【保元の乱・原因編】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり歴史解説】

Ойын-сауық

足利尊氏が鎌倉幕府を裏切る理由とされていた「置文伝説」を辿りつつ、源氏と鎌倉幕府の関係を解説していきます。
今回はプロローグ第四回。
「保元の乱」の発端について、崇徳天皇、藤原頼長の失脚劇を中心に解説していきます。
プロローグ3: • 【大蔵合戦】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり歴史解説...
プロローグ5: • 【保元の乱・原因編】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり...
【参考文献】
呉座勇一「陰謀の日本中世史」
#ゆっくり解説 #保元の乱 #崇徳天皇 #藤原頼長 #鳥羽上皇 #院政 #信西 #源義朝 #日本史

Пікірлер: 31

  • @99Kaki99
    @99Kaki992 ай бұрын

    武士の世へと至るこの院政期は個人的にとても好きなので解説してくださって嬉しいです!続きも楽しみにしています

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そう言っていただけると大変嬉しいです。この時代もなかなかに複雑怪奇ですが、少しでも分かりやすく面白く解説できるよう頑張って参りますので、これからもお付き合いいただけますと幸いです!

  • @paya-pinang-mendaris3800
    @paya-pinang-mendaris38002 ай бұрын

    分かってはいたが崇徳院が悲惨過ぎて涙が止まらん。 しかしまあ、誰も彼もが人面獣心外道の極みばかりだ。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、崇徳院には同情を禁じ得ません。そして、崇徳院を陥れる連中の手口が外道過ぎて。。。しかもそれが最期まで続くんですから、そりゃああなるよ!と思ってしまいます。

  • @user-hu3zj1tv6g
    @user-hu3zj1tv6g2 ай бұрын

    流石、「日本国の大魔縁となり以下略」の崇徳上皇。親族からの仕打ちが段違いすぎる。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、崇徳上皇は父親の鳥羽上皇は勿論、あらゆる人たちから陥れられ、虐げられ続けるので、本当にお労しいんですよね。創作と分かっていても、「保元物語」のあの描写はさもありなんと思ってしまいます。

  • @user-fs6uv6yb3e
    @user-fs6uv6yb3e2 ай бұрын

    鳥羽院...藤原長子の日記にある「ふれふれ小雪」って言ってた子供はどこに...

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 鳥羽院、最初は無邪気で純粋な童だったと思います。それが、魑魅魍魎ひしめく宮中に揉まれまくってあんなことに。。。 (大河「平清盛」でもそんな描かれ方でしたね。。。)

  • @user-hg6cw6kw5w
    @user-hg6cw6kw5w2 ай бұрын

    崇徳への扱いのところで、この頃の皇族の荘園による経済力ってもっと掘り下げるべきだなーと思いました。崇光系、後光厳系のとこでもけっこう大事なファクターのようですし。てか、後鳥羽以降の皇族、何回同じ失敗してんだか😅

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、両統迭立時でも、後深草に莫大な土地あげちゃって、天皇家が二分しましたし、どうしてそういうとこ考えずに、どいつもこいつも「弟キュンを天皇にします★」と簡単に言ってしまうのか。 本当に歴史は繰り返すですよね(苦笑)

  • @user-gi1qb6vt8t
    @user-gi1qb6vt8t2 ай бұрын

    今様狂いの「大天狗」誕生(笑) 小学生の頃、子供向けの歴史本を読んで知った後白河、ポッと突然降ってわいたように出てきたのに、その後は何代にも渡って長々と院政を敷いて…、何と言うか実に不思議な存在で、正に「天狗」に相応しい思いがしたのを覚えています(^^;)

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、後白河って、ホントに突如ぽんっと出てくるんですよね。で、最初は誰にも期待されず、馬鹿だ無能だ今様狂いだと散々言われてたのに、気がついたら政の中心にいて、後白河の血筋が嫡流に。本当に捉えどころがないと言いますか、まさに「大天狗」とは言い得て妙だと思います!

  • @user-gi1qb6vt8t

    @user-gi1qb6vt8t

    2 ай бұрын

    @@yukkuribanbii さん 徳川吉宗と同じで、高貴な生まれでるが下々の事情に通じていたことが、数多の政争を勝ち抜くのに役立ったのかもしれませんね! 現在1週間に1話のペースでアップされていますが、実に待ち遠しい、ペースを上げていただけないでしょうか(^^)/

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 確かに、天皇候補に全く挙がっていなかったのなら、かなり自由に生活できたでしょうね(この人は天皇になってからもかなり自由ですが(笑)) 毎週楽しみにしてくださってありがとうございます!ペースをあげたいのは山々なんですが、動画制作初心者ということもあり、今はこれがいっぱいいっぱいです。 とはいえ、時間をかける分一つ一つ丁寧に製作したいと思っておりますので、どうか気長にお付き合いいただけますと幸いです!

  • @user-cu6qu7bu1i
    @user-cu6qu7bu1i2 ай бұрын

    鳥羽と崇徳、保元の乱の直前になるまで関係は良好だったんだよな。崇徳はインドア系な趣味が多いけど鳥羽は一緒に高野山に連れ出そうとしたり、競馬を楽しんだり、正月も正統な後継者として扱っていたりとても気遣っている 関係が急速に破綻したのはやっぱり後白河の即位で完全に崇徳の系譜が後継にならないことが確定してからという

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、近衛天皇存命中は崇徳に対してかなり気を遣った待遇をしているんですよね、鳥羽。 また、後白河即位が決まった経緯、美福門院、信西らが強く主張!という書かれ方が多い。最終的に決めたのは鳥羽ですけど、このあたり鳥羽が何を考えていたのか、非常に気になるところです。

  • @user-cu6qu7bu1i

    @user-cu6qu7bu1i

    2 ай бұрын

    ​​@@yukkuribanbiiちなみに佐伯智広先生と佐藤健治先生が後白河即位の経緯について掘り下げてますね。後白河自体は子の守仁の繋ぎの天皇のつもりでしかなく、後白河の天皇としての素質は重要では無いというのは沢山指摘されてますが。つまり焦点は崇徳の子の重仁と、後白河の子の守仁のどっちが次代の天皇に相応しいかが重要だったと。重仁は表向きは源行宗の娘が母となっているが実際は内裏女房の娘と出自的な問題があったので、守仁が正統な後継者とされたのは当然という意見だったとしてますね。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 不勉強ながら、その両先生の論文は拝読したことがないのですが、重仁の母が実際は内裏女房の娘だったというのは初耳です。最近はそんな説も出ているのですね!

  • @MYOSHIDA-wq7wb
    @MYOSHIDA-wq7wb2 ай бұрын

    西田敏行、、、

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 後白河。直近大河では西田さんでしたね。あれもなかなかでしたが、私は平幹二郎さんの妖怪じみた後白河も印象深いです(笑)

  • @user-xt4fg8ln4z
    @user-xt4fg8ln4z2 ай бұрын

    頼長さんは昨今再評価されてきてますね。当代一と言われた学才、学だけでなくて文化面でも非常に深い教養を持っていたんでしたっけ。そりゃあパッパに溺愛されますわ。ただ、言い方悪いですが自分の才能に溺れて他人を見下したり、武士に至っては蛮族扱い(清盛さんでさえ中々の扱い。源氏は…察してください)したのはいけませんでしたね。美福門院の事も気持ちは分かりますが、まあディスりまくって…堂々と美福門院の罵詈雑言言ってますね。当たり前ですが美福門院からのヘイトを集めてしまう…もし頼長さんが目下の者へ慈悲深い対応をして、美福門院さんが嫌いでもゴマ擦りしてご機嫌取ってれば歴史はもう少し違っていたんですかね。性格が潔癖過ぎたんでしょうかね。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 頼長さん。おっしゃるとおり、大変優秀な方なんですけど、如何せん性格が潔癖&苛烈過ぎるんですよね。毒舌家でもありますし。「台記」を見ると、ぶっ飛んではいるけど、なかなか可愛らしい人でもあるので、そのへんを上手く表に出せていたら、あんなことには……。。。と、ついつい思ってしまいます。

  • @RM-ih9qj
    @RM-ih9qj2 ай бұрын

    面白く分かりやすい解説でした。ありがとうございました!解説の少ないこの時代を勉強できてよかったです! 崇徳&頼長のクーデターという定説が、実は後白河陣営がいずれ崇徳陣営に逆転される前にこちらから仕掛けるぜ!っていう最新研究を知れてよかったです! そして崇徳院へのイジメが酷すぎる・・・( ;∀;) 信西も美福門院も酷い~~!

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そのように言っていただけて大変嬉しいです!保元の乱は失脚させられた崇徳&頼長のクーデターという従来説でも辛いんですが、実は後白河陣営が仕掛けた謀略という最新説だと、崇徳たちが余計にお労しいんですよね。。。 信西と美福門院は崇徳個人が憎いってより、己の野心の邪魔者ってことなんでしょうが、それでもえげつないですよね。。。

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