このチャンネルは、三度の飯より江戸時代が大好な江戸マニアの「パピルス」が運営をしております。学校では絶対に習わない、江戸の人たちの信じられないような面白エピソードや、とっておきのネタを紹介していますので、興味のある方はぜひチャンネル登録をお願いいたします。
スケベで立場上避妊概念が全く無いから 要は平和ボケ 子沢山になれば財政圧迫してくのは当たり前。薩摩、長州みたいな徳川に対する恨みは消えてなくて倒幕に向かうきっかけ。今なら幕府打倒の好機となり、家斉は全くの無能。徳川埋蔵金と後に言われた倉に眠る金も家斉が使い果たしたのでは… 金があれば慶喜ももっと頑張れたはずかなと。 幕府存亡危機にわざわざ金を赤城高原に隠すわけない。
組織の論理は令和の時代にも色濃く存在している
名字がない社会は珍しくない。 アイヌモシリ(今の北海道や樺太、千島列島)のアイヌには、本来は名字がなかった。 出島のオランダ人は、蘭印のジャワ島のバタビアからやってきたが、ジャワ島の先住民であるジャワ人の社会には、名字がない。(スカルノやスハルトなどのように。)
現代のニート。 上級武士はもっと暇だったに違ぇねぇ。
大蔵省の接待は「ノーパン喫茶」ではなく、「ノーパンしゃぶしゃぶ」です。もっとタチが悪い。
刀に触れてはいけないので、人を追い抜く時は右側を通るという伝統は現在も残って、東京ではエスカレーターの右側をあけます。
個人的な見解ですが 日本人の識字率が高いのは江戸時代とか寺子屋かどうかというより、 もっと昔の奈良平安戦国時代の 高貴な身分の人が流刑として運良く指定の地域にたどり着いたことか理由なのかな?って思いました。 高貴な人の流刑は実質し刑(途中で山賊とかにアレされるから)ですが運良く流刑先にたどり着けば上げ膳据え膳めっちゃ尊敬されたし学問なども教えたから、 「生活において文字がある」という根本的な概念を広めたのは身分ある人が流刑になったからかなーって。
中間と言う職業?の話を聞いてみたいです。
女を盾にするレディーファーストより良いですね。鞘当て回避の左側通行は世界共通ですね。
これも江戸時代の武士のマナーかどうか記憶が曖昧だが、訪問先で相手(特に目上)からの酒を盃で受けるときは頭を下げながら盃を自分の頭の前に差し出した。なぜなら顔の前に差し出すと注いだ酒を目潰しにかけられる恐れがあったからである。
タカラヅカ
なるほど~面白かったです。
うp主さん、もう少しで登録者一万人🎉ですね!先んじてお祝い申し上げます❗️
ありがとうございます^^
「ムカついたから斬る」が割と普通にに罷り通る者同士で穏当に事を運ぶには、何に対してムカつくのかの正解を示す必要があったんですね。
江戸時代の農民の方々は、武士達を「面倒で堅苦しい事してるなぁ〜」とでも、思いながらみてたのでしょうか? 江戸時代のイメージが正しい方へと、どんどん変わってきてますww
農民や長屋の八っつぁん熊さんたちは、武士にくらべると、だいぶ呑気な暮らしぶりだったと思います^^
今も昔も風俗の客引きは苛烈ですね
作法多すぎ!!!これじゃ近代化なんて出来ませんね、 やはり明治維新で武家社会を壊すことは必要だったのでしょうか?
武家の作法はちょっと堅苦しすぎる感はありますが、そもそもが荒っぽい「もののふ」であった武士が太平の世に平穏に暮らし、秩序維持の役割を果たすために儒教の仁義とともに礼儀作法が必要だったのでしょう。 そう考えると、家康は仁義の観念と礼儀作法で猛禽を鳥かごに押し込め手乗り文鳥にして太平の世を継続させたとも言えますね。
武とは礼節。現代人には足りない素養だと思う。
もう30年以上前になるけど、うちの大学の某体育会でも、4回生に対する1〜3回生の挨拶の方法が各学年ごとに違っていた所があった。 その体育会に入っていた同級生は先輩達と遭遇する度にダッシュで先輩の横(距離や角度まで厳格に決まっていたらしいw)へ駆け寄って喚き声みたいな挨拶していたし、一度は挨拶の仕方間違えたとかで先輩から蹴り入れられているのも見たことあるわw
うちの大学でもそうだったけど、たまにそれが緩くなる奴らがいて後で聞いたら付き合ってやがった。
ごく少数の特権階級と平時でありながら殺傷武器を常に持ち歩く、特殊な状況をスムーズに回すためのルールですね。これがなければ、多分日常茶飯事で殺し合いが起きてたでしょう。文化が発展するにあたり、発達してきたものだと思います。
くだらん。実にくだらん。日本社会の堅苦しさは異常。
ほんそれ。儒教とか言う邪教が諸悪の根源だけど、そんなもんを広めた徳川幕府も同罪。
今は江戸時代ではありませんが? 脳内江戸時代でお過ごしですか?
貴殿と同じ考えの人たちが「一君万民」の思想にたどり着き、「天皇の前では将軍も足軽も同等だ」と身分の平等を求め明治維新を起こしました。 土佐の「天保庄屋同盟」でも「庄屋は天皇の直臣で武士の下ではない」としています。
8:56 丹下作善は苦労したんでしょうね。
右に差してますよね。鞘を口で咥えて抜刀するシーンかっこいいです。
@@user-mp3cr5gb2lさま 丹波哲郎さんのみ、左手の殺陣が上手く出来なかったので、右手で立ち回り。「丹下右膳」です。
今回も興味深いお話 ありがとうございました😊
いつもありがとうございます。
今回もお酒のツマミに、なりました😊
江戸(東京)から大阪まで、わずか2日半って、 今の郵便より早いからびっくり! 土曜日に送って、月曜日あたりに届くことは、 江戸時代と令和時代は、あまりか変わらないとは驚きです。 (うちの場合は土曜日に送ったら、火曜日か水曜日に届きます。速達は別ですが・・・) 早駕籠に乗っている人も、命がけですね。 (忠臣蔵の話は、学校は習いませんでしたが、時代劇や歴史小説で知りました)
今の役人も三菱三井にそう強い事言えんでしょ
インドア派で修学旅行すらずる休みした私からしたら全く共感出来ない。
今回も実に興味深く面白かったです。ありがとうございました。
こちらこそ、いつもご視聴ありがとうございます。
青春18切符の日帰り旅行だと、早朝の始発で出て夜遅い終電で帰ります(自分の場合) 江戸の武士の日帰り旅行みたいです。
私の友人で、群馬から青森までバイクで日帰りをした強者がいます(汗)
まさかこのチャンネルでノーパン喫茶の単語が出てくるとはwwwwwwwwww 👍
出張にかこつけた、旅行だと聞いてるし、信仰とか、病気療養と名乗る、温泉に勤しんでたのね。
ヒゲを法令で禁止ってヒゲは野蛮な文化だとヒゲ税取ったピョートル大帝と似た様な事してたんだな。
そりゃ明治時代になって地租改正で税金が現金納付になった時に一揆が多発した訳だわな。
お勉強になりました(*^^*ゞ
自然に出来てる内容が改めて理屈でみると混乱するのは違うものなのだろうか?
中世ヨーロッパ人も140〜150センチ台だった様ですね。
浪人生活、大変だけど、自由そうで面白そう…
明治維新を待つまでもなく、身分制度は崩れてきてたんですね
まぁ……… このくらい 厚顔無恥でフテブテしくなければ、金貸しなんて出来ないのかも知れない。
利息取ったほうが儲かるんでは?
クソ商人と言いたいが、身分制のある中では町人も命懸けだから仕方ないかも知れない。
こけ脅しも全く効かず、屋敷で泣く泣く切腹した勝手役がいる一方で、返済不可能とも思われる500万両もの借金を、その証文を燃やした上、無利子で250年分割返済を認めさせた薩摩藩の調所広郷は何枚も上手だったんだな。
士農工商の順で貧乏だったらしい。
人から金を借りるのに頭を下げない武士のがおかしいだろ 社会的地位や上司部下の関係であっても、誰かからお金を借りるときは頭を下げるもんだよ
そもそも家康が学問を重視し、学問にあっては身分を問わなかったこと、学問的議論を弾圧してはいけないとしたことも江戸時代の識字率向上や西洋数学物理の基礎知識の受容につながっていると思います。 それゆえ蒸気機関や電信に最初は圧倒されても原理が理解できたのでしょう。 電信については、平賀源内も試作した蓄電池やエレキテルと同様の原理で既に得ていた知識の発展応用にすぎないと幕末の識者やからくり職人は気づき、ライフル銃と弾薬カートリッジを見て鉄砲鍛冶は原理をすぐに理解できたのだろうと思います。
「 上から目線の物言い 」と云えば、財務省の官僚を呼びつけて、怒鳴りつけた立憲民主党の杉尾秀哉議員や、同僚の小西洋之議員を思い出すな…… ( ̄▽ ̄)
幕末には武士が商人に頭を下げてまで、お金を借りに行った話は聞いた事ありました。 町人もしたたかですね。こんな時代だからこそ、武士ならぬ国家権力に舐められないように江戸時代の町人を見習いたいものです。
町人も棄捐令でひどい目にあっていますから、強気になるのも仕方のないことですね。
武士が二日酔いでツライなんて言う日記もあった。
忠臣蔵も。赤穂藩がある程度は、お金を返してくれたので。美化して書かれました。
Пікірлер
スケベで立場上避妊概念が全く無いから 要は平和ボケ 子沢山になれば財政圧迫してくのは当たり前。薩摩、長州みたいな徳川に対する恨みは消えてなくて倒幕に向かうきっかけ。今なら幕府打倒の好機となり、家斉は全くの無能。徳川埋蔵金と後に言われた倉に眠る金も家斉が使い果たしたのでは… 金があれば慶喜ももっと頑張れたはずかなと。 幕府存亡危機にわざわざ金を赤城高原に隠すわけない。
組織の論理は令和の時代にも色濃く存在している
名字がない社会は珍しくない。 アイヌモシリ(今の北海道や樺太、千島列島)のアイヌには、本来は名字がなかった。 出島のオランダ人は、蘭印のジャワ島のバタビアからやってきたが、ジャワ島の先住民であるジャワ人の社会には、名字がない。(スカルノやスハルトなどのように。)
現代のニート。 上級武士はもっと暇だったに違ぇねぇ。
大蔵省の接待は「ノーパン喫茶」ではなく、「ノーパンしゃぶしゃぶ」です。もっとタチが悪い。
刀に触れてはいけないので、人を追い抜く時は右側を通るという伝統は現在も残って、東京ではエスカレーターの右側をあけます。
個人的な見解ですが 日本人の識字率が高いのは江戸時代とか寺子屋かどうかというより、 もっと昔の奈良平安戦国時代の 高貴な身分の人が流刑として運良く指定の地域にたどり着いたことか理由なのかな?って思いました。 高貴な人の流刑は実質し刑(途中で山賊とかにアレされるから)ですが運良く流刑先にたどり着けば上げ膳据え膳めっちゃ尊敬されたし学問なども教えたから、 「生活において文字がある」という根本的な概念を広めたのは身分ある人が流刑になったからかなーって。
中間と言う職業?の話を聞いてみたいです。
女を盾にするレディーファーストより良いですね。鞘当て回避の左側通行は世界共通ですね。
これも江戸時代の武士のマナーかどうか記憶が曖昧だが、訪問先で相手(特に目上)からの酒を盃で受けるときは頭を下げながら盃を自分の頭の前に差し出した。なぜなら顔の前に差し出すと注いだ酒を目潰しにかけられる恐れがあったからである。
タカラヅカ
なるほど~面白かったです。
うp主さん、もう少しで登録者一万人🎉ですね!先んじてお祝い申し上げます❗️
ありがとうございます^^
「ムカついたから斬る」が割と普通にに罷り通る者同士で穏当に事を運ぶには、何に対してムカつくのかの正解を示す必要があったんですね。
江戸時代の農民の方々は、武士達を「面倒で堅苦しい事してるなぁ〜」とでも、思いながらみてたのでしょうか? 江戸時代のイメージが正しい方へと、どんどん変わってきてますww
農民や長屋の八っつぁん熊さんたちは、武士にくらべると、だいぶ呑気な暮らしぶりだったと思います^^
今も昔も風俗の客引きは苛烈ですね
作法多すぎ!!!これじゃ近代化なんて出来ませんね、 やはり明治維新で武家社会を壊すことは必要だったのでしょうか?
武家の作法はちょっと堅苦しすぎる感はありますが、そもそもが荒っぽい「もののふ」であった武士が太平の世に平穏に暮らし、秩序維持の役割を果たすために儒教の仁義とともに礼儀作法が必要だったのでしょう。 そう考えると、家康は仁義の観念と礼儀作法で猛禽を鳥かごに押し込め手乗り文鳥にして太平の世を継続させたとも言えますね。
武とは礼節。現代人には足りない素養だと思う。
もう30年以上前になるけど、うちの大学の某体育会でも、4回生に対する1〜3回生の挨拶の方法が各学年ごとに違っていた所があった。 その体育会に入っていた同級生は先輩達と遭遇する度にダッシュで先輩の横(距離や角度まで厳格に決まっていたらしいw)へ駆け寄って喚き声みたいな挨拶していたし、一度は挨拶の仕方間違えたとかで先輩から蹴り入れられているのも見たことあるわw
うちの大学でもそうだったけど、たまにそれが緩くなる奴らがいて後で聞いたら付き合ってやがった。
ごく少数の特権階級と平時でありながら殺傷武器を常に持ち歩く、特殊な状況をスムーズに回すためのルールですね。これがなければ、多分日常茶飯事で殺し合いが起きてたでしょう。文化が発展するにあたり、発達してきたものだと思います。
くだらん。実にくだらん。日本社会の堅苦しさは異常。
ほんそれ。儒教とか言う邪教が諸悪の根源だけど、そんなもんを広めた徳川幕府も同罪。
今は江戸時代ではありませんが? 脳内江戸時代でお過ごしですか?
貴殿と同じ考えの人たちが「一君万民」の思想にたどり着き、「天皇の前では将軍も足軽も同等だ」と身分の平等を求め明治維新を起こしました。 土佐の「天保庄屋同盟」でも「庄屋は天皇の直臣で武士の下ではない」としています。
8:56 丹下作善は苦労したんでしょうね。
右に差してますよね。鞘を口で咥えて抜刀するシーンかっこいいです。
@@user-mp3cr5gb2lさま 丹波哲郎さんのみ、左手の殺陣が上手く出来なかったので、右手で立ち回り。「丹下右膳」です。
今回も興味深いお話 ありがとうございました😊
いつもありがとうございます。
今回もお酒のツマミに、なりました😊
江戸(東京)から大阪まで、わずか2日半って、 今の郵便より早いからびっくり! 土曜日に送って、月曜日あたりに届くことは、 江戸時代と令和時代は、あまりか変わらないとは驚きです。 (うちの場合は土曜日に送ったら、火曜日か水曜日に届きます。速達は別ですが・・・) 早駕籠に乗っている人も、命がけですね。 (忠臣蔵の話は、学校は習いませんでしたが、時代劇や歴史小説で知りました)
今の役人も三菱三井にそう強い事言えんでしょ
インドア派で修学旅行すらずる休みした私からしたら全く共感出来ない。
今回も実に興味深く面白かったです。ありがとうございました。
こちらこそ、いつもご視聴ありがとうございます。
青春18切符の日帰り旅行だと、早朝の始発で出て夜遅い終電で帰ります(自分の場合) 江戸の武士の日帰り旅行みたいです。
私の友人で、群馬から青森までバイクで日帰りをした強者がいます(汗)
まさかこのチャンネルでノーパン喫茶の単語が出てくるとはwwwwwwwwww 👍
出張にかこつけた、旅行だと聞いてるし、信仰とか、病気療養と名乗る、温泉に勤しんでたのね。
ヒゲを法令で禁止ってヒゲは野蛮な文化だとヒゲ税取ったピョートル大帝と似た様な事してたんだな。
そりゃ明治時代になって地租改正で税金が現金納付になった時に一揆が多発した訳だわな。
お勉強になりました(*^^*ゞ
自然に出来てる内容が改めて理屈でみると混乱するのは違うものなのだろうか?
中世ヨーロッパ人も140〜150センチ台だった様ですね。
浪人生活、大変だけど、自由そうで面白そう…
明治維新を待つまでもなく、身分制度は崩れてきてたんですね
まぁ……… このくらい 厚顔無恥でフテブテしくなければ、金貸しなんて出来ないのかも知れない。
利息取ったほうが儲かるんでは?
クソ商人と言いたいが、身分制のある中では町人も命懸けだから仕方ないかも知れない。
こけ脅しも全く効かず、屋敷で泣く泣く切腹した勝手役がいる一方で、返済不可能とも思われる500万両もの借金を、その証文を燃やした上、無利子で250年分割返済を認めさせた薩摩藩の調所広郷は何枚も上手だったんだな。
士農工商の順で貧乏だったらしい。
人から金を借りるのに頭を下げない武士のがおかしいだろ 社会的地位や上司部下の関係であっても、誰かからお金を借りるときは頭を下げるもんだよ
そもそも家康が学問を重視し、学問にあっては身分を問わなかったこと、学問的議論を弾圧してはいけないとしたことも江戸時代の識字率向上や西洋数学物理の基礎知識の受容につながっていると思います。 それゆえ蒸気機関や電信に最初は圧倒されても原理が理解できたのでしょう。 電信については、平賀源内も試作した蓄電池やエレキテルと同様の原理で既に得ていた知識の発展応用にすぎないと幕末の識者やからくり職人は気づき、ライフル銃と弾薬カートリッジを見て鉄砲鍛冶は原理をすぐに理解できたのだろうと思います。
「 上から目線の物言い 」と云えば、財務省の官僚を呼びつけて、怒鳴りつけた立憲民主党の杉尾秀哉議員や、同僚の小西洋之議員を思い出すな…… ( ̄▽ ̄)
幕末には武士が商人に頭を下げてまで、お金を借りに行った話は聞いた事ありました。 町人もしたたかですね。こんな時代だからこそ、武士ならぬ国家権力に舐められないように江戸時代の町人を見習いたいものです。
町人も棄捐令でひどい目にあっていますから、強気になるのも仕方のないことですね。
武士が二日酔いでツライなんて言う日記もあった。
忠臣蔵も。赤穂藩がある程度は、お金を返してくれたので。美化して書かれました。