【山木館襲撃】源氏と『治承・寿永の乱』【ゆっくり歴史解説】#2

Ойын-сауық

源頼朝。そして、足利尊氏のご先祖様にして足利家二代目棟梁・足利義兼をはじめとする「源氏」視点で、『治承・寿永の乱』を解説していくシリーズです。
第二回は、決起した頼朝の初戦「山木館襲撃」。頼朝視点。
流人時代、政子との馴れ初めを経て、山木館襲撃に至るまでを解説していきます。
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【参考文献】
呉座勇一「頼朝と義時 武家政権の誕生」
細川重男「頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」」
#ゆっくり解説 #治承・寿永の乱 #山木館襲撃 #源頼朝 #北条政子 #北条時政 #平清盛 #源頼政 #日本史

Пікірлер: 32

  • @user-hu3zj1tv6g
    @user-hu3zj1tv6gАй бұрын

    今回も楽しく見させていただきました。 佐々木秀義の渋谷さん宅への20年居候と結婚and5男誕生は初めて史料で読んだとき、大爆笑しました(子孫ですが)。 佐々木4兄弟の頼朝涙目はなんか、改めて動画見て頼朝可愛く見てきました。 一の矢は経高、初の首印は定綱、経高、高綱の共同戦果。 なんやかんや、伊豆に流されてからの佐殿と佐々木家の絆は深い。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 佐々木家は調べれば調べるほど、なかなかぶっ飛んでますよね。20年という単語を初めて見た時は思わず二度見してしまいました。あと、重国さん。それでいいのか?!と。 「佐々木に裏切られたかも?!」と狼狽して、戻ってきたら泣いちゃうとこだけでも、頼朝と佐々木家の繋がりの深さが滲み出てますよね。このあたりドラマで見たいんですけど、いつか誰かやってくれないかあ。。。

  • @tttkkk9762
    @tttkkk9762Ай бұрын

    弟に比べて地味とか冷酷とか言われてあまり人気がないけど 法と仕組みと既成事実の積み重ねで盤面ひっくり返すどころか ゲームのルールそのものを改変してくる頼朝さん大好き 日本の歴史上でもトップの革命家で政治家だと思うとります

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、弟さんが伝説プラスされまくってる割を食って、創作物でも頼朝さんの扱いって、冷酷な悪役とされがちですよね。あと、やってることが小難しいだけにさらっと流されてしまうことも多い。 でも、じっくり調べていくと、本当にすごい人なんですよね。どこまで読んでるんだ?!と感嘆することしきり。調べるほど好きになっていきます! そのすごさがちょっとでも伝えられるよう、これからも動画制作に励みたいと思います。

  • @MYOSHIDA-wq7wb
    @MYOSHIDA-wq7wbАй бұрын

    ついに「鎌倉殿」の世界♡

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 大河「鎌倉殿」、大好きな作品ですが、結構削られているエピや改変が多いんですよね。そのあたりも拾っていけたらと思います!

  • @yh6146
    @yh6146Ай бұрын

    12:16 この時に頼朝が陸奥に逃げていたら奥州藤原氏の保護を受けていたら後に奥州征伐しなかったかな?

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 頼朝が奥州藤原氏の保護を受けていたら。それ、私も考えたことがあります。本来、頼朝には縁もゆかりもない相手ですが、義経に頼んでもらえば(!)どうにかなったんじゃないかと。 でも、そうなると、坂東はどうなったでしょうね???

  • @user-nm6mk2eh9n
    @user-nm6mk2eh9nАй бұрын

    曽我物語だったか……妹娘が 富士の上で橘の枝をかざすとかいう夢を見た 姉 娘はそれをとても不吉な夢だとだまし、自分もまたその夢を人に売るからと言って大事にしていた鏡てその途方もない吉夢を買い取った 雅子はこうして 本来 妹が手にするはずだった天下人の妻の座をゲット、何ていう後付けの話もありましたね

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、曾我物語では妹の夢を買ったというエピになってます。曾我物語はフィクション性が高いので、今回は紹介しませんでしたが、妹を騙してまで吉夢を奪うとか、政子は悪女というイメージはこのあたりですでにあったんですかね? 他にも、政子は本来山木に嫁に行くはずだったから、その遺恨から頼朝は山木襲撃を決めた!とか。山木さん、花嫁は獲られるわ、襲撃されるわ、ひどい仕打ち(苦笑)

  • @user-nm6mk2eh9n

    @user-nm6mk2eh9n

    Ай бұрын

    1972年 の NHK 大河ドラマ新平家物語(⁠吉川英治 11:24 さん 原作、高橋幸治さんの頼朝、栗原小巻さんの政子)ではその山木さん ボッコボコの話がそのまま描かれていました それをリアルタイムで見ていた……スマホ で誤字脱字を連発する高齢者です😂

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    29 күн бұрын

    @@user-nm6mk2eh9n さん コメントありがとうございます! なんと!大河「新平家物語」をご覧になっていらっしゃるなんて!実に羨ましい! 高橋幸治さんが頼朝、栗原小巻さんが政子……と、配役を見るたび、見てみたくてしかたがない作品です。 どうして、昔の大河消しちゃったんだ、NHK…

  • @user-hg6cw6kw5w
    @user-hg6cw6kw5wАй бұрын

    頼朝って義経なんかに比べて人気ないですが、流人生活中に色んな人が助けてくれたり、政子をイチコロで落としたり、何か人として可愛げとか魅力がある人だったのかなーと想像します。ま、後年はゴリゴリに源氏属性を発揮するわけですか😅 平家の世の中でも、何気に頼朝周辺や源氏が中央の要人(八条院とか)とつながってて、この辺は見過ごされがちだけど注目すべきポイントだと感じました。 チラチラ登場する義かねが気になってたまりません!次回は活躍するかな?楽しみにしてます!

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! やはり、判官びいきといいますか、義経びいきだと、どうしても頼朝が冷酷な悪役扱いになっちゃいますよね。とはいえ、調べてみると可愛げのあるエピが結構多い。やはり、冷徹なだけじゃ天下は取れないってことなんでしょう。 頼朝は他にも、京にいる母方の親戚や同母妹とも繋がりがあるので、ここも決起後の強みだと思います。あと、八条院にしろ、母方の親戚にしろ、両方義兼が絡んでるんですよね(元勤め先の上西門院のとこには、兄の義清)なので、何かしら繋がりがあった、と思いたい! こんなふうに、義兼については私の憶測が多分に入ってきて申し訳ないですが、お付き合いいただけますと幸いです!

  • @yh6146
    @yh6146Ай бұрын

    島流しで無かった分宇喜多秀家よりかなりましな生活だったのか。秀家は奥さんの実家の前田家や関ヶ原の後に徳川の家臣になった旧臣からの仕送りをもらっていたけど、それでも生活が苦しかった。漂着した福島正則の家臣に酒を恵んでもらったり、地元の役人からごちそうになった時に白米のご飯は貴重だから家族や家来への土産に布に包んで持ちかえった。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、本来流罪って、とても大変な生活を強いられるはずなんですよね。頼朝の同母弟・源希義は、土佐に流罪になっているんですが、土佐だったら頼朝もこうは行かなかったかも?とはいえ、二十年にも渡って、ここまで手厚い支援を受けるなんて本当に稀なことなので、頼朝がよほど魅力的な人物だったのかなと想像します。

  • @user-wt5nb2sj9w
    @user-wt5nb2sj9wАй бұрын

    更新ありがとぅ〜

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 次回も頑張ります!

  • @RM-ih9qj
    @RM-ih9qjАй бұрын

    今回も面白かったです! 頼朝が最初は政子の妹の時子を狙っていたけど藤九郎が勝手に変えたとは知りませんでした 時子が後に結婚する相手も考えると、ここでも面白い縁ですね 涙目で怒る頼朝を結構容易に想像できますね。恩人も家族も粛清をする怖い部分と、愛嬌を感じられる部分のどっちもあるのが頼朝なのかなーと思いました。 私人として一番幸せだった時期は、決起前の政子と大姫と暮らしていた頃だろうってのが、確かにそうだろうなと思って悲しいですね

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 藤九郎が勝手に相手を変えたというのは、数多くある頼朝と政子の馴れ初め説の一つです(他にも、政子が妹が見た夢を買って、頼朝と結ばれたとか) この妹が誰かははっきり書いていないんですが、年齢からみて、次女の時子だと思います。おっしゃるとおり、その後の時子の結婚相手を考えると、面白いですよね! 愛する妻子とのささやかな暮らしなんて、征夷大将軍・頼朝のイメージと違う!とか言われそうですが、私はそう思わずにはいられないんですよね。頼朝を知れば知るほど。。

  • @user-xt4fg8ln4z
    @user-xt4fg8ln4zАй бұрын

    頼朝を伊豆に流罪にしたのは清盛の情けなんですね。もし清盛がもっと血も涙もない性格だったら、命を助けたとしても八丈島や九州の遠島あたりに流罪にして文字通りの「流罪」状態だったんでしょう。頼朝は沢山の人脈に助けられてますね。特に亡きママンの実家熱田神宮の人脈にとても助けられているなと思います。ママンの実家は貴族としての位は高くないみたいですが、普段からの上西門院への寄進が良かったんでしょうか。頼朝さんは本当に強運の持ち主ですね。 話は変わりますが、当時の坂東武者は現代人の斜め上をいくようなゴリマッチョ+怪力で非常に体格の良いバーサーカー集団だったそうです。武勇に優れている反面、短気な性格の者も多かったみたいです。

  • @user-ey8uu5gv8p

    @user-ey8uu5gv8p

    Ай бұрын

    この事が有ったから、男の子だったら殺すってなったのかも 助けたばかりに滅ぼされたわけだから

  • @yh6146

    @yh6146

    Ай бұрын

    ​@@user-ey8uu5gv8pだから徳川家康は大坂の陣の後に豊臣秀頼の息子を処刑した。その一方で関ヶ原の後に家康は石田三成の子どもは全員助命している。だから長男と三男は僧侶になったけど次男は津軽藩の重臣になっているし、次女の孫が徳川家光の側室になって娘を産んで子孫には天皇陛下もいる。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、清盛は本当に心優しい人だったと思います。その人柄のおかげで平家が内部分裂することはなかったと思うんですが、同時にその優しさが頼朝を救ったというのが何とも皮肉。 今回はカットしてしまいましたが、おっしゃるとおり、母方の親戚からの援助も結構手厚いんですよね、頼朝。助命嘆願の時も、上西門院たちに働きかけていたと言いますし、強運と言いますか、愛されキャラと言いますか。 坂東武者は殺し合うハードルが恐ろしいほど低いこともあって、びっくりエピが多いですよね。え?そんなことで殺し合い始めるの?!と。そいつらをまとめ上げた頼朝さんは、ホント凄いと思います。

  • @user-nm6mk2eh9n
    @user-nm6mk2eh9nАй бұрын

    1げと😊 いつも面白い動画ありがとうございます

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! これからも、少しでも面白い動画をお送りできますよう、頑張っていきます!

  • @user-rp9gu1lg4b
    @user-rp9gu1lg4bАй бұрын

    面白くて見始めました。 もしわかったら動画化してほしいのですが、「何故、天皇はわざわざ現役退いて上皇になってから権力発揮するようになったのか」をテーマに出来ないでしょうか?現代の感覚で普通に考えたら現役の方が権力発揮できそうですし。 個人的には現役時代には、平安期に肥大化した様々な行事や書類決済などで忙しく、それらから解放される上皇になってはじめて政策決定や領地経営や軍事を采配する余裕ができるからではないかと思っています。 後醍醐天皇は現役で全部やろうとしてパンクしたようですし。 (文献等の根拠はありません。)

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! まず、院政が主流になった経緯については、【保元の乱・原因編】回(kzread.info/dash/bejne/mmp1xrqym5rgmMo.html) で簡単にではありますが取り上げておりますので、よろしかったらご覧になっていただければと思います。 また、後醍醐天皇についてですが、彼の場合は天皇という立場で政を行おうしたからパンクしたというより、後醍醐が朝廷を壊滅状態に追い込んだから働き手がいなかったせいと言ったほうが正しいかと思います。 なんでそんなことになっちゃったかについても、「両統迭立」シリーズの後半で解説しているので、よろしかったら見てやってください。 (宣伝ばかりですみません(苦笑))

  • @user-zz9dr2ib5p
    @user-zz9dr2ib5pАй бұрын

    平氏も清盛がいてこそだから清盛が死んだ後のことを考えて源氏の御曹司を保護したのかもな。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます! 頼政は清盛に厚遇された人物ですが、やはり色んなとこの源氏を養子に迎えているとこ見ると、清盛が死んだ後、あるいは?!と思っていても不思議じゃないですよね。

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