大木vsテーズ シュートマッチの真相と二代目力道山襲名計画-大木金太郎一代記
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今回は馬場、猪木と共に「力道山道場三羽烏」と言われたキム・イルこと大木金太郎の一代記。テーズとのシュートマッチの真相、その裏にあった「二代目力道山襲名計画」韓国政府のバックアップの謎に迫ります。
【チャプター】
00:00:00 オープニング
00:01:02 キム・イルこと大木金太郎
00:01:47 若手時代の大木、馬場、猪木
00:04:07 海外武者修行と師・力道山の急逝
00:05:09 ヒューストンの惨劇 なぜ大木はテーズに無謀なシュートを仕掛けたのか?
00:06:32 幻の”力道山襲名計画”と、韓国政府によるバックアップ
00:09:01 朴正煕大統領と大木金太郎
00:10:17 力道山の野望
00:11:54 襲名計画は不発、国際プロレス移籍未遂事件
00:12:57 念願の日本プロレスのエースに~崩壊へ
00:14:29 新日本プロレス参戦、アントニオ猪木、坂口征二と抗争
00:15:32 再び全日本プロレス参戦、現役引退へ
00:16:57 「夢の懸け橋」での引退セレモニー、猪木との友情
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「大木金太郎」~1929-2006 テーズとのシュートマッチ、力道山襲名計画の真相
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Пікірлер: 89
「東風会」→「東声会」、「池上本願寺」→「池上本門寺」。
@capersville
3 ай бұрын
ちなみに池上本門寺には力道山とともに児玉氏、町井氏が眠っていますよ。
私が唯一握手をしたことがあるプロレスラーが大木金太郎選手です。小学生の時、地元に興業が来たので父親と見に行き、大木選手が試合に勝って花道を引き上げる際に手を出したら、凄く大きな手で握ってくれました。良き思い出です。
今頃天国で馬場、猪木、大木が笑顔で語り合っていることを信じたいものです。
@tatsuogw
2 ай бұрын
間違いないよ。
@user-lb6up8wh2q
2 ай бұрын
@@tatsuogw 様 御返信と貴重な御意見に深謝します。娑婆ではいろいろあった三人があの世では何事も無く過ごしている、私もそう信じます。
亡くなられる少し前の新聞記事で大木さんを訪ねて熱心な日本のプロレスファンが見舞いに来てくれたと大木さんが嬉しそうにインタビューに答えている記事を読みました。年齢的に自分の現役時代を知らない若いファンとの交流が嬉しかったそうです。
テーズの凄さを再認識しました
とても面白かったです。大木さんは、日本のプロレスを語るうえで外せない方ですね。敬う力道山への想いとは裏腹に、与えられた役回りは随分と悲劇的なものだったと思います。
子供の頃、父親と一緒に毎週プロレスを観ていて、吉村道明さんとタッグを組んでアジアタッグ王者だった大木さんが好きでした。ボボ・ブラジルさんとの頭突き世界一決定戦(?)とか、キムドクさんと組んでインタータッグ王座になったシーンは今でも記憶にあります。理屈抜きでスゴイ選手の一人でした。動画ありがとうございました。
アントニオ猪木さんは、大木金太郎さんには何故か優しいですよね。 過去の出来事は全て水に流す猪木さんならでは、なんでしょうか?
@Alfav6t
2 ай бұрын
猪木がブラジルから連れてこられた時、大木金太郎が「アナタ、ブラジル人、ワタシ韓国人、(よそ者同士)ガンバリましょう」と声かけたという記事を昔読みました。 つらい下積み時代からの関係があったからではないでしょうか。 もちろん猪木の性格もあると思いますが。
私も1970年生まれで、昭和のプロレスを愛していますが、大木金太郎選手の事は、あまり知りませんでした。 とても興味深い話を聞かせていただきありがとうございました。
大学3年だった1996年に海外語学研修で韓国に約1ヶ月滞在しましたが、現地の学生に「僕はプロレスファンなんです」と自己紹介したら、「キム・イルはご存知ですか?」と嬉しそうに聞き返してきた事を思い出します。キム・イル=大木金太郎は韓国ではまさに国民的英雄なんだ…と直に実感しました
@mondepa9819
3 ай бұрын
年齢詐称ですね(笑)
アニメのタイガーマスク。アジア選手権に参戦したタイガーのホテルの部屋へ忍び込んだミスタークエスチョンが、いたずらでタイガーのマスクを被って留守番していた韓国代表大木金太郎の頭突きを喰らって「タイガーの必殺技は頭突きか!!これは要注意だ!」と部屋から立ち去るシーンを思い出しましたw。
様々な観点から当時の歴史が理解る素晴らしい動画です。 ありがとうございました!
1970年頃、馬場、猪木のインター・タッグがメイン、セミが大木のシングル戦30分1本勝負をよく覚えている。イメージ的には相撲で言えば、馬場が横綱、猪木がなりたての横綱、大木が大関が望める関脇のイメージでした。😮
私の姉は個性的な大木金太郎と西田敏行のファンでした
正直、この辺りの話には色々疑問があるんですよね。テーズ大木戦についてはいずれ僕も別角度で検証してみます
今回も興味深い回でした。大木さんは、馬場さん、猪木さんに比べ、性格が少し狭く掴みにくい人だなあと、子供の頃から感じていました。
昔の職場の先輩が子どもの時の日プロの興行で、馬場や猪木のサインをもらおうとしたが取り合ってもらえず、居合わせた大木がニコニコとサインをしてくれたと語ってたのを思い出した
ありがとうございます 当時何も知らず 毎週 プロレスを見て居ました 2024/04/30//tue. 00:08 am from Yokohama City Japan
素晴らしい動画、ありがとうございました! 大木さん、日プロ時代は優しそうな顔で一番好きでした。 日プロ崩壊あたりから、その言動から??となり。 但し猪木戦後の涙の抱擁は、私の最大のプロレス名シーンです。 その後の新日、全日での、最大限良く表現すると直情径行な、短気で怖い大木さんになると、私は完全にNGに…。 特に坂口との遺恨試合の怖さったら。 (試合後の「ワカラナイワカラナイ」とか怖い) 晩年、猪木さんが見舞っていたのを知り、安堵しました。 記憶に残るレスラーの一人です。
晩年の全日で、馬場さんや鶴田を相手に急所打ちばかりやってたヒールファイト、先生と敬愛していた力道山のインター王座の返還をNWAと全日から求められ泣いていた姿、最後の最後は敵対していた馬場さんとも雪解け、タッグを組み、殺伐としたしがらみからも開放され、楽しそうに試合していた後楽園が印象に残ってます。
ロマンさんと同世代で同じく、大木金太郎と云うプロレスラーの試合を直接観ていないので、貴重な創世記拝見出来ました。力道山をリスペクトしていて、頭突きを鍛えろと言われて鍛え上げたと聞いています。テーズのNWAタイトルに挑戦していたとは露知らずでした。しかもシュート仕掛けたとは、真意は不明でしょうが、猪木さんの様にゴッチに鍛え上げられたレスラーでなければと思う無謀さですね。とにかく頭突きのイメージが強いレスラーです。
大木金太郎一代記、非常に面白かったです。時代に翻弄されつつもそれに抗う姿勢にあの時代の人間の生命力を感じました。こういう皆が知っている割に詳しくは知らない往年の名レスラーの生涯はホントに興味深いです。よろしければマサ斎藤さんあたりも取り上げて欲しいです。
久しぶりに拝見しました。昭和プロレスは表層のエンタメと骨格の格闘技術のせめぎ合いの試行錯誤だけでも興味深いですが、巨大な政治・時代背景さえ透けて見えるのが魔力に繋がるのですね。アメリカの占領政策なしでは日本のプロレスは生まれてさえいなかったでしょうね。
一気に見させていただきました。知らない話も多く興味深かったです。
大木さんがアメリカ修行時代に、NWAチャンピオンだったルー・テーズ にシュートを仕掛け、返り討ちにあった、との話しは聞いていましたが、グレート東郷が絡んでいたとは知りませんでした。 後年、国際プロレスのブッカーだった東郷は、テーズの保持していた新設されたTWWAタイトルへの挑戦をエサに、日プロにいた大木を引き抜こうとした話しは実現しませんでしたが、見たかった気もします。
懐かしいし面白かったです。ありがとうございます。
日韓共に。プロレスの持つ影響力の大きさに驚かされます!復興の持つダイナミズムは、さぞ凄かったでしょうね!
何かもう出てくる名前がやばすぎる…
大木金太郎に興味がないこともあって初めて聞く話ばかり。とても興味深い内容でした。素晴らしい。
国際プロレス当時の大木選手の試合、結構好きでした😅
大木金太郎といえば、ブルート・ジム・バーナードの角材攻撃での耳削ぎ事件が、最初に頭に浮かびます。
@maruhiroya417
2 ай бұрын
猪木さんは唯一のインター王座戦でその古傷も攻め立ててましたね。(1975年3月@ソウル)
(似てない)に笑いましたw 昭和のプロレスはバックに壮大な時代背景があって、いろいろ紐解かないと真相が見えて来ないのが面白さの一つかなと思います。テーズが大木の車椅子を押すのもプロレスの魅力(魔力)かなと思ったり。
素晴らしい動画ですね イイね10個くらいあげたいですよ
大木、、昭和30年代生まれなので生で見ていますが、頭突きとキーロックだけの印象ですかね ボボブラジルとの頭突き合戦は見物でしたw しかしスポーツ興行というのは、いろいろ政治的側面があるのですね 知らない話も多く大変参考になりました
全日本での馬場対大木の試合はいくつかあったけど、一番印象に残っているのは、大木が馬場に急所打ちでフォール勝ちした試合。 試合後にアナウンサーから急所打ちではないのかと聞かれると、うめくように「ちがう!違う!」と叫んでいた。
@maruhiroya417
2 ай бұрын
78年チャンカンですね、75年10月@蔵前を叩かれた事への返答ブックだったと思います。
知らない話しがたくさんありました。勿論、日本プロレス時代の大木は生で見ています。アジアシングル&タッグの王者としてそこそこ人気はあったのですが、馬場、猪木、坂口に及ぶべくもなく…当時の在日の方の大変さも合わせ、波乱万丈、運命に翻弄されたプロレスラーだったのですね。哀愁を感じ感慨深いです。 貴重な動画ありがとうございます👍
ありがとうございます面白かったです! 個人的にはマーク・ルーインの名前が出たのが懐かしかった アナコンダ殺法で締め落とした後、コワモテなのに、ちゃんと喝入れて息吹き返してから帰っていくのが、 あ、この人いい人なんだなって、、w
55年前、子供のころ大阪府立体育館で日本プロレスのパンフ 持ってLテーズにサインをお願いしたら、無視され断られた。 馬場、猪木は全くファンの前に姿を見せず、車→試合→車だった。 遠藤幸吉がソファーに靴を乗せ、偉そうにしていたのを思い出す。 そんななか、大木選手やG小鹿選手はすごく優しくサインに応じてくれた。 私は小学4年だった。大木さん、小鹿さん、ありがとう。 孫ができても、その光景は忘れないし、今後も語っていきます。
面白かった
「俺は大木金太郎じゃねえ!キムイルだ!」小学四年生の頃こんなセリフを聞いて??でした。
崩壊前に新日本と合併することでNETが放送を継続してくれる提案もあったけど、それだとやはり自分がエースになれないって反対して、呆れた坂口が数名を引き連れて出て行ってしまった経緯があった。自分の華のなさを自覚していた坂口と嫉妬の塊の大木の違い。
更新は毎週金曜日の午後8時ですねッ! 😂😂🎉🎉🎉🎉
猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ 大野伴睦の名言
大木金太郎が短期間だが、国際プロレスに在籍してた時が有ったけど、余り印象残らなかった印象ですね! 国際プロレス時代の付き人が理不尽大将の故・冬木弘道なんだよなぁ!
@cubbi106
3 ай бұрын
必殺技「X固め」を公開したり結構密度の高い在籍でした。
@maruhiroya417
2 ай бұрын
冬木さんも在だったから付き人にされたらしいですね。
ボボブラジルとの頭突き合戦は、よく覚えている😅
@user-sy8ux3fj2s
2 ай бұрын
ブラジルの方が硬い!
@maruhiroya417
2 ай бұрын
頭突き合戦よりも凶器合戦のイメージ(1972年12月のインター戦) ブラジル最後の現役来日ではブッチャー軍で共闘。
4:55 トロイカとは3頭立ての馬車を指すロシア語由来なので、4人でトロイカ体制というのは誤りでは? 揚げ足取りで恐縮ですが、 一応、気になったので一言。
会社の今後について、トップレスラーと右翼の超大物が普通に会議をするなんて、昭和30年代とは何てデタラメな時代だったのだろうと感心してしまいます。。 逆に、現代の尺度では到底測れない魅力的な時代だったとも言えます。
テーズの大木戦での制裁は、幼少期に古本屋で見つけたジャイアント台風で読みました。テーズは当時既に48歳でNWA王者だった事に驚きますが、大木の仕掛けにしっかりとシュートで対応している事で実力を示していますね。しかし、大木の仕掛けは惨めな結果に終わりますが、命懸けで密航しプロレスラーになった彼の生き様を象徴していますね。
ああ、"華"って何なんでしょうねぇ…。
X字固めは小学生のゴッコで受けたが痛く無かった
半世紀前の蔵前での猪木対大木戦が、私が観た中で1番思い出深い試合です。猪木への蟠りを胸に、紆余曲折の中で辿り着いた猪木戦。猪木は此れ迄の無礼な挑発に怒りが頂点の中、試合前のチェックの隙を付いて、猪木の✊が火を吹き顎への一撃。同月のゴング誌には歯が数本吹き飛んたとの事。然し、公約通り勝っても負けても頭突き1本の如く乱れ打ち。猪木の額の瘤が割れ鮮血を流す中、怯まずに額を突き出す燃える闘魂。そして、トドメを掛ける様な1本足を上げた体勢へ、猪木の✊が顎を打抜き電光石火のBACKDROPでの激勝。そして、両雄が向かい合う中、レフリーの豊登が「決着が付いたんだから握手でもしたらっ」その言葉に猪木は吹っ切れた様に、大木に対し深々と頭を下げ「どうも、済みませんでしたっ」その顔から涙が流れ、抑える様に天を仰ぐ姿に、大木も又、過去の蟠りなど消え去り号泣し抱き合う両雄。超満員の観衆からの万雷の拍手は鳴り止まぬ程でした。当時の私は中学2年で、人生で最も感動を受けた日でした。残念ながらご両人は既に天空の☆彡に成りましたが、私の心には永遠にあの頃の様に生きてます。🤗❕
@maruhiroya417
2 ай бұрын
皮肉にも猪木さんが大木さんに勝ったのはコレだけでしたね、因みに大木さんは猪木さんのデビュー戦がプロレス入り初勝利だったそうです。
@user-pe9jg4jq2v
26 күн бұрын
とても良いご年齢で観戦されましたね。やはり思春期に感動すると一生忘れませんよね。自分は中1でした。
わたしの友人で、50代の韓国人女性がいます。 彼女にプロレスの話をしたとき、プロレスのことは何もわからないが、大木選手の名前は知っていると言っていました。 大木選手は、あちらでは、大きな名前ということですね。
韓国人つまり外国人である大木氏は、アントンを日系ブラジル人と思い込んで良くしていたらしいと昔のプロレス本で読みましたよ。あてには ならないかな?
「世界統一戦」的なリーグ戦開催 まさに IWGP構想ですね
自分のプロレス下手を理解せず、不世出の英雄、力道山を襲名しようなどと本気で考えたのだろうか? 驚きます。
4人体制なら、トロイカとは言わないのでは。!?
自分的には韓流繋がりで「早過ぎた日プロ版長州」だと思ってます。 まぁ、ブーメラン言動が多かったのは仇でしたね。
猪木が居なければ馬場の下のポジションだったのか 力道山は馬場は特別扱いで猪木はシゴク 大木は同郷だしな でも正直大木は華がなかった その後は坂口にも抜かれる でも日プロを最後までなんとかしようとしたのは大木 後年馬場も猪木も力道山にいい思いがなかったと語っていたが、大木は最後まで力道山先生と慕っていた 大木のブッチャーやブラジルとの頭突き合戦は面白かったがな 一本足頭突きも説得力がありかっこよかったよ
現在では、大木の「原爆頭突き」はNGですね。 「一本足頭突き」はもちろんセーフ。
@user-zq5or3ot4p
2 ай бұрын
ガウンがHIROSHIMA
@user-pe9jg4jq2v
26 күн бұрын
@@user-zq5or3ot4p そして背中にはキノコ雲が描かれていた。当時何の違和感もなく観戦していたプロレスファン。
町井氏の率いたのは「東声会」でしょ❗😅
大木はプロレスが上手くなかった。頭突きだけのレスラーだからね。
小学生の頃のプロレスごっこでは、馬場のチョップとか猪木の卍固めとか何も効いた感じがなかったけど、大木の頭突きのまねは痛かった。
ナゼ猪木の筆下ろしを大木が世話したエピソードを紹介しない?
誰に焚き付けられたのですかね?金さん?
@user-hl9pq7tokusoutai
3 ай бұрын
朴正熙だよ❗
残酷な天使のテーズwwww🤣🔥💪