【自作PC】30年前の自作パソコン黎明期!!DOS/V機・PC/AT互換機パーツ紹介【ジャンク】
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30年前の自作パソコンDOS/V機・PC/AT互換機パーツを紹介します!!
日本の自作PC黎明期、30年前の自作パソコンをジャンクパーツを用いて新しく組み立てる企画の1回目(全2回予定)
【もくじ】
00:00 はじめに
01:00 自作PCの歴史
02:36 マザーボード
03:26 対応CPU
04:39 EDO RAM(SIMM)
05:42 日本製半導体
06:39 オンボード
08:24 グラボ
09:12 サウンドボード
09:39 内部コネクタ
11:18 キャッシュ増設
12:26 その他ポイント
14:06 PCケース(AT規格)
18:20 さいごに
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16:35 そこはおそらくケースメーカーもしくはパソコンメーカーのエンブレムシールが貼ってあったと思います。当時のエンブレムシールは今のようにペラペラのシールじゃなくて、表面にシリコンゴム加工(あらゆる機器の底面に貼ってあるようなゴム足の透明バージョンみたいなもの)がされていて、1~2mm程度の厚みのあるもの多かったのでへこんでいるのだろうと思います。
完成が楽しみです!!
久々に見に来たけど何も変わって無くて安心したw これからも頑張ってください!!
初めてAT互換機組んだのがちょうど30年くらい前だった。CPU486DX2 メモリSIMM8MB VLバスのグラボ(確かGPUメモリ2MB) 音源ISAバスのサウンドブラスター HDDは40MB OSはMS-DOS 5.0だったかなー 懐かしい
@nanashisansan
Жыл бұрын
あの当時、CPUは一時期 i486 vs 初代Pentiumでどっちが速いか? とかありましたよね。 SIMMが4MBで2万円、VLバスの複数枚挿しには相当苦労させられましたw
@kurokiti9630
Жыл бұрын
@@nanashisansan そういえばDOS/Vマガジン的な雑誌の記事とか草の根BBSでのネタにもなっていましたね。 なんといいますか、当時Pentium買った(買えた)人はお金持ちだなって思っていましたw
@nanashisansan
Жыл бұрын
@@kurokiti9630 486DXの高クロック品とか、ODPとかを購入すると貧乏人認定でしたよねぇ・・・。 価格はそんなに変わらなかったのに。
コジコジさん本気出してきましたね。短期間でコジコジさんの動画見れるの嬉しいです。
いつも楽しく拝見してます。この動画は懐かしくて特に良かった! この世代のボード自体は直には知らないけど、「PC-98」が「NX」(DOS/V機) になった頃にはパソコンにたくさんお金をかけていました (笑)。 「自作パソコン」を始めたのは、今から20年ほど前ですけどね。 日本製メモリチップの名前?、ロゴが似てるし、車の「Cima シーマ」から来ているのでは? あと、英語の綴り間違っていますね (笑) AsseNbled → AsseMbled 2本目も楽しみにしてます!
私にとっては懐かしい企画です。先日納戸を整理していてその年代のボードやメモリを捨てようと袋にほ織り込んでたところです。
懐かしいなぁ。この動画は絶対おっさんホイホイになるよ(笑い 自分が自作始めた時にはAT規格の最後の方で、このM/Bより後に出た440HXのP55T2P4が一世を風靡してた頃だった。 当時確か128MBのSIMMを2万円で買ったような気がする。時代を感じるね。
見たこともない世代のパソコンなので滅茶苦茶楽しみにしてます!
私が自作し始めた時はAT規格とATX規格の境で私はATXから始めたので面白かったです。
懐かし過ぎて悶絶! ベンチマークはファイナルリアリティで!
流石ですね。私は、出来合いのFM-7が最初です。あまりPCに詳しくないので参考になります。
この企画大好きです。 AT規格何て初めて知りました。
@nanashisansan
Жыл бұрын
AT規格は25年位前に完全にATX規格に駆逐された規格ですので、如何にATX規格が優れているのかの証拠となりますね。 PCの規格は未だにATXですし、その当時に購入したケース(全てスチール製で重い!)を未だに使えるのは有り難い事ですw
鍵をさすパソコンは他にEPSONのPC-286シリーズとPC-386にもありますよ〜
最初のPC/AT互換機は、94年の夏にGateway2000のPC買ったよ。Windows95は、深夜に先輩と買いに行ったの覚えてる。
大変懐かしい気持ちで拝見しました。ありがとうございます。フロントパネルの窪みは他の方がコメとされていらっしゃいますがエンブレムようですね。アルミなどの金属に彩色されたエンブレムがマザーに付属されていたり、別途売られていたりしました。
いや~懐かしいですね!30年前、9801DAからDOS/V機に初めて切り替えた時のワクワク感を思い出しました。英語だけのマニュアルを辞書を引き引き組み立てるなんとも不思議な優越感。初心者が秋葉原の電気街をおどおどしながらうろつくワクワク感。次の動画楽しみにしてます!
自作PCを自作しなくて済むようになったのがこの420 430チップセットより少し前ぐらいの時代、以降は作らず買ってきて組むだけで安く済むいい時代。 ケースに付属する端子シールが懐かしい。
@nanashisansan
Жыл бұрын
ATX規格の普及が、PC普及の原点になりましたね。 当方もやった事ありますが、AT電源のずらし取り付け、逆取り付けで電源やマザーボードが燃えた(物理)事がありますので・・・w
95年製!同い年の子だ… 歴史という意味でも同期という意味でも後編楽しみにしてます!
懐かしいです。 今でも我が家ではP55 socket7が昔のゲームをするためにあります。 エンブレムのくぼみは97年位に制定されたエナジースターを貼っています。 90年代の自作PC過渡期にチップセット以外の部品を全て自分で半田付けするキワモノマザボが在りました。 知人がチャレンジしていましたが失敗してました。 今の自作はかなり楽になりましたが、逆に完成する喜びは少ないですね。 サンダーやドリルも必要ないですし(笑) 完成動画楽しみにしております。
I think that Popful Mail will run very well on this computer!
16:34の左上の四角のくぼみはエンブレムシールのためのくぼみですね。懐かしい。 これ、インテルのシールとかはもちろん昔のコミケとかで、アニメとかゲームの エンブレムが売ってましたw うちの実家のPCにもこのくぼみあります(エヴァの)。 懐かしいものを見せていただきました。
@tuckn5815
Жыл бұрын
アニメやゲームのエンブレムシールとか売ってたんですか? 田舎に住んでいるのでその存在知りませんでした。自作エンブレムしか貼った事ないです😅
@user-ip5zg9mi2r
Жыл бұрын
@@tuckn5815 はい、ありました。2000年代初頭に秋葉原のあきばおーとか 同人系のジャンクショップとかに。同人は自作エンブレムの延長ですね。 コミケでも売ってましたよ。
@ayhht1768
Жыл бұрын
懐かしいですねぇ。ジオンのエンブレム貼ってました
勉強になります🖥
懐かしい自作PCの動画、興味深くみさせてもらいました。 マザーボードの部品をみると、時代を感じますね(ディスクリート部品で構成されているあたり) 90年代後半くらいに、自作PCを楽しんだ記憶がありますが、ファミコンカセットタイプのようなCPUでした(Celeron300MHz??)。 当時は部品の相性問題が多く、情報集めに必死でした。ショップによっては、プラス500円で「相性問題保証」ってのがあった記憶が・・・
前面の窪みはエンブレムシールを張る場所です。昔はコミケとかでオリジナルシールなんかも売ってたりしてましたね。 EGAは640×350のディスプレイ規格です。
ミリネジ、インチネジをプラスドライバーでグリグリ回して、クロック周波数を上げるオマケが懐かしい😆
懐かしい動画でした。当時はISA全盛でPCIは「わー、早い!」みたいな関係でした。
AT規格のM/B懐かしい。そしてメモリはSIMM。 マウスはこの頃はシリアルポートに接続するタイプでした。
色々と懐かしすぎます。 リアのパネルに貼ってあるシールはダイモ(テープタイプライター)で作った物かな? Windows95が出る前にペンテアムってあったんですね忘れていました。 Win95までは486のPC9821MateAで頑張ってました。 PC/AT互換機に乗り換えるのは結構悩みましたね。
現在もAT規格の自作PCを動く状態で持ってます。当初PC-DOS+Windows3.1で使ってましたが、ネットワークのドライバを入れるとWindowsがメモリ不足で起動できないので、config.sysをいじってEMSメモリやXMSメモリを使ってなんとかコンベンショナルメモリを開けるなんてことをやってました。そういうメモリ問題を一気に解決してくれたのがIBMのOS/2でした。何もしなくても600KB以上のコンベンショナルメモリが使えました。DOS/VやWindows3.1のソフトも使えましたので、当時として最強のOSだったと思います。現在はOS/2Warpが入っていて、ごくたま~に電源を入れてOS遊びをしています。
Cool. We had to learn MSDoS back in 1989 on IBM PC for computer studies - it seemed a strange system back then 🤠✌️
自作PCか~ 自分は2016年から興味持つようになって20歳になった今、そろそろ買って組もうと思ってるけど、大昔の自作PCは全く知らないので新鮮ですね。
OSは何を入れるのか楽しみです。 普通なら、MS-DOS+Windows3.1ってところだけど、あの当時はマイナーなOSも結構あったので。 あと、あの当時は5インチのFDDも辛うじて残っていた記憶があるので、見つけたら繋いでみるのも楽しそうですね。
なつかし~~~当時は買い集めることもできなかったしP9821が好きだったのでできなかったのでタイムマシンではないですが楽しい。コジコジさんいつもありがとうございます。
なつかしいパーツだらけ!
13:04 バグったw
あの頃ってエンブレムも自作する時代で、自作エンブレムキットとか売ってました。 自分はWin95が初めての自作PCでしたけど、CDドライブを認識させるだけでも苦労した覚えがw 後編も楽しみしています!
@tuckn5815
Жыл бұрын
そうそう!私もエンブレムを自作してました。シルバーの台紙に印刷してその上に透明なシリコン(?)の分厚いカバーを貼ってましたね。
昔は厚みのある(プヨプヨした感じの)シールも結構あったからヘコミに貼ると丁度よい感じだった気がします。
2:48 「型番」が「かたパン」に聞こえて、ちょっと楽しい。
アハハ、釣られてしまいました。懐かしいパーツ名、ありがとうございます。アメリカから個人輸入でPC/AT互換機(i486 33Mhz)を買って遊んでいました。DOS/V発売前で英語版のMS -DOS+Windows3.1にDisiplay Dispatch Driverというドライバを当てて無理やり2バイト化して日本語が使えるようになった時でした。続きも楽しみにしています。
1980年代はAT規格(その後ATX規格になった)主流で、マザーボードにキーボードコネクタしかついていなかったため、XTバスやISA、VLバスにI/Oカードを差して、IDEやフロッピーコネクタを接続していた。グラフィックカードはET4000(2MB)等があり、メモリは30ピンか62ピンSIMMが主流だった。(EDOメモリはCPUとのメモリアクセスを改善した規格で、EDO非対応のマザボにEDOメモリをつけると動かない場合があるので注意。当時、メモリの規格が混雑していて、SIMMコネクタ形状はEDOとそうで無いものが同じで、マザボを壊した。)ISAやXTはアドレスの競合が起きない様に、マニュアルでBIOSで設定する必要があった。(SB AWE32のISAアドレス設定気をつけて)。サウンドカードはAdlibがまず標準になり、SoundBlasterが次の標準となった。動画のマザーボードは、PCIが付いたり、IDE等が付いているので、AT規格後期の物ですね。EGAはビデオ規格のモード。16色で、他にCGAやMCGA、VGA、SVGA等がある。EGAやCGA規格がついている場合、ビデオがISAの場合がある。(ISA競合に注意。画面映らなくなるから)
電源にモニター用のout端子があるのが懐かしい。本体の上にブラウン管のモニター乗っけてたなぁ。
うわぁ懐かしいなぁ!!! そのマザボ使ってましたw ソケ4の時から所謂DOS/V機自作してますが、個人的には、今でもPS/2端子は必須だと思ってます。
これは懐かしい。次回も楽しみです。私はオジさんなので初めての自作PCは会社で渡されたパーツで組んだ486なのでもっと古いです。. 電池内蔵型RTCについてはVUJ LAB.チャンネルが修理している動画をアップしています。 チップセットの430FXってトライトンでしたっけ?ノースチップとサウスチップが分かれていますね。
ISAバスとか懐かしすぎるw
懐かしいなぁ。初めて自作したのはこの辺のモデルでしたね。intel133だったかな。 このあとwindows95の登場で、秋葉原なんかにも自作系PCの店が一気に増えたんですよね。 (マハーポーシャなんかもありました……w) ケース全面の凹みは、その通りでintelやAMDなどのロゴを貼り付けるところでした。 当時のシールは厚みがあるものが多かったですからね。
すごい、見応えありました。 ASUSもそんな前からあるのおw私の周りにはこんな話できる人おらんです。パソコンのメモリとハードディスクだけ増設したことはある程度なのですけど。面白かったです。パーツを集めるところから大変ですけどすごい楽しみにしてます。30年前ってね。すごい〜
パーツが懐かしい。430FX Tritonかな。
96年頃、CyrixのCPUを自作ショップで買ったとき付属でCPUのシール付いてきたような記憶があります。丁度あの四角い窪みの所に合うはず。
表側のへこみですが エンブレムシールを貼る所だと思います 昔はエンブレムも自作して、自分だけのPC作ってました なつかしいですね。 是非エンブレムも自作してください
(洒落よ)コジコジさんは 今度オウムパソコンをレストアして下さいな
ソケ7でデビュー世代です。21世紀になって倍率、電圧のジャンパとか無くなったり自作楽すぎ コナーのHDDとか懐かしいですね~、そのSIMM当時おいくらだったんかと恐ろしい.. AT電源ですが、FAでは現役なので保守に新品売ってますよ
ドライバの問題は大丈夫なんですかねぇ。楽しみです。
この時代の自作パソコン持っています。OS WIN98に上げて、現在でも稼働します HDDが上限4.3GBのはず。 win3.1サポートしているタイプ 。
マジックリン洗浄と樹脂漂白もやってピカピカ旧マシンにしてください!!16:30の四角い枠はエンブレムみたいなの貼ってましたね。マザーとかケースに付属していたと思ったけど…
この時代のPCパーツは今も多数所持してます。初心者でも自作PCで自分だけのカスタマイズが楽しめた時代でした。 サウンドカードはCREATIVEかYAMAHA、グラフィックボードはVoodooかRIVA-TNTが流行ってました。 訂正:よく見たら上記よりも古い筐体でした。ISAバスカードはSCSIかサウンドボードしか持ってないですね。
いかんな。 PCIが付いてると「新しい」と感じてしまうw 老いたわー。
この頃はCD-ROMとSoundBlasterを載せたものを DOS/V雑誌などではマルチメディア機と言ってましたね。 (マルチメディアはPC-98でも言ってましたが、) X68000からの乗り換えで、初のボーナスでIBM PS/V Vision初代(IBM 486SLC2 50Mhz)をLaox Theコン館で買いました。 速攻でHDD交換して、マザーも2回交換しましたけど。 今のMiniITX規格相当なんでしょうけど、独自規格なのか その当時は秋葉のコアな店で交換可能なのは Elite社の1種しかなく、何の変哲もないマザーが 5.8万もしました。
昔は牛PCありましたね NeXTSTEPとかO2とかカッコいいWSも憧れてました
@collector-mania
Жыл бұрын
おお、GATEWAY2000は自分のはじめましてのAT互換機購入でした。
Cimaって聞いたことがないブランドですが純日本製メモリーモジュール凄いですね!
なんか面白そうって感じでマザーボード買って組み立てた初自作PCのCPUは486DX33MHzでした 電源ボタンと電源繋ぐ線を繋ぎ間違えて、電源オンで部屋のブレーカー落ちたとかやりました
自分の初めてのPCがNECのPC9821cb10で、CPUがPentiumの100だったの懐かしいな思いました 一応倉庫に眠っているけれど動くのかしら?
7:25 BIOS起動時、PS2の起動が早かったり 同時操作関係とかで私も・・・5年くらい前までPS2使っていましたが もうUSBですね PS2は抜き差しするとOS起動中、反応しなくなったり USBももう普通にBIOS起動時に使用できるので、無理してPS2を使用する事は無い世の中 それにしても、なかなか面白い企画ですね。良い動画をありがとう
パソコンも余りない頃にワンボードマイコンで組み立てて機械語を入れて遊んでました。 それからPC-8001を手に入れて機械語でプログラムを組んだりしてました。 DOS/V前に通販とかでパソコンのクローンが売ってと思う。 振り返って思うと色々な規格がでて今ではほ通用しませんが。 初期のパソコンとかはICとかLSIもデカくて圧巻ですね。 大きい割りに性能は可成り劣ってますけどね。
新しくも古い 昔はMacばっかりいじってたからなぁ~ Dos/Vは新鮮
Compuaceですね♪ あそこにイケは無いものないですからね~ 僕は20年前行きつけでしたw(あの雰囲気が好きでしたw
VLバス、久々に見ました。懐かしいですね。その場凌ぎの急拵えみたいな拡張規格だったせいでノイズ対策が必須で、激しい相性問題が多い事でも有名な問題児でした。
@nanashisansan
Жыл бұрын
VLバスは、IRQと割り振りと複数枚挿しが絶望的に大変でしたよねw こんな規格急拵えするなよ目蜂M!!! w
30年前の自作PCのハードルが高いですね。CPUの周波数が高くてもMHzなんですね。今だとGHzが当たり前なので、30年の歴史の進歩は凄いです。
@toshiohattori
Жыл бұрын
1988年に最初に買ったパソコン、Mac Plusは8MHz、標準搭載メモリー2MBだったなぁ... こんなんでよくGUIがサクサク動いてたもんだ。同時代のPC-9801はメモリーが640KB。CPUは10MHz。
@zazisomei7960
Жыл бұрын
@@toshiohattori このメモリ-に色々シフトしたら足りなくなりましたね。basicで少し複雑なプログラムをつくると遅いこと遅いこと、そのうち熱病みたいに熱くなってきて潰れそうだった。 CPUが100 MHz近くなったら感動的に速かったな・・・
@user-tf4br3cd7x
Жыл бұрын
Athlon1GHzの登場時に、当時は発狂したものですよ。
コジコジさん、いつも楽しく見させていただいています。 私も Fujitsu FM-7, NEC PC-9801 あたりからパソコンを触っているオタクです。 今回はかなり古いパソコンの内容で、懐かしく見させてもらいました。特に(次回含めて) よくもこんなに古いパーツ類を集められたものと感心しきりです。 ところで本題とは関係ないのですが memory の基板裏面の印刷表示 94V-0 を見て「94年製?」 と云われている箇所がありますがこれは製造年を示す表示ではありません。 UL (日本の電気用品取締法に該当) と云う、プリント基板の難燃性を規定するアメリカの安全 規格の難燃グレードを示す記号です。 万が一、機器故障で内部で部品の発火などが有った場合基板を介して燃え広がらない様に 配慮された安全規格の一種です。 PC だけでなくアメリカで販売される電気製品全ての中に有るプリント基板には通電される 電力に応じて最低限の難燃性を持った基板を使用することが義務づけられており違反すると 回収などの措置を指示される場合が有ります。 ちなみに 94V-0 は高い方の難燃グレードで 電力が小さい箇所の基板には HB などのグレードの基板が使用されます。 (当然基板の価格は 94V-0 材の方が HB 材よりも高価です)
イーディーオーメモリーです笑。アキバと言えばマハポーでしたね笑。HDDがボトルネックかもです。この頃ならデュアルCPUマザーあったと思うので、いつかチャレンジしてみてください笑。
ASUS独自のメディアバス(PCI後ろに伸びる茶色のスロット)付のマザーとは懐かしい。 メディアと言う名前の通りこれ専用のサウンドカードもあったね。
私の最初の自作PCのとっかかりは SotecマシンのSlot1CPUを換装したことでした^^b さすがにAT規格は作ったことないですが、ISAスロットは一本くらい残ってたような気がします。次回を楽しみにしています^^b
CPU の上の茶色いスロットはPB (パイプラインバースト)sramですね 私、このマザー使ってました。懐かしい、 PCIは速かった、、当時ね。ISAしか使えない486使っていてグラボもISAだったから遅くて遅くて買い替えたコイツはPCIは速かった、、感動した記憶あります。 PB SRAMは今は手に入らないから普通のSRAMでもよいかな。 ケースの左上 凹みはエンブレムシールです 色々ありましたよ、ふざけたエンブレムも秋葉でうってました。 社内最速とか、インテルアウトサイドとか、、
こんばんは。自分はwindows3.1は使ったことがないので、もちろんAT機も作ったことがありません。1機目の自作機はAsus P2B-Fでした。25年くらい前の話です。ノースブリッジは、i440BX。SLOT1機です。ビデオカードは、Matrox Millennium G200だったと思います。町中にPCショップが結構あったころです。
基板に一つずつ部品半田付けして作りましたよ、東芝のTLCS80A・EX-80 RAM1KBにCPU2Mhzでした 今の自作は売ってるユニット組み合せるだけなので楽でイイや✌
たしか20万くらいしたかな、すごいスピードで世の中が変化していった。 新世紀を体感したのが2006年くらい。よく生き延びれたと思うよ。 人生は美しい、未来は次々やってくる。
懐かしいパーツ構成です。マザボは違いますが、私が初めて自作PC組んだ頃の物ですね。 Voodoo Bansheeのビデオカード、SOUND BLASTER Live!は使用しない方が良い構成です。
懐かしい基盤(M/Bの事を)ですね。この基盤は当時大学の新卒の初任給と同じくらいだった気がします(記憶違いだったらすみません(;^_^A) CIMAは当時、シーマって呼んでました!コジコジサンの部品の呼び方が今風で「当時はそう呼ばないよ!!」ッってつっこみながら楽しく見させてもらいました オイラもいい年なんで今の作成PCで作成を引退を決めました!これからも配信楽しみにしてますね(^^♪ その凹みは当時CPUメーカーのロゴを埋めるためにメーカーがへこませてました あとはメーカーによって自社のロゴのメタルロゴを埋めるために入れた機種もありましたよ
S-RAM の脇にあるバスコネクターは多分VLバスかな? VGA 640-480 EGA 640-350 の端子の差し込み口かな? サウンドカードとビデオカードはドライバー探すの大変かと思いますが頑張ってください。 ドライバーの有無→カード入手の順かな?
AWE64、90年代読んでたPC雑誌によく載ってました。90年代後半の高級サウンドボードですね。 さらに上にAWE64Goldなんてのも。 凹みはエンブレムを貼る部分かと。 最初に触ったマシンがAT規格で、IDEのプライマリ・セカンダリ、マスター・スレーブの勉強に使いました。
昔あったりんごのマッキントッシュ前のテープレコーダーパソコン
私の自作1号機も430HXで、P54C100MHzでした
当時の海外製のゲームソフト、フライトシュミレーターとか入手できれば結構遊べると思います。
@aoao7aoao7
Жыл бұрын
プレイしたのはAX機でしたが、当時の洋ゲーは中々尖っていると言うか 凝った部分が日本のゲームと違って感心しましたね。
p/i-p55tp4xe、rev2.1版 の様ですね。 このM/Bの最終Rev2.4/2.5 の場合、 ジャンパピンの形状が ピン型ジャンパからDIPジャンパに変わっていますよ。 *ps:今時のCPUみたいに「キャッシュメモリin」ではないため遅いままです。「速く」したいときは… *別途で「セカンドキャッシュメモリ」が必要ですよ!お忘れなく!*
asusはasustek computer incで当時はみんなアサステックって呼んでました。未だにエイスースには違和感ありまくりです。
@happy-tz6gm
Жыл бұрын
思い出しました、当時の掲示板であーだこーだ言って議論してたのを、ATComp-NETだったかなあ。🤣 東京で行われたパソコンショーで、Asus社の社員が "アスース" って発音してて、アスースに落ち着いたのを思い出しましたよ・・・幸せな時代でしたよ。😂
正方形の溝にはエンブレムシールをはってレンズシールをはります
偶然この動画が出て来たけど、見たら面白かった。 このマザーボードはさすがに72pin simmだけど、もっと古いと30pin simmを使います。 6:00の94V-0はUL94規格のV-0で、難燃性の規格を意味します。 Cima シーマラボラトリ 現存する会社の様です。 17:10 当時色々なバッジや自作用バッジなんかもPCショップで売られていました。 CPUが乗る大きな基板はマザーボードと言いますが、 拡張コネクタに挿す小さい基板は〇〇カードと、この当時は区別されていました。 (映像出力用はビデオカード 映像入力はビデオキャプチャカードとか) MacだとMPUが乗る基板はロジックボード、Nu-busとか拡張スロットの基板は〇〇カード。 Apple][でもカードと呼ばれていたようです。 この当時PC9801では、Cバススロットの基板も「ボード」とNECは呼んでいて、 98が終わって移って来た人達が区別せずボードと呼ぶから、グラフィックボードって呼び方に。 (日本では少数派だった古いDOS/Vユーザーより、元98ユーザーの方がはるかに多いだろうし) とは言え、グラボの方が語感はいいけどネ。
ATマザーは私も集めていますが、最近は玉数が少ないので貴重ですね I/OやIDEがオンボードでよかったですね。下手するとそれすら増設だったりします あとダラスのRTCはこの時代のは大体死んでますが、直付けだと交換が面倒ですね。互換品はまだ売ってます ちなみにケースのへこみはエンブレムを付ける場所ですね
@kurokiti9630
Жыл бұрын
そういえば当時、マザーにIDEのコネクタが無くて、IDEのCD-ROMをサウンドブラスターにつなげていました。。
すげー、めっちゃワクワクする動画でした。 レイテンシ、SRAM、てか、よく、こんな綺麗なM/Bを手に入れられましたね。マウスは必要無いでしょ笑笑。OSは、3.1になるのかな?次回がめちゃくちゃ楽しみです‼️
初めて組んだのがこのマザーの次の世代のP/I-P55T2P4だったなー それとP55Cの233MHz
何かwin95で始めて自作したPCがATマザーだったのでとても懐かしいです。 ただあまり使わずにATXに移行してしまったので、あまり細かい事は覚えてない。歳は取りたくねえなあ(笑)
私はSocket7時代からの経験しかなく、Socket5時代は、こんなマザーだったんですね。
懐かしい時代ですよね、ただ、70年代の自分でハンザ付けして・・・って方が本来の自作PCと言えるでしょうね。 30年前って言うと私は父親が買ってきたPC-9801RA21を使っていました。(まだ12歳、小6だったと思うので・・・) 自作はASCIIやOhPC等の雑誌で見た知識しか無いですが、あの頃は拡張ボード追加する場合は IRQ(98ではINT)、メモリーアドレス、I/Oアドレス、DMA番号とか自分で割り当を変更して CONFIG.SYSのドライバー読み込みで設定とかが当たり前の時代だったので、 今のPnPを思うと便利になったなぁ~と思います。 L2キャッシュも確かi486からのったと思いますが、非同期SRAM、シンクロナス(同期)SRAM、パイプラインバーストSRAM、バーストSRAMとか いろいろ種類があったと思います。 メインメモリーのDRAMも確かシンクロナスとかバーストとか有ったような気がします。 EDOが「エド」と呼ばれていたかはびみょーですね・・・海外でも「イー・ディー・オー」って呼ばれていたので、「エド」は無いと思います。 ただ、94年頃にEDOがあったのか、ちょっと記憶に無いですがもしかするとEDOでは無く、BEDO(「バースト・イー・ディー・オー」)が使えるかもしれませんね。 CPUソケットですが、Socket5と言いつつ、実はSocket7一歩手前のせっいのマザーですかね、 CPUソケットの右の方にパターン有りますね、・・・チップ抵抗らしきものが半田付けされていますが、 おそらくSocket7の規格に有ったVRMモジュールのソケットのためのパターンですね。 AT規格の電源端子は6ピンx2を使用しておりましたが、初期のATX電源には6ピン分だけAT規格のコネクターがついていたと思います。 また、AT規格のキーボードはDIM端子ですが、マウスはPS2もピンヘッダーが有るかもしれませんが、COMポートを使った シリアルマウスも結構使われていました。 今から30年前だと、多分i486で、ISAとVL(その他EISAかVL→PCI変換ライザー)のマザーが一般的だったと思うので、 今回のマザーは其れよりちょっと後のジャンパースイッチとかDIPスイッチが無くなり始めている時代のM/Bですね。 将来の件ですが、日本製半導体もっそうですが、今は動作が速く自作PCと言ってもパーツの組み合わせです。 でもチップ間配線はDRAM以外は殆どがシリアル化されて配線数が減っています。 一時出てきたRDRAMの配線仕様をシリアル化したようなDRAMが一般化して安価になれば、 其れこそ自作OS等の書籍も有りますので、本当の意味での自作PC(半田付け云々)が作れる時代が来るかもしれません。 昨今のように性能を求める自作PCユーザーには受け入れられないかもしれませんが、 趣味でなにか作りたい・・・といった物作り精神旺盛な方々のための自作PC時代が来るかもしれません。
実はつい最近まで、私の環境ではSoket5のDOS/V機が動いていました。 PC-98ならソフトウェアが多いので今でも動かしてる人いるようですが、日本でレトロPC/ATをフォーカスする人少ないですよね。 ケースのボタンですが、押して戻らないのはAT電源では普通です。ATXのようにソフトスイッチではありません。 右端のボタンが電源で、鍵近くのボタンはターボボタンのように思います。なお鍵はI/Oロック用か電源ボタンロックでは無いでしょうか。 AT->PS2変換ケーブル買ったお店、今は分かりませんがお香の匂いが漂うショップですね。確か魔術堂というお店と併設しているからだったような。
初組み立てが95年で ASUS P/I-XP6NP5 Socket 8 Pentium Pro Motherboard Intel Chipset: 440FX 387pin ZIF Socket 8 CPU PentiumPro200MHz Memory EDODRAM(Enhanced Data Out Dynamic Random Access Memory) SIMM 64MB×4 256MB 電源 AT電源 フルタワーケースでした。 OSは会社で使い慣れたWindowsNTをインストールしました。
その凹みはショップのエンブレムを貼るところですね。
おーやべぇ懐かしすぎる 初めて自作した25年前に大流行してたP55T2P4は超有名なマザーボードだったけど それのひとつ前のモデルってことかね でもジャンパスイッチ設定がめちゃあって簡単に組み上げられないんだよ 今の自作はレゴと一緒でヌルヌルだよね
他の方も書いてましたがVLバスとISAバスの割込みIRQとか面倒でしたねぇ~ それより前のAPPLEクローンなんて高過ぎてww ASUS T2P4で遊んでたなぁ。 EDOラム、例のマXポーシャの店で知らずに買ったことも。
@nanashisansan
Жыл бұрын
流石に人件費ゼロだとお安いですよね(激汗)
@radio-etc
Жыл бұрын
えー、その店だけ、あと一声安かったです。
94V-0は樹脂の難燃性(燃えにくい)試験の規格番号です。難燃剤という薬品を基盤に使われている樹脂に練り込み燃えにくくしてます。
シールですね 懐かしい