[ゆっくり解説]戦後のヤミ市で売られていた食べ物・飲み物

飲食店とは違いますが、ヤミ市の名物にパチンコがあります。
ただ、これは戦前からあるもので、一度廃止されていたものがヤミ市で復活したものになります。
というかむしろ、ヤミ市こそが戦後のパチンコの隆盛をもたらす存在になりました。
流行ったきっかけはお酒同様生活の苦しさを忘れさせてくれるもの、この場合は射幸性(ギャンブル性)がパチンコにあったからでした。
それだけでなく、1948年までパチンコ玉一個が1円という値段で、それなら庶民でも手が出せるというのも関係していました。
そんな当時のパチンコは椅子がないため立ちっぱなしでやり、流れる音楽は海軍の軍艦マーチで、景品も煙草一本とかキャラメル一箱とかその程度のものでした。
それでも当時の人がパチンコをやったのはやはりゲーム性があったからでした。
これは現代でも同じで、人はパチンコが必ず当たるようになるとそれをやらなくなるみたいです。
理由はもちろん、中毒を生み出す射幸性がなくなるためです。
〈動画内で出て来た動画〉
昭和(戦前・戦中・戦後復興期)の食事
• [ゆっくり解説]昭和(戦前・戦中・戦後復興期...
アイヌの食事
• [ゆっくり解説]アイヌの食事
日本兵と人肉
• [閲覧注意]日本兵と人肉(フィリピン・ルソン島編)
〈他のチャンネル〉
ゆっくり合戦絵巻
/ @yukkuri_kassen_emaki
闇の歴史
/ @yamino_rekishi
ツイッター
/ hidori_asuka
FC2(いつも小説を上げているサイト)
novel.fc2.com/novel.php?mode=t...
参考文献
 ・ヤミ市 幻のガイドブック(講談社さんから出ている『東京のヤミ市』という本はこの本の復刻版です)
 ・ヤミ市 東京池袋
実は日本の「ヤミ市」の研究は全く進んでおらず、そのような中でも後世の人達が何とか当時の情報を知ることが出来るのは『ヤミ市 幻のガイドブック』を書かれた松平誠さんのおかげです。
この方がいなければ、この動画もまず出来上がっていませんでした。感謝。

Пікірлер: 376

  • @takeoakutsu6963
    @takeoakutsu69632 жыл бұрын

    シベリア抑留を生き抜いて、ようやく帰国できた祖父が生前、 「闇市で食べたうどんの味が忘れられない」と言っていたのを思い出しました シベリアでの食事は、毎朝お椀一杯の塩水に小豆が2粒だけ それに比べたら、闇市のうどんは「涙が止まらなかった」極上のごちそうだったと あのうどんをもう一度食べたいと言っていましたが、いわゆる思い出補正などもあったでしょうし 何が入っていて、何で出来ているかわからない闇市の料理 「そのうどんをもう一度食べさせてあげたかったけど、いろんな意味で再現できんかった」と 祖母が言っていました

  • @user-uz7gp4xp1k

    @user-uz7gp4xp1k

    2 жыл бұрын

    わかります、縁日の屋台とか雰囲気で美味しい感じるもん!

  • @user-cw9jz4ls7s

    @user-cw9jz4ls7s

    Жыл бұрын

    食べるものがなかったから、余計に美味しく感じたんでしょうね。 その後にいくら再現しても、きっとあの時の感動は味わえませんよ。 もう一度食べたかったと思うだけでいいんですよ。

  • @user-zj1qv1yc2u
    @user-zj1qv1yc2u2 жыл бұрын

    闇市で水餃子ではなく、焼き餃子が良く作られたのは、戦後の小麦粉は質が悪く、長時間茹でると溶けてなくなるようなものも多かったため 少量の水でこねて、焼いてしまえば形が崩れない焼き餃子の方が売り易かったという理由のようです

  • @user-km6dl2og5b

    @user-km6dl2og5b

    Жыл бұрын

    おぉ勉強になります。

  • @user-zd6xo6xq1c

    @user-zd6xo6xq1c

    9 ай бұрын

    勉強になりました!

  • @user-cj1qh6kq2h
    @user-cj1qh6kq2h2 жыл бұрын

    はだしのゲンで屋台の雑炊に箸が立つ!! って客が言ってて、主人公達が羨ましそうにしてるのが可愛そうだったなー

  • @philip0115
    @philip01152 жыл бұрын

    どこのチャンネルかは名前出さないけど、別のゆっくりで食べ物解説してる系チャンネルの最近の投稿動画が「○○は危険だった?!」「驚愕!!○○の真実」「○○に騙されるな!!」系のラインナップに変わってきてるから、このチャンネルの食べ物の雑学や歴史を普通に伝えてくれてる姿勢好き

  • @user-ko6wb3zl6z

    @user-ko6wb3zl6z

    2 жыл бұрын

    企業とかにチャンネルが買収されてるらしいからクオリティがかわっちゃうらしいよ

  • @鉄猫

    @鉄猫

    2 жыл бұрын

    本当にそう 何年も見てたゆっくり解説チャンネルが、急に業者と同じタイプのゆっくり解説の雰囲気になったのは残念だったなぁ 好きで解説してくれてる有志のゆっくりチャンネルもあるというのを知らない人も増えてると思うと残念だし、業者じゃないチャンネルは本当にありがたいです

  • @user-ko6wb3zl6z

    @user-ko6wb3zl6z

    2 жыл бұрын

    企業が買い取ると赤字でも動画を早く沢山作るから面白くない動画で再生数も下がっちゃうのが残念、編集者とかも雇うわけだけど当然赤字だから割り当てられる金額が安いからクオリティも下がるし

  • @user-ok4nd1qf8w

    @user-ok4nd1qf8w

    2 жыл бұрын

    しかもあれ某世界料理のゆっくり解説のパクリでしたしね...構成もほとんど似てて酷かったです

  • @IMdaisukiman

    @IMdaisukiman

    2 жыл бұрын

    あの人の歴史系は面白かったんだけどね...

  • @user-rt9xc5ur2z
    @user-rt9xc5ur2z2 жыл бұрын

    この世界の片隅にでごった煮の中にラッキーストライクの紙入ってたけど2人が「うまい」って本当に幸せそうな顔して食べてたのが凄い印象に残ってる

  • @user-hl9pq7tokusoutai

    @user-hl9pq7tokusoutai

    Жыл бұрын

    残飯を日本人食べるの知ってるのでわざわざ吸殻、コンドームを混ぜていたそうな!😅😅

  • @user-on2yl4re7p
    @user-on2yl4re7p2 жыл бұрын

    ヤミ市の話はマンガや小説、テレビでしか知らないので、ためになります 祖父達は物心つく前に亡くなり、祖母達は戦中戦後の話をしてくれなかったので… 親族がたくさん亡くなっているので、話したくないことが多かったのだろうとは思いますが

  • @yamanekomin
    @yamanekomin2 жыл бұрын

    母の思い出話で、甘いものが食べたいと言ったら祖母が闇市で買ってきたサッカリンでぜんざいを作ってくれたというのがありました。 砂糖は貴重で買えなかったようですが、美味しかったといってました。

  • @鉄猫
    @鉄猫2 жыл бұрын

    前半のBGM、最初暗く始まったのに途中で躍動感を感じる展開になるのがなんだか良かったです。戦後の暗い時代に負けなかった人々の活気を感じた...!! 量産(業者)ゆっくりばかりになってきてガッカリしていた時にこちらのチャンネルを知ってとても嬉しかったのを覚えています。 ダークなテーマを取り上げる時の姿勢も演出も、業者は同じような切り口ばかりだけどこちらのチャンネルはちゃんと人の心を見ているから考えさせられる...。好きです。

  • @user-vk9qd4oc9j
    @user-vk9qd4oc9j2 жыл бұрын

    祖父母が東京の闇市で飴を売ってました、大変儲かったらしく空襲で家が焼けたのに直ぐに再建でき工場まで建てられたそうです。戦争でひどい目にあった方が多い中むしろ得をしてしまったとなると微妙な気にもなりますが...

  • @senpannatto
    @senpannatto2 жыл бұрын

    凄くためになるし面白くて最高です!!

  • @user-dd7dl9qz7t
    @user-dd7dl9qz7t2 жыл бұрын

    大変勉強になる動画でした。 ありがとう御座いました。

  • @user-lv3rt6cx8b
    @user-lv3rt6cx8b2 жыл бұрын

    ヤミ市…残飯料理で言えばアニメの「空手バカ一代」の冒頭で主人公がヤミ市で「水とん」を食べたら、中からタバコの吸殻が出てきて「ベッ!残飯だ!」と吐き出すシーンが印象に残ってます。あれが戦後間も無い頃の食糧事情だったのか、と一発で理解出来るシーンでした。

  • @user-ek1us6oc7d

    @user-ek1us6oc7d

    2 жыл бұрын

    そんなもんが千円したわけでしょ、現在で言う。

  • @user-ut5mo6ci7o

    @user-ut5mo6ci7o

    2 жыл бұрын

    ニコチン煮込んだ雑炊食べて良く死ななかったね( ゚Д゚)y─┛~~

  • @user-ln9qi4xx9t

    @user-ln9qi4xx9t

    2 жыл бұрын

    コンドーム(米兵が使い捨てた)が混じってたこともあったとか。

  • @user-jz5kz7kr2m

    @user-jz5kz7kr2m

    2 жыл бұрын

    確か米兵が残飯を食べるの知っていてわざと吸殻やとんでもない物混入させていたんだよね

  • @gsgs_O7
    @gsgs_O72 жыл бұрын

    おもしろかったー。ありがとうございます!勉強になった!

  • @user-zj1qv1yc2u
    @user-zj1qv1yc2u2 жыл бұрын

    甘いものに飢えていた戦後の日本人にとって闇市で手に入る、ブドウ糖やサッカリンは飛ぶように売れるものだったようです。 サッカリンを水に溶かして、製氷機などにいれて固めたものを「アイスキャンディー」として売ってたようですね。

  • @douga9996

    @douga9996

    2 жыл бұрын

    メチルアルコールを水で薄めてサッカリンを混ぜて酒として飲ませていたとかね。

  • @user-qn9no5jz3z
    @user-qn9no5jz3z2 жыл бұрын

    とっても良かったです!! お寿司、結果的に健康的な食べ物になってますよね…!(それだけ、昔からの日本食は健康的って事でもありますが) 闇市のお陰で、沢山の人が救われたんでしょうね、お金ないと無理だけど。

  • @user-nj4vm6vy4u
    @user-nj4vm6vy4u2 жыл бұрын

    少しBGMが大きく思います 内容は凄く興味深く面白かったです!

  • @user-xo8nk1ef1l
    @user-xo8nk1ef1l Жыл бұрын

    大変興味深く拝聴いたしました。この世界の片隅にを思い出しました。

  • @user-zd7wg5ql8l
    @user-zd7wg5ql8l2 жыл бұрын

    カボチャもサツマイモ同様に代用食で食されたとか。 だから当時食糧難で苦しんだ人は、カボチャとサツマイモだけは2度と食べないと言ってた。

  • @user-zj1qv1yc2u

    @user-zj1qv1yc2u

    2 жыл бұрын

    介護施設で90前後の方が「一生分食べた、もう見たくもない」と言ってサツマイモとかのおやつとか出てくると嫌がるというのはよくあったようですね

  • @user-xb2fq7qb4y
    @user-xb2fq7qb4y2 жыл бұрын

    小説を書いてるだけあって説明が、聞き取りやすく復習もかねての説明あるから記憶的に解りやすい

  • @user-me3kj3yt5b
    @user-me3kj3yt5b2 жыл бұрын

    焼き餃子が日本で広まった理由としては、中国からの引き揚げ者の多くが満州から来たからという説があります。 満州の地に居た満州族は漢民族と違って、餃子は焼き餃子が主流だったそうです。 それを知った日本人が終戦後に引き揚げ、日本で焼き餃子が広まったという説です。

  • @user-zj1qv1yc2u

    @user-zj1qv1yc2u

    2 жыл бұрын

    日本の焼き餃子にニンニクが入れられることが多いのは 戦後の闇市などで出てきた餃子の肉は、質が悪くにおい消しなどの理由でニンニクを混ぜるようになった という説がありますね。

  • @user-zy8zt3qo2k

    @user-zy8zt3qo2k

    2 жыл бұрын

    ちなみに、その満洲に派遣されていた部隊の主力の一つが宇都宮を拠点とする第14師団でした。 それが宇都宮で餃子が名物になった一因とされています。

  • @guston008

    @guston008

    2 жыл бұрын

    昔「奥様は魔女」というドラマがあって、主人公の隣に住んでるおばさんは驚いた時に「あいや、まあ!」と言うのが口癖でした(もちろん日本語吹き替え)。私は10年前に(旧満州)大連市に仕事で住んでわかりました。「あいや、まあ!」というのは大連の方言なんですね。とにかく大連人は何かあったら頻繁に「あいや、まあ!」を口にします。 「奥様は魔女」の翻訳家さんが旧満州出身なのは間違いないです。

  • @user-mb6on6gq9p

    @user-mb6on6gq9p

    2 жыл бұрын

    餃子と言えばドラゴンボールのチャオズというキャラが有名ですが、実はチャオズが悟空と話したことは一度もないそうです。

  • @kazh9028

    @kazh9028

    Жыл бұрын

    水餃子は日本人の好みではない というのが一番だけどね

  • @AAA1Andromeda
    @AAA1Andromeda2 жыл бұрын

    上野の「アメ横」も戦後の闇市が発祥の商店街ですよね。 上野は北関東、東北方面への交通の要衝であり、地方から来た行商人もお店も出していたようで、その中でも手軽に食べられる甘味の飴がよく売れたため飴屋が多く、これが「アメヤ横丁」略して「アメ横」と呼ばれる所以になりました(米軍の放出品も多く売られていたため「アメリカ横丁」という意味合いもあるようです)。 ちなみに時代の流れで当時の飴屋のほとんどは業種転換していきましたが米軍の放出品を扱っていたお店はミリタリーショップとして現在もいくつか残っています。

  • @user-ki7by6fe7t

    @user-ki7by6fe7t

    2 жыл бұрын

    >米軍の放出品を扱っていたお店 ミリオタやサバゲーマーにはおなじみの中田商店とかですな、よく行きます。

  • @lemonade6482

    @lemonade6482

    2 жыл бұрын

    @@user-ki7by6fe7t 中田さん以外にミリタリーショップあったっけ?

  • @user-ki7by6fe7t

    @user-ki7by6fe7t

    2 жыл бұрын

    @@lemonade6482 松崎商店はアメ横って言うには少し遠いですかね。また、ジャンルとしてはどっちかというとガンショップですがマルゴー(現:Take Five)とか今は亡きNew MGCあたりが古くからあった店ですか。あとは割と新しい御徒町駅近くのファーストとか。(すいません、どっちかというとガンマニアなのでサープラス専門の店は詳しくないのです…) 最近は秋葉原~末広町辺りの方がこの手の店は豊富ですね。

  • @COSF101
    @COSF1012 жыл бұрын

    母の実家には終戦直後アメリカ在住の親戚(日系人)から様々な物資が送られてきたそうです。アメリカからの郵便物は日本の郵便局でも一種のアンタッチャブルだったそうで、荷物に異常(破損や中身抜き=盗難)でもあれば、地方のGHQ連合軍最高司令部民政部の係官(米軍将校)の徹底的な調査が郵便局に入いるくらい荷物の取り扱いは厳しかったそうです。 アメリカからは食料品始め衣料品や嗜好品挙句の果てには自転車までアメリカから送られ、日本での生活に余裕が出てくる様になると、タバコやお酒、砂糖、紙オムツ、粉ミルク、香水、化粧品等ヤミ市で換金率の高い商品が送られてきて、近所に住むブローカーが大阪などのヤミ市で換金してきてくれたそうです。結構な金額になり、終戦後とても助かったと聞いています。

  • @user-jr9xy5zx2m

    @user-jr9xy5zx2m

    2 жыл бұрын

    在米の日系人って、収容されたり財産没収があったと聞くけど、運良く免れたんでしょうかね? それか無理してでも援助したのか

  • @COSF101

    @COSF101

    2 жыл бұрын

    @@user-jr9xy5zx2m さん。親戚はカリフォルニア州に住んでいるので、強制収容所に収監されていました。収容される前日系人たちは全財産処分して借金などもきちんと清算し、また負債が残る者の分も皆で出し合って立て替えて収監されたそうです。 親戚も収容所から解放されたばかりですが、日本の方が悲惨だという事で、無理をして物資を送って頂いたそうです。 大祖母が生きてみえた時は、クリスマス等季節ごとにお菓子等アメリカの物をよく送ってくださってました。日本にも何度か来られお会いしたことも。

  • @wurry77

    @wurry77

    2 жыл бұрын

    米軍以外の郵便はほぼ開封されて検閲されていたからな。

  • @user-rx8it4ss7f
    @user-rx8it4ss7f10 ай бұрын

    すっげぇ勉強になるし、観る時間が意義深い。

  • @gakunishimoto354
    @gakunishimoto3542 жыл бұрын

    私の父は 戦後直ぐに出来た大阪駅前のヤミ市で 三国人が作って売った「フライ饅頭」(今で言うあんドーナツみたいなもの)が食べたくて仕方がないけど 1個50円で 買えなかったと 悔しそうに話してましたね。

  • @ihmeltsnow
    @ihmeltsnow2 жыл бұрын

    時間が無くて、小説は時間ないと読みに行けないから、こんなに面白くてためになるなら貢献したい。広告みたいに手軽で投稿者のお金になることないかなあ🥺

  • @user-hr6ly6xp8o
    @user-hr6ly6xp8o2 жыл бұрын

    いつ聞いても面白い。 素晴らしいですよ!

  • @ktom8142
    @ktom81422 жыл бұрын

    戦後、46~47年頃は太陽活動に起因して不作・飢饉が起きたから戦中よりも食糧事情が厳しい地域が出たというのもある

  • @vzz07124
    @vzz071242 жыл бұрын

    サツマイモは戦中、アルコールにする為の、収量が多いけど味も素っ気もない品種ばかりが作られたと、何かで読んだ記憶。

  • @user-fs2sk7iq7d
    @user-fs2sk7iq7d2 жыл бұрын

    出だしの挨拶が清々しすぎる

  • @punchu2006
    @punchu20062 жыл бұрын

    ごった煮スープ、というより「米軍の残飯ぞうすい」は度々マンガやアニメに登場していたらしく、 私が知ってるアニメでは「空手バカ一代」と「この世界の片隅に」に出てきます

  • @user-ym5uh2ox8o

    @user-ym5uh2ox8o

    2 жыл бұрын

    もしかして:残飯シチュー?

  • @reo4325
    @reo43252 жыл бұрын

    滋賀県の大津駅前の闇市で、「うどん」と看板に表示しているのに、実はゼンマイをくたくたに炊いたものもあったようです。

  • @user-sh6bl1vv5b
    @user-sh6bl1vv5b2 жыл бұрын

    戦後に猟奇やらエロやらを題材にしたゴシップ雑誌が流行るんだが、あまりにも低俗でやたら出版されてたから闇市のカストリ酒とかけて「カストリ焼酎は三合で潰れる、カストリ雑誌は3号で潰れる」って言われてたって爺さんが言ってた。

  • @tsuka5116

    @tsuka5116

    2 жыл бұрын

    カストリ雑誌は三丁目の夕日の芥川先生が副業で連載していた気がする。

  • @user-ng8mx2jd7j

    @user-ng8mx2jd7j

    2 жыл бұрын

    ああ、聞いた事ある。当時は食うだけで大変な時代だから 後に有名作家になる文豪も結構そういうの書いてたらしい。

  • @user-es4ze3yi1f

    @user-es4ze3yi1f

    2 жыл бұрын

    @@user-ng8mx2jd7j 様 読書狂だった亡父は其れ故にカストリ雑誌の蒐集に力を入れていました。 但し自分の事務所の鍵付本棚(特注品)に入れて家族にすら触れさせない有様だったので、父の死後其れ等の処分には苦労させられましたが。

  • @user-rn5ov2pg1g
    @user-rn5ov2pg1g Жыл бұрын

    食の歴史学ぶのめっちゃ好き

  • @user-zq5sz8rw5d
    @user-zq5sz8rw5d2 жыл бұрын

    素晴らしい動画をありがとう😉👍️🎶ございます🙇‍♂️凄い内容で興味深いです…🤔😆👌❤️🛐🤲🙏

  • @kialo720
    @kialo7202 жыл бұрын

    使用人が残り物の水餃子を温め直すとふやけるので 鍋肌で焼いて食べたのが焼き餃子で 中国人に焼き餃子をごちそうしようとすると 不機嫌になったり、驚いたりすると聞いたことがある。

  • @mr.dangerous8148
    @mr.dangerous81482 жыл бұрын

    お好み焼きもヤミ市で広まったそうですね。 元々は東京の花街で芸者さんと遊びながら作る遊戯料理が生還した関西の兵から広まったと聞きました。 恐らく、小麦粉さえあればあとの具材は気にしなくて良い、文字通り「お好み」で焼けるのが相性が良かったのかと。

  • @landscape7049
    @landscape70492 жыл бұрын

    祖母が戦後、お寺さんの墓守のバイトをしていたそうで、許可を貰ってお墓の脇で野菜を作って門前町の闇市で売っていたと聞いた事があります。 すりこぎ棒みたいなキュウリや赤ちゃんの頭位のトマトがバカスカ取れたそうで、飛ぶように売れて、その稼ぎで父や叔父を育てたと。結構な頻度で買い物客から何を肥料に使っているのかとか聞かれたそうですが「内緒(てへぺろ)」で押し切ったそうな。ちなみに当時はまだ土葬だったとの事。いやぁ肥料って大事なんだと。 ちなみにガチのヒトダマ(鬼火?)も見た事あるそうで、雷が近いと土盛りが青く燃えて、たまにヒュッと火花のように飛んでいくと言っていました。

  • @user-mj8bb7wx1x

    @user-mj8bb7wx1x

    2 жыл бұрын

    やってることは雑っぽいけど、今のスマホの画面が世界の全てのような人間と比べれば、精神的にはずっと豊かだった気がします。

  • @meroppa1

    @meroppa1

    2 жыл бұрын

    ​@@user-mj8bb7wx1x 情報が少ないとその少ない情報から多くを察しようとします。寡黙な人からはその表情や姿勢などから多くを洞察しようとします。子供にとって山の景色はだいたい地味で刺激に欠けて退屈だと思うけど、それは森の木々が自己主張しないからです。野生生物にとって目立つような自己主張して得するのは捕食する時と繁殖する時だけ。無暗に目立ってたら天敵に見つかりやすいし獲物にも逃げられる。木も自分一本だけ日光を独占しようと背伸びしてたら台風が来た時に真っ先にへし折られるし、自分だけ背を低くして謙虚にしすぎたら陽が当たらなくて枯れてしまう。それでみんな「仲良く」ではなく「牽制し合って」背の高さを均一に揃えて大人しくしている、それも視覚的には退屈になる要素。でも関心事がその退屈なものにしか許されない環境だと無意識にその中から楽しみを見出そうとするものです。 人も出る杭は打たれるし舐められたらとことん虐められるけど少なくとも天敵はいない。人が街に店を出して他の人を捕まえようとでかい看板出して「金よこせー!!」って叫び続ける事はできるけど、野生動物がそんな事したら天敵に「俺を殺せー!」獲物には「俺が来たから逃げろー!」って言ってるようなもの。人は彼らほど大人しくしてなくてもいい事と引き換えに感性が失われたのです。日本なら道東とか他国ならチベットみたいな草原とかアマゾンのような、人口密度がすごく低い場所に数か月居続けてテレビやネットも断ってると、人工的で自己主張の激しい刺激的なものに触れない分自分の五感六感が少ない情報から多くを得ようと敏感になり人のオーラまで強く感じられるようになった事があります。東北と北海道の田舎で三か月車中泊して用事で西日本まで行こうと横浜を通過した時に都会人らしく着飾った現地女性が交差点を渡るのを何気なく見てたら、その人が動物としてのオーラを全く出していない事にも驚かされたしそういう感じ方をした自分自身にも驚きました。言葉で表現しきれるものではないけど田舎の人は生き物として自然なオーラを出しているのに対し日本の都市部の人は家電とかコンクリ建築とか二次元のキャラみたいに何の波動も放ってない。動物が天敵に見つからないように気配を消してるんじゃなく気配を持っていないのです。都市部なら全てがそうとも限らず途上国の都市部はそれなりに人口密度も高く人工的なものに囲まれていてもそれなりにオーラは放ってます。オカルト的な話をするときりがないし否定派にも叩かれるだけなのでこのへんまでにしますが自然の良さというのはそこに浸った人にしか分かりません。チベットの民家に泊まった時に数十年ぶりに快眠できたのも電波がほとんど飛んでないからだったと思ってます。その快眠の心地良さも経験しないと分からない、今60歳以上の人だったらきっと誰でも理解してくれる。分からない人には「今私の家がある都会でも十分気持ち良く寝られてますけど?」ってなってしまう。分母が小さいとそれを超える大きさの分子が想像できない。コメ主さんの「雷が近いと」ってのは単なる物理的に説明のつく現象な気がするけど、人魂みたいな存在は俺は肯定します。俺自身がそれっぽい誰にも信じてもらえない経験をそれなりにしてきたからです。

  • @meroppa1

    @meroppa1

    2 жыл бұрын

    江戸時代には良い物(肉や魚)を食べている身分の高い人の家の糞尿は高く売れたと言われますね。その一番の理由も油脂でしょう。野菜に比べてカロリーが高い、米麦に比べても1~3倍。遺体は油粕以上の肥料かもしれません。火葬ってわざわざエネルギーでカロリーを廃棄するし焼き畑にも繋げないすごく贅沢な処分法、土葬もそれなりに贅沢。カニバリズムの文化が世界各地に普遍的にあったけどそれは食料資源の有効的な使い方だったし肉食動物はだいたいいざとなったら共食いするんだから全然珍しい事でもないし必要以上に嫌悪感持つ必要も無いと思います。児童虐待のニュースが流れると必ず「こんな残酷な事するの人間だけ!」とか言っては悲劇のヒロイズムに浸りたがる中二病みたいな人が出てくるんだけど、親が子を巣から叩き落とす鳥、自分の子を食う魚、食う訳でもないのに虐めをして仲間を殺すサルや狼、同性愛行為をするキリン、大概の事は他の動物でもしっかり行われている。単に可哀想と思うなら可哀想とだけ言えばいいのに盛らずに居られないのは他人を目一杯下げて自分を相対的に上げたい自己都合でしょう。倫理観に存分に浸ってるようでも実は被害者の事より自分の事考えてる。

  • @user-mj8bb7wx1x

    @user-mj8bb7wx1x

    2 жыл бұрын

    @@meroppa1 私も若い頃山の方に住んでいて、不思議な感じを覚えた事は幾度もあるし、色々あって河川敷生活していた時は日が経つほどになんだかニンゲンから外れていくような自覚がありました。その時は大雨の降っている真夜中、物凄い脅迫観念に急き立てられるようにして実家に舞い戻ったのだけど、もう少しで(親が)大変なことになるところでした。こういうのは例えば職場の昼休みに誰かに話しても、分かってはもらえないと思いますけどね。長文の返信、有難うございます。

  • @user-od5mn9zu7j

    @user-od5mn9zu7j

    Жыл бұрын

    火葬した方が肥料には向いてそう まぁ火葬の設備がないんだろうが

  • @I1I1I-yuyuko-konpaku
    @I1I1I-yuyuko-konpaku2 жыл бұрын

    ちょっちBGMがデカいかな?(個人的な感想) あっ、ヤミ市で売買されてる内容は前々から興味あったので助かりました!w

  • @neoanito
    @neoanito2 жыл бұрын

    親戚の伯父さんが若い頃に長距離列車に乗ってヤミ市に魚を卸すバイトをしていたそうです。 某日本海側の漁港から某大都市に学生服を着てテンプラ学生(衣だけの偽学生、当時はそう言ったとか) になって、寅さんが持っている様な皮のトランクに下処理済みの鮮魚や干物を入れて運んだそうです。 何度か車掌と一緒に回ってくる警官に職質されたそうですが、「中身は本です」と言い張って誤魔化し て難を逃れた(今思うと警官も分かってて見逃してくれた?)そうです。 バイト料も良かったらしいですが、運び終わった後にヤミ市で振舞ってくれるどぶろくが美味かった ので一番の楽しみだったそうです。

  • @user-fi5em1lk7q
    @user-fi5em1lk7q2 жыл бұрын

    いつの時代も戦争で犠牲になるのは 一般市民.......

  • @user-wj2tb2od5i
    @user-wj2tb2od5i2 жыл бұрын

    食糧が無かったのではなく、田舎の畑で取れた食い物を送る物流が壊滅的な状況だっただけと祖母が言ってたが…… 事実八戸で農業やってた祖母の家では取り敢えず食い物は有ったらしい

  • @user-wp6xl2ru6s

    @user-wp6xl2ru6s

    2 жыл бұрын

    自分の祖父も岩手の田舎でカボチャや芋しか食べられなかったけど食うに困ったわけじゃないと言ってました。

  • @wurry77

    @wurry77

    2 жыл бұрын

    都会で生活していた人だよな。だから田舎に出向いて手持ちの着物とかと食べ物を農家と物々交換。 威張っている農家も多かったらしい、都会の住人はタケノコ生活を強いられた。

  • @ddvj

    @ddvj

    2 жыл бұрын

    船がほぼ全滅、行き場を失った貨物が戦中の酷使で疲弊した鉄道に集まり、そこに石炭不足と来て列車が走れずに輸送が壊滅したので都市部に食べ物がなかった

  • @user-ei5eh8wk2i

    @user-ei5eh8wk2i

    Жыл бұрын

    @@user-wp6xl2ru6s 様 私のじいちゃんばあちゃん(大正生まれ。両方故人)は、「 芋とカボチャは終戦後にさんざん喰わされたから見たくもない」と言ってました あと、自分の小学校で給食に麦飯が出た話をしたら「子供にバクシャリなんか喰わすのか‼️」と激怒してたのを覚えてます

  • @youkitan1

    @youkitan1

    Жыл бұрын

    @@user-ei5eh8wk2i 時代が逆行していってるよな。雑穀米とか麦飯とか

  • @wurry77
    @wurry772 жыл бұрын

    残飯シチューのなかからか時々、先端が塞がったゴム風船みたいなのとか、たばこの吸い殻みたいなのも混じっていたそうな。それでもおいしいと食べる当時の人たち。よほど物がなかったことの証左。 映像中に出てくる松平氏の著書は、第三国人に関する記述が疑問なところを除くと、当時の記録を残したものとしてとても参考になる内容です。

  • @YouTuber-fc3jd
    @YouTuber-fc3jd2 жыл бұрын

    第2チャンネルフツーに面白いっす!是非続けて下さい笑

  • @user-rv4nq4gh9r

    @user-rv4nq4gh9r

    2 жыл бұрын

    めっちゃ分かる

  • @user-oo1xl7tt7f
    @user-oo1xl7tt7f Жыл бұрын

    残飯シチューは、90代の祖父母に聞いたけど、味よりも量が多いのが嬉しかったそうです。

  • @leuachiya1574
    @leuachiya15742 жыл бұрын

    ホルモンの語源は「放るもん」から来ているのは、公式に間違いだと認定されています。 詳しくは『近代の食文化史』で紹介されています。

  • @leuachiya1574

    @leuachiya1574

    2 жыл бұрын

    昭和時代に「11PM」という深夜番組で、関西出身の藤本義一がドヤ顔で言ってしまってからその説が定着してしまったのが事実です。 時系列ではそれより前の昭和初期に、ビタミンやホルモンの様な栄養素が注目された時に内臓料理でホルモンを取ろうとして命名されました。その頃の一般人は、ホルモンに熱を加えたら死活する事なんか知らなかったでしょうけど。

  • @kieyama9328
    @kieyama93282 жыл бұрын

    大変楽しく観させて頂きました! バクダンは聞いた事がありましたが どのようなお酒なのか知らなかったので 勉強になりました! ありがとうございました。

  • @user-gb2gk3oy4n
    @user-gb2gk3oy4n2 жыл бұрын

    スタートから自分のチャンネルディスるスタイル好きですw

  • @user-fh1ln8vv2v
    @user-fh1ln8vv2v Жыл бұрын

    餃子に関して聞いた話だと、避難中の日本人を助けてくれた方の家で食事を振舞われた時に残り物の餃子を焼いてご馳走してくれたのが始まりでこの時の焼き餃子の印象が強く残り、帰国して焼き餃子を広めたとかありましたね。

  • @user-dy1ib6jl4f
    @user-dy1ib6jl4f2 жыл бұрын

    凄かった良かったです楽しく見れました

  • @homarejumo2134
    @homarejumo21342 жыл бұрын

    臓物は配給統制の対象ではなく自由販売だったので警察も何も言わなかったそうです。あと海藻系も。 闇市場だけあって値段のすべては需給バランスで決まるので、人気のない火箸とかは公定価格より安かったとか。

  • @user-kr2em1nr8i
    @user-kr2em1nr8i2 жыл бұрын

    とても面白かったです♪ が、、、BGMの音量が少しにぎやか過ぎですね。

  • @Pin-Head
    @Pin-Head2 жыл бұрын

    自分がまだ小学校入りたての辺りは5円で駄菓子が買えた時代。 焼き鳥とは名ばかりの豚モツ串は一本10円。 鶏ガラなんかは肉屋でタダで貰う物だったな。 ヤミ市が全盛の頃は売れない物は無い時代だったんでしょうね。 そういえば自分の田舎の古老たちは自主流通米をヤミ米と言ってたなぁ。

  • @polestarg6512

    @polestarg6512

    2 жыл бұрын

    鶏ガラも今は値段が付いてるけど、オレがガキの頃は、一羽5円か10円だったな。 安藤百福氏も当時安く仕入れられた鶏ガラベースのスープを考えたんだな。

  • @user-ip8ft4cf8e
    @user-ip8ft4cf8e Жыл бұрын

    うp主さんのサブチャンネル、私は好きなんですけどね...伸びて欲しい...

  • @mony377
    @mony3772 жыл бұрын

    チャンネル運営のあり方についてお悩みなのですね。 確かに、ニッチな分野ですが、それ故に貴重なチャンネルだと思います。 ちなみに、私は両チャンネルの動画を総て保存していますが何か。 動画主様は才能豊かな方とお見受けしますので、新しい展開も楽しみですが。

  • @user-jv8uf1kz1q
    @user-jv8uf1kz1q2 жыл бұрын

    とても面白く拝見させていただきました ただ、BGMがちょっと大きくて声が聞きにくいかなぁ と感じました。

  • @negimiso598
    @negimiso5982 жыл бұрын

    5:47 Garbage=「ギャベッジ」よりも「ガーベッジ」の方が、より正確な発音だな。

  • @user-nn3fr1ho3t
    @user-nn3fr1ho3t2 жыл бұрын

    ドラム缶で煮込んだ志那そばもご馳走だったらしいです。 徳島で聞いた話ですが。

  • @user-uy6ir2vh4x
    @user-uy6ir2vh4x2 жыл бұрын

    水あめ+蒸かしイモで芋飴をつくると、水あめと芋より高くなるのでこれで頑張ったって祖父が言ってたなぁ・・

  • @user-dg4rv4ui9d
    @user-dg4rv4ui9d Жыл бұрын

    当時のさつま芋は収穫量第一の農林1号で戦後は加工にまわされ、焼酎や飴にいき、上野のアメヤ横丁の始まりのひとつだったらしいね。

  • @abbtk14
    @abbtk142 жыл бұрын

    これまた諸説有りですが、寿司のトロはヤミ市発祥という説がありましたね。客があのトロっとした奴と注文するもので、トロと呼ばれるようになったとか。焼き芋は戦後気兼ねなく食べられるようになり平和の味だったという証言と、配給がサツマイモばかりだったので二度と食べたくないという証言両方あって地域差が大きいようです。

  • @meroppa1

    @meroppa1

    2 жыл бұрын

    近郊の千葉や埼玉でネギ・さつまいも・落花生が特産なのは土地が痩せてて、気候条件とも合わせて育てる事が出来て採算も合うものがそれらに偏っているからで、その影響を都民も受けたんじゃないかと思います。どの地方の人や自治体も地元に対して決してそういう否定的な事言わないけど。例えば千葉では梨が特産である理由として排水性が良い土壌で暖かいからと言ってるけど、暖かければ暖かい程良いならなんで熱帯では作らないんだよって話になるし、排水性も高いほど良いならもっと低緯度の熱帯の火山の麓で作った方が水がすぐ干上がって排水性が良い事になるけどそうは言わない。りんごや桃のようなバラ科果樹は単純に原産地が涼しい所だから暑くてもいけないし寒帯みたいに寒すぎてもいけないし、日本人の味覚は日本の土壌や気候で採れる物の味を必然的に多く食べる事で構成されていて、それが無意識に美味しいと感じるようになっている、だから日本の土壌をも無意識に肯定的に語るだけ。熱帯では農作物が育つのが早いから大味・薄味になりがちだけど現地人はそれを食べる機会が多いからそれが丁度良いと感じる口になっている、日本みたいな一年の半分はろくに農業できないくらい寒い土地ゆっくり時間かけて育ったものはコクがありすぎて重くて気持ち悪いと感じたり、日較差によって糖度が高まっている果物も甘すぎて違和感を持ってたりする。「そんな事ないだろ日本のりんごや梨は香港でも大人気だってテレビでやってるぞ」みたいに反発されやすいけど、例えば反対に台湾のテレビを見てると台湾から輸出された加工食品が東京の輸入食品屋でもたくさん並んでて大人気だみたいな報道をしてる。でも実際にはその店で扱う商品のうち台湾製のは1%くらいでしかないし、東京で輸入食品屋と言えば成城石井とかカルディとかであってそれらの店の棚で台湾商品は0.1%くらいしか占めてない。幸いなのは台湾人はたくさん日本に遊びに来ててそういう実態を知っている、母国礼賛情報には簡単に踊らされない。でも日本人は香港に遊びに行っても日本の商品が実際どれだけ売られてるのかあちこちのスーパーとか市場とか見て把握しようとしない、せいぜい日系デパートに行って日本のものがいくらで売られてるかとかを眺めるだけ。現地デパート全体の中で日系の割合がどれくらいなのかとかもあんまり知ろうとしない。 東北で枝豆が特産なのも日本でならどこでも作れそうな大豆以外なかなか育たないからだし、江戸以前からの納豆文化が定着し続けてるのもその影響と思われます(茨城で納豆を作り出したのは明治に入ってからで、山形の納豆ラーメンとか納豆汁とか枝豆納豆みたいな幅広い使い方はしてない)。北海道や長野で蕎麦が有名なのも良い蕎麦が育つからというより環境とコスパから蕎麦くらいしか育てられない地域が多いから。もっと採算の良いものが育てられるなら蕎麦作ってないと思います。自分の親も米と蕎麦の農家出身で子供の頃は蕎麦とみそ汁ばかり食わされたから食べたくないって言う、魚や肉は滅多に食べられなかったとも。でも飢えたとは言わない、付近の他の農家よりも田畑を広めに持ってた方だし。親にとっては蕎麦と味噌は最低限の生存を保証するものであると同時に裕福ではなくて食生活の多様性までは望めなかったものの象徴です。他国生活を経験している俺にとっても今の日本の食生活では多様性の点では物足りず正直息苦しさばかり感じます。何でもかんでも醤油一本槍だし世界で少なくとも10億人は日常的に食べてるパクチーごときで騒ぐし加工食品も何十年も前から似たり寄ったりの商品の小手先を変え続けてはそれを大袈裟に盛って宣伝してるだけ。世間が味覚を変えようとしないし視野も広げようとしないから世界にはまだまだ無限に広いアイディアなり食文化なり食材が存在しても日本では狭く深くのガラパゴス状態をやめようとしない。「日本は世界一食文化に恵まれてる」「日本は世界中のものが何でも食える」「世界一周してみてそれを確信した」ってのはほとんどウソです。隣の台湾のちょっとマニアックな料理(現地国人はそこそこ知ってるけど名物の街に行かないと食べられないレベル、日本で言えばエスカロップとかバスターミナルカレーとか瓦そばくらいの知名度と普及度)を検索しても日本語サイトには全然出て来ない。どの国どの集団でもそうだけどナショナリズム感情に引きずられて自分たちが世界一だとか自分たちの習慣は固有の文化だと思い込みやすい。トルコ人も四季があるのはトルコだけだと思ってるし東南アジアや西アフリカの人々も納豆は世界で自分たちだけの食文化だと思ってる。その台湾も自分たちが世界一食文化に恵まれてるとも思ってるし異文化を独自アレンジするのも世界一得意だと信じてる。日本人が日本が世界一美味しいものが揃ってるって言うのも日本にある食べ物を食べる機会が多くてそれがおふくろの味的に一番美味しく感じる口になってるから。味覚や体質は5年なり10年一か所にとどまり続けないと現地に染まらない、五感も思想もそうです。一週間や一年程度の短期滞在では個人エゴ投影先が母国に集中したままだから何を見聞しても母国基準で減点方式でしか評価しない。日本に30年住んでたならイタリアにも30年住まないと両国の麺料理を公平に評価できないし、「パスタはやっぱり鉱水で茹でないと美味しくないな!」って発想すら湧いてこない。

  • @user-wc3rr9lr7i

    @user-wc3rr9lr7i

    Жыл бұрын

    昔の薩摩芋は🍠「農林一号」で味より量だったので超不味かったと思います。😂

  • @user-or2fn2ff8i
    @user-or2fn2ff8i2 жыл бұрын

    どっちのチャンネルも好きですよー;∀;

  • @user-kw7ht1so2p
    @user-kw7ht1so2p2 жыл бұрын

    闇市と言えば、故人で父方のひいばあさんが汁粉を出して大人気だった。 実は元々田舎のお金持ちの人間で、倉に砂糖や小豆が山のように保存していたらしい。 戦後、ジリ貧になりそうだとひいばあさん思い奮起。 俵を2俵担いで、列車で県庁所在地に向かい、闇市で販売。夜は雑魚寝して、次の日に帰宅を繰り返していたとの話。 ところが軍隊から帰還したひいじいさんとじいさんが無類の酒好きで、土地は売るは稼ぎも酒代に変えてしまう。 戦後鬱だったのかも知れないが、ひいばあさんの怒りに火をつけてしまった(笑) それはそれは凄い剣幕で、私が幼い頃、優しいひいばあさんが周りから何故恐れられているか理解できなかったが、後々理由が分かって大笑いした。

  • @seaasmr1635
    @seaasmr16352 жыл бұрын

    BGM大きすぎて聞きづらいです😭

  • @user-sx7vs3il6l
    @user-sx7vs3il6l2 жыл бұрын

    食キング過去編でも出てきたサツマイモ汁粉を食べてみたい。

  • @sasakaman
    @sasakaman Жыл бұрын

    実は戦争中は豊作年が続いて農家は物々交換とかでウハウハで農村ではあんまり餓死者が出てなかったらしい 疎開してた子供もいつもより食べれてたみたい

  • @user-rb5it8ou1q
    @user-rb5it8ou1q2 жыл бұрын

    勝負師伝説哲也とか麻雀放浪記、はじめの一歩の戦後編とかで主人公がヤミ市で銀シャリ食べてるシーンが凄いうまそうに見えて印象的だったんだが、監視が厳しかったということは売ってなかったのかな… もし売ってたならいくら位で食べれたんだろ

  • @user-qn9yt5wk5q
    @user-qn9yt5wk5q2 жыл бұрын

    犬の肉や内臓をモツ煮とか言って売ってた日本人外は知ってる。 なんとなく分かってて買っていた日本人も知ってる。 それがヤミ市の闇。 空腹は悲しいし、恐ろしい。 しかし、勉強になる動画ですねえ、有難い✨👍✨

  • @user-hl9pq7tokusoutai

    @user-hl9pq7tokusoutai

    Жыл бұрын

    「仁義なき戦い」で前田吟さんが菅原文太さんの食事に犬の焼肉出していましたね❕😅

  • @user-qg4bl6kn1h

    @user-qg4bl6kn1h

    9 ай бұрын

    うちの死んだ祖父も食べた事あると言ってしました

  • @mogurofukuzo10
    @mogurofukuzo102 жыл бұрын

    山田さんが指摘されていたように、進駐軍の残飯を「栄養シチュー」として出していた時は、米兵らの吸殻がかなり混じっていたそうです(小説GHQ、梶山季之より)。

  • @YOUYA0098
    @YOUYA00982 жыл бұрын

    水餃子だと茹でるためのお湯が必要だったけどそんなもん用意してられなかった とか 手に入りやすい鉄板の上で焼けば食べられるのは加工法として望ましかった とか そんな話を上野のガード下の中華屋のおっさんが酒飲みながら鍋降りながら教えてくれました

  • @user-vb5oc4fc6k
    @user-vb5oc4fc6k2 жыл бұрын

    仁義なき戦いの冒頭のシーンに出て来ますね。あと三船敏郎の映画「野良犬」にも

  • @user-ts9sf7tu8k
    @user-ts9sf7tu8k2 жыл бұрын

    おはこんばんにちはのが語呂いい気がする

  • @enuringo
    @enuringo2 жыл бұрын

    おもしろかった!

  • @user-ks4he1fu1l
    @user-ks4he1fu1l2 жыл бұрын

    BGMがでかい…

  • @jougen2
    @jougen22 жыл бұрын

    すいとん、ラーメン、モツ焼きあたりがメジャーですね。

  • @user-mc2pz1rz3p
    @user-mc2pz1rz3p2 жыл бұрын

    ホルモン、戦前からあった。 近代食文化研究会氏の著作で写真がある。 池袋は東武東上線と西武池袋線の終着駅で、江戸時代から沿線の川越周辺は薩摩芋の名産地。 西武新宿線方面にも流れるから、新宿マーケットにも流てた。

  • @mai7030
    @mai7030 Жыл бұрын

    BGMの音量が大きくて、聴き取れるけど少し疲れる。 内容はとてもおもしろかった!

  • @user-mg4um1mi8z
    @user-mg4um1mi8z2 жыл бұрын

    焼き餃子は水餃子よりも皮も薄いので沢山作れるし煮る必要も無くて直ぐに焼いて食べれるので日本で作られるようになったらしいです。 中国でも焼き餃子はありましたが水餃子を焼いただけの皮の厚いものだったとか

  • @user-middlemountmirror
    @user-middlemountmirror2 жыл бұрын

    ホルモンは60年代を舞台とした大藪春彦の『蘇る金狼』では冒頭でゲテモノ料理として出てくる

  • @nagisamatsuda1555
    @nagisamatsuda1555 Жыл бұрын

    1:11 粉ミルク(1山40円くらい)いかの丸焼き、トンカツ(材料はそこら辺の野良犬)りんごの歌とか

  • @user-tr4ks2ig7h
    @user-tr4ks2ig7h2 жыл бұрын

    うp主さま、興味深い動画をどうもありがとうございます! (うぷぬし じゃなくて あっぷしゅ なんですねw) もう少しだけBGM音量下げてくれると嬉しいです。まんじゅうの声が聞き取りにくいところがあるので💦

  • @user-ym5uh2ox8o
    @user-ym5uh2ox8o2 жыл бұрын

    オカラ寿司は故・水木しげる氏が自伝「ボクの一生はゲゲゲの楽園だ」で知りました。5個入りで5円だったとのこと

  • @matsuyuki130
    @matsuyuki1302 жыл бұрын

    おからの握り寿司って今でもありますよ。「いずみや」というのが愛媛県にあります

  • @user-fh4bn5df5n
    @user-fh4bn5df5n Жыл бұрын

    配給の話、 配給するときなるべく女の人に行かせた。 サツマイモ一個といっても痩せ細ったサツマイモもあれば肥え太って立派なサツマイモもある、女の人だと少し多く貰えたりするらしい。 配給するとき意地悪されて潰された野菜を配給されたり配給できるのに無くなったと言って配給券だけ奪われたりと悲惨な話がたくさんあります。 配給できる数にも限りがあり仲がいい人が配給側にいるとコネで自分の分を取り置きして取ってもらったりするらしい。

  • @crow69music
    @crow69music2 жыл бұрын

    残飯シチューって名で人気だったらしい、ヤミ市ではないが明治期貧困街の住人は残飯を食してたらしいが兵学校の残飯は人気だったらしい。明治期子供で残飯を食べた人が老人になりヤミ市で残飯シチューを食べたのかね。

  • @user-bo8sk2rf7v
    @user-bo8sk2rf7v2 жыл бұрын

    カストリ酒の写真の左の人かっこいい

  • @user-vr2uo7yd2f
    @user-vr2uo7yd2f Жыл бұрын

    餃子は満州では鍋貼(コーテル)という焼きタイプも一般的に食べられているというのが一つと 中国で一般的な茹で餃子は皮が厚くないと崩れてしまうので皮を薄くして粗悪な肉をニンニクや香味野菜で誤魔化して(中国では中に入れる事はほぼない)提供出来るのであの形になった ちなみに油だがまっさらな食用油は高価なので廃油や酷い所では機械油を使っていたりもしたそうな

  • @user-ho6wn8ex2b
    @user-ho6wn8ex2b2 жыл бұрын

    寿司は普通に店開いて売るのをGHQが禁止してたらしいね。 禁止した理由はハエがわきやすいからとか。

  • @teikoku1945
    @teikoku19452 жыл бұрын

    アメ横に行くと、生まれてもいなかった時代の闇市の光景が見れて楽しい。 アメ横で海鮮丼食ってる奴を見ると、ごった煮スープを食ってる奴らとダブる。

  • @user-middlemountmirror

    @user-middlemountmirror

    2 жыл бұрын

    おやこんなとこにもw 地元ではゼロ年代まではまだヤミ市の名残のアーケードが残ってて、西成みたく昼間から酒くらってるジジババいたなぁw

  • @teikoku1945

    @teikoku1945

    2 жыл бұрын

    @@user-middlemountmirror 「千円だよセンエン」の売り手の口上。 一ついくらじゃなくてまとめて千円。 お袋が毛ガニを「一つ千円ですか?」と聞いたら「奥さんもひつこいねぇ!4つで千円だよ」と。なんと毛ガニ一匹250円! お菓子の志村商店も一袋1000円「これベルギーの高級チョコ!これも入れちゃう!入れちゃう!TVで視た人手をあげて!」ずいぶん姪のおみやげにしました。 他にも「閉店セール!全品半額!とか。 ああ、コロナ騒ぎが終ったらまた行きたいなぁ。

  • @user-in1go3gb4e
    @user-in1go3gb4e2 жыл бұрын

    ヤミ市で法外な値段というけど、ヤミ市限定でインフレが起こっているというのが正しい気がする。 確かに買うだけなら法外ではあるけど、持っているものをヤミ市で売れば相場の数十倍で売れるわけだからね。 買い手が売り手になり、売り手が買い手になるのがヤミ市

  • @eatherne
    @eatherne2 жыл бұрын

    おから寿司でしたら試作して食べてみた事がありました。 ネタは酢締めしたタラとイカ。 お腹は膨れるのですが、おから自体に味が無いので、すし飯みたいに酢を入れるか サッカリンを入れないと厳しいと思いました。

  • @kansai8507
    @kansai85072 жыл бұрын

    餃子が水餃子じゃなく焼き餃子になったのは… 広めたのが復員兵だったからなのかなあ? 戦場では水が貴重だろうから、煮るより焼くのが身に付いたんじゃないか、と。

  • @user-lo1pk5qb3q
    @user-lo1pk5qb3q2 жыл бұрын

    おからの握り寿司は今も四国の 山間部などで売られてますね。 酢締めの白身魚と甘酢混ぜた おからのシャリのやつで... まぁ普通に美味しいですよ。 戦後のものと同じ味かは分かりませんが...

  • @user-ow5lg8tt4x

    @user-ow5lg8tt4x

    2 жыл бұрын

    中四国では普通に並んでいるメニューって感じです。中四国で展開しているスーパーフシ’’では定番商品の一つですから。 味は「甘い、軽い、物足りない」個人的には不満だったのですが、動画を見て戦後復興を支えて下さった先達の感性に合わせたモノだと気づきました。 食す事で当時の食糧難を喚起させてくれるという意味から貴重な料理だと思います、見かけた際には是非味わって頂きたいですね。

  • @kurenairen
    @kurenairen2 жыл бұрын

    第二チャンネルももれなく拝見してます。 楽しみに見てますので、第二チャンネルを撤退なんてとんでもないことです。

  • @user-vj4dq3nq3r
    @user-vj4dq3nq3r2 жыл бұрын

    第2チャンネルの方もいつも楽しみに見させてもらってマス、確かに一般受けしないだろうけど黒く闇の話大好き♡

  • @user-ud9bq2vt7v
    @user-ud9bq2vt7v Жыл бұрын

    私の出身地の高知市の闇市は平成20年ぐらいまで存在していました。 空襲で焼けなかった場所にあり、立ち退きで無くなるまで、ホルモン屋、焼き鳥屋、食堂、野菜屋さんなどありました。

  • @fk2720
    @fk27202 жыл бұрын

    小説の新人賞とかとって知名度ないと読んでもらえないかもですね

  • @polestarg6512
    @polestarg65122 жыл бұрын

    粕取焼酎も作ってる醸造所も少なくなったな。 終戦記念日くらい出して欲しい終戦の味。 親父達は粕取焼酎飲みながら未来を語り夢を語ってたらしい。

  • @user-qh7jy6rv1u
    @user-qh7jy6rv1u2 жыл бұрын

    戦後のバンドグループで今ではお笑いコントで有名なザ・ドリフターズの楽曲の歌詞の中に、この焼き鳥はブタかはたまたウシか…ほんとにトリなのかしら、というのがあったけどこういう事情からきてるのかなって思った。

  • @user-uu3mk8nd6w
    @user-uu3mk8nd6w2 жыл бұрын

    「空腹は最高の調味料」は、現在の自衛隊でも言われていますね。 特にレンジャー隊の方々。

  • @tom6828
    @tom68282 жыл бұрын

    戦後に(戦前からかも)存在したどぶろく。今じゃ特別注文しないと手に入らないけど旨いのかな?

Келесі