【元弘の乱・花園視点】地獄を見た持明院統【ゆっくり歴史解説】

Ойын-сауық

「両統迭立」番外編。
今回は、花園天皇視点の「元弘の乱」の紹介です。
後醍醐挙兵により、光厳天皇即位。後伏見上皇が治天の君になってから、全てを「なかったこと」にされるまでを解説していきます。
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【参考文献】
「宮廷に生きる 天皇と女房と」岩佐美代子
「花園天皇」岩橋小弥太
#ゆっくり解説 #両統迭立 #鎌倉時代 #元弘の乱 #花園天皇 #持明院統 #光厳天皇 #後醍醐天皇 #足利尊氏

Пікірлер: 31

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p28 күн бұрын

    掴みが最高に面白い。この辺りの話が大好きなんで早速登録しますた。 凄くポップな作りでユニークな動画になってますね。立命の秦野先生の影響で中世の天皇厨なんでこの回素晴らしい出来だと思います。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    28 күн бұрын

    コメント&チャンネル登録ありがとうございます! 天皇家はよくよく調べてみると、魅力的な人物の宝庫ですよね。このあたりは後醍醐天皇ばかりが着目されがちですが、持明院統の良さも知ってもらいたくて頑張って作りました! なので、そう言っていただけると大変嬉しいです!

  • @user-hg6cw6kw5w
    @user-hg6cw6kw5w4 ай бұрын

    うわー💦動画で見るとほんとに「地獄を見た」って分かりますね😱北朝視点でこんなに丁寧に描かれたものって見たことない。すばらしい✨次回はいよいよ例の兄弟登場で話がつながりますね!楽しみ!✨そして光厳かっこいい。別動画で、幼い頃から家族に愛情かけて育てられたのでメンタル強かったんじゃないかと言ってました。花園の教育も良かったんでしょうね。光厳の強さから花園の立派さが証明されたように思います✨

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そのように言っていただけて大変嬉しいです!持明院統だって、後醍醐たちに負けず劣らずドラマチックなんですけどね。どうしてこんなにスルーされてしまうのか(涙)次回でいよいよ例の兄弟へと繋がっていくわけですが、光厳視点で見ると、よくぞあの決断をしたものだと思います。あんなにあの兄弟に酷い目に遭わされたのに……いや、これからもか(← 光厳のメンタルの強さは本当にすごいと思います。おっしゃるとおり、後伏見たち両親の愛情と花園の教育の賜物でしょう。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p28 күн бұрын

    この和歌で遣り取りする 超絶技巧というか超能力にいつも 驚いてしまう。他国にあまり似た文化が無いし、源氏物語読んでもいきなり超個性的な大巨編小説になってて中世の宮廷て文化では世界最先端だったように思う。この少し後で武家側になるけど例の直義肖像画なんてベラスケスみたいなタッチだし 日本スゲーはこの時期なら納得してしまう。野蛮な白人どもがおかっぱ頭に手掴みで食事してた頃日本では

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    28 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、和歌ってすごいですよね。技巧の奥深さは言うに及ばず、それを使いこなせる人たちも、知れば知るほどどんな頭をしているのかと。 直義肖像画も、直義という人物が滲み出てくるようですし、日本の文化は昔から凄い!

  • @bluedawn49
    @bluedawn494 ай бұрын

    今回も楽しく拝見しました。持明院統や北朝の視点は新鮮でした。拉致・幽閉されてしまう頃の話も楽しみにしてます。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そう言っていただけると嬉しいです!「二度の地獄を見た天皇」と言われる光厳天皇。今回はその一回目だったわけですが、二回目も解説したい思ってはいます。今の調子ですと、いつそこへたどり着けるか分かりませんが(苦笑) 気長にお待ちいただけますと幸いです!

  • @user-xt4fg8ln4z
    @user-xt4fg8ln4z4 ай бұрын

    後醍醐帝や足利氏のインパクトが強すぎて、持明院統はいつも影が薄いですよね(後醍醐や足利がチート級なのもありますが…)。今回、持明院統に絞った歴史を取り上げて下さってありがとうございます。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、この時代は後醍醐や足利氏中心で語られることがほとんどで、持明院統はスルーされるか、単なる武家の傀儡だったと片づけられるばかり。 本当は、今回のような劇的で悲惨な目に数多く遭っているし、歴史的に意義のあることもたくさんしているんですけどね。それをこれからもちょいちょい紹介していけたらと思っているので、その時はまたお付き合いいただけますと幸いです!

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t4 ай бұрын

    後醍醐天皇ってヘンリー8世みたいに全ての元凶のポジションに なってしまっている

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 後醍醐視点で見れば、後醍醐の言動はちゃんと筋が通っていますし、悪意もないんですが、周囲からみると……おっしゃるとおり、大迷惑であり元凶!ってことが結構あるんですよね。 一応、後でフォローしたり気を遣っていたりもするんですが、それがまた相手の神経を逆撫でしてしまったり。このあたりが台風の目とか言われる所以なのかもしれません。

  • @user-wj3bq9xl8j
    @user-wj3bq9xl8j4 ай бұрын

    後醍醐帝に劣らない不撓不屈で活動力が有るよねぇ光厳帝は。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、光厳は後醍醐に匹敵する「不撓不屈」の天皇だと思います。あと、実にしたたか。なので私的に、後醍醐の真のラスボスは尊氏ではなく、この光厳だったように思っていたりします。

  • @MT-ip2bc
    @MT-ip2bc4 ай бұрын

    この辺りを光厳天皇を主人公として描いた小説がありますね。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 光厳主役の小説。「風と雅の帝」でしょうか?脚色はありますが、持明院統が考える「天皇」とは何かがしっかり書かれたいい小説だと思います。 実は光厳と仲時は親友だった!とか、仲時のムキムキボディに感銘を受け、日々弟・光明天皇とともに筋トレに励んでいた!筋肉は全てを解決する!という設定も実に良きです!

  • @MT-ip2bc

    @MT-ip2bc

    4 ай бұрын

    @@yukkuribanbii メジャーではないのですが、2004年に出された『廃帝 (角川時代小説倶楽部)』という小説です。絶版になっているようですが、 光厳帝の内心の葛藤なども描かれていて、大変面白かったように思います。 制作されている動画の作りこみ等が大変面白いので、是非とも今後もよろしくお願いいたします。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    @@MT-ip2bcさま コメントありがとうございます! 「廃帝」!その小説については知りませんでした。検索してみましたが、後醍醐に光厳暗殺の密命を受けたオリキャラから見た後醍醐と光厳の話とは、なかなか面白そうですね! 教えて下さりありがとうございます! また、当動画についてそう言っていただけると大変嬉しいです!これからも頑張って投稿していきたいと思いますので、こちらこそよろしくお願いします!

  • @memejiro7147
    @memejiro71474 ай бұрын

    そういえば、光厳天皇と 後伏見・花園両上皇を「捕縛」したのは確か 佐々木道誉さん! 後には 持明院統を立て直すのに奔走するんだから、歴史ってどうなるか 分からない😅

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、光厳たちの行く手を遮り、捕縛したのは道誉さんという説があるとか。後醍醐を護送した時はかなり礼を尽くしたというのに、この違い! で、後々持明院統立て直しに奔走……本当に、この時代の変転は目まぐるしいですよね!

  • @memejiro7147
    @memejiro71474 ай бұрын

    うわあ〰️〰️ ついにやっちゃったのね後醍醐さん! 戦に持ち込んだらもう 完全に「敵」になっちゃうし💦 光厳天皇も戦場で傷を負った唯一の天皇になるとか… (後醍醐帝も イカ🦑の下に隠れた唯一の天皇だけどね) こんなコトになる前に 両統が合一出来ていたら…と思うと 心が痛みますねぇ😣

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 後醍醐としても、戦は本当に本当の最終手段だったわけですし、持明院統にあんな地獄の逃避行をさせる気もさらさらなかったと思うんですが、こんなことに…。 後醍醐だけでなく、両統を合一させるのは全天皇の悲願だったんですけどね。。。。

  • @shlft241
    @shlft2414 ай бұрын

    面白かった。全く知らない話が聞けて良かった。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます! そう言っていただけるととても嬉しいです!持明院統の変遷も後醍醐たちに負けず劣らず実にドラマチックなので、世間に知られていないのは非常に残念に思います。 これからも、ちょいちょい紹介できたらなと思っていますので、その時はまたお付き合いいただけますと幸いです!

  • @user-zz9dr2ib5p
    @user-zz9dr2ib5p3 ай бұрын

    後醍醐と尊氏と二人の頭のおかしい偉人が二人も同時に存在したのがこの時代。それと対峙させられたとはね。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    3 ай бұрын

    コメントありがとうございます! 後醍醐と尊氏が同じ時代に生まれてきたというのは、本当に神様のいたずらとしか思えないです。片っぽだけじゃ絶対あんなことにはなってませんもの。

  • @memejiro7147

    @memejiro7147

    3 ай бұрын

    それな🤣

  • @aegialina
    @aegialina2 ай бұрын

    足利義満の軍事力によって持明院統に統一されたことを考えると

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    2 ай бұрын

    コメントありがとうございます! この時の持明院統は本当にどん底ですが、ここで光厳院が諦めなかったからこそ、義満の時代になるとはいえ、持明院統で皇位が統一されたのだと思うと、非常に感慨深いものがあります。

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