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【北辰一刀流】命がけの訓練で2つの限界を超えた結果…│椎名市衛✕小名木善行

【目次】
00:52 武道の先に見えるもの
06:10 心の限界を取り払うには
15:31 知られざる日本武道の根幹
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椎名市衛先生の道場はこちら
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北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)
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Пікірлер: 88

  • @user-ti1cj7bq3p
    @user-ti1cj7bq3p Жыл бұрын

    数年前、椎名先生にお会いしましたが、相変わらずお元気で、同時に懐かしさがこみ上げて来ました。いつまでもお元気でご活躍下さい。

  • @user-ym5wf7qx5l
    @user-ym5wf7qx5l Жыл бұрын

    壮絶な思いと言うか、覚悟を決めた強い心という感じがしました。聞いてて心が引き締まった気がします。ありがとうございました!

  • @popo29500
    @popo29500 Жыл бұрын

    やはり、武士道に生きた日本人は、人間として強く尊い。ここよりまた鍛錬します。ありがとうございました。

  • @user-do1xs7cm6q
    @user-do1xs7cm6q Жыл бұрын

    とても貴重なお話しありがとうございます! 剣道やっていた時の事を思いだし、ポロポロ涙が出てきました。 辛いことがあっても、剣道をやっていて救われてきたことなど。 執着を手放すと、心は軽くなりますが、物質主義社会では何かと苦労も絶えませんが、それでもいいと思っています。 無理やり世間や周りに価値観や行動までも合わせて、自分を見失うくらいなら、それでたとえ冷たい目で見られたり、攻撃されても、自分なりの信念をもって生きれる方が幸せです。こういう内から湧いてくる感情や思考は、剣道をやっていたお陰様かもしれないなと、先生のお話しを聞いていて、改めて感じました😊 元気と勇気を頂き、ありがとうございました🙇

  • @user-oj8tz1uk7w
    @user-oj8tz1uk7w Жыл бұрын

    剣道、柔道、花道、茶道そして神道など、「道」が一つの日本を形造る礎なのだろうな。

  • @user-vx9qm2ql4r

    @user-vx9qm2ql4r

    Жыл бұрын

    ただ剣道と剣術は別物、、

  • @user-br5hs4hz9i
    @user-br5hs4hz9i Жыл бұрын

    限界を知る事の大切さを、改めて認識できました。

  • @happyjetstream882
    @happyjetstream882 Жыл бұрын

    本物の武士道を感じることが出来光栄です。心より感謝いたします。

  • @user-Mathahito
    @user-Mathahito Жыл бұрын

    「打って反省、打たれて感謝」宗家の説明非常に分かり易かったです。勉強になりました(^^)「不惜身命」という言葉が輝いてました。

  • @user-lu1vu9qs6d
    @user-lu1vu9qs6d Жыл бұрын

    日本人として心の根っこに響くお話、ありがとうございます。四季の循環でいざという時に身を投じそうな自分も居るのですが、現代がそう思わせる逆説的な風潮なのかも知れません。古風でも新風でも肝の座った人が増えると良いですね。

  • @minamoto3426
    @minamoto3426 Жыл бұрын

    ありがとうございました。死を恐れない。心に刺さりました。

  • @yoshis6770
    @yoshis6770 Жыл бұрын

    剣術の大家の動画なのに、ほんの少ししか稽古の様子を流さない。逆にここに意図を感じます。ありがとうございました。

  • @juicysteak9363
    @juicysteak9363 Жыл бұрын

    大流派の先生がこんなに気さくで、でも言ってる事は真の知恵者で、とても嬉しくなりました、心に響きました

  • @k1n1z1w1
    @k1n1z1w1 Жыл бұрын

    順応してしまったのか、とてもそんな境地にはたどり着けない!と自分で限界を作っている。そんな世界が恐ろしくもある。でも、最後の言葉「打たれて学ぶ」心します。

  • @user-in7yb8qt9b
    @user-in7yb8qt9b25 күн бұрын

    日本武道の強さの真髄 ご教授頂きありがとうございました。 GHQが日本弱体化を狙い武道禁止しようとした理由が分かりました。

  • @user-ls7hp7ye7d
    @user-ls7hp7ye7d Жыл бұрын

    今夜も貴重なお話し、ありがとうございました🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗

  • @templarjinaiwarriors
    @templarjinaiwarriors16 күн бұрын

    Um ataque forte reflete o espírito deste mestre , estiu adirando este canal 🙏🙇‍♀️👋👋👋🙇‍♀️🙏🏻

  • @user-cruise11
    @user-cruise11 Жыл бұрын

    いい話が聞けました。ありがとうございました

  • @user-lv8dl4ed7e
    @user-lv8dl4ed7e14 күн бұрын

    椎名先生は温かい人だと思いました。

  • @user-bf7es6fi8o
    @user-bf7es6fi8o Жыл бұрын

    打たれて学ぶ 心に響きました

  • @user-wx3rr9fg1v
    @user-wx3rr9fg1v Жыл бұрын

    いい話です。ありがとうございます。

  • @user-vy2ft3qf5c
    @user-vy2ft3qf5c Жыл бұрын

    椎名先生のお話しを伺い、この日本精神の真髄を、技術(技)だけでなく世界の武道家やスポーツ選手、IOC委員等々に、学んで貰えると、オリンピックでの西洋人優先のルール変更など起きないですよね。時々 結び大学に出演して戴き、ご講話を拝聴致したいで(^^♪ 久しぶりに五臓六腑にしみわたり、しみじみと考えさせられました♡

  • @kitsuennkanngei
    @kitsuennkanngei Жыл бұрын

    非常にいいお話ありがとうございます。自分も空手を40年以上やってきましたが、このようなお考えを持っている方がまだ日本にいたのは嬉しい限りです。

  • @mikotonori
    @mikotonori Жыл бұрын

    よいお話を聞かせて頂きました。ありがとうございます。

  • @mamorusuzuki4543
    @mamorusuzuki4543 Жыл бұрын

    素晴らしいことを学ばせていただきました。ありがとうございます。

  • @kukururu55
    @kukururu5515 күн бұрын

    物凄いかっこいいです!

  • @ymkieeee
    @ymkieeee Жыл бұрын

    素晴らしい話すぎる

  • @user-HAKUENSAI
    @user-HAKUENSAI Жыл бұрын

    私の曾祖父は千葉勝之進と言う北辰一刀流の達人であったと、小さな頃から父に聞かされていたので、この話には何か、神がかり的な悟り" を得たような感慨に満たされました。 有難う御座います。 曾祖父は娘であった私の祖母がまだ嫁に出る前に、皇室からの要請で皇族に入るため、千葉家の縁を全て断ち、山梨家の後継者として養子縁組をし、皇族としての出入り可能な立場で大義を仰せつかった!と聞いております。 愛する女房や子供、兄弟・親戚の縁も断ち切って、皇族になり、今上陛下の身辺警護を美智子妃殿下との御成婚迄、務め切った人物だった事!を私は祖母の口からから聞きました。 …が、多感な青年期であった私は、祖母は虚言癖があるのではと半信半疑のままで来ました。 しかし、私の幼少だった時に、天皇陛下が全国を巡倖され、我が室蘭の地も訪れましたが、…その時、何故か我が祖母に連絡が入り、下の者を連れてリヤカーと伴に御宿泊先に参上し、そこて、天皇陛下の横に座して姪の祖母を待つ千葉の叔父(勝之進の兄)に会い、お言葉も頂いた事!。   そして帰りには、リヤカー満杯の賜り物を積んで帰り、町の噂になった事! そんな疑問すら無視して生きて来ましたが、先生のお言葉で、曾祖父の武士道精神の何たるかを思いしらされ、心の霧が晴れた思いです。 どうか、末永く 北辰一刀流を そして、武士道精神が日本の若者の心に蘇るよう、ご指導を祈ります。有難う御座いました。

  • @jogilian1775
    @jogilian17758 ай бұрын

    限界を知り人に優しく また限界を超えて そして打たれて学ぶ 初めてまことの武道の一端を知る思いです。 先生、ありがとうございます。 無私の日本人の先人を輩出した日本は素晴らしいと思います。そんな先人達の生き様もしっかりと学ぼうと思います。

  • @yoshmalo5349
    @yoshmalo5349 Жыл бұрын

    コロで、漫然と暮らしてた自分としては、身が引き締まるお話です。 有難うございました!

  • @user-zi5hx5tf9m
    @user-zi5hx5tf9m Жыл бұрын

    北辰一刀流。 限界を超えた、武道の神幹を…。 ユ―モア たっぷりの笑いの中に、本物の 武道の精神を…共感させて頂きました。椎名先生、小名木先生に感謝しております。 信じる 我が心(先祖~)につながる 生きざま に重ね… 後世につなげて行きたい 心の心髄の 素晴らしきお話に…🙏 「日本を 格好よく」と 一緒にポ―ズしました(..)(^_^)v

  • @ymmtymd
    @ymmtymd Жыл бұрын

    この対談は何回まであるんでしょうか。毎回すごいです。

  • @nabekura4029
    @nabekura4029 Жыл бұрын

    限界が見えるから優しくなれる。 それは道を極めし者が見える悟りの境地なのかもしれません。

  • @user-jz7ts4fn7e
    @user-jz7ts4fn7e Жыл бұрын

    か...かっこいい‼️‼️👏👏

  • @user-ti4ku2dp2l
    @user-ti4ku2dp2l Жыл бұрын

    伝統は人の願いや心の有り様が繋いでゆくのだと思いました。有り難うございます。

  • @nkazzu5628
    @nkazzu5628 Жыл бұрын

    死はおそれない。こんなものに生き方を左右されない、でないと生きてきた甲斐が無い。心に染み入りました、ありがとうございます。

  • @user-colt
    @user-colt21 күн бұрын

    北辰一刀流ですか。面白く拝聴させてもらいました

  • @user-br2jn9kl4z
    @user-br2jn9kl4z Жыл бұрын

    目が覚めました。

  • @takeru2702
    @takeru2702 Жыл бұрын

    すごい

  • @user-ig3xv5nr8o
    @user-ig3xv5nr8o Жыл бұрын

    すごい方ですね! もっとお話を聞かせていただきたい

  • @after567
    @after567 Жыл бұрын

    今まで『日本をカッコよく』というのはマジ笑えて、かなり白けてたよ。 でもこの先生の話は違うように思えた。子供にも学ばせるべき。良い意味で宗教。今読んでるヒンドゥー教の経典を超えている。 こういう人がまわりに居たら、どんなに良いことか。血は繋がってないけど、おじいちゃん、と呼んで慕うレベル。こんな人が日本に居るのか、と初めて日本を尊敬できる。サムネイルの表情がちょっと派手すぎて観る気無かったが、観て良かった。巌の話は強烈。何故かやる気が伝わって来る。

  • @Kukita_
    @Kukita_ Жыл бұрын

    己を超える、精神の限界を超えていくのが武道なんですね!!勝敗にこだわる要素が強いと、限界までやらないで勝ちに理に適うようにやる感じですか。武道で練り上げられた精神は、生き方、仕事の向き合い方にもそのまま写りそうですね!!武道の達人の技以外に何かすごいと感じてしまうところの一因を知れたような気がします!!

  • @51ch84
    @51ch84 Жыл бұрын

    打たれて学ぶ‼️

  • @user-ir5xo2qc2o
    @user-ir5xo2qc2o Жыл бұрын

    山岡 鉄舟 (やまおか てっしゅう、山岡鐵舟)は、日本の幕末の幕臣、剣術家、明治期の官僚、政治家[1]。剣・禅・書の達人。鉄舟は居士号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。諱は高歩(たかゆき)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字。 概説 江戸に生まれる。家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流や北辰一刀流の剣術、樫原流槍術[注釈 1]を学び、武術に天賦の才能を示す。浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客であり、明治維新後は一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を最終決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、徳川慶喜から直々に使者として命じられ官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会して交渉、大枠を妥結して、江戸無血開城の立役者となった。明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。身長6尺2寸(188センチ)、体重28貫(105キロ)と大柄な体格であった。 西郷のたっての依頼により、明治5年(1872年)に宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇に仕える。侍従時代、深酒をして相撲をとろうとかかってきた明治天皇をやり過ごして諫言したり、明治6年(1873年)に皇居仮宮殿が炎上した際、淀橋の自宅からいち早く駆けつけたりするなど、剛直なエピソードが知られている。宮内大丞、宮内少輔を歴任した。 明治14年(1881年)に新政府が維新の功績調査をした時、勝が提出した勲功録に、全て勝がやったように書かれており、それを読んだ鉄舟は嘘だと思いながらも勝の面子を潰すので、何も提出しなかった。無血開城の実情を知っていた局員がおかしいと感じて三条実美に鉄舟のことを伝えた。三条は腑に落ちないので、岩倉具視に伝えた。岩倉は鉄舟を呼び出し、「手柄は勝に譲るにしても、事実として後世に残さなければならない」と説得し、鉄舟に事実を書かせ提出させた[6]。 徳川家達は、明治15年(1882年)に徳川家存続は山岡鉄舟のお陰として、徳川家家宝である「武藤正宗」の名刀を鉄舟に与えた。勝海舟は名刀を与えられていない。岩倉具視は、当時の一流の漢学者に、名刀の由来と鉄舟の功績を「正宗鍛刀記」にしたためたさせた[6]。この年に西郷との約束どおり致仕。明治16年(1883年)、維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山全生庵を建立した。 明治18年(1885年)には、一刀流小野宗家第9代の小野業雄からも道統と瓶割刀・朱引太刀・卍の印を継承し、一刀正伝無刀流を開いた。 明治20年(1887年)5月24日、功績により子爵に叙される[7]。 明治21年(1888年)7月19日9時15分、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。死因は胃癌であった。家督及び爵位は長男直記が相続した[8]。葬儀は22日に行われ、豪雨であった。前もって明治天皇の内意があったので、四谷の自邸を出た葬列は、皇居前で10分ほど止まった。明治天皇は、高殿から目送された。全生庵での会葬者は5千人にも上った。 この日、門人村上俊五郎は、殉死の恐れがあるというので四谷警察署に保護された。また門人栗津清秀も殉死しようとしたが、全生庵の裏山で発見されて止められた。門人鈴木雄蔵は、葬儀に出たまま家に帰らず、3年間も墓前に留まった。9月15日、門人三神文也が墓前で割腹殉死。同18日、鉄舟の爺や内田三郎兵衛が墓前で死んでいた。「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない。」と思わせるほどの、鉄舟の死だった。享年53。戒名「全生庵殿鉄舟高歩大居士」。没後に勲二等旭日重光章を追贈された[9]。 剣・禅・書 晩年の山岡鉄舟 剣 自身の道場「春風館」[注釈 9]や、宮内省の道場「済寧館」、剣槍柔術永続社で剣術を教えた。弟子に香川善治郎、柳多元治郎、小南易知、籠手田安定、北垣国道、高野佐三郎らがいる。松崎浪四郎も後に鉄舟門下に入っている。日本史上最後の仇討をした人物として知られる臼井六郎も目的を明かさずに門下で修業を積んでいる。精神修養を重んじる鉄舟の剣道観は近代剣道の理念に影響を与え、現在も鉄舟に私淑する剣道家は多い。平成15年(2003年)、鉄舟は全日本剣道連盟の剣道殿堂に顕彰された。 禅 長徳寺願翁、竜沢寺星定、相国寺独園、天竜寺滴水、円覚寺洪川に参じ、後年は、滴水和尚から印可を与えられた。洪川門下でのちに法嗣となる釈宗演のセイロン(スリランカ)渡航を援助し交流。宗演は修行中訪れた菩提樹からの一葉を帰国の際に持ち帰り、胃患療養中の気散じにと鉄舟に贈った。禅の弟子に三遊亭圓朝らがいる。また今北洪川、高橋泥舟らとともに、僧籍を持たぬ一般の人々の禅会として「両忘会」を創設した。両忘会はその後一時、活動停止状態となっていたが、釈宗演門下の釈宗活[注釈 10]の宗教両忘禅協会、釈宗活門下の立田英山[注釈 11]の人間禅教団へと受け継がれた。 書 人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見される。一説には生涯に100万枚書したとも言われている[注釈 12]。 逸話 ・その人間性は、西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。 ・致仕後、勲三等に叙せられたが、拒否している。勲章を持参した井上馨に、「お前さんが勲一等で、おれに勲三等を持って来るのは少し間違ってるじゃないか。(中略)維新のしめくくりは、西郷とおれの二人で当たったのだ。おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか」と啖呵を切った[11]。 ・平沼騏一郎によると井上馨と山岡はかねてより懇意であり、山岡は一度朝敵となった榎本武揚(勲二等)よりも下等であることが不愉快だったのだという。井上が岩倉具視に頼まれて叙勲を説得しに訪ねた際、「お前は随分貧乏しているから金に困るだろう。お金が要ればいくらでも都合してやる」などと気遣って別れると、早速山岡から一万円が必要だという手紙が来た。井上が手許にないからと急いで宮内省から借りて届けさせると、「一万円まことに有り難いが、実は入用がなくなったので、直ぐにお返しする」と悪戯をしたという[12]。 ・実家の知行地であった埼玉県小川町の割烹旅館「二葉」には、山岡が好んだ料理「忠七めし」が伝わっている。米飯に海苔、薬味ネギ、ワサビ、ユズなどを散らして、カツオ出汁をかける。二葉主人の八木忠七が、山岡から「料理に禅味を盛れ」と注文され、山岡が得意とした剣をワサビ、禅を海苔、書をユズで表現したという。二葉の看板は鉄舟の揮毫による[13]。 ・明治2年(1869年)、明治天皇の京都行幸の際、明治天皇から手土産の相談を受けた。そして山本海苔店二代目山本德治郎に相談したことで、味付け海苔が創案された。山本海苔店の商品のいくつかは鉄舟の揮毫である。 ・木村屋のあんパンを好み、毎日のように食べていたともいわれる。また木村屋の看板も鉄舟の揮毫によるものである。

  • @user-nz1gx8yj9g
    @user-nz1gx8yj9g Жыл бұрын

    いつも有難う御座います、正に日本人.はさまざまなもの学びの道を求めた歴史が有ります。私の稽古した武道も合気道でしたが、型武道でした。試合をする流派も有りますが、形が崩れるために美しく無くなるからと云うことでした。それでは間合いが分からなくなると云うことで居合やら杖道なども稽古して居りました。一時は夢中に成って週に4日も道場通いをして居り子育ては妻に任せっきりダメ亭主でした。心の武道を目指して居た様に思います。

  • @user-ur6fu7tm6c
    @user-ur6fu7tm6c Жыл бұрын

    限界を超え、さらに死を超えたところに本当の優しさがあるような気がします。

  • @user-ir5xo2qc2o
    @user-ir5xo2qc2o Жыл бұрын

    宮本 武蔵 (みやもと むさし、天正12年〈1584年〉? - 正保2年5月19日〈1645年6月13日)〉)は、江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。後世には、演劇・小説・漫画・映画やアニメなど様々な映像作品の題材になり、現代では「剣豪」または「剣聖」と称されている[2]。特に吉川英治の小説『宮本武蔵』が有名であるが、史実と異なった創作が多い。 外国語にも翻訳され出版されている自著『五輪書』には十三歳から二十九歳までの六十余度の勝負に無敗と記載[注釈 1]がある。 絵画や武具・馬具制作も頻繁にしていた過去があり、国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』といった水墨画や鞍、木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。島田美術館が所蔵する有名な肖像画は作者不詳[1]だが、身体を緩めている様は『五輪書』が説く極意に一致しており、自画像とする説もある[2]。 『五輪書』には13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利し、16歳で但馬国の秋山という強力な兵法者に勝利し、以来29歳までに60余回の勝負を行い、全てに勝利したと記述される。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父の新免無二が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していたことを証明する黒田家の文書[4] が存在することから、父と共に当時豊前国を領していた黒田如水に従い東軍として九州で戦った可能性が高い[注釈 7][注釈 8][注釈 9]。 『五輪書』には21歳の頃に[注釈 10]、京都で天下の兵法者(吉岡一門と考えられる) と数度戦ったが全てに勝利した旨の記述がある。この内容は吉川英治『宮本武蔵』をはじめ多くの著名な文芸作品の題材とされている。 武蔵が行った勝負の中で最も広く知られているものは、俗に「巌流島の決闘」といわれるものである。これは慶長年間に豊前小倉藩領(現在は山口県下関市域)の舟島(巌流島)で、岩流なる兵法者[注釈 11]と戦ったとされるものである。この内容は江戸時代より現代に至るまで芝居、浄瑠璃、浮世絵、小説、映像作品など様々な大衆文芸作品の題材となっている。 寛永17年(1640年)、熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。7人扶持18石に合力米300石が支給され、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、鷹狩り[注釈 17]が許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。同じく客分の足利義輝遺児・足利道鑑と共に忠利に従い山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。翌年に忠利が急死したあとも2代藩主・細川光尚によりこれまでと同じように毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として、藩士がこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。この頃、余暇に制作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。 寛永20年(1643年)、熊本市近郊の金峰山にある岩戸・霊巌洞で『五輪書』の執筆を始める。また、亡くなる数日前には「自誓書」とも称される『独行道』とともに『五輪書』を兵法の弟子・寺尾孫之允に与えている。 大原町(美作国) 正保2年5月19日(1645年6月13日)、千葉城(熊本)の屋敷で亡くなる。享年62。墓は熊本県熊本市北区龍田町弓削の武蔵塚公園内にある通称「武蔵塚」。福岡県北九州市小倉北区赤坂の手向山には、養子伊織による武蔵関係最古の記録の一つである『新免武蔵玄信二天居士碑』(通称『小倉碑文』)がある。 ・『五輪書』 (ごりんのしょ)は、宮本武蔵の著した兵法書。剣術の奥義をまとめたといわれる。寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆されたとされる。自筆本である原本は焼失したと伝えられる。写本は細川家本を始め、楠家旧蔵本・九州大学本・丸岡家本・狩野文庫本、底本不明の『劍道祕要』収録などがある。自筆本が現存せず写本間での相違も多いことや、武蔵の時代よりも後の価値観に基づく記述が多いこと、さらに同時代の文献に武蔵が五輪書を書いたと傍証できるものがない。 構成 書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それになぞらえて「地・水・火・風・空」の六巻に分かれる。 地の巻 自らの流を二天一流と名付けたこと、これまでの生涯、兵法のあらましが書かれている。「まっすぐな道を地面に書く」ということになぞらえて、「地の巻」とされている。 水の巻 二天一流での心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関することが書かれている。「二天一流の水を手本とする」剣さばき、体さばきを例えて、「水の巻」とされている。 火の巻 戦いのことについて書かれている。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いにおいての心構えなどが書かれている。戦いのことを火の勢いに見立て、「火の巻」とされている。 風の巻 他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風、今風、それぞれの家風などのこととされている。 空の巻 兵法の本質としての「空」について書かれている。 ・『独行道』 (どっこうどう、正字:獨行道) は、新免武蔵(宮本武蔵)が自身の生き方を21か条に記した掛幅装の紙。「自誓書」といわれている。晩年に肥後熊本藩の客分となり、熊本千葉城の自邸で死去の7日前、正保2年(1645年)5月12日に弟子の寺尾孫之允(丞)に兵法書『五輪書』と共に与えたとされている。 獨行道   二十一箇条 一 世々の道をそむく事なし 一 身にたのしみをたくます 一 よろすに依枯の心なし 一 身をあさく思世をふかく思ふ 一 一生の間よくしん思わす 一 我事におゐて後悔をせす 一 善惡に他をねたむ心なし 一 いつれの道にもわかれをかなします 一 自他共にうらみかこつ心なし 一 れんほの道思ひよるこゝろなし 一 物毎にすきこのむ事なし 一 私宅におゐてのそむ心なし 一 身ひとつに美食をこのます 一 末々代物なる古き道具を所持せす 一 わか身にいたり物いみする事なし 一 兵具は格別よの道具たしなます 一 道におゐては死をいとわず思ふ 一 老身に財寳所領もちゆる心なし 一 佛神は貴し佛神をたのます 一 身を捨ても名利はすてす 一 常に兵法の道をはなれす 正保弐年  五月十二日 新免武藏      玄信 寺尾孫之丞殿

  • @user-gd2ed7db3m
    @user-gd2ed7db3m Жыл бұрын

    過去から学ぶのは大切。しかし、過去に戻るのは退行であり、かつ、不可能。 息子のくだりは反省して切腹したならわからんでもないが、面目のため飛び込ませるのを善しとしては、過去の武士の良くない面が出ている。 武道でもなんでも、過去から学び、今に適応し、未来を切り開いてこそ意味がある。 それが適応力なわけだから、過去のおかしな話を何でもかんでも素晴らしいとしてはだめでしょ。

  • @user-en3wk4uz6j

    @user-en3wk4uz6j

    Жыл бұрын

    全く、おっしゃるとおりだと思います。ただ、自分は、宮本武蔵の話を聞いた時、なぜか聖書のアブラハムとイサク?の話を思い出しました。

  • @user-pq1zw1zi5l
    @user-pq1zw1zi5l Жыл бұрын

    日本をカッコ良く   d( ̄  ̄)

  • @user-zf1bn1ub5c
    @user-zf1bn1ub5c Жыл бұрын

    不動智神妙録 (ふどうちしんみょうろく)は、江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である。執筆時期は諸説あるが、内容から見て寛永年間(1624年から1645年)であろうと推測される[1]。別称を『不動智』、『剣術法語』、『神妙録』とも呼ばれ、原本は存在せず、宗矩に与えられた書も、手紙か本か詳しい形式は判明していない[2]。 概要 徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた書物である。また、沢庵の同種の著作として『太阿記』もある。 心が一つの物事に捉われれば(意識し過ぎれば)、体が不自由となり、迷えば、わずかながらでも心身が止まる。これらの状態を禅の立場から良しとせず、達人の域に達した武人の精神状態・心法を、「無意識行動」かつ心が常に流動し、「迷わず、捉われず、止まらず」であることを説き、不動智を「答えより迷わず=結果より行動」に重きを置く禅問答で説明(当書の「石火之機」)したもので、実質的には心法を説いた兵法書であり、実技である新陰流と表裏一体で学ぶもの(当書「理の修行、事の修行」)としている。 日本国外では、オイゲン・ヘリゲル著の『弓と禅』において、一部、紹介されており、西洋諸国の身体運用法とは異なり、意識して動いている内は達人の域ではないとした(意識からの解脱論法の)考えが日本では古くからあり、『不動智神妙録』を例に挙げ、研究対象として貴重である旨の記述がなされている(紹介文では、沢庵は、意識して動く者をどうすれば救えるかといったことを述べている)。ただし、日本兵法書において、「意識して動いている内は武人として未熟である」とした考え方自体は、禅の思想の流入以前からあり、『闘戦経』内の「知りて知を有(たも)たず、虜(おもんばか)って虜を有たず。ひそかに識りて骨と化し、骨と化して識る」(知っただけでは忘れてしまうものであり、真に覚えるとは、ひそかに識って骨と化し、骨と化して識るものである)と記述しており、体に覚え込ませる(無意識に働かせる)思想がそれ以前からあることがわかる。 内容 無明住地煩悩 「無明」とは「迷い」を指し、「住地」とは仏教の修行段階の五十二位の一つで、「住」には「止まる」の意も含む。心が迷って止まる状態はよくないと説明する。 相手が太刀を振るう時に、かかって来ると思った瞬間から自分の心は相手の動きに奪われていると説き、無心で懐に飛び込めば、相手の刀も奪って逆に斬ることも可能であると「無刀」の心構えについて説いている。自由に動くためには「誰がどう打って来る」とか「敵の心を読めば(こちらの心を見透かされる)」など意識的に動いてはいけないことを諭す。相手の刀の動きも、タイミングも、自分の刀の動きも、心を奪われる対象であり、不自由になるだけであるとして、禅の立場から思考対思考の対決を否定した記述がなされている。 諸仏不動智 不動とあるが、全く動かないという意ではなく、心は自由に動かし、一つの物、一つの事に少しも心を捉われていないのが、不動智であると説く。不動智を最も体現した不動明王の如く動ければ最良であるとする。 例として、10人が1人ずつ斬りかかって来た時、一太刀を受け流したとして、そのことに心が留まっていれば、即次に対応はできず、10人に対して応じるには、10度心を動かす他ないとする。千手観音にしても千本ある手の内、弓を持った一つの手に心が捉われれば、残った999の手は全て役に立たないと説明し、一つに心が捉われていないからこそ、千本全ての手が役に立つとする。木の葉の例をとって、一枚の落ち葉(動くもの)を注視するのではなく、全体を無心で観ることによって、多くの葉を観ることが可能となる話や初めて刀を持った者は(構えなどに対して)心を捉われていないなど、例え話を含む。 理の修行、事(わざ)の修行 仏教における「理」は、つきつめれば無心となり、捉われない(境地)の意で、「事(わざ)」は、新陰流の五つの構えの他、様々な技術であると記す。理合を解するだけでなく、自由に動かす技術がなければならないとする。 間不容髪 常に流れ動く心の状態がよいと説き、隙がない状態・物事を説明した記述。 石火之機 心が物事に捉われていなければ、素早く動けるが、素早いことが重要なのではないと説く。素早く動かなければ、という思いも、また心が捉われている証しであり、心が止まっている状態であるとする。 名を呼ばれて、反射的に「お?」と応じるのが、「不動智」の状態であり、思いをめぐらした末に「ご用は」と応えるのが、「迷い」=心が止まっている状態であると説明している。 心の置所 この問題に対する答えとして、沢庵は、どこにも置かないことが仏法の境地であるとし、必要に応じるためには一ヶ所に定めるなとする。孟子の「放心を求めよ」も間違いではないが、仏法の境地の前では、まだ低い段階(俗的境地)であると認知している。 本心妄心 「本心」とは、一ヶ所に心が留まらず、広がった状態を指し、「妄心」とは、一ヶ所に心が留まり、固まっている(止まっている)状態であると説明する。水と氷で例えており、溶かした水だからこそ、幅広く役立つと説く。 有心の心、無心の心 前者は「妄心」と同意で、後者は「本心」と同意であると説明している。 水上打₂胡藘子₁捺着即転 水面に浮かんだひょうたんを捺(な)着=手で押したところで横に横にと転がり逃げ、さらに押したところで逃げられ、一ヶ所に止まらない事象を引用して、高い境地に達した人は、このひょうたんの如く、止まるところはないと説く。 応無所住而生其心 「応(まさ)に住する所無くしてその心を生ず」と読むとしている。心を止めないまま、やろうと思わなければならないことを説く。 求₂放心₁ 孟子の「放心を求めよ」の言葉(俗的境地)からさらに高い仏法的境地に至るためにはと考察する。 急水上打毬子、念々不停留 「急流に投げた毬は少しも止まらない」という言葉から一つの所に止まらないことを示す。 前後際断 以前と今を切り離し、心を止めぬことを示す。 敬の一字 この言葉は心法を表したものであるとし、自心を治めることを説く。 影響 不動智神妙録』の思想は、他書にも影響が見られ、『願立剣術物語』第四十段目の「迷いたる目を頼み、敵の打つを見て、それに合わんとはかるは、雲に印の如くなり」は当書の「無明住地煩悩」で説かれている事と同じであり、他にも「ものに取り付き、止まるところに閉じられ、氷となり、水の自由なる理を知らず」も当書の「本心妄心」で説かれている事と同じである。 また18世紀成立の談義本『天狗芸術論』(不動智が禅主体に対し、儒教主体の剣術書で同様に精神面を説く)巻之一で2人目の天狗が、意識し過ぎる(意図ある)ことの害や未熟者には迷いがないとした説明で、「無明住地煩悩」や「諸仏不動智」に説かれていることと同じ語りがある。 剣術流派以外にも柔術で引用が見られ、『天神真楊流柔術極意教授図解』(吉田千春・磯又右衛門、八幡書店、初版明治26年)の目録第七「真の位の説」に、水中の瓢を押しても脱する旨の記述があり、不動智の「水上打 胡藘子 捺着即転」の引用である。

  • @user-so7ky2bi2i
    @user-so7ky2bi2i Жыл бұрын

    この方の宗家を継いだ経緯や経歴等…ちゃんと調べたほうが宜しいかと…ホームページでは自分のところが本物で他は偽物。 本家に請われて宗家を継いだと仰ってるけど^^;稽古内容は秘密にしてる理由は開祖への侮辱になるからと言う理由らしいけど有料オンライン稽古は良いんですね😅 玄武館とか他の北辰一刀流の方々は自信があるからこそ人前で堂々とやってるように見える… 逆にこの方が木刀振ったり極細の竹切ってる?(割れてる)動きを見ると、え?ってなりますよ

  • @user-ir5xo2qc2o
    @user-ir5xo2qc2o Жыл бұрын

    武道歌ー1 剣道道歌(読み人不詳) 立会いは竹刀で打つな手で打つな胴造りして足で打つべし 悪念の起こる所を切り払うこれが宝の剣なりけり 癖が出て弱くなったと知らずして同じ強さと思うはかなさ 手の内のできたる人の取る太刀は心にかなう働きをなす 法定は学ばんほどに道遠し命のあらんかぎりつとめよ(法定は形稽古を指す) 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 稽古をば疑うほどにくふうせよ解きたるあとが悟りなりけり 道場に入るべきときは身を正し心の鏡くもりなきよう 年毎に咲くや吉野の桜花木を斬りてみよ花のあるかは 剣術を使う人ほど馬鹿はなし頭叩かれ礼をいうなり 鹿島新当流・塚原ト伝高幹…卜伝百首より 武士の名にあふものは矢なれや深くもあふげ高砂の松 武士の鎧の下に乗る馬はくせありとても強き好めり 太刀の寸臍にくらべて差しつべしわが身の丈の合わぬ嫌へり 弓はただおのが力にまかすべし手にあまりたる弓な好みそ 勝負はながきみぢかきかはらねどさのみみぢかき太刀な好みそ 鍔はただ革にまされるものはなし糸にておけばぬれて乾かぬ 鍔はだた切りぬきあるを好むべし厚き無紋をふかく嫌へり 武士の軍の場にわに出るとき湯漬けにしくはなしと知るベし 武士のいつも身に添へ持つべきは刃つくる為の砥石なるべし 武士は女にそまぬ心もてこれぞほまれの教なりける 武士の軍の庭にもつ物は梅干にますものはあらじな 武士の酒を過ごすぞ不覚なる無下に飲まぬも又おろかなり 武士の心のうちに死の一つ忘れざりせば不覚あらじな 武士の生死二つをうち捨てて進む心にしくことはなし 柳生新陰流 柳生石舟斎宗厳 世を渡るわざのなきゆゑ兵法を隠家とのみたのむ身ぞ憂き かくれがとたのむはよしや兵法のあらそひごとは無用成けり 兵法のかちをとりても世の海をわたりかねたる石の舟かな 兵法は能なきもののわざなれば口業喧嘩の基ひ成りけり 兵法はうかまぬ石のふねなれど好きのみちにはすてられもせず 兵法や腰のかたなもあひおなじ朝夕いらでゐることもあり 兵法は稽古鍛錬つねにしていろにいださでかくしつつしめ へいはうのならひそのおりいでざるとかたるは己が恥としらずや 無刀にて稽古鍛錬取りえてはわが兵法の位をぞしる へいはうは器用によらず其の人のすける心のたしなむにあり 兵法はしりてもしらぬ由にしてゐる折々の用にしたがへ 兵法は弟子の心をさぐりみて極意おろかにつたへはしすな 兵法はふかき淵瀬のうす氷渡るこころのならひ成りけり 無刀さへきりかねたらん其の人のかたなにあひていかがしてまし 我が太刀に我と非を打つ工夫してつもる位のこころよくしれ 人をきらん心しばしば兵法にわれがうたれぬならひしてまで つつしまず兵法面に出しなば人に憎まれ恥やかくらん つねづねに五常の心なき人に家法の兵法印可ゆるすな うかまざる兵法ゆゑに石のふねくちぬうき名や末に残さん 無刀にてきはまるならば兵法者こしのかたなは無用なりけり 世をたもち国のまもりと成る人の心に兵法つかはぬなはし 万物は無に対するぞ兵法も無刀の心奥義なりけり 中々に猶里ちかくなりにけり余りに山の奥をたづねて 斬り結ぶ刀の下ぞ地獄なれただ斬り込めよ神妙の剣 柳生但馬守宗矩 むねのうち雲吹きはらふ風もがな心の月をあきらかにせん 心こそ心まよはす心なれ心に心心ゆるすな(不動智神妙碌より ながめやる山のあなたに立つけぶり爰にたく火の炎なりけり 柳生十兵衛三厳 兵法に勝たんと思ふ心こそ仕合に負くるはじめなりけり 柳生連也斎厳包(尾張柳生家) 徳を得れば一天世界ことごとく風に木草のなびくことわり 柳生兵庫助(尾張柳生家) 腰の折れまた坐るのを嫌ふなり折れて坐るはなほ悪しきなり 懸け退きに膝のすわるに二つありつかれ足をばわけていましむ 切合いに心ひかれてとにかくに及びかかるは初中後のくせ 切合いに手の下るのは直すべしせつかく勝て負にこそなれ 両足の一度に坐る不自由はぬかり砂原倒れやすさよ 拳にて太刀を使ふは弱みにて手の内まはり打ち合いに負く 直立つったつた身とは自由のすがたにて位といふはなほ心あり 位とは行住坐臥に動静に直立つものぞ位なるけり 立ち上がる手元に敵を引寄せて須弥の一刀両断にせよ 打つ時に拳に面添へぬれば面も反らず拳さがらず 懸る時も退く時も足はただ居つかぬやうに使ふべきなり 徳川光友(尾張二代藩主、新陰流六代家元) 出でぬ間の山のあなたを思ひやるこころやさきに月を見るらむ 雲はらふ嵐の庭の池水にもるより早くうつる月かげ 上泉伊勢守信綱・新蔭流 いづくにも心とまらば棲みかへよ長らへばまた本の古郷 里はただ降らざりけれと旅人のいふに山路の雪をしらるる おのづから映らばうつる映るとは月も思はず水も思はず 直心影流 稽古とは一より始め十に行き十より還る元のその一 示現流 いましめの左のひじの動かねば太刀のはやさを知る人ぞなき

  • @user-mz7pw5bt5g
    @user-mz7pw5bt5g Жыл бұрын

    現代なら、経済武士業ですね。百姓も極めれば、農道ですね。最近病気なのか、体力の限界かわからない、結構譲ったほうが楽です。

  • @aki1and2iinioi
    @aki1and2iinioi Жыл бұрын

    椎名先生には失礼だが、世の中の仕事をしたことがあるのか? ブラック企業というのが横行していて、若者が体力の限り「奴隷」の如く働かされている。 椎名先生の言われる、限界を知らない連中が無知な若者を駆り立てて働かせている現状がある。 では、限界を知らない連中が武道を学ぶべきなのか? それであるならば、それを管理職に当てはまる人達に伝える努力をするべきではないのか? 私は武道の心得は無いが、「これ以上は無理かも?」と判断したら無理させることは無い。 それは経験則は思いやりといったものであって、武道の心得ではない。

  • @user-ih5yk8um3f
    @user-ih5yk8um3f Жыл бұрын

    自分の守りたい者 妻や娘や孫に刃が突きつけられた時にも恐れを受け入れられるのだろうか⁉️ 答えて貰いたい🙇‍♀️

  • @iidabashikarate
    @iidabashikarate21 күн бұрын

    北辰一刀流の宗家何人かいるけど、誰が本物なんだろう

  • @user-sk8yw7cf8o
    @user-sk8yw7cf8o Жыл бұрын

    日本人の人口が減っていくということが、いかに恐ろしいことか。戦争で亡くなった以上の数の人々がものすごい勢いでいなくなっているのです。そういう危機感をほとんど誰も持っていないことが恐怖です。

  • @user-dm6nv4ej6t
    @user-dm6nv4ej6t Жыл бұрын

    タイトルの椎名先生,いい顔しているなぁ^^

  • @_Taka_JP
    @_Taka_JP Жыл бұрын

    このお話拝聴していて、 途中に入る「あなたもこれで儲けられます」コマーシャル動画の薄っぺらいこと!!!

  • @ohtayukiho6444
    @ohtayukiho64443 ай бұрын

    理にかなった稽古を行い、限界を超えた「死を意識した」稽古を繰り返すと丹田にシコリができてきます。その大きさは個人差があります。はじめは「がん」ではないかと疑いましたが違いました。体が自由に動くのです。高段者の打ちが遅く見えてきます。間合いが自由に取れます。遠間から的確に相手へ打突を出すことができます。全て一拍子打ちです。意識することもなく自然と体が動くのです。「気剣体の一致」とはこのような状態を指すのではないでしょうか。北辰一刀流の方々は皆さん丹田にシコリができているのではないでしょうか。柳生新陰流の書物にこのような丹田のシコリのことが書いてありました。この書物と出会ったのは私の丹田にシコリが出来た後のことです。昇段試験で〇段を摂りたいとか、試合で優勝したいという思いが無くなり、竹刀を握り剣道に励むことが無上の喜びに満たされるようになりました。こうした心と体の変化は私が剣道の入り口にようやくたどり着いた証のように感じます。

  • @user-uj8wq8hj2x
    @user-uj8wq8hj2x Жыл бұрын

    んーーー。。。

  • @user-tn8ce1pb9i
    @user-tn8ce1pb9i Жыл бұрын

    しびれた。

  • @jyankuro15
    @jyankuro15 Жыл бұрын

    相手を活かさなければどれほど鍛錬しても上達はしない。 話術でもそうだけど、相手にどう感じさせどう思わせるかという対話能力は、卑怯かもしれないが「相手が勝手に思ったこと」になる。五輪書はそう説いている。

  • @user-rm6qq8ur1t
    @user-rm6qq8ur1t Жыл бұрын

    寺尾孫之充と秦国の蒙恬が重なりました。 かっこよくても国が滅んだらダメじゃないかな。

  • @toshichika720
    @toshichika720 Жыл бұрын

    限界が二つあるんだ😄🙂

  • @asa01053
    @asa01053 Жыл бұрын

    おっかない!

  • @Kappa-Lub
    @Kappa-Lub Жыл бұрын

    自衛隊のレンジャー訓練も同じだね

  • @itto8031
    @itto8031 Жыл бұрын

    なんで宗家と名乗れるのだ? 戦前には千葉家では失伝して、明治の免許皆伝者の名剣客達でさえ宗家とは名乗っていない。(大日本武徳会精錬証の下江 秀太郎など)だからよく分からない。

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    北辰一刀流は、何流派かに別れているからです。 この動画もその内の一つの流派です。

  • @user-zf1bn1ub5c
    @user-zf1bn1ub5c Жыл бұрын

    『猫の妙術』 (ねこのみょうじゅつ)は、佚斎樗山(本名丹羽忠明、1659 - 1741年)著の談義本(戯作の一)『田舎荘子』(享保12年(1727年)刊)内の一話であり、剣術書(厳密には、精神面を説いた書)。 内容 猫に語らせる(若猫達と古猫の問答)といった体裁で記述され(人外に仮託した教訓話の一つ[1][2])、剣術の所作・気・心のあり方を説き、我と敵の関係・定義を記述し、精神面や境地について、最終的に達した者は、敵が生じず、周囲にも現れないとしめくくる。 同著者の『天狗芸術論』巻三にも引用が見られる孟子の「浩然の気」を古猫に語らせたり、『田舎荘子』のタイトルにあるように荘子の「木鶏」をモデルとして応用した「木猫」ともいえる流れが見られる[3]など、禅(仏教)を主体とした『不動智神妙録』(17世紀)と比較した場合、中国思想(孔子や易経なども含む)を引用する傾向が見られる(特に『芸術論』においては、仏僧といえども中国聖人の考えに触れれば、感化される旨の記述がある)。佚斎自身は陽明学の熊沢蕃山の影響を受けたとされ[4]、この為とみられる。 時代的背景としては、17世紀の『不動智』と異なり、実戦経験に乏しい太平の世に書かれ(江戸開幕から100年ほど経っている時期)、武芸者の質も落ちた為に、分かりやすく書かれた兵法書である[5](そのため、それまでの兵法書と比較してもフレンドリーな内容となっている)。 猫の妙術の解説書は沢山あるが、いくつかの例を挙げると大森曹玄の『剣と禅』や小倉正恒の『小倉正恒談叢』等があげられる。『小倉正恒談叢』は猫の妙術について「一刀流兵法正五典」と「禅の五位」を照応させて論じている。正五典は妙剣、絶妙剣、真剣、金翹鳥王剣(きんしちょうおうけん)、独妙剣の五本の組太刀だが、それは五位の正中偏、偏中正、正中来、兼中至、兼中到に相応するのだそうである。 浮世絵師である歌川国芳は猫の妙術の版画を作成している。 物語 剣術家の勝軒(しょうけん)の家に大鼠が現れ、ネズミを捕えるため、初めは自家猫を仕向けるもネズミに噛まれ、そこで近所中のネズミ捕りに実績がある猫達を集めさせるも、どれも敵わず、とうとう勝軒自身が木刀を手に振り回すも、逃げ回って逆に噛みつかれそうな勢いとなり、手に負えない。最後に名立たるネズミ捕りの古猫を連れてこさせるが、その姿はきびきびとせず、元気がない。ところが、いざネズミのいる家に入れさせると、ゆっくりと追い詰め、大した抵抗をされることもなく、造作もなく咥えてきた。 その夜、猫達が集い、その古猫に教えをこう。一匹(若い黒猫)は所作を鍛錬したことを、一匹(少し年上の虎猫)は気を修行したことを、一匹(さらに年上の灰猫)は心を練ったことを語り、古猫はそれぞれ虚を指摘し、実を説いていく。自分は何の術も用いないし、無心で自然に応じるのみと語った後、自分自身も過去に出会った猫に比べれば、まだその境地(周囲に敵が生じない)に達していないと諭す。最後にそれらの問答を聞いていた勝軒の問いに対し、古猫は、敵とは何か、心のあり方を説き始める。 問答の例 「気はさかんなりといえども、象(カタチ)あり。象あるものは微なりといえども見つべし。我、心を練る事久し。勢をなさず、物と争わず、相和して戻らず、彼、強む時は、和して彼に添う」。 灰猫は、気勢は察せられるので、自分は心を練ったが、今回のネズミには、寄り添っても全く通じなったと語り、これに対し、古猫は、自然の和ではなく、意図をもって和を為そうとするものであり、そこに虚が生じていると答える。 敵の定義について 古猫が勝軒に語ったこととして、「(心中に)我あるがゆえに敵あり。我なければ敵なし。敵というは、もと対待の名なり。陰陽・水火の類の如し。およそ物、形象あるものは必ず対するものあり。我が心に象(カタチ)なければ対するものなし。対するものなき時は比ぶるものなし。これを敵もなく我もなしという」と定めている。

  • @user-bj3ms7ly4i
    @user-bj3ms7ly4i Жыл бұрын

    心ないコメントは見たくないなぁ

  • @user-ke7cv8lo7p
    @user-ke7cv8lo7p11 ай бұрын

    この宗家と書いてあるけど?宗家じゃないですよね? 岩本町の宗家の玄武館の先生じゃないですよね? おむすび大学が、ウソつくなんて、呆れちゃいました、😮

  • @user-du1wj4if7k
    @user-du1wj4if7k Жыл бұрын

    痛い思い自ら学べ。

  • @user-ke7cv8lo7p
    @user-ke7cv8lo7p11 ай бұрын

    小名木先生?この北辰一刀流の先生、宗家じゃないじゃないですか? 神田岩本町の玄武館の宗家の先生と違うじゃないですか? 先生?なんで、こんなウソつくんですか? いままで、楽しみに見てたのに、呆れちゃういました😮

  • @user-wv2gp5eu4k
    @user-wv2gp5eu4k Жыл бұрын

    琉球の匂いがするw

  • @user-wv2gp5eu4k
    @user-wv2gp5eu4k Жыл бұрын

    防具、大事にしなよ。竹刀も跨るなよ。 一番強いとか武術家は言わないから。。w

  • @user-bc4bo7il2h

    @user-bc4bo7il2h

    Жыл бұрын

    スポーツではないから、一番強いなんて武術では言わない。 これは、日本の武術の間では、常識的なものですね。

  • @user-wv2gp5eu4k
    @user-wv2gp5eu4k Жыл бұрын

    無いな限界とか。素振り時間。。へー 記録したから。 時間も素振りしたのね。へー ソースは? へー ワロタ へー 記録したから。。へー。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

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