【ゆっくり解説】 江南流遇政権 東晋の成立 司馬睿 【東晋 五胡十六国】

八王の乱の嵐が吹き荒れる華北を脱出し、ほぼ徒手空拳で長江を越えて江に乗り込み、晋の後継王朝東晋を築いた司馬睿らの苦闘を紹介します。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
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Пікірлер: 179

  • @kazsteinkreis8570
    @kazsteinkreis8570 Жыл бұрын

    古くから江南は豪族の力が強い土地で孫呉の時代もそうでした。 そこに「よそ者」として地盤を築くだけでもすごいのに正当な後継王朝まで打ち立てる王導。凄まじい調整力をもった政治家だったのでしょうね。

  • @shou-sho
    @shou-sho Жыл бұрын

    張昌・石冰・陳敏どころか周馥に華軼まで出てきたのは、正直度肝を抜かれました。あらためて鳥人間さんの凄さを再認識。

  • @servantofJ
    @servantofJ Жыл бұрын

    王敦の反乱があっても家を立て直して、南朝を通しての名門貴族の礎を築いた王導改めてやべーわね

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    江南の貴族文化と習ったぜ

  • @yuten1992

    @yuten1992

    Жыл бұрын

    王導って王羲之の父ちゃんの従兄弟じゃん。やべー一族のメンバーってことか。

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    @@yuten1992 王羲之って書道の神様だもんな

  • @Unchiku-say

    @Unchiku-say

    Жыл бұрын

    @@yuten1992 さん ちなみに琅邪王氏は、 漫画キングダムでお馴染みの 王翦、王賁の末裔と言われてますね。 (信憑性には疑問ありらしいですが)

  • @ravilsan1987
    @ravilsan1987 Жыл бұрын

    西晋も東晋も香田晋もいつの間にか爆散した感がある

  • @user-ob6bf3cm6d

    @user-ob6bf3cm6d

    Жыл бұрын

    香田晋ってめちゃくちゃかけ離れてますね😂🤣😂🤣でもめちゃくちゃ懐かしい

  • @user-fb5nj9mm6x
    @user-fb5nj9mm6x Жыл бұрын

    南朝シリーズのトップバッター東晋の紹介ありがとうございます。 華北とはまた別のヤバさがある華南のカオスの紹介、楽しみにしております。

  • @user-sl8fs5fp1k
    @user-sl8fs5fp1k Жыл бұрын

    華北は言わずもがなだけど華南も華南でカオスになるんですよねぇ…………劉宋とか南斉とか

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    @@sankishin8080 そして宇宙大将軍が…。

  • @Legendary_mapo_tofu
    @Legendary_mapo_tofu Жыл бұрын

    南に逃れたで終わらせられる話も掘り起こせば凄いドラマがある。面白い

  • @taknar4020
    @taknar4020 Жыл бұрын

    司馬睿自身の活躍が地味なせいか、東晋の成立過程の詳細な解説動画って少ないから非常に有り難いです。 東晋は帝室の政権基盤が貧弱ぅ~なのに意外と長続きするのが、北方の五胡政権との対比になってるのも面白い。

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    世界史Bだと東晋って空気だった

  • @user-jz3xd8fv8y

    @user-jz3xd8fv8y

    Жыл бұрын

    或る本で歴代中国王朝史上、少しも人気がない、と書いてあった東晋をよくぞここまで解説されてくださり大感激!今後のもろ諸々にも期待たっぷりでおまつ

  • @user-xj1ug3xk5h
    @user-xj1ug3xk5h Жыл бұрын

    教科書だと簡単に南に逃れたって書いているけど、その経緯、めっちゃ面白いやん

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    資料集しかないよな

  • @user-uv8rq1dx1d
    @user-uv8rq1dx1d Жыл бұрын

    教科書とかでは、「宗室のひとりの司馬睿が江南に逃れて東晋を建国」ぐらいしか書いてないですが、事前に予期して地盤をある程度築いていたんですね、勉強になります!!

  • @tmount2089
    @tmount2089 Жыл бұрын

    今回のお話に登場した王敦(王導の従兄弟)に関しては、下ネタ話がありまして。 当時の貴族たちはトイレに行った際は、臭いを嗅がないように皮を剥いたナツメの実を鼻に詰めていたのですが、王敦は育ちが悪かったのか、トイレに置いていたナツメの実をオヤツと勘違いして食べてしまい、その後、侍女が手洗い用に持って来た水と身入りの悪い豆(手洗い後に身入りの悪い豆の容器の中に手を入れて水気をとるため)が入ったお盆を受けとるや、手拭き用の豆を手洗い用の水に入れて全部食べてしまい、侍女が笑いをこらえるのに必死だったと、史書に書かれています。現代で例えると、芳香剤や石鹸を食べるような行為だと思います。

  • @user-oy6kc2uf8m
    @user-oy6kc2uf8m Жыл бұрын

    八王や五胡の連中が狂っているので、相対的に非常に有能に見えてしまう。

  • @seattleslew2332
    @seattleslew2332 Жыл бұрын

    流遇政権という言葉を初めて聞きました 教科書では当たり前のように東晋になってたけど 縁もゆかりもない土地に王朝を築くのは並大抵ではないですよね 勉強になりました

  • @user-br5ln8wu5w
    @user-br5ln8wu5w Жыл бұрын

    東晋は創始者の名前除けば、北伐と簒奪の夢を追い竹馬の友を馬鹿にする桓温おじさんと喜びのタップダンスを楽しむ謝安おじさんの印象しかないのでありがたい

  • @TY-pf8bd
    @TY-pf8bd Жыл бұрын

    こんなに東進ハイスク…いや東晋の建国についてきっちり語ってくれる動画が今まであっただろうか(いやない)。 他の方もおっしゃられる通り「司馬睿が江南に逃れて建国した」と世界史の教科書ではあっさり触れられているだけでそこに至る過程はほぼスルーなので勉強になりました。 そもそも後漢~三国時代からも江南の豪族の勢力が強いというのは、孫堅親子が統治に苦労していたエピソードからもしっかり察せられるわけで、そこを切り崩した王導の権謀術数の巧みさがとんでもないものだったんだなと。

  • @user-ml9lk1zg6t
    @user-ml9lk1zg6t Жыл бұрын

    こうやって整理してもらえるとありがたい。 東晋はなかなか学ぶ機会がないからね。どうしても目が北に行ってしまう。

  • @c-history

    @c-history

    Жыл бұрын

    ご支援!まことに!まことにありがとうございますッ!! 今後も東晋の魅力をお伝えしていきますので、ご期待ください~!

  • @ddrible9350
    @ddrible9350 Жыл бұрын

    前回の動画見た後、大阪に「かくれんぼつぼつ」という居酒屋があるのを発見して「せきこ」とか「ぜんびん」とかないかなと探してしまった。 東晋の皇帝権力のなさ、三国志の呉でも似たような苦労ありそうで華南の課題かな

  • @zyukatimes4982
    @zyukatimes4982 Жыл бұрын

    司馬八達も上三人以外は大したことないといわれているけど、その時代に一生懸命生きてたからこそ、子孫や名前が残っているんだよな

  • @user-ee8db2cv6c
    @user-ee8db2cv6c Жыл бұрын

    司馬エイと王導の流浪政権である東普は、南北朝以降の江南の発展の礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。

  • @kei-ss6cm
    @kei-ss6cm Жыл бұрын

    王導ただの有能化と思ってましたがやり方がえげつないですね。余所者が地盤乗っ取る流れとしてすごくおもしろかったです。

  • @user-il4oc6nm6w
    @user-il4oc6nm6w Жыл бұрын

    元々地元豪族が強い江南地区。 代々の時の権力者も、皆この豪族のまとめるのに苦労する。

  • @user-ch6kg1xe2u
    @user-ch6kg1xe2u Жыл бұрын

    トーカイテイオーとか「大脱走」のキャストにマックイーンがいたり、ちょいちょいウマ要素があって草

  • @heiho_ita
    @heiho_ita Жыл бұрын

    世界史Bと資料集の地図でしか東晋見たことないから勉強になります。

  • @user-zu8ox5jg7t
    @user-zu8ox5jg7t Жыл бұрын

    東晋初代皇帝・司馬睿については個人的に殆ど知らないことばかりだったので、動画アップは非常に有り難いです。兎に角慎み深くかつ地味で素朴な性格だった彼が王導・王敦ら権臣に振り回されつつも、凄惨な八王の乱や他民族の反乱等を超えて、東晋王朝を成立したことは大きく評価されても良いと思いますね😊。

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d Жыл бұрын

    琅邪”王”を皇帝の座に”導”くとは、さすが”王導”、名前負けせず見事だ。ただ、それは同時に王氏あっての帝位でもあった。呉(だけではないが)が名士に気を配らざるを得なかったように、東晋もまた王氏への対応に頭を痛めたことだろう。

  • @user-br9xu9et4c
    @user-br9xu9et4c Жыл бұрын

    今回も大変勉強になりました。 エナジー鳥ンクついつい飲み過ぎちゃいますよね! 今回心に残った言葉「沈敏!!(4:10)陳敏!!(14:53)」

  • @user-pp3jj9om8k
    @user-pp3jj9om8k Жыл бұрын

    孫呉の時代までの江南はあくまで華北にとって”外国”ってことだったんでしょうね 王導が中心となった東晋が必要に迫られて初めて漢化した その後の華北が異民族の流入でどんどん”漢”らしさを失っていくのが皮肉効いてておもしろいですね

  • @user-sd3hm8lj5f
    @user-sd3hm8lj5f Жыл бұрын

    東晋は華北から逃れてきた中原の人々と元から住んでいた江南人の混合政権。中原の人達は本籍が江南にはないという理由で免税の特権を与えられて江南人の不平を抱えていたので一枚岩となれずに、華北の精悍な騎馬民族の将兵に対抗出来なった 。そういった差別を無くしてから継ぎ接ぎだらけの政権が何とかまとまって北の政権に対抗出来るようになった。公平さを心掛ける政治はいつの時代でも民心掌握の為の必須の姿勢だと思う😃 日本の政治家も見習うべし😡

  • @dicetz8378
    @dicetz8378 Жыл бұрын

    東晋の帝室の弱さとしぶとさが好き。禅譲危機を3回くらい切り抜けてる

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    南宋は存在感あったのにな。 東晋の滅びも扱ってほしい

  • @user-ce3us4pj7b

    @user-ce3us4pj7b

    Жыл бұрын

    桓温の簒奪を防いだのはファインプレー

  • @user-wl1yr8yd8j

    @user-wl1yr8yd8j

    Жыл бұрын

    禅譲って回避出来るものなのか。もう詰みだから帝位を譲れって言われるのかと思ってた。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    桓玄の時は劉裕のお蔭で簒奪を回避出来たものの、その劉裕に簒奪され東晋滅亡。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    でも南北統一まで東晋と北魏以外、ほとんど1代限りとか長くても2代3代とかだもんな。東晋が滅亡すると南朝は国が4回代わるけど3回目にあの悪名高き宇宙大将軍が大暴れ。

  • @user-iw1pc5nl1o
    @user-iw1pc5nl1o Жыл бұрын

    江南の勢力を最後に滅ぼして天下統一した晋が江南で再興を図る皮肉

  • @user-sh8we3rz2v
    @user-sh8we3rz2v Жыл бұрын

    ありがとうございます!

  • @c-history

    @c-history

    Жыл бұрын

    いつもご支援いただき、まことに感謝感激でございます!! ご厚意、これ以上ない励みになります……!!

  • @user-wi6pu3lb9i
    @user-wi6pu3lb9i Жыл бұрын

    ハッタリを利かしてなかなか上手に江南を占拠したことがよく分かった。分断と支配、外的には鷹揚さを見せつつ内部からの崩壊を促すとはローマ帝国や後のイギリスも使った方法。そこに行きつくのは人間の悲しい感情や習性を理解してたんだろうな。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    でも皮肉な事にそれが権臣に国を牛耳られる遠因に。

  • @shiso_tempura
    @shiso_tempura Жыл бұрын

    王導が敏腕すぎて凄いですね〜。土着の者たちを反目させるやり方はかの大英帝国が多く用いた統治方法ですが、さしたる軍事力もない中でそれを成功させるとは恐ろしすぎる…

  • @so8661
    @so8661 Жыл бұрын

    東晋ハイスクール、キター! やっぱり司馬氏、策謀で支配する。

  • @yuten1992
    @yuten1992 Жыл бұрын

    晋朝って王導が江南勢力に手を入れるまでホント、なーんもやってなかったんだなあ。元帝(司馬睿)の五儁のうち、顧栄(顧雍の孫)、薛兼(薛綜の孫)、賀循(賀斉の曾孫)、紀瞻(紀陟の子)の4人が見事に孫呉の重臣家系。周玘(周魴の孫)も同じ。孫呉も江南豪族との連合政権だったってのもわかるけど、孫呉が滅亡したときに手を突っ込むこともできただろうに。

  • @kamenoko4413
    @kamenoko4413 Жыл бұрын

    強力な指導者が続々と登場する五胡十六国に対して、寄り合い所帯の連合政権で地味な皇帝が続く東晋。遊牧と農耕の地域性や民族性の違いが面白いですね。

  • @keifuku9578
    @keifuku9578 Жыл бұрын

    いつも楽しく拝見させていただいています。 ありがとうございます。

  • @user-bc4ki1hi6x
    @user-bc4ki1hi6x Жыл бұрын

    あっけなく滅んだ・・?と思われた晋が結構長続きしてるんですねえ。五胡十六国時代は学生時代わけわかめ状態で逃げ出したんですけど今こうして動画見てるとすげえわかりやすくて面白いですw

  • @atsu-atsu
    @atsu-atsu Жыл бұрын

    五馬渡江という言葉があるので司馬睿以外にも江南へ逃れた宗室一族がいたようですが、晋が成立した段階で二十数人が王として封建され、他にも一族がいたことを考えると、たった30年でほぼ全滅したのは酷い

  • @user-og9ip7rn7f
    @user-og9ip7rn7f Жыл бұрын

    注目されることの少ない東晋の紹介有り難うございます、貴族の強さがそのまま王朝の弱さになった歴代の江南王朝の欠点が早速出ていますね。

  • @user-uc6hw3mz2d
    @user-uc6hw3mz2d Жыл бұрын

    東晋の動画は普通にありがたい。これは陳敏ですよ神

  • @heiho_ita
    @heiho_ita Жыл бұрын

    江南の貴族文化と言われる所以と南宋のような存在感もなくなんとなくの晋の後継王朝って理由もわかった😃

  • @user-hb8wd3qz2n
    @user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын

    華北から建康に逃げて来た桓イが、王導と時局を論じて 「江左(呉)には管夷吾(管仲)がいる…」と感嘆していますね。 王導の政治手腕の高さを物語ると共に 王導が管仲で司馬睿が斉の桓公という評価は、なかなか的を得ていると思います。

  • @user-tt2sh8zm1z
    @user-tt2sh8zm1z Жыл бұрын

    ・武帝司馬炎の婿 ・王導より年長(従兄) ・晋王即位時に大将軍就任 の王敦さんの方が政権の中心だった説

  • @mechadebu
    @mechadebu Жыл бұрын

    「華北は捨てて江南に懸ける」「兵力ないけど軍事パレードでハッタリかます」初期王導さんマジかっけえ……けど後期ぇ。出始めはどんな仕事でもやるけど、立場築いてからは汚れ仕事やらなくなるタイプの芸人みたいな感じ

  • @user-vq5od8ch3n
    @user-vq5od8ch3n Жыл бұрын

    これで、わかると思います、血筋、血統が何の足しにもならないと、それでも凡人は縋る過去の栄光。

  • @user-pq7dp8sp7i
    @user-pq7dp8sp7i Жыл бұрын

    王導単独で取り上げるんですね。楽しみです

  • @user-tg4qx5yr6v
    @user-tg4qx5yr6v Жыл бұрын

    2:48 よく八王と賈皇后ぽいイラストあったなぁ。すごく意外

  • @mogura1234
    @mogura1234 Жыл бұрын

    学生時代、書道やってたので王羲之の蘭亭の序は好きだった(でも推しは癌神経..いや顔真卿) 初めてこんなに詳しく東晋成立までを知ったけど、三国志並みに面白いわ とくに地盤を持たない外様がジモティーに入り込んでいく過程。 常連ばっかりの居酒屋に来た旅人みたいな。 とても見応えがありました。お疲れ様です。中国史ってイイねぇ。

  • @intelljp

    @intelljp

    Жыл бұрын

    王導・王敦も、書家として知られてますね。

  • @pomelove9502
    @pomelove9502 Жыл бұрын

    自慢の息子・明帝の「太陽と長安」の逸話が好きです

  • @TSUDATOSIYKI

    @TSUDATOSIYKI

    Жыл бұрын

    あのエピソード、司馬睿がいいお父ちゃんって感じがして好きです。

  • @user-dk4nh6yr6y
    @user-dk4nh6yr6y Жыл бұрын

    東晋は司馬睿の功績というよりも王導の功績で成立したような感じですね…。司馬睿本人は別に無能ではないし、権臣の傀儡になるような人物ではなかったけど、かといってカリスマ性をそれほど持った人物でもなさそうですね…。(政権の正統性を主張する御旗としては十分だけど。) あと、司馬睿が北伐を敢行しなかったのはまだ政権が安定していないし、江南の統治もまだ軌道に乗っていない中でやるのは無謀だと思っていたからではないかとも思いますね。東晋初期の豪族たちとの連携がうまく取れていなさそうな状態では必要な人的資源や物資を集められなさそう…。北伐のするように諫言した高官を左遷したのは、司馬睿は彼を現実をよく見ていない人物だと考えたからかもしれないですね。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    でも北伐派はしぶとく、やがて北伐派の権化桓温の台頭を招く。因みに桓温の息子桓玄と劉裕も北伐派。武力を頼みにする北伐派を抑えられなくなって東晋は滅びた。

  • @user-kr7nm3gh2l
    @user-kr7nm3gh2l Жыл бұрын

    Thanks!

  • @c-history

    @c-history

    Жыл бұрын

    いつもご支援いただき、本当にありがとうございます! ご厚意、痛み入りまする……!!

  • @io7739
    @io7739 Жыл бұрын

    中国史メインの動画を探していたのでありがたいです! これからも動画投稿頑張ってください。

  • @dicetz8378
    @dicetz8378 Жыл бұрын

    東晋の雰囲気を知るなら東洋文庫刊、井波律子訳、世説新語がおすすめです。後漢~東晋の人評集で、解説が情感たっぷりで非常に読みやすい

  • @heiho_ita

    @heiho_ita

    Жыл бұрын

    面白そう

  • @user-zs9xi8le1c

    @user-zs9xi8le1c

    Жыл бұрын

    今読んでるでぇ〜 もう5巻や〜

  • @user-sw5yi1tb1b

    @user-sw5yi1tb1b

    Жыл бұрын

    伊波律子の三國志、水滸伝など面白く読みました。

  • @user-hi8px1oy7v
    @user-hi8px1oy7v Жыл бұрын

    東晋の成り立ち有難うございました。元々司馬睿が基盤を持たないだけに、部下や江南豪族に頼らざるを得ず、強固な基盤を作りえなかったのは致し方なしですね。しかし王敦の乱はよく和解で済んだなという感じですが、これを放置すれば傀儡政権まっしぐら。今後どうなるのか気になりますね。 晋書は信頼性が低いと散々言われているようですが、司馬睿の件もまたその一例って感じがします。

  • @pocket666
    @pocket666 Жыл бұрын

    地盤がなくとも政治力とかで足場固めていく過程が地味だけど面白いんだよなあ

  • @user-sy3mn3ud8n
    @user-sy3mn3ud8n Жыл бұрын

    東晋は内ゲバばかりだけど陶侃や祖逖や桓温と中々魅力的な人物もいる。

  • @user-mv6xd9ed8k
    @user-mv6xd9ed8k Жыл бұрын

    王導は後に諸葛亮と並び称されるくらい色々とヤベー奴だし、諸葛亮みたいな宰相を欲しがってた司馬炎には灯台下暗しだった

  • @fooy1994
    @fooy1994 Жыл бұрын

    張昌や陳敏の反乱について、何故か名前が挙がっていない晋の名将が居ますねえ……。いずれがっつり取り上げてくれると期待

  • @t.c.8374

    @t.c.8374

    Жыл бұрын

    八王の乱の終結以降まで西晋が持ち堪えたのは、ある意味"荊州の英雄"劉弘が踏ん張ってくれたからなんすよねぇ… ※劉弘アボンヌの後はもうお察し

  • @user-ks5yd3jy1n
    @user-ks5yd3jy1n Жыл бұрын

    今回も動画を閲覧した者です。  今回は南の【東晋】の成立についてですね。  皇帝である司馬睿よりも宰相である王導の力で建国されたイメージを、動画を視聴しながら思いました。  皇帝か宰相、どちらも強いか、或いはどちらかが強いかで当時の国は成立するんだな、ということを今回は勉強になりました。  建国し強大な領土を得たとはいえ、内部が微妙な安定感のせいで北方への侵攻は出来ない状態でしたが、東晋が今後どうなるのか、それをどう動画で表現するのか楽しみにしております。  年が明けて年始ということもあり、忙しい時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。  話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。

  • @MiyakawaTakeshi
    @MiyakawaTakeshi Жыл бұрын

    王導を主役して小説が書けるんじゃないか...と20年くらい前に悪戦苦闘した思い出。司馬睿の個性が弱いので、空想で補おうとしたのですが、無理でした。今回の動画はさすがです。

  • @user-op8rq1jv1t
    @user-op8rq1jv1t Жыл бұрын

    陶侃、祖逖、郗鑒といった東晋初期の名将はまた別で取り上げるのかな? 王導の功績はもちろん凄いけど、彼らのような名将もいなければ江南を保つのは難しかった気がする

  • @qoamb410
    @qoamb410 Жыл бұрын

    「流觴曲水」(りゅうしょうきょくすい)または、「曲水流觴」(きょくすいりゅうちょう)なんて優雅な遊びは、王羲之が考案したなどと聞いた事があります。東晋の時代だったんですね。これだけ北人貴族?が圧倒的な支配者だったら、小川に盃を乗せた小舟も流れるんだと納得しますね。(笑)お話し良く整理されて、分かりやすかったです。長文すみません。

  • @aaa-zh4wt
    @aaa-zh4wt Жыл бұрын

    なんかモヤモヤする終わり方でしたけど、北の地獄の底みたいな状況を考えるとだいぶマシですね 三国志の呉ファンとしては顧雍陸遜朱桓張温らを輩出した名門が格下扱いされてて辛いです…顧栄も功労者なのに…

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    しかも彼らよりも遥かに格下の劉裕に国を滅ぼされる皮肉。

  • @user-ou9ng1vd9k
    @user-ou9ng1vd9k Жыл бұрын

    その後に魏澹撰の魏書や張大素撰の後魏書が残っていれば魏収に捻じ曲げられずにはっきり分かっただろうに。

  • @shou-sho

    @shou-sho

    Жыл бұрын

    北魏ではありのままの歴史を残すことは不可能だったので五十歩百歩でしょう。というか北朝の歴史書は全部クソです(「国史の獄」)

  • @user-kn4pq8ib2c
    @user-kn4pq8ib2c4 ай бұрын

    しかし280年に、孫呉を滅ぼして、まさか37年後にここに晋 再興して、東晋ができるとは‥ 孫皓が暴政をしていなかったら、とてもじゃないが、ここに本拠地を作ることはできなかったですね。

  • @o-d9242
    @o-d9242 Жыл бұрын

    1:44 祖母の諸葛太妃(諸葛誕娘)が殺されなかったの割りと凄いよね(発言力もあったらしいし)

  • @user-mh8bf7md5i
    @user-mh8bf7md5i Жыл бұрын

    0:42〜「しぼりカスだッ!フフフフフフフフ」ですね。分かります。

  • @user-kl3rs8jz5m
    @user-kl3rs8jz5m Жыл бұрын

    29:41 これで名将祖逖がとばっちりを受けて病死しちゃうんだよね 王敦がビビっていた名将周訪も病死しちゃったしその息子の周撫は王敦にべったりだし本当に悲惨

  • @user-kr9zt1hz6m
    @user-kr9zt1hz6m Жыл бұрын

    小役人と武将の牛金とは別人と言う但し書きとか、いつも通りのかゆい所に手が届く動画でした「ここ(建康)を根拠地とする」で始まった「江南どうでしょう」は、そんなに楽な道のりではなかったのか…

  • @houkun7668
    @houkun7668 Жыл бұрын

    司馬睿はどう評価したら良いのだろう? 到底英雄とまで言える器では無いけど、脆弱といえども一応晋王朝を再建したことは事実なわけで無能だったわけでは無いのだろう やはり適正な評価に困る人だなあ…

  • @user-lw5sd7lb4u
    @user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын

    江南に再建された東晋王朝 首都の建康は孫呉の時代に建業と呼ばれたものの、西晋愍帝の諱を避け建康となりました。 元帝司馬睿を輔弼した王導ですが、その末裔が陽明学の祖 王陽明というのが何とも凄いなと思います。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    建業改め建康。司馬睿からほぼ200年後、あの宇宙大将軍によって破壊し尽くされる。

  • @user-lw5sd7lb4u

    @user-lw5sd7lb4u

    Жыл бұрын

    @@user-kq2hj6wq3y それはそれで悲しい。

  • @user-oz3xv9yv4i
    @user-oz3xv9yv4i4 ай бұрын

    魏晋南北朝時代の説明動画ほしいな

  • @user-tt4ww2np8g
    @user-tt4ww2np8g Жыл бұрын

    1:03←段々うぷ主の体調が心配になってきた…(無理なさらぬように)

  • @Hayato_Takezawa
    @Hayato_Takezawa Жыл бұрын

    伝統的に地方豪族の間には、中央政権への反発が潜在的にあったのだろうな。

  • @user-mo3wb5uo8l
    @user-mo3wb5uo8l Жыл бұрын

    今回の動画も非常に分かりやすく勉強になりました。ありがとうございました。 こうして見ると、三国時代の呉の領土が、そのまま東晋に変わったように見えて、西晋が1度中国を統一したのは一体何だったんだろうって感じになりますね…

  • @aaa-zh4wt

    @aaa-zh4wt

    Жыл бұрын

    豪族連合体要素が強くて建国の中心は呉の二代目丞相顧雍の孫の顧栄という…ほんとにそのまんま三国志の呉ですね

  • @user-ct8vh4dh2u
    @user-ct8vh4dh2u Жыл бұрын

    東晋には李陵容という東南アジア系黒人の太皇太后がいますよね

  • @air5042
    @air5042 Жыл бұрын

    帰命公孫皓はかつて司馬炎に(私こそ陛下を建業でお待ちしていました)と言い放ちましたが、その子孫が流れ着いて建康で王朝を開いた時、天の上の孫皓はどのような気持ちでこれを見ていただろうかと思いますね。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    でも、まさかあの宇宙大将軍の猛威が全てを焼き尽くしてしまうとは。孫皓も司馬炎も司馬睿も天の上で泣き喚いていただろうな。しかもその後には朱元璋のおぞましき粛清と朱テイの猛威が。

  • @user-oy6kc2uf8m
    @user-oy6kc2uf8m Жыл бұрын

    西晋はあまり好きじゃないけど、東晋は貴人を擁立した正統王朝という感じがして結構好き。

  • @baatarismbaatarism9209
    @baatarismbaatarism9209 Жыл бұрын

    東晋が成立していなければ、五胡十六国時代の混乱が長江以南にも及んで、南方の異民族も中国の分割に加わって、「胡」の数が増えていたのかも。

  • @user-br5ln8wu5w
    @user-br5ln8wu5w Жыл бұрын

    司馬穎サン、なんかどの動画でも少しずつやらかしててカワイイっすね 某翁の某戯曲の某大臣の死骸みたいに、棺桶に入ってからの方が余程威厳があって頼りになりそうな気さえするのは司馬穎を見くびりすぎか?

  • @user-mg4fu5wq2o
    @user-mg4fu5wq2o Жыл бұрын

    魔理沙「んほ~この権力闘争たまんねぇ~」霊夢「」 途中から王導のが目立ってて草。これは次回で取り上げますな…。

  • @TSUDATOSIYKI
    @TSUDATOSIYKI Жыл бұрын

    謝安や謝玄の謝氏って北からの移住組だったのか。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    勿論桓温・桓玄も。

  • @mukutinausagi
    @mukutinausagi Жыл бұрын

    王導の政治力がチートすぎますが、皇帝を神輿にしてしまったのは、後の権力闘争や簒奪の遠因の一つだったかもしれないですね

  • @sa-oq7ci
    @sa-oq7ci Жыл бұрын

    司馬睿は源頼朝、王導が大江広元みたい。

  • @takey0urhands
    @takey0urhands Жыл бұрын

    権臣の間を遊泳して王位だけ保とうとするのは室町幕府みたいだなあ

  • @quercuscrispula3484
    @quercuscrispula3484 Жыл бұрын

    東晋の政権樹立について、外部の名族が流入し実権を握るという点で当時でも前例はいくつかあったと思いますが、蜀漢と呉の両国を参考にしたのか、典籍に事例があって自分で考えたのか、王導がまだあの世に居るなら聞いてみたいです。

  • @user-qy7kl5cu1x
    @user-qy7kl5cu1x Жыл бұрын

    司馬睿の出自の密通疑惑、前王朝(東晋を前王朝と言って良いかは微妙だが)をけなす漢民族の悪い部分を遊牧民が見事に継承してて面白い、これが漢化政策の結晶かぁ

  • @user-gi5nm3pw6v
    @user-gi5nm3pw6v Жыл бұрын

    江南ってほんと土着豪族や名士カラーが強いのに頑張った

  • @kix4878
    @kix4878 Жыл бұрын

    元帝司馬睿の幸運は動画中にもある王導、王敦だけでなく、当代随一の名将陶侃がいた事も大きかったでしょう。陶侃は相次いだ東晋国内の反乱を悉く平定した人物で能力は有ったが人格に問題のあった王敦とも違う人格者でもありました。ただ、彼が心血を注いで作り上げた西府の軍は彼の死後、紆余曲折を経て桓玄、そして桓温の牛耳る所となり東晋にトドメを刺す事になります。

  • @Nerikeshi98
    @Nerikeshi98 Жыл бұрын

    建国功臣代一位なのに概略を話すとはぶられがちな王承

  • @user-cs8eu7rr5q
    @user-cs8eu7rr5q Жыл бұрын

    東晋の分断政策はイギリスの植民地支配に近いですね

  • @t.c.8374
    @t.c.8374 Жыл бұрын

    この動画で紹介されるかわかりませんが、東信の重鎮桓温、及び桓玄の先祖である(とされる)桓範と司馬氏との因縁?を思うとなんとも…

  • @user-kt7fl7dg2m
    @user-kt7fl7dg2m Жыл бұрын

    顧栄は、顧雍の子孫ですかね?周氏は周瑜の一門でしょうかね? 袁煕の子孫も唐の宰相もなりましたから、皇帝にでもならない限り、一門は生き残るものですね。司馬氏も東晋の後も華北に移っていきましたしね。

  • @user-ut3fm4uq2p

    @user-ut3fm4uq2p

    Жыл бұрын

    周キは三國志登場するのは曹休をした欺いて勝利に貢献した周魴の孫ですね 呉郡の豪族一族のほうです

  • @yuten1992

    @yuten1992

    Жыл бұрын

    顧栄は顧雍の孫です。周玘は周瑜の家系ではなく周魴の孫ですね。

  • @user-kq2hj6wq3y

    @user-kq2hj6wq3y

    Жыл бұрын

    顧栄は顧雍の孫ってことは顧譚の弟か従兄弟。

  • @yuten1992

    @yuten1992

    Жыл бұрын

    @@user-kq2hj6wq3y 顧譚は顧栄の従兄みたい。

  • @user-pq7dp8sp7i
    @user-pq7dp8sp7i Жыл бұрын

    しかし王導、桓温、謝安謝玄親子もやるなら(五胡十六国後半の西側諸国を)次の次には入れにくくないですか?劉裕は後からで良いとしても

  • @user-hb8wd3qz2n

    @user-hb8wd3qz2n

    Жыл бұрын

    謝安と謝玄は親子ではなく、叔父と甥ですよ。

  • @user-pq7dp8sp7i

    @user-pq7dp8sp7i

    Жыл бұрын

    @@user-hb8wd3qz2n あ、失礼しました。訂正ありがとうございます

  • @ktoshikikun
    @ktoshikikun Жыл бұрын

    王導と王敦は、お互いをどのように思っていたのか、もし続き動画があるのなら、そこのところを深く掘り下げて紹介してほしいです。 王導は忠臣で王敦は王朝を取ってかわろうとしていたように感じるけど、実際のところどうなのだろう?😅

  • @intelljp

    @intelljp

    Жыл бұрын

    王敦の王導評「かつては大いなる寵愛を受け、仕事を任され、謙虚に才能を求め、一心に国に仕えたので、その寵愛を利用して、政府を補佐する最重要の役割を担っていた。」 王導の王敦評「王導は生まれつき残酷さが強いので、彼が将来官に就いても、うまくいかないのではないか」

  • @karihakozaki
    @karihakozaki Жыл бұрын

    司馬睿は平時で真価を発揮するタイプだったかもしれませんね、幸い狼邪の王氏が仕えて二人三脚で東晋の基礎を築いたのは大きかった。 あれ、王祥は?と思いましたが、彼は西晋で辣腕を振るってたんですね、失礼しました。 司馬睿・王氏がメインなので出てきませんでしたが、張昌の乱の時には武廟六十四将の一人である陶侃も鎮圧に出向いてますね 知名度がかなり低いのでアレなんですが、彼は動画でメイン張れますかね…?w

  • @user-gp4uy4ng7l
    @user-gp4uy4ng7l Жыл бұрын

    ドロドロの混迷時代に相応しくない、扁鵲のキラキラぶり・・・

  • @takahiroseto4028
    @takahiroseto4028 Жыл бұрын

    年始早々にコロナかかって療養期間終わってみたものの ビールが美味くなるまで時間がかかりそう(T_T)

  • @user-jd7kw5vv8x
    @user-jd7kw5vv8x Жыл бұрын

    体調は完全回復されましたか?ガンガン更新お願いします。劉裕待ってます

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