東海林太郎_ 国境の町 (1934)

Музыка

作詞:大木惇夫 作曲:阿部武雄
78rpm / POLYDOR-2903 A
on HMV-163 gramophone

Пікірлер: 28

  • @user-oe1lk7hv8g
    @user-oe1lk7hv8gАй бұрын

    もう60年前になるでしょうか 直立不動で歌う東海林太郎さんは 両親がよく聞いていました。今になると 懐かしいです。高音を素敵に出していたのですね❤

  • @user-kw5sj7uw7t
    @user-kw5sj7uw7tАй бұрын

    私は60代後半ですが この歌は大変に好きです。 元々歌が大好きです。 カラオケでたまに 歌う時があります。

  • @user-eh7vk6mt1w
    @user-eh7vk6mt1w10 ай бұрын

    大陸もの。その当時の空気が伝わってきます。東海林 太郎さんの唄は良いですね。

  • @user-ej3xq6un2p
    @user-ej3xq6un2p Жыл бұрын

    懐かしい

  • @user-lb3kw2cp9n
    @user-lb3kw2cp9n5 ай бұрын

    満州で何人がこの歌を聞き、敗戦で何人が日本に帰ったか

  • @user-ej3xq6un2p
    @user-ej3xq6un2p8 ай бұрын

    感動あるのみ83歳

  • @user-tx6pr6ll9l
    @user-tx6pr6ll9l3 жыл бұрын

    日本歌手協会初代会長。ロイド眼鏡に燕尾服で直立不動の姿。国会議員みたいで素晴らしい人物。

  • @user-uz1ki2km3y
    @user-uz1ki2km3y2 жыл бұрын

    🐻辛(つら)さが身に染み、その辛さが、辛抱する気持ちに籠る、内心の実情の率直さが忌憚無く、この【国境の町】の、淡々とした旋律に乗って、上手く吐露されていると思います。 想像を絶する、壮絶な孤独の奮闘ぶりが、そこはかと無く感じられますね。 時代を超越した、望郷等の孤独と向き合う、手掛かりを感じさせる、単に時代に色褪せない、歌の確かさが伝わり掛けます。 誠実で真摯な気持ちが、孤独を飼い慣らし、この歌と向き合う時、孤独な気持ちが切々と分かる歌故(ゆえ)に、逆に、心強い味方に成って呉れる事は、間違いないでしょう。 さてそれにしても、 歌の出だしから登場する、哀切を帯びた「橇(そり)」に乗って、切々と、そして淡々と進行する、 この【国境の町】の終わりに見られる、「宵もある」には、良く似た発音の、「余韻も残る」と交錯する、締め括(くく)りらしい、憂(うれ)い掛かった灯(ともしび)とも取れる、不思議な奥深さが後に残り掛けますね。 ❗何と、意味有りげな、「意味」と語呂合わせの、13(意味)人目でのコメントでした。 🌸ハートの桜便り 。 個人的に、神聖なる誓願播粒(願い事の種を蒔く)時刻に。 🌸2022(卍)年3月21日(月曜日)pm11:46(仏心)

  • @user-hb8ry3nj3s

    @user-hb8ry3nj3s

    6 ай бұрын

    歌誰か故郷を想わざる 3:16

  • @user-ts7kk1ls3v
    @user-ts7kk1ls3v24 күн бұрын

    これ、ドリフの大爆笑のコントの中でカトちゃんが歌ってた😮。あと、モノマネで朝田さんが歌ってたのを聞いて覚えちゃった😊。

  • @user-oe1lk7hv8g
    @user-oe1lk7hv8g Жыл бұрын

    直立不動で歌う 東海林太郎さんは 歌の上手な方々の中で 校長先生のような 感じで聞いていたのを思い出します。懐かしいです。

  • @user-wh4dj5je8f
    @user-wh4dj5je8f11 ай бұрын

    【国境の町】ですから……。

  • @user-fb8sz8le6m
    @user-fb8sz8le6m2 жыл бұрын

    母親が大好きだった東海林太郎先生、国鉄出身の父親は灰田勝彦先生が大好き。大戦中は、満鉄派遣隊からジャワ、ボルネオと転戦したそうです。鉄道人生を全うした父、それを支えた母、私は、若山彰の喜びも悲しみも幾年月が愛唱歌。

  • @user-oe1lk7hv8g
    @user-oe1lk7hv8g Жыл бұрын

    物心つく頃に 親が よく聞いていた曲で、戦後の人の心持ちを歌っているのが 懐かしいです。

  • @user-fi9wu3uy1e
    @user-fi9wu3uy1e3 жыл бұрын

    東海林先生は、歌の事を作品!と言われました!まさに作品!です!

  • @12g-b7a2

    @12g-b7a2

    3 жыл бұрын

    それは多分ご自身の歌唱の歌ではなく、 作詞・作曲・編曲・演奏家たちさまへのお言葉でしょう🎶

  • @user-ss7to9mp2p
    @user-ss7to9mp2p3 жыл бұрын

    貴重な音盤を公開して下さり有り難うございます。有り難く拝聴させて頂いております。

  • @user-tx6pr6ll9l
    @user-tx6pr6ll9l3 жыл бұрын

    直立不動のいかにも堅物のイメージ、いい声してますね。

  • @user-lb3kw2cp9n
    @user-lb3kw2cp9n6 ай бұрын

    しかし、敗戦により満州にいた日本人はソ連軍の侵攻、敗戦と日本政府にみはなされ悲惨な目にあった

  • @user-pu6xd5jt5m
    @user-pu6xd5jt5m Жыл бұрын

    懐かしい嬉しい

  • @user-xt5tg8ki9g
    @user-xt5tg8ki9g5 ай бұрын

    騙されていたのではなく、政府の方針が間違っていたのではないでしょうか?

  • @yoshi7927
    @yoshi79273 жыл бұрын

    国境の町自体は昭和9年の曲ですが、このレーベルの盤はいつ頃出たんだろう??

  • @0klz499

    @0klz499

    3 жыл бұрын

    こんばんは、この盤は昭和13年に「東海林太郎傑作全集6枚組の3枚目(5・6)」ですね。この後に「大東亜レーベル」で同じ赤レーベルで発売されていますが発売年は不明です。 わたしはこの大東亜盤3枚目(5・6)を持っていますが残念ながら傷み激しくUP出来ない状態です。美麗盤はなかなかありませんね。

  • @yoshi7927

    @yoshi7927

    3 жыл бұрын

    @@0klz499 情報有り難うございます! 東海林太郎傑作全集ってのがあったのは初めて知りました! 今で言うアルバムみたいなものですか。 確か大東亜盤は質が悪いようで、かつてどこかの骨董市??にその大東亜レコードが出たそうです。それをあるおじいさんが「これは珍しい」と手に持った瞬間、レコードが煎餅をかじったように、自重でガサッと割れたそうです。。。

  • @0klz499

    @0klz499

    3 жыл бұрын

    @@yoshi7927 全集そのものは見たことはありませんが多分6枚組アルバムだったと思いますがわかりません。昭和13年度は盤質が悪くなる寸前の時期ですが、「大東亜」は昭和15年以降は盤質が悪くなりますので割れることもあったでしょうね。私もだ大東亜に限らず手元で何枚も割れた盤があります。

  • @yoshi7927

    @yoshi7927

    3 жыл бұрын

    @@0klz499 私はSPレコードの全集自体、あるのを知らなかったので、興味をそそられますね! 今では私もSPレコードを100枚くらい持っていますが、やはり戦時中のは盤質が。。。特にテイチクレコードとかは、数回聴いただけで質が悪くなるそうで・・・。

  • @12g-b7a2

    @12g-b7a2

    3 жыл бұрын

    @@yoshi7927  ほか    さま 伝説になりそうなお話し有難うございます。 昭和29年ころかな私の母が女中働きしてて、はるばる会いに行くと女中部屋に案内され、 窓の下を見たら使えなくなったレコードが何枚も捨てられていたのを忘れられません。 母が私を残し女中で働いてるのに、自宅に蓄音機は当然所有してません。 なぜ3~4歳の子供にレコードが理解出来たか記憶に残ったのか、不思議でなりません。 テイチクは、後の8トラカーステレオ・テープも音質悪く高音部が弱く、聴くに堪えませんでした🎶

  • @user-lb3kw2cp9n
    @user-lb3kw2cp9n6 ай бұрын

    満州植民地化を日本が営々と進めている時の歌。国民は騙されて満州に渡り、夢をみた。

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