ホンダアクセスにいらっしゃった川崎和寛さんは昔「ナンバー 」だったと思いますが、インタビューを読んだ記憶があります。レオスは四輪用のヘルメットを出していたと思いますが。
やはり誰にも話せなかった事ですが、セナが亡くなった日に私も同じ体験をしました。 午前2時、小雨の中、橋の上で泣いていると向こうの灯りの下に赤いレーシングスーツのセナが立っていました。 哀しそうに微笑んでいました。彼はバイバイと手を振ると、背に白い天使の羽がはえて、 当時セナが読んでいた聖書の中の絵のように体を横にして北の空に飛んでいきました。 「ああ、また誰か他の人に別れを言いに行ったのだな」と感じました。 当然誰も信じられない話です。でもあれは本当だったのだと思いました。 ありがとうございました。
セナのレオス1991年モデルのヘルメットがカッコよかった。90年モデルよりアゴの部分が上下に広くなり、ブラジルカラーの青緑のラインが少し細く、また後ろに跳ね上がるようなラインになり、色もレモンイエローぽくなってデザインバランスが最高にカッコよかったです。自分もAraiのヘルメットでセナレプリカをオーダーしましたが、帽体が違うのもありますが、やはりレオスそっくりにはならなかったので直ぐ売ってしまいました。今思えば売らずに置いとけばよかったと後悔しています。
ホンダが撤退すると発表した時、インタビューの後、セナが涙を拭きながら走って行ったのはホンダ撤退イコール川崎さんとの別れも思って涙したんだと、今知りました😢セナ辛かったんだね。可哀想になる。その後、川崎さんのような凄い方には巡り会えてないと思う。
川崎さんのお話は、初めて知ることばかりでため息出るほど感心しきりでした。 川崎さんの人間性をセナもリスペクトしてたんですね。
川崎さんて素晴らしい方ですネ❤セナが川崎さんの枕元にお別れに来た話……涙が出ました。😢 いかに深い信頼関係だったか伝わりました❤❤❤
フェラーリへの憧れがどんなにあったとしてもあの時期ならウィリアムズルノー1択ですが、勝ちすぎたからかFIA規制でセナが乗るマシンが改悪され・・・サンマリノ。
もうすぐ30年だね。 ご冥福をお祈りします。
もう30年か。Marlboroヘルメットのセナは代名詞。最期のロスマンズも形は好きだったけど、あの事故でレプリカでも欲しいとは思わないかな〜
本当に良い話を 有難う御座居ました。
レイオスは2輪の青木3兄弟も被ってたよね?
良い話ありがとう。
実に具体的な話です。素晴らしい関係ですね。
ブラジルGPのケーキ投げで招待状紛失したのは91年じゃなかったかな フジテレビの総集編にそのシーンがあるある
こんなに面白い方だと思いませんでした! どんな職種でもトップカテゴリーまで辿り着く方はやはり行動力の振り切れ方がおかしい(笑)
top man
事故当時のメットのメーカーはどこですか?
94年はBellになります。
@@f1signass260 返信有り難うございます。
川崎さんはセナに「Mr,ヘルメットマン」と呼ばれ、信頼されていたそうでしね。セナの歴代のヘルメットの中でも1991年のレオスヘルメットが一番カッコ良かった。前年使用していたBELLよりも黄色が鮮やかで、左右のラインが若干細くて後方に持ち上がるように描かれ、全面のマルボロマーク両側にダクトがあるのがとてもカッコよくて、本気でレオスにオーダーしようと考えていましたが無理だったのでArai製(GP−2K)でセナレプリカをオーダーした思い出があります。翌年、セナはSHOEIと契約、このヘルメットもアゴ部分が大きく反りだした形状がカッコ良かったですが、レオス91年当時のヘルメット復刻してほしいです。
漫画Fのコミック持ってますが カバーフォトかっこよくて好きです。
91年メキシコGP前のオフにジェットスキーで後頭部に怪我をしたセナ。その時ヘルメット内装を工夫したらしいですがその時の事をお聞きしたいです。
ベルガ―は古き良き時代のドラーバーで、セナは今に繋がるプロフェッショナルなドライバーという印象でした。 その二人が同じチームに居たし時には予選でベルガ―がセナを凌駕するときもあったりと、面白くも不思議な組合せでした。
川崎さん、楽しく貴重なお話し感動ものです⤴️
素晴らしくカッコいい‼️
今までアイルトン・セナについて語る川崎さんは、懐かしい友人との思い出話というイメージでした。いつか、94年イモラサーキットの出来事を語るのだろうと思っていました。 フジテレビの報道と川崎さんの同僚や後輩の話に相違があるというのは、なんとも言えない気持ちがしました。 アイルトン・セナが帰らぬ人となって、川崎さんに「あとを追うなよ。」と言った人がいるという話も、胸が痛くなりました。 お別れに来たセナ。きっと川崎さんに「ありがとう。」と言いたかったのでしょう。 ブラジル🇧🇷日本🇯🇵 アイルトン・セナ ホンダ 宗一郎氏、川崎さん、ホンダのF1🏁に関わる全ての技術者。 パーツが揃ったことで成し遂げた偉業は、多くの人々の記憶と心に刻まれました。 川崎さんのヘルメットはセナにとって、なくてはならない物だったでしょう。 改めて、そのことを思い、アイルトン・セナとホンダに感謝します。ありがとうございました。
サスガだベルガー素晴らしい。 セナは。。レオスが去ったあとなぜベルにしたんだろうか。イメージだけど、そんなこだわるならアライだろー。
一時期、SHOEI製つこてましたで。
大変貴重なお話ありがとうございました。 お別れに来たセナが寂しそうな顔をして去っていった....という言葉に悔しい思いが残ります。きっとまだまだやりたいことはたくさんあったのだろうと思うと、34歳という若さで逝かなければならなかった彼への思いで言葉になりません。彼は"神童セナ"だったのだろうか....30年近く時が経つ今も悔しさが頭の中をめぐります。
二輪用のヘルメットしか被ったことないですが90年だとまだ市販品では内装が取り外せたりはしなかったんじゃないでしょうか。 やはりセナのオーダー品は最先端だったんですね。 色付きの内装は今でも特注じゃなければなかなか無いと思います。 スモークシールドも当時憧れました。 あの91年だったかジェットスキーで頭を縫った傷に当たらないように内装をカットした時の話とかも聞いてみたかったですね。
もしかして、✨貴さんが 持ってる物❔❔(;゚Д゚) 生ダラのカート対決で 鈴鹿GP後にヘルメット貰う約束して ホントに貰ってますよね❗
貴さん持ってるのは93年仕様ですね。日本 GPで使ったヤツって言ってたような…
中嶋さんのヘルメットも担当して欲しかった( ̄▽ ̄)
セナは、走り去ってしまったけど、残されたセナを好きな人々は、セナを追って、想って、各々の寿命のつきるまで、生きていくよ。 そして、生ききった時、セナに逢えますように
いつまでも夢に向かって走っていて欲しかった、この一言で泣いてしまいました
貴重な体験談を有り難うございます。
貴重なお話ありがとうございました そして何よりセナと逢えたお話は言葉にならない気持ちになりました
今回も貴重なお話ありがとうございました。 自分も現役でバイク乗り続ける限りセナレプリカヘルメットに頭を通しつづけますし、この世を去るまでセナファンで居続けます(*´ω`) SHOEIの某営業マンから値段が高くて誰も買わないと評判?の紫外線で色の変わるサングラス風「変態シールド」、川崎さんのレオスヘルメット開発秘話を見てから購入しました。なにかと重宝してますよ♪開発してくださりありがとうございます
この世界のアイドルについての非常に良いビデオ。 F1での最初の4年間のセナの親密な生活を伝える新しい伝記があるという発表。この作品は、以下を含む 158 か国で利用できます。日本。 30年以上秘められた物語がWEBで公開中 mygirlbook
川崎さん、少しお痩せになりましたかね? セナの色々な方面のお話を聞かせてくれる貴重な戦友ですね。 エピソードとして文字を読むよりずっと好きです。 どうかこれからもお元気で、動画楽しみにしています。
在りし日のセナさんに 「ラブレターをください」とお話されて セナさんも後日FAXで 「一生良い友達でいたい。」と返した エピソードが好きです。
セナはもういないけど、こうして川崎さんが実際にセナが使用したヘルメットをメンテしている…切ないけど、とても素敵なシーンでした
セナの使っていたヘルメットを所有されていて、サイン入りとは超羨ましいですね‼ 吾輩は、レプリカを2個所有していますが凄いですねぇ~っ‼ 感動しました‼
アイルトン・セナがヘルメットの細部にも拘り、厳しく注文をつけたのは、より速く走ることへの執念もあったと思うけど、より安全に走るためでもあったんでしょうね。だから信頼している川崎さんに、いろいろ意見を言ったんだと思いました。仕事ぶりだけでなく人柄も信頼出来ると考え、重さや内部の素材、捨てバイザーにも注文をつけたんでしょうね。 無事にゴールしなければ、次のレースに出場出来ない。 勝つことと安全性を両立させなけれはばならなかった。 無事に走り続けて引退してほしかった。 セナは生きている、という言葉に涙が出ました。 ありがとうございました。 🏁🇧🇷🇯🇵
よく綺麗に保管してあるなぁ こんな風に内装がなってるのは初めて見ました 家にある30年以上前のバイク用メットは押入れに箱に入れて保管しといたんだけど、内装のスポンジが硬化しちゃって粉になって降り注いで来たよ・・・
今回も貴重な話と貴重なヘルメット、素晴らしく心のこもった仕事を拝見させていただき、ありがとうございました。 手が覚えているという言葉が本当にカッコ良かったですし、心の中ではセナは今でも生きているというのは全てのセナファンが思っていることだと思います。
かわさきさん✨🎗️ありがとうございます🎵🐴🐼🦅🎅🏆️
久しぶりの川崎さん。 セナとベルガーのレーサーとしての違い、性格の違い。興味深く聞かせていただきました。 2人に信頼されていた川崎さん。 やはり誠実な人柄だからでしょうね。貴重なお話、ありがとうございました。
川崎さんだからこそ聞きたい セナの最後のヘルメットについて… たとえ結果は変わらないとしても、何か救いがあるかもしれないからという気持ちがある
川崎さんのお人柄が偲ばれる、 飾らない語り口と心地よい声も 魅力的ですね〜😊
今回も貴重なお話をお聞きできて、大変良かったです!
久しぶりの川崎さん😊 毎回貴重な体験談を聞けて嬉しいかぎりです😃
ありがとうございます。次回は1994年5月1日の川﨑さんの思いをお届けいたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします、
今だから聞きたい…ヘルメットのプロフェッショナルの川崎さんへ、セナの事故について聞きたい
マクラーレン時代のセナは アメリカのBELL、レオス、日本のSHOEIを 被りました。
Пікірлер
ホンダアクセスにいらっしゃった川崎和寛さんは昔「ナンバー 」だったと思いますが、インタビューを読んだ記憶があります。レオスは四輪用のヘルメットを出していたと思いますが。
やはり誰にも話せなかった事ですが、セナが亡くなった日に私も同じ体験をしました。 午前2時、小雨の中、橋の上で泣いていると向こうの灯りの下に赤いレーシングスーツのセナが立っていました。 哀しそうに微笑んでいました。彼はバイバイと手を振ると、背に白い天使の羽がはえて、 当時セナが読んでいた聖書の中の絵のように体を横にして北の空に飛んでいきました。 「ああ、また誰か他の人に別れを言いに行ったのだな」と感じました。 当然誰も信じられない話です。でもあれは本当だったのだと思いました。 ありがとうございました。
セナのレオス1991年モデルのヘルメットがカッコよかった。90年モデルよりアゴの部分が上下に広くなり、ブラジルカラーの青緑のラインが少し細く、また後ろに跳ね上がるようなラインになり、色もレモンイエローぽくなってデザインバランスが最高にカッコよかったです。自分もAraiのヘルメットでセナレプリカをオーダーしましたが、帽体が違うのもありますが、やはりレオスそっくりにはならなかったので直ぐ売ってしまいました。今思えば売らずに置いとけばよかったと後悔しています。
ホンダが撤退すると発表した時、インタビューの後、セナが涙を拭きながら走って行ったのはホンダ撤退イコール川崎さんとの別れも思って涙したんだと、今知りました😢セナ辛かったんだね。可哀想になる。その後、川崎さんのような凄い方には巡り会えてないと思う。
川崎さんのお話は、初めて知ることばかりでため息出るほど感心しきりでした。 川崎さんの人間性をセナもリスペクトしてたんですね。
川崎さんて素晴らしい方ですネ❤セナが川崎さんの枕元にお別れに来た話……涙が出ました。😢 いかに深い信頼関係だったか伝わりました❤❤❤
フェラーリへの憧れがどんなにあったとしてもあの時期ならウィリアムズルノー1択ですが、勝ちすぎたからかFIA規制でセナが乗るマシンが改悪され・・・サンマリノ。
もうすぐ30年だね。 ご冥福をお祈りします。
もう30年か。Marlboroヘルメットのセナは代名詞。最期のロスマンズも形は好きだったけど、あの事故でレプリカでも欲しいとは思わないかな〜
本当に良い話を 有難う御座居ました。
レイオスは2輪の青木3兄弟も被ってたよね?
良い話ありがとう。
実に具体的な話です。素晴らしい関係ですね。
ブラジルGPのケーキ投げで招待状紛失したのは91年じゃなかったかな フジテレビの総集編にそのシーンがあるある
こんなに面白い方だと思いませんでした! どんな職種でもトップカテゴリーまで辿り着く方はやはり行動力の振り切れ方がおかしい(笑)
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事故当時のメットのメーカーはどこですか?
94年はBellになります。
@@f1signass260 返信有り難うございます。
川崎さんはセナに「Mr,ヘルメットマン」と呼ばれ、信頼されていたそうでしね。セナの歴代のヘルメットの中でも1991年のレオスヘルメットが一番カッコ良かった。前年使用していたBELLよりも黄色が鮮やかで、左右のラインが若干細くて後方に持ち上がるように描かれ、全面のマルボロマーク両側にダクトがあるのがとてもカッコよくて、本気でレオスにオーダーしようと考えていましたが無理だったのでArai製(GP−2K)でセナレプリカをオーダーした思い出があります。翌年、セナはSHOEIと契約、このヘルメットもアゴ部分が大きく反りだした形状がカッコ良かったですが、レオス91年当時のヘルメット復刻してほしいです。
漫画Fのコミック持ってますが カバーフォトかっこよくて好きです。
91年メキシコGP前のオフにジェットスキーで後頭部に怪我をしたセナ。その時ヘルメット内装を工夫したらしいですがその時の事をお聞きしたいです。
ベルガ―は古き良き時代のドラーバーで、セナは今に繋がるプロフェッショナルなドライバーという印象でした。 その二人が同じチームに居たし時には予選でベルガ―がセナを凌駕するときもあったりと、面白くも不思議な組合せでした。
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今までアイルトン・セナについて語る川崎さんは、懐かしい友人との思い出話というイメージでした。いつか、94年イモラサーキットの出来事を語るのだろうと思っていました。 フジテレビの報道と川崎さんの同僚や後輩の話に相違があるというのは、なんとも言えない気持ちがしました。 アイルトン・セナが帰らぬ人となって、川崎さんに「あとを追うなよ。」と言った人がいるという話も、胸が痛くなりました。 お別れに来たセナ。きっと川崎さんに「ありがとう。」と言いたかったのでしょう。 ブラジル🇧🇷日本🇯🇵 アイルトン・セナ ホンダ 宗一郎氏、川崎さん、ホンダのF1🏁に関わる全ての技術者。 パーツが揃ったことで成し遂げた偉業は、多くの人々の記憶と心に刻まれました。 川崎さんのヘルメットはセナにとって、なくてはならない物だったでしょう。 改めて、そのことを思い、アイルトン・セナとホンダに感謝します。ありがとうございました。
サスガだベルガー素晴らしい。 セナは。。レオスが去ったあとなぜベルにしたんだろうか。イメージだけど、そんなこだわるならアライだろー。
一時期、SHOEI製つこてましたで。
大変貴重なお話ありがとうございました。 お別れに来たセナが寂しそうな顔をして去っていった....という言葉に悔しい思いが残ります。きっとまだまだやりたいことはたくさんあったのだろうと思うと、34歳という若さで逝かなければならなかった彼への思いで言葉になりません。彼は"神童セナ"だったのだろうか....30年近く時が経つ今も悔しさが頭の中をめぐります。
二輪用のヘルメットしか被ったことないですが90年だとまだ市販品では内装が取り外せたりはしなかったんじゃないでしょうか。 やはりセナのオーダー品は最先端だったんですね。 色付きの内装は今でも特注じゃなければなかなか無いと思います。 スモークシールドも当時憧れました。 あの91年だったかジェットスキーで頭を縫った傷に当たらないように内装をカットした時の話とかも聞いてみたかったですね。
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貴さん持ってるのは93年仕様ですね。日本 GPで使ったヤツって言ってたような…
中嶋さんのヘルメットも担当して欲しかった( ̄▽ ̄)
セナは、走り去ってしまったけど、残されたセナを好きな人々は、セナを追って、想って、各々の寿命のつきるまで、生きていくよ。 そして、生ききった時、セナに逢えますように
いつまでも夢に向かって走っていて欲しかった、この一言で泣いてしまいました
貴重な体験談を有り難うございます。
貴重なお話ありがとうございました そして何よりセナと逢えたお話は言葉にならない気持ちになりました
今回も貴重なお話ありがとうございました。 自分も現役でバイク乗り続ける限りセナレプリカヘルメットに頭を通しつづけますし、この世を去るまでセナファンで居続けます(*´ω`) SHOEIの某営業マンから値段が高くて誰も買わないと評判?の紫外線で色の変わるサングラス風「変態シールド」、川崎さんのレオスヘルメット開発秘話を見てから購入しました。なにかと重宝してますよ♪開発してくださりありがとうございます
この世界のアイドルについての非常に良いビデオ。 F1での最初の4年間のセナの親密な生活を伝える新しい伝記があるという発表。この作品は、以下を含む 158 か国で利用できます。日本。 30年以上秘められた物語がWEBで公開中 mygirlbook
川崎さん、少しお痩せになりましたかね? セナの色々な方面のお話を聞かせてくれる貴重な戦友ですね。 エピソードとして文字を読むよりずっと好きです。 どうかこれからもお元気で、動画楽しみにしています。
在りし日のセナさんに 「ラブレターをください」とお話されて セナさんも後日FAXで 「一生良い友達でいたい。」と返した エピソードが好きです。
セナはもういないけど、こうして川崎さんが実際にセナが使用したヘルメットをメンテしている…切ないけど、とても素敵なシーンでした
セナの使っていたヘルメットを所有されていて、サイン入りとは超羨ましいですね‼ 吾輩は、レプリカを2個所有していますが凄いですねぇ~っ‼ 感動しました‼
アイルトン・セナがヘルメットの細部にも拘り、厳しく注文をつけたのは、より速く走ることへの執念もあったと思うけど、より安全に走るためでもあったんでしょうね。だから信頼している川崎さんに、いろいろ意見を言ったんだと思いました。仕事ぶりだけでなく人柄も信頼出来ると考え、重さや内部の素材、捨てバイザーにも注文をつけたんでしょうね。 無事にゴールしなければ、次のレースに出場出来ない。 勝つことと安全性を両立させなけれはばならなかった。 無事に走り続けて引退してほしかった。 セナは生きている、という言葉に涙が出ました。 ありがとうございました。 🏁🇧🇷🇯🇵
よく綺麗に保管してあるなぁ こんな風に内装がなってるのは初めて見ました 家にある30年以上前のバイク用メットは押入れに箱に入れて保管しといたんだけど、内装のスポンジが硬化しちゃって粉になって降り注いで来たよ・・・
今回も貴重な話と貴重なヘルメット、素晴らしく心のこもった仕事を拝見させていただき、ありがとうございました。 手が覚えているという言葉が本当にカッコ良かったですし、心の中ではセナは今でも生きているというのは全てのセナファンが思っていることだと思います。
かわさきさん✨🎗️ありがとうございます🎵🐴🐼🦅🎅🏆️
久しぶりの川崎さん。 セナとベルガーのレーサーとしての違い、性格の違い。興味深く聞かせていただきました。 2人に信頼されていた川崎さん。 やはり誠実な人柄だからでしょうね。貴重なお話、ありがとうございました。
川崎さんだからこそ聞きたい セナの最後のヘルメットについて… たとえ結果は変わらないとしても、何か救いがあるかもしれないからという気持ちがある
川崎さんのお人柄が偲ばれる、 飾らない語り口と心地よい声も 魅力的ですね〜😊
今回も貴重なお話をお聞きできて、大変良かったです!
久しぶりの川崎さん😊 毎回貴重な体験談を聞けて嬉しいかぎりです😃
ありがとうございます。次回は1994年5月1日の川﨑さんの思いをお届けいたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします、
今だから聞きたい…ヘルメットのプロフェッショナルの川崎さんへ、セナの事故について聞きたい
マクラーレン時代のセナは アメリカのBELL、レオス、日本のSHOEIを 被りました。