江戸の警察官はたった24人~町奉行所の同心たちはどうやって大都市江戸の治安を守ったのか?
100万都市である江戸の町には、警察官ともいうべき同心が、たった24人しかいませんでした。
普通に考えればこの人数で治安を守るのは不可能なのですが、意外なことに江戸の町の犯罪率というのは世界的に見ても少なかったのです。
江戸の町の同心たちは、どうやってこの人数で江戸の町の犯罪率を低く抑えていたのでしょうか?
100万都市である江戸の町には、警察官ともいうべき同心が、たった24人しかいませんでした。
普通に考えればこの人数で治安を守るのは不可能なのですが、意外なことに江戸の町の犯罪率というのは世界的に見ても少なかったのです。
江戸の町の同心たちは、どうやってこの人数で江戸の町の犯罪率を低く抑えていたのでしょうか?
Пікірлер: 29
「隠密同心」って本当に居たんですね❗ 「大江戸捜査網」とはニュアンスが異なるみたいですが… 時代劇は好きだったので、とても面白かったです。 ありがとうございました。
知らなかった江戸時代のお話しをいつも易しく丁寧にご紹介いただきありがとうございます。江戸の街は犯罪が少なく、殺人事件などは年に1~2度という場合もあったとのことですが、そのような中で、火付盗賊改め方が設置されたのは、いかがな理由からなのでしょうか。火盗は奉行所で捜査解決できない押し込み殺人などの凶悪事件を担当したわけですが、やはりそれなりに凶悪事件は少なくなかったのではという印象をもっていますが、いかがでしょうか。
@edojidai-paradise
6 ай бұрын
火付盗賊改は、凶悪犯罪だけではなく、町奉行では手出しのできない武士の犯罪などを手掛けていました。
江戸時代好きの時代劇ファンです。 平次親分のライバルの親分子分が、平次親分の 悪口を言って、年中油を売っている所が 「自身番」でしょうか。今でいう交番であり、 町内の公民館みたいな寄合所でもあったの ですね。湯屋の二階もそうでしたね。 江戸時代って、隅々まで人情厚く、よく出来た 時代だったのですね。 今考えても、こんな町は無いでしょう。 1700年代なのに、世界最先端に感じます。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 防犯は大事ですよね。先人の知恵に敬服します。
@edojidai-paradise
6 ай бұрын
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
楽しく拝見しました。
江戸時代の捕り手が、(約人でなく)派遣会社からの人手。 今の時代の警備会社(依頼主の施設に見張り要員を配置)。それと重なりました。 江戸時代の治安組織が、官でなく民主導。近代日本と、好対照に見えました。日本の警察は縄張り意識が異常に強固。必要とされる人材が組織内にいなくても、民間人を交える事を徹底嫌悪。他県警との連携さえ、滑らかでない。長年、そのように聴きますので。治安環境については、昔の方が柔軟。今の方が逆に、封建的&閉鎖的で硬直。そのように、見えてしまいます。
明日が〜あるよで〜♪ 無いよ〜な定め〜♪ と何故か浮かんで来ました。
今年も勉強になります 物資を内需でまかなえるのと戦争しないから税金も安く済んで民が疲弊しなかったから治安が良かったんかなー
警察の民衆化、民衆の警察化
アステカ帝国も量刑か厳しすぎて治安が良かったと聞く
目明かしとか、岡っ引きとかを臨時に使ったりしてた様だし、商人から付届けを貰ったりしてらしいですよね。
十両盗っても、時間帯次第で量刑が変わる。 唐突ながら、アメリカの地方検事の話を思い出しました。新任検事=裁判時に量刑を重くする傾向。退任間際の検事=量刑が甘い傾向。国と時代の違いを超えて、奇妙な類似性を感じました。 勝手に付けさせていただいた副題は、『時刻と沙汰』。
動画内で放火犯と出て来て、八百屋お七を思い出しました。 八百屋お七が丙午生れと言われ、丙午の迷信が広まったみたいですね。次の午年が丙午ですね。 ここで、江戸時代の庶民はどのような暦を使っていたのかの解説をリクエストします。 太陰暦なのは有名ですが、江戸の人達も元号を使っていたのですか?十干十二支を使っていたのですか? よろしくお願いします。
@edojidai-paradise
6 ай бұрын
江戸の暦のリクエストですか 汗 普通に暦をテーマに動画を作ると再生数が伸びなさそうなので、何か切り口を考えないといけないですね。
そもそも、殺人は厳しく取り締まられたようだしね。
良くも悪くも揉み消しが横行してたのか。賄賂も使って。
死刑を市民に見学させてほしい
@borderhopper3296
6 ай бұрын
昔のフランスみたいに
だから、必殺仕事人の同心・中村主水はグータラできた?
特別高等警察