セナの最後の日を元ホンダアクセスのヘルメットエンジニア川﨑和寛氏はどう受け入れたのか!!最後にはフェラーリに行きたかったセナとの会話。本田宗一郎の決断力などセナファン・F1ファン必見のインタビューです。
貴重なお話ありがとうございました そして何よりセナと逢えたお話は言葉にならない気持ちになりました
いつまでも夢に向かって走っていて欲しかった、この一言で泣いてしまいました
やはり誰にも話せなかった事ですが、セナが亡くなった日に私も同じ体験をしました。 午前2時、小雨の中、橋の上で泣いていると向こうの灯りの下に赤いレーシングスーツのセナが立っていました。 哀しそうに微笑んでいました。彼はバイバイと手を振ると、背に白い天使の羽がはえて、 当時セナが読んでいた聖書の中の絵のように体を横にして北の空に飛んでいきました。 「ああ、また誰か他の人に別れを言いに行ったのだな」と感じました。 当然誰も信じられない話です。でもあれは本当だったのだと思いました。 ありがとうございました。
大変貴重なお話ありがとうございました。 お別れに来たセナが寂しそうな顔をして去っていった....という言葉に悔しい思いが残ります。きっとまだまだやりたいことはたくさんあったのだろうと思うと、34歳という若さで逝かなければならなかった彼への思いで言葉になりません。彼は"神童セナ"だったのだろうか....30年近く時が経つ今も悔しさが頭の中をめぐります。
貴重な体験談を有り難うございます。
今回も貴重なお話ありがとうございました。 自分も現役でバイク乗り続ける限りセナレプリカヘルメットに頭を通しつづけますし、この世を去るまでセナファンで居続けます(*´ω`) SHOEIの某営業マンから値段が高くて誰も買わないと評判?の紫外線で色の変わるサングラス風「変態シールド」、川崎さんのレオスヘルメット開発秘話を見てから購入しました。なにかと重宝してますよ♪開発してくださりありがとうございます
今までアイルトン・セナについて語る川崎さんは、懐かしい友人との思い出話というイメージでした。いつか、94年イモラサーキットの出来事を語るのだろうと思っていました。 フジテレビの報道と川崎さんの同僚や後輩の話に相違があるというのは、なんとも言えない気持ちがしました。 アイルトン・セナが帰らぬ人となって、川崎さんに「あとを追うなよ。」と言った人がいるという話も、胸が痛くなりました。 お別れに来たセナ。きっと川崎さんに「ありがとう。」と言いたかったのでしょう。 ブラジル🇧🇷日本🇯🇵 アイルトン・セナ ホンダ 宗一郎氏、川崎さん、ホンダのF1🏁に関わる全ての技術者。 パーツが揃ったことで成し遂げた偉業は、多くの人々の記憶と心に刻まれました。 川崎さんのヘルメットはセナにとって、なくてはならない物だったでしょう。 改めて、そのことを思い、アイルトン・セナとホンダに感謝します。ありがとうございました。
フェラーリへの憧れがどんなにあったとしてもあの時期ならウィリアムズルノー1択ですが、勝ちすぎたからかFIA規制でセナが乗るマシンが改悪され・・・サンマリノ。
事故当時のメットのメーカーはどこですか?
94年はBellになります。
@@f1signass260 返信有り難うございます。
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貴重なお話ありがとうございました そして何よりセナと逢えたお話は言葉にならない気持ちになりました
いつまでも夢に向かって走っていて欲しかった、この一言で泣いてしまいました
やはり誰にも話せなかった事ですが、セナが亡くなった日に私も同じ体験をしました。 午前2時、小雨の中、橋の上で泣いていると向こうの灯りの下に赤いレーシングスーツのセナが立っていました。 哀しそうに微笑んでいました。彼はバイバイと手を振ると、背に白い天使の羽がはえて、 当時セナが読んでいた聖書の中の絵のように体を横にして北の空に飛んでいきました。 「ああ、また誰か他の人に別れを言いに行ったのだな」と感じました。 当然誰も信じられない話です。でもあれは本当だったのだと思いました。 ありがとうございました。
大変貴重なお話ありがとうございました。 お別れに来たセナが寂しそうな顔をして去っていった....という言葉に悔しい思いが残ります。きっとまだまだやりたいことはたくさんあったのだろうと思うと、34歳という若さで逝かなければならなかった彼への思いで言葉になりません。彼は"神童セナ"だったのだろうか....30年近く時が経つ今も悔しさが頭の中をめぐります。
貴重な体験談を有り難うございます。
今回も貴重なお話ありがとうございました。 自分も現役でバイク乗り続ける限りセナレプリカヘルメットに頭を通しつづけますし、この世を去るまでセナファンで居続けます(*´ω`) SHOEIの某営業マンから値段が高くて誰も買わないと評判?の紫外線で色の変わるサングラス風「変態シールド」、川崎さんのレオスヘルメット開発秘話を見てから購入しました。なにかと重宝してますよ♪開発してくださりありがとうございます
今までアイルトン・セナについて語る川崎さんは、懐かしい友人との思い出話というイメージでした。いつか、94年イモラサーキットの出来事を語るのだろうと思っていました。 フジテレビの報道と川崎さんの同僚や後輩の話に相違があるというのは、なんとも言えない気持ちがしました。 アイルトン・セナが帰らぬ人となって、川崎さんに「あとを追うなよ。」と言った人がいるという話も、胸が痛くなりました。 お別れに来たセナ。きっと川崎さんに「ありがとう。」と言いたかったのでしょう。 ブラジル🇧🇷日本🇯🇵 アイルトン・セナ ホンダ 宗一郎氏、川崎さん、ホンダのF1🏁に関わる全ての技術者。 パーツが揃ったことで成し遂げた偉業は、多くの人々の記憶と心に刻まれました。 川崎さんのヘルメットはセナにとって、なくてはならない物だったでしょう。 改めて、そのことを思い、アイルトン・セナとホンダに感謝します。ありがとうございました。
フェラーリへの憧れがどんなにあったとしてもあの時期ならウィリアムズルノー1択ですが、勝ちすぎたからかFIA規制でセナが乗るマシンが改悪され・・・サンマリノ。
事故当時のメットのメーカーはどこですか?
@f1signass260
9 ай бұрын
94年はBellになります。
@KiyoM1111
9 ай бұрын
@@f1signass260 返信有り難うございます。