偉大な伝説のF1ドライバー アイルトンセナのチャンピオン獲得に貢献したレオスヘルメット。その専用ヘルメットを企画制作しセナと帯同してメンテナンスを行った元ホンダアクセスの川﨑和寛氏に当時のセナのヘルメットに対するこだわり、要望をお聞きしました。よろしければチャンネル登録をお願いいたします。
アイルトンが事故で亡くなった時のヘルメットはベル社製のものでやはり相当、軽さにこだわって作っていたみたいですね。そのヘルメットをパーツが貫通し、頭部損傷が致命傷になってしまいました。この方の製作のヘルメットだったら助かっていたかもしれません。自分はバイク乗りですがやはりヘルメットは日本製です。
1グラムの差に拘るアイルトン・セナ。ナンバー1のプライド。 その要望に応える川崎さん。 やり場のない怒りに震えるセナを、なだめることが出来るのは川崎さんだけと言うのが解る気がしました。 本田宗一郎氏が言っていた「技術者は科学者と芸術家の両面を持ち合わせていなければならない。」 正に、そのことを体現していた川崎さんを、セナは絶対的に信頼していたのでしょうね。 貴重なお話、ありがとうございました。
はじめてコメントいたします。 素晴らしい動画です。 こんな裏話が聞けるなんて。ありがとうございました。
やっぱセナの肌に一番近く接触している物だから、川崎さんもセナに一番近い人だったんですね。それにしてもNo.1ドライバーのこだわりがヘルメットの重さにまであったのがすごい。そしていまそれを初めて知ったこともすごい
ヘルメットは川崎さんの…って古舘さんの実況今でも覚えています😊✨ ミスターヘルメットマン✨
ありがとうございました! 涙が出て
やっぱどの分野でもトップレベルの人って細部の細部までこだわり半端ないな。
ベルガーが軽量化よりもライフサポートやヘルメットが衝撃で脱げない等にこだわっていたお話が印象的でした…この辺りは89年の自身のサンマリノでのクラッシュ炎上も件もあるでしょうが、同郷の大先輩ニキ・ラウダの76年西ドイツ、ニュルブルクリンクでのクラッシュ炎上の件(イタリア製のヘルメットが衝撃で脱げて顔と肺に大火傷を負った)や、その後年の82年にジル・ビルヌーブが亡くなった時にも衝撃でフランス製のヘルメットが脱げてしまってる事などヘルメットの安全性をラウダと話してた可能性もありますよね…そして何よりセナのヘルメットの細部に対するこだわりなど自分と共感するお話も感動しました。
こう言う舞台裏みたいなお話が聞けるなんて貴重ですね!
貴重なお話ありがとうございます♪
さらっさらっと温厚な口調で語られるお話の中に出てくるお名前やエピソードが凄すぎて…貴重な動画をありがとうございました!
この話を聞くとセナプロのジョイントナンバーワン時代はどうやってお互いの折り合いをつけてたのか気になる。
次はぜひとも桜井淑敏さんでお願いしたいです。確か86年か87年ウイリアムズとホンダとの記者発表の場で桜井さんはポケットに手突っ込み、ホンダエンジンを使わせてやる、と言わんばかりの態度に当時小学生の私は衝撃を受け本当にカッコ良く見えました。今思えばどちらかというと日本人は遠慮しがちな部分があります。桜井さんはそんな事全く無く、サングラス姿は強面でしたw 是非桜井さんの話聞きたいです。
川崎さんに一生ものの最高のヘルメットを作っていただきたいです✨
そうそう!RHEOSをかぶってましたね。 そういえばインナーのグリーンの話題、古舘さん…していましたね。
91年メキシコGP前のオフにジェットスキーで後頭部に怪我をしたセナ。その時ヘルメット内装を工夫したらしいですがその時の事をお聞きしたいです。
ミハエル・シューマッハーもヘルメットは見栄えより軽さということでクリア塗装は省略させていたみたいです。
マクラーレン時代のセナは アメリカのBELL、レオス、日本のSHOEIを 被りました。
私はベルガーが好きでした~✋
かつて某2輪世界GPチャンピオンチームのテストライダーだった我は頭蓋骨の形が大陸的なので外国メーカーのヘルメットかぶりその軽さに驚いたにゃ!
レイオスは2輪の青木3兄弟も被ってたよね?
自分、ホンダのヘルメットってどこかのOEMだと思って、内心少し下に見ていました。 こんなにこだわって作られていたとは、驚きとともに やるなぁ。という感じです。 あのヘルメットが並んだ写真に、そういう意味があったなんて。。。 貴重なお話をありがとうございました。
レオスって一般市販しているの?
4輪は特注、2輪は当時市販されていたが現在は撤退しました。
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アイルトンが事故で亡くなった時のヘルメットはベル社製のものでやはり相当、軽さにこだわって作っていたみたいですね。そのヘルメットをパーツが貫通し、頭部損傷が致命傷になってしまいました。この方の製作のヘルメットだったら助かっていたかもしれません。自分はバイク乗りですがやはりヘルメットは日本製です。
1グラムの差に拘るアイルトン・セナ。ナンバー1のプライド。 その要望に応える川崎さん。 やり場のない怒りに震えるセナを、なだめることが出来るのは川崎さんだけと言うのが解る気がしました。 本田宗一郎氏が言っていた「技術者は科学者と芸術家の両面を持ち合わせていなければならない。」 正に、そのことを体現していた川崎さんを、セナは絶対的に信頼していたのでしょうね。 貴重なお話、ありがとうございました。
はじめてコメントいたします。 素晴らしい動画です。 こんな裏話が聞けるなんて。ありがとうございました。
やっぱセナの肌に一番近く接触している物だから、川崎さんもセナに一番近い人だったんですね。それにしてもNo.1ドライバーのこだわりがヘルメットの重さにまであったのがすごい。そしていまそれを初めて知ったこともすごい
ヘルメットは川崎さんの…って古舘さんの実況今でも覚えています😊✨ ミスターヘルメットマン✨
ありがとうございました! 涙が出て
やっぱどの分野でもトップレベルの人って細部の細部までこだわり半端ないな。
ベルガーが軽量化よりもライフサポートやヘルメットが衝撃で脱げない等にこだわっていたお話が印象的でした…この辺りは89年の自身のサンマリノでのクラッシュ炎上も件もあるでしょうが、同郷の大先輩ニキ・ラウダの76年西ドイツ、ニュルブルクリンクでのクラッシュ炎上の件(イタリア製のヘルメットが衝撃で脱げて顔と肺に大火傷を負った)や、その後年の82年にジル・ビルヌーブが亡くなった時にも衝撃でフランス製のヘルメットが脱げてしまってる事などヘルメットの安全性をラウダと話してた可能性もありますよね…そして何よりセナのヘルメットの細部に対するこだわりなど自分と共感するお話も感動しました。
こう言う舞台裏みたいなお話が聞けるなんて貴重ですね!
貴重なお話ありがとうございます♪
さらっさらっと温厚な口調で語られるお話の中に出てくるお名前やエピソードが凄すぎて…貴重な動画をありがとうございました!
この話を聞くとセナプロのジョイントナンバーワン時代はどうやってお互いの折り合いをつけてたのか気になる。
次はぜひとも桜井淑敏さんでお願いしたいです。確か86年か87年ウイリアムズとホンダとの記者発表の場で桜井さんはポケットに手突っ込み、ホンダエンジンを使わせてやる、と言わんばかりの態度に当時小学生の私は衝撃を受け本当にカッコ良く見えました。今思えばどちらかというと日本人は遠慮しがちな部分があります。桜井さんはそんな事全く無く、サングラス姿は強面でしたw 是非桜井さんの話聞きたいです。
川崎さんに一生ものの最高のヘルメットを作っていただきたいです✨
そうそう!RHEOSをかぶってましたね。 そういえばインナーのグリーンの話題、古舘さん…していましたね。
91年メキシコGP前のオフにジェットスキーで後頭部に怪我をしたセナ。その時ヘルメット内装を工夫したらしいですがその時の事をお聞きしたいです。
ミハエル・シューマッハーもヘルメットは見栄えより軽さということでクリア塗装は省略させていたみたいです。
マクラーレン時代のセナは アメリカのBELL、レオス、日本のSHOEIを 被りました。
私はベルガーが好きでした~✋
かつて某2輪世界GPチャンピオンチームのテストライダーだった我は頭蓋骨の形が大陸的なので外国メーカーのヘルメットかぶりその軽さに驚いたにゃ!
レイオスは2輪の青木3兄弟も被ってたよね?
自分、ホンダのヘルメットってどこかのOEMだと思って、内心少し下に見ていました。 こんなにこだわって作られていたとは、驚きとともに やるなぁ。という感じです。 あのヘルメットが並んだ写真に、そういう意味があったなんて。。。 貴重なお話をありがとうございました。
レオスって一般市販しているの?
@spaciakinu
3 жыл бұрын
4輪は特注、2輪は当時市販されていたが現在は撤退しました。