【源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉】武士たちが天皇を否定できなかったのはなぜ? 出演・本郷和人、聞き手・高田なみ
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本郷和人「日本史夜話 第1回『武士とは何か?』」※この番組は2023年12月20日に配信されました
歴史家・本郷和人さんの大人のための日本史講座(毎月1回、全12回予定)が始まりました。
社会に出てみると、教科書で習った日本史について様々な疑問が湧いてきませんか?
税金はどうやって払っていたのか? 武士はなぜ丸腰の貴族のいうことをきいていたのか? 天皇はなぜ生き残ったのか? 下級武士が明治維新の原動力になったのはなぜか?……。
膨大な古文書を読み、歴史の実像を探ってきた本郷さんが、それらの疑問に答えながら、日本史の大きな流れがつかめる連続講義をお届けします。
第1回「武士とは何か?」に続く第2回のテーマは「荘園とは何か?」
743年の「墾田永年私財法」によって、自分で開墾した土地は自分のものになることが認められ、「荘園」が全国に広がった……、と習いますが、ふと立ち止まって考えると、「荘園」は謎だらけ。
その「荘園」は誰がどのように経営していたのか? 税金は誰がどのように徴収していたのか? どのように保護されていたのか? いつまであったのか? などなど、「荘園」をめぐる疑問は尽きません。
「荘園」という小宇宙から見ると、日本の歴史はどのように見えてくるのか?
本郷さんがわかりやすく講義します。
第1回「武士とは何か?」を見逃していても、大丈夫です! ぜひご視聴ください。
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#本郷和人 #大河ドラマ #光る君へ #文藝春秋 #文藝春秋電子版
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やっぱり、ほら、最後の最後に責任持って行く主が居たほうが、楽じゃね。「ですよね」って。
本郷先生は教え方が上手いですね、頼朝からみれば地頭、荘園領主からみれば下司、目から鱗が落ちました。 隣の女性は音楽が専門なのに先生とのやりとりを聴いてますと相当頭が良いのではないかと思います。歌手なんですか?今度歌を聴いてみます。 才色兼備な方ですね。
島津忠久(惟宗忠久)は近衛家の下司職だったから地頭に任命されたんですね
この先生の声も話し方も好き とてもわかりやすい
外部からの侵略者じゃないから 現実主義で有れば有るほど既存の権威を利用して権力を増やそうとする秀吉はその行き着く先 ただ実際はかなり減ったものの寺社領(荘園)は残り続けた模様
生きた歴史ですね。人間の生き様を加味する事で歴史の出来事が生き生きと身近に感じられる。ありがとうございます。
目を閉じて聞いてると石橋貴明いつから歴史に詳しくなったんだ、と思うばかり
昨年。金沢市内で行われた本郷さんの講演会に参加したが いや~~~~実に興味深い話を聞けた。またこの動画の通り 飾らぬ本郷さん・・ご立派。今年も金沢市でやるんだろうな
いまドラマ“将軍”を見ている外国人には理解しにくいところなんだろうなぁ。
@himatstosh6236
3 ай бұрын
ローマ教皇が各地の王様の地位を保証するのと似ているところがあるのかもしれません。
@yama9234
Ай бұрын
外国人には理解しにくいと言うが、現代の日本人が当時の天皇観をどれだけ理解できているのか
タカさんと同じ発声方法ですね。
@ki-tt1vk
Ай бұрын
声帯は佐久間さん
中国の王朝の場合は例えば九品官人法は「この制度の目的は、後漢から魏へと移行するに際し、後漢に仕えた官僚たちの能力と魏に対する忠誠度を見極めて人材を吸収する事。」とのことであり、権威と権力の一体化が見て取れる。
一般人が一般人の上に立つということは非常な困難を伴う。 先に既存の権威を利用した方が勝つ。
財物に対する所有権というのは本質的に不安定なものですね。
平将門ぐらいはっちゃけられないと頼朝ぐらいが限界だったのだろうね。
@user-qq8mn4xs6u
2 ай бұрын
平将門も源氏も平氏もみんな天皇家の子孫なんだよ
支配している訳でも、収奪している訳でもない天皇を否定するメリットなんて無いからね
将軍も結局は鎌倉の執権や、室町の管領、江戸の老中が政治牛耳ってたからなぁ。信長とか秀吉みたいなトップダウン方式の存在の方がマイノリティだっただけで。だから天皇に成り代わって皇帝なりになる思想もでなかったかと。信長や秀吉はその気があったとしても、簒奪するだけの時間がなかったからでは?
承久の乱の敗北という天皇家存続最大のピンチを与えたのが北条氏という藤原氏と同じ主に寄生して生きていく一族だったのが幸いした ここで天皇家を滅ぼすという決断をされなかった結果、権威だけはずば抜けた存在になる事が出来た
『国衆の取り合い』戦争をしているから一度の敗北で味方だったはずが寝返る事が頻発した。もうその時点で天皇の威光がよく分かる。逆らう理屈がない。 武田氏は甲斐源氏、安芸武田と若狭もいたけど全部滅ぼされたな。
江戸時代 幕府は大名家に名ばかりの官名を与えていたが、実際の領地の国司名は与えなかった。例えば島津薩摩守や前田加賀守等。 公領という概念はなくなったとはいえ、朝廷の権威と結びつくのを恐れたんだろうと思う。
タイトル通りの結末が無かったのが不思議でしょうが無かったんです。 中国の歴史を見てきた日本人は何故日本の帝王になろうとせず担ぎ上げ続けて来たのか…
@user-vw1yo6xd5i
5 күн бұрын
漢籍を不自由なく読み内容を理解出来る人間が限られていたから。 武士階級の漢籍に対する教育水準や理解度は平和になり朱子学が推奨される江戸時代中期までは高いとは言えない。 仮に下克上をする梟雄が帝位簒奪が相次いだ中華の歴史を深く知っていれば「アイツもやった」と自身の行動を正当化する方便には使える。 朱子学が普及し既存の上下関係は護るべきという意識が強くなるとこうはいかない。 朝貢によって隋唐王朝の統治制度や社会システムをそのまま導入した時代が終わり交流が途絶えた事も大きい。 門閥貴族を排し北宋で強化された君主独裁とそれを支える科挙で選抜された官僚による統治は、 世襲で権力を維持してきた門閥貴族である藤原氏は勿論、軍事貴族である武家にとっても直輸入すると都合が悪い。 試験により直臣を選抜するシステムは近代まで導入出来なかった。
鎌倉時代から秀吉の時代の間、関白が直接土地を与えられるようになった経緯を知りたかったです。
@mikionakata7921
3 ай бұрын
最初は土地はすべて天皇のもので臣下は与えられるものとなっていったが‥ それが開墾した土地は開墾した者の三代までは私有してよいとなり‥ それがさらに開墾した土地は開墾した者が私有してよいとなった‥ これは中央集権が壊れて封建制度が始まる過程でどこの国でも起る歴史の過程です。 秀吉が関白だったから土地を与え奪えることができたというのではなく‥ 秀吉に教順した臣下の土地を奪えたり与えたりすることができる程の権力をもったということです。 それは権力の及ぶ限りのことで家康など秀吉には及ばないが権力はあるという場合は領地を移すぐらいにまで弱まりますが‥
足利義満や織田信長には公武合体の構想があったらしいが二人とも突然死んでしまったミステリー
みんな達筆ですなあ。
在地領主は、頼朝と領家の両方にみかじめ料をだしていたのでしょうか?
関白になった時はまだまだ東国も九州も平定してないんだよな。秀吉は為政者として大義名分を大事にしてたから関白の命令として惣無事令だしてそれを無視するやつを朝敵として武力征討したり名目上、武士はみな朝廷の臣下なんだから上洛して帝の代理であるわしに頭を下げろと命令できる。
武力を以て天皇を潰すって言う発想が出てこなかったって言うのが不思議
@unagi-nyoronosin
Ай бұрын
一応、天皇家は神様の子孫って設定になってるし、現代人と違って、割と本気でその設定も信じていただろうからね。 現代人の俺たちだって、古くなったからってお守りをゴミ箱にポイってやるの、なんか心理的なハードル高いじゃない(笑)? そういう感じだったんじゃないかなと想像してる。
@user-jf6zb4zh7l
7 күн бұрын
そう?自分の国を自ら潰すって発想は普通出ないと思うけどなー
@schamopos1723
6 күн бұрын
@@user-jf6zb4zh7l そう? 自分の国ではなく、天皇の国って発想自体が不思議。 結局「錦の御旗」みたいに神輿に担ぐ奴が出て来たらシラットして神輿に乗ってきただけでうまいこと時流を泳いで生き残って来ただけだよ。
@user-co4uy9zu1s
3 күн бұрын
潰すより利用した方が良いからでしょ? 天皇を奉じれば手っ取り早く天下が獲れる
「貴族は世襲なので(農民は)荘園領主にはなれない」 鎌倉・室町時代の武家は将軍だと「従二位」とか三管四職や守護だと「従三位」「従四位」などの官位を貰っていましたよね。彼らは武家であっただけでなく貴族でもあったと理解して良いでしょうか?
承久の乱以降も形骸化したとは言え朝廷が日本に残り続けたのは世界的に見てかなり特殊なケースかと思う。
@user-vw1yo6xd5i
5 күн бұрын
権勢が大きなスルターンに保護されながら宗教的権威だけが残ったイスラーム世界でのカリフに近いとすると意見もある カリフもオスマン帝国によって永遠に御隠れになるのだけど
あれ?信長以前の戦国大名にとって寺領が結構例外扱いだったはずだが。 寺社は政治と軍事と知識と経済の集積地だったから。 だから、比叡山燃やしたんじゃなかったか?
聖櫃を司る失われた高貴な一族に触れることは神の怒りに触れることになる
何故皇帝や諸侯は、教皇庁を廃止しなかったかと似ている問題ではないだろうか。
守護代が荘園の納税負担をして天皇制度を守ったが伊勢神社等が減税して荘園の納付先を変えそれが飛び地となり地元の神社に八幡宮や宮島などの納付先というか保証先が増えたみたいに❗️
小泉さん成田さん、、、 文藝春秋の立場を明快に示してますね
得がないんよな😅
このタイトルから想像した回答は、なぜ中国のように天皇を排除して自分が真の頂点に立たなかったのか、だったんだけど、結局そんな意見はなかったね。なぜ否定できなかったってことの根本的な答えになってないような?
@user-pe5sh7ko9g
3 ай бұрын
だよね。よくありがちな、「資料ではこうでした」ってやつ。学者は自分の頭で考えられる人いないなぁ。
@user-go2hg3gp2i
3 ай бұрын
平将門の立場をどう捉えれるかを考察すべきでは。
@tarotakahata7527
3 ай бұрын
中国の天皇って皇帝のこと?だったら天皇と違って本当の権力者だから倒されて当然。徳川政権と同じですよね。今もちゃんと共産党が皇帝やってますよ
@user-tm9vx8sv1g
2 ай бұрын
いや権限がない奴が突然天皇排除して皆言うこと聞くか?例えば小池百合子が岸田文雄を武力で倒して「今日から私がルールです」と言って言うこと聞くか?聞くとして、その労力を使ってまでして自分が頂点に立つ意味は?天皇を利用しつつ自由に政をした方が楽じゃないか?どうせ天皇は上から見てる他ないんだから。
@silversurfer512
2 ай бұрын
@@user-go2hg3gp2i 平将門は新皇を名乗って関東に新しい政権を作ろうとしましたが、京都の朝廷を倒そうとしたわけではありませんでした。 京都の朝廷はそのままにしておいて、関東が独立して自治政権を打ち立てようとした。 アメリカ合衆国の独立戦争が、イギリスの王室を打倒しようとしたわけではなく、あくまでも王権やイギリス本国からの独立、自立を目指していたのと似てるかもしれませんね。
やっぱり東大教授の話は面白い
ズレますが日本で市民革命もしくは英国のような革命が起きなかったのは何故ですか?もしくは起きてたんですか?
本郷先生おもろい😂 10年ほど前はAKBにハマってましたね🤓 その頃既に、今や売れっ子の渋谷凪咲さんにも注目していたのはさすがですꉂ🤣𐤔
江戸時代ですが。大名は分封された土地の全ての所有者だった、と言うことでしょうか。そうすると、その藩内の庄屋や百姓は、農地所有権者ではなく、耕作権保持者とかでしょうか。そうすると、百姓たちは耕作している土地の売買は出来ないことになりますか。耕作している土地を所有していないので、土地を担保にするなどできないということでしょうか。
コテンラジオの本郷先生ゲスト回見たらKZreadにおすすめされたけど‥ ここコメント欄酷いな‥民度低いな‥
@user-eg5rb8oo2y
3 ай бұрын
KZreadのコメント欄は的外れなコメントを半笑いで眺める場所です()
そう言う事ですね〜 そうです! どう言う事!意味がわからない笑
祟られるから
魏文帝曹丕が開いたパンドラの箱「禅譲」。 ロイヤルファミリー交代による比較的平和な帝位簒奪。 特に帝室外戚が力を付けて簒位していく。 この流れが東アジアのスタンダードになる。 大陸から渡来人が多数流入しており知識として当然知っていた筈だが、 渡来人系の飛鳥豪族も藤原氏も帝室から別れた平家以降の武士も圧力こそ掛けても大陸の真似をしようとしなかった。 結果的に世界でも稀有な「万世一系」の血統を持つ帝室が今日でも続いている。
源頼朝は最初、独立国のような構想にしたかったとは聞いたことあるな
みんな親戚だからでしょ。
そもそも天皇は何処から来たのでしょうか??😊
足利義満は天皇になろうとしていた。そのあかしが金閣寺である。
天皇家の古代からの一大特徴というのは蘇我とか大伴とか中臣とかと違って氏も姓も存在しない事である。全くの別格・別の家柄と言っていい。どうしてそこまで別格なのかと考える。おそらく海外の血筋だからだろうと思う。日本海側の出雲にどうして「国譲り」の神話があるかと言えば、天皇家の先祖は海を越えて来たからだろう。 日本は今でも舶来信仰が強い国であるから大陸からの血筋というのが特別に有難がられたのも分かりやすい。目が細く、目と目の間が離れ気味でアゴのエラが張っているという顔立ちの特徴は今の天皇家まで受け継がれている。古代から近親婚が多かったので顔立ちの形質まで固定化されやすかった訳だ。
日本人独特の気質でしょうね トップに立ちたがらない
藤原道長は関白ではなく、摂政では?!
@user-el9qm4he5f
3 ай бұрын
あるいはこうした以下の記事のような事を、婉曲に(?)表現なさったとか?、そんな憶測も思い浮かびましたが…「名誉職的な地位に追いやられるのを嫌がり、関白職につかなかった」(その一方で貴族の人事を最終決定する「除目」は握り続けており、この当時はこれがいやこれの方が事実上関白に匹敵いやそれ以上??…みたいな ..ただの言い間違いかもモチロンしれませんが😅…) > 「御堂関白」と称された藤原道長は、関白就任の打診を断わり一度もその座に就いていない。 > というのも、摂政・関白という官職そのものは具体的な権限を伴わない。摂政も関白も、あくまでも天皇の個人的な輔弼者(ほひつしゃ、天皇の権能行使について進言する人)という位置づけだったのである。道長は、名誉職的な地位に追いやられるのを嫌がり、関白職につかなかったというわけだ。 > その代わり、太政官制における事実上の最高責任者である左大臣のポストを手放すことはなく、除目(貴族の人事)を最終決定する権限を握り続けた。人事権こそが権力であることは、いつの時代も変わりない。( 型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 解答へのダメ出しがそのまま問題に 2016/08/02 toyokeizai.net/articles/-/129160?page=3 )
@user-rj8iv1zi1s
3 ай бұрын
この頃関白の座は空位になってしまた、御堂関白と呼ばれるけれども、道長は死のまでに関白をなれられない
@user-el9qm4he5f
3 ай бұрын
3/17に私が返信をしていた以下のは無くなったのかな。まあどうでもいいけど。↓ あるいはこうした以下の記事のような事を、婉曲に(?)表現なさったとか?、そんな憶測も思い浮かびましたが...「名誉職的な地位に追いやられるのを嫌がり、関白職につかなかった」(その一方で貴族の人事を最終決定する「除目」は握り続けており、この当時はこれがいやこれの方が事実上関白に匹敵いやそれ以上??...みたいな..ただの言い間違いかもモチロンしれませんが😅….) > 「御堂関白」と称された藤原道長は、関白就任の打診を断わり一度もその座に就いていない。 > というのも、摂政・関白という官職そのものは具体的な権限を伴わない。摂政も関白も、あくまでも天皇の個人的な輔弼者(ほひつしゃ、天皇の権能行使について進言する人)という位置づけだったのである。道長は、名誉職的な地位に追いやられるのを嫌がり、関白職につかなかったというわけだ。 > その代わり、太政官制における事実上の最高責任者である左大臣のポストを手放すことはなく、除目(貴族の人事)を最終決定する権限を握り続けた。人事権こそが権力であることは、いつの時代も変わりない。( 型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 解答へのダメ出しがそのまま問題に 2016/08/02 toyokeizai.net/articles/-/129160?page=3 )
@user-el9qm4he5f
3 ай бұрын
@@user-rj8iv1zi1s 「なれられない」「なってしまた」…人民解放軍やその関係者か国防動員法等で中国本土の親族等も人質同然のチャンコロどもですか⁉️😱
@mikionakata7921
3 ай бұрын
摂関政治を始めた代名詞みたいに言われてるけどそうだったんですね‥ 道長のころは藤原一門で官職をほぼ占有していてその先の一族で誰が首領であるかの争いが始まった時代ですね。 東西南北に有力藤原氏がいて争い北家がのこり他は衰退した‥ 北家は一条家 二条家 九条家 鷹司家 近衛家に分家して摂関政治がしばらく続く‥
それらの関係性は時代によって変化しています。基本は土地の取り合いの世界でしたが、日本はその土地と作物、産物は天からの授かりものだと言う概念を持っていました。天とは太陽と自然です。天皇は神に一番近い存在でした。元来血統を重んじる日本人は天皇の血統以外の者が成り代わるなど誰も考えなかったのです。血族同士の争いはありましたが大名は天皇を守護する将軍が最高位ですからその地位に就こうと戦っただけ。 中国は武力と政治力の争いで強いものが取るもので、取れば唯一の存在になりましたから国の取り合いでした。
だって天皇の子孫だもん😂
道長は関白になってませんよ😅
今の中国の土地のあり方に近いのかな?
説明から解釈するところによると、公地公民失敗して土地の私有認めるものの、太閤検地まで、権利を保証する仕組みがととのっていない、すなわち天皇の権威によるしかなかった、という認識であってますか
幕府は朝廷から、任官された臨時軍事政権で朝廷の地方出張機構だったと思います。
単なる支配者とか権力者じゃなく司祭だから。
私は自然神(全知全能)を歴史的に信じ、その習慣が我が国では行き渡ってた。それと共に中国の周時代の社会仕組み「徳仁」ある人が、国を治める孔子の教えで冠位等を定め社会仕組みが出来ていた。その中で武士の権力武力は増したが、それを人徳、冠位を授け認める天皇以外に、手段を持ち合わせてない事に気づいた為と思われる。中国の秦の始皇帝は、古の習慣、儒学者等を抹殺し武力一遍等になった為、永続せず、後の中国も同じ道を辿っていると思う。
中国は権力も権威も皇帝が独占していたからね。朝鮮とベトナムもそうだが。中国に関しては春秋・戦国時代の周王朝が天皇家に近い感じ。周を残したまま始皇帝が即位したら周王室が天皇家みたいになる可能性はあったが。現実的じゃない。周は秦の天下統一を認めず反抗して来たから滅ぼされてしまった・・・
八幡神が応神天皇だったからでは?
道長は関白にはなってないよ!
武士は治安維持のための暴力なんだから法的根拠が必要だろうさ。単なる私利私欲の輩ではなかったんだと思うな。
「徴税権」と「所有権」の違いでしょ 武士は徴税権さえあれば所有権はどうでも良くて 徴税権の代理人として地頭を任命してるんだから 武士側のロジックとしてはそれでいいのよ その仕組みに天皇は関係ないし、必要もない
剛腕狼藉者が取った領地で好き勝手出来るお墨付を出させる為😮
これ意味ない議論だよな 「将軍といえども土地の所有権を直接誰かに分配できなかった」「それは天皇がその上の権力者として存在していたから」というロジックを成り立たせるためには 「天皇は土地の所有権を直接分配できた」という証拠を提示しなきゃいけない それがないなら「天皇も将軍も、土地の所有権を強引に分配することはできなかった」ということにしかならない
@hymn13
3 ай бұрын
藤原氏の台頭以降、天皇は直接政を執らず、輔弼に任せることに移行した(いわゆる権威だけを取った)からでは🤔 言わずもがな、武士は元々その藤原氏等に仕える警護者にすぎないから理屈は合うと思うのだけれど、、、
@user-cf2py5cq5t
3 ай бұрын
律令制度から私財の法が出来て公家も豪族も 農民も私有財産を認められたからじゃないの? それを天皇が直接分配する のかは無いのでは
@user-cf2py5cq5t
3 ай бұрын
@user-ct7yq2ok8e なる程。
レジティマシーを自己創出出来なかった。
なるほど勉強になりました。同じ「征夷大将軍」であっても頼朝・尊氏時代と秀吉・家康時代とで実行支配力に差があるわけですね。この支配構造は秀吉は関白・太閤、家康は「内府殿」と言われた今の光る君へでの藤原道兼と同じ内大臣であったことが「見せかけはったりとしての征夷大将軍」よりも朝廷内権力ヒエラルキーでより重要だったのかもですね。頼朝、尊氏時代は逆に、初代征夷大将軍が坂上田村麻呂だったように「臨時の役職」その延長線上で関白・内大臣より遥に下の地位だったってことなんでしょうか。
迷信を妄信したから。
歴史学で無名と言うか私が知ら無いだけですが 天皇家に公家の動向が記録的に目にする機会がある期間が飛びますね 理由は不明ですが個人的に興味有る期間がこの動画での期間なので扱って欲しいです 公家とか特別な地位で活躍する時の記録は動乱期なのが不思議です本来の公務では日々記録が有る立場だと思いますが戦渦で焼失したかも知れませんがそれについても触れられ無いのは不思議です 扱ってたらすみません🙇
権威を利用したいからに決まってるでしょ
足利義満は、天皇を否定しようとしてたと聞きましたあ、一言触れてもよくない?今谷
武家政権は武家の労働組合、その内部では独自のロジックがあるのは当然。武士好きな人は幕府の朝廷からの独立性や天皇を凌駕する権力みたいな事ばかりに着目するけど、当の武家からすればとんでもない筋違いな話なんじゃないの?別の理由って本郷先生は言うけど秀吉だって朝廷に他意は無いだろうし、朝廷守護という以外に特に理由があるとも思えない。武家が朝廷を潰さない理由は日本の起源を握ってる天皇が一番強いからで、日本に属する者がそのOriginに手を出せば逆賊簒奪者破壊者にしかならないでしょ。そういう事ができるのは外国勢力だね。
単に源氏にしても平氏にしても天皇家は本家にあったるからじゃないの
藤原道長は関白でなく太政大臣ですよ
源氏も平家も元を辿れば天皇家から枝分かれして氏を与えられた、と聞いたけど。足利家、織田家、徳川家も源氏だとか。
何故に全く答えてくれなくて草 鎌倉、室町時代ではなぜ禅譲という手段に出なかったのか、織豊時代ではなぜ滅ぼさなかったのかの 見解を反天皇の本郷ならズバッと言うと思ったのに期待ハズレのタイトル詐欺
土地に人は住んでないかのような、ずいぶん上から目線の歴史観ですね。
なぜ武士が天皇を否定できないか。 武士は天皇により命ぜられる職であることから、天皇を否定すると、自らの存在を否定することになるからだと考えます。
世の中に全く何の機能も果たしていないものが永続することはないと思います。天皇も政治的に有用な機能を果たしているから永続してきたと思います。思うに、政治において必要なものは、権力と権威です。権力は武力があれば得られます。そして権力はそれが永続すると自然に権威も付随します。おそらく歴史における最初の権力は権威も伴ったはずです。しかし、その後、何らかの理由で、権威と権力が分離しても、多くの場合、やがて権力は権威を吸収するものと思われます。こうして世界では、王朝の交代が起きました。しかし、日本においては、それが起きませんでした。天皇が権威を保持し続けました。それは恐らく、天皇が日本の政治において何らかの必要な機能を果たしたからではないかと思うのです。その機能とは、古代の秩序が崩壊した中世においても、最低限の社会秩序維持機能だったのではないかと思われます。具体的には儀礼の在り方を決める最終的権限を朝廷(ひいては天皇)が保持した(それは社会が天皇にそのような機能を期待したためだった)からではないかと思うのです。 例えば、斎藤道三と織田信長が会見する場合を考えます。このとき、どちらが相手方を訪問するのか、会見においてはどちらが先に来て相手を待つのか、会見時にはどちらが先に挨拶をするのか、それに対して相手はどう応じるのか、等々、戦国大名として対等な者同士であるだけに、応対によっては、相手に屈したと世間でみられかねません。これを朝廷が決めたルールに従ったことにすれば、織田信長も斎藤道三も相手に頭を下げても傷がつかないのです。今日でも、外交において儀礼は大変重要です。間違えれば戦争になりかねません。その儀礼の在り方は国際慣例によってきまっています。トランプ大統領と金正温委員長の会談をみれば、儀礼に細心の注意が払われていることが分かります。しかし国際慣例にない新しい問題が生じたとき、どうすればよいのでしょうか。もし誰かこれを決められる人がいれば、大変便利です。朝廷はそういう政治的役割を日本の政治において果たしてきたと思うのです。そして大事なことは、権威が、完全に権力の操り人形であっては、その役割を果たせないということです。それでは権威が失われるからです。それでは権力にとっても、利用価値がなくなってしまいます。完全な独裁国家でない限り、ある種の権力から独立した権威の存在は、権力にとっても、反対者を押さえつけるべく統治に圧倒的な軍事力を要しなくなる点で経済的にメリットがあり、ゆえに有用なのだと思います。日本で天皇が永続してきたのはこういう理由のためだったと思われます。 現在、共和制の国で議院内閣制をとる国において、実質的な最高権力者が首相であるという国(たとえばインドやドイツなど)は少なくありません。そういう国では、名目的な大統領がおかれています。それは、権力と権威を分離して、権力者が独裁者にならないようにするための政治的枠組みであると思います。実際、大統領制の国(大統領を国民の直接選挙で選ぶ国)においては、どうしても大統領に権力と権威が集中し、ややもすれば独裁化しかねない傾向があるように思います。しかし、議院内閣制の国で大統領を誰にするかは、それ自体政治問題になり、適任(ほとんどが元政治家です)を得ることが困難なようです。その意味で、日本の天皇の在り様は、独裁者の出現への制度的障害として絶妙な存在であるように思われます。
@user-qp5hz2tn4h
3 ай бұрын
違うと思います😅
@user-xz9rt6ts7g
Ай бұрын
研究者の方?
聞き手があまりに無知で驚きですが、理系女性でしょうか?
封建主義だね。
浅野幸長は、「ゆきなが」じゃなくて「よしなが」です。 文禄二年の関白は、秀吉じゃなくて秀次です。 本郷さん、教授なのですから もう少し、調べてから話しましょう。 一般の方に、間違えた情報を 伝えては困ります。
頼朝が朝廷を排除しなかったので、土地所有権の根源を朝廷に留保せざるを得なかったということではないのでしょうか? 頼朝が朝廷を排除すれば、頼朝は自分の名前で土地を御家人に分配できたのでは? なぜ、頼朝が朝廷を排除できなかったかについては、別途の理由付けが必要に思えます。
藤原の純友が天下をとれば変わってたと思うよ。
女系天皇の推進が歴史的に如何に大きな出来事であるかわかる。 マスコミの運動、立憲民主は推進、自民党の一部で検討。
@goride6133
3 ай бұрын
そもそも女系では天皇は引き継げないですからね。
@user-qb6xs7ku5j
2 ай бұрын
本郷先生のこの話がどう女系天皇と繋がるのかはわかりませんが、逆に「男系とは?」を考えてみたほうがいいですよ。豊臣秀頼は豊臣秀吉の男系継承者ですが「秀頼は秀吉の間違いのない血縁実子」だと証明出来ますか?歴史的には「表面系譜」だけが問題となって「実子系譜」かどうかは関係がない、それが男系系譜の実態です。他方イギリスは「科学の時代」になり「王朝の実子系譜」をより重要視した。愛子さま、真子さま、佳子さま、悠仁さまは間違いない昭和天皇~上皇さまの実子系譜者です。
@user-re7qr8vp7v
2 ай бұрын
>逆に「男系とは?」を考えてみたほうがいいですよ。 逆に考えてみた方が良いですよ。「王朝の実子系譜」にどれだけの意味があったのか?英王朝や中国の易姓革命の勉強も含めてです。北朝鮮の国家体制もある意味参考になります。 科学と封建制度、宗教の関係もなかなか興味深く面白い歴史があります。
@user-qb6xs7ku5j
2 ай бұрын
@@user-re7qr8vp7v その「男系への拘り」も「血脈系譜を前提にしていない」のは歴史の常識だと考えますがいかがでしょう。日本のあ保守さんは「男系の血脈がずっと続いてきた」と信じる方も少なくないと思いますが。それは表面上の「と言われている」系譜です。紫式部の源氏物語にフランスの三従士、あれどういうお話しでしたっけね。
@user-re7qr8vp7v
2 ай бұрын
@@user-qb6xs7ku5j 「男系への拘り」ではなく、男系「ということで」「歴史が続いてきたのは事実」であり、拘りという言葉ではくくれません。仮に「拘り」というなら「天皇」に拘る理由の説明は難しくなると思います。なので、女系天皇を推進する方にはキラキラ新天皇として新たな名称を決めた方がお似合いですし、法隆寺なども最新の素材と耐震技術で時代に合わせて再建設した方が良さそうです。別に社会主義者や共産主義者が天皇を否定するのは自由です。
秀吉が明国から国王の称号を得ていたから天皇を無視したみたいなこと言ってるようですがホントですか
@golillaism
3 ай бұрын
ほな、なんで関白になったん?!って循環論法になるよね。
@user-lt7uf5he6t
3 ай бұрын
中国制圧して天皇様に差し上げようとしたとは考えにくい。 今みたいに天皇の地位が高くなくて、興味なかったんじゃないなと。だから廃止も処罰もしなかっただけかと。
@himatstosh6236
3 ай бұрын
あれは明国が「独立国家として認める」という意味で贈ったんだけど秀吉は「王というのは皇帝の下の位、つまり明国の臣下になぞなるつもりはない」として全く取り合わなかったそうです。
@user-pz5re5vq3r
2 ай бұрын
中国にとって王は皇帝のひとつ下の称号だから、対等ではなく朝貢国の君主を意味する。 足利義満が日本国王の称号を受けたのも、中国側は日本を格下認定したつもりだったが、日本側からみれば義満を将軍に任命した天皇がいるから、決して中国の格下になったわけではないと解釈できる。 それで貿易を再開できるなら…と考えていたようだ。
そもそも 「武士たちの権威」の根拠が…
秀吉は天皇を否定できるわけないやん。ゆえの関白なんだから。権威と権力のバランスで日本がなりたっていただけの話。別の話もクソもない。
平氏も源氏も元々天皇の血筋でしょ、当たり前でしょwww
アメリカ🇺🇸が、天皇を、潰さなかった、❤❤❤❤
高校の教科書レベルの日本史の知識すらない人が案外多いのに驚きです
@user-qm6tw4jj3o
28 күн бұрын
はいはい、俺って頭が良い自慢はここだけで終わらせよーね。
潰すて…もっと他に言い方があるだろうに。
日本政府もいまある個人所有の土地を全部取り上げて欲しいね 持たざる者としては全部国有にしたほうがええわ
@user-vo3xq7mk6c
3 ай бұрын
やんわり取り上げて外資に売り飛ばすを今やってるでしょ?
@KK-of6hj
3 ай бұрын
@@user-vo3xq7mk6c そういう売国は望んでないね 日本国民のために使って欲しい 私有地であるためになかなか捗らないこともあるでしょう 自民党は解体すればよい
世界最古の王家は 天皇家では無くて アウストラロピテクス🦧家
天皇さんって仕事はするんですか?謎(笑)
@user-kx4hm3ye3d
2 ай бұрын
行事があってそこそこ忙しかったかと
違うね。 壊せなかったじゃなく壊さなかった。なぜなら新しい基準にて再び検地・測量、登記して云々する手間が当時では非現実的で。天下に制度が変わったと示す方法の一つに度量衡を変更することがある。これをやった例を隣のお国にみることができる。あと焚書も。
何の権限があって日本全国の土地を自分のものにしてんだよ。 天皇制賛成の人って本当に日本人なのか?
@user-vw6em7js1u
Ай бұрын
天皇制などということばもともとないぞ。左翼が天皇を無くしたいがために作り出した造語。この教授もその仲間だろ。あんたもそうなんだろうな。日本が嫌いだろ。
天皇をつぶせない理由がそのままジャニーさんをつぶせなかった理由につながってそうで面白い。 ある程度すごい存在になると、神とか自然のような自然信仰っぽい日本人的感覚が発動してそれをどうにかするという気持ちが生まれなくなるのかもしれない。 逆にそれを平気でやる中国人は富士山を見るのに木が邪魔だから全部切るとかいう大陸人っぽいことをやってしまう人間の悲しさがある。
@user-lx1ns2hz4n
3 ай бұрын
今の価値観を昔の人に当てはめるのは愚考
@dice-koz206
3 ай бұрын
全然違いますね。何故現代の話と中世の話をつなげるのでしょうか。
@user-pm2hu9qd9p
3 ай бұрын
ジャニー氏の姉、メリー氏の夫は藤島泰輔氏。藤島泰輔氏は上皇さまの同級生、上皇さまをモデルにした小説「孤獨の人」の作者。
自分達武士の出自である祖先天皇家を否定できるわけないです。
源氏は天皇の部下だ。 中臣氏の部下が天皇だ。中華倭国殷王朝中王が難民の西周に10000年の王朝を与えた。
@user-vw6em7js1u
Ай бұрын
知能を疑わるコメントはやめた方がいいぞ。
@user-dq4re5fw7y
Ай бұрын
@@user-vw6em7js1u 事実ですよ。
@user-dq4re5fw7y
Ай бұрын
@@user-vw6em7js1u 真実の歴史です。
@user-dq4re5fw7y
Ай бұрын
@@user-vw6em7js1u 事実です。
@user-dq4re5fw7y
Ай бұрын
@@user-vw6em7js1u 事実です。