただけますと幸いです! 追記 あまりにもひっどい事柄の時は、時々直哉さんにご協力していただいています(笑)

  • @memejiro7147
    @memejiro71474 ай бұрын

    お〰️‼️ 皇子だけで50人(49人?)ちゅう後醍醐帝の 純愛物語ですな❤ あの後醍醐帝に こんな美しい大恋愛エピがあるとは✨ 初めて知りました❗️ さちこさん以外の側室や持明院統の姫さまも大切にしていたとは✨ その愛のチカラ❤で両統を統一していたら その後の歴史はどう進んだんでしょうね  てか、挙兵より前に持明院統の姫さまとの結婚をしていたら 平和に統一していたのかな? …やっぱり れんしさんの皇子と皇位継承争いになっちゃうかぁ💧

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 私もあの後醍醐にこんな恋愛エピがあっただなんて!と、最初知った時は驚きました。 女性には皆、優しかったというのは、亀山じいさんDNAのなせる業でしょうか(笑) 後醍醐当初のプランは、「両統迭立ルールのもと、幕府に自分の皇子を皇太子に認めてもらって後々院政を敷く!」でしたから、持明院統の姫より、幕府と繋がりが深い西園寺家!だったんだと思います。 また、仮に挙兵前に珣子と結婚して皇子が生まれていたら、実家の家格が低い廉子の皇子は相手にもなりませんし、邦良の子・康仁よりも家格がずっと上なので、その子が皇太子となり、挙兵自体しなかったと思われます。

  • @memejiro7147

    @memejiro7147

    4 ай бұрын

    @@yukkuribanbii さま なるほど〜、皇太子になるには 母の家格がものをいうんですね! そのへん考えつきませんでした、ありがとうございます! 身分制で厳格に決まるんですね、皇室や貴族の世界は 奥深い🤔 亀山じいさんのDNAも奥深い(笑) 後のコトですが 尊氏が提案した "両統迭立で次の皇太子を後醍醐天皇の皇子にする"を蹴って吉野に行っちゃったので、始めから 幕府も両統迭立もぶっ壊すぞ👊🏻 のつもりかと思ってましたが、最初は少し穏便なプランだったんですね 愛❤️と院政の為に さちこさんとの皇子は是非とも欲しかったんですねぇ

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    @@memejiro7147さん コメントありがとうございます! 生母の実家に家格と権力がないと、その子はそういう恩恵を得られず立場が弱くなってしまうんですよね。だから、後醍醐は跡継ぎを作る際は、生母の実家に拘ったんだと思います。 亀山じいさんは孫の後醍醐の代になっても色々影響残しててホント濃ゆい人だと思います。後深草はこんなことないのに(笑) 尊氏の提案、あの時の後醍醐にしてみれば破格の条件だったと思うんですけどね。もしこれが、禧子を喪ったことが関係してるかも?と思うと、何とも切ないです。

  • @user-nm6mk2eh9n
    @user-nm6mk2eh9n4 ай бұрын

    2コメ、面白い応援し続けます

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そう言っていただけると嬉しい限りです!これからも頑張ります!

  • @user-js9ev4no8p
    @user-js9ev4no8pАй бұрын

    織田信長や足利義満にも思ったけど、この時代のことを知れば知るほど一周回って後醍醐帝がこの時代の唯一の常識人のように思えてくる。あ、義満だけは「足利将軍の中で比べると」という注釈がつくけど。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 私も、あんまりよく知らない時は、後醍醐天皇はとんでもなくぶっ飛んだ人と思っていたのですが、調べていけばいくほど、結構普通の感性をしていると驚きました。少なくとも、後醍醐視点で見れば、きちんと筋が通っているんですよね。 義満は、性格がなかなか(苦笑)

  • @user-js9ev4no8p

    @user-js9ev4no8p

    Ай бұрын

    @@yukkuribanbii 義満はあくまでまとも(当幕府比)ですからwww

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t4 ай бұрын

    ーコメになります

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます!

Келесі