江戸時代の日本は世界一の教育大国だった~全国に5万もあった寺子屋の驚きの授業

意外に思うかも知れませんが、江戸時代の日本というのは、世界一といってもいいほどの教育大国でした。
イギリスの大都市部での就学率が20%~25%の時代に、江戸の町内の寺子屋への就学率というのは80%ほどだったとされています。
しかも、その寺子屋での指導方法は、現在の日本の学校とはまったく違った、とてもユニークなものでした。

Пікірлер: 30

  • @user-pz3qb1et1e
    @user-pz3qb1et1e4 ай бұрын

    昌平坂学問所の話に良い意味で驚きました。無料で誰でも学べる事が素晴らし過ぎます。 江戸時代天国もKZreadを通じて、誰でも無料で江戸時代を学べるのが素晴らしいです。これからも、期待しています。

  • @edojidai-paradise

    @edojidai-paradise

    4 ай бұрын

    最近は、忙しくてなかなか動画が作れなくて申し訳ないです 汗

  • @loopyo8616
    @loopyo86164 ай бұрын

    江戸天さんのように江戸時代の情報を分かりやすく面白く伝えてくれる動画を観て、江戸時代を知れば知るほど思うのは、明治以降の日本の躍進は、明らかに、こういった教育をはじめとした江戸時代に育まれた日本人の資質があったればこそということですね。もちろん江戸時代と同じ事をすればいいとかではなく、ちゃんと江戸時代と現代の我々が繋がっている事を深く知ることで、自然と現代にあった形が産まれてくると思います。江戸天さんいつも動画アップ本当にありがとうございます

  • @edojidai-paradise

    @edojidai-paradise

    4 ай бұрын

    こちらこそ、いつもありがとうございます。

  • @roserosa99
    @roserosa994 ай бұрын

    今でも子供を労働力としてしか見ない国もあるのに、 古来から日本は大したものです。 日本の国際的優位性には、根幹があるのですね。 日本に生まれてよかった❣ 明るくなる動画ありがとうございます。

  • @joseph_anet
    @joseph_anet4 ай бұрын

    以前、聞いた話では、寺子屋の賑やかさに憧れて覗き込んでいた男の子を、寺子屋の先生が自費で入学させたそうです。 先生は、向学心のある子どもを入学させることで、寺子屋全体のレベル向上を狙ったみたいです。 ところがこの男の子は、熱心に勉強して、賢いコトが知れ渡ると、跡継ぎがいなかった武士の養子になる話が持ち上がりました。 彼は、武士の養子となり、養父の跡を継ぎ、次々と社会に貢献したとか・・・ で、彼は、自分を寺子屋に招き入れてくれた先生を顕彰して、記念碑を建てたとか・・・ いやぁ、こんな話を時代劇でやって欲しいな。

  • @takashiwakabayashi2413
    @takashiwakabayashi24134 ай бұрын

    いつも楽しく、意外な視点を与えてくれる動画をありがとうございます。寺子屋の教科書に使われていた往来物にいろいろなものがあったと触れられていましたが、往来物についても扱っていただけると嬉しいです。今後も楽しみにしています。

  • @AkiraYamada147
    @AkiraYamada1473 ай бұрын

    江戸時代の教育、すばらしかったですね。それも、ちゃんと絵で残ってるところがすごいですね。

  • @user-dj8ou6gv8j
    @user-dj8ou6gv8j4 ай бұрын

    声が良い聞きやすい!

  • @sumo_52
    @sumo_524 ай бұрын

    内容は面白く、声も聴きやすく毎回楽しみにしています。 郷土の偉人である伊能忠敬さんは利根川から船で天文を学びに佐原から江戸まで出向いていたと知り驚いたことがあります。

  • @edojidai-paradise

    @edojidai-paradise

    4 ай бұрын

    伊能忠敬は、地元の佐原では「ちゅうけいさん」と親しみを込めて呼ばれているみたいですね。 機会があれば、動画で取りあげてみたい人物です。

  • @user-uf7pn4tj1e
    @user-uf7pn4tj1e4 ай бұрын

    面白かったです、 ありがとうございました。

  • @user-pv9kh9ux1h
    @user-pv9kh9ux1hАй бұрын

    68歳の自分も近所の退職されたお爺さんに習字を教わった。小学生10人ぐらいが習っていた。

  • @user-cd7xc4ji8t
    @user-cd7xc4ji8t4 ай бұрын

    滑舌が素晴らしいです。

  • @jameshiro4259
    @jameshiro42594 ай бұрын

    無料でも人気は今一 現代でも通じる事が色々と推察出来ますね

  • @schnellbart
    @schnellbart4 ай бұрын

    江戸時代教育大国については、家康が学問を振興する方針を幕府の既定路線にしたことと学問としての問題提起であれば幕政に批判的でも弾圧してはならないと打ち出したことが大きいですね。 寛政異学の禁も幕府の学問所では朱子学以外教えないというだけで定信も家康の決めた「学問の自由」を正面から規制することはできませんでした。

  • @787boeing
    @787boeing4 ай бұрын

    アーネスト・サトウだったか忘れたけど、庶民が触書や店の看板を普通に読んでいたことに驚いたって言うからね。

  • @user-ut1kb6qd1t
    @user-ut1kb6qd1t4 ай бұрын

    宇喜多秀家が没落後に寺子屋の先生やってた説もあるんだよね

  • @user-cm8mt7zd6t

    @user-cm8mt7zd6t

    4 ай бұрын

    その人、長宗我部盛親では?

  • @user-yc4wv1yz9m
    @user-yc4wv1yz9m4 ай бұрын

    家の御先祖様は藩公認で抜荷やってたから漢詩漢文が必須科目でした。朝鮮通信使も漢文でやり取りしますんで。

  • @atdxshinshin
    @atdxshinshin4 ай бұрын

    2:27 日露の教育水準の差が、後の日露戦争の勝敗を分ける一因になったと聞いたことがありますね。作戦や武器の取り扱い方法が文章で伝達できますから。 捕虜になった一兵卒の日本兵は、論文を投稿したのに対して、ロシア兵は自分の名前すら書けないものも多かったとか。捕虜収容所で、ロシア語の授業が行われたと聞きますね。

  • @neo-chinidone
    @neo-chinidone4 ай бұрын

    吉宗✨

  • @user-my8kh6pc1b
    @user-my8kh6pc1b4 ай бұрын

    「振り仮名の歴史」

  • @hidekiyoshimura9745
    @hidekiyoshimura97454 ай бұрын

    毎回の動画を楽しみにしておる者です。 今回は,町人を対象とする教育機関「寺子屋」を主とした動画でありましたが,当時,「寺子屋」を称したのは上方圏のみであり且つ通称です。関東圏では「筆書所」と称し正式名でもあります。叉,愚足乍ら上方と関東では,生徒の呼び方も異なり〔寺子,筆子等〕ました。 【主たる出典】 1.『日本教育史資料〔7〕』(文部省編集.1889年刊) 2. 『改訂 新潮国語辞典 -現代語・古語-』(株式会社新潮社 ,監修者:久松潜一,編集者:山田俊雄 1978年刊)

  • @edojidai-paradise

    @edojidai-paradise

    4 ай бұрын

    関東圏で「筆書所」と呼ばれていたのは知っていますが、この動画は一部のマニア向けのものでないので、あえて視聴者が混乱しないように、江戸時代の初等教育機関の名称として広く一般に知られている「寺子屋」という呼び方をあえてさせていただきました。

  • @hidekiyoshimura9745

    @hidekiyoshimura9745

    4 ай бұрын

    懇切なるご回答を賜り,お礼申し上げます。 数多ある江戸期に於ける人々の暮らしぶりを挙げるチャンネルに在って,貴殿に依る其れは,切り口,内容,動画の特徴を効果的且つ如何なく用いて居られ,作のUPが鶴首です🎉

  • @user-sy4vs4dk7s
    @user-sy4vs4dk7s3 ай бұрын

    現代よりも先生の側の立場が強かったのですかね。生徒の成績の責任を負わされることもなく、授業を受ける気がない生徒を追い出せる立場なら、体罰など不要ですからね。

  • @eakak
    @eakak3 ай бұрын

    女性は寺子屋で学べたのでしょうか?藩の子どもで女性は藩校に通えたのでしょうか?

  • @user-my8kh6pc1b
    @user-my8kh6pc1b4 ай бұрын

    a japanese boy

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