【自作PC】ジャンクの呪い!!30年前のパソコン自作でトラブル続出【組立て】
Тәжірибелік нұсқаулар және стиль
日本の自作PCが流行り出した当時(30年前)のパソコンをジャンクパーツを使って新しく組み立てる企画の2回目。
呪われたパソコンを組み立てます!!
ASUS公式 P/I-P55TP4マニュアル
www.asus.com/supportonly/PIP5...
CPU-WORLD
www.cpu-world.com/sspec/SY/SY...
BIOS 警告音一覧
www.redout.net/data/bios.html
【もくじ】
00:00 はじめに
01:24 オンボード設定
03:51 L2キャッシュ設定
05:02 CPUジャンパー設定
07:26 CPU搭載
08:40 メモリ搭載
09:24 ケース搭載
13:15 増設カード搭載
14:54 トラブル&エラー再現
16:54 グラボ1枚目
18:01 グラボ2枚目
19:14 グラボ3枚目
20:24 最終動作確認
22:43 さいごに
Пікірлер: 211
見てても謎解きが楽しいです、解決出来た瞬間も同じように喜んじゃいます。次回も楽しみにしてます。
10日間お疲れ様です。 難しくて凄すぎる!
お疲れさまでした。無事起動できて何より。 30年前のパーツを動かすのは情報も少ないだろうし、本当に大変だったと思います。 次回を楽しみに待ってします。
「組立て」ありがとうございます!画面がついた瞬間、思わず拍手しました。インナーのお召し物もなかなお似合いですよ。
コジコジさん、かっこいいなぁ〜こんなことできるの羨ましい!凄すぎます!!
無事に動いて凄い!色々と規格が入り乱れていていたり、動かすまでに相当の知識がいりますね…
お疲れ様です! 無事起動して良かったです!! BIOS画面ですが、GIGABYTEのCore2世代のマザーボードを使ってた時、その時も同じBIOS画面だったので、懐かしいです いつも実際に見れないような物を見せて頂き、その当時の雰囲気が伝わってきます 次回も楽しみに待ってますね
BIOS起動おめでとうございます 昔のパソコンは今より気をつけなきゃいけないことが多くて大変そうです…というかジャンパの数多すぎるw ビープ音でどこに問題があるのか教えてくれるのは救いですね
30年前のPCもメンテをすれば動作までできるのですね。資料的にもなりそうな面白い動画でした。続きたのしみです。
これは素晴らしいですね!動いた時、思わず「凄い!やった!」と言ってしまいました。
とても感動しました。1990年代の自作PCの復活を今の時代できることを証明されて大変面白かったです。ハードディスクの搭載もされるようなので次回動画も視聴させていただきます。これからもこのような企画があればぜひ視聴したいと思います。
めちゃくちゃ懐かしい! 自作を始めた頃を思い出します、今ではとてもこんな事出来ません!!! 続編楽しみにしています。
楽しかったです。
懐かしいの一言です。今の時代にやってみようというのはとにかくすごい。おじさんのハートが鷲掴みされました。尊敬すら覚えます。頑張ってね!
投稿お疲れ様です!この時代の自作PCを復活させようと考えるところ尊敬しますね!
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます!!
懐かしいですね。 ジャンパーピンの設定は大昔はやってました。 サンドブラスターのボードも懐かしいですね。
コジコジさん、いつも拝見させていただいております。 今回30年前のパソコンでご苦労されて本当に大変でしたね。 無事に起動まで辿り着いた事で苦労が報われて良かったです。 かつて自分もこの時代のパソコンを使っていましたので懐かしく拝見させていただきました。 ちなみにBIOSで各種設定画面はジャンパーの設定確認だけなのかも知れません。 当時は今のようにインターネットで情報が得られなかったのでトラブル解決に3ヶ月や半年かかる事も日常的でした。 今後もOSのインストールやソフトウェアの動作など楽しみにしています。 いつもながら動画作成大変だと思いますがどうか頑張ってください。 応援しています。
お疲れ様です、苦労の一端を見て言葉が出ない、見えない敵と戦ってる様な・・・、画面が出てホッとしました
エナジースターのBIOS画面が懐かしいですね。 この頃からPCの自作は本当に面白くなりましたね。 僕はジャンパーで75MHzを設定できる製品を好んで買いました。
キタ━(゚∀゚)━! ほんとうれしい。ドキドキしちゃった。
投稿お疲れ様です。
10:53の「謎の固定具」懐かしいですね。今も持ってます。 これは440BX(1998年)時代のパーツに付属されてて 使った記憶があります。使い方は動画であってるはずです それにしても昔の規格に今のスペーサー使えるのって考えたらすごいですよね。
マザーボードのAT規格は、元を正せばIBMのPC-286ATのクローンから始まったんですよね。 今でも、ハードディスクがC:から始まるのは、286機でA:とB:がフロッピに割り当てられていた名残なんです。
呪われたパソコンもすこしは救われてるかなw 呪縛は解けるか!? 次回も楽しみ!
この時代のPC最近5台位処分した所でした。懐かしいです。いつも楽しく拝見させていただいています。ゆっくりとバルバッテ下さい。
見てて懐かしいです。 初めて自作PCを作ったマザーです。
お待ちしてました。 お疲れ様でした。
当時PC立ち上げに半日掛かっていましたね。 当時が懐かしです。
すごーーーい! 毎回楽しみにしています! 無理せず続けて下さい!
雑誌片手に色々試した記憶が蘇りました。懐かしい…
見事に動きましたね Jベンドのメモリー、久々に見た
初期のPCIはPlug&Playすら怪しかったからなあ……Plug&Pray(挿したら動くのを祈れ)なんて揶揄されたし。ISAは割り込みとかもジャンパーで設定しないといけなかったし。昔の自作はハードルが高かった。今は簡単だけど。
見ててめっちゃ楽しい!興味でしかない!
懐かしく面白かったです CPUファンが回ってなかった?のは気のせいかな 当時はGA-586S(SiS 5571)でAMD K6-2やCyrix M II CPUと山洋CPUファンを使ってました
98のころから自作していたので、懐かしいです。
オシャレ👍
起動おめでとうございます このジャンパーの嵐と相性問題が当時ならではですね。とりあえず挿せば動く今のPC自作が、いかにお手軽かよくわかります この頃のPCIは問題が多いので、ISAのビデオカードを持っておくとメンテの時便利ですね。まあ今では入手困難なのですが・・・
お疲れ様です。2000年くらいに譲って貰ったパーツで自作PCを組んだときも マニュアル見ながらマザーボードのジャンパーピンを設定していました。 当時は不慣れでどこをどういじっていいのかよく分からなくて友人に教えて貰いながら設定変更をして ようやくBIOS画面が出るところまで到達したときは「やったー!」って叫んだをの覚えています。 今ではメニューから設定を変更するだけで良いので本当に便利になりました。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 多分、ボクも学生時代なら絶対一人じゃ出来ませんでしたw ってか、今みたいに普通の人が趣味で自作とか難しそうです。
おもしろかったです。
昔の自作PCは相性と汚れの問題があったんですね。僕だったらココロ折れてます。すごい!
おー!画面出た!おめでとう。 最小構成と言いつつ普通にメモリガン積みやら、ケースにM/Bつけてるやらどうなの?と思ったし、サーバー機はサウンドだったか映像出力だったか、ないのかな?なので、サウンドカードも省いて確認が先じゃないかとか思いつつ見てたけど、画面出るところまで来ましたね。おめでとう。 相性問題については、昔は今と比べ物にならないくらい出てたけども、自分は22年前スタートなので、30年前までは知りませんなぁ。 まだ言いたいことはあるけど、oneコメントに詰め込み過ぎなのでこのくらいにしときます。久々に見たら迷走しててちょっと面白かった。ご自愛下さい。 初心者に優しく丁寧で、古いものや子供の頃の気持ちを忘れないコジコジさんが、ワクワクしながら、作業してるのが、原点だと思います。
30年前の海外PC,やっぱり組み立て難しいですね! 自分も97年頃にAT互換機でWindows95とLinuxのデュアルブートPC作りましたけど、CDROMドライブの相性が出てしまい、インストール始めるまで2週間位、毎日仕事帰ってきてはトライ&エラーを繰り返した苦い思い出が・・・。 丁度IOボード複数挿し→オンボードIO増加の時代を通ったので、今のオンボードIO沢山なマザーはホント嬉しいです。 不要なIOはBIOSでカットすればいいですし、当時はマザー+IOボードを買って高額になっていたのが懐かしい・・・。
懐かしい構成PC
いつも楽しく拝見しています。懐かしいですね。初めて購入したパソコンはPC98でしたが、DOS/V機で初めて購入したのはpentium機でした、改造等してかなり使い倒しました。マザーボードの接点が酸化してる様に見えますので、清掃すると良いのかなと思います。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 当時はCPU下駄があったりと色々改造出来たみたいで楽しそうです。
ソフトが動くといいですね、楽しみです。ディスプレイがブラウン管だともっといいかも。でも結構場所取りますよね、奥行きも必要だし。
21:55 これはなぜかというと、当時はBIOS ROMの価格が高く、大容量のBIOS ROMを搭載するより一部の設定だけでもジャンパやディップスイッチにした方がコスト的に有利だったためです。ジャンパやディップスイッチによる設定はBIOS ROMの低価格化で年々減っていき、最終的にはPentium4あたりでほとんどなくなりました。 ところで、動かなかったビデオカードはPCIスロットの差す位置を変えたら動くかもしれません。 サウンドカードを差しているISAスロットの位置もあわせて動かせば「ビデオカードとサウンドカードの両方とも正常動作する組み合わせ」というのが出てくる可能性があります。 (サウンドカードを抜いた状態でビデオカードを差すスロット位置を変えてみるとより問題の切り分けがしやすいと思います) 「正常に動かない場合は正常動作している他のカードも含め、PCIスロットやISAスロットの位置を変えて全てのカードが正常動作する組み合わせを探す」というのは、当時割と使われた手法です。 また、BIOS更新後に増設したら動く可能性もあります。 もちろん相性(サウンドカードとビデオカードの相性も含む)でどうやっても動かない可能性もありますが。 当時は「マザーボードと拡張カードの相性」だけでなく、「拡張カード同士の相性」まであったので厄介でした。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 そう言う理由でジャンパー設定だったんですね!? 大変、参考に成ります。 ビデオカードに関しては動作検証時に全スロット試したのですが、 動画で紹介した挙動と変わりませんでした…
@EmperorPenguin_n1
Жыл бұрын
当時モノだと、割り込み設定(IRQ)が共有できるものとできないものがあったので、差し替え&BIOSでの切り替えで試行錯誤してましたね。 後から足すと動いたりするのは自動割り振りで共有できないものが他のchに割り振られていたりだったと記憶しています。
@Chayamiti_Haruno
Жыл бұрын
@@kojikojibroadcast 私もPCIの仕様についてはそこまで詳しくないのでちょっと調べてみました。 まずスロット側についてですが、PCI2.0は5Vのみ対応、PCI2.1は5Vは対応必須で3.3Vはオプション(マザーボードによって対応可否が違う)、PCI2.2は5V・3.3Vともに対応、PCI2.3は3.3Vは対応必須で5Vはオプション(マザーボードによって対応可否が違う)、PCI3.0は3.3Vのみ対応のようです。 そのマザーボードは発売時期的にPCI2.0か2.1と思われますが、公式HPや説明書には一切仕様が記載されていないので、3.3Vに対応しているかどうかは不明です。 次にカード側についてですが、切り欠きが後ろのみにあるもの(動画で言えば2枚目と3枚目のビデオカード)は5V専用、切り欠きが前のみにあるものは3.3V専用、前後2箇所にあるもの(動画で言えば1枚目のビデオカード)は3.3V・5V両用のようです。 ただ、切り欠きが後ろのみにある5V専用とされるカードであっても、PCI2.2制定以後にリリースされたカードは3.3Vも要求され、5V・3.3V両対応のPCIスロットでしか動作しないカードが多かったそうです。 また、切り欠きが前後2箇所にある3.3V・5V両用とされるカードも同様で、「5V・3.3V両対応のPCIスロットだけでなく、5V専用や3.3V専用のPCIスロットでも動作する仕様」とはなっておらず、「5Vと3.3Vの両方を要求されるので、5V・3.3V両対応のPCIスロットでしか動作しない仕様」が多かったそうです。 どのスロットでも動作しないとなると、やはり新し目のカードは3.3Vの対応も要求される反面、マザーボードは3.3Vに対応しないため動作しない、という可能性が高そうです。
@higot723
Жыл бұрын
@@EmperorPenguin_n1 はえ~ IRQ て言葉、数十年ぶりに思い出しました。 はるかな昔、なんだか手こずったなー (詳細は忘れ去っている)
おお!動いた!今でもこんなの動くんだって驚きです。経年劣化で動くとは思いませんでした。私が自作を始めたころのものですね。BIOS画面も久しぶりに見ました。IODATAのVGAも懐かしいですね。ATIのVGA、RAGE?と思ったらRADEON… DIAMONDのVGAは使いにくかった
Award BIOS画面が懐かしいです、 私はT2P4を使ってました。
DIAMONDの3D3000、チップはS3のViRGEですね。この世代だと、後は初代Millenniumくらいですかね 当時の相性問題は自己責任でトライ&エラーでしたが、うちはずいぶんとMillenniumに助けられました
Windows95 いれるんでしょうか。それとも Linux Kernel 1.0 のころの Slackware とか。
オジサンには当時を思い起こさせる部分がありました。ケーススイッチをマザーのどこへ繋ぐか悩んだなぁ。Windowsのあとの各種ドライバも順番を変えると認識しなかったり、それでも楽しめました。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 ドライバーをどうするかも問題ですね!? 頭が痛い…w
この当時のPnPは「Plug and Play」ではなく、「Plug and Pray(祈る)」だったような。。。
@DaisukeSakaijp
Жыл бұрын
で、結局動かなくて買いなおし、Plug and Payになると・・・
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 面白いです!! オリジナル!?それとも当時のネタなんでしょうか?
@DaisukeSakaijp
Жыл бұрын
@@kojikojibroadcast 一般だったかは知らないけど、PrayとPayはよく言われてました。
14:42に2枚目のマザーまで用意してるし(配列的にはgigabyteのga586HXかな?私はasusのマザボでCYRIXcpuと相性問題起こったのでGA586s使ってました)苦労をうかがえる。ほんとにご苦労さまでした。念願のキャッシュメモリソケット埋め合わせまでがんばってください。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 本当は映っちゃいけないモノが映ってますねw もう、1枚のソケット7では全部問題なく動くんですが… 完全に予算オーバーですww
その頃のシリアルとかパラレルのケーブルって、ケースの付属品じゃなくってM/Bに同梱されてたんですよね。 シリアルのM/B側コネクタ配列がメーカーによって異なってたので(2種類あったかな)、M/Bだけ交換して使いまわそうとするとマウスやモデムが認識されなかったりしました。
人生で初めて触ったPCは1995くらいのノートPCだったなあ バイト先にあって休み時間に麻雀とか上海遊んでた 電源入れて DOSの画面からwin→enterで起動していたのが懐かしい あの不便さってなんかワクワクしたなあ
すごいなー
それまでPC-98だったのですが、最初のDOS/V機がPentium 133MHzでした。とっても懐かしいです。
ワイルドだろぉ? スロット埋めるのは漢のロマンw
懐かしいですね。無印Pen133は166で駆動成功したけど、 同166は200で安定しなかったので180位と中途半端な周波数で動かしていました。
socket5のマザー懐かしいですね。ちなみにsocket7にすればもっと遊べます。K5や6x86、黄金戦士、チップセットも色々ありました。
当時自作パソコンを作ることができる人が羨望の眼差しを受けていた理由がよくわかりますねw
冒頭にもお話されてましたが、昔のマザボはジャンパーピンで設定していたのですよね~現在は、だいぶ便利になったですね、BIOSで主要な所はほぼ設定出来ますしね。 あと、当時は、今以上に相性問題が多かった気がしますね~
この頃のものをよほど好条件で保存されたものでなければ、接点清掃とかよほどこまめにやらないといけないというのがよくわかる動画でしたね。
ダイヤモンドマルチメディアはメーカーですね〜。チップメーカーがS3のバージ辺りのグラフィックボードですかねぇ。
コジコジさんは、凄いですね〜
動かないPCと格闘していた当時のワクワク感を思い出しました。
BIOS起動画面が表示され、そこまで行ったらBIOS設定画面に入れるの当たり前の感覚ですが、 実際に入れると、見ているこちらもヤッター!!ってなりますね。
懐かしいなぁ。当時のマザボは汚れたら水洗いしたり、下駄を履かせてamdのk6シリーズにしたり‥ 魔改造的なのをよくしてました!
メモリはM/Bの仕様では無くて初代Pentium時代のSIMMメモリは2枚一組で利用しました。 理由はCPUとメモリ間が64ビットバスになっていたためです。(SIMMの32bitバスを二つ束ねて64bitバスとして利用できるようにするため)
いつも楽しく拝見しています。 1:46 ジャンパーピンの設定ですが、小さな部品の操作なので、指で行うよりも、ピンセット等で指示しながら切替をされた方が、スマートかな、と思いました。宜しくお願いします。🙂
懐かしなー、ジャンパーピンからディップスイッチになって、 その後に今のような画面で出来るようになった。 PCIとISAは拡張ボードを刺す場所によって、競合が起きるので 注意が必要です。
現役で当時自作してました。今より設定が面倒で大変ですよねw CPUファン装着時にCPUグリスを、塗られてなかったと思いますが 当時のPentiumは、セーフモード(?)はなかったので熱暴走するのでグリスは必須ですよ 今時のCPU付属のCPUファンと違って別売りなのでグリスは、自分で塗る必要がありますよ
Windows 95を入れてみてほしいですね。 今も昔もあんまり変わってないの、凄いですね。
ビデオカードのチェックしてる時にCPUクーラーが回って無いように見えるのはカメラのせい? Pentium133くらいならヒートシンクだけでも大丈夫かな?
バルクのCPU買ってきて当たりのロットならクロップアップが ジャンパーで出来た時代が懐かしいw
ATマザーとは懐かしいですね 当時のBIOSと時計はRTCによって保持されていたので、今のようにマザーボードにコイン電池が実装されてるのではなく DALLASと書いてある時計のアイコンの部品に電池が内蔵されて交換はできません 電池が切れていてWindowsのインストールや運用に問題があるのならこの部品の交換が必要になるかもしれません
古き良きマザボ
なつかしー・・・そう言えばCPUはジャンパで設定してた・・・
タンタルコンデンサっぽいのがあちこちで使われているのが時代を感じますね。タンタルは厄介な故障を起こすので、このマザーボードは運がいいかも知れないです。
MMX世代です、多少懐かしみながら見ました 16:20 マザーの仕様?SIMMって2枚刺し以外ありえなくなかったっけ..?
この時代に初めて自作しました。 ジャンパ設定懐かしい。 このタイプのメモリはどのメーカーのマザボでもチップセットの仕様て メモリは二枚一組で動作するタイプですよ。 当時はEDO-RAM(エドラム)と言っていた様な。 自分のパソコンはメモリスロットが2個だったのでメモリ最大容量の128MBにするには 値段が高い64MBを2枚買わないと駄目だったが何とか安く増設したい私は 怪しげなショップでメモリ4枚を1枚のメモリに変換するアダプタが売られていたので 其れを2個買い後は当時でも比較的に安価だった16MBメモリを8枚買い合計128MBにして 増設して使ってました。
ATは作った事あるけど、さすがにここまで古くなかったw ATだと多分windowsから電源切れないですよね。電源を切る準備が出来ましたになるやつっすよね?
ENTER THE BIOS ! って事で、とりあえずの正常起動、おめでとうございます。 ビデオチップに冷却ファンが付いている時点で世代が離れてて厳しいだろうなとは思いました。 やはり最初は新しくても ’S3 ViRGE DX/GX’ あたりでないと、、、古!(笑 このレトロPCが無事完成する事を願っております。そして後に、 ’MMX Pentium ODP (オーバードライブプロセッサー)’や、その後に発売されたビデオカード等の 試験台として活躍させてほしいですね。 国産CANOUPUS製ビデオカードなどは基板設計が優れていて持つだけでも満足感が高いですよ!^^ ・Socket 7、Super Socket 7のM/Bでも一部にはGe-Force系のカードだとベンチマークテスト中に 供給電力不足などで止まる物や、K6-IIIを載せると稀にレギュレータが焼損する物もありました。
今の自作PCはまじで誰でも組み立てられる簡単なプラモデルみたいなものだけど、この当時は本当に難しいものだったと思う。なにせインターネッツが家庭に登場する前だし情報がないので、なんのパーツ揃えてどうすればいいのか初心者が知ることはほぼ不可能だった。
@user-oq4ro7dw2m
Жыл бұрын
だから、私は、秋葉原のショップなどで、動作検証したパーツを集めたたキットを買いました。
この頃は、グリスとか塗らないのか。ビックリ
ビープ音がモールス信号みたいですね笑
@tubenaoya
Жыл бұрын
思わず反応してしまいますよね! 「ピーピピ・ピ(DE)」と来ると、、^^
太古の自作PC!当時のMBはピンであれこれ設定する仕様だったんだ。昔はそんな設定もBIOSじゃ出来ないんだな。しかし、限られたスペースのなかで色々進化してるもんだな。更に30年後はどうなってるんだろうか?
なつかしい!ジャンパーはCD,HDD,とか位しかいじった事ないです。パーツ購入時は店員さんに教えてもらいました。今はOSインストールがめんどうです、失敗してファミリーなんとかになってしまっている。
PS2マウスポートを有効にするとIRQ15(たぶん)を使うのでBIOSで設定が必要かもしれません。 コネクタを無水エタノールで清掃するのは駄目では無いんですが、表面の油分を除去出来るだけなので接点復活剤のような物が良いと思います。 マザーボードですが、PCIスロットがずいぶん変色していますよね。おそらくは保管状況や設置環境が良くなくて黄ばみが出ていています。 タバコのヤニや塵はコネクタ類に付きやすいので、コンデンサ交換とセットで水と中性洗剤で丸洗いでも良かったかもしれません。 ちなみに、ジャンパで設定している箇所はBIOSで設定は出来ません。
ペンテアムCPUは懐かしいですね。昔、ペンティアム200MHzのCPUのPCを約50万円で購入し、シミュレーションソフトを作っていました。
@user-hx7hk1vc5d
Жыл бұрын
わずか数十年くらいで200MHz×1コアから2GHz(2000MHz)×複数コアへ進化するってすごいよね。
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 当時、50万円と言うのも驚きですし、 パソコンが一般に普及してから十数年での進化も凄いですね!!?
@hirobon1023
Жыл бұрын
@@kojikojibroadcast N88Basicコンパイラの計算速度は1つ計算するのに10分でした。今、ノートPCのCorei7で3秒です。
マジックリンで洗わないんですか?
懐かしい😂
OS入れた後もドライバーの癖が強かったり難儀するかもしれませんが、 うまく動くことを願ってます
私の初めての自作PCはPⅡーSLOT1だった 今でもJANKの箱にあります。
現役の頃ミニコンの基板の接触不良と考え、アルコールでしっかり拭いたのですが、ダメでした。ダメもとで手持ちのポリコールジェットで拭ってやると、動作が正常になり、メーカーのサービスマンもびっくりしていました。ポリコールジェットはサンハヤトの商品で、今でもイヤホンジャックやボリューム、バッテリー端子などに使っています。
この時代のPCの自作、していました! 独身時代貯金がたまらなかった理由の一つです。ATケース、使い勝手悪かった。
30年前の?すっごーい‼️😱😂🙆今日も2倍速で見てます。o@(・_・)@o。
無水エタノール洗浄でも、ATI製とIOデータ製のビデオカードが使えなかったのかが気になります。
USBという超便利なコネクタが無くて、モデム・プリンタ・サウンド系等々の端子形状が独特の形をしてた時代のM/Bですかぁ、、、
@kojikojibroadcast
Жыл бұрын
ありがとうございます。 USBの有無でパソコンの便利さが圧倒的に違いますよね!?
BIOS画面が懐かしいわw