【ゆっくり解説】高校生が大活躍!行く先々で人助け【1959年奥秩父遭難事故】
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山の遭難事故、心理について解説しています。
今回は1959年奥秩父遭難事故です。
ゆっくりによるドキュメンタリー形式でお送りしています。
この事故は事実を元に、春日俊吉様が執筆した遭難事故から引用しております。
※正確に、詳細に、事故を解説する動画ではありません。誤り、推測がある場合があります。
※動画の流れ上、一部説明をはぶくこともあります。
※セリフは一部創作されています。
Пікірлер: 67
助けたいって気持ちが連鎖していく感じがいい。助けられた4人組も頑張ったよね。
きめぇまるの人前日に深夜から朝まで眠れてなくて、翌日も途中で小屋が壊れてよく眠れなかっただろうに 次の日動き続けて更に救助を呼びに夜の雪山を下山するって体力どうなってんだ。人の為に行動することも凄いし超人か!?
高校生、強者としてこの世に生を受けたスーバーマンか。
メモが風で飛んだのかもかなってところ好きだな。解説に優しさがある。
きめぇ丸がヒーローな動画は稀だからちょっと嬉しい
@user-bp7iy5pf3l
5 ай бұрын
きめ丸大好き🍀😌🍀
善意のリレーで素晴らしかった。今回は、まるで映画を見ているようでした。 てか映画化して欲しいような内容だったなぁ。
思うに。 この高校生は普段からこの山を登り慣れていて、自分の体力の限界や力量の加減を知って居たのではなかろうか? 山をある程度知って居て、カツ自分の体力を鑑みて、其れ程の困難なく下山出来るって予想しての行動じゃないのかな。 山登りをしていてコンパスを常時携帯する用心深さのある性格だとすると、そこら辺の事を考えられても疑問は無い様に思われる。 単なる使命感に駆られてってだけではなく、無事やりおおせる自信もあったのではなかろうか。
昭和30年代だよな。田舎でもどこでも高校生というのは今のような子供ではなかった。高校へ進学しない子が全く珍しくない頃だ。あの辺の地元の子で登山が趣味の高校生なら裕福な家で、当時としては良い装備も揃えていただろうし、今の大学出たてよりは精神的に大人だったろう。
父親がきめぇ丸と近い年齢の山梨県民だけど、山梨はど田舎だからこそ、高校生でも体力は半端なかったよ。うちの父も実家が奥秩父に近い山の中だったから、毎日往復で3時間、学校に通うのに山道を歩いてたらしいから。当時は 毎年恒例の全校生徒強制参加100キロマラソンもあったとか。山梨県の公立高校はどこもやってたとか。山梨県民の救助隊の体力が半端ないのもそのせいかも。 それにしても山梨で10月にこんな猛吹雪とは、本当に100年に一度ぐらいだったのかも。山梨は富士山以外はアルプスや飛騨が日本海側にあるから、山の上でも長野に比べたら降雪量は多くないんだ。
@user-tm9nl8xh1m
10 ай бұрын
100キロマラソンとか無理です😂 お父様も含めて昔の学生凄すぎますね。
@user-wm1hj6ss9w
10 ай бұрын
@@user-tm9nl8xh1mですよね😂でも女子は50キロだったらしいです。うちの父は大月近くの高校だったので、ゴールは東京日本橋で、ひたすら20号線を走ったらしいです😅
@sai-qm5cv
10 ай бұрын
昔の方は本当に体力凄いですよね。
@user-jk9en3ey5o
10 ай бұрын
山梨県出身で、とんでもない体力の持ち主というと、往年の最強プロレスラー・ジャンボ鶴田を思い出す。
@zenith0120
10 ай бұрын
間違い無く甲州武田氏の魂が受け継がれてますね…
きめぇまるはダメな役が多いのに、今回はカッコ良くてとてもよかった。 この山域で、10月中旬でも大雪が降るなんて想定外だったんでしょうね。自分も気を付けます。
きめぇまるが知識と技術の伴った超人且つ運が良かったから起きた奇跡であって、 これに憧れて自分の力量以上の行動をするとそれこそ二次災害に繋がる危険性はある
この話は考えられるな…。 私今高校一年生なんだけど、ちゃんとこういうの見習う必要があるな…
@sai-qm5cv
10 ай бұрын
特別なことができなくてもいい、困ってる人の助けになることを考えて動けば素晴らしいと思いますよ。
@yamaruma9984
8 ай бұрын
二次遭難の危険もあるので、自分の実力とか体力をよく考えた上でやれることができれば良いと思います。無理して遭難者が増えたら誰も救われない‥
いきなり冒頭のきめぇ丸のポーズワロタ しかし度胸と技術が揃った頼もしいきめぇ丸だったね
今回のきめぇまる、とってもかっこよかった(⸝⸝⸝ᵒ̴̶̷ - ᵒ̴̶̷⸝⸝⸝)✨ 悲しい事も起きてしまったけれど、皆が出来る事をして助けようと行動する姿は尊敬に値します。
きめぇ丸の絵に描いたようなヒーローっぷりと それに感化されたレミリアの勇ましい行動に感動したわ(`A`)
コンパス持ってないことを咎めることもせず元気づけるのか。聖人か 行く先々で人助け・・・裏を返すとそれだけ遭難が多発するような状況にあったということですね
1959というと地図は5万分の一の地形図が主で、読図には要領が必要だった。1970頃になると2.5万分の一の地図が普及して随分と読み取りやすくなった。まあ画期的だったわな。道路図も「わらじや」が主で、ややこしい交差点の説明の入った「昭文社」が伸(の)してくる交代の時代であった。山地図も少し前は昭文社一点張りであったのが現在はヤマップのアプリケーションである。2.5万の地図で人差し指で2kmだと測っていると、向かいの席の老人が「ちょちょ、なにやってんの」だとか驚かせてしまうことがあった。5kmに見えたらしい。2kmは1時間の行動かどうかって所で大事な距離である。山の直線5kmは3時間以上の半日行程である。
推しメンきめぇ丸の学ランというお宝コスから始まり、珍しくヒーローになって嬉しい😊きめぇ丸とレンたちの行動がレミリア達に良い影響を与えたところに感動しました。自分もいつも人のために行動できるよう頑張ります! 亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
きめぇ丸がヒーロー過ぎる。最高にかっこいいです。
同行の学生を置き去りにした伊藤達夫とは大違い
飯場(めしじょうでは無く、〇はんば)と呼び。山中の 工事現場の拠点をその様に呼ぶ様です。(仕事も事務も飲食も寝起きもする、現場拠点の掘っ立て小屋の事)
困ったらスマホで一発ヘリタク呼び出しって時代じゃないから、救助を要請するだけも命懸けだ。
@yamaruma9984
8 ай бұрын
まぁ今でもヘリは強風や吹雪の中は飛べないですが、携帯連絡ができる(圏外でなければ‥)時代とは大きく違いますね‥装備も段違いだし‥
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。 今までに見たうちで一番カッコいいきめえ丸…
何、この高校生イケメン
昔の話とは言え凄い子だな 頑張り過ぎだよ 親は誇っていいよ
今回のきめぇ丸は凄く格好良いな❤
きめえ丸かっこいい役で痺れた❗️
8月の終わりに金峰山や国師岳に登ったけど、下界は35度とかの猛暑なのに、上界は14度とかの激寒むだった。まあ、昼間はおそら二十何度あっただろうけど、深夜から明け方にかけてが冷え込む。寝袋、長袖長ズボン、マフラー、ヒートテックでも寒かった。
きめちゃん、かわゆい😮
紅葉を見に行くつもりで吹雪に遭うなんて自然の気まぐれには人間はなんて無力なんだ(涙)
この話は存知ておりませんでした。 1959年だとハンディ無線機どころかラジオもまだ大きい。 持っていくには重い この高校生はすごい体力だし行動力だしスーパーヒーロー。 その後が気になります、御存命でこの動画を観ていて欲しいです。
カッコ良すぎぃ!
ご存命でも80歳前後の方だろう。まさかご自分がここで「キメイ〇」にされているとは思っていないだろう😂
「奥秩父山塊」のことを「奥秩父」と呼ぶのは誤解を招く。
きめぇ丸、かっけー!
すげぇな。 ヒーローやん。
この頃まだ気象予報の精度は低いもんな
最近きめぇ丸に、はまって しまいました😊
台風+寒波での悪天候は遭難動画でよく見るね。 今は風の強さまで予測できるけど、当時は台風の進路すらまともに予測できない頃。 それだけ悪天候時の対応力や対応できる体力が必要だったんだろうと思った。
きめぇまる、彼がのちのあの三歩なのであーる
60年前の日本の方が救助体制しっかりしてたように思えてしまうな
脳って凍るんだ…
リアルサンポさんじゃない。惚れるわ〜
ちょっと違うけど三歩思い出した
4グループも遭難したということは きめぇまるも含めて 出発前の天気予報でも携帯ラジオでも 情報入手は不可能な時代だった、 ということなんですね。 携帯ラジオすら存在してないか、 あったとしても 誰もが持てるようなものではなかった、と。
きめぇ丸がカッコよかった。
きめぇ丸がカッコいいだと?
RPGの主人公
山の神の化身か何かかよ・・・
イヤ~ン着替え中です〜
こんなきめえまる、きめえまるじゃねえ😅
コンパスと地図持ってたって、使える奴は20%いないだろ
パワーだな
リアル天狗の可能性
死ぬ奴は死ぬ。 それでは失礼致します。😮😮😮😮