No video

【北辰一刀流の奥義】龍馬も学んだ日本最大流派の剣術が今に伝わっていた|小名木善行 x 北辰一刀流宗家 椎名市衛

【目次】
2:39 北辰一刀流との出会い
9:03 知られざる第7代宗家への経緯
12:40 開花した「それ」の正体
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
椎名市衛先生の道場はこちら
↓↓↓
北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)
hokushin-ittor...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「むすび大学」は日本人が今こそ学ぶべき
真の教養を身につけるための教育系チャンネルです。
歴史、哲学、宗教、文学、政治、ビジネスからテクノロジーまで
ジャンルは問わず、日本が誇る“結び”の精神によって
古今東西の学問を和合させて、新しい文化の創造を目指します。
超一流の教養人から、あらゆる学問のつながりを学ぶ
知的ハイ!な体験を、あなたに。
興味のあるテーマから、ぜひご視聴してください!
【公式HP】musubi-ac.com/b...
【問い合わせ】こちらまでお願いします info@musubi-ac.com ※@を半角に
【講義リクエスト】は任意の動画のコメント欄にて!

Пікірлер: 77

  • @nanaesugimoto8353
    @nanaesugimoto8353 Жыл бұрын

    とても良かったです!この動画に出会えてよかった。 どの道であってもやっぱり、玄人の方ほどリラックスを重視されているなと思いました。 素敵な動画をありがとうございました。椎名先生カッコいいです!!!

  • @user-nz1gx8yj9g
    @user-nz1gx8yj9g2 жыл бұрын

    いつも有難う御座います、私も赤胴鈴之助に夢中でした。ズーと武道に憧れを持って居りました。今から40年程前に、今の海洋大学(商船大学)が確か越中島に在り、調度清澄通り、越中島信号を枝川町に曲がり500m程入った商船大学の隣の路地を入ったところに北辰一刀流の道場が有りました。私は道路に在った看板を見つけ、良く通る道で有ったのである時、路地に入って探すと60mほど入った左側に有りました。思った以上にコジンマリとした道場で、平日の昼間で有ったので覗き込ん見たのですが無人でした。  その後、何年か後に、マンションに代わって居りました。私は夜間大学に行き、中退致しましたが、部活で合気道に巡り会い、所属道場の師範が杖道、居合、剣道、柔術等武道の研究をされて居る人で、夢中になって稽古をしたものでした。ほぼ型武道でしたがいろいろ武道に興味が有りました。北辰一刀流は学んでみたかったです。

  • @user-bk2mc4pn5b
    @user-bk2mc4pn5b2 жыл бұрын

    坂本龍馬が通った千葉貞吉の北辰一刀流にずーと憧れていました。現代まで伝わっていっとは素晴らしい。今度竜ヶ崎にいってみたい。

  • @user-br5hs4hz9i
    @user-br5hs4hz9i2 жыл бұрын

    「道」を授いていて、技だけでない世界を感じました。 椎名さんは見た目では強面ですが、話の面白さに引込まれました。

  • @makotokinase
    @makotokinase Жыл бұрын

    30年前の鳶仕事を思い出しました。大ハンマーで杭を打つときは、力を使わずに重さを利用し、振りかぶった後は脱力して打つのだと親方に教わります。教わった通りやると、気持ちよく杭が打ち込まれていきます。なにか近いものを感じました。✨😌

  • @33you3
    @33you3 Жыл бұрын

    素晴らしい。 日本文化を真摯に伝承する姿勢に感動するとともに尊敬します。

  • @norifumi108
    @norifumi108 Жыл бұрын

    椎名先生 お元気そうで、何より嬉しくおもいます。15年以上前短い時間でしたが、稽古いただいたことを鮮明におぼえています。ありがたい動画に感謝申しあげます。

  • @hatsune650f9
    @hatsune650f9 Жыл бұрын

    誠に感動させていただきました。

  • @EcoGlobe21
    @EcoGlobe21 Жыл бұрын

    笑顔で偉ぶらない。力まない。本物ってそうなんだろうなぁと思いながら観ていました。素敵な先生ですね。

  • @user-wx3rr9fg1v
    @user-wx3rr9fg1v2 жыл бұрын

    答えは身体が知っていますね。練習すれば身体が教えてくれる。不思議です。

  • @user-fg9rn5zs9m
    @user-fg9rn5zs9m Жыл бұрын

    こんなに格好良い男が日本にいる事に驚きました。椎名先生、1度で良いので、お会いしたいです。このチャンネルに出会えた事が幸せです。

  • @user-Mathahito
    @user-Mathahito2 жыл бұрын

    当てっこは本質から外れていますよね。 たなごころで包み込む様に握って心を持って心を打つ心持ちで行くべきですね😄

  • @mitsuru2176
    @mitsuru21762 жыл бұрын

    赤胴鈴之助の真空切り!懐かしいなあ!

  • @ssannhiro3686
    @ssannhiro3686 Жыл бұрын

    私はyoutubeの武道の動画を見てきたけど、やっぱり最初に教えられるのは「脱力」らしいんだよね。 筋力で何かするのと、重さを伝えて何かするのとでは、威力が全然違うとか。

  • @user-lp7hg3ey1q
    @user-lp7hg3ey1q Жыл бұрын

    どの道も 道(どう)と付くのには極め付きの心・技・体が一つに なった時に表れるものが 「道」だと知ることが出来ました。

  • @ymmtymd
    @ymmtymd2 жыл бұрын

    すごい

  • @jf178082035
    @jf178082035 Жыл бұрын

    北辰一刀流は何人も宗家がいるから誰が本物なのかハッキリさせて欲しい。

  • @toshichika720
    @toshichika720 Жыл бұрын

    山岡鉄周好き👍かっこいい

  • @jogilian1775
    @jogilian17758 ай бұрын

    伝承者がこんなに気さくで暖かみある方だとは感動します。

  • @user-rv3cc5lo5g
    @user-rv3cc5lo5g Жыл бұрын

    千葉周作玄武館の四天王といわれた森要蔵は上総飯野藩の剣術指南役として、戊辰戦争の白河口に息子虎尾(16歳)を連れて参戦、奮戦するも戦死(西郷村大龍寺に戦死簿)しました。司馬遼太郎をはじめ有名作家の作品で知られていますが、近年の文献から詳細な行動が判明しました。北辰一刀流の達人、貫録のある温厚な武士として白河市・西郷村で評価されています。死を覚悟した森要蔵は25日間滞在した橘家に芥子鞘の小刀を贈りました。参考『会津人群像№44』「剣豪森要蔵の真実ー白河戦争に殉死」、ウィキペディア「森要蔵」

  • @user-is2px9ld4j
    @user-is2px9ld4j2 жыл бұрын

    深い!  🌈🌈

  • @user-ti6ys9gv1i
    @user-ti6ys9gv1i Жыл бұрын

    奥様の椎名まさえさん(お香の先生)のご著書を最近愛読したり、ブログも見ているので、お顔を存じ上げておりましたー!

  • @user-bi1my1zr5i
    @user-bi1my1zr5i Жыл бұрын

    赤胴鈴之助は、オープニングの三番が特に良いです。 因みに72年のアニメでは歌詞変更をしています。

  • @nabekura4029
    @nabekura40292 жыл бұрын

    あの龍馬も学んだ北辰一刀流が現代に伝わっていたとは! 子供のころ見たおーい龍馬だったかな?で少年の決闘前に龍馬が北辰一刀流のエッセンスを語るみたいな場面もあったなーとか思い出しております。 そのアニメでは決闘後武市半平太が自害せい!と叱責してましたね。

  • @user-ni2gv6cn7y

    @user-ni2gv6cn7y

    Жыл бұрын

    小説や漫画に出来ると言う事は失伝していないと言う事です。

  • @user-jr8ht4bd5o
    @user-jr8ht4bd5o Жыл бұрын

    大森曹玄老師の法定をかつて拝見したことがありました。今から40数年前でした。震えました。

  • @user-ri9qp2wr4w

    @user-ri9qp2wr4w

    Жыл бұрын

    直心影流ですね。

  • @tandendo
    @tandendo2 жыл бұрын

    やはり思った通り肝心な所は失伝してるんでしょうね。納得いたしました。

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    どうですかね?北辰一刀流を名乗る流派は、この方だけではありませんよ。

  • @tandendo

    @tandendo

    Жыл бұрын

    @@user-bc4bo7il2h 確かに全員見たことや対峙したことがないので分かりませんね。 しかし、私が言いたかったことは肝心な所が抜けていても納得が行くということです。ですからどの先生の話も鵜呑みにすべきでないことは確かだと言うことです。

  • @user-ir5xo2qc2o
    @user-ir5xo2qc2o2 жыл бұрын

    現宗家の方が出演されるとは・・・ 其れ剣は俊息、心氣力の一致・・・剣先を鶺鴒の尾の如く震わせり・・・・・・ 稽古の動画は北斗の人に書いてあった通り・・・ 流祖の千葉周作は相撲が好きで、親方にスカウトされて断った所、力士との果し合いになった下りには力士は得物を持つと弱くなるというのがあった、剣術の技を整理して相撲と同様に手という言い方に改めたのたのは千葉周作であるとあったので・・・その辺りもご解説頂きたい・・・ 北辰一刀流 系譜(小澤豊吉まで) 千葉周作 - 千葉栄次郎 - 小澤寅吉 - 小澤一郎 - 小澤豊吉 小澤寅吉以降の伝承者は以下の通りである 内藤高治 門奈正 小澤一郎 小澤豊吉 森山繁雄 小澤武 小澤喜代子 谷島三郎 椎名市衛 千葉家正伝北辰一刀流 宗家の伝系は千葉道三郎で途絶えたが、北辰一刀流の名跡のみは千葉家預かりとして代々受け継がれていた。そして平成25年、千葉家一族で北辰一刀流の技を正統に受け継いでいる椎名市衛成胤に宗家を継がせた。 伊東 一刀斎 (いとう いっとうさい、生没年不詳)は戦国時代から江戸初期にかけての剣客。名字は伊藤とも。江戸時代に隆盛した一刀流剣術の祖であるが、自身が「一刀流」を称したことはなかったという。諱は景久、前名、前原弥五郎。弟子に小野善鬼、古藤田俊直、神子上吉明ら。一刀斎の経歴は異説が多く、どれが正しいか拠り所がない。生没年は、1550年(天文19年)生年説、1560年(永禄3年)生年し1628年(寛永5年)没説、また1632年(寛永9年)に90余歳で没説、1560年(永禄3年)8月5日 (旧暦)に生まれ1653年(承応2年)6月20日 (旧暦)に94歳で没説がある。出身地は、一般には伊豆国伊東の人であり、出身地から伊東姓を名乗ったといわれている。(ただし、伊東には伊東一刀斎についての伝承、伝説等は一切伝わっていない)しかし、「瓶割刀」の逸話によれば、一刀斎は伊豆大島の出身で、14歳のときに格子一枚にすがって三島に泳ぎ着き、三島神社で富田一放と試合して勝ち、神主から宝刀を与えられた。この刀で盗賊7人を斬り殺し、最後の1人が大瓶に隠れたところを瓶ごと二つに斬ったという。 小野 忠明 (おの ただあき、永禄12年(1569年)(永禄8年(1565年)とも)- 寛永5年11月7日(1628年12月2日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、剣豪、旗本。徳川将軍家指南役。前名は『寛政呈譜』では神子上 典膳(みこがみ てんぜん、『寛永系図』では御子神)で、後に母方の小野姓を名乗った。子に忠常。吉明ともいう。一刀斎の元には既に 善鬼(姓不詳。小野姓とするのは俗説)という兄弟子がいたが、やがて一刀斎の命で後継者の座をかけた決闘を行い、総州の相馬郡小金原でこれを倒した[1]。決闘の後、一刀斎は自身の差料瓶割刀を授けて姿を消し、以後の消息は不明という。その後は一度故郷に戻ったのちに江戸に移り、駿河台あるいは本郷に居住したという(『武芸小伝』)。文禄2年(1593年)江戸近郊の膝折村で人を殺して民家に立てこもった剣術者を倒したことで徳川家康に認められ、200石[2]の禄高を給されて旗本となる[3]。徳川家では徳川秀忠付となって剣術を指南した。このとき姓を神子上から改め、母方の旧姓である小野とした。またのちに秀忠が二代将軍に就任したことで、一刀流は柳生新陰流と並ぶ将軍家指南役として大いに栄えた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは秀忠に従って上田城攻防戦で活躍し、上田七本槍と称されたが、この時軍令違反で処罰され、身は真田信之預かりとなり、上野国吾妻で蟄居を命じられている。その後、結城秀康の周旋で罪を許され、下総国埴生郡の本領に加え、上総国内に加増を受け、都合600石となった。その後一刀流の秘事を秀忠に伝授した褒美として、備前勝光の脇差、御料の羽織、黄金等を恩寵され、さらに秀忠から一字を賜り忠明と改名した(『寛政重修諸家譜』)。 系譜 伊藤一刀斎景久(一刀流流祖) 小野次郎右衛門忠明 小野次郎右衛門忠常 小野次郎右衛門忠於 小野次郎右衛門忠一 中西忠太子定 中西忠蔵子武 中西忠太子啓 一刀流中西派 (いっとうりゅうなかにしは)は、日本の剣術の流派。小野派一刀流の分派の一つ。 歴史 小野家第4代・小野忠一の直弟子であった中西子定が一刀流中西道場を開いたことから始まるが、子定自身は「一刀流中西派」という流名を称しておらず、正式名称は「一刀流」のままであり、小野家から学んだ一刀流という意味で対外的に「小野派一刀流」と名乗っていた。また中西家に学んだ者は「小野派一刀流」と称していた。昭和期の高野佐三郎も小野派一刀流を名乗っている。「一刀流中西派」という名称は、いつ頃からか不明であるが、現在では高野弘正門下で使用されている。一般の小野派一刀流と中西子定の系統とを区別するための俗称であると思われる。なお、小野派一刀流との関係から中西派一刀流と誤って書かれる事も多いが、流派関係者は一刀流中西派と書く。また小野派一刀流中西派と書かれる事もある。 特徴 稽古は木刀による形稽古(組太刀)と竹刀稽古とに大別される。中西子定の子である中西子武が宝暦年間(1751年 - 1763年)に防具を改良し、竹刀稽古を導入したことが大きな特徴である。竹刀稽古の導入により一刀流中西派は急速に広まり、現代剣道の母体となった。 浅利 義信 (あさり よしのぶ、1778年(安永7年) - 1853年3月29日(嘉永6年2月20日))は、日本の剣客[1]。中西派一刀流。通称、又七郎。下総国松戸の生まれで、江戸の一刀流中西道場第3代の中西子啓に学ぶ。同門に寺田宗有、白井亨、高柳又四郎がいた。突きを得意とし、若狭国小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めた。義信の姪で養女のかつと結婚した千葉周作が道場を継いだが、組太刀の改変をめぐって義信と周作は衝突を起こしてついに物別れとなり、周作夫妻は義信から独立して北辰一刀流を興すこととなる。主を失った浅利道場を守るため、義信は新たに中西家から義明を養子に迎えた[2]。 義信の弟子に遠藤五平太がいる。 千葉 周作 (ちば しゅうさく)は、江戸時代後期の武士、剣術家。北辰一刀流の流祖。幼名於兎松、周作は通称で、諱は成政。漫画「赤胴鈴ノ助」(武内つなよし)のモデルになった。 生涯 出自 先祖を辿れば桓武平氏良文流、板東八平氏の一つの名門千葉氏で、北辰流千葉常胤にたどりつく。出生地には岩手県陸前高田市、宮城県栗原市花山(生まれも育ちも主張)の2説があったが、近年の研究により「宮城県気仙沼市本郷で生まれ、栗原郡荒谷村(現・宮城県大崎市古川荒谷)にて幼少を過ごした」とする説が最も有力視されている。 特徴 千葉周作墓(東京都豊島区本妙寺) 構えは、剣先をセキレイの尾のごとく振るといわれている。松崎浪四郎が「技の千葉(北辰一刀流)、力の斎藤(神道無念流)、位の桃井(鏡心明智流)」と幕末江戸三大道場を評しているのが有名である。「それ剣は瞬速、心、気、力の一致」という周作の言葉がある。 他流派は、単なる打ち合いの稽古法であったが、北辰一刀流は掛かり稽古を中心にした稽古法を作り、そして、多かった免許の段階を、3段階と簡素化した。神秘性に偏らない、合理的な指導法は効果的で、他流派においては10年かかる修行が、5年で完成してしまうと言われた。この剣術指導法は、内藤高治らの功績もあって、現代剣道に大きな影響を与えており、剣道家らの評価が高い。 平成15年(2003年)、千葉周作は全日本剣道連盟 剣道殿堂に顕彰された。

  • @user-wx3rr9fg1v

    @user-wx3rr9fg1v

    2 жыл бұрын

    昔、加藤剛さんが演じた千葉周作が印象的でした。武人は人を斬って初めて落ち着いて刀を構えられる。

  • @user-ir5xo2qc2o

    @user-ir5xo2qc2o

    2 жыл бұрын

    @@user-wx3rr9fg1v 古流の方々とは今も昔も色々とあるそうですが、動画を視聴していると、メディアや一般性の点で、今は道場破りや流派同士の争いというのはないようなので、安心ですね。

  • @user-wx3rr9fg1v

    @user-wx3rr9fg1v

    2 жыл бұрын

    @@user-ir5xo2qc2o 真摯に稽古に励み自分の武道を目指したく思います。

  • @user-ir5xo2qc2o

    @user-ir5xo2qc2o

    2 жыл бұрын

    @@user-wx3rr9fg1v 和道流空手の柳川昌弘氏という人物がいるので、ご参考というより、励みになると思います。お調べになってみるとよろしいかもしれません。

  • @user-wx3rr9fg1v

    @user-wx3rr9fg1v

    2 жыл бұрын

    @@user-ir5xo2qc2o 存じております。私は島田道男氏の体幹を好んでおります。氏の中心線の崩れない体幹ですね。

  • @KK-ru9kg
    @KK-ru9kg Жыл бұрын

    【それだ】弓と禅にもでてくる。

  • @user-rm6qq8ur1t
    @user-rm6qq8ur1t Жыл бұрын

    柄の端を握ると柄が折れるので、なるべく前の方を握るというのが一般的ですが、なるほど力を入れないないなら端を持っても大丈夫ですね。納得です。

  • @abarenbosyougun
    @abarenbosyougun Жыл бұрын

    んん。市衛先生は昔から剣道日本などに寄稿されていて、その思想は好きなのですが…血統(血縁)だけの吉胤さんから七代目もらったんですね…道統ではなく… 北辰一刀流研究会椎名派と名乗った方がいいでしょうね…道統的(技的)には。(文献を読み漁って自得し、皇道義館などの関係者と「知り合った」だけですからね…) 剣道での一本は「殺し合い」想定じゃない。話を誤魔化すな。指先一つでも切り落とされれば大ダメージだ。(そんなことは剣道をやっていた市衛さんなら話が分かるはず。) ルール(的を絞らせる窮屈なもの)づけのものにすることによって、技量においての「未熟さ」を悟らせるものであって、(ゲームの)結果そのものを良しとしていないのが剣道。そして禁じ手がないのは「武術(martial artsとかhomicide)」のことであり「武道(outlook on lifeとかview of life and death)」ではない。 いよいよもって小川忠太郎先生の名前を汚されても困ります。「あなたの世界」だけでやっていてください。 小名木さん。少し目を養って関わる人を選んでください。どんなに正しいことを言っても関係のないことで、持論の信用度をなくしますから…

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    古武術の業界には、よくわからない人達がいらっしゃいますからねぇ。

  • @user-bg4qp6hi4b
    @user-bg4qp6hi4b Жыл бұрын

    20年くらい前に「世界各国のワールドカップ代表級の名選手にはキャプテン翼の作品を見てサッカーに目覚めた人たちが多い」と聞いて日本の漫画やアニメって影響力凄いなと思ったものだが ・・・    こんな偉い先生までもが自分は「赤胴鈴之助」に煽られたなんて公言するのを聞くと、改めて凄みを感じる。

  • @natu3791venefit
    @natu3791venefit Жыл бұрын

    脱力の極意

  • @user-ni2gv6cn7y
    @user-ni2gv6cn7y2 жыл бұрын

    防具を使った稽古を日本で初めて取り入れた流派。現代剣道の元。

  • @tamuraatushi

    @tamuraatushi

    Жыл бұрын

    知ったかぶりが黙ってろ

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    現代剣道の元になった流派の一つですね。

  • @honyararahonyarara

    @honyararahonyarara

    Жыл бұрын

    日本で初めてではないですよ。 各流派、工夫されてましたから。

  • @user-so7ky2bi2i
    @user-so7ky2bi2i Жыл бұрын

    この方の言葉に感動される方々が沢山いらっしゃって、それが人生にプラスに作用するなら素晴らしい事だと思います…ですが、この方が仰るように北辰一刀流の宗家を名乗られる方は沢山いてこの方もそのうちの一人です。是非皆さんの目でこの方以外の北辰一刀流の動画を観てください。 武道をやった方でなくとも演武から感じるものがあると思います。佇まいや品格から 立派な事は本を沢山読んでいる方な らスラスラと出てくるものかと思います。

  • @desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
    @desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e2 жыл бұрын

    水を流れるが如くって言うよな、それだけムダの無い動きで斬るって事なんだろうな、無心で斬るって良く言うけど

  • @user-ti4ku2dp2l
    @user-ti4ku2dp2l Жыл бұрын

    色々な方が色々な思いで取り組まれている分野だと思うので、人様の取り組みをあまり単純なレッテル貼りでぺったり決めつけるのはよくないのではないかと思います。 ですが、先生の体験やお考えに非常に興味があります。勉強させていただきます。

  • @kaisermuto
    @kaisermuto Жыл бұрын

    赤胴鈴之助・・懐かしい。雷之進もいたな。

  • @user-vt6wl6yi5q
    @user-vt6wl6yi5q Жыл бұрын

    その通りです。自分も剣道やっていましたが明治以降の歩き方も変質させられた剣道と江戸時代までの剣術はかなり違う。 また料理の際でも。使う包丁の扱い方は「力を入れてはいけない。抜く」です。 これ分かっていない人がマジで多い。

  • @central162
    @central162 Жыл бұрын

    何とか流と聞くけれど剣道では聞かない。実践で本当に役に立つ? 何かカッコウだけのような気がする。

  • @tobyhydeman4869
    @tobyhydeman4869 Жыл бұрын

    私の父も戦前、横浜の弘明寺にある北辰一刀流の道場に通っていました、神奈川県では一番か2番だと自慢してました!w

  • @五爪龍
    @五爪龍 Жыл бұрын

    包丁と一緒なんですね。 切ろうとしたら切れない。 細胞と細胞を分けてあげるように捌く。

  • @user-ki7id3os2g
    @user-ki7id3os2g Жыл бұрын

    自分も少しだけやっていました、初段を持っていますが、その後はやっていない

  • @kazuakisatou5760
    @kazuakisatou57602 жыл бұрын

    僕は朋門派合術です

  • @user-dh7sd7gk4z
    @user-dh7sd7gk4z Жыл бұрын

    師匠から免許もらってないのに勝手に七代目名乗ってるってことだよねこれ。武道は技術がどうとかじゃなくて師匠から免状を貰うことだけが継承の条件なのに

  • @shikaishik
    @shikaishik Жыл бұрын

    影武流やゼロレンジとコラボし、北辰一刀流の継承者を集めたいですね! 合気の術理がカギになってますね

  • @user-tt4mh4eg9m
    @user-tt4mh4eg9m Жыл бұрын

    いきなり大あくびするからビックリ

  • @user-toMugen000
    @user-toMugen000 Жыл бұрын

    『鬼滅の刃』の日の呼吸の継承を見ているようなお話だった。 日本の魂は、潰えない。

  • @user-ri9qp2wr4w
    @user-ri9qp2wr4w Жыл бұрын

    私は杉並の玄武館が北辰一刀流の宗家だと思っていましたが

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    この界隈ではよくあることです。

  • @user-ri9qp2wr4w

    @user-ri9qp2wr4w

    Жыл бұрын

    私は学生の頃に、玄武館道場に通っていました。 竹刀稽古は突きを中心に組み立てられた技が多く、小学生から突き技を教わります。

  • @user-yj1be1uj9o
    @user-yj1be1uj9o Жыл бұрын

    こんばんは、非常食の準備はされていますか。

  • @kinokosanable
    @kinokosanable Жыл бұрын

    これは比べられない。無外流の祖師や他の剣聖と比べられないでしょ。だから威張ることをするなど笑止千万!!

  • @jgoebbels1643
    @jgoebbels1643 Жыл бұрын

    自分で経緯を…?

  • @user-ni2gv6cn7y
    @user-ni2gv6cn7y Жыл бұрын

    技術と言うのは見ただけじゃ理解出来ないですよ。 僕は合気道の経験者ですが、身体で感じるモノだと思っています。

  • @user-jr9wv8yi1m
    @user-jr9wv8yi1m Жыл бұрын

    ショー。日本語でいえば見世物ですな。

  • @hikohiko2009jp
    @hikohiko2009jp Жыл бұрын

    故安倍元総理は15秒の間に何を考えただろうか。

  • @shunsukeakagi
    @shunsukeakagi2 жыл бұрын

    やはr

  • @yasspy
    @yasspy2 жыл бұрын

    プレミア公開ほんまいらん 後で見るに入れにくい

  • @user-vt6wl6yi5q
    @user-vt6wl6yi5q Жыл бұрын

    その通りです。自分も剣道やっていましたが明治以降の歩き方も変質させられた剣道と江戸時代までの剣術はかなり違う。 また料理の際でも。使う包丁の扱い方は「力を入れてはいけない。抜く」です。 これ分かっていない人がマジで多い。

Келесі