邪馬台国と卑弥呼!魏志倭人伝の邪馬台国はどこにあった?

Ойын-сауық

この動画では、謎の多い迷宮に迷い込んだ気分にさせてくれる代物の魏志倭人伝による邪馬台国と卑弥呼ををご紹介していきます。
魏志倭人伝は中国・魏の陳寿が編纂した歴史書ですが、その邪馬台国に関する詳細については謎が多いのです。
一般の人々を巻き込んで議論が交わされています。
そして、日本列島についてはじめて登場する異国の歴史書です。
貴重であることは確かで、むげに扱うわけには行きません。
乏しい情報の中から掘り探って宝の山を見つけることに挑戦です
日本のルーツを解き明かすミステリーに挑みます。
【目次】
00:00 スタート
00:43 魏志倭人伝とは
02:14 謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?
04:25 邪馬台国宮崎説の根拠
07:55 宮崎には九州最大規模の西都原古墳群
09:16 東が海に面している表現
10:00 謎の女王・卑弥呼はいったい誰なのか?
11:20 日本書紀の即位干支から推定する
13:03 卑弥呼と天照大神の年代は合致する
13:57 アマテラスの出身地
15:17 空白の3世紀
16:58 卑弥呼の戦略
1. 謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?
2. 邪馬台国宮崎説の根拠
3. 当時の気候は寒冷期であり温暖な南国が栄えた
4. 宮崎には九州最大規模の西都原古墳群
5. 東が海に面している表現
6. 謎の女王・卑弥呼はいったい誰なのか?
7. 年代推定
8. 日本書紀の即位干支から推定する
9. 卑弥呼と天照大神の年代は合致する
10. アマテラスの出身地
11. 空白の3世紀
12. 卑弥呼の戦略
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史について発信しています
この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・KZread オーディオライブラリ
・VOICEPEAK
【参考書籍】
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著
・『古事記上中下』次田真幸 著
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著
・『弥生時代の歴史』藤尾慎一郎 著 講談社現代新書
・『邪馬台国は存在しなかった』田中英道 著 勉誠出版
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著 河出書房新社
・『古代史おさらい帖』森浩一 著 ちくま学芸文庫
・『倭人伝を読みなおす』森浩一 著 ちくま新書
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Пікірлер: 14

  • @kumao01nigi
    @kumao01nigi2 ай бұрын

    コメントありがとうございます。わたしの中では九州説しかなかったと言うだけです。三重というのも面白いですね。

  • @kytka2010marine
    @kytka2010marine18 күн бұрын

    古代日本正史は今こそ光があたるべき説です。西都原古墳は既に3世紀半ばの古墳群となった今、男狹穂塚古墳は日巫女のお墓だと認めないと、いつまでも日本の本当の歴史は語れないですよね。原田常次さんの神社伝承学を解りやすく動画にして下さりとても感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    15 күн бұрын

    こちらこそ、ありがとうございます。原田常次さんは素晴らしいものを残してくれました。

  • @hayek218
    @hayek21825 күн бұрын

    いつから宮崎で丹がとれたんだ? 我田引水のこれまでと変わらないロジック

  • @ernest-tachibana
    @ernest-tachibana4 ай бұрын

    古事記の中でオオゲツヒメが登場するシーンは徳島が舞台なんじゃありませんか? あと弥生期の水銀朱鉱山遺跡(若杉山遺跡)があるのも徳島県だけです。

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます。徳島県も出てくるんですね、勉強になります。

  • @rakujin

    @rakujin

    4 ай бұрын

    @@kumao01nigi さん、記紀の二番目に登場するのが徳島(四国)ですね、大宜都比売として記述があります。(一番は淡道之穗之狹別嶋です)日本の国の成り立ちの一番古いエリアと言えます。記紀によれば、宮崎は、第十二代景行天皇の時に大和王権の版図に組み込まれたようです。この時に、初めて宮崎県を日向と名付けたとありますので、神武天皇が旅だった日向は、宮崎県ではないことが推測されます。(明治四年の神話教育のスタートが現在の説に影響していると思われます。本居宣長も西都は投馬国だとしています。魏志倭人伝に「みみ」(神、ないし大王の意)という)という単語が見えます。

  • @asa01053
    @asa010534 ай бұрын

    昔は、いまの地形ではないですよ。海水がもっと、大陸に浸水しています。九州は九つの島になっていました。奄美大島に大和の知名があります。

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます。縄文海進で水没し、その後、海退が始まっていますので弥生後期には、ほぼ今と同じ地形だと考えています。とはいえ、今ある平野は湿原だったでしょうね。

  • @rakujin
    @rakujin4 ай бұрын

    おはようございます。 Noteより飛んできました。 真偽は別として、とてもよくできた動画だと感心しています。 個人的にNHKの番組よりは、よいと思います。@ernest-tachibanaさんご指摘の件もありますが、全国的にみればそれを知る人も少ないので、しかたないとして、編者さんは宮崎出身でしょうか?

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    4 ай бұрын

    コメントありがとうございます。出身は宮崎でも九州でも近畿でも阿波でもありません(笑)

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