日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」①1960-63 初の米国遠征と凱旋!
Ойын-сауық
オールドファンは口を揃えて「全日を旗揚げした1972年、馬場は既に下り坂だった」と言います…では、ジャイアント馬場の“全盛期“とはいつ?それを探ることで、アントニオ猪木と「プロレス観が違う」理由が見えてくるのです。
【チャプター】
00:00:00 オープニング
00:02:06 正反対の馬場と猪木の「プロレス観」
00:02:44 馬場のアメリカ遠征
00:03:25 馬場の巨人軍時代
00:05:15 プロレス入門2年目にして初の海外武者修行へ
00:06:27 馬場が憧れたバディ・ロジャースとは?
00:08:16 馬場 NWA世界連続挑戦
00:09:59 バディ・ロジャース襲撃事件
00:10:56 力道山と日本へ帰国
00:13:01 馬場名勝負①vsキラー・コワルスキー
00:13:34 次回予告
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Пікірлер: 77
この時代の馬場さんのプロレスを生で体感してみたかった・・・ 83年生まれの私のとっては物心ついたころにはファミリー軍団での戦いくらいしか見られなかったものですから。 1960年代のアメリカマットを揺れ動かした「ババ・ザ・ジャイアント」はどれだけ凄かったのだろうか、想像するしかありませんでした。 だからこのシリーズ、めっちゃ楽しい‼次の動画にも期待大です。
70年代生まれのアラフィフ男にとって、このころの馬場さんの活躍は知らないですからね。非常に面白かったです次回も楽しみです。
@user-lf1zx6gi7x
5 ай бұрын
1960年生れの私でも1963年までは物心は在りませんから、この時期のことはリアルタイムでは知らなかったですね。後年に中学生くらいになってから知りました。
プロレス見始めたのが80年代、すでに体も細く動きも遅い馬場しか見てなかったので、後から全盛期の馬場の映像を見た時は体付きと動きの速さに驚きました。続きが楽しみです。
率直に楽しみ100%です✨ 当時既に馬場さんハワイに口座持ってたんじゃないかとか、想像膨らみます。
馬場をテレビで見始めたのは馬場が全日本でブッチャーと戦っていた頃だったけどそれでも馬場VSブッチャーの試合は迫力があった。馬場のものすごい攻撃を動かず流血しながらじっと受け続けているブッチャーはマジで怖かったです。
ロジャース襲撃の一件については当時ロジャースの弟分だったジョニー・バレンドが“真相”を回顧してます 「怒鳴り込んできたミラーとゴッチをロジャースがテキトーにあしらい控室出ようとしたら ゴッチがその入り口である扉を蹴り飛ばしロジャースの右腕がそれに挟まってしまった」 バレンドは激痛に苦しむロジャースを守ろうと二人を睨みつけたが、ゴッチもミラーも「ヤベえよ、ヤベえよ・・・」 といった感じで動揺してそれ以上は何もしなかったのですぐに人を呼んで対処したとの事らしいです
力道山の生の試合を子供の時に観て〜プロレスの大ファンの私、 若い時に力道山の命令〜G馬場VSA猪木は16回試合をして、G馬場の16勝0敗、しかも完勝🤩
@maruhiroya417
2 ай бұрын
三本勝負で猪木さんが一本取ってた試合も゙ありましたよ。
確かにテレビて見てる限りでは、派手な猪木と思われがちですか、本物をみましたがやはり風格や存在感SUGOIですよ🎉猪木とは違うオーラごありましたよ😂
まとめ方がうまい。子供の頃の知識を思い出しました。 デストロイヤーがバディロジャーズの動きをまねてましたねえ。
ゾクゾクするようなおもしろさ!
ロジャースは美しかったんでしょうね✨。彼に出会ってしまったという事が、何と言うか、こう…。以降、彼以上に光り輝くレスラーに、出会えなかったのかも、しれませんねぇ…。
お疲れ様です。 great!😊
相変わらず、秀逸な編集で思わず、時を忘れて観てしまいました。 今となっては、馬場さんと猪木さんのいがみ合いはアングルだったと分かりますが、猪木さんの馬場さんへの嫉妬心は間違いなくガチでしたね。今でこそ、アメリカで活躍する日本人選手はたくさんいますが、あの当時のアメリカマットでのトップを張れた日本人は、ヒロ・マツダ、ジャイアント馬場、キラー・カーン、カブキ、ギリギリでムタぐらいでしょうか。中でもババさんは、今の大谷君以前の「初代ショーヘイ」ですかね。抜きん出でます。ボクは圧倒的に猪木派ですが、トーキョートムは、ショーヘイにかすりもしません(笑) この馬場さんへの猪木さんの嫉妬心が日本のプロレスを発展させた一因となったことに異存を唱える方はいないと思います。 それにしても、バディ・ロジャース、キラー・コワルスキー。カッコいいです。
@romanlive
5 ай бұрын
ありがとうございます。私は近年言われる「馬場と猪木の確執はアングル」には異論を唱えたい派です。そんな簡単なもんじゃないですよ。
プロレスを専門家きどりで語っている多くのKZreadrと毎回毎回中身の濃さが違うもんなぁ。凄いなぁ🙇
@user-xu6lk9oq6c
5 ай бұрын
今、プロレスユーチューバーの人達の多くが昔を知らない古くて平成以降の知識や現体験の人達なんで昭和のプロレスを深く知ってるユーチューバーはほぼ皆無なのでこういうのはありがたいですよね 私もS40男なのでw
参考文献は「1964年のジャイアント馬場」でしょうか
男のロマンLIVE!さんと同世代ですが、ジャイアント馬場については本当に同じような感想を持っていて、KZreadがなかったら馬場の本当のすごさがわかっていませんでした。昔の映像を見た感じでは、20台(昭和30年代)のころの動きはすごいですね。30歳を越えると動きが悪くなる感じでしょうか。
@user-df8kc2se7c
5 ай бұрын
凱旋帰国した際のコワルスキーとの1戦は無尽蔵のスタミナで45分動きっぱなしで、その後、ボボ・ブラジルに負けるまでが馬場の全盛期だと思います。 全日本プロレス初期の馬場は、インター王者時代に比べると、スピードはなくなっていましたが、負けないチャンピオンのイメージで、インサイドワークに磨きがかかりましたね。
全盛期の馬場を知っている世代としては、猪木全盛期を迎えた昭和50年代は悔しい思いをしました。 こうして、ネットで全盛期の馬場の凄さを映像で見てもらえるようになって本当に良かったと思います😂
@user-df8kc2se7c
5 ай бұрын
最近、昭和43年6月25日、愛知県体育館での対ブラジル戦をKZreadで観ました。 全くいいところなく、完敗しましたね。 当時、馬場が負けるなんて、考えられませんでしたから、ショック😱でした。 今なら、27日のリターンマッチが決まっていたのだから、ブラジルにタイトルを取られたのは決まっていたのかな?と思ってしまいます。
@manmo9145
2 ай бұрын
アントニオ猪木の「アントニオ」は「死神酋長アントニオ」ですからねえw
自他共に認めるバリバリの猪木派だからこそライバルの馬場御大を限りなく公平に深く正確に知らなければ、語らなければ….という強い意思が感じられるのが本当に嬉しいです それにしても最後のドロップキックの画像の高さと迫力が凄いッ!次回も楽しみにしています
ロマンさんと同世代の自分。馬場さんのピーク時の活躍(日本プロレス時代)知らないので、猪木さん派としても知っておきたい今年です。アメリカ武者修行の差が2人のプロレス観にかなり大きく現れている気がします。後編も観ます。
馬場さんが仮にアメリカから戻ってこず、そのままアメリカ定住し 活躍していたら今と違うアメリカマット界の未来が見えたのかなぁ。
@user-df8kc2se7c
5 ай бұрын
馬場は力道山が亡くなった時、プロモーター達に引き止められても、自分は海外武者修行に来たのだから、帰国するのは当たり前だと言って帰国したと聞いています。
@maruhiroya417
5 ай бұрын
@@user-df8kc2se7c M博士のマガジンでは真逆でしたね、アメリカで提示したギャラが良かったので留まるつもりだったのがY口組の脅しに屈して帰国せざるを得なかったとの事、恐らくM子さんの仕業でしょう。
当時のアメリカでスーパースターは今の大谷選手の様な存在だったのだと思いますね☺マスコミが発達していない時代でしたのでカルトスター扱いが残念ですが…マンモス鈴木さんは力道山先生が来るまではまだ馬場さんと帯同していたみたいですね。本当はマンモスさんが東郷さんの本命だった、と聞いた記憶があります。マンモスさんがゴリラアングルを拒否したから馬場さんにチャンスが回ってきた、と。マンモスさんも成功して欲しかったですよね、また違った日プロになったと思います。
プロレスの本場アメリカ合衆国で、プロレスの全盛期でメインイベンターで活躍したアジア人は、ジャイアント馬場選手しかいません。アメリカ合衆国でプロレスの世界でメインイベンターで活躍した選手は、ジャイアント馬場とキラーカーン選手です。
自分は馬場さんの全盛期に近い姿をモノクロの映像でしかみたことはありませんが、前田が言っていた、アメリカで1番最初に成功したアスリートという言葉が記憶に残ってます。
馬場の16文キックは、120キロ以上の元フットボーラーがロープの反動で向って来るのを片足一本立ちで蹴り返す、体幹・体軸がじつはとんでもない技だったと、最近ようやくわかってきました。
アメリカ武者修行で「フレッド・アトキンス」に鍛えられた事が 良かった事だと思われます😊
@user-hl9pq7tokusoutai
3 ай бұрын
だいぶピンハネして草
@maruhiroya417
2 ай бұрын
アトキンスはただのボディーガード
日本プロレス時代の不動のエースで、世界中からの無法者を迎え撃ち日本のプロレスを守っていたジャイアント馬場さんは大好きです。 でも、全日本プロレスを旗揚げしてからの馬場さんは、何故か好きになれないんですよね。何故なんかなぁ?!
テルさんの情報量に感服します。 最後の写真のドロップキックはオカダより凄いかも。
私の 日本🇯🇵史上世紀の 3大勝負 ① 力道山 vsザ・デストロイヤー (1963) ② G・馬場 vs F・V・エリック (1966) ③ A・猪木 vs B・ロビンソン 最強外人に善戦した 3人でした。馬場の Dダフィへのドロップキックのハイレベル エリックへの カウンター16文! ケタ違いなのだ🎉
世界3大タイトルの、NWA、WWWF、WWAに連続挑戦したことはかつて誰もなしえなかったこと。 今の大谷翔平より前に馬場正平がいました。 野球で挫折して、脳腫瘍の病から奇跡的に復活し、プロレスで2メートル9センチ、145キロの大きな身体を惜しみなく披露して活躍されました。 力道山さえ、羨むその活躍。 日本プロレス中継の看板レスラーはジャイアント馬場でした。
ハンセンとのPWFの激闘時に小学校低学年だった私は、馬場が強いのは、技をかけたほうが馬場の剥き出し骨に当たって痛いからだと理解していました。
日本プロレス時代の馬場は本当にスケールが大きく強かった。母はよく「馬場と比べると猪木はしょせん小物ね。」と言っていました。
@user-gy4tn2sr5m
5 ай бұрын
体の大きさ以外は馬場の方が心が狭くて小物
@maruhiroya417
5 ай бұрын
@@user-gy4tn2sr5m まぁ、巨人症を悩んでたそうですからね。 おまけに脳腫瘍の手術も。
馬場は格闘家というよりは、優れたアスリートという感じがします。 猪木はプロレスラーであると同時に格闘家でもある、ということでしょうか… どちらもすごいことにはかわりない
@user-gz7sw9vm3r
5 ай бұрын
猪木さんもデビュー前は、陸上競技しかやっていないので、シューターではないと思います。なおかつ、2軍とは言え馬場さんはプロのスポーツ選手です。アスリートとしても、馬場さんのほうが上だと思います。猪木さんが、馬場さんより圧倒的に上手いのは、プロレスラーとしての表情の出し方だと思います。それと、対戦要求する猪木さんと、逃げる馬場さんの図式。あれは、30代前半で、ピークの猪木さんと、30代後半で、体力低下している馬場さんなので仕方ないです。ましてや馬場さんは巨人症で、健常人よりも衰えは早かったはずです。二人のどちらかが強いか比べるなら、お互いに28歳になってタイムマシーンに乗って対戦するとかしかないですよね。
@clippers4307
5 ай бұрын
@@user-gz7sw9vm3r 運転神経いいのは馬場のほうみたい〘水泳や卓球も上手かったって〙 スマートで粋なイメージは、馬場さんのほうがある!
当方、現在、40代です。 馬場VSコワルスキー戦を観ました。 思ったことは、 プロレスラーとしての素晴らしい肉体! 上背のアドバンテージや動きももちろんですが、特に足と背中の隆々とした筋肉が目を引きました! あの肉体はレスラーとして非常に説得力がありますね!
ドロップキックの跳躍力がエゲツねえ( ・∀・)
日本プロレス時代を知ってる人は口を揃えて馬場はモノが違うって言ってましたね モノクロ時代の短い映像でしか所謂全盛期を見てないですがそのインパクトは強いです シングルは相手を引き立てる必要があるので受けてる時間が長いですけどタッグで 吉村と組むとタッチした瞬間から凄まじい攻めでびっくりします
@user-df8kc2se7c
5 ай бұрын
吉村とのコンビは実際に見たことがないのですが、吉村は常にパートナーの引き立て役に徹するので、馬場もやりやすかったと思います。
@user-zl1yy8lz5f
5 ай бұрын
@@user-df8kc2se7c G+で小橋と平川アナが見ながらコメントする形でしたが吉村が耐えに耐える展開で ようやくタッチした馬場がチョップ、16文キック、ココナツクラッシュと一気に畳み掛けるんですが キックの勢いが昭和50年代以降とは全くの別物で前述のお2人も驚きながら実況してました
馬場と猪木の全盛期は時期がズレていたと思う。 猪木はレスラーとしてはそんなにパワーが有る方じゃないと思うけど、馬場の足腰がしっかりしていた全盛期は無茶苦茶強かったんだろうと思う。 身長2m9cmって事になってたけど、小さい人は大きく言いたがるけど大きい人は小さく言いたがるから実は2m10cmを超えていたのかも?
今のアメリカでのSHOHEIは大谷だけど昔は馬場さんだわw
凱旋帰国のコワルスキー戦の凄さは、それ以前の力道山対シャープ兄弟、オルテガ戦なんかの試合映像と比較するとわかります。泥臭い力道山や豊登と比べて、プロレスの洗練さが全然違う。ただでさえでかい馬場が、その身体をさらに大きく見せる雄大なアクションの連続。まさに日本人によるアメリカンプロレスの初の体現者が馬場なんですね。 日本のプロレスは馬場によって近代化して、それを発展させたのが猪木。ということが実感できます。 そして馬場が肉体的全盛を保った1968年までは、猪木がまだ及ばなかったことも、納得なのです。 ちなみに特撮でたとえると、力道山は初代ゴジラ、馬場はウルトラマン、猪木は仮面ライダーに位置づけられると思いますw
故・櫻井康雄氏曰く「馬場君の肉体的ピークは、最初のアメリカ武者修行から帰国した1963年辺りだろう」。 当時25歳の馬場の体は腕が太く、大胸筋が盛り上がり、晩年の姿しか知らない者には信じられない肉体美である。 一部アップされている動画を見ても、パワフルで巨体(公称の145キロはあながち誇張ではないだろう)からは想像もつかぬほどスピーディーで驚かされる。 元々、天下の読売巨人軍からスカウトされたくらいなので、エリートアスリートであったことは間違いない。 比較しては悪いが、潜在的身体能力では明らかに猪木よりもハイレベルだったのではないか?
若い頃からトレーニングより麻雀ばかりしてた人が強い訳が無い。
@maruhiroya417
2 ай бұрын
それな、大体馬鹿嫁も「馬場さん命」とか言うんだったら誰よりも率先して練習する様に発破かけるのが当たり前。
これはすばらしい 私の馬場に関する知識は、高森朝雄の話盛りすぎの「ジャイアント台風」のみなので たいそう参考になります そういや件のマンガでは、バディロジャースは両腕に美女をはべらせキスしまくりのヤなやつに 描かれてたな
@user-yu4tc5ex5q
5 ай бұрын
御母堂が2通りある漫画ですねw
対戦相手とのスコア比べたら馬場が勝っている事は明確だ!
馬場さんへの公平な考察をどうもありがとうございます。 そういう僕も馬場さんの全盛期は知りません。 こういったことは世の常なのでしょうが、その時、リアルタイムで目撃した人の感覚、感情はやはり風化されていくものなのか、、、とも思います。 それはОN、長嶋茂雄、王貞治についても同じようなことが言えると思います。 長嶋茂雄を目撃している世代にとっては永遠に王貞治より上位であり、目撃していない人は、王貞治が永遠に上位である。 この構図は馬場、猪木に当てはめても同じようなことになると思います。 この場合の目撃は、お互いの全盛期は、という縛りは必要ですが。 古くは、力道山を目撃した人にとっては、馬場と猪木が束になってかかっていっても、すべての面において力道山には到底かなわない、、、ということになりがちだと思います。 話を馬場さんの考察に戻しますと、確かに全日本を立ち上げたときは年齢とは非相応に、すでに体力は全盛期を過ぎていたような気がします。あれだけの巨体です。普通のレスラーより衰えは早かったと思います。 それとこれはパラドックスになりますが、その辛さを1番わかっていたのは、ある意味猪木さんだと思います。 馬場さん逝去後に、猪木さんの「馬場さんもこれでホッとしている部分もあると思う」みたいなコメントがありました。このコメントは、時が経ち、今感じることは、猪木さんの馬場さんに対する本当のリスペクト、感謝の思いが詰まっているように感じます。 同じ父親(力道山)、そして同じ釜の飯を食った唯一の同期、兄弟みたいな間柄でしょうから、本当は。
馬場の分岐点は、69年、世界チャンピオンがキニスキーからドリーに変わった時から始まりました。 馬場と手の合うエリック、サンマルチノ、ブラジル、ブルーザー等が下り坂に入り、ファンクス、ブリスコ、レイス、ロビンソン等の台頭により、世界の主力に手の合う相手がいなくなり、猪木と手の合う相手ばかりになったことが要因です。 この頃から全く練習しなくなり、麻雀ばかりします。 そして70年のドリー戦で、脱水症状になり、フルタイムの筋書きなのにドリーに泣きを入れて、両リンにした時から馬場の終楽が始まりました。 猪木も馬場もプロレスはプロレスですから、変わりはないのですが、猪木の様なエキサイトさせるプロレスをやるには既に馬場は衰えすぎていたのです。 全て私見です。
@maruhiroya417
5 ай бұрын
練習をやらせなかったのは馬鹿嫁にも責任ありますね、馬場さんのイメージを守りたいのなら他の誰よりも練習するように叱咤しなければいけない立場だったはず。
@user-il6to6dk8n
5 ай бұрын
「全く練習しなくなり麻雀ばかり」ってキミはそれを見たのかい?
@bruuzar
5 ай бұрын
@@user-il6to6dk8n 様 櫻井康雄の本に書いてましたのじゃい。
@maruhiroya417
5 ай бұрын
@@user-il6to6dk8n 「私(的)見(解)」っつってんだがw、アンタ京平さんや木原さんから幾ら貰って提灯書いてんの?😂😂😂
@user-il6to6dk8n
5 ай бұрын
@@maruhiroya417 出た〰️マルヒロヤ🤣 お前そんな事言ってると裁判沙汰になるぞ。 コメントは気を付けた方がいいぞ!
タッパが違い過ぎる(笑)🤣 実は猪木さんは馬場さんの前では、謙虚ですよ、新間寿氏のビジネス上〜のパーフォマンスが大、それと猪木選手の馬場選手へのジェラシー〜
馬場の腕は細い 信じられない程細い 馬場の尻肉は垂れてる 信じられない程垂れてる 馬場のチョップは嘘臭い
@トンガ魔次郎
4 ай бұрын
最強タッグリーグ最終戦の蔵前でハンセンが乱入した時の馬場チョップは普段の10倍くらい早くてビックリしたぞ〜、ハンセン3発目くらいで流血してたよ。まぁカッターの刃でも仕込んでた可能性は否定できないけど〜😅 最初の一撃喰らった時のハンセンの反応とか、あの映像は見る価値あるよね。
師匠力道山の死後、その師匠力道山の事を「守銭奴、詐欺師」と揶揄していた東洋の巨人ジャイアント馬場。
馬場と猪木のプロレス感の違いは、おっしゃる通り、成功体験した場所の違いがそのまま影響していると思います👍