江戸時代の武士たちのユニークで滑稽な礼儀作法~間違うとシャレにならない?
武士というのは、形式や作法を重んじますから、道端や城内で武士同士が出会ったときには、現代の私たちからすれば、滑稽とも思えるような、さまざまな 挨拶の決まりごとがありました。
伊勢の国の桑名藩では、武士同士の挨拶方法が48種類もあったといいますから、それを覚えるだけでも大変です。
また挨拶だけではなく、武士たちには道を歩くときや、駕籠に乗った武士とすれ違うときにも、さまざまな決まりごとがありました。
そういったルールを 守らずに、ぼーっと道を歩いていると、トラブルに 巻き込まれる可能性 があったのが 江戸時代の武士たちだったのです。
ここでは、現代ではありえないような、武士たちの日常における決まりごとについて、詳しく解説をしています。
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なるほど~面白かったです。
今回も興味深いお話 ありがとうございました😊
@edojidai-paradise
3 күн бұрын
いつもありがとうございます。
武とは礼節。現代人には足りない素養だと思う。
江戸時代の農民の方々は、武士達を「面倒で堅苦しい事してるなぁ〜」とでも、思いながらみてたのでしょうか? 江戸時代のイメージが正しい方へと、どんどん変わってきてますww
@edojidai-paradise
3 күн бұрын
農民や長屋の八っつぁん熊さんたちは、武士にくらべると、だいぶ呑気な暮らしぶりだったと思います^^
うp主さん、もう少しで登録者一万人🎉ですね!先んじてお祝い申し上げます❗️
@edojidai-paradise
3 күн бұрын
ありがとうございます^^
ごく少数の特権階級と平時でありながら殺傷武器を常に持ち歩く、特殊な状況をスムーズに回すためのルールですね。これがなければ、多分日常茶飯事で殺し合いが起きてたでしょう。文化が発展するにあたり、発達してきたものだと思います。
「ムカついたから斬る」が割と普通にに罷り通る者同士で穏当に事を運ぶには、何に対してムカつくのかの正解を示す必要があったんですね。
これも江戸時代の武士のマナーかどうか記憶が曖昧だが、訪問先で相手(特に目上)からの酒を盃で受けるときは頭を下げながら盃を自分の頭の前に差し出した。なぜなら顔の前に差し出すと注いだ酒を目潰しにかけられる恐れがあったからである。
女を盾にするレディーファーストより良いですね。鞘当て回避の左側通行は世界共通ですね。
武家の作法はちょっと堅苦しすぎる感はありますが、そもそもが荒っぽい「もののふ」であった武士が太平の世に平穏に暮らし、秩序維持の役割を果たすために儒教の仁義とともに礼儀作法が必要だったのでしょう。 そう考えると、家康は仁義の観念と礼儀作法で猛禽を鳥かごに押し込め手乗り文鳥にして太平の世を継続させたとも言えますね。
刀に触れてはいけないので、人を追い抜く時は右側を通るという伝統は現在も残って、東京ではエスカレーターの右側をあけます。
もう30年以上前になるけど、うちの大学の某体育会でも、4回生に対する1〜3回生の挨拶の方法が各学年ごとに違っていた所があった。 その体育会に入っていた同級生は先輩達と遭遇する度にダッシュで先輩の横(距離や角度まで厳格に決まっていたらしいw)へ駆け寄って喚き声みたいな挨拶していたし、一度は挨拶の仕方間違えたとかで先輩から蹴り入れられているのも見たことあるわw
@neo-chinidone
2 күн бұрын
うちの大学でもそうだったけど、たまにそれが緩くなる奴らがいて後で聞いたら付き合ってやがった。
タカラヅカ
8:56 丹下作善は苦労したんでしょうね。
@user-mp3cr5gb2l
3 күн бұрын
右に差してますよね。鞘を口で咥えて抜刀するシーンかっこいいです。
@user-yl9ek9le7m
Күн бұрын
@@user-mp3cr5gb2lさま 丹波哲郎さんのみ、左手の殺陣が上手く出来なかったので、右手で立ち回り。「丹下右膳」です。
中間と言う職業?の話を聞いてみたいです。
くだらん。実にくだらん。日本社会の堅苦しさは異常。
@user-lc9hd5vz2n
3 күн бұрын
ほんそれ。儒教とか言う邪教が諸悪の根源だけど、そんなもんを広めた徳川幕府も同罪。
@kei.suzuki
3 күн бұрын
今は江戸時代ではありませんが? 脳内江戸時代でお過ごしですか?
@user-yl9ek9le7m
Күн бұрын
貴殿と同じ考えの人たちが「一君万民」の思想にたどり着き、「天皇の前では将軍も足軽も同等だ」と身分の平等を求め明治維新を起こしました。 土佐の「天保庄屋同盟」でも「庄屋は天皇の直臣で武士の下ではない」としています。