218<ゆっくり解説>初代ホンダ プレリュード「出た!川越ベンツ」「集中ターゲットメーターは目が回る」「このハンドリングは秀逸だった」「ホンダ大躍進の前奏曲」「大人のインテリジェントクーペ」
Автокөліктер мен көлік құралдары
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是非のぞいてみて下さい。
みんなを夢中にしワクワクさせたあの名車たちをゆっくり解説いたします。
現在の車には無い生き生きした個性を放った当時の名車たち
「懐かしいなぁ」「俺乗ってたぜ!」とノスタルジーに浸っていただけたら嬉しいです。
この動画を見られた後にこの車のCMを見てください。
そして、当時カーステで聞いていた曲を検索すれば青春時代にタイムスリップできます。
よろしくお願いいたします。
FREE BGM "ほんわかぷっぷー" by もっぴーさうんど
dova-s.jp/bgm/play1858.html
Пікірлер: 38
2代目が登場したときにはCMで流れていた「ボレロ」の認知度が一気に上がり、オーディオショップの店頭でCDプレーヤーのデモに使われることもありました。 この頃のホンダのCMは映像と音楽で車の持ち味を伝えることに長けていたように思います。
当時ディラーに勤めてましたが良い車でしたね。懐かしいです。
プレリュードデビューのモーターファン誌のインプレッション、「ナニが悲しゅうてここにシビックのお面持って来ないといかんの?」
ワインレッドの初代プレリュードに乗ってました。 これまで乗った車の中で一番運転しやすかった気がする。
初代プレリュードの CMソングを歌っていたのはメジャーになる前の『ゴダイゴ』。 サンルーフの開閉スイッチは 他社がルーフに付いてたのに対して ホンダは初めからインパネに付いていて そのあたりも独創的でしたね。 映画『の・ようなもの』で 風俗嬢役の秋吉久美子さんが このクルマの白に乗っていたけど 中々サマになってたなぁ。 因みに シャシーはアコードベースではなく 後に出る2代目シビックと同じですよ。 (プレリュードの名は 2代目シビックの『前奏』の意味もあった。ホイールベース2320mmは 2代目シビック 4/5ドアと同じ。アコードベースとなったのは この次のAB/BA1形) せめて『ツインキャブ』仕様でも出していたら また違った評価をされていたかもしれませんね。
プレリュードは初代以降のモデルが、どれも印象深く残ってるけど当代もスタイリッシュ
日本語で前奏曲という意味の名の車種・・この初代は2代目や3代目と比べたら・・存在感が今一薄かった印象・・前期型だけかどうか知らんが1回だけイエローボディーを見掛けた時は目を引きました。
当時は格好悪いと思ったけど、今見ると今時の車よりスタイリッシュに感じる。
初代プレリュード、絶版してからだいぶたってカッコよく感じるようになりましたっけ。
2世代続けてヒットしないと言われていた当時のホンダにしては、初代の反省を生かし2代目、3代目とヒットしたのはお見事でした。 それにしても、何でもかんでも”ベンツ”と言いたがる日本人のコンプレックスは闇深いですね。普通にメルセデスと言うと通じない時代もありました。 そんな私も、初代をリアルに見たのは、1回だけ。希少車ですね。
集中ターゲットメーターがいいですね。
小学生の時に初代見てなんだろう?この変わった形は!と思い、テールを見てプレリュードって書いてあるの見て、リトラの前にもプレリュードあったんだ! って思いました。
シティ登場までホンダのデザインにはフラッシュサーフェースの概念が無く、70年代をまだ引きずった雰囲気ですね。 3代目のデザインがそれは素晴らしかったし、プロトタイプ見たらズッコケました。
初代プレリュード、お笑いウルトラクイズでラッシャー板前を乗っけて屋根が吹っ飛んでたのを覚えてる。
当時のクルマ雑誌が中嶋悟氏を取材していて,中嶋氏が当時このプレリュードを所有していることを知りました。この時はホンダのフラッグシップだったんですね。
ちなみに1982年にフルモデルチェンジした2代目プレリュードはFFでありながらフェラーリやランボルギーニ並みに低いボンネットが特徴で「デ―トカ―」と呼ばれて若者達に大ヒットしたよ😅。
若い時カローラから二代目プレリュードに乗り替えましたフロントのガラス越しの視界の良さに驚いた、とても良く走る車でしたそれ以来ホンダ車ばかり乗り換えです。😅
アコードのクーペバージョンみたいでしたね。
確かに不細工なデザインでしたが乗ってみるとこれが面白くて速くはないけどハンドリングが良く動画でも指摘の通りリヤがストラットのためブレークするとテールが流れるという後に出たP10プリメーラにも似た挙動が出ました。
初代プレリュード、4代目クラウンから乗り替えました。クイックなステアリングが最高だった記憶がありますが・・・ ボディが弱くて、ちょっと放置してるとすぐに錆が出てメンテに泣かされましたねぇ。 電動サンルーフは当時の女子には受けが良かったです。楽しい記憶ですヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
@toriri-service
Ай бұрын
2代目もそうでしたが あの大きさで 1tを切っていましたから 鉄板の薄さがわかります。 (まぁ 走りの点では軽いのは良い事ですが) 確かにドア下端のコーナー部分は 水捌けが悪くて錆びやすかったですね。
シビックの2ドア版。 だと思ってたのはオラだけじゃないと思いたい。
川越ベンツ(正確には隣の狭山市だけど)、改めて見ると結構かっこいいな 「寄居ベンツ」として復刻してくれないかな?
二代目以降は流行りで乗ってる感じだけど、初代は裕福な家が所有してたイメージ。お医者さんとか。 こういうメリケン&ジョンブル感というか海外ぽさがホンダっぽい色よね
この初代プレリュードのデビューと同時にホンダの販売店「ホンダベルノ店」が発足したよ😅。
友人が乗ってましたが、星レンジのホンダマチック、駄目出ししてたなぁ!
初代は、嫌いでした。2代目以降のデザインが、やっと都会的というか、スタイリッシュになりました。1970年代から1980年代前半までは、ホンダのデザインは初代シビックの流れを引きずってましたね。2代目プレリュードで生き返って、ワンダーシビックでやっと他のメーカーに並んだ感じでした。
日本がいい時代の車たちだなあ
久しぶりのホンダのスペシャルティクーペ 初代発売当時の自分は幼児 サンルーフで衝撃的
フィアット500に乗った時に既視感を感じたのは、この車の集中ターゲットメーターを思い出してたのかな?
この頃のホンダ車のエクステリア、国産とはちょっと違うアカ抜け感がありました。
え、これそんな小さかったの?FITと大差ない、それでこの美しさはたいしたもんだ
車に余り興味がない人が当時見て 「あら、シビックに他の会社みたいにトランクが有るのが出てるんだ」 でお終いの存在
それなりに注目はしていたけど、 ディーラーは4ドアセダンを求めていそう。
当時の自動車専門誌も絶賛していた車だけど、デザインはカッコいいとは思えなかった。
@user-us1jp7rv2q
Ай бұрын
確かに!!
クソデカシビック感がもっと薄かったら日本でもウケたかも?
川越ベンツのあだ名はプレリュードのことではなく、初代アコードのことですよ。 しかもちょい蔑称気味にねw