【炭鉱のまち②】三笠の歴史と今(幾春別・奔別・幌内)

炭鉱で栄えたまちはかつて、エネルギー資源の供給、国の産業の発展に大きく貢献してきました。それと同時にエネルギー政策に振り回され、大きく影響を受けた地でもあります。
今回は北海道の炭鉱のまちを歩き、現在の様子とともにその歴史についてふれていきます。
この動画は【三笠】編です。
【夕張編】
• 【炭鉱のまち①】夕張の歴史と今
【赤平・芦別編】
• 【炭鉱のまち③】赤平・芦別の炭鉱遺産めぐり
【羽幌編】
• 【炭鉱のまち④】羽幌炭鉱の歴史と今の姿
【浦幌編】
• 【炭鉱のまち⑤】浦幌炭鉱の歴史と今の姿
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/ akihiroba
#三笠 #炭鉱 #歴史

Пікірлер: 18

  • @FLAKPANZER2000
    @FLAKPANZER20007 ай бұрын

    懐かしい。 鉄道博物館や巨大アンモナイト等見て回ったなあ。 更科食堂で食べましたよ。 当時は由来を知らなかったので、ちょこちょこ聞いたような。 旧市街地は更地になっていた一方で、でかいイオンモールがあったのには驚いた。

  • @user-dg4hw5cr5k
    @user-dg4hw5cr5k Жыл бұрын

    桂沢湖から三笠に向かうと幾春別ですね、奔別炭鉱立坑櫓には何度も行きましたが、すぐ前がコンクリート製品工場かなんかでさすがに廃墟に入って行くことはできませんでした。最後に訪れたのが20年位前だけど、映像で見る町並みはずいぶん寂しくなりましたね、でも幾春別っていい地名ですね。幌内炭鉱は立坑櫓の幌内の文字は見てるのですが、いつも素通りでした。多分これから大廻りをして、美流渡から万字炭山を経て夕張へ出るコース(あるいは桂沢湖から真っすぐ清水沢に出るコース)だったので、時間もなかったのでしょう。芦別を早朝出発して、頼城に寄って三笠周りか清水沢周りで夕張を訪れて、その日のうちに札幌·小樽を越えるか、由仁から千歳へ出て支笏湖·洞爺湖越えるかして、いずれにしろ長万部を越えて函館に近づく段取り(天気によるけど)だったので、今思えばもっと各地の炭鉱遺跡を訪れれば良かったと悔やまれます。

  • @user-yy8eh7br8g
    @user-yy8eh7br8g10 ай бұрын

    炭鉱で栄た町は炭鉱の閉山で衰退、 私の住んでる街は製鉄の衰退により人口減少が止まりません。 それでも、大きな街ですが。

  • @user-ps2qg6dx8z
    @user-ps2qg6dx8zАй бұрын

    倉橋ルイ子の幾春別の詩を思い出した

  • @user-db5um3pt6y
    @user-db5um3pt6y Жыл бұрын

    炭鉱の町と言えば繁栄から衰退でゴーストタウンのイメージで前回の夕張ほど街の衰退してなさそうでしたね。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    夕張は炭鉱閉山後に箱ものがたくさんつくられて、それがなくなったのも余計に影響しているかもしれませんね。

  • @kingosaitoh789

    @kingosaitoh789

    Жыл бұрын

    私は三笠の柳町で生まれました。 父は当時、奔別炭鉱に勤めており、閉山の約一年前に離職しました。 母は、婦人会で構内に入った事が有ると言っています。 時々墓参りの際に縦構を見に寄ります。勿論お蕎麦も食べます😊

  • @user-cq9zz5tw7b

    @user-cq9zz5tw7b

    8 ай бұрын

    @@kingosaitoh789 わたくしは三笠の奔別でしたよ

  • @user-jx7di8tj3d

    @user-jx7di8tj3d

    4 ай бұрын

    母は奔別炭鉱病院で看護婦をしていた。懐かしい。

  • @user-eq4wk7gl8y

    @user-eq4wk7gl8y

    2 ай бұрын

    私は三笠の弥生緑町に住んでました。 先週弥生から奔別までタクシーで周りましたが緑町は更地になって弥生小学校までの道も無かったので寂しかったです。 父が閉山に伴い関東へ。 子供の頃に過ごした弥生桜木町幾春別は良い想い出です。火曜日だったので更科食堂さんはお休みでした。

  • @tigerbig8430
    @tigerbig84306 ай бұрын

    櫓の下には、数百メートルもの深さの坑道があってそんな恐るべき深さの場所で石炭を採掘していた人々がいたんですね。炭鉱発見の契機となった林業にしても、300年くらい前の原始の北海道の森に入って、岐阜からやってきたきこりたちが、ヒグマと戦いながら原始林の大木を伐採していたなんて信じられません。ただ、原始の大木をもう少し現代にも残しておいて欲しかったです。大木の林立する森に、巨大ヒグマ、オオカミのいる森を今も見る事ができたらなあ、とロマンに浸ってしまいますね。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    6 ай бұрын

    炭鉱と林業は北海道の開拓の歴史では外せないものですね。 ヒグマやオオカミがいる森…人間は近づけなさそうですが、そんな場所が少しはあってもいいかもですね。

  • @NEWLAYZNER
    @NEWLAYZNER11 ай бұрын

    日本再生の要でもあった訳だし、御疲れ様でした・・と声を掛けたいですね・・・

  • @leonhsiung
    @leonhsiung Жыл бұрын

    替此城市的悲慘命運感到傷心😂!

  • @user-ps2qg6dx8z
    @user-ps2qg6dx8zАй бұрын

    倉橋ルイ子の幾春別の詩を思い出した