【ゆっくり解説】 王朝を創り、王朝を壊す 梁武帝 蕭衍 【魏晋南北朝 東魏 梁】

南朝梁を建国し、全盛期を築き、そして国を潰した皇帝 梁の武帝 蕭衍の激動の生涯を紹介します。
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Пікірлер: 232

  • @a378685085
    @a3786850853 жыл бұрын

    武帝の最期は自身が人民に課した塗炭の苦しみに対する報いみたいなものを感じますね。 自己も制御できず、君臣の上申に逆ギレするほど知性を失えば有るのは衰退だけ。 こう見ると殆ど奢侈に走らずに治世を貫いた康熙帝の凄さが分かりますね。

  • @user-lo8px6dl6z
    @user-lo8px6dl6z3 жыл бұрын

    玄宗やこの人みたく、老いて晩節を汚す名君は多い。やっぱ康煕帝ってバケモンなんやなって…

  • @user-ff1fb9nl4g

    @user-ff1fb9nl4g

    2 жыл бұрын

    康熙帝は治世の長さに比べて闇エピソードが老年にさしかかり何もできなくなった明王朝末裔を拷問にかけて殺したことくらいですからね…

  • @user-nd3mp3wz3g

    @user-nd3mp3wz3g

    Жыл бұрын

    ​@@user-ff1fb9nl4g 歴代中華皇帝に比べて優しい()

  • @Kotchan66

    @Kotchan66

    Жыл бұрын

    ただ後継者選定でしくじって皇太子の廃立を余儀なくされた。もっとも没前に改めて後継者に選定した雍正帝が優秀だったから(ただ根暗だったが)しくじりは帳消しになったが。

  • @user-ct1zg6bh8n
    @user-ct1zg6bh8n3 жыл бұрын

    梁の武帝というと、達磨大師との問答が有名だな。 武帝「朕は多くの寺を建て、多くの経文を写し、多くの人を出家させた。どんな功徳があるだろうか」 達磨「どれも功徳など無い。ただの煩悩の元だ。功徳は俗世では求められるものではない」 武帝「聖なる悟りとはどんなものか」 達磨「この世は虚ろで聖なるものなど無い」 武帝「ならば朕と対面している者は誰か」 達磨「知らん(不識)」 達磨は意図を理解できない武帝を見捨てて去っていった。 達磨は人民の苦しみを顧みない蕭衍に憤っていたのかも知れない。 なお上杉謙信が『不識庵』と号したのは達磨の最後の一言から採ったとされている。

  • @user-bm8ci1vy5f

    @user-bm8ci1vy5f

    3 жыл бұрын

    仏教的には現世=「空」ですし、 功徳を積むのも極楽浄土へ向かうためなので、そもそも現世での見返りを求める発想が悟りから外れてしまっている。

  • @user-ng1zr8tf5b

    @user-ng1zr8tf5b

    3 жыл бұрын

    @@user-bm8ci1vy5f 現世=空という思想は大乗仏教が成立してからで極楽を求めるのは浄土思想が成立してからではなかったっけ? 初期仏教ではひたすら現実の苦しみを回避する術をあれこれと社会批判を交えながら説いていた筈。

  • @yuten1992

    @yuten1992

    3 жыл бұрын

    @@user-ng1zr8tf5b 仏教が上座部(原始仏教維持・戒律重視派)と大衆部(大乗仏教のもと・戒律緩和派)に分裂したのが紀元前200年ころ。ナーガールジュナ(龍樹)が「空」の理論を確立するのが西暦200年ころですからねえ。中国の仏教展開では5世紀初頭に鳩摩羅什あたりが本格的に空観を持ち込んで、こんなふうに菩提達磨が武帝・蕭衍と対面してるから、バリバリ空観派の時代だろうね。なお、南無阿弥陀仏と10回唱えれば極楽往生まちがいなしぃぃぃ!の無量寿経の漢訳が西暦250年頃なので浄土思想は既にあったがメインではなさそう。なお、善因善果・悪因悪果は六道の理なので、善業が仏の世界である浄土に生まれ変わる因とは限らない。空観のもとでは善悪すら空です。

  • @user-bm8ci1vy5f

    @user-bm8ci1vy5f

    3 жыл бұрын

    @松本 @SUZUKI Masanori 勉強になります。

  • @user-ej7rh6ht2l
    @user-ej7rh6ht2l3 жыл бұрын

    粱武帝「朕の動画の前での露払いの役目、誠に大儀であるぞ」 宇宙大将軍「……」

  • @user-uk3kb6bw7l
    @user-uk3kb6bw7l3 жыл бұрын

    梁の武帝の最期を見ると、終わりを全うする事がいかに難しいかを実感させられる。後漢の光武帝、清の康熙帝といったガチ名君たちの偉大さはまさにそこにある。

  • @corjioono7463

    @corjioono7463

    3 жыл бұрын

    本当に老害化した孫権より更に

  • @user-zz4tq5rh2p

    @user-zz4tq5rh2p

    3 жыл бұрын

    李世民「俺も褒めてくれ!」

  • @user-dr8sy8sk7q

    @user-dr8sy8sk7q

    3 жыл бұрын

    ただ康熙帝は後継者問題では苦渋を飲まされ懊悩の末に亡くなってますね……

  • @miraburu81

    @miraburu81

    2 жыл бұрын

    @@user-zz4tq5rh2p高句麗遠征・・・

  • @corjioono7463

    @corjioono7463

    2 жыл бұрын

    孫権の老害がマシに見える惨状

  • @user-pf1ii4mg1q
    @user-pf1ii4mg1q3 жыл бұрын

    武帝の最期に見た景色が蓮の花が咲く天上世界かもしれないとか鳥人間さんもなかなかのロマンチストですな😎

  • @byzantine.1453
    @byzantine.14533 жыл бұрын

    陳舜臣の中国畸人伝の中の「第三楼の人」に出てくる蕭衍が 反乱を決意する時の、兄の仇への復讐心と王朝を開く野心とがないまぜになったギラギラした感じが好きだった

  • @user-iq1to3mx4t
    @user-iq1to3mx4t3 жыл бұрын

    やっぱり長い治世の最初から最後まで優秀だった康熙帝はパーフェクトエンペラーですなあ

  • @user-wd4sn5od6s
    @user-wd4sn5od6s2 жыл бұрын

    梁の武帝より在位期間が長い人物漢の武帝、康熙帝、乾隆帝以外に明のニート皇帝万暦帝がいました。

  • @user-vz3yw3mp9l
    @user-vz3yw3mp9l3 жыл бұрын

    『荷、荷』という最後の言葉を創作と考えると、二重三重の意味合いが込められた言葉にもとれますね。

  • @tawasikamenoko4442
    @tawasikamenoko44423 жыл бұрын

    立場が上の高齢者に対して周囲が問題提起をすると、本人は今までの自分の人生や行動を否定された気分になって怒りだす。一般の職場や家庭でもありがちな話だが、国家レベルになると、その悪影響は甚大ですね。

  • @urspn9006
    @urspn90063 жыл бұрын

    さっき南朝斉の滅亡を見てたのからめちゃめちゃタイミングがいい

  • @Extension_Cord894
    @Extension_Cord8943 жыл бұрын

    この武帝の例を見ると江戸幕府等によくある 息子にトップの座を譲って自分は大御所として君臨するっていうやり方は 次代に経験を積ませる以外の効果も見込める想像以上に合理的なやり方だったのかなと というかこういう事例がそのまま日本に伝わってる可能性もありそう あとは自分の間違いを素直に認めるって簡単なようで誰でも出来る事ではないのだなって思った。 特に武帝みたいに高い地位にあり経験、実績を多く積んでる人ほどそうなんだろうなと

  • @user-nd3mp3wz3g

    @user-nd3mp3wz3g

    Жыл бұрын

    家康はやはりそこらへんの立ち回りが上手いなぁ

  • @unnko8778
    @unnko87783 жыл бұрын

    乾隆帝が一番長生きですが、その前に嘉慶帝に譲位していますから 一応中国王朝で最高齢の皇帝は蕭衍ですね、この時代で86歳とは凄いですね、 まぁその前の時代司馬懿の弟、司馬孚も93歳まで生きてましたが。。。 この人の晩年の肖像画がリアルっぽくて好きですw

  • @EmperorChiCheung
    @EmperorChiCheung3 жыл бұрын

    一昨日の早朝に侯景の動画のコメント欄で梁の武帝を紹介してほしいと書きましたが、まさか偶然にも同じ日に梁武の動画が出るとは予想できず、新しい動画のサムネを見た瞬間キタ━(゚∀゚)━となりました(笑)。あと、いきなりニーガン(とルシール)が登場したことにもちょっと興奮しましたね。わたしはニーガンが大好きです(笑)。 侯景のほうにも蕭衍について少しコメントしましたが、梁武が治世前半においては南朝一の名君であること、平和で繁栄した国を築き上げたことは間違いないでしょう。南朝全体でも全盛期でしたね。自分を厳しく律し、勤政かつ節倹であり、政治・経済・社会面で善き政策を打ち出した治世前半の武帝はまさに為政者の模範のような人物でした。 建国者本人が武将でありながら儒家などの学問や文学の高い教養を有するという背景もあり、南朝では珍しい文治社会を実現したことも評価に値します。『文選』は唐宋以前の最高の名文集であり、『文心雕龍』と『詩品』も文学批評においてよく引用される名著です。 文学サロンの仲間「八友」の謝朓は当代屈指の詩人で、李白などの後世の詩人や文学者に賛美されていますし、沈約は二十四史のひとつで劉宋の正史『宋書』の編纂の最高責任者を務めました。なお、謝朓ゆかりの楼閣「謝朓楼」は岳陽楼や黄鶴楼などと並ぶ江南四大名楼と称され、現存しています。余談ですが、沈約は文壇のリーダーにして、稀代の美男子としても知られ、スタイルが良く腰部が痩せていたので、後世では「沈腰」が「痩せ」の代名詞になりました。 蕭衍の治世後半の失政については、在位中の皇帝が三度も出家したという前にも後にもない破天荒なエピソードのインパクトが強すぎて、世間ではもっぱら「皇帝菩薩」という点が注目されていますが、仏教への過度な傾倒は政治への無関心とセットになっていました。梁武は基本的に寛大な皇帝ですが、人民を苦しめる酷吏への寛大さは民衆への残酷さに直結します。 さらに晩年には自信過剰となり、国家の危機を訴える諫言を聞かなかったし、自身が肉も魚も酒も飲食せず、女色に近づかず、倹約を心がけて質素な生活を送るといった個人的な禁欲主義を根拠に、英主としての聖徳を備え、国にも彼の徳が行き届いているはずだと信じて疑いませんでした。実際には国の統治基盤が揺らぎ、官僚の腐敗が進み、庶民が苦しんでいたのに、武帝はまるで知らなかったし、言われても信じませんでした。典型的な耄碌老人になってしまいました。 自信過剰の高齢皇帝という点においては乾隆帝も同じですが、帝国衰退の禍根を残しながらも幸せな晩年を過ごして天寿を全うした乾隆帝と違って、梁武は自ら創立した王朝を滅亡へ追い込み、自分の外交ミスが招いた侯景の乱により囚われの身となり蜜ももらえず非業の死を遂げました。まさに悲惨そのものですね。 一方、蕭衍は仏教への献身で、亡き後も仏教徒に尊敬され、その死についても仏教的に美しい結末が創作されています。武帝が幽閉された場所は寺だったのですが、高齢で病気になり、さらに飢えと渇きに苦しんだ武帝は仏閣の中、独りで自分の一生に向き合って悟りが開き、最期に現世での意識が遠退き、仏の世界が見えてそこに帰ったというきれいな自己完結の伝説です。「荷、荷」という最後の声も仏の世界の蓮を見たから叫んだと言われています。もちろん、これらは皇帝菩薩に対する仏教徒の美しい幻想に過ぎませんが。 最後に治世の長さについても触れておきたいと思います。歴代王朝の初代皇帝が蕭衍ほどの長期在位を達成できなかったのは、端的に建国者が皇帝として即位したときはすでにそこそこの歳になっているからですね。中華史上最も長い治世を誇った康熙帝は6歳で即位したので、建国という大事業を成し遂げた劉秀や朱元璋、趙匡胤とはわけが違います。蕭衍が梁を建てたときはすでに40手前だったのですが、80代半ばまで生きました。彼は治世が長いだけではなく、歴代中国皇帝の中でも非常に長寿なのです。単純にほかの王朝の初代皇帝には蕭衍ほど長寿の人物がいないので、梁武の治世が断トツ長かったのですね。 まあ、長生きだから良かったというわけでもありませんが……治世後半、特に70代以降の晩年の武帝が耄碌爺となり、自ら創立して全盛期を築き上げた国を自ら崩壊させたというのは、後世の為政者にとって重要な教訓だと思います。残念ながら、真に歴史から学べる為政者は少なく、唐以降の治世が長い皇帝もたいてい堕落の一途を辿ってしまいましたけどね。

  • @user-bj1lj9nt4x
    @user-bj1lj9nt4x3 жыл бұрын

    「御仏の世界に咲く蓮の花だったのかもしれない」で泣いた

  • @eusakaG
    @eusakaG3 жыл бұрын

    治世の前半は政治面で沈約や范雲、軍事面では曹仲宗に韋放、陳慶之といった家臣に恵まれた部分も大きいかな。宇宙大将軍が亡命してきた頃には家臣もボンクラばかりだった

  • @user-bi2rl7qc2c
    @user-bi2rl7qc2c3 жыл бұрын

    梁の武帝を取り上げていただいてありがとうございます。この時代には、陳慶之や羊侃などの名将や道教の伝説的人物陶弘景など、興味深い人物が沢山います。鳥人間さんのまな板でどんどん料理していって欲しいと思います。

  • @abc1769
    @abc17693 жыл бұрын

    終わり良ければ全て良しとかいうけど その逆パターンはなんというか悲しいね

  • @awaimidori0422
    @awaimidori04223 жыл бұрын

    蕭衍!ありがとうございます〜 この方の一族から、あの煬帝の皇后蕭氏が出ると思うと、歴史って不思議な繋がりがあってなんだか感慨深いですね・・・

  • @user-wb3qi2ew6l
    @user-wb3qi2ew6l3 жыл бұрын

    この動画を見る前に、南朝斉の動画を観たので、感慨も一入だった。 栄枯盛衰をその身一代で味わった為政者と言うと、近現代だがルーマニアのニコライ・チャウシェスクが居るな。

  • @user-wf2iv1gm5q
    @user-wf2iv1gm5q6 ай бұрын

    建白書の内容とそれに対する武帝の逆切れっぷりwwww なんか既視感が有るな~。

  • @UOTSURI
    @UOTSURI3 жыл бұрын

    有能で餓死する君主……武霊王を思い出します。

  • @rerepopo663
    @rerepopo6633 жыл бұрын

    この辺の時代の王朝のトップって初めは有能なのに、突然暴走ムーブが加速したり 良くも悪くも個性ある印象。

  • @user-mt7zc5qt4h
    @user-mt7zc5qt4h3 жыл бұрын

    85歳まで国のトップなら老害化するのは現代でもよくある話ですね。次世代へ繋ぐことの大切さがよく分かります。

  • @air5042
    @air50423 жыл бұрын

    今回も素敵な動画をありがとうございました。 梁武帝は自分は凄く中国の君主らしい人物であったと思います。創業当時は名君 段々と己の信仰に走って世の中が見えなくなり、賢臣は奸臣に取って代わられ最後は悲劇で終わる。 最後は悲劇でしたが、五胡十六国時代の大混乱の中でほんの少しでも安らぎと休息をもたらしたのも事実であり、特に文化面での功績は大きかったとも思いますね。

  • @tfujisaki72jp
    @tfujisaki72jp3 жыл бұрын

    一代で国を繁栄させたのに終わりが本当に残念ですね。

  • @t.c.8374
    @t.c.83743 жыл бұрын

    スペース大将軍を懐柔しようとして結局しくじった悲劇の英君ですね… …老いて国を危機的状況に陥らせた英君といえば、やはり李隆基a.k.a.玄宗ですね…あと本人の代ではその階で終わったとはいえ、それが後でジワジワと聞いてくるのがあの乾隆帝…

  • @miraburu81
    @miraburu813 жыл бұрын

    蕭衍きたー!彼の若年期の教養に南朝の文治主義への移行を見出すところや、当時の南朝の貨幣制度のシステムの難しさ、仏教面以外での失政の具体的なポイント等々、やはりめちゃくちゃ参考になる動画でした❕しかしやっと平安の世が訪れたと思ったところで引き起こされる、あの最悪の戦乱。。。何度振り返っても悲惨ですよね(>_

  • @daikon_yakusha
    @daikon_yakusha3 жыл бұрын

    極楽を求めた末に得たものは地獄絵図と化した自分が創設した王朝。 苻堅もそうだけど、独りよがりな理想を追いかけ過ぎると周囲は大迷惑この上もありませんね。 しかし、クオリティが高い、、、。

  • @user-qm4lz1bz3s
    @user-qm4lz1bz3s3 жыл бұрын

    最期に蜂蜜を求めながら死ぬっていうのが袁公路に似ている

  • @user-nv2li3wu3s
    @user-nv2li3wu3s3 жыл бұрын

    老いて尚気骨あるべしとはなかなか難しい… 西魏と東魏の争いの流れと情勢みれば侯景を受け入れる事はないでしょうがそうは行かないのがやはり統治者の老いなのかな

  • @user-dk4nh6yr6y
    @user-dk4nh6yr6y3 жыл бұрын

    現役時代が長すぎるのも問題か…。やはり、人間は適当なところで第一線を潔く退いて、次世代を支えていくのがいいのかもしれませんね。(でも、一度握った権力や有形無形の財を手放したくないのも人間なので、これがかなり難しい。) それにしても蕭衍は出家したければ、さっさと後継者に皇帝の位を譲位すればよかったのに、なぜしなかったのか…。時代も場所も全然違う日本と一緒にするのはおかしいというのは百も承知で思うが、なぜ日本の法皇みたいな感じにはならなかったのか…。 それでも蕭衍は南北朝時代の皇帝の中では十分名君って言っていいレベルのまともさ…。(てか、南朝の皇帝が無茶苦茶なやつばかり。)

  • @user-zz4tq5rh2p
    @user-zz4tq5rh2p3 жыл бұрын

    武帝の文治政策は魏晋南北朝時代に行われた教育制度の集大成とも言える政策であり、教育・官僚育成政策については隋唐律令を通じて後の日本の律令制の大学・国学の制度にも影響を与えることになる。 文選も日本の大学寮で教授されており、平城京跡からは文選を手習いしたと見られる木簡が発掘されている。

  • @jodasow
    @jodasow3 жыл бұрын

    出家させたままにしておけば万事うまく行ったような気がしますが、寵臣としては皇帝が代わったら失脚する可能性が大きいので何がなんでも買い戻さなきゃならなかったんでしょうね。

  • @user-br5ln8wu5w

    @user-br5ln8wu5w

    3 жыл бұрын

    こういうの見てると、やっぱり上皇が出家してても実権握る院政は特異だなぁ

  • @user-pc3yi6kq9i

    @user-pc3yi6kq9i

    3 жыл бұрын

    出家しても政治見ればええやん、って思ってたけど王様や諸侯が出家しても平気で政治をしてる日本が異常なだけやったってこの米で気がついた

  • @user-gv7qp3mn3k
    @user-gv7qp3mn3k3 жыл бұрын

    武帝と侯景の関係...何か、唐の玄宗と安録山を彷彿とさせる

  • @user-yf4gz8nz7y
    @user-yf4gz8nz7y3 жыл бұрын

    出来れば鍾離の戦いもやって欲しい。 奔流でよんだあの戦いはとても気になり、楊大眼、元英、韋放や陳慶之などの活躍をよく知りたい

  • @user-mg4fu5wq2o
    @user-mg4fu5wq2o3 жыл бұрын

    週末の更新お疲れ様です! 治世の前半は名君だったのに、後半は耄碌して転落したことは玄宗と被りますね。 この二人の生涯を知ると、名君の条件に必要な長寿とは、時として負の作用ももたらす、なかなか皮肉な物にも感じてしまいます。

  • @user-hr5km4wz9h
    @user-hr5km4wz9h3 жыл бұрын

    仏教にどっぷりのめり込むようなお人であったからこそ見えてくるのですが、いくら寺院を数多建立しようが、仏僧を数多育成しようが、難解な経典を翻訳しようが、それらはあくまでご利益宗教であって、本質的な宗教とはやはり縁遠いものであったということですね。 武帝は達磨大師に問うた。「何の功徳があったか?」 この質問がすでにその迷妄を明らかにするものであって、大事なことは、己自身が仏のごとく日々を生きることであり、功徳があったかどうかなど、そもそも気にするものでもない。だから達磨大師は「影が形に沿うようなもので、あるように見えて実はない」と言った。 禅の名僧、趙州和尚(じょうしゅうおしょう)でのお話。とある修行僧が聞いた。仏法の妙諦を伺いたいと。 趙州和尚「朝ごはんは食べたか?」 修行僧「いただきました」 趙州和尚「茶碗は洗ったか?」 修行僧「洗いました」 趙州和尚「よろしい、下がりなさい」 偉大な教えとは、現実を離れた空理空論にあるのではなく、日々の生活の中にこそ、あるのであります。-人-

  • @cheekogreeneyesnike
    @cheekogreeneyesnike2 жыл бұрын

    明を起こした皇帝夫妻が、とんでもなく聖人に見えてきます。

  • @suzaki7771
    @suzaki77713 жыл бұрын

    とても面白かったですー 加えて南北朝時代の変遷もよくわかりました ありがとうございまーす

  • @omi03watanabe
    @omi03watanabe3 жыл бұрын

    田中芳樹の奔流の時代ですね。 めっちゃ読みやすく入り口の小説として優秀ですので 気になった方は是非。 しかし、名君の条件の一つに早死ってのを何処かで見たけど この例を見ると本当にそうだなって思えますね。

  • @thor0610102

    @thor0610102

    3 жыл бұрын

    田中先生の「長江落日賦」もセットで。 羊侃の息子の羊鵾が主人公です。 もちろん、羊侃VS「宇宙大将軍」候景の戦いも描写されていますし、羊鵾がどのような心情で候景を討ったかも田中先生の創作ですが、描写されています。

  • @haru-entmotaku

    @haru-entmotaku

    3 жыл бұрын

    田中先生で中国史の楽しさを知り、鳥人間閣下で中華人物史を楽しんでおります✨ この流れでいずれ、天竺熱風録、王玄策が見たいですね😆

  • @user-rn2ny6ll1i

    @user-rn2ny6ll1i

    3 жыл бұрын

    陳慶之もいずれ取り扱って欲しいですね。いくら北魏が混乱していてイージーモードだったとはいえ7000騎で北伐を成功させたのは凄いですし

  • @spice0
    @spice03 жыл бұрын

    晩唐の杜牧に詠まれた江南春に南朝四百八十寺(しはくはっしんじ)はこの梁武の建てた寺と何かの解説に読みました。 ですが晩唐だと約350年くらいの時代差があり、その間の混乱に寺の数が増減されているので何処まで本当なのか。 しかし梁武が仏教にそこまで傾倒したと言えばまんざらの例えでも無いです。 あと前王朝の南斉の悪貨問題も。悪貨は良貨を駆逐する。 経済問題は貨幣の概念以降の永遠の課題ですね。

  • @user-tf2dx2rs1o
    @user-tf2dx2rs1o3 жыл бұрын

    やはり宇宙大将軍の次は皇帝菩薩でしたか…。

  • @user-mh6gj6yk9g
    @user-mh6gj6yk9g3 жыл бұрын

    定期的な動画いつも感謝です!晋以降の時代があやふやなんで三国志起点の説明がわかり易く助かります

  • @user-iy6sh7wh1w
    @user-iy6sh7wh1w3 жыл бұрын

    武勇に優れ、知恵と教養に富んで平和な時代を生むことはできても、平和な時代を保全するタイプの君主足りえなかった。初代にして「武帝」と諡されたのは教養人ながら「文帝」ではなかった、という評価なのかもしれない。

  • @user-xy9um9xy2n
    @user-xy9um9xy2n3 жыл бұрын

    武帝は86歳で亡くなったけれど天寿を全うしていれば乾隆帝を上回ったかもね

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p2 жыл бұрын

    晩年はガルシアマルケスの 族長の秋にそっくりだなと 武帝に習って文学で答えたよ

  • @user-vc6ps5tg1d
    @user-vc6ps5tg1d3 жыл бұрын

    独裁は統治者のやる気や能力がダイレクトに反映される体制ということがよくわかる……今回は統治者がやる気をなくしただけでどえらいことになる例といえそう

  • @user-lg8yc4cc2t
    @user-lg8yc4cc2t3 жыл бұрын

    北斉の蘭陵王をやって欲しいです。北斉の名将揃い振りと暗君・暴君オンパレード振りを見るとトップが無能だと家臣がいくら有能でも国が亡びる事を体現していて参考になります。蘭陵王自身も鬼の面を被った美男子の名将と言うパワーワードが魅力です。

  • @mebiusu3686
    @mebiusu36863 жыл бұрын

    動画楽しみにしてました!!ありがとうございます!!同じ梁つながりで陳慶之を取り上げて欲しいです!!

  • @heiho_ita
    @heiho_ita3 жыл бұрын

    秀吉も乾隆帝もだけど長く名君であるのは大変なんだね。

  • @user-rg8ji1fs7k

    @user-rg8ji1fs7k

    Жыл бұрын

    秀吉はお世辞にも名君とは言えない。

  • @user-rk4wf6mf8e
    @user-rk4wf6mf8e3 жыл бұрын

    ベンチャー企業の社長さんみたい。公平さに囚われて人間の本質を理解せずに裏切られて没落する。

  • @user-fn3tu6pi1q
    @user-fn3tu6pi1q3 жыл бұрын

    人は老年になると寿命を延ばすために神学を研究する。梁武帝は仏を信奉する。唐太宗の李世民は晩年は練丹薬に夢中になりました。明の嘉靖皇帝は信道教します。

  • @user-fn3tu6pi1q

    @user-fn3tu6pi1q

    3 жыл бұрын

    徳川家康が晩年にやったデタラメな話は本当ですか?

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d2 жыл бұрын

    現在、『南北朝時代』(中公新書)を読んでいる。蕭衍の治世の史学面では、『南斉書』や三皇五帝から南朝斉に至る『通史』が編纂されており、このことで王朝の正当性を出張している。仏教への傾倒は、唐の玄宗が楊貴妃に現を抜かしたのと似ている気がする。一緒にするのは失礼かもしれないが、国民には良い迷惑であった点では同じではなかろうか。国の乱れについては侯景を受け入れたことが痛恨事になったにせよ、それ以前から既に政治を顧みなくなっていたのだから、これも玄宗に似ているように思える。「麒麟も老いては駑馬に如かず」を地で行った後半生だった。

  • @user-go5no3jj5l
    @user-go5no3jj5l3 жыл бұрын

    「南朝四百八十寺、多少の楼台煙雨の中」 四度の捨身もそうだが....寺多すぎ(笑

  • @user-wj6sr5ww2j
    @user-wj6sr5ww2j3 жыл бұрын

    南に東昏侯あれば、北に無愁天子あり。

  • @user-br5ln8wu5w
    @user-br5ln8wu5w3 жыл бұрын

    仏教の保護かぁ… 地獄で北魏の太武帝とすっげぇ剣幕で罵り合ってそう

  • @yuten1992

    @yuten1992

    3 жыл бұрын

    ふたりとも仲良く地獄行きでいいいのでは?(苦笑

  • @user-dv1zu9mg4y
    @user-dv1zu9mg4y2 жыл бұрын

    実際出家して引退させてしまい 次期皇帝を即位させる。という発想は梁の臣下にはなかったんでしょうか?

  • @qoamb410
    @qoamb4103 жыл бұрын

    「君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む。」という(易経・革卦だったかかな。(笑))の言葉を思い出します。君子は常に自己改革して自分を刷新するものだが、小人は表面は改めるが、本質は変わらないとの故事ですが、君子が自己改革していると思い込んでしまうのも危険なんですね。 耳の痛い事を言ってくれる人がいないと、優秀な人も道を誤るんですね。わかっちゃいるけど、やめられない…。すごくためになる話です。動画面白かったです。

  • @user-ou9ng1vd9k
    @user-ou9ng1vd9k3 жыл бұрын

    宋文帝も南北朝の名君である。檀道済を粛正して北魏の南下を許してしまったが。

  • @user-rx5ge4my2l
    @user-rx5ge4my2l3 жыл бұрын

    長期政権ってやっぱりあかんなぁ。 乾隆帝もそうだが、新陳代謝は必要ってことを教えてくれるね…

  • @ryouyang2483
    @ryouyang24833 жыл бұрын

    蕭衍が直に登用した陳慶之がまた出なかった……

  • @anaheimmechatronics564
    @anaheimmechatronics5643 жыл бұрын

    20:45 捨身した時に、皇太子が即位すれば良かったのでは。

  • @Kotchan66

    @Kotchan66

    2 жыл бұрын

    昭明太子蕭統はもう亡くなっていたのかな?

  • @user-gp4uy4ng7l
    @user-gp4uy4ng7l3 жыл бұрын

    三国志の呉の孫権も前半は名君だったけど、老いてからは政治に倦み、最大のやらかし「二宮の変」をやってしまいました。 老いてからも自身を律し続けるのは大変なことなんやなぁって。それから見ると康熙帝の61年は驚異的だ。

  • @user-gp4uy4ng7l

    @user-gp4uy4ng7l

    3 жыл бұрын

    元々、孫権(というか孫家)は江東にとっては所謂「余所者」だから、孫家に力を残したかった。 しかし、二人の息子が偶然か何か、従来の名家(陸家、陸遜とかの家)派と新進の家派に分かれてしまった。 どっちかを選んでも禍根を残す結果になってしまってだろうし、長い間、各派閥の調停に疲れたかもしれない。 仕方ない部分もあったかもしれない。しかし、孫権は皇帝として責任を果たすことを放棄してしまった。 結末を知っている俺たちからするとこの見方は卑怯とも取れるだろうけどね。

  • @user-rg8ji1fs7k

    @user-rg8ji1fs7k

    Жыл бұрын

    昭和天皇やフランクヨーゼフやエリザベス1世や2世を忘れていないか?

  • @coldexp7189
    @coldexp71893 жыл бұрын

    先週、餓死させられた人か…… それはそうと、南北朝時代というけれど、150年間の内、後半の40年ぐらいは北朝が分裂状態だったので、北2つに南1つの逆三角形の三国時代だったんだなぁ。

  • @journeywm1929
    @journeywm1929 Жыл бұрын

    あの方、がいつ画面に出てきたのか、思わず戻って確認してしまいましたわら😂

  • @user-zg6ff4ei5j
    @user-zg6ff4ei5j3 жыл бұрын

    南北朝時代は暴君暗君ファンにとっては最高の時代

  • @towbbb9160

    @towbbb9160

    3 жыл бұрын

    いかれてる人おおいよねw

  • @user-zg6ff4ei5j

    @user-zg6ff4ei5j

    3 жыл бұрын

    ・劉宋の元凶劭、後廃帝劉昱 ・蕭斉の鬱林王蕭昭業、海陵王蕭昭文、明帝蕭鸞、東の馬鹿王東昏侯蕭宝巻 ・蕭梁の武帝蕭衍(後期)などなど もう描くのやめた()

  • @user-pz3vj5tc8v
    @user-pz3vj5tc8v3 жыл бұрын

    南朝の名君がきたかリクエストしていたのでじっくり拝見します。

  • @user-bk3fz8st6i
    @user-bk3fz8st6i3 жыл бұрын

    中国史はこの辺のことは王朝の名前くらい知らないから勉強になります。梁ってほぼ一代の王朝だったんですね

  • @NT-iv9os
    @NT-iv9os3 жыл бұрын

    ちょうど別の方の動画で、南朝斉の最後〜梁の建国までを見た所だったので、より話が入ってきました! せっかく自分が建国して自分が最盛期を作り上げたのに、自分でふいにしてしまい、継続し続ける事がいかに難しいか… 考えさせられました😖

  • @corjioono7463
    @corjioono74632 жыл бұрын

    横山光煇風に蕭衍描いたら誰に近いイメージになりそうか

  • @corjioono7463

    @corjioono7463

    2 жыл бұрын

    宇宙大将軍は横山光煇風に描いたら 袁紹か董卓風になりそうだが

  • @user-sd3hm8lj5f
    @user-sd3hm8lj5f3 жыл бұрын

    中国史上五指に入る在位期間の長さを誇る皇帝だけど、前期名君で後期暗君型の君主の一人でもある。後継者を定めて後に出家すれば国を傾けるほどの惨禍を招くことはなかったろうに…😢 それを思うと60年も集中力を持続させ立派な後継者を残した康煕帝は凄いですね!😲

  • @user-zz4tq5rh2p

    @user-zz4tq5rh2p

    3 жыл бұрын

    孫権「それな」 玄宗「せやな…」 乾隆帝「朕は最後の最後で…」 万暦帝「朕も最初の10年は…」 孫権・玄宗・乾隆帝「てめえは違えよ」

  • @KAWACHI102

    @KAWACHI102

    3 жыл бұрын

    @@user-zz4tq5rh2p 紂王「俺をお探し?」

  • @user-hv7cj8hn5j

    @user-hv7cj8hn5j

    3 жыл бұрын

    康熙帝も後継者の選びには苦労していて、 何度も後継者の廃位をして、最後に雍正帝に決めた?そうです。

  • @shinpeikitajima7115

    @shinpeikitajima7115

    Жыл бұрын

    後を任せられる後継者に恵まれなかったのが蕭衍の最大の悲劇かも。 せめて昭明太子が長生きしていたら・・・・・

  • @user-fj9di4nh6x

    @user-fj9di4nh6x

    Жыл бұрын

    ​@@user-zz4tq5rh2p 草🤭

  • @acidspicer
    @acidspicer3 жыл бұрын

    どことなく唐の全盛期を終わらせた玄宗皇帝に似てる気が…

  • @user-bk5ou7eg4t
    @user-bk5ou7eg4t2 жыл бұрын

    前半生は紛れもなく名君であり、晩年も自身は質素な生活をしているのに残念。 経済政策の失敗が全てを台無しにしてしまったようだ。

  • @user-il6zn3xq6e
    @user-il6zn3xq6e3 жыл бұрын

    蕭衍は「麒麟も老いては駑馬に劣る」を地で行く生涯でしたね。政権移譲が適切だったらもう少し違った評価を得られたでしょうに。 あと前半が事実上の蕭宝巻回だった事もあり尚更興味深く視聴出来ました(いつか単独で動画の主役張る日は来るのでしょうか)w

  • @Kotchan66

    @Kotchan66

    2 жыл бұрын

    「文選」で有名な昭明太子蕭統に先立たれたのが痛手だった。

  • @hatakeno5594
    @hatakeno55943 жыл бұрын

    鳥人間さん、もはや人間捨てるの草

  • @user-st3ef1ve6b
    @user-st3ef1ve6b3 жыл бұрын

    アニメでしか知らないけどこれが『十二国記』だったら、最後はもう麒麟が酷い病気になっているんだよね。

  • @user-or7rq7fk5n
    @user-or7rq7fk5n2 жыл бұрын

    武帝の後半は、ひろゆきみたいになってしまったんだな、、、

  • @user-er6dd8io9j
    @user-er6dd8io9j3 жыл бұрын

    陳慶之もお願いします

  • @fox37812
    @fox378122 жыл бұрын

    天皇は出家しても権限握れたのにね

  • @karihakozaki
    @karihakozaki3 жыл бұрын

    武帝のもうろく、ひょっとして仏教に傾倒しすぎて食事が質素になりすぎたため栄養不足になったのが原因なのでは…(汗) あとは宇宙大将軍が政治センスがなかったこと(同時に従っていた王偉の軍師センスが足りなかったこと)も武帝の最期を ひどくした一因でしょうね。晩年まで長く政務に励めることの難しさを武帝は教えてくれますね…

  • @harukasuzuki3939
    @harukasuzuki3939 Жыл бұрын

    玄宗もそうですが、長期政権はだいたい後半グタグタしますね。

  • @akat4485
    @akat4485 Жыл бұрын

    2:46 蕭衍は464年 斉の都の~    とあるのですが、  464年ですと、南朝宋の孝武帝が亡くなり、前廃帝が即位した年ですね。斉の建国は479年ですので、その15年前になります。  そうなると、誕生時には皇帝一族とはまるで関係の無い、ただの寒門出身者であり、479年の斉の建国によってちょっと立場が変化した(でも父が一門で斉の建国者の蕭道済に重用されなかったので余り変わらなかった?)ということになるわけです。  ここは一応正確を期した方がいいのでは?と思いコメントしておきました。

  • @user-gx7cr2rh4b
    @user-gx7cr2rh4b3 жыл бұрын

    捨身に夢中になるという奢侈に走ってしまったか

  • @treasure9262
    @treasure92623 жыл бұрын

    宇宙大将軍に続き壮絶な人生を歩んだ男の話ですね。武帝は現代風に言うと老害になったのでしょうか。やはり組織に新陳代謝は必要なのかもしれません。

  • @takahiroseto4028
    @takahiroseto40283 жыл бұрын

    酒を飲み、肝臓を壊す 休みだビールだヒャッホーイ! そして最高潮で中国史と楽しみます!

  • @user-hr2jq5dk5c
    @user-hr2jq5dk5c3 жыл бұрын

    時代は違いますが李隆基とも重なるところもありますね 三国志といい後継者を育て引き継ぐっていうのはやはり簡単じゃないんでしょうね

  • @user-rb3zq7nc6y
    @user-rb3zq7nc6y3 жыл бұрын

    モムゼンのくだりで、飲んでたコーヒー吹きました(^^)

  • @c-history

    @c-history

    3 жыл бұрын

    分かっていただけてすごく嬉しいです

  • @blmalm3034
    @blmalm30343 жыл бұрын

    間違いなく南北朝を通してみても名君の部類だとは思うけどそれはそれとして大老害になってしまうのは世の中中々うまくいかないものですね

  • @anaheimmechatronics564
    @anaheimmechatronics5643 жыл бұрын

    6:20 劉邦の大蛇切りとかの話

  • @user-hw2mv1fu7y
    @user-hw2mv1fu7y3 жыл бұрын

    素朴な疑問なんですが,日本だと天皇が上皇となって名目上引退することが今もありますが,中国史ではそういうのはなかったのかしら?

  • @Taka18782

    @Taka18782

    3 жыл бұрын

    いわれてみると、そうだね。思い当たらないね。なぜだろう。……と思ってググったら、何人かは存在したみたい。ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%8A%E7%9A%87#%E4%B8%AD%E5%9B%BD

  • @user-hw2mv1fu7y

    @user-hw2mv1fu7y

    3 жыл бұрын

    @@Taka18782 わざわざ調べていただいてありがとうございます! 確かに唐の玄宗などは仕方なかったけれども、今回の梁武帝は太平のシステムを築いて仏教に傾倒してたのだから、そのまま後継者に帝位を譲って捨身すれば良かったのではないの?と疑問に思ってしまいまして…

  • @Taka18782

    @Taka18782

    3 жыл бұрын

    @@user-hw2mv1fu7y 結果を知っている後世の我々からすれば、確かにそう思うよね。

  • @anaheimmechatronics564
    @anaheimmechatronics5643 жыл бұрын

    17:30 実在が疑わしい禹ですら治世45年なので、中々長い

  • @y--sizuki
    @y--sizuki3 жыл бұрын

    投稿お疲れさまでした!d(`・∀・)b じっくり楽しんで視聴しておりますよ!👍

  • @user-hw1og1gz2v
    @user-hw1og1gz2v3 жыл бұрын

    この時代結構面白いんですよね。 そこでリクエストなのですが、五胡十六国で漢民族の気骨を見せてくれた崔浩さんをひとつ取り上げてもらえると嬉しいです。

  • @user-tt4ww2np8g
    @user-tt4ww2np8g3 жыл бұрын

    東昏侯ってまるで「ヘリオガバルス」みたいだな~。年代は結構ズレるけど、やってることが謎なところは似てる。 ※ヘリオガバルスのやったこと→薔薇の花びらで賓客を窒息死させた(笑)

  • @user-nk3fn6um8i
    @user-nk3fn6um8i3 жыл бұрын

    きた〜 鳥人 待ってた

  • @londoninjapan2557
    @londoninjapan25573 жыл бұрын

    鳥人間陛下、万歳!! 梁の武帝、世界史レベルよりもいっそう深く知れました。 もしかしたら、彼が命じた「文選」が「令和」の元号になり、佛教(彼が信仰したそれとは大分違うでしょうが)が信仰されている今の日本を彼は見守ってくれているかも、とそんな妄想をしたりしました。

  • @user-vy4pw3vf6j
    @user-vy4pw3vf6j3 жыл бұрын

    皇帝菩薩

  • @user-dc9th3nz2b
    @user-dc9th3nz2b3 жыл бұрын

    う~ん。名君というには、民草の暮らしぶりには無関心過ぎる気がしますね。 せっかくの諌臣の具申を無下にするのみならず、あまつさえ逆上するとは度しがたい。

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