『長髄彦』宮司が語る衝撃の事実
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/ @kamitabi
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添御縣坐神社の宮司になる前に就任されていた往馬大社の動画です。
ニギハヤヒの王国『トミ』の鎮守の森に鎮座する『謎の山神』
往馬大社は、『瀬織津姫が守り続ける森の社』だった…
▫️目次
00:00 OPENING
00:25 長老から聞かされた『衝撃の事実』
03:01 長髄彦の最期
04:51 口伝だからこそ、価値がある情報
05:20 長髄彦は、『逆賊』だったのか?
06:37 主祭神『長髄彦』を『武乳速之命』にした理由
07:26 『武乳速之命』は、春日の神。中臣・藤原氏との関係があるのでしょうか?
09:02 登美の里の人々が語り継ぐエピソード
11:53 右殿左殿は、スサノオご夫婦ではなく、ニギハヤヒご夫婦ではないでしょうか?
13:14 長髄彦の人物像
14:04 長髄彦の血は、途絶えてはいない
14:39 長髄彦を祀る神社 宮司様の決意
14:53 八咫烏の正体
18:39 長髄彦とイワレビコ
▫️添御縣坐神社
公式KZread) / @user-pr1wu2gn4f
公式サイト)soumi.sub.jp
⚪︎御祭神
たけはやすさのをのみこと
建速須佐之男命
たけちはやのみこと
武乳速之命
くしいなだひめのみこと
櫛稲田姫之命
建速須佐之男命・櫛稲田姫之ご夫婦
農耕神として崇拝されていた。
江戸期は、神仏習合され『牛頭天王社』と称されていた。
建速須佐之男命→牛頭天王(ごずてんのう)
櫛稲田姫之命→頗梨采女(はりさいじょ)
⚪︎神旅の考察
たけはやすさのをのみこと
建速須佐之男命 → 饒速日命
たけちはやのみこと
武乳速之命 → 長髄彦
くしいなだひめのみこと
櫛稲田姫之命 → 登美夜毘売(三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)
▫️単語・意味
⚪︎宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)
父:邇芸速日命、母:登美夜毘売(長髄彦の妹)
物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる
⚪︎社家(しゃけ)
代々神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のこと
⚪︎天孫族(てんそんぞく)
高天原より降臨した
天照大神などの子孫を神別の『天孫』としている。
⚪︎逆賊(ぎゃくぞく)
君主や国家にそむき、これを裏切る悪人、謀反人をいう。
⚪︎たけちはやのみこと
武乳速之命
亦名は、天児屋根命(アメノコヤネのみこと)
⚪︎春日神(かすがのかみ)
春日明神または春日権現とも称される四柱の神。
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神
⚪︎春日大社と興福寺
神仏習合の関係
興福寺は藤原氏の氏寺であり、
春日大社は藤原氏の氏神を祀る神社です。
⚪︎熊野三党(くまのさんとう)(宇井、鈴木、榎本)
八咫烏の三本足は、熊野三党(宇井、鈴木、榎本)を表す。
鈴木家累代の家紋は、八咫烏。
⚪︎藤白神社(ふじしろじんじゃ)
和歌山県海南市藤白
藤白神社の敷地内には、平安時代に熊野から藤代の地に移り住み、
約122代続いたと言われる鈴木氏の屋敷跡があります。
ここを拠点に全国3,300あると言われる熊野神社を建立し、
『熊野信仰』を広めました。
藤白神社の御祭神は、饒速日命
▫️メッセージ
宮司様は、氏子様の意思を尊重し
添御縣坐神社の宮司を引き受ける
決意を新たにされました。
私は、一人でも多くの方に
宮司様のメッセージが届く事を
心から願っております。
神旅
▫️まとめ
この地の伝承では
長髄彦との最終決戦は残念ながらあったとの事
但し、
『これ以上戦えば滅んでしまう。』
と判断した長髄彦は、自身の命と引換に民を残した。
長髄彦の御霊はこの山に祀られた。
そして
登美の一族の血は受け継がれ
その末裔様方が、
この社を代々守り続けておられる。
この山は、円墳の形状をしている事から
古墳ではないかと調査されましたが
その可能性は否定されました。
つまり、ここは長髄彦のお墓ではありません。
祀られているのは長髄彦の御霊ということ
信長と同じ謎が残されているという事かも知れません。
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配信ありがとうございました。顔出しインタビューとは、また勇気ある宮司さま本当に感謝します。長年自分なりの歴史を胸に秘めておりましたが、やはりねと涙がにじみました。絶えぬよう守り抜くご苦労はいかばかりかと。ますますのご存続をお祈りします。
心よりお礼申し上げます。 富雄の原住民です。 小学生の頃、富雄の名前の由来を調べた事がありました。 全て結びつきました。 心より御礼申し上げます。
長髄彦は素晴らしい方だったのですね。感動いたしました。最近、TOLAND VLOGさんの動画など観て、日本の本当の歴史に興味を持っているのですが、これは本当に貴重な証言、動画だと思います!体当たりの取材、ありがとうございます🙏
宮司様ならびにうぷ主様、貴重なお話ありがとうございました
ご開示ありがとうございます。 おやかたさまのお話感動しました。。。
この様な神社が他にもあるのかもしれない
真実だと思います。
貴重なお話、ありがとうございました。 文字だけの存在だった長髄彦が、つい数年前まで生きていたような温もりを感じるお話でした。 長髄彦の想いと当時の登美の民と妹姫の想いを考えると、そしてそれが2400年もの間封印されてきたかと思うと涙が止まりません。 長髄彦は確かに生きていて、間違いなく日本の歴史を紡いでいたんだなと感動いたしました。
時きたり 潔く賢者であった方ですね 魂が生き続ける限り この地を守っておられる 勝ち負けではないですが ある意味 勝たれていると 人の心にしっかりと その御心が宿っていると 素晴らしいです 宮司様 神旅さん ありがとうございます😊
長髄彦、崇高な精神の持ち主だったんですね。心から崇敬申し上げます。絶対に会いたいです。 時間を作って、必ず参拝させていただきます。 素晴らしい動画ありがとうございました。
貴重なお話をありがとうございます。ソフトな表現をなさっていますが、それでもドーンと心に届く生々しいお話です。本当のことが明らかになっていく時代になったと実感します。抑え込まれてきた本当のことを、もうウソでごまかすことができない時代になりました。戦いではなく平和を選択するという精神、それこそがわれわれに受け継がれた宝であり、受け継いでいくべき精神だと感じます。
ありがとうございます。 本当に素晴らしいお話です。
ありがとうございます😊幸せです❤ 感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉😂😊
誠に腑に落ちるお話。この御開示に関わられたすべての皆様に感謝いたします。
感動しました。このような貴重な動画を配信していただきありがとうございます。
大変貴重なインタビュー、よくぞ公開してくださいました👏🏻💖ありがたいです🙏 出来ますならば、書籍化していただきたいです🌟
宮司様の語り口調に何故か泣きそうになりました。神話の中の神々は、伝承の登場人物ではなく、確かに生身の体を持ち、切磋琢磨し、尽力を尽くした日本人の大先輩方だったと痛感致しました。 貴重な貴重なお話しと動画をありがとうございます。胸がいっぱいです。
ありがとうございます。 鳥肌物です。奇跡です。 長い時間繋げてくれた方々、調べてくれた方々、宮司様、こうして明かされる時代 現在3万8千方が視聴されてますが、全て肯定的でなくとも、多くの人の心を震わせたのは間違いありません。 不思議な縁で結ばれているように感じます。 本当にありがとうございました。
とても勉強になりました🙏✨ありがとうございます! 奈良の封印の解放のひとつですよねきっと🥹✨たくさんの知識人の方々にも伝わってほしいです…! 長髄彦様の御霊にみなさんの感謝の祈りが届きますように🙏
@kamitabi
4 ай бұрын
HISA様 ありがとうございます! 活動費に使わせていただきます。
続編、公開有難うございます🙏 😢が止まりません。このような御方が逆賊な訳がありません😂 近々、参拝に行かせて頂きます。
迫りましたねえ。宮司様もこの時代だからこそお話くださったのですね。歴史書は勝者によって勝者側の話になります。やっぱり大切な事は口伝なのですね。貴重なお話ありがとうございます。記紀の編纂をした藤原不比等、あったま良いなぁぁぁ!!と思う日々です。
ありがとうございました🙇♀️🙏
貴重なお話しありがとうございます ナガスネヒコ様は人柱になって民をお守りになられたのですね感動しました 強いものが正義では無いのですね今の世の中も強いものが正義って何か悲しいですね
胸が熱くなりました😢
宮司様からの貴重な聞き取りを公開していただきありがとうございます。緊張と感動を持って最後まで拝聴致しました。これは、多くの人に見ていただきたいです。 富雄丸山古墳の発掘が今も続いていますが、この内容をふまえると発掘結果もますます楽しみになってきました。
特に明治維新後は、こういった改称や改ざんが各所でありました。 国つ神の神社が天つ神になってしまったり。。。
その土地に数千年間密かに口伝で伝わるという事の方が古事記、日本書紀に記されている事より遥かに想いが強いと感じるのはわたしだけでしょうか。おやかた様と慕い崇め続ける民の心意気に涙が止まりません。この神社近くの富雄丸山古墳から出土した蛇行剣を軽々と持つおやかた様を想像しています。
長い長い時を経てようやく世に明らかになるときが来たのですね。 嬉しく思います。込み上げるものがあります🙏🙏🙏🙏
すばらしい、インタビュー、ありがとうございました。 この動画を見せていただいて、私は、ナガスネヒコさんには歓喜天さんが習合しているのではないか、と思いました。 この歓喜天さんという神さまは、近くの生駒山にある宝山寺というお寺に祀られており、人々に深く信仰されています。 歓喜天さんは、二匹の象が抱き合ったお姿をしておられる神さまですが、こんな言い伝えがあります。 怒りと悲しみのために、人々を惑わす悪神となられた雄の象の神様を、雌の象の姿になられた観音さまが抱きしめられた。 しだいに、荒ぶる雄の象の神さまのお心も、溶けて穏やかになり、人々を守る神さまになっていかれた、と。 怒りと悲しみを乗り越えたところにある平和という感じで、ナガスネヒコさんのお話と被る感じがしたのですが、どうでしょうか。
@user-lu3jr4wr1c
4 ай бұрын
面白いですね。何か秘められているように私は感じました。なぜなら、出雲族は像が居るインドの方から来たという説、さらに徐福に大国主などが暗殺されたという説もあるからです。出雲には悲しい悔しい歴史があるのではと私は思っております。貴重なお話ありがとうございます。
ありがとうございました。 大切に語り継がれてきたこと自体が貴重な遺産だと思います。
貴重なお話を聞かせていただきまして、有難うございました。いつか、現地へ赴いて長髄彦様にお目見えしたく思いました。
勇気ある行動に感謝
貴重な映像配信に感謝いたします。八木宮司のお人柄がよく伝わる動画でした。以前伺った際に現行のパンフレットでは「長髄彦」の表記が無くなってしまい、長髄彦が祀られていたことがどんどん失われていくと感じ、非常に悲しくて残念な思いをいたしました。パンフレットには載っていませんが、こういった動画が伝承となり、未来へ引き継いでくれればいいなぁと思いました。「おやかたさま」を崇敬する方々によって記紀とともにこの口伝が拡がっていく事を心より願っております。配信ありがとうございました。
なんだろう…この動画で宮司さんのお話を聞いていたら清々しいと言うか晴れた氣持ちになりました😊 ありがとうございました。
素晴らしい動画でした。 ありがとうございます。 私も同じように添御縣坐神社の八木宮司にお話を伺って、KZreadにアップしたのですが、うまく再生回数が伸びず、せっかくお話していただいたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 日本に住むみなさんに伝わりますように。
@user-jq1ti3ll8q
3 ай бұрын
インタビュー動画拝見しましたよ。広島の蛇腹地区のお話とかもあって良い動画だったと思います。これからも頑張ってくださいね。
@michiyos6936
3 ай бұрын
@@user-jq1ti3ll8q 視聴ありがとうございます。感激です!
尊いお話をありがとうございます。 聞いていたら何故だが涙が溢れました。宮司さまの優しいお声にも心が震え、私達日本人の魂が反応したのかと感じています。
ありがとうございます。 いろいろと明らかになる時ですね。
宮司様に久しぶりにお会いできたようで嬉しいです😂 奈良に住んでいるとき、 氏神様でかなり通わせて頂きました! 饒速日のお墓と神社の位置がレイラインになっているのを、 見つけられたお話しをイキイキされて教えて頂いて、 すぐにお墓に迷いながら行ったのが懐かしいです😊 色々なお話しを楽しくしてくださって、 やっとお話も理解できるとこまで、深められました。 感謝です🇯🇵✨ 動画アップして頂け、 巡り会えたことにも感謝です!
こんなお話を聴くことができるなんて。 感謝です。 添御県坐神社さんから富雄川沿いに北へ10分ほどの所に神武天皇顕彰碑があり、 そこから西へ5分ほどの所に饒速日命墓と記された石の墓標があります。 墓標だけは一度訪れたことがありますが、 それも何十年住んで幾度となく通り過ぎていても全く知らず 今回のお話も知らないことだらけでした。 添御県坐神社さんにて手を合わせたいと思います。
長髄彦は手足が長いからその末裔は全国にいた土蜘蛛族でもあったのかな?長髄彦含む紀州の名草戸部、鬼や妖怪とされてしまった全国各地の女性長の戸部達も浮かばれますように🙏
すごいですね。素晴らしい!!! 久しぶりにKZreadで感動しました。まさに生ける伝説。こうやって門外不出で仲間内の間だけで語り継がれてきたことにこそ真実が在るんでしょうね。「証拠の品」も「書いた物」も無くていいと思う。「証拠の品」や「書いた物」の方が怪しいことも多いんだから。 あの宮司さんもここのup主さんも、きっとこういう巡り合わせ=運命にあったんでしょうね。このお話、日本中にもっともっと広がるといいですね。
やっぱり、、地元の方々からすれば英雄なんだよね。 勝者が歴史を創る…教科書が正しい訳じゃない。 うちの辺りじゃ時代は全く違いますが平将門。逆賊なんかじゃない。英雄ですよ。
ありがとうございます。感謝申し上げます。素晴らしい神社ですね。❤参拝したいです。❤❤❤
大変素晴らしく貴重なお話をありがとうございました。 それと同時に… 今後、こんな感じの情報開示が増えていく流れを迎えると思われますが、 たしかに長髄彦は、今までの古史古伝や神話界隈では隠されたり迫害されたりしてきた、いわゆる出雲系、地祇系の存在の代表だったと思いますが、今度は「長髄彦こそが正当だ!磐余彦が逆賊だ!」とやってしまうと、それこそ結局は白と黒が反転しただけで、対立構造は変わらなくないでしょうか。 ↑ これは、私の思う「和を以て貴しと為す」の精神からはかけ離れたものになります。 ※あくまでも”私は”で、ありますが💦 発信する側も、受け取る側も、 より”視点”を問われる時代になったんだなぁと。 身が引き締まる思いです。 私は、長髄彦も磐余彦も好き。 そう言い切れる自分が好き。 そして、日本が大好きだし、日本人としてこの世に生を受けた自分を心から誇りに思っています😊
今の平和を次の世代へ…繋いでゆくのがご先祖の神様への孝行ですね✨素敵なお話ありがとうございました。
郷土に伝わる口伝の美しさに心洗われたように思います。このような機会に出会えたことに感謝します。
素晴らしい動画、チャンネルに出会えました。 配信ありがとうございます。
配信ありがとうございます。氏子さん、宮司さん、大切な伝承を語っていただきありがとうございます。 ナガスネヒコは先住民だったんですよね。イワレヒコさんは東征に来た一豪族だったんですね。→後に大王になるわけで。
なるほど勉強になりました。 歴史詳しくないんですが、これはもしかしてもう一つの国譲り⁈…いやむしろこっちがほんとの国譲り?とか妄想止まりませんでした😂 櫛名田比売の父母は足名椎命・手名椎命…土蜘蛛伝説が残るこの辺りの長髄一族だったとしたら櫛名田比売は三炊屋媛?そしたら饒速日は須佐之男?とかニヤニヤしながら楽しく見させていただきました。 いろんな方のいろんな見方があるのはほんといいですよね。 これからも楽しみにしてまーす。 これからも
配信有難うございます。長髄彦のお話、鳥肌がたつ思いでした。神主さん、長老さん、長年、伝え守り続けてきた土地の方々に感謝致します。
饒速日命の息子神に天香山命という御方が居られ、天香久山とは饒速日命の一族と縁の深い地域だったと思いますが、天香久山の現在の御祭神は天児屋根命です。今回のお話と何かしら繋がりを感じます。貴重なお話をありがとうございました。
神旅さん、添御縣坐神社の宮司さん、ありがとうございます❤服従していないのだから逆賊にはあたらない、なるほどそうですよね。長髄彦は亡くなったということにして津軽へ北落したのでしょうか。
真実を有難うございます、歴史は勝者の歴史であり負けた者たちの生き様を知ることは難しいので有難い
大変貴重な動画ありがとうございます。✨
カタカムナを通して原住民の歴史と言われを伝えております。溜飲が下がりました。貴重なお話をありがとうございました。
ありがとうございます。
宮司さま ありがとうございます✨ 神旅さま ありがとうございます✨
心待ちにしておりました😊 神旅様、そして勇気を出してお話しして下さった宮司様に感謝、感謝であります😊 胸の痞えがスッと取れたような、清々しい気分です😊 前回の動画と合わせて、何度か観てみようと思います😊 やはり長髄彦は英雄でありました😊 願わくば自害を踏みとどまり、東北の地へと赴いて、そこで善政を敷き、その地の住民にも慕われた、、、 我の中ではそう締め括っておくことでしょう、、、😊(笑) また熊野はそれこそ奥が深いので、自分なりに考察しておりますが、神旅様の考察も楽しみにしております😊 ニギハヤヒの考察も、尾張の地から続けております。こちらでは天火明となりますが、物部氏の影響が色濃く残る土地柄ですので、ウマシマジ、天香山、高倉下等の由緣のものも沢山ございます。機会があれば、尾張にもご足労下さいませ❗😊 そういえば、あの信長も『お館さま』と呼ばれていたかと思います😊 素敵な動画をありがとうございました🙇 世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように😊
宮司様…ありがとうございます⤴️ 感動しました✨
偶然見つけた地元の神社のお話だと思い、見始めたのですが、私のお爺ちゃんが彦太郎で、以下私の父、息子達は皆んな彦の付く名前でした。ちょっと嬉しいショックを受けました☺️(身バレしちゃうかな😅)おやかた様に因んだとても良い名前なんだと嬉しく思いました。私は結婚して、更に登美神社に近くの住まいになりましたので、天気が良ければ明日にでもお参りに行きたいなと思います。
そうなると、長髄彦→アテルイ、モレやアラハバキなどに繋がっていくのかなと。いずれにせよ天孫族が隠した歴史(神社)が沢山あるのかもしれませんね。ありがとうございました🙏🏻
クシナダヒメを調べていて 長髄彦の妹までたどり着き、 その後どうなったのかが分かりました。 長髄彦は自害(殺された)にして、 東北に落ち延びたと信じたいです。 三重に麒麟が移動した頃にでも ご挨拶に伺います。 八咫烏の「宇井」の苗字は下総国(千葉県の旭、匝瑳、香取など)に多いです。 「榎本」の苗字は武蔵国(東京、神奈川、 埼玉)に多です。
大変貴重なお話ありがとうございます。やはり口伝や伝承は、大切に次世代に繋いでいかなくてはならないものだと思いました。
ただただ願うだけ無く、小さな力でも私自身、皆様、一人ひとりが、立ち上がり、日本や世の中、世界を、より良くしていかなくてはいけない 現在の子ども達、未来の子ども達のために。
凄い情報ありがとうございます。
🎌🙏おおきに
藤原氏の祖先とされる天児屋根命 「中臣氏が古来よりの豪族」という前提にずっと疑問を抱いておりました。 するとこの神様は創作の神様か、別の豪族の祖先神の名前を奪ったのだろうと思っていました。 このお話を伺って大変腑に落ちました。 その学者さんは本当の事を知っていたのではないでしょうか。 本来ナガスネヒコ様の名前であったなら、奪うのにこれ程都合の良い名前はありません。 フツヌシは物部、つまりニギハヤヒ 比売神はナガスネヒコの妹 タケミカヅチはウマシマジ そして天児屋根命=ナガスネヒコ こう考えれば全く違和感なく理解できます。
ありがとうございます!
@kamitabi
3 ай бұрын
ソラノ様、ありがとうございます。 今後の活動費に使わせていただきます。
有り難う御座います、素晴らしい神社お話し感謝致します。
仰っていただいたことを昨年知りました。参拝して真に触れたいです。
古事記は、勝者側が書いたものです。神武天皇は、英雄のごとき記されていますが、武力で国譲りを迫って初代天皇になりましたが これから真実が表に出てくることでしょう。配信有り難うございます。😳
ワシはニギハヤヒの民なのでこれは嬉しい動画です❤
自分は京都で母方や妻は奈良、生駒なんですがこの畿内周辺で古い時代から続く集落にある神社の中でスサノオや物部を祭る神社が結構あるんですが、その中にはこの 添御縣坐神社と同じ様に祭神を変えた神社があるように感じていました。
始めましてkenと言います。古代出雲族こそが縄文から続く日の本。親方様ことナガスネヒコ様こそが日の本の王。逆賊で有るはずがないです。賊は徐福。
🙏🙏🙏
やっとほんとの事が言える時代になりました。ありがとうございます。長髄彦は、東北に逃げた?と言われてることも有るそうですが?
ありがとうございます🙇♀️🙇♀️
子供の頃、境内で野球をしたりお祭りの時はお賽銭箱の裏に隠れてかくれんぼをしたり。 今思えば、おやかた様に大変失礼な事をしていたのを反省します。
@kamitabi
3 ай бұрын
我が子の様に微笑ましくご覧になられていた様に思えます...
素直に感動しました 人世を思い自分を犠牲に された長髄彦様に🙏
饒速日様の妻は長髄彦様の妹 戦いは磐余彦はまだ即位してない時の話 古事記日本書記は中臣氏の中の鎌足の子孫が藤原の姓を名乗り 以外の中臣氏は大中臣と名乗り別の家系になり 藤原不比等からが問題で故意に編纂され律令制国家設立の中で 歴史的に歪められ都合の良い事に書換えられていると 思います 饒速日様と長髄彦様の関係も裏切る様な方とは 信じられません 歴史はその時代の権力者の都合の良い事に書換えられて来てますから 二次大戦後と前の日本の歴史と思想も同じで米国の教育と思想になり 戦争前のことは学ぶ事が極めて少なく判らなくなっているのと同じではないかと思います 本当の歴史的真実が解明され早く濡れ衣が晴れる事をお祈りします
国の舵取りにまつわるお話にはこうしたエピソードがつきませんね。σ(´・ε・`*) それでも真心込めてお祀りする。決して完全になかったことにしない。そうした積み重ねが我国の民度をかつて古今無双の位まで押し上げたんじゃないかなと思いました。d(>ω<。) 神語りに感謝します(*>∇<)ノ いにしえの 威風宿せし 社みし お館偲ぶ 民の畏み
声が聞きづらいので マイク🎙️があれば更に良かったと思います✨
こちらの動画の前編後編 大変興味深く面白かったです。 長髄彦の神社があるなんて… 日本の歴史は本当に不思議ですね。 日本の古史古伝を KZreadで見る様になってから はじめて長髄彦のことも知りましたが この辺の伝承って明らかに辻褄が合わないですよね。 多分後から辻褄を合わせてるから チグハグなんでしょうね。 こういった伝承がまだ生きてること自体が その裏付けの様に思えます。
山陰神道の表さんの本を読んだり動画を見てると長髄彦は十和田湖でアラハバキを立ち上げて東北全体に広め日高見国をつくったけれど第2の出雲日高見国も侵略されたそうですよ
この神社から2キロほどのところに住んでいます。 近くに神主さんがおられない神社があり、そこのお神輿が家のそばを通るので、その神社か、その神社の親となる神社が氏神様と思っていたのですが、奈良の神社庁に確認したところ添御県坐神社が氏神様でよいとのことでした。 近々、お参りさせていただこうと思います。
本来の日本の姿を取り戻したいものですね
良い話 BGMでかい
神人さんの御霊との対話の中で、敦賀(だったと思う)から舟に乗って民を逃し自分はその地で亡くなった、と仰っていたのが自決だったとは!祀っているのは霊なのですね、敦賀のどこかに葬られた場所がある、私の古代史の中で長髄彦を探す旅は続きそうです。
初めてコメントします。 この話、神人さんの〝またまたの対話〟の本の中に長髄彦の御霊との対話が書かれており その内容とほぼ同じ内容でした。
トホカミエミタメ・弥栄・かんながらたまちはえませ🙏 🔥🐉
3:58
明治からの神武天皇万歳から、ようやく、長脛彦万歳に変わりそうですね!
リアル鬼滅の刃ですね おやかたさん=おやかたさま この地の方々はまさに柱といっていいかと思います 世間という鬼の攻撃に耐えながら、大切なものを守り続けたのですから
❤
安部さんのご先祖様ですね。今でも怨念残ってますね。
慕われていたのですね 物部氏に繋がるナガツネヒコ様だった訳ですね。天皇の国だから政府は消したが、自決した魂をお慰めになる為に考えた神社は立派ですね
@asa01053
7 күн бұрын
すね
ナガスネヒコの国も元は徐福の一団が渡ってきて作った国の仲間の一つであったのでしょう。
勝てば官軍は、戦いの常ですが、敗者の地元の貢献した豪族は祭られている事は、地元の人々は立派ですが、明治からの戦争で・日本は天孫降臨した天皇の国となっているのだから、この豪族を消されたのですね。興味深い歴史です ありがとうございます。
もう少しBGMの音量を小さくするか、もしくはBGM無しで良いですよ。 せっかくのインタビューが聞きづらくなってます。
@asa01053
7 күн бұрын
BGMがヒーリングです
自決はないと思います。恐らく、殺したということになると仏教の教えに反するのでそれを避けるために、後にそういうことにしたのだと思いますね。 長髄彦はこの神社の境内に埋葬されているということですかね。でも墳墓ではないということですから、やはり近くにある富雄丸山古墳との関係が気になりますね。ただ伝承と築造年代が合わないのが謎です。