西條八十:作詞、古賀政男:作曲。 昭和八年。
懐かしの🎵メロディーは哀愁を おびて 平和な時代を彷彿させて 心に 沁みわたります‼️
作詞作曲が素晴らしいです✨ 昔の方が詩の内容が胸にグッときますね…涙が自然にホロッとこぼれました❤ 心の郷愁ていうのかな?ほわ~てします
人生の哀愁を感じさせ人としての優しさを与えてくれます。
いやぁ、懐かしい❗、子供の頃 を思いだしています………。
おの歌を聴くと昔の事思いだします。少し寂しさ感じます。
亡き父がよく歌った曲です。父の声を思いだし、涙が溢れました。
私の父親もそうでした。歌は 少し調子外れでしたが 亡き今となっては それも思い出ですね。
私が生まれる三年前の歌ですが不思議と知っています。
めっちゃ良い曲じゃん
花畑公園に木下サーカスがきた時、ゾウがバケツの水を一口で飲んだときの驚き。 あれは小学校3年生だった 今でも昨日のように思い出す
とても素敵な名曲ですね。
サーカス暮らしの切なさが、胸にせまります。
本当に懐かしいですね、昭和の時代が良かったです♪♪
が?
泣いちゃいけな〜いクラリオネット ♪♪この歌詞好き
昭和31年(1956)小学2年生の秋ごろ、父は何を思ったか末っ子の私を連れて母と木下サ-カスを観せに連れて行ってくれました。田舎から片道4時間ほどかかったでしょうか。 翌年の二月、父が逝きました。あの時、自分の寿命を感じたのだろうか。
私も思い出があります。早世した父は私と弟を連れて行ってくれました。この曲を聴くと父を思いでがよみがえります
皆さんそれぞれおやじとの想い出が有りますネ~私もおやじは会社から帰ると決まった様に焼酎を飲み、少し酔いが回わると「涙の渡り鳥」とか「白頭山節」とか唄って日々の疲れを癒して居たかなぁと思いますネ~そして今で言う会社の休みの日に兄貴と三人で映画を観に連れて行って貰った事が想い出される次第ですネ~そうそう映画は当時よく上映されて居た「ターザン」の映画をよく連れて行って貰った記憶が今も遠い想い出なのかと懐かしく今も親子の絆だったんだナ~とネ!
60年ぐらい前サーカスを見に行った。 当時はテレビもなく、我が村には電気も来ていなかった。 楽しみといえばこういったサーカスや村祭りだった。 しかし、満ち足りた今よりも当時の方が夢と希望にあふれていた良い時代だった。
なんか想像するとワクワクする!
同じ 年代はそのが普通と思う
現在住んでいる町の駅前の画像が映っている。昔々の駅前が・・・何故、この歌と繋がるのか?しかし、懐かしい・・・・今は面影は全く残っていないけれども。
子供の頃木の下大サーカスを見た事があります ただ懐かしいです。
旅から旅へのサーカス暮し 惚れた娘は数々いれど 惚れちゃいけねえ道化者 別れ涙を化粧で隠し 明日はいずこの旅の空・・・
本当は、こういう歌でしたね。忘れてました。本物を繰り返し聞くことができて、ありがたいです。 「おれもさびしや、サーカスぐらし」そうでした。
少年期の時、木下サーカスを思い出します。物悲しい曲ですネ中学のときブラスバンドに在籍していた時この曲を覚えました。
@Sel de Guérande この歌はドイツからハーゲンベックサーカスが来日した時の歌ですね。
88歳の父が古賀政男メロディを聴いて懐かしいなーと言い、歌ったそうです。 父の元には今日、私の旦那が行ってくれていますm(_ _)m …私は初めて聴いた歌です。 優しい歌ですね。
😢🙇🏼
確かにあの時代は、良かった。戻れるものなら戻りたいけど。昔親父に今欲しいものは何か聞いたことがある。若さが欲しい。まあこうして代が代わって行くのだろう。
映画の陽暉楼で流れていたのがとってもよかったので探して着ました。藤山一郎さんと思っていましたが、松平晃さんの歌声なんですね。
子供のころ よくサーカス見に行きましたよ 中でも空中ショウよかったですねえ
いい歌だなアー!昭和8年か。60数年前小学校の頃、木下サーカスを見に行った。他のカバーもあるが歌詞が「つばくろ」になっていたりして聴くに堪えない。
+月夜の案山子 さん ♪茜い 夕日の 他国の 空で~ の(旅のつばくろ)みたいだな
昭和8年、これぞ日本人の顔 。
石原裕次郎さんが歌っていた。この方の歌だったのですね。五十才位で天国へー早すぎです。カラオケでこの歌を歌っています。ありがとうございます。
昔の映画で小林旭のさすらいかなんかのサーカスの映画相手役は松原智恵子ブランコのり役夜汽車のカーブのシーンの時流れた歌がサーカスの歌だった懐かしくコメント 小林旭の大ファンだったので 貧しかったが幸せな時代だった 懐かしい
カラオケで、歌うと、小林旭さんの、歌は、映画が、でてくるので、うたってください、わたしも、あきらふぁんです
60年位前に両親に連れられて浜松の鴨江町にサ-カスを見に行きましたもう60年位前の事です🎵
松平晃、サーカスの唄が一番好きだった。昔、食うため木下大サーカスで地球儀の中で回転するバイク乗りをやっていた。昔からサーカスの呼び込み音楽はジンタ!ジンタは天然の美の事。これが嫌で太神楽で呼んでいた鏡味鉄太郎と一緒にこのサーカスの唄を歌って呼び込みをやった 唄が評判を呼び大盛況?の日が続いて団長から大入を貰った😁 鏡味と言うのは後年尾藤イサオと名乗り歌手になった。40年後くらいに居住地の呑屋で偶然に会った、今はここに住んでいると言う。 松平晃も愛玉子で会い一緒に歌ってラムネと愛玉子を食した😀緑の地平線を歌ってみたら楠木繁夫とは大親友だったと言い大泣きしていた。 然し、君は歌が上手いなあと褒められた☺️65年も前の出来事。 昔の唄は良かった良かった!と懐古趣味で耄碌爺の頭と一緒に薄くなった記憶の一頁🤣
遠い昔、母が懐メロのレコードをかけていた事を思い出しています。藤山一郎さんの歌声を思い出しました。
サーカスの唄熊本ー新小学校6年生、自習時間に皆で合唱他にも、赤いマフラー等等―馬、、後のバツテン荒川一馬--(米崎―馬)のリードで、楽しいひと時、遠い遠い昔の、幻帰らぬ人友共、田口、高浜浅井、志賀、北村、正雄、栄一君、正木修君、松石敏君、-----病葉一葉、。
俺はこの歌が少し気に入ったぜ‼️👍
この時やってきたハーゲンベックサーカス現在もドイツに健在だそうです。
戦後も来日公演しており、その時見に行った記憶がある。
この歌を聞くとハーゲンベックサーカスを思いだす。
小林旭さん主演の映画『さすらい』ではこの曲と美しき天然の曲が流れていた記憶がある。
この映画はみてないけど美しき天然は都はるみのアルバムで40年年位前に覚えました🎵いい歌ですね🎵
60年ぐらい前、小学生の時、私の家の近くに木下サーカスが来て公演していた。今は家が密集してるがあの当時は空き地があって、公演していた。
私はこの歌を青木光一さんが蓄音器回して聴きまくっていた話を聞いたことあります
同じ位の年代の時に田舎の町にも木下サーカスが来ていて見に行った事が有ります、懐かしいですねぇ。
今、木下大サーカスが来ている。見に行きたい。
画像の構成が良いですね。
子供の頃を思い出しています😂
ハーゲンベックサーカスを思いだした。
小林旭さんが映画の中で歌ってリバイバルヒットしたんですよね!
みつくすありがとう
レコードの雑音が時代を感じさせますね。初めてこの歌を聴いたのは小林旭の映画の中ででした😅
大阪の天満☞・空心町に住んでました☞・天満小学校に在籍☞・三年生か四年生位☞・ 夕刻になると近くのカフェーから☞・このメロデイーが流れてました☞・懐かしいので。
大宮 賢三
小生の父親(大正2年生まれで天満小学校)も良く口ずさんでいました。
こんばんは。昨夜は寝入ってしまい再掲が遅れました。お聴きいただけて何よりです
松平晃がオリジナル版を唄った「サーカスの唄」は、藤山一郎風である。そこには、東京音楽学校(後の芸大)エリート目線での歌詞内容の「しがなさ」への冷たい解釈がある。小林旭ヴァージョンではそうではなく、歌詞内容を生きた歌になっている。「しがなさ」に留まることなく。
おかあさんといっしょ、元うたのおにいさん、さかたおさむさんが好きとtweetしていて来ました。 サーカス団員の恋の歌でしょうか? 余談ですが、昔、インディーズバンドのオズワルドが似たような内容の歌を歌っていて好きだったの思い出しました。『また明日と別れたが明日の朝は馬車の上…』的な歌詞でした。
私は小学校の時に北国から転校して来ました。その時サーカス団が来ました。その中に私とそっくりな子がいると言われ、あんたサーカスの子やなと言われました。今はいじめかも知れません。
歌も素敵ですが、伴奏が良いんですよね・・・今は何でもパソコンに頼り過ぎなのかなと。
小林旭がうたっているのをきいたことがありましたので!
この歌に直には関係ないのですが、2:31 付近の写真… いかにも古めの字体で「皇孫殿下御誕生」と書かれた、昔々の駿遠軽便鉄道新袋井駅頭の写真で、一瞬この歌が流行した戦前のものと思えてしまうのだけど、「皇孫殿下」の御誕生を祝えたのは明治天皇の皇孫である昭和天皇とその弟たちと、昭和天皇の皇孫である今上天皇兄弟だけで、状況からするとこの写真は現天皇のヒロくん(浩宮)誕生の時の写真のようですよね。つまり戦後も戦後な、たった60数年前。 何だか古いのだか新しいのだか、よく分からない写真ですね。 …いや、「たった」と言えてしまうのは俺がヒロくんと同世代だから。
いいね、昔の歌わ
昔の音源が残ってるって、すごいことだなー。 八十は「つばくら」って、書いたんですね。 なぜ「つばくろ」って書かなかったんでしょうね。
つばくらめ、つばくら(「つばくらめ」の略)、つばくろ(「つばくら」の変化)と小学館の国語辞典にあります。今は普通「つばめ」と言っていますが、季語では上記のいづれも使っています。
古賀のDm=>A7。。。。A7=>Dm
サーカスの歌は戦死した私の父が若い頃歌って皆さんを楽しませた歌ですでも私は父に似ないで声が出なく下手なのです
馬の寝息で眠られぬって😱受けるんですけど😅
昭和8年(1933年)コロムビアレコード専属の西条八十作詞、古賀政男作曲。 当初は藤山一郎の持ち歌だった。 ところが藤山がビクターに入社してしまったので急遽当時まだ有名ではなかった松平晃に歌わせて大ヒット、という曰くつきの昭和初期を代表する名曲。 例によって、古賀メロディ特有の長ぁ~いイントロが特徴。
詳しいですね👍️😃
大和では、倭か矮小って意味であり大和民族を侮辱した意味です。中国からしたらたしかに小さいですけど
おふくろが良く歌ってくれました(涙) 不老庵圭介 85歳
何も極楽の無い時代
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懐かしの🎵メロディーは哀愁を おびて 平和な時代を彷彿させて 心に 沁みわたります‼️
作詞作曲が素晴らしいです✨ 昔の方が詩の内容が胸にグッときますね…涙が自然にホロッとこぼれました❤ 心の郷愁ていうのかな?ほわ~てします
人生の哀愁を感じさせ人としての優しさを与えてくれます。
いやぁ、懐かしい❗、子供の頃 を思いだしています………。
おの歌を聴くと昔の事思いだします。少し寂しさ感じます。
亡き父がよく歌った曲です。父の声を思いだし、涙が溢れました。
@user-mc9dn7ee7y
9 ай бұрын
私の父親もそうでした。歌は 少し調子外れでしたが 亡き今となっては それも思い出ですね。
私が生まれる三年前の歌ですが不思議と知っています。
めっちゃ良い曲じゃん
花畑公園に木下サーカスがきた時、ゾウがバケツの水を一口で飲んだときの驚き。 あれは小学校3年生だった 今でも昨日のように思い出す
とても素敵な名曲ですね。
サーカス暮らしの切なさが、胸にせまります。
本当に懐かしいですね、昭和の時代が良かったです♪♪
@user-sk1wp6kd6z
Жыл бұрын
が?
泣いちゃいけな〜いクラリオネット ♪♪この歌詞好き
昭和31年(1956)小学2年生の秋ごろ、父は何を思ったか末っ子の私を連れて母と木下サ-カスを観せに連れて行ってくれました。田舎から片道4時間ほどかかったでしょうか。 翌年の二月、父が逝きました。あの時、自分の寿命を感じたのだろうか。
@katsumiyukimoto2247
4 жыл бұрын
私も思い出があります。早世した父は私と弟を連れて行ってくれました。この曲を聴くと父を思いでがよみがえります
@Ueno-eh9mu
4 жыл бұрын
皆さんそれぞれおやじとの想い出が有りますネ~私もおやじは会社から帰ると決まった様に焼酎を飲み、少し酔いが回わると「涙の渡り鳥」とか「白頭山節」とか唄って日々の疲れを癒して居たかなぁと思いますネ~そして今で言う会社の休みの日に兄貴と三人で映画を観に連れて行って貰った事が想い出される次第ですネ~そうそう映画は当時よく上映されて居た「ターザン」の映画をよく連れて行って貰った記憶が今も遠い想い出なのかと懐かしく今も親子の絆だったんだナ~とネ!
60年ぐらい前サーカスを見に行った。 当時はテレビもなく、我が村には電気も来ていなかった。 楽しみといえばこういったサーカスや村祭りだった。 しかし、満ち足りた今よりも当時の方が夢と希望にあふれていた良い時代だった。
@user-rv4xp5lr6k
3 жыл бұрын
なんか想像するとワクワクする!
@user-fl3so6tk6c
Жыл бұрын
同じ 年代はそのが普通と思う
現在住んでいる町の駅前の画像が映っている。昔々の駅前が・・・何故、この歌と繋がるのか?しかし、懐かしい・・・・今は面影は全く残っていないけれども。
子供の頃木の下大サーカスを見た事があります ただ懐かしいです。
旅から旅へのサーカス暮し 惚れた娘は数々いれど 惚れちゃいけねえ道化者 別れ涙を化粧で隠し 明日はいずこの旅の空・・・
本当は、こういう歌でしたね。忘れてました。本物を繰り返し聞くことができて、ありがたいです。 「おれもさびしや、サーカスぐらし」そうでした。
少年期の時、木下サーカスを思い出します。物悲しい曲ですネ中学のときブラスバンドに在籍していた時この曲を覚えました。
@Chu2007pae
3 жыл бұрын
@Sel de Guérande この歌はドイツからハーゲンベックサーカスが来日した時の歌ですね。
88歳の父が古賀政男メロディを聴いて懐かしいなーと言い、歌ったそうです。 父の元には今日、私の旦那が行ってくれていますm(_ _)m …私は初めて聴いた歌です。 優しい歌ですね。
@user-ux8hp9gw1g
2 ай бұрын
😢🙇🏼
確かにあの時代は、良かった。戻れるものなら戻りたいけど。昔親父に今欲しいものは何か聞いたことがある。若さが欲しい。まあこうして代が代わって行くのだろう。
映画の陽暉楼で流れていたのがとってもよかったので探して着ました。藤山一郎さんと思っていましたが、松平晃さんの歌声なんですね。
子供のころ よくサーカス見に行きましたよ 中でも空中ショウよかったですねえ
いい歌だなアー!昭和8年か。60数年前小学校の頃、木下サーカスを見に行った。他のカバーもあるが歌詞が「つばくろ」になっていたりして聴くに堪えない。
@tonomati
8 жыл бұрын
+月夜の案山子 さん ♪茜い 夕日の 他国の 空で~ の(旅のつばくろ)みたいだな
昭和8年、これぞ日本人の顔 。
石原裕次郎さんが歌っていた。この方の歌だったのですね。五十才位で天国へー早すぎです。カラオケでこの歌を歌っています。ありがとうございます。
昔の映画で小林旭のさすらいかなんかのサーカスの映画相手役は松原智恵子ブランコのり役夜汽車のカーブのシーンの時流れた歌がサーカスの歌だった懐かしくコメント 小林旭の大ファンだったので 貧しかったが幸せな時代だった 懐かしい
@user-gv2cv1xy7i
2 жыл бұрын
カラオケで、歌うと、小林旭さんの、歌は、映画が、でてくるので、うたってください、わたしも、あきらふぁんです
60年位前に両親に連れられて浜松の鴨江町にサ-カスを見に行きましたもう60年位前の事です🎵
松平晃、サーカスの唄が一番好きだった。昔、食うため木下大サーカスで地球儀の中で回転するバイク乗りをやっていた。昔からサーカスの呼び込み音楽はジンタ!ジンタは天然の美の事。これが嫌で太神楽で呼んでいた鏡味鉄太郎と一緒にこのサーカスの唄を歌って呼び込みをやった 唄が評判を呼び大盛況?の日が続いて団長から大入を貰った😁 鏡味と言うのは後年尾藤イサオと名乗り歌手になった。40年後くらいに居住地の呑屋で偶然に会った、今はここに住んでいると言う。 松平晃も愛玉子で会い一緒に歌ってラムネと愛玉子を食した😀緑の地平線を歌ってみたら楠木繁夫とは大親友だったと言い大泣きしていた。 然し、君は歌が上手いなあと褒められた☺️65年も前の出来事。 昔の唄は良かった良かった!と懐古趣味で耄碌爺の頭と一緒に薄くなった記憶の一頁🤣
遠い昔、母が懐メロのレコードをかけていた事を思い出しています。藤山一郎さんの歌声を思い出しました。
サーカスの唄熊本ー新小学校6年生、自習時間に皆で合唱他にも、赤いマフラー等等―馬、、後のバツテン荒川一馬--(米崎―馬)のリードで、楽しいひと時、遠い遠い昔の、幻帰らぬ人友共、田口、高浜浅井、志賀、北村、正雄、栄一君、正木修君、松石敏君、-----病葉一葉、。
俺はこの歌が少し気に入ったぜ‼️👍
この時やってきたハーゲンベックサーカス現在もドイツに健在だそうです。
@Chu2007pae
3 жыл бұрын
戦後も来日公演しており、その時見に行った記憶がある。
この歌を聞くとハーゲンベックサーカスを思いだす。
小林旭さん主演の映画『さすらい』ではこの曲と美しき天然の曲が流れていた記憶がある。
@shoji3684
5 жыл бұрын
この映画はみてないけど美しき天然は都はるみのアルバムで40年年位前に覚えました🎵いい歌ですね🎵
60年ぐらい前、小学生の時、私の家の近くに木下サーカスが来て公演していた。今は家が密集してるがあの当時は空き地があって、公演していた。
@user-fk8qs8su7n
7 жыл бұрын
私はこの歌を青木光一さんが蓄音器回して聴きまくっていた話を聞いたことあります
@hedekik7129
7 жыл бұрын
同じ位の年代の時に田舎の町にも木下サーカスが来ていて見に行った事が有ります、懐かしいですねぇ。
今、木下大サーカスが来ている。見に行きたい。
画像の構成が良いですね。
子供の頃を思い出しています😂
ハーゲンベックサーカスを思いだした。
小林旭さんが映画の中で歌ってリバイバルヒットしたんですよね!
みつくすありがとう
レコードの雑音が時代を感じさせますね。初めてこの歌を聴いたのは小林旭の映画の中ででした😅
大阪の天満☞・空心町に住んでました☞・天満小学校に在籍☞・三年生か四年生位☞・ 夕刻になると近くのカフェーから☞・このメロデイーが流れてました☞・懐かしいので。
@tsuya8
7 жыл бұрын
大宮 賢三
@toshihiro2263
6 жыл бұрын
小生の父親(大正2年生まれで天満小学校)も良く口ずさんでいました。
こんばんは。昨夜は寝入ってしまい再掲が遅れました。お聴きいただけて何よりです
松平晃がオリジナル版を唄った「サーカスの唄」は、藤山一郎風である。そこには、東京音楽学校(後の芸大)エリート目線での歌詞内容の「しがなさ」への冷たい解釈がある。小林旭ヴァージョンではそうではなく、歌詞内容を生きた歌になっている。「しがなさ」に留まることなく。
おかあさんといっしょ、元うたのおにいさん、さかたおさむさんが好きとtweetしていて来ました。 サーカス団員の恋の歌でしょうか? 余談ですが、昔、インディーズバンドのオズワルドが似たような内容の歌を歌っていて好きだったの思い出しました。『また明日と別れたが明日の朝は馬車の上…』的な歌詞でした。
私は小学校の時に北国から転校して来ました。その時サーカス団が来ました。その中に私とそっくりな子がいると言われ、あんたサーカスの子やなと言われました。今はいじめかも知れません。
歌も素敵ですが、伴奏が良いんですよね・・・今は何でもパソコンに頼り過ぎなのかなと。
小林旭がうたっているのをきいたことがありましたので!
この歌に直には関係ないのですが、2:31 付近の写真… いかにも古めの字体で「皇孫殿下御誕生」と書かれた、昔々の駿遠軽便鉄道新袋井駅頭の写真で、一瞬この歌が流行した戦前のものと思えてしまうのだけど、「皇孫殿下」の御誕生を祝えたのは明治天皇の皇孫である昭和天皇とその弟たちと、昭和天皇の皇孫である今上天皇兄弟だけで、状況からするとこの写真は現天皇のヒロくん(浩宮)誕生の時の写真のようですよね。つまり戦後も戦後な、たった60数年前。 何だか古いのだか新しいのだか、よく分からない写真ですね。 …いや、「たった」と言えてしまうのは俺がヒロくんと同世代だから。
いいね、昔の歌わ
昔の音源が残ってるって、すごいことだなー。 八十は「つばくら」って、書いたんですね。 なぜ「つばくろ」って書かなかったんでしょうね。
@user-ck5lo6qq8w
3 жыл бұрын
つばくらめ、つばくら(「つばくらめ」の略)、つばくろ(「つばくら」の変化)と小学館の国語辞典にあります。今は普通「つばめ」と言っていますが、季語では上記のいづれも使っています。
古賀のDm=>A7。。。。A7=>Dm
サーカスの歌は戦死した私の父が若い頃歌って皆さんを楽しませた歌ですでも私は父に似ないで声が出なく下手なのです
馬の寝息で眠られぬって😱受けるんですけど😅
昭和8年(1933年)コロムビアレコード専属の西条八十作詞、古賀政男作曲。 当初は藤山一郎の持ち歌だった。 ところが藤山がビクターに入社してしまったので急遽当時まだ有名ではなかった松平晃に歌わせて大ヒット、という曰くつきの昭和初期を代表する名曲。 例によって、古賀メロディ特有の長ぁ~いイントロが特徴。
@user-of2ex6ty8n
3 жыл бұрын
詳しいですね👍️😃
大和では、倭か矮小って意味であり大和民族を侮辱した意味です。中国からしたらたしかに小さいですけど
おふくろが良く歌ってくれました(涙) 不老庵圭介 85歳
何も極楽の無い時代