ふどきさんの古代日本史考 / Let's think about ancient Japan.

ふどきさんの古代日本史考 / Let's think about ancient Japan.

ふどきさんが
古代日本史を妄想解釈するチャンネルです。
 ※あくまで妄想です🤣

古文献を読み解きつつ
古代日本を歴史として
妄想解釈します😆

古代史の妄想解釈は、古代旅のチャンネル内でも紹介してます!

※すみません、返信は控えてます🙇‍♀️
※最近は宗教解釈から歴史解釈へ切り替えています

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※現在は古代史観考ver1.3です(2024/3/31時点)

◆ふどきさんの妄想解釈状況
古代史観考ver1.4:古墳情報を加味し、文献史学を妄想解釈(※2025年公開予定)
古代史観考ver1.3:多層重複近似構造を用いて、古事記&日本書紀の構造を妄想解釈 ←★今ここ
古代史観考ver1.2:古事記&日本書紀の時系列を調整しつつの妄想解釈
古代史観考ver1.1:古事記&日本書紀の一般的な通説を把握した上での妄想解釈
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※注意点
このお話はふどきさんの妄想解釈です
通説や神社さんお寺さんや公式見解が正解となります
エンタメとしてお楽しみください
特定の団体、名称、地名、人名、宗教とは関係ありません
ふどきさんはよく言い間違えます。あたたかな目で、お見守りください

Пікірлер

  • @user-ne7it2yq5d
    @user-ne7it2yq5d5 сағат бұрын

    すきです

  • @chikaru1978
    @chikaru19786 сағат бұрын

    こちらのチャンネルの動画を色々見てきましたが、スサノオは出雲に来なかった、と聴いて正直ブチ切れました。 どうして、一番敬虔で信心深い島根の人々の信仰を、軽い口調で否定することができるのでしょうか?島根の人々は、最近阿波国風土記が話題になって得意になって騒いでいるにわかとは違います。 出雲国風土記が、神須佐乃烏命(かむすさのを)と御子神の伝説をほんの少しだけ残し、20年ダメ出しを食らい続けたのは何故でしょうか? 逆に日本書紀が、ヤマトノオロチ神話について、いくつも異伝を書く残す良心を持っていたのは何故でしょうか?テナヅチという化け物の名を被せられ、貶められていたクシナダヒメの母の、須佐の女王としか思えない称号を、本文には書けなくてもひっそり異伝で明かしたのは何故なのでしょうか? 長髄彦にしてもそうです。地元の人たちは戦前戦中と小学校の授業で「お前達は逆賊の子孫だ!」と教師に罵倒されても長髄彦に対する敬愛と末裔である誇りを決して捨てませんでした。 日本三大怨霊の平将門公も、地元では名君でした。今でも自分たちを守ってくれている存在と慕われています。平将門公は、架空の人物ですか? ヤマトタケルは伝説上の人物とされますが、晩年の持統天皇が祟りを恐れて行幸し、彼の死を悼む鎮魂の歌が現代でも天皇が崩御されると歌われている、それでも架空の人物でしょうか?何の根拠も無いことに、かくも長い間、人間は地元の伝説を強い意志で守り愛することが出来るでしょうか? 明治天皇が即位後に真っ先に行幸されたのは、氷川神社(氷川信仰の聖地。ひかわ=斐伊川と言われる)でした。何故でしょうか? 妄想という言葉を使えば、何を配信しても良いし人の心を踏みにじる言葉を軽い口調で吐いても良いのでしょうか? あなたには人の心がないのですか? それから、「客人信仰/まれびと」について調べて下さい。少彦名が神去った「常世」というのは海人族にとってのあの世で、海人族が信仰する神聖な場所です。 だから、遠い海の向こうから流れ着くものを貴いものだとありがたがるのです。水死体ですら「えびす」と呼び神聖視し縁起の良いものとします。 国宝「百済観音」は、実は国産でした。素晴らしい技術で作られた見事な仏像なのに、海の向こうの百済から来た、或いは新羅かから来た、と言った方が箔が付く時代があったのです。 ヤマツミという人物はいなかったでしょう。ワタツミも然りです。 でも、神はいたでしょう。このような自然霊、大自然の神は日本古来のものなく、全て「渡来」の神なのでしょうか? かつて、渡来人は「帰化人」と呼ばれていました。でも、日本人だけの視点で言うのはおかしいという馬鹿馬鹿しい理由で、征服感を醸す「渡来人」に変えられました。 古代の「帰化人」は、基本的に海外の負け組です。半島や中国に居場所がなくなったので、逃げ出して辿り付いた日本に帰化したのです。受け容れられるために、腰を低く努力したことでしょう。得意になって日本をリードしようと図々しくなるまで、数代はかかったでしょう。 これは、縄文時代から驚異的な航海術で海を行き来していた海人族の人々の在り方とは、全く違います。 貴方が持たない情報を、何か役に立てばと今までコメントして来ましたが、この鬱陶しい長文を最後としますのでご安心下さい。 削除しても構いません。

  • @chikaru1978
    @chikaru19788 сағат бұрын

    彦火火出見みたいに、頭に「日子」があるのなら、本来はこの人が跡取りだった気がします。でも、日本神話は徹底的に末子成功譚で(世界中にある神話の類型)、ニニギ(兄がいるかも)~神武まで全部末子が勝ち組です。そもそも出雲が末っ子姫に継承権があって、婿にならないと王になれないという影響もあるかと思いますが(オオナムチも八十神の末っ子)。ヌナカワミミも特に珍しくない末っ子出来レースだと思って気付きませんでした。神八井耳も、大国主同様に祭祀担当で政治から退くと言っているんですよね。 あと、土地はあまりに気にしすぎなくていいと思います。人間は集団で移住することがあって、移住先にも自分たちの神話や地名を持ち込むからです。 この動画では、既に神武天皇はいなかった説になっているんですね。私は加茂大御神ことアジスキタカヒコネ=上賀茂神社の別雷が神武に相当すると思っていたのですが(アジスキタカヒコネはオオナムチの娘・稚国玉を后に強奪(多分)しているので、お家騒動はあったけど東征はしてない)。 ちなみに、磯城は「しき」と読むパターン(何故か音読みではキキにしかならない謎)の他に、「いそき」と読むパターンがあります。「しき」「いそき」は転訛する場合が多く、アジ「すき」タカヒコネ、ヒメタタラ「いすけ」ヨリヒメ、元を辿れば五十猛(いそたける)のような気がします。

  • @chikaru1978
    @chikaru19789 сағат бұрын

    バーベキューなんてやったっけ?と日本書紀を読み返しましたw やってますね酒宴。私は神武東征は懐疑的ですが(お家騒動を盛りまくっただけだと思う)、この地で合戦があったのはそうなんだろうなと思います。権力者って身内で殺し合いするものなので。 少なくとも出雲の国譲りとか言う戯言よりもずっと真実味があります。話し合いで国を明け渡す訳が無い。昭和天皇とマッカーサーみたいなもん。

  • @masamasaict7312
    @masamasaict731219 сағат бұрын

    Wikiによるとアメリカやヨーロッパでは海進は確認されていないらしい。気候変動ではなく地殻変動だと言われたら、いろいろ見え方が違ってくる。温暖?ふーん(笑) 登呂遺跡を基準に9mにすると面白い。出雲が島に。一大国?香取鹿島もある。ヤマタノオロチさん残念!福井は海の底。徳島もあり得ん。

  • @chikaru1978
    @chikaru197819 сағат бұрын

    既に書かれている方がいらっしゃいますが、何を根拠に近親婚を否定しているのか全く分かりません。皇族の系図を見ていれば絶対そんな事言えないと思うんですけど。 何故異母兄妹・異母姉弟の結婚がOKかというと、ごく単純に「違う家の子」だからです。日本は長らく通い婚でしたので、子共は母の家で育ちます。一夫多妻で余所に別の奥方がいても、その方はその方で自分が産んだ子共だけが「自分の子」「自分の家の子」なのです。だから、まあ親戚だなくらいの意識はありましょうが、よその家の男女が結婚しても何ら違和感が無いのです。ついでに財産は母系で引き継がれるので、息子はさっさとどこぞの良い姫を見付けてこいと夜中に放牧されるのです。

  • @chikaru1978
    @chikaru197820 сағат бұрын

    崇神・垂仁と続いて「入彦」なのですが、どちらも「入婿」の可能性が高いです。それ以前に「入彦」が出てくるのは、神代の「玉櫛入彦」の事代主です。そして、神武即位後「豊」だらけになっていた皇族ですが、垂仁天皇の子共にふたり「櫛/クシ」が混入している不自然(そして今後無い)。どうも時代感があやふやな天皇です。 しんみりしている所恐縮ですが、このお話は古事記バージョンの方が面白いです。古事記では、狭穂姫の出産は燃え盛る稲城の中です。 垂仁×狭穂姫の間で、ニニギ×サクヤの「火中出産」、山幸彦×豊玉姫の「子共の名付けはどうするんだー!!」…という二代分のエピソードが詰め込まれています。 そして、狭穂兄妹は同母兄妹ですが、垂仁天皇のふたりめの皇后は、狭穂姫の妹ではなく姪ではありますが、ウガヤフキアエズエピソードに似ています。 ヒバスヒメは妹たちと一緒に入内するのですが、垂仁は結構カスで、妹のうちひとりorふたり(記紀で違う)をブスだからと送り返したイワナガヒメエピソードをやらかしています。しかも、返された妹姫は恥じて自殺。誠実な男がある日突然クズになる訳もないので、狭穂姫への寵愛も長続きしないと兄が心配して、オレの方が…!と思っても仕方が無い。 狭穂姫は「よくわからなくて答えてしまった」とか言ってますが、かなり苦しい言い訳で、兄に答えたとおり兄が本命です。兄も妹が本命です、男女の仲的に。同母兄妹密通の話なんて後代ちょくちょくあります。 兄も共に国を治めようと言っているので、自分ひとりで大王になろうとは思っていない。狭穂彦は、兄弟姉妹がペアで国を統治していた古代のヒメヒコ制の時代(寧ろ古代は巫女王が格上)を知っていて、愛する妹と反乱を起こそうと思ったのです。

  • @chikaru1978
    @chikaru197821 сағат бұрын

    アカルヒメは日光感精神話+卵生神話ですが、白い石の女神様は卵生神話の派生型という感じですね。

  • @chikaru1978
    @chikaru197821 сағат бұрын

    2年前の動画なので、今はもう御存知かもしれませんが、古語で「いろ」とは「同母の~」という意味で、「いろと」=「同母の弟か妹」、「いろね」=「同母の兄かあね」、「いろせ」=「同母のの兄か弟」です。 なお、磯良は対馬の阿麻氐留(人格化されていない太陽神)の光を浴びた人間の女性が身篭もって生まれた「海童」です(日光感精神話)。「少童」「海童」と書いてワタツミという読みを残した日本書紀は、案外誠実です。海童磯良の時点では、「命/みこと」が付きません。当時は海神まで至らず、を自由に泳ぎ回る精霊のような存在だったからです。それがワタツミ神に変化したと思われます。 対馬は母子信仰の土地で、神魂から天童(太陽の子共)が生まれるという母子がセットであるように、豊玉姫も原形は太陽の子・海童を生んだヒルメであり、磯良の母です。

  • @chikaru1978
    @chikaru1978Күн бұрын

    スサノオは高天原から天降って稲田の姫をゲットした雷神属性(そして泣き喚いて五月蠅い=雷雨?)なので、雷をつかまえるエピソードは面白いです。それから、別の所でも書きましたが全国の天神社の祭神は、菅原道真公に書き替えられる前は少彦名、天穂日でした。記紀にそのエピソードが無くても、彼らは雷神として信仰されていたし、少彦名は小人でもないのです。 以前から私が興味を持っていたのは、「豊/とよ」に対する「櫛/奇/くし」です。「クシ」って、出雲サイドにしか出てきません。櫛玉彦(饒速日)櫛玉比売(三炊屋媛)、天日方奇日方(鴨王)を最後に出て来なくなります。後の天皇・皇族の和風諡号は「豊」だらけです。例外的に垂仁天皇の子に「櫛」が2名ほど見えますが、垂仁天皇の辺りのエピソードは色々訳ありな感じなので除外すると、本当に「豊」しかない。ひとり勝ちです。 久斯神(くしのかみ)というクシ代表みたいなのが何故か少彦名なんですが、この人実はスサノオでは?と思っています。

  • @chikaru1978
    @chikaru1978Күн бұрын

    名前が似ているから同一神、というのはあまりにも乱暴です。日本各地に「ウカ」「ウケ」「ケ」が付く神はたくさんいたはずで(食は身近なものですが命に関わる)、今もたくさんいるようでいてこれでもだいぶ習合して数が減っているはずです。例えば猿田彦は見るからに太陽神なのに、道案内を終えるとあっけなく死んでしまいます。太陽神は二柱要らないので退場させられたのでしょう。 なお、筑紫社は特別に丁重に扱われているようで(嫡后のスセリヒメよりも)、その辺りからして不審です。でも、そもそも大国主とスセリヒメが夫婦だけで祀られている神社って、春日大社にしかないんです。必ずお邪魔虫(?)がいる。少彦名と三点セットの事が多いです。少彦名の別名に「久斯神/くしのかみ」があります。神社の祭神の書き替えはあるあるなので、その線かなと。 2年前の動画ですので、割とメジャーな大年(大国主の幸魂奇魂大物主)=饒速日説は、もう今では御存知でしょうか。スセリヒメ=宗像三女神説もあります。 佐太神社にもゴタゴタがあり、祭神が猿田彦に変更になったのは明治時代です。元々は『佐陀御子神』という地元の神様を祀っていたのに、松前藩から「猿田彦にしろ」と言われて、神社側は断っています。でも、今このようになっているということは神社側の主張が通らなかったのだと思います。

  • @chikaru1978
    @chikaru1978Күн бұрын

    2年前に米の朝鮮半島経由が今の学説に合わない、というコメントしている方がいらっしゃいますがその通りで、日本の米の遺伝子は長江流域のものと似ています。 それから、このチャンネルは「渡来」という言葉を連呼していますが、それは海人族の存在が考慮に入れていないと思います。日本は山がちで陸路はほぼ役に立ちませんから、海こそが道です。縄文時代は古代の大航海時代で弥生時代もある程度続いていたはずです。海に国境なんてありません。海人族は行ったり来たりで商売をしていました。でなければ日本の黒曜石がロシアで発掘されることもないし、新羅王の冠が糸魚川の翡翠でジャラジャラ飾り付けられることもなかったでしょう。 なお、サンプルが少なすぎるというのは致命的で、特に韓国は日本より新しい前方後円墳が発見されると破壊して円墳に造り変える国ですので(立地上他民族から何度も征服されてきた歴史は強い屈辱なのでしょう)調査結果はあまりあてにしない方がよいかと。 近年話題になった「古墳人」も怪しい。これもサンプルが少ないしサンプルの傾向も偏っているからです。 長くなってしまいましたが、日本語はそれでも特殊です。言葉は枝分かれしても、数詞はあまり変化せず類似性を維持します。「ひふみよいむなやこことお」の類似を聞いたことがありません。私が知らないだけかも知れませんが。

  • @chikaru1978
    @chikaru1978Күн бұрын

    神阿多都比売(サクヤヒメ)、神大市比売、神屋楯比売、という頭に「神」が付くのは神威の強いこと、という説明で過去に納得していましたが、古事記がアジスキタカヒコネとは「迦毛大御神/かものおおみかみ」という爆弾を古事記が投下して来ます。アジスキタカヒコネが皇祖で、「神/かむ」が頭に付く女神は「かも」だって言いたいんですよね。アジスキタカヒコネ=賀茂別雷=上賀茂神社の祭神で、歴代天皇は上賀茂神社には気軽に行幸しても、伊勢神宮には明治になるまで全く近付かなかった。それから「アタ」ツヒメ、出雲郷(あだかえ)の「阿陀」加夜努志多伎吉比売という程度に、当時九州にいたかどうかはともかく「アタ」というルーツを誇りに思って名乗っているのでしょう。因みに、天日方奇日方って人が突然、鴨王(かものおおきみ)とか言い出して、奥方は日向賀牟度美良姫(ひむかのかむとみらひめ)で「ひむか」と「かむ/かも」なので、出雲(旧大和含)ってどんだけ九州なの、という感じです。

  • @kiyotokoyama
    @kiyotokoyama2 күн бұрын

    自称飯富氏藤岡市の平井城の砦に飛石、実家の平井に飛石の小字あり。榛名神社あり、榛名平地名あり。火山灰の下になった族長と親せき?

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    名君でもだらしない女好き=仁徳=大国主、嫉妬深くも愛され妻=磐之媛=スセリヒメ。それ以外の要素は考えたことがありませんでした。古事記は八田皇女が身を引いて元鞘コースの暗示もありますが、スッパリ愛想を尽かして仁徳の元に帰らなかった日本書紀バージョンの方が好きです。仁徳は、求愛した女性が他の男性と結婚したからと腹を立てて、その夫婦を惨殺という残虐性もあって、ヌナカワヒメも地元では夫がいたのにオオナムチに殺されてしまったとか、連れ去られる途中で逃げるも自殺とか、非道なエピソードがあります。 実は、スセリヒメも大国主から逃げている可能性があります。出雲国風土記にカミムスビの子・綾門日女(あやとひめ)が登場するのですが、3つか4つ存在する宇賀神社(ひとつは宇迦郷にったはず)、宇迦之御魂=スセリヒメらしきお姫様です。お社の後ろに穴が有る稲荷神社特有の作りになっているところもあります。結構な長距離を本気で逃げている様子で、最後は黄泉の穴に隠れてしまった、バッドエンド。追いかけた大国主も「杵築の社を抜け出して」きたという、怖い話です。今とは違って、かつての杵築大社(出雲大社)は大国主だけ祀られていたのかも?と思いました。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    今でも出雲郷と書いて「あだかえ」と読むので、アダカヤヌシ(主、とついているのがすごい)様はこの辺りの女王クラスだったんだなあと。このくらいになると「稚国玉/わかのくにたま」の異名を持つ下照姫くらいしか思い付きません。香香背男が姪っ子を神武の魔の手?から守ろうとした長髄彦だったりしたら泣けます。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    高貴な巫女(女王やその娘=日女)は、神事の一環で機織りをします。七夕の織女も天帝の娘なのに機織りに励んでいますし、高天原でオオヒルメやワカヒルメが機織りをしています。サクヤヒメも機織りをしています。神話に登場する神はほ王家や豪族の人間の投影なので、機織りをしている女性という言葉でわかるのは、高貴な姫(日女)だということだけです。科学がほぼ無い時代、神懸かりする巫女は神に等しく、とても地位が高いのです。神とイコールなので、神の言葉を聞き取った人物が周囲に代弁することを「事代する」と言います。 なお、仕立てるという言葉は新しく、古語では「仕立つ」です。また、下照姫には高比売(たかひめ)という別名があり、下か上かどっちかよとイラッとしたことがあるのですが、前者は「下を照らす姫」後者は「高い所にいる姫」で雷神です(兄のアジスキタカヒコネも雷神)。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    記紀どっちも本当でタカミムスビとカミムスビの間に生まれた子共なら、対馬に残る信仰では天童(日の子共=日子)です。小人なのは、子共のイメージを残しているからかもしれません。 なお、日本には植物には火が宿っているという信仰があります。太陽とはまさに天火明(天の火の明かり)なので、豊饒の神に結びつくのは自然な事かもしれません。 また、少彦名は雷神でもあります。全国の天神社が菅原道真に書き替えられる前は、少彦名と天穂日でした。次いでスサノオです(今でも少数残っています)。どうして書き替えが行われたのかまでは知らないのですが。 あと、「そぼ」で合っていたら申し訳ないのですが、古語では「祖母」は「おほば」と読むことが多いです。祖父は「おほじ」です。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    追加ですみません。むしろ古代ほど近親婚を推奨していたのでは?異母兄妹・姉弟だったら積極的に縁組をしています。蘇我氏の辺りの皇族もすごいですし、天智天皇は天武天皇に自分の娘を4人も嫁がせています。たまに同母兄妹で密通して処罰されていたりするので、かつては同母でもOKだったのでは?世界中の王族がかつて近親婚をやっていましたが、権力者にとって近親婚は権力と財産の分散を防ぐために合理的なのです。

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u2 күн бұрын

    徳川幕府が鎖国政策とったのわかりますね❗絶えず朝鮮などからの侵攻を受けていて、権力者が交代するのが日本の歴史だったから!☺️室町幕府の足利氏も上野ですしね。騎射が最大の武器ですね

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    日本書紀から出雲神話がスッポリ抜け落ちているのはとてもシンプルな理由で、「日本」書紀だからです。対外向けの書物ですから敗北国の歴史は必要ありません。 でもスサノオは皇祖だし、後々祟り神が現れたりするので最低限書いた、その程度だと思います。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    あと、祟ったのは御年神です。御年神は大年神の娘で神武の大后です。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    サクヤヒメとイワナガヒメの神話はバナナ型神話という、日本以外にも見られる類型です。また、サクヤヒメはチルヒメです。花はすぐ散ってしまうからイワナガヒメが必要だった。でも、日本はこれでもかというほど磐座信仰の国です。「巌となりて苔のむすまで」の君が代の姫が貶められたままで済むはずがありません。播磨国風土記をお読みになっているなら伊和大神(オオナムチと同一視)の妻は伊和都比売大神ですし、子孫が石・磐(どちらもいわと読む)だらけなのは御存知かと思います。許乃波奈佐久夜比売命が妻であったことも。 オオナムチが6世の孫なのは、跡継ぎは5世の孫までルールで「6世のお前はスサノオの跡継ぎにはなれない」、チルヒメが妻なのは「お前の国はすぐ散る」という嫌がらせ系図ではないでしょうか。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    出雲国風土記が大和にダメ出し食らいまくって20年というのは同意します。ゴッソリと神話が削られている気配がする。でも、出雲には今でも素戔嗚・五十猛にまつわる土地の民間伝承が数多く残っていて、神社や磐座がそれは大切にされています。出雲国一宮・熊野大社では、スサノオは愛とむすびの神(縁結びじゃなくて苦難があっても何度も幸福に結びつけたという意味)とまで言われているのに、外野が軽々しく踏みにじってはいけないのでは?島根の信心深さは格別で、鳥取ではそうでもないそうです。 出雲国風土記で「島根と号くる所以は、国引き坐しし八束水臣津野命の詔りたまひて、名を負せ給へるなり、故、島根と云ふ」と言っているんだからもう島根が根の国でいいじゃないのと思います。

  • @chikaru1978
    @chikaru19782 күн бұрын

    「山/yama」の語源には諸説有りますが「水」を意味する jam-、jim-、jum-、jem-、jom- から来ているようです。ヤマツミの宮殿が波の上にあったのは、ヤマツミがかつて海神だった名残で、神話から読めるのも海の中の「島の神」のように思えます。海人が何を頼りに航海するかというと陸地の山ですので、そこから山の神様に変化したのでしょうか。日本語はyが消えやすく「雨/ame」なども同源です。 ワタツミの「ワタ」は朝鮮語の「パタ」と同じで、元々は「原野」でした。海がだだっ広いのでパタ、ハタ、になったのでしょう。「畑/はたけ」も同源です。 尚、乙子狭姫の民話と巨人伝説はは比較的新しいものと思います。クシナダヒメの父は稲田宮主須賀之八耳神(記)、紀の異伝にはテナヅチ妊婦バージョンもあって、名を稲田宮主賛狭(すさ)之八箇耳と言います。ヤツミミとまで言うのなら、ヒメヒコ統治の王の称号と見ていいでしょう。これを隠す為に、妖怪みたいな巨人の名を被せたのだと思います。 また、佐比賣山神社に祀られている女神はスセリヒメです。

  • @chikaru1978
    @chikaru19783 күн бұрын

    強烈なタブーなのは、素戔嗚と五十猛の植樹に関わる土地のことでは?「禁足地」です。宗像三女神の島もそうですし、神仏に強く関わる場所でそういう禁足地は珍しくないと思います。 対馬には「オソロシドコロ」と言われている土地もあるので、確かに強烈なんですけど。

  • @chikaru1978
    @chikaru19783 күн бұрын

    2年前の動画なので、スタンス変わっているかもですが、処女性が問題になるのは後世に大陸から入って来た価値観では? サクヤヒメは記紀のどっちかで機織りをしていた巫女ですし、豊玉依姉妹も櫛玉比売(三炊屋媛)も玉櫛姫(下照姫?)も結婚して子孫を残しています。卑弥呼も未年長大で夫がいない未亡人かもしれない。神武后も伊須気余理比売、綏靖后も五十鈴依姫で、どちらもヨリヒメです。 日女(ひるめ)が子を産んだという伝承は対馬、九州辺りに複数あって、寧ろ日の神の妻が日女で、日女は日子を生むのです。 あと、嵯峨天皇が「素尊は皇国の本主なり云々」と仰せで津島神社に日本惣社の号を贈ってしまい(社伝)、津島神社は今でも堂々と日本惣社を名乗っているので、宮中には記紀とは別系統の伝承があって記紀は知られてなかったのかも。 ここの動画に辿り着いたのはつい最近なので、次回に期待。

  • @chikaru1978
    @chikaru19783 күн бұрын

    1年以上前の動画のようなので、もう御存知かと思いますが、複数の神社の祭神や社殿によると、御年神は女神で、祟り神で、神武皇后で、向日神(むかひ。嫡妻/むかひめ。出雲大社のスセリヒメも御向社)、高照光姫(たかてる。盛りすぎ)、と祟られないように讃美してる感が満々なのですが、下照姫です。でも、出雲では高照光姫の名では祀られていません。 あと、出雲国風土記にどっちも「いぬ」と読む「伊努郷」「伊農郷」という土地の謂れがあるのですが、天甕津日女命(あめのみかつひめ)という姫神が出てきます。伊努神社に夫神と祀られています。wikiでは伊怒比売を「いのひめ」と読ませていますが、いぬひめでミカツヒメとイコールなんじゃないのかなと思います。 ミカツヒメも祟り神で、『尾張国風土記』逸文で多具国の阿麻乃弥加都比女が「私を祀ればホムツワケ皇子は言葉を話す」と言っているそうです(自分では未確認)

  • @chikaru1978
    @chikaru19783 күн бұрын

    このストーリーで天孫降臨と神武東征=孫の即位を正当化できるわwww と満足してた持統の頭の中おかしい。これが当時の権力者の当たり前の価値観かあ

  • @user-ze6gh3iy7z
    @user-ze6gh3iy7z3 күн бұрын

    上毛野だか下毛野、どっちかが群馬県、応神天皇は群馬県民、タカハセノキミ。この人豊国宇佐連合系の物部の子孫で、神功皇后の子じゃ無い、神功皇后の子は七歳の時に他界。タカハセノキミは崇神天皇か垂仁天皇の子孫。

  • @chikaru1978
    @chikaru19783 күн бұрын

    天道日女が対馬由来なのはそうだと思いますが、その名で祀られている訳ではありません。天日神(阿麻氐留/元は人格神じゃなくて素朴なおてんとさま)の光を浴びた人間の女性が天童(日の子共)、海童(海の子共→磯良)を産んだという信仰、伝説があるのですが、女児を産んだという伝説は聞きません。女性は太陽の妻であり、日子の母であって、日女(ひるめ)です。 旧事紀は面白い書物だと思いますが、対馬の古い信仰に興味がある自分としては、余計なアレンジをしてくれたなという感想。 因みに、おひでり様という女神バージョンもありますが、こちらは雷神と一対の別形態です。 対馬は地域によって違う信仰が引き継がれていて、カミムスビは(タカミムスビの)女房神と言われいるので「父はカミムスビ」と聞いただけでこれじゃない感。タカミムスビは、たかおむすび呼び(だったかな。表記は男か雄で)されています。 信仰形態がどんどん変化していくのはどうしようのないことなんですけれども、原形やそれに近いものがわからなくなっていくのはつまらない。

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u4 күн бұрын

    韓半島への出発地は筑紫と宮津だったのでは❓️高句麗の東川王が侵攻して来たルートでは?高句麗には馬🐴80頭を乗せる船🚢があったようです。

  • @user-jd6eo7cb6g
    @user-jd6eo7cb6g4 күн бұрын

    物部氏の中から上毛野➡下毛野なって前後で中臣の鎌足~藤原姓が波及! (上賀茂神社)上毛野➡田道(将軍家)=田辺⇒田尻(檀上家)→田中、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・            井川、井口、井村、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  上毛野は沢山分派しているので知ってる範囲で少し➡直江、西川、岩崎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・            (下賀茂神社)下毛野➡河合➡川合⇒三井、浅井、赤井、筒井、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まあ家の家系を見るとこんな感じです。川合家から菅原家に嫁を出して生まれた子が広瀬姓(広瀬大社)なり 皇室に嫁いで清和源氏になり河内源氏の時に母元の田辺家に臣籍降下していたらひひひ孫の代に高僧が出て 天皇から京都に帰還命令がでて警護職を授かり平安時代(1183年)から明治までずっと天皇家の家臣です。

  • @kdmdouble
    @kdmdouble4 күн бұрын

    平安時代において上毛野氏が百済系とされたのは、おそらくその最低でも百年前から上毛地区には渡来人が多くいたからであろうとも思いますけどね。 多胡碑によれば、「羊」というよくわからない人物に郡衙を任せたという話もあります。上毛では馬の埴輪が見つかっていることからおそらく渡来系の馬産家も多くいたことでしょうし、これらを纏めるリーダーもいたことでしょう。 それを元にした羊太夫伝説も、八束小脛という明らかに八束脛≒土蜘蛛とされる人物も出てきますしね。羊太夫伝説は明らかに後世の創作ファンタジーではあるものの、渡来系と蝦夷系の勢力が統合した巨大な勢力がいたことを暗に示しているようにも思えますしね。

  • @takeshi492
    @takeshi4925 күн бұрын

    あーっ!なるほどです

  • @misato7612
    @misato76125 күн бұрын

    結局東北の奥州藤原王朝は、源頼朝という西日本を制圧したスゴい奴の出現と、ちょっと弱めの藤原の三代目の時代だった偶然のおかげでやっと倒せたことや、あの鎌足の藤原氏とは無関係なのにあの人たち藤原氏と名乗ってたなぁというのがめっちゃクロスしました。あっ、奥州の奥も「おう」って…それは関係ないか

  • @kyupytarou
    @kyupytarou5 күн бұрын

    ますます混迷です。 迷路に出口はあるんでしょうか… 東日本の記録が少なすぎですね! 古墳や遺跡の分布をざっくり踏まえても強大な覇権が存在したのは確かなのに全容が皆目謎のままです。 上毛野氏は一体? 出雲の口伝などから応神天皇の出自の可能性も見えてきたりします。真偽を疑うばかりです。ただ尊重したい思いはあります。 本日暑いので少しでも涼しい福知山辺りをウロチョロしようと練ってます。

  • @satokatsuUT
    @satokatsuUT5 күн бұрын

    お🐂 これは妄想なのか? 色々と腑に落ちた

  • @user-xx7vn7cz9d
    @user-xx7vn7cz9d7 күн бұрын

    ネフティスと繋がりそうです😂

  • @user-ne7it2yq5d
    @user-ne7it2yq5d8 күн бұрын

    続きが知りたいです🙇

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u9 күн бұрын

    🈷️読!💃匈奴の氏族の月支族の渡来譚の妄想がとまりません❗ペルシャ人の遺伝子も持った月支族は鬼伝説の主役、しかも騎馬民族、インド、雲南を経て奄美大島、韓半島と九州に🎉そして出雲、丹波へ移動が止まらない一族?😈

  • @lebaronde3204
    @lebaronde32049 күн бұрын

    入れ替わり説と微妙に似た話しとして、垂仁天皇の第一皇子・誉津別命と、応神天皇の幼名・誉田別命がそっくりと言われてますね。なにかあるのでしょうか?

  • @新山弘太郎
    @新山弘太郎9 күн бұрын

    続き出して欲しいですまき😢!!!

  • @yasigoya740
    @yasigoya74013 күн бұрын

    万葉集は新羅語百済語を踏まえ漢字表記されてます。また不比等が捏造した天智天皇の日本書紀の記事が出鱈目であることを暗示している⁉️渡辺康則氏の本にありました。大伴氏は新羅❓高句麗❓系の氏族で韓半島に出入りしてるようですね

  • @kn-jk4lk
    @kn-jk4lk16 күн бұрын

    みま城入彦のみまは、徳島にある美馬という地域が候補の一つでは? 魏志倭人伝で書かれている 邪馬台国の有力な役人の彌馬升(ミマショウ)や彌馬獲支(ミマワキ)のミマと関係しているのでは?

  • @kn-jk4lk
    @kn-jk4lk16 күн бұрын

    吾恥(aahaji)はahaji(淡路)では?

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u17 күн бұрын

    ニ王朝があるほうが自然ですね🐝韓半島ではぐちゃぐちゃで争ってますね😂

  • @littleenid1
    @littleenid117 күн бұрын

    歯黒→羽黒→八咫烏→鈴木、榎本、宇井氏とかとか

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u18 күн бұрын

    建斗米命、建は福建省の略なので航海術や海戦はお手のものでしょう、薩摩や土佐も建日別の別名があるので黒潮に乗れる人びとだったんでしょうね。紀伊にも早い時期に住み着いてた海洋民ですね😅

  • @user-wm7ez5ep2r
    @user-wm7ez5ep2r18 күн бұрын

    コピペは大事w