【炭鉱のまち①】夕張の歴史と今

炭鉱で栄えたまちはかつて、エネルギー資源の供給、国の産業の発展に大きく貢献してきました。それと同時にエネルギー政策に振り回され、大きく影響を受けた地でもあります。
今回からの動画は、北海道の炭鉱のまちを歩き、現在の様子とともにその歴史についてふれていきます。
この動画は【夕張】編です。
【三笠編】
• 【炭鉱のまち②】三笠の歴史と今(幾春別・奔別...
【赤平・芦別編】
• 【炭鉱のまち③】赤平・芦別の炭鉱遺産めぐり
【羽幌編】
• 【炭鉱のまち④】羽幌炭鉱の歴史と今の姿
【浦幌編】
• 【炭鉱のまち⑤】浦幌炭鉱の歴史と今の姿
【Instagram】
/ akihiroba
#夕張 #炭鉱 #歴史

Пікірлер: 22

  • @user-od3vd3sf8x
    @user-od3vd3sf8x Жыл бұрын

    私の出身地の夕張を取り上げてくださり、ありがとうございました😊本当に分かりやすく、且つ詳しい解説をしていただき、感謝しております!ただ、これからもどんどん人口が減り続け、近い将来はどうなるのでしょうか⁉️

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    ご覧いただきありがとうございます! 夕張に限らずこれからは人口減が続くので、社会資本が整備されていない僻地の集落の消滅も続きそうです。

  • @ZIFF27
    @ZIFF27 Жыл бұрын

    「のんきや」のおばあちゃん元気かな?。また夕張に行きたいです。

  • @NEWLAYZNER
    @NEWLAYZNER11 ай бұрын

    寂れましたね・・でも、この炭鉱が日本を支えてきましたね。特に国防への貢献は大きいです。この地の石炭を室蘭の日本精鉱に搬入し、溶鉱炉の燃料に使い、大砲の砲身などを製造しました。感謝と敬意は忘れてはいけないと思います・・・

  • @waka4764
    @waka47649 ай бұрын

    夕張が一番元気だった頃小学生だった。転校生が次々入って来て教室がぎゅうぎゅう詰め。北炭幹部の社宅は広くて立派。東大、京大出た親が珍しくなく、教育熱心でした。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    9 ай бұрын

    コメントありがとうございます!

  • @user-dg4hw5cr5k
    @user-dg4hw5cr5k Жыл бұрын

    シューパロ湖から夕張岳が望めますね。鹿島小学校はまだ残ってたけど、国道沿いの町並みは年ごとに無くなってゆきました。南部地域は鹿島よりまだ人家も多かった。清水沢の発電所跡は何度も行きました。丁未も無人の炭住がまだ残っていて、下のほうにメロン城ができました。夕張駅周辺の鉱山施設はまだ残っていたけど、やがて何も無くなり石炭博物館ができ、その後歴史村ができました。本町通りまだ商店も人通りも多く、もちろん映画の看板なんかありませんでした。もう映画館も無くなっていたのか、市民会館で無料の映画をやってました。昭和53年頃から毎年のように夕張を訪れてたけど、社光や高松の炭住が無くなってからは、北海道には行ってません。

  • @hayakou5

    @hayakou5

    Жыл бұрын

    昭和53年頃の夕張の本町付近の写真があったら、是非ともKZreadやホームページなどで、公開していただけるとありがたい。 なかなか見つからないんだよね。 みんなも、その頃の写真は見たいと思います。 現在の本町付近の動画や写真は山ほどありますが。

  • @dora3030
    @dora3030 Жыл бұрын

    昔は炭鉱の街だったけど今はこれと言って何もない。 この先夕張をどうするのか? むずかしい問題だよな。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    そうですね。

  • @user-qh9wl8qc9q
    @user-qh9wl8qc9q9 ай бұрын

    歌志内の空知炭鉱は、露天堀で細々と継続されてますね。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    9 ай бұрын

    みたいですね!

  • @user-ul6uz2dj4e
    @user-ul6uz2dj4e Жыл бұрын

    ここに5年間住んでいました

  • @nejimakitaro
    @nejimakitaro10 ай бұрын

    主要産業だった炭鉱が消失しても、その代替産業がすぐに出現するわけはなく、労働者を地元で吸収するのは難しい。自分の住んでいる近くにも、かつて炭鉱で栄えた町があるけど、今は面影を完全に消失して、木々が多い茂り自然に戻っている。見た感じだと、その地域の人口は最盛期の1%以下になっている。写真や記念館でしか、当時の栄光を窺い知ることができない。夕張と違うのは、あまり足掻いた形跡がないことぐらい。どちらが良いのかはわからない。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    10 ай бұрын

    時代の流れとはいえ、炭鉱のまちというのは、その流れがあまりに速くて大きなものでしたね。次のことを考えて準備する時間もなかったのかも知れません。 それでも、日本の産業に貢献したことに間違いなく、今がどんな姿であってもその歴史を忘れないでいたいと思いました。

  • @user-im8ts6ij9r
    @user-im8ts6ij9r Жыл бұрын

    動画にあったバスは、作業員送迎のためではなく、市民の交通の足になっていました。札幌へ出るための特急バスが走っていましたよ。札幌まで片道二時間。清水沢からはノンストップで札幌まで走っていました。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    ありがとうございます。 調べ直してみると、晩年は大夕張の木製品会社の従業員送迎車でしたが、以前は大夕張〜夕張〜札幌の路線バスとして活躍していたようですね。

  • @Switzerland6074
    @Switzerland60747 ай бұрын

    生産性をあげるのがコンパクトシティで、街を物理的にいじって コスト削減するのは誤解だと思うけどな。 戦争やらなくなって、仕官クラスでは常識の布陣の原理がわからないようになったんでしょうね。

  • @hayakou5
    @hayakou5 Жыл бұрын

    石油で賑わっている、中東ドバイの800mの高層ビル群も廃墟になるよ。 ものすごい廃墟になる。 この動画を見た人は、みな知っている。

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    規模は違えど同じ道をたどりますかねぇ…

  • @user-lm4dz8xi6x
    @user-lm4dz8xi6x11 ай бұрын

    なぜ、閉山した時点で引き揚げなかったのだろう?鉱山町はみなそうしてると思うが………

  • @sasaki_tetsuya
    @sasaki_tetsuya3 ай бұрын

    まだ掘れば石炭でるんでしょ。ならその石炭燃やして、温泉に近い成分の地下水湧かして亜温泉として営業すればいいのに