【ゆっくり解説】山を愛する登山女子が突如消えた事故【1953年烏帽子岳遭難事故】
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山の遭難事故、心理について解説しています。
今回は1953年烏帽子岳遭難事故です。
ゆっくりによるドキュメンタリー形式でお送りしています。
この事故は事実を元に、春日俊吉様が執筆した遭難事故から引用しております。
※正確に、詳細に、事故を解説する動画ではありません。誤り、推測がある場合があります。
※動画の流れ上、一部説明をはぶくこともあります。
※セリフは一部創作されています。
Пікірлер: 60
「山ガール」とか、マスコミも 他の流行りと同じ様に扱うのはやめて欲しい (本件の女性へのdisりでは無いです) 登山に必要なのはオシャレ要素じゃないんだから 危険性と事故を防止する備え等も 併せて伝えて欲しい
1964年の富士山レーターの設置まで台風の位置さえ確実では無かった為 1954年の洞爺丸事故等、普通に台風で数百人、数千人単位で死者が出ていた 死者や被害が激減したのは最近の事です
@Kaito5327
10 ай бұрын
多くの尊い犠牲者と先人の艱難辛苦に合掌(涙)
うーむ 山途中でさようならと 交わした挨拶が最後の言葉となるのが 非常に残念です
戦後第一次登山ブ-ムだよね。オシャレセレブリテースポーツのイメージがあって、だから今の80前半70台の登山人口が多いの。お兄さんお姉さん達を見て憧れてた世代だったんだね。
70年まえか、、。生きていれば90歳を超えているね。もったいない。
以前にも遭難している時点で、この人は危険なところに行き過ぎだし、 悪天候は回避したほうがいいし、山行の日程もきつすぎる ギリギリを攻める悪癖が武勇伝になり、お涙頂戴の話になるようでは教訓は得られない
地図はちゃんと 北上 に表示して下さい
気象観測も登山用装備も 何もかも現在とは比較に ならない時代。敬意と哀悼の 念しか湧きません。
こういう登山家がなくなるのは悲しくざんねんですね。 慰霊碑が建立されたことはせめてもの救いになばと、ご冥福をお祈りいたします。
とにかく、日本付近に台風🌀がうろちょろしている時期は辞めた方がいいってことだな、屋外活動は。
せめて見つかって欲しかった----
無理に川を渡ろうとして流されたのでは?
おいらが高校一年の頃まだキスリングだったな〜😅 空ザックだけでさえ重く、濡れると更に重くなるんです☝️
不運としか・・・
897hPaって言ったら風速50m近くはあるでしょ。 そんな雨風が吹き荒れる状況の山で逆にれんはよく無事に下山できたなと思う(`A`)
ご遺体、流されちゃったのでしょうか…。 この年は西日本水害、紀州大水害 、南山城水害、台風13号と水害の多かった年なんですよね…。
家に兄が使ってた黄土色の帆布製のザックがありました。空でも凄く重かったです。
1982年に 朝日連峰で台風🌀10号の直撃を受けました。テントは谷底行き 避難小屋に移動。 1981年南アルプスでは雷が下から来た。 1980年夕立ちの後、あっという間に鉄砲水が来て、ビールやスイカ🍉が流された。 農鳥岳から大門沢小屋は案外長いよな〜 吹雪に消えた登山サークル3人。 鉄砲水に流された夫婦。 マカルーの疲労凍死。 熱中症。転落、滑落。 合わせて9人の葬式に出た。 そんな私も結婚前に山をやめた。
昔は装備がかなり劣悪だったんだなあ😰
@hiroyamaguchi7304
10 ай бұрын
ゲートル巻いて靴下との間に鷹の爪を入れましたよ、凍傷予防に。鷹の爪って分かりますよね、でかい唐辛子。直接肌に触れていると火ぶくれになってしまう。満洲にいた頃は体感温度は南極並みになる極寒でね、ちょっと遠くまで歩く時はやっぱり鷹の爪を入れていましたね。
@CitronCoffee
10 ай бұрын
当時の登山は余裕のある人だけの趣味でしたから、それでも道具は当時としては高価で立派なものだったのでは。 杖一本と草鞋で山の中を駆け回っていた修験道の行者などはどれほど凄い体をしていたのでしょうね。
@hassiymt
9 ай бұрын
50年前の装備でなんて絶対に登りたくない 吸水性の高い綿製のザックと衣類なんて濡れたら低体温症まで一直線だよ
@user-ju7qb3bw2r
5 ай бұрын
今でも、死んでいる.冬山は、危険だらけ‼️何故いくのか❓わからない❓何故危険だらけの山に、行き事故に飛び込むのか、わからない❓
近畿から濃尾にかけて大きな被害が出た台風なので、長野の南西部でも山中なら少なからず影響を受けただろうな 遺体も見つからないままとは気の毒だ
死が隣合わせの趣味だと思って臨んでもらいたい。 ある程度の予測はできるけど、地震や台風、地表や川の氾濫などは完全に観測できるものではないです。ドドドド田舎出身だからこそわかる、山は魅力的かもしれませんが怖いところです。
@CitronCoffee
10 ай бұрын
確かに、海や山でのや、自然を相手するアクティビティは、常に死の可能性が高めですね。 みんなチャレンジして、一定確率で死んでいく。 だからこそ魅力的なのかも。
体調不良なのに烏帽子岳に見送りってあり得ないなあ。体調不良者を気遣ってれんも一緒に2人で下山していれば良かった😥。
烏帽子岳まで行かずに三伏峠小屋でお別れでは駄目だったのかな? 烏帽子岳を往復した分下山が遅れたのではないでしょうか?
ついに神に見放された女性登山家。 想像するだけでもつらい話です・・・
山を愛し山へ還る。 登山家としては、本望だったのだろうか?
第一次登山⛰️ブーム の次の70年代 二時ブームは 何となく覚えてます!! 娘さぁーん♪ よぉ〜くぅ♯きぃーけよぉ♭ って歌🎤で 加山雄三さん!が 山岳部の映画🎬してたかな??と… 体調不良が出たら 必ず付き添いする!!ですかね😅 どんな方も 体調悪い時ある 残念😢ですね。
前日に3000メートル峰の連登はいくら登山好きでも無謀。生まれる前の出来事ですがご冥福をお祈りします。
いつもありがとうございます。 13:18 ここからエピローグ的な感じでいつも使われるBGMの曲名が知りたいです!
@yukkuriyama
10 ай бұрын
甘茶の音楽工房さんの「青い空を見ていた」です!
戦後のダメージからも回復しきれていない状況、登山のセオリーや必要な装備品などの常識は不十分だったろうし、仮に最善の装備の知識があったとしても 戦後の一般家庭では準備することも難しいものもあったかもしれませんな。 ただ、いくら若いとは言え連日の登山計画は無謀。尊敬を集めていたことで、無意識的に多くの山を登ろうと無茶をしていた可能性も・・・ 同行者も、彼女の体調不良時に一緒に下山していたらと大いに悔やんだ事でしょう。もっと早く単独行を断念するほどに天気がおかしくなっていればあるいは・・・
GOOD👍
小さなヨット⛵️が、いきなり暴風雨に遭遇したようなものだ❗️しかも、大海原で!運がなかったとしか言いようがないね!ご冥福を祈るだけだよね。
玄倉山(くろくらやま)かな?
山の魅力は そうなった人にしか分からない世界だけど 命がけの趣味ですね 出来れば 出会わない方が いいかも?
これら登山シリーズ、涙なくしては語れない。
なぜか呼び捨ての さなえ
@Seaza_Sr1
10 ай бұрын
1.25倍速で見てるから呼び捨ての方が聞きやすいよ
発見されたセ−タ−などその他考えると???何故そんなに沢山遺留品発見されているのに??熊?別の男登山者に殺された?とかないのか?デニム迄発見だとどう考えても裸になってる?としか思えないが?身体のみ見つからなかったのが不思議だ!!警察はどのような判断したのか知りたいわ!
@user-vp5si5jd3s
10 ай бұрын
人は山で冷えると表面温度と体内温度の誤差が生じて(皮膚は冷たいが内臓は暖かい)とても暑く感じるそうです。 なので、無意識に服を脱いでしまうらしく、凍死や行方不明など寒い時に遭難した方は裸になっている時がある。と学生時代の山登りをする担任教師が言っていました。
@user-dr8xo2fe5z
10 ай бұрын
それ知ってましたが、何かひっかかるのですよ🤔
@pino623
8 ай бұрын
矛盾脱衣の可能性はあると思います。 でも先程こちらで拝聴した、 登山女性が暴行された事件を見ると 犯罪に巻き込まれた可能性もあるかと😢
漫画の身体大きすぎ、もうちょい小柄に描いた方が可愛いぞ❤
いや、服の襟首に自分の名前書く大人いる?笑
@nishiki3244
10 ай бұрын
終戦直後という相当な昔だぞ・・・というか、未だにスーツにイニシャルを入れるような選択肢がある以上、 ラフな服の襟首に名前を書く習慣は普通にあったんじゃないかね。衣服も貴重な物資だったろうし。
@kakeruyamato4364
10 ай бұрын
グループホームとかだと入居者の私物区別のために名前書くのは普通。 それだけでなく集団生活環境だと私物区別は必須。戦時中は軍服にも名前書いてたくらいだよ。
@user-ft7gf5cv7s
10 ай бұрын
山小屋に宿泊して服を乾かす時に盗難を防ぐ、他の利用者との取り間違えを防ぐなど……当時はそんなに服のブランドというかメーカーが無いから、服装が同じだったり似通うケースはあった。
@help100jp
10 ай бұрын
ダウンタウン松本の父親 白ブリーフにおとうさんて書いてたらしいよ 1970年ぐらいだろう
@am-zo2ph
10 ай бұрын
何年前の話だと思ってんだよ