【大蔵合戦】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり歴史解説】

Ойын-сауық

足利尊氏が鎌倉幕府を裏切る理由とされていた「置文伝説」を辿りつつ、源氏と鎌倉幕府の関係を解説していきます。
今回はプロローグ第三回。
源義朝・源義国陣営と源為義陣営それぞれの活動と、「保元の乱」の前哨戦「大蔵合戦」について解説していきます。
プロローグ2: • 【河内源氏衰退期】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり歴...
プロローグ4: • 【保元の乱・原因編】源氏と鎌倉幕府【ゆっくり...
【参考文献】
田中 大喜『新田一族の中世: 「武家の棟梁」への道』
下野新聞社編集局『下野国が生んだ足利氏』
#ゆっくり解説 #源義朝 #源義国 #源為義 #源義平 #源氏 #鳥羽上皇 #大蔵合戦 #足利家 #日本史

Пікірлер: 18

  • @user-hu3zj1tv6g
    @user-hu3zj1tv6g3 ай бұрын

    〜は「源氏」なのだ。あ、はい はウケました。鬼武者と駒王丸はいろいろ絡んでくるので、次回以降も楽しみしています。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    3 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 「〇〇は源氏なのだ」は、もうそうとしか言いようがないんですよね(苦笑) 鬼武者と駒王丸のあれこれも、今後触れていく予定なので、お付き合いいただけますと幸いです!

  • @MYOSHIDA-wq7wb
    @MYOSHIDA-wq7wb3 ай бұрын

    松ケンの「平清盛」が見たくなりました!

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    3 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 松ケンの「平清盛」、なかなか攻めた内容で面白かったですよね。 あのドラマ、為義を小日向さんが演じていらっしゃいましたが、何をやってもダメダメなのに、なんか憎めない愛すべきキャラ造型で、今でも印象深いです。

  • @ANDOHSOHON
    @ANDOHSOHON3 ай бұрын

    この二人が足利と新田の祖になるのね。で、建武の新政の崩壊で、結局血みどろの、河内「源氏」なのだ。一緒にして欲しくないと村上源氏とか思ってるよ、きっと。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 義重と義康、この時は普通に仲良さげな兄弟なんですけどね。鎌倉を落としちゃったもんだから注目されて、結局。。。 一緒にしてほしくない。絶対、北畠さんが言ってそうな台詞です(笑)

  • @harigane4773
    @harigane47732 ай бұрын

    悪源太義平、けっこう好きなんだけどエピソード少ないのが残念😢 義朝が成功したif世界線だとやっぱり頼朝とバチバチしたんだろうなあ…😅

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 悪源太、「平治物語」だと結構書かれていたりもしますけど、大部分は創作だろうなと思うと、やはり史料が少ないですよね。掘れば結構面白いエピが多そうな人なんですけどね。 義朝が成功した世界……まず、どう成功したかで変わるような気もします。どうにも、平治の乱で成功する未来が見えなくて(苦笑)

  • @harigane4773
    @harigane47732 ай бұрын

    幼名鬼武者w 後年徹底した源氏ムーブするけど末弟みたいな武者ぶりはあんまり…😅 義平は源氏だけど配下は源氏じゃなかったことが後々の禍根に…😱

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 「鬼武者」はやはり、頼朝のイメージに合わないですよね(苦笑)頼朝個人は弓に秀でていたようですが、戦の指揮となると…… 義平だけは、せめて坂東に留まっていたほうがよかったのか。でも、後々頼朝と喧嘩にならないか?とも思う今日この頃…

  • @user-lc4dw8vy9z
    @user-lc4dw8vy9z26 күн бұрын

    源義平の生母は、尊卑分脈にある遠江国橋本宿(1498年の大地震と1510年の高潮で宿場町としての機能を失った、軍事的にも重視されていた幻の中世の宿場町、コトバンク参照)の遊女と思います。義平が〇ぬまで無位無官であったこと(波多野氏の娘の子の朝長と比較しても、三浦介の娘の子で義朝の長子が無位無官はおかしい)、平治の乱で負けた後、坂東に雌伏せずにすぐ京都に戻ってきて清盛の命を狙ったこと(義朝死後、後ろ盾となってくれる一族も無く、坂東に義平の居場所は無かったのでは?妻の実家の新田氏は平家寄り)など、三浦介の娘の子とするには辻褄の合わない傍証は複数あります。ネット上にも、渡邉浩貴「源義朝権力の地域基盤と武士拠点」(国立歴史民俗博物館研究報告 第245集2024年2月)という論文があがっておりますが、義平の母としては遠江国橋本宿の遊女説のみを紹介しております(もっとも論文の趣旨から言って当然ではありますが)。本当に義平が三浦介の娘の子なら、それこそ安房国に匿うとかできたと思います。実際、平治の乱への関与の度合いは不明ながら、熊野に地縁・血縁のある源行家は平治の乱から以仁王の令旨まで、潜伏することに成功しています。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    25 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 源義平の生母についてですが、本動画では、大蔵合戦時の結びつきの強さなどから「清和源氏系図」説のほうを採用しました。「尊卑分脈」ではおっしゃるとおり遠江国橋本宿の遊女ですね。お恥ずかしながら、このあたりはあまり深く突っ込んで調べなかったのですが、今は橋本宿の遊女説のほうが主流なのですね。勉強になります。

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