赤穂のダビデ神社!?/大避(おおさけ)神社

『日本とユダヤの古代史&世界史』2023年6月発売
(田中英道先生と対談)
amzn.to/3W4lwFi
『オトナのこだわり歴史旅・伊豆半島篇』 2023年4月発売
amzn.to/41bsUki
『感染症の人類史』2023年2月発売
amzn.to/414Hla6

Пікірлер: 302

  • @user-zb1ci6fw3w
    @user-zb1ci6fw3w Жыл бұрын

    ユダヤ人は日本国が理想郷だった!と本で読みました。他民族を迫害する事なく受け入れて調和していく、、、この映像を拝見して、はるか昔の先人に思いを馳せました。 それにしても、清潔で綺麗な街並みや連綿と受け継ぐ祭事、地元の人々に頭が下がります。日本文化此処にあり❗️と思いました。 茂木先生配信ありがとうございます。政治情勢に悲観的になっていましたが、まだまだ棄てたものでは無いと思わせて頂きました。感謝。

  • @Masaaki-Ito
    @Masaaki-Ito Жыл бұрын

    茂木先生の動画は余計なBGMとか入っていないのでいい。私ももっとあちこちの神社に行ってみたいのですがお金と体力がないので行けないんですよね〜。先生がこうやって動画にしてくれるのでホントありがたいです。

  • @user-se5qc7sp6c
    @user-se5qc7sp6c Жыл бұрын

    先生は触れられておりませんが、大避神社には、あのキリシタン大名、ガラシャで知られる肥後の細川家が参勤交代のおり、代々、参詣しています。浅野家とも親交が深く、討ち入り後、細川家にお預けになった赤穂浪士を、細川だけが手厚く饗した理由は、秦氏族と宗教的同胞理由があるとも云われています。地元では、生島の木を切り出して赤穂城の造営に使った為に、祟りとして赤穂事件が起こったとも云われています。

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    なるほど!

  • @ss-sq2rn

    @ss-sq2rn

    11 ай бұрын

    秦氏と赤穂藩も、関係あるんですね。果たしの、子孫も。塩田も、果たしが、関わってるのか。秦の始皇帝の、しそんでもある。これは、すごいですね、ダビデ神社とすると、キリスト教、景況、ユダヤ教ですか。聖書は、伝わっているのですか。カトリック、また、ユダヤ教に、ちかいとおもいますが、けいきょうの、きょうてんは、のこっていますか、

  • @ss-sq2rn

    @ss-sq2rn

    11 ай бұрын

    ダビデさんは、ユダヤ人の、大様です。紀元前の、英雄ですが、人間です。旧約聖書に、よくかかれて、さつじんも、おかし、くいあらためて、かみに、ゆるされたかたです。はたさんは、ゆだやじんさんなのは、まちがいないですね、

  • @ss-sq2rn

    @ss-sq2rn

    11 ай бұрын

    京都は、はたしが、作ったのですね。蘇我氏も、はたしと、かんけいありますか?

  • @ss-sq2rn

    @ss-sq2rn

    11 ай бұрын

    イエス・キリストさまは、どこに、かくされていますか?

  • @user-jc2ul2ox3i
    @user-jc2ul2ox3i Жыл бұрын

    もぎせかチャンネル いつも楽しく拝聴してます。 今まで「日本人て何者」と疑問符ばかりでしたがだんだんと絡んだ糸がほどけるようにそうなんだ~と思えるようになりました。 つくづく日本に生まれこと本当に、ありがたいと感謝せずにはいられません。 いつも、思慮深きメッセージ ありがとうございます。

  • @BANIRASUKAI
    @BANIRASUKAI Жыл бұрын

    My Jewish Japan KZread チャンネルを視聴しました 建国イスラエル人のラビの方々が 日本に何度も来日して 調べていたようです 日本の歴史はとても不思議です

  • @user-jy7un4xo6y
    @user-jy7un4xo6y Жыл бұрын

    茂木先生が大避神社の紹介をされているのをワクワクしながら観ました。 3年前に大避神社の境内にある井戸に行きなさい。とインドのサイババさんの一番弟子だったシータ、マタ、栄さんに教えて頂いてから何度か訪れています。  その井戸はやすらいの井戸(イスラエル)と呼ばれているそうです。中の石柱は12本です! 春には桜🌸がとても綺麗で、生島の前の海は穏やかで気持ちいいです。 素敵な町並みを少し歩くと、美味しいランチのカフェや酒屋さんもありますよ。

  • @user-mr1dm9rn1k
    @user-mr1dm9rn1k Жыл бұрын

    赤穂から相生にかけての海岸線は三重の海岸に似ていますね。 湖面のような静かな海を見たら、ついグーグルマップを見てしまいました。ひょっとして生島に祭祀場があるのか?と思いましたが、そこは秦河勝の墓所があるのだとかで大正時代から国の天然記念物だとかでした。いつも凄い所を見つけてこられる先生に感謝です。

  • @user-cc1lb3bb4k
    @user-cc1lb3bb4k Жыл бұрын

    いい神社ですね。作りが完璧。街の風水と神社の関係性がすばらしい。そういえば忍者も秦氏ですね。世阿弥は伊賀の出身です。芭蕉も伊賀。秦氏とゆかりがあります。全国を旅した世阿弥や芭蕉と、秦氏、そして忍者。さらには今回の旅で、茂木さんが指摘しているダビデ王との関係性。さらに大月氏国とバクトリア。秦河勝も、おぼろげながら、その姿が見えてきました。土地に縛られない自由な気質とともに、愛する土地に貢献する情熱と直感、そして技術。興味深い人ですね。ヴィトゲンシュタインがユダヤ人の欠点について述べています。いい意味でも、悪い意味でも、土着性がない。土着性がないから、国際的な視野が広く、カバンひとつでどこにでも旅することができる。冒険心が旺盛で、だれもやったことのないことに、勇敢にチャレンジすることができる。そういう気質の人たちが、自らの欠点である土着性のなさを克服し、その土地の貢献しようとすると、秦河勝のようなすばらしい事業を成し遂げられる、ということでしょうか。ひとは、リベラルと保守の両方を持っていないと、よい仕事ができない気がします。

  • @user-nf7zs1dx9t
    @user-nf7zs1dx9t Жыл бұрын

    秦河勝さん本当に誰を恨むでもなくこの地で最後を迎えたのですね。こんなに美しい街並みを作り最後まで自分の力を最大限活かして。昔読んだ梅原猛さんの怨霊を鎮めるようなイメージでしたが全然違う。色々な事、想いがあって最後この地で全てをゆるし同化しているように感じます。故郷を忘れた訳では無いけど精神は日本人として亡くなった。凄い。

  • @user-uz9qp3cx4y

    @user-uz9qp3cx4y

    Жыл бұрын

    梅原猛 ”隠された十字架” 梅原さんわかってて十字架を隠されたのかと・・

  • @user-nf7zs1dx9t

    @user-nf7zs1dx9t

    Жыл бұрын

    @@user-uz9qp3cx4y 様 そうかも知れませぬ。そうかぁ~私はまだあの本を読んだのは中学校か高校生の頃だったので考えが及ばなかった。ありがとうございます✨

  • @AIAIMI38

    @AIAIMI38

    Жыл бұрын

    機物(秦物)って、磔=十字架だと辞書にありますね。

  • @user-nf7zs1dx9t

    @user-nf7zs1dx9t

    Жыл бұрын

    @@AIAIMI38 さま えーっっっっちょっと調べて見ます。何なのかしら✨楽しくなってきました😻

  • @noel8446

    @noel8446

    Жыл бұрын

    弓月の民はひょっとすると 月読の民だったかもなんて思っています笑 ツクヨミを月弓と表記してる神社がありますよね。

  • @user-cw9in3to9m
    @user-cw9in3to9m Жыл бұрын

    これは、もう十年以上も前の話しですが、ディスカバリーCHの番組で、キリスト教の研究を扱った番組がありました。その中で『旧約聖書』は、その後の『新約聖書』も含めて『一神教ではなく多神教であった。』とする研究があるとされていました。これは、いわゆる『死海文書』の解読によってもたらされた知見だとか。 なぜ『多神教から一神教』になったかは、392年にローマ帝国のテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教とし、それ以外の宗教、宗派を禁止したためだそうです。 つまり、日本の神道が多神教であるのと同様、旧約聖書(新薬聖書も含まれる?)もまた『多神教である』と言う事は、何ら矛盾する話しではないといえるのではないかと思います。 現代世界において、一神教が多神教を弾圧するが如くの情勢がありますが、それは『多神教では都合が悪い』と考えるローマ帝国に端を発する『邪悪な者ども』の意図が、今現在も脈々と息づいているからではないでしょうか。 真の保守とは、いわゆる『権威や既得権益』を護る事ではなく、『多神教』ような神聖なる精神文化を現代によみがえらせることではないでしょうか。そのためには、『正しい歴史を学ぶ』ことが必要であるとともに、その『正しい歴史』を史跡や史実をもとに検証する事が極めて重要だと思います。 茂木氏の歴史に対する真摯な姿勢と、それを何ものも恐れることなく発表する勇気ある姿勢に敬意を表します。今後とも『日本の真の保守』の思想的確立のためご活躍されんことを心より祈念いたします。

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    その通りです。

  • @user-tq5lq1we7t
    @user-tq5lq1we7t Жыл бұрын

    知りませんでした、とても日本らしい場所ですね,海も山も自然豊かでイノシシや鹿も出てくる、秦氏が日本でやられたことの上に今,我々は生きているので感謝しかありません。ずっと守っていきたいですね,先生ありがとうございました😊

  • @hirokoandrew4745
    @hirokoandrew4745 Жыл бұрын

    茂木先生と一緒に旅をして、祖先の魂に触れさせてもらっている様に感じます。旅をして歴史をたどりたいと思った40代には海外に出てしまい、今は後期高齢者の仲間入りで果たせないのが悔しいですが、先生のすばらしい解説や思いを聞けて学べて満足です。

  • @ray-sun3
    @ray-sun3 Жыл бұрын

    頭の隅に秦河勝さんのことがあったんだと気付かされました。どうされたのかなと心配していたんですよね。 ある方にダビデの墓(神社?)があると一言聞いただけでそれがどこかもわからずにいたこともあったり、大避神社のことは昔本を読んで知ってはいたけど、秦氏の神社であることも知りませんでした。w なんというめぐり合わせの動画。 自分が行けなかった分先生のレンズ越しに体験できて嬉しかったです。 秦氏についていろいろ言われていたのではっきりした痕跡を知りませんでした。 あっさりとわかり、なんと長い年月迷子になっていたのかと。今知ることができてよかったです。

  • @kakochan8622
    @kakochan8622 Жыл бұрын

    大避神社はダビデ神社なのかもしれないですね。 ユダヤ人もそれ以外の渡来の方々も、きっと日本の豊かな自然に触れ、日本の人々の大らかさに触れるうちに、自然と溶けこんでいったのではないかと思います。縄文から続く日本の文化は、それくらい豊かで懐の深いものであったのでしょう。なので、日本の神社の神様がユダヤ由来だろうがインド由来だろうが、それもよしと思える今日この頃です。 茂木先生の旅にお供させていただくうちに、自分も寛容な人間になれそうな気がします。それが本来の日本人なのかしら。 大避神社は、美しいですね✨これは行くしかない!! いつも学び多く心豊かになれる配信をありがとうございます😊

  • @aki3912

    @aki3912

    Жыл бұрын

    本日訪問しました。町も静かで美しい。また訪れたくなる場所である

  • @SA19744730
    @SA19744730 Жыл бұрын

    ここの浜の道を何十回と通ったのに、こんな素敵な場所だと思ってませんでした。今度訪れてみます!

  • @caseyc3276
    @caseyc3276 Жыл бұрын

    感激!本早速購入させていただきました。ご高齢の田中先生の講座も購読している者として、茂木先生の活動に感謝しかありません。両先生のご活動をぜひ応援したく存じます。

  • @user-lu9ss8op1s
    @user-lu9ss8op1s Жыл бұрын

    けっこう真実って目立たないひっそりとしたところに隠れているカモ🦆🦆🦆ネ😊😊😊😊😊‼️🥸

  • @user-ve2pb3fd8r
    @user-ve2pb3fd8r Жыл бұрын

    歴史って 面白いですねぇ 自分では なかなか行く事が 出来ませんが、最高の先生と 同行させて頂いているような とても楽しい時間を過ごすことが出来ます。 ありがとうございます❤

  • @user-tn3jm5kn5w
    @user-tn3jm5kn5w Жыл бұрын

    誰もいない神社ってほんといいですね

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    貸切にしていただきました!

  • @dolphin756rays
    @dolphin756rays Жыл бұрын

    特に日本史の古代歴史や神社の成り立ちが気になってます。大避神社のレポートが興味深かったです。ありがとうございます。今後の先生の活動も楽しみにしております。感謝。

  • @gfgxxxQoQ
    @gfgxxxQoQ Жыл бұрын

    またまた行きたかったところ!ありがとうございます!! 明治の初めの外国人の漢字名を比較的よく見るので、秦河勝のお墓があるところのこの神社を知った時はびっくりしました。この字も門構えの方もDavidですよね。 松尾大社や梅宮神社のお酒と秦氏の関係もこの「おおさけ」にかけてる?とかも思いますね。そういう言葉遊びみたいなものも多いですよね。 でもキリシタン大名の時代も気になりますね・・・と思ったら、高山右近は明石にいたこともあったとか。 そんなことを考えながら茂木先生の旅Vlogを拝見するのは至福のひとときです。

  • @815y454b
    @815y454b Жыл бұрын

    兵庫県出身の私も坂越は行ったことないです。牡蠣が美味しい港としか認識してませんでした。ダビデ神社とは驚きました。行ってみます。ありがとうございました。

  • @nkzks6976
    @nkzks6976 Жыл бұрын

    大避神社、すてきな所ですねぇ。イノシシがいるなんて!?坂越湾の澄んだ水面の先の生島に、秦河勝が眠っていらっしゃる。『日本とユダヤの古代史&世界史』を拝読して、東国三社巡りをしたいと思っていたのですが、訪れてみたい所がまた増えました(^-^)

  • @6anouk8
    @6anouk8 Жыл бұрын

    北前船の歴史にすごく関心があるので、坂越という場所も寄港地と新たに知ることができ、嬉しいです! 日本とユダヤのテーマに、「忠臣蔵」ファンで(笑)赤穂は憧れの地ですので、茂木先生の今回の動画は、自分の大好物だらけで神回です! ありがとうございます😊

  • @user-jq3wt6mj7i
    @user-jq3wt6mj7i Жыл бұрын

    本では読んで知っていた、大避神社=ダビデ✡ 動画で観れた😀♬有難うございます✨超超古代から我ら倭人、縄文人、大和民族は常にグローバリスト(アーリア人)と闘っているのだと思います。

  • @user-iy8dm7mo3q
    @user-iy8dm7mo3q Жыл бұрын

    いつもレポートを楽しく拝見させていただいております。ユダヤ人が建国に貢献したことを都市伝説のように茶化したような動画が多い中、先生のレポートを拝見する事で日ユ同祖論を学術的に習得できる事がとても嬉しく思います。いつもありがとうございます。 荒神社は宝塚にある清荒神だと思います。

  • @fnakatani0303
    @fnakatani0303 Жыл бұрын

    毎度 気ずきを与えていただきありがとう。  忙しくなりそうです。

  • @815y454b
    @815y454b Жыл бұрын

    大阪府寝屋川市川勝町にも秦河勝の墓と伝えられている場所があります。わが家から近いので行ってみようと思います。 京都府八幡市に秦神社があります。石清水八幡神社から2キロほど南にあります。これも関係がありそうに思います。

  • @user-lu8zu2pg3i
    @user-lu8zu2pg3i Жыл бұрын

    是非、奈良県田原本町の秦河勝建立と言われる秦楽寺にも行っていただきたい。 あと、是非、伊勢神宮参宮案内人の堤雄作さんとも、交流して頂きたいです。秦氏と神道の関係について、深い見識があります。

  • @AIAIMI38
    @AIAIMI38 Жыл бұрын

    昨夜遅く、田中先生との共著届きました📕 昼から読みます。

  • @user-hy3xf2wk9w
    @user-hy3xf2wk9w Жыл бұрын

    坂越とは少し離れますが、幼少期を過ごした赤穂市 。千種川の緩やかな流れと瀬戸内。今も思い出す心の風景です。坂越の手前の御崎にある丸山古墳へは小学校の時遠足で訪れました。

  • @th-di1gr
    @th-di1gr Жыл бұрын

    ダビデ神社⛩️!この史実!驚きです‼️

  • @user-do3xz8yw7h
    @user-do3xz8yw7h Жыл бұрын

    姫路へ単身赴任しておりましたが、秦河勝の墓が赤穂へあるとは。。。勉強不足で御座いました。 歴史ある場所は地元の方々の御力で綺麗に守られ、後世へ繋げて頂いています反面。我が国の義務教育で扱わない歴史が意図的に多過ぎる事に怒りを感じてしまいます。。。

  • @user-th7qu1lr1r
    @user-th7qu1lr1r Жыл бұрын

    我が国が「多文化共生」とかスローガンを今更掲げなくても古代から 色々な文化が融合されていることを 歴史から学べますね。

  • @ttak5432
    @ttak5432 Жыл бұрын

    昔の人は本当に神社を大量につくったんだんだって思わされます。秦河勝が聖徳太子がなくなられたあと、こちらに避難されたということでしょうか。 ということは、聖徳太子がなくなられた理由も何かあるのでしょうね。

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    消されています。

  • @user-bj6pq3kh4t
    @user-bj6pq3kh4t Жыл бұрын

    先生🧑‍🏫ありがとうございます‼️必ず行ってみます。すごい…

  • @SA-ql8nl
    @SA-ql8nl Жыл бұрын

    秦氏って何だか隠れているのか、隠されているのか、すごく不思議な存在に感じます。 秦氏にゆかりのある、京都の松尾大社の摂社に月読神社がありますが、秦氏って何だか月読命の印象があります。

  • @junesunshine417
    @junesunshine417 Жыл бұрын

    川勝という苗字は京都、特に桂川(保津川)上流の亀岡付近に多いですね。松尾大社がその下流にあり、もう少し下流の西京極には川勝寺がありました。松尾大社から東へ行くと広隆寺、大酒神社、蚕の社のある太秦。因みに松尾大社の本殿は東北方向を向き、その延長線上に比叡山と日吉大社があります。松尾大社、加茂(鴨)神社、日吉大社、蚕の社の神紋は全て双葉葵ですね。

  • @user-usagi518
    @user-usagi518 Жыл бұрын

    今回は赤穂市の坂越にいらっしゃったみたいですが、坂越から少し北上すると。上郡町に行きます。国道2号線沿いに、病後県に入ってすぐの集落は落地(おろち)と読み、大避(シンニョウ抜き)神社があり、街の中に行くように移動していくと、山の里という地区にも、大避神社もアリ、地区の名前も大酒になります。坂越は徐福の上陸場所ともいわれています。

  • @user-ne2xj2ij7k
    @user-ne2xj2ij7k Жыл бұрын

    あらためて、世界は繋がっていたんだなぁ〜、と思います。 こうして、秦河勝氏の偉業と存在を、後世に 伝える地元の方々に、脱帽。 本当の日本の宝は、地方にこそあるのだ、と、茂木先生の動画を見ていて感じます。

  • @user-iz8xw5tu9e
    @user-iz8xw5tu9e Жыл бұрын

    祭りにぜひ来てください。明るいうちは勇壮で観客も巻き込まれまいと逃げまどいますが、薄暗くなって船渡御になると一変。雅楽を奏でながら明かりをつけた船が厳かに湾内を周り、なんとも言えない神聖な雰囲気になります。初めてみたときはなんかウルウルしてしまいました。語学教師できていた外国人(ユダヤ系???)が褌一丁で参加して馴染んでいたのが印象的でした。

  • @crepusculecrepuscule2945
    @crepusculecrepuscule2945 Жыл бұрын

    『吉野ケ里遺跡で発見された石棺墓の蓋に×の印があった』というニュースのコメ欄に「×はもしかして原始キリスト教の影響で十字架とかだったらロマンがあるな~」と書いたら、シャドウバンにされて(新着順にしても見えない)驚いていたところだったので、とても興味深く拝見・拝聴させて頂きました。 「×は死者の蘇りを封印する為のものだと学者さんが発表しています」と親切な方が教えて下さり答えは出ていますが、あくまで個人でムー的妄想を広げるのもまた楽しいです。

  • @user-dx1bt6ms4h
    @user-dx1bt6ms4h Жыл бұрын

    ちょうど昨日酒場で松尾大社の話題が出て秦氏の話もしたので凄いシンクロニシティ感じました~ 素敵な湊町ですね

  • @user-cz9hl6hl3n
    @user-cz9hl6hl3n Жыл бұрын

    配信ありがとうございます。 色々な所を紹介して頂き、感謝しております。私は、京都在住ですが、大酒神社が京都にもありますので、赤穂の大避神社、親近感が有ります。

  • @user-jm2qh9bi2s
    @user-jm2qh9bi2s Жыл бұрын

    秦河勝がこの地を訪れることになった経緯を推測します。 ちょっと前に調べていたら、、坂越湾のとなりにある相生湾には、2019年にみつかった甲崎古墳がありました。4世紀前半の古墳なので、時代的にはキビツヒコ遠征に関係があるかもしれません。「相生の伝説」というページによれば、この赤地向鼻(相生字甲崎)に、小千氏5代目の小千三並が神功皇后の命により、三島大神を勧請した、ということです。この古墳と伝説から推測されるのが、キビツヒコの頃から小千氏がここを拠点としていたということです。小千氏とは、のちの大山祇神社のある越智郡大領に関係する人物だと推測されます。 小千氏は物部氏の支族です。他に古墳前期の大避山1号墳があり、宇麻志神社(もとの祭神はウマシマジ?)があり、どうも古くから物部氏の気配がします。物部氏の所領であったのではないかと、想像してしまいます。 いっぽう秦河勝は、物部氏がほろんだ丁未の乱において蘇我陣営にいた人物でした。赤穂郡のとなりの揖保郡太子町は、推古天皇によって法隆寺に寄進されたのだといいますから、、、、きな臭い動きがあったのでしょうか。勘ぐり過ぎでしょうか。。。。

  • @michikookada4959
    @michikookada4959 Жыл бұрын

    こんなに意味深い神社が近くにあったなんて 是非参拝しなくてはいけないです 茂木先生有難う御座います。

  • @makotokoma
    @makotokoma Жыл бұрын

    先生よりちょっと下の学年ですが、「秦氏」を中高の授業で聞いた覚えがありません。 固有名詞と数字(西暦)の記憶ばかりさせられる歴史の授業が大嫌いだったこともあるやも知れませんが、蘇我や物部や中臣など二文字の姓は刷り込まれてます。 もしそこに一文字姓が入っていたら尚のこと記憶に残っているはず、と思っていますので、当時の教科書には載って無かったのだろうと勝手に判断しています😅 現在家族の都合で家を空けられるのは最大でも2~3時間ほどと言う状況のため、このような動画でのシェアは本当にありがたいです。いつもわくわくしながら拝見しています。 先生の動画以外でも「行ってみよう」と地図の色んな所にしるしを付けたりしていますが、しるしが増える一方なのがもどかしい。。。 余談ですが、わたし個人は、古代ユダヤ人は日本に来たのではなく「帰って来た」んだと考えています(8割直感です😊)。

  • @user-jk9xh4wp5l
    @user-jk9xh4wp5l Жыл бұрын

    田中英道先生との共著「日本とユダヤの古代史&世界史」拝読しました! ダイレクト出版の田中先生の講座も見たりしているのですが、茂木先生と○○先生というコラボは全て面白いです!渡辺惣樹さんしかり、KZreadでコラボされる先生方しかり☺️ CGSに出演されてるMAREさんとカップリングしてもらえないかなぁ… 秦氏の研究なさってるキリスト教の牧師だし、現在の世界情勢についても絶対盛り上がると思うのです🙋 なにはともあれ茂木先生の御著書とKZreadがあってくれて私は現代に生きていて良かったとさえ思っています😃 これからもご活躍応援しております(o^O^o)

  • @CH-zt2ov
    @CH-zt2ov Жыл бұрын

    景色も美しく秦河勝さんは 安らかに眠っておられるのでしょうね 毎回思っていたのですが茂木先生の 参拝の所作は姿勢からしても素敵ですね 階段12段も…偶然でしようか?

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    偶然ってたくさんあるんですね。

  • @swanchan.
    @swanchan. Жыл бұрын

    何と心地よい動画✨川の流れの音と茂木先生の足音が続いて、眠くて眠くて目が開けられませんでした。耳だけで場所の感じを聞き取っていました。秦河勝さんの顔が浮かびました😊

  • @user-ik5rg6tb5i
    @user-ik5rg6tb5i Жыл бұрын

    秦河勝の墓は坂越以外に、大阪府寝屋川市国松町にも存在しますよ。 その墓の近くには『太秦』や『川勝』の地名も存在します。 そして何よりも、寝屋川市国松町の河勝暮と坂越・大避神社は全く同一緯度に存在しますよ。😱😱😱 フィールドワークは楽しいです。😁 レイライン研究家より😁

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    北緯34度のレイライン。秦の都・咸陽にも通じますね。

  • @user-ik5rg6tb5i

    @user-ik5rg6tb5i

    Жыл бұрын

    @@maomao96363 秦の始皇帝陵、漢の高祖劉邦の陵墓共に、私の住む尾道市を通過しています。尾道にも神秘的な磐座もありますし、尾道ミステリーを是非、知ってください。オモロイものが潜んでますよ。😱😱😱

  • @yasu0418-q2n
    @yasu0418-q2n Жыл бұрын

    そこの神社には自転車持参で行こうかなーと考えてるところでした。 太秦にある 大酒神社と関係がありそうですね

  • @kazuhironagamitz7690
    @kazuhironagamitz7690 Жыл бұрын

    神体のない神社、神を偶像化してはならないとするユダヤ教。聖書研究者としては大変興味をそそられる動画でした。

  • @user-lz9hg8we3d
    @user-lz9hg8we3d Жыл бұрын

    田中先生の「京都はユダヤ人秦氏がつくった」の本を見つけて即買いしてから、はまっております。茂木先生の実地レポートを楽しみにしております。 実は50年以上、大阪府寝屋川市に住んでおり、秦川勝の墓がありました。そんな凄い人のお墓だったのだと最近気がつきましたが、この動画を見て寝屋川市のお墓は?と思い始めました。寝屋川市には秦町、太秦町などの地名もあり、てっきり本当と思い込んでおりましたが😂 また寝屋川市についてもおわかりのことがありましたら教えてください。

  • @user-sv9hq7mi9z
    @user-sv9hq7mi9z Жыл бұрын

    赤穂には鬼寅という名字もありますし、キトラ古墳もあります。 王が誰かわからない古墳もあります。 子供会で古墳を掘ってた時に、出てはいけない出土品があり 歴史が変わってしまうから、、 もう一度埋め直した話しもあります。

  • @user-nr8zg6lp9j

    @user-nr8zg6lp9j

    Жыл бұрын

    それはダメですね、多くの文献が出てきて再度検証するのが人間の叡智なはずです、専門家も間違えることもあるのに残念です子供の教育にも歴史への信頼が薄まります

  • @user-sv9hq7mi9z

    @user-sv9hq7mi9z

    Жыл бұрын

    ありとし

  • @hiromi711
    @hiromi711 Жыл бұрын

    茂木先生のお話が大好きです❣️ よく、わかります✨ とても聞きやすいです😌💓 頭にはいります✨ 楽しいのです⛩️✨

  • @TexasKanRinMaru
    @TexasKanRinMaru Жыл бұрын

    動画投稿ありがとうございます。歴史の勉強にもなり、日本の風景も楽しめて懐かしい感じがします。見ていると久しぶりに日本に帰国しないと思いました。

  • @tk-0319
    @tk-0319 Жыл бұрын

    階段が12段だったの思い出して、ゾクッとした!

  • @user-wr4vp5mq7k
    @user-wr4vp5mq7k Жыл бұрын

    イスラエルにもアコーという港町がありますね❗

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    アッコン港ですね。

  • @yk-ns5ll
    @yk-ns5ll Жыл бұрын

    ありがとうございます。

  • @user-uz9qp3cx4y
    @user-uz9qp3cx4y Жыл бұрын

    大避神社の”避ける”の字を見ると聖書の詩篇46を思い出します。秦河勝さんの墓所を彷彿とさせる箇所も出てきます。聖書はおよそ40人の作者で出来ていますが詩篇の作者はドンピシャ ダビデ✨ 詩篇46を念頭に河勝さんを赤穂に葬った??  ”神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。~~万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である” ダビデを表記するために ”闢” ”避” の字を使った理由に詩篇の存在があるように思います。

  • @hiroshiitou7901
    @hiroshiitou7901 Жыл бұрын

    先生こんにちは。 いつも優しい口調の先生の問い掛けに、心和みます。 で、正直に言うと、ダビデってそんなにえれぇのかって思ったりもしますね🤣 ただ1番素晴らしいことは。 平和的に人々が共に生きること。

  • @gabriellbonheursaechanel4866
    @gabriellbonheursaechanel4866 Жыл бұрын

    秦河勝=ダビデ=イスラエル 四国、淡路島等 この周辺には 多くの痕跡が…… 日本人とは🤔? DNAの更なる分析を 期待したい

  • @user-qt2jb8pt9s
    @user-qt2jb8pt9s Жыл бұрын

    え~~‼️赤穂に来られてたんですね⁉️ご一緒したかった~~😂

  • @juncospollack6281
    @juncospollack6281 Жыл бұрын

    非常に興味深い 秦氏の始まりのお方歴史がダヴィデ神社⛩️とは.ありがとうございます。 米国🇺🇸永住ほぼ50年なのですが、気心の合う友人は全てがユダヤ人です。その辺も何か気になります。

  • @juncospollack6281

    @juncospollack6281

    Жыл бұрын

    大陸から渡った秦氏いち族が 島国日本に渡って来て、いかにこの地を有意義な国家に成す助けになった事か、良き氏族だったことがわかります。質問🙋ですが、あの鳥居のデザインは 日本特有なのか、ユダヤ かもしか、中国の景教にあるのか。その辺が知りたいんですが。😊

  • @reihappy6564
    @reihappy6564 Жыл бұрын

    大変興味深く拝見しました。母は神戸生まれなのですが、ある時ぽつりと「うちの先祖は赤穂」と言っていたのが気になっていました。秦氏が移り住んだ地と知り複雑です。何故なら、自分の祖先はユダヤ系でなく縄文系であって欲しいからです。しかしどちらの特徴もないので、複雑雑種系なのでしょうね。

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    みんな混血ですよ。

  • @sk9602
    @sk9602 Жыл бұрын

    へーへーっとすごい発見させていただきました。オオサケ神社はダビデとも読めるんですね。秦氏がやはり彼方の方で日本で重要な役割を担われていたのか。面白いです!赤穂に行ってみたいと思いました。

  • @user-fl4rr7qp6p
    @user-fl4rr7qp6p Жыл бұрын

    近くに住んでますが全然知らなかった。。勉強になります

  • @hayato.K-s8d
    @hayato.K-s8d Жыл бұрын

    茂木先生、大変お世話になっております。先生の授業はとてもわかりやすく、しかも楽しいので、新しい動画をいつも楽しみにしております。 それで、秦氏についてのお話がけっこう盛んに出てますけど、わたしにもちょっと思うところがあるので、先生の古代史観の足しになればと思い、コメントしようと思い立ちました。 わたしは、応神天皇のときに日本に来た秦氏は、鳩摩羅什の門弟3千人なのではないかと思っております。当時、鳩摩羅什は後秦の庇護を受けていたようですが、後秦が滅びる直前に死亡してます(後秦が滅んだのは417年で、鳩摩羅什の死去は409年または413年)。で、この頃に、大和朝廷は高句麗と一緒に東晋に朝貢してます(413年)。この朝貢は実は高句麗が勝手にやったもので、倭を従えた形にしてカッコウをつけただけで、大和朝廷は実際にはそこに使節を送っていないという説もありますが、もしも、実際に大和朝廷と高句麗が和睦したことがあって、一緒に東晋に朝貢したのであれば、そこに鳩摩羅什の門弟たちが助けを求めて合流しても不思議はないですよね。 で、秦氏が後秦から来たとすると、秦を名乗ったのも自然なことですし、斑鳩の鳩の字が鳩摩羅什の頭の文字であることも自然な流れに思われます。どんなもんでしょうか? ちなみに、鳩摩羅什の母国は亀茲国ですけど、これは弓月国の位置とかなり近いですよね。鳩摩羅什を東アジアに連れてきた前秦の呂光はかなり広範囲に中央アジアを征圧したようですから、弓月国もこのときに支配下に入ったとしても不思議がないと思います。で、弓月国の官僚や学者などを鳩摩羅什と一緒に連行した可能性がありますよね。 尚、鳩摩羅什は実は後秦では死亡しておらず、門弟3千人を連れて日本に亡命したということも考えられますよね。で、そうだとすると、仁徳天皇は実は鳩摩羅什だったのではないかという気もいたします。ここはちょっと妄想の風呂敷を広げすぎてますが・・。 話を突然変えて申し訳ないのですが、日本神話のニニギについてもちょっと思ってることがあります。 天孫降臨でサルダビコの神が辻でニニギを出迎えてますが、サルダビコがアッカドのサルゴン大王だとすると、ニニギはラガシュ国のグデアではないかと思います。ラガシュ国の神はニンギルスといいますが、母音を外すとNNGでニニギのNNGと同じになります。 アッカド王国がシュメール人の都市国家群を支配下に入れたのはサルゴンの孫までで、その後のアッカドは支配権を失いますよね。で、その次にシュメール人の地で台頭したのはラガシュのグデア王で、これは多数の周辺都市国家の盟主のようになったようで、その守護神が長く言い伝えられたとしても不思議はないと思いました。 で、この歴史的経緯の断片を日本に持ち込んで神話に取り入れたのも秦を名乗った鳩摩羅什の門弟たちだったとして不思議がないですよね。 ただし、神武東征のエピソードはイスラエル王国から弓月国に伝えられていた歴史ではないと思われます。が、それも彼らが運んで来た伝説ではないかと思われます。 神武天皇の別名はワカミケヌとなっており、その兄はミケヌとなってますけど、ミケヌはミケーネ王国のことで、その後継文明圏から出たアレクサンドロス3世のことをワカミケヌと言っても不思議はないですよね。アレクサンドロス3世は中央アジアではイスケンデールという名前になってますけど、神武天皇の奥さんがイスケヨリ姫となってるのは、イスケンデールによりそった姫という意味にもとらえられますよね。 アレクサンドロス3世はインドまで行って引き返してますが、このとき敵の矢を受けてます。神武天皇の兄のイツセは手に矢を受けて死にますけど、このイツセというのは、実は人名ではなく、地名ではないかと思われます。アレクサンドロスがペルシャ軍を敗走させたイッソスの戦いのことが人名として伝えられたような気がします。で、そのへんのことはイスラエル王国が消滅したあとの歴史なので、中央アジアのオアシス国家である亀茲国に言い伝えられていた伝承と弓月国に伝わっていた伝承が混ざり合っているのではないかという気がします。

  • @user-oq1on4vx6c
    @user-oq1on4vx6c Жыл бұрын

    いつもありがとうございます! 秦氏はすごい技術を持っていたし、キリスト教もユダヤ教もすごい力をもっている、けど、 やっぱりそれら、いろんな意味で強烈な宗教を受け入れることができた日本にあらためて懐深すぎ―と驚くばかりです。 日本の不明な部分ってほんとに真剣に研究追及していきたですよね。 口伝(宮下文書など)とか、真偽の検証のしようがない物しか情報源がいまのところないですし(ペトログリフとかはあるにしても)、 もっと皆で考察だけじゃなくて調査研究していきたい!

  • @user-nn5nt9eb9b
    @user-nn5nt9eb9b Жыл бұрын

    禁足の地ということが守られていることが尊いです

  • @atarisaori1164
    @atarisaori1164 Жыл бұрын

    秦河勝は学校の授業ではなく、山岸凉子から習った。。。

  • @AIAIMI38

    @AIAIMI38

    Жыл бұрын

    日出処の天子ですね。 10巻持ってましたが、嫁入り等で散逸し、最近web上で全巻購入しました。こういう側面では、良い時代となりまして。

  • @atarisaori1164

    @atarisaori1164

    Жыл бұрын

    @@AIAIMI38 さん、 いかにも仰る通り、そういう点はいい時代になったものですね。 秦河勝、件のストーリーではマイナーキャラだったのに、こんな凄い人だったなんて。

  • @user-vt8gq6go4l
    @user-vt8gq6go4l Жыл бұрын

    はい、一度だけですが💦お参りさせて頂きました。 沢カニ🦀さん、階段に遊んではりました。 奥宮さんの禁足地の島が近いような遠いような。 いつも素敵な投稿を有難うございます🙏

  • @momota1003
    @momota1003 Жыл бұрын

    千種川沿いにはいくつかの大避神社があります。忠臣蔵で有名な赤穂市は秦河勝らによって古代から 発達しました。坂越の大避神社には初詣に何回か行きました。神社の裏山には戦前は有名だった 児島高徳の墓所もあります。

  • @user-rs8uf4sc6u
    @user-rs8uf4sc6u Жыл бұрын

    坂越には牡蠣を買いに行きます。生島そんな聖域があったとは。

  • @modernvidro
    @modernvidro Жыл бұрын

    今日、この動画を観てすぐに大辟神社に行ってきました。

  • @kentaeno8108
    @kentaeno8108 Жыл бұрын

    茂木先生、古代史の本が出るの楽しみにしています😊

  • @tenten3081
    @tenten3081 Жыл бұрын

    太秦のダビデ神社には行ったことがありますが、岡山にもあるなんて知りませんでした。今度ぜひお参りしたいと思います。今でも天皇の即位の礼で着た束帯を、広隆寺の太子堂の聖徳太子像に、即位中着せますよね。

  • @maomao96363

    @maomao96363

    Жыл бұрын

    ええっ!?本当ですか?

  • @tenten3081

    @tenten3081

    Жыл бұрын

    @@maomao96363 本当です。高根一教先生の言霊の講義を受けてましたし、何度も広隆寺は訪れてます。天皇家が秦一族をないがしろにしたことはないと思います。何か権力闘争みたいなことがあったかも知れませんが、今でも秦の河勝は広隆寺で祀られてますし、後に空海や嵯峨天皇とも深い関りがあったと。天皇が即位するときに着る束帯は、高知の麻家で栽培された麻のみを使っています。脈々と。

  • @torasan3776
    @torasan3776 Жыл бұрын

    こちらに護持されている推古憲法 十七条五憲法の存在はとても重要ですね。

  • @user-xl7ze7yb7f
    @user-xl7ze7yb7f2 ай бұрын

    隣近所に秦さんがいます。子孫なのか?それにしても凄い話ですね。清の始皇帝から弓月の君、そして聖徳太子との繋がり。当時の政治への貢献度。きれいな街並み、透き通った海岸通りでしたね。大避神社にお参り出来たような気持です。ありがとうございました。

  • @mastank87
    @mastank87 Жыл бұрын

    おはようございます。いつもお世話になっております。感謝しております。弓月神社は兵庫県丹波篠山にあるのですが何か繋がりご縁はありますでしょうか。預言書の記載していることは、リアルに的中しておりあらためて、事の重大さを感じております。

  • @Tanaka-Ichiro999

    @Tanaka-Ichiro999

    Жыл бұрын

    前にもご紹介しましたが弓月神社の近隣は地元では畑地区(ハタ)と呼ばれています。兵庫県二番規模の前方後円墳(被葬者不明)、その他数基の前方後円墳や古墳が多数有りますが未だ解明?不足の不思議なところです。

  • @user-be3mt1ft2n
    @user-be3mt1ft2n Жыл бұрын

    良いところですね、京都太秦にも秦氏ゆかりの古墳あり嵐電沿線には帰化人が生活していたと言う事です。歴史を楽しんでます、ありがとうございました😂

  • @user-gh9qp1zr3q
    @user-gh9qp1zr3q Жыл бұрын

    坂越は兵庫では牡蠣が有名です。播磨播州には加古川の鶴林寺があります。聖徳太子に仏教を教えた高麗の恵便法師を物部氏から守るために秦河勝に命じ刀田山四天王寺聖霊院を建立したのが鶴林寺の始まりです。安倍晴明の陰陽師の派の他に赤穂播州も陰陽師の派も有名らしく、播磨播州に秦氏は関係が深かったのかも知れません。今まで繋がりに気付きませんでした。

  • @Tanaka-Ichiro999

    @Tanaka-Ichiro999

    Жыл бұрын

    たつの市に太子町がありますね。 「日本書紀」推古天皇14年(606年)条に、聖徳太子が法華経の講義を岡本宮で行ったため、天皇から播磨国の水田100町を与えられ、斑鳩寺(法隆寺)領として納めた、とある。この地は「鵤荘(いかるがのしょう)」と呼ばれ、町域はこの地に当たる

  • @y1y25
    @y1y2511 ай бұрын

    色々と勉強中ですが,とても参考になりました。芝山古墳でユダヤ人埴輪に圧倒されてから色々調べて現地にも行っています。 ここにも行ってみようと思います。ありがとうございました。

  • @nirvana_biscuit
    @nirvana_biscuit Жыл бұрын

    居ながらにして見られますので大変ありがたく拝見しました。 荒神社はかまどの神様こうじん様のお社ではないでしょうか?

  • @user-kc2pg8zo3o
    @user-kc2pg8zo3o Жыл бұрын

    先生が、いかれる前に行きました 神社の中はこうなっていたのですね。 小川が流れなんと神秘的 しかもダビデ❗️最高‼️お土産に海岸の石を持って帰りました。なんとおふろでフェイスマッサージに使っています😊

  • @lakosentokun
    @lakosentokun11 ай бұрын

    四天王寺の聖霊会で舞楽を奉納している天王寺楽所の昨年の公演のテーマが、秦河勝でした。 素晴らしい公演でした! 大避神社の宮司さんも参加されていました。 kzread.info/dash/bejne/hX-NyJpsY6y7erw.html

  • @user-cs4gh2lk6r
    @user-cs4gh2lk6r Жыл бұрын

    ありがとうございます。 偶然じゃないさ 全て必然

  • @user-yh1ok1ub2f
    @user-yh1ok1ub2f Жыл бұрын

    秦河勝さんをブレーンに頼った聖徳太子が10人?の話しを同時に聞くことができたというエピソードは、秦河勝さんの影響で、聖徳太子は10言語くらい操れた、ということなのではないか?と、想像させて貰える程、秦河勝さんの博識と実績の偉大さを感じます〜

  • @pigumarion1978
    @pigumarion19789 ай бұрын

    茂木先生のこの動画を視聴し、本日(10月8日)現地に行ってまいりました。まさに今日、現地で船祭りがおこなわれておりました。船は現在は数が減り(少子化の影響とのこと)数隻程度になっておりました。

  • @hatakoji8591
    @hatakoji8591 Жыл бұрын

    秦氏研究ありがとうございます。 大阪の寝屋川市にも秦河勝の墓がありますね。 どちらが本当なのでしょう? 寝屋川の墓は悲しいくらいの規模で住宅街にポツンとあり石塔がありますが秀吉に持っていかれ新たに作ったらしい。 隣には秦武文の墓があります。 大辟神社の社紋は八本矢車で私の家紋と同じでした。 寝屋川市在住の秦氏の末裔より。

  • @kemkem369
    @kemkem369 Жыл бұрын

    大避 → 大闢 → ダビデ とは知りませんでしたっ!!! ダビデ王・・・ヘブライ王国第2代の王(ソロモン王の父)。在位:紀元前997~966頃。秦氏(ユダヤ)一族の伝承力が凄い・・・ 船でイスラエル←→日本の往来してますね・・・ 『日本とユダヤの古代史&世界史』は愛読書となっております!

  • @user-em2tk5oc6l
    @user-em2tk5oc6l Жыл бұрын

    行ってみたくなった。

  • @AaronKeener-cu4tc
    @AaronKeener-cu4tc Жыл бұрын

    島津の家紋が十字架だなと思い調べていたら河勝に行き着きましたね。 秦氏→惟宗氏→島津の流れ。

  • @chantaka3921
    @chantaka3921 Жыл бұрын

    以前に姫路に長く住んでいましたが一度もこの神社の名前を聴いたことがありませんでした。大避神社は日本の秦氏の祖であり八幡神社や稲荷神社の祖でもあり日本建国に貢献した秦河勝氏を祀っている由緒ある神社なのに何故有名じゃないんでしょうねえ。やはり日本人ではないからでしょうか。近いうちに訪ねてみたいと思います。

  • @user-ey8ey6rr7u
    @user-ey8ey6rr7u Жыл бұрын

    こんな伝統文化を守りたいですね。

  • @nori_1158
    @nori_1158 Жыл бұрын

    ネットで自分の名字のルーツを調べると大避神社の神主だったようです。 そこから、伊勢市の隣町で内宮の摂社がある地に移り住んだようです。 そこで西本願寺系のお寺を開基したようです。

  • @Tanaka-Ichiro999
    @Tanaka-Ichiro999 Жыл бұрын

    配信ありがとうございます。 カキ祭りで何回も近隣は訪れていたが神社はスルーしてました。また行って来ます。仁王像が境内に向いている(私が無知なだけでしょうか?普通は門番で外向きでは?)のが意外に感じました。また十二支と十二使徒、共通項? 。徳島、淡路このラインに何か集中してますね。やはり古代海上交通?。因みに鹿は逃げますが子連れの猪は人の被害例多数です。

  • @hirodivers
    @hirodivers Жыл бұрын

    秦氏と言えば、能楽師の大倉正之助さんが末裔にあたるそうですね。 以前、大避神社で奉納演奏もされてました。 確か、生島に入る事も許されてるとか。 語り継がれている事等あれば是非聞いてみたいなぁ。

  • @gwenhie1
    @gwenhie1 Жыл бұрын

    すごくおもしろかったです。一緒にブラタ茂木させて頂きました🌲🌲🌲

Келесі