スウェーデンは本当に「幸せな国」?|日本とスウェーデンの人生観と死生観!80代の日本人は一番〇〇が高い| 北欧在住ゆるトーク。

Тәжірибелік нұсқаулар және стиль

日本で介護施設運営の在住30年のグスタフさんと🇸🇪🇯🇵の違いや似てるとこ激論❗️今回は介護施設長もゲストにお迎えし「人生観、死生観」について話してみました。幸せに生きること、幸せに死ぬこと、実はすべてがつながっていた。
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【グスタフさん動画シリーズ】
グスタフさん①日本のここがすごい: • 日本のすごいとこトップ5|日本在住30年のス...
ノーカット版おまけ: • 日本在住30年のスウェーデン人|日本とスウェ...
グスタフさん②人生観・死生観: • スウェーデンは本当に「幸せな国」?|日本とス...
グスタフさん③どうする介護: • スウェーデンと日本の介護事情 | スウェーデ...
グスタフさん④働き方: • スウェーデン人経営者インタビュー | 介護施...
【この動画の目次】
00:26 ゲストの紹介
02:54 高齢者の胃ろう、日本 vs. スウェーデン
10:59 命の重さ、人生観、死生観
18:37 幸せになるためには?
20:17 まとめ - 名言連発!
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Пікірлер: 142

  • @user-hp5ur4oz6t
    @user-hp5ur4oz6t4 ай бұрын

    今回は神回でした。今年80歳になりますが、ジムでダンスやエアロビで楽しい時間を過ごしています。健康に恵まれていることに感謝の毎日ですが、いつかは心身に深刻な状況がくると覚悟はしています。仲間もピンピンコロリを最高の最期と口々に言っています。それこそ、自分にとっても周りにとっても、well-being, we’ll-dyingではないか、と心底思います。その日まで行くぜ!

  • @saruken3250
    @saruken32504 ай бұрын

    つまり「生き方=逝き方」なんですよね。人生いろいろあったけど、最後は周りに「ありがとう」と言えて、周りからも「こちらこそ、ありがとう」と言われる人生を送りたいものです。

  • @graceIAMok

    @graceIAMok

    4 ай бұрын

    本当に同意します

  • @miwat938
    @miwat9384 ай бұрын

    現在スウェーデンで医療従事者になるための勉強をし、その前にはundersköterskaの教育も受け認知症の方対象の入所施設でアルバイトをしている者です。今回の企画は私がスウェーデンで教育を受けて働き始めてから、ずっと考えていた内容(言葉にできなかった)本当にそのまままとめてくださって、すごく首がもげるぐらい頷いてしまいました。本当にどちらがいいとか悪いとかではなく、この話を日本での医療従事者の友人、スウェーデンでの同僚や同級生と語りたい内容だなぁと思いました。ようこさんの”自分のことを決めるのに戸惑う感覚”もものすんごい共感します。そして、まだ慣れていないです(笑)やっぱり人がどう思うかを気にしすぎて、スウェーデンではびっくりされることの連続です。そして”身内の不幸”という表現、この表現にどれだけの意味合いが含まれているのか。意識したことがなかったので、顔を洗ったぐらいシャキーン!となりました。本当に話したかったことが言語化されて、色々考えることがある中でも気持ちがスッキリしました!この動画を作ってくださりありがとうございました。

  • @user-nr5kk6to2s
    @user-nr5kk6to2s4 ай бұрын

    私は現在73歳でいまだ仕事をしています。度々外科手術を受け、職場復帰しました。大変苦痛を経験しましたが職場復帰という目標があったので耐えることが出来ました。しかし、職場復帰も散歩すら不可能な状態で医療界の経済的理由だけで延命措置の横行する日本の現況には大いに抵抗があります。苦痛に耐えるだけの余生は送りたくありません。^^

  • @graceIAMok
    @graceIAMok4 ай бұрын

    人生のゴールでしたね・・っていう表現はとっても素晴らしいと思います。このような考え方をKZreadで話してくださって嬉しいです。

  • @erikowatanabe2613
    @erikowatanabe26134 ай бұрын

    「亡くなることは人生のゴール」という捉え方を考えた事がありませんでした。人は必ず亡くなる事をわたしも非日常にしていていました。今日からこの考え方をインストールします。なんだか人生観が変わりました。いつも質の高い考え方のシェアをありがとうございます♡大好きです♡

  • @kaius3351
    @kaius33514 ай бұрын

    【15:15】「私は(介護)施設で、2か月間に2桁近い方をお身取りさせて頂きました。私が亡くなった方のご家族様にいつも声をかけるのは、【良い人生でしたよね】、「今日がこの方のゴールでしたよね】といいますが、日本だと【身内に不幸がありました】といってしまう。 誰かのシを不幸でくくったら、私は何か悲し過ぎるなって思うんですよね。 人生のゴールなのに不幸っていう言葉は悲しいと思います。  しかし日本ではまだまだ病気とかシっていうのを日常から凄く切り離していると思います」➡この言葉、考えさせらる言葉ですね。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    海外居住ですが、お葬式には必ずその人の人生を振り返るスライドショーがあり、好きな曲を流すので皆で踊り出すような曲がかかることもよくあります。「私のお葬式に暗い服は着て来ないで。派手な服装で来て。」という遺言があり、すごく派手はお葬式に出たことも、、、。

  • @Rekisi.Wo.Tadase

    @Rekisi.Wo.Tadase

    4 ай бұрын

    大切な大切な人が居なくなるから悲しむのはごくごく当然の事です。 歳には関係ありません。 スウェーデンは進んでいるのでは無く遅れているのです。

  • @yj5666

    @yj5666

    4 ай бұрын

    @@Rekisi.Wo.Tadase 私はスウェーデン居住ではないのですけど、泣いてる人笑ってる人どちらもいました。大概スライドやスピーチに笑いの要素をいれるのが普通です。私の母は日本で桜が散る頃に亡くなりました。私が18の頃でずっとずっと葬式で泣き崩れて、周りが困っている時和尚さんが「散る桜 残る桜も 散る桜」と言ってくれました。「あなたもいづれかは散る運命にあります。生きている今思う存分生きてください。」と言われました。 残された人がエネルギーを失わないようなお葬式は私はよいと思います。喪失感とかそういうものを引きずらないためにも、この人はいい人生を送ってきた安らかにと願うことは大事で悲しみだけにとどまらず、また心の中でずっと生き続けるためにも大事なことなんだと思います。 ママ友で40代半ばで亡くなられてしまった方がいますが、仲間で毎年フェイスブックに命日や誕生日は投稿して楽しかった思い出を語っています。 自分が死んだ後私は身内が悲しみに沈みこんで欲しくないです。もう一緒に生きることは出来ないけれど、楽しく幸せに今生きている周りの人達を大事に、自分を大事に生きて欲しいです。4年前に乳癌を患い、「もうすぐ死ぬのかな。」って本当に思った実感からの意見です。

  • @Rekisi.Wo.Tadase

    @Rekisi.Wo.Tadase

    4 ай бұрын

    @@yj5666 悲しみから立ち直れなかった人はいません。 貴方の周りに立ち直れなかった人はいますか? 日本人は桜の儚さを、人生の儚さを知っています。泣くなとか、泣けとかではなく自然になる。 論評してこっちが良いあっちが良いてかいう話ではなくてああそうなんですね で終わるはなしだと思います。

  • @yj5666

    @yj5666

    4 ай бұрын

    ちなみに私は息子達に「お母さんのお葬式はお母さんの友達に連絡するの大変だし、あなた達の友達や奥さん、子供、奥さんの親戚だけでいい。お母さん、死んじゃったらもうあなた達のこと守ってあげられないから、一緒に協力して生きていけるお友達や新しい家族との絆が深まるお葬式にして欲しい。」と言ってあります。フェイスブックでリアル友と繋がっているので、私のアカウントでお葬式のお知らせを出来るとは思うのですが、残される子供達が何より心残りです。幸せに生きて欲しい。願いはそれだけです。 「こんないい家庭で育ったんだね、よかったね。」って友達や家族でいることが安心出来るようなスライドが作れるような人生でありたいと思います。若い頃映画が好きでした。私も自分の人生の中ではヒロインであれたと思います。子供達を愛してる、それだけは自信を持って言えることだから。

  • @yj5666

    @yj5666

    4 ай бұрын

    @@Rekisi.Wo.Tadase >論評してこっちが良いあっちが良いてかいう話ではなくてああそうなんですね で終わるはなしだと思います。 私は一言もどちらがよいとは言ってなくて、あなたが「スウェーデンは進んでいるのでは無く遅れているのです。」とスウェーデンをディスられてらっしゃるのですよね。私はスウェーデン居住ではないですけど、いささか失礼かと。 あなたは内容を理解せずにお説教をするのが好きな性格のようで、私は心を大事にする人間なので、返信は控えていただけますでしょうか。自分が乳癌になった経緯も書いたのに攻撃的でとても怖いです。周りから恐れられませんか? 「私は日本のお葬式もよいと思います。悲しい時に無理して明るくしたくないし、悲しみを共有して、泣くだけ泣いてふっきるのもよいでしょう。」というご返信でしたら、私もヨウコさん同様30近くまで日本で生まれ育ったので理解出来ます。居住国には25年住んでいますが。 私は日本もスウェーデンも居住国も敬意を払っておりますので。それでは、ご機嫌よう。さようなら。

  • @sawanana1
    @sawanana14 ай бұрын

    私は昭和4年生まれの母を自宅で看取ることできました。以前、知人のお見舞いに母(当時50代)と一緒に行った時、病院を出てから、「ママは管に繋がれて、病院でずっと横たわっているのは嫌だなぁ」と特に私に向かって言ったわけじゃないけど、私ははっきりと覚えていました。日本でも、昨今ではエンディングノートで「自己決定」の内容を細かく残すことができますが、母の世代は家族にお任せの方が多いでしょう。何かの機会にぽろっと本音が出るのを気に留めることも大切だと思います。

  • @user-hj7tq3px5x
    @user-hj7tq3px5x4 ай бұрын

    すごく意義あるお話でした。自分にも必ず訪れる死、また生きていくこと、についてのお話でしたから知らず知らず真剣に聴いていました。 介護の現場ではこう、スウェーデンではこうだった、死生観や幸福度 ここで話されていることは一つのきっかけ、自分なりに調べて追求したいと思います。 コメントも様々な意見があり考えさせられています。 いい機会をありがとうございます。 美味しい話や気さくなお喋りもありつつのシビアな話(でも私たちが生きていくうえでとても大事なこと)も織り交ぜたノードラボ、 スウェーデンが好きーから見始めましたがこのチャンネルが知れて本当に良かったです。

  • @nerokahabari1443
    @nerokahabari14432 ай бұрын

    両国の胃ろう扱いと死生観とをつなげたインタビュー、ありがとうございます。考えさせられました。 私の父(痴呆・90歳)は、癌がみつかり、医者の手術の説明は、「万が一のことがあってはいけないから」という文句を繰り返し、家族たるものなにがなんでも存命してほしいはずだ!、みたいなニュアンスの中、胃ろうが決定。こうした決定は個別的・繊細。ホンネの意見を煮詰める手間をかけるより、タテマエとしての最大善はこうだ、と、病院側が一方的に決定し、その流れで進んでる感じがしました。  スエーデンには、死生観含む他人と違う自分の感性について、話してシェアする文化がある。かたや日本は「言わぬが花」。話し合いを避けがち。そこに違いがあらわれるように感じました。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    2 ай бұрын

    貴重な体験、そしてご意見の共有をありがとうございます。本音と建前があるからこその難しさ、本当にそうだなと思います。難しい問題が、本人や家族が納得いく選択を医療側もサポートしてくれるといいなぁと思います。

  • @SingaporeYUMIKO
    @SingaporeYUMIKO4 ай бұрын

    シンガポール在住です。日本で暮らしている祖父が今日、お亡くなりになりました。 祖父の最期に立ち会えず、気持ちの整理がついていなかったのですが、こちらの動画で身内の不幸ではなくて『人生のゴールむかえた』というポジティブな言葉をかけてもらえて心が楽になりました。 祖父は最期に涙を流したそうなのですが、幸せな人生のゴールを無事に迎えられた安堵の涙であったのだと信じようと思います。 ノードラボのみなさん、いつも素敵な動画を届けてくださってありがとうございます🙏 海外在住者の心の支えです。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    4 ай бұрын

    お祖父さま、ご冥福をお祈りします。私(マホ)も海外に住んでいて、祖父の最後に立ち会えませんでした。気持ちの整理にはやっぱり時間がかかりましたが、今は天国で好きなお酒で、楽しい晩酌をしてるんじゃないかなぁと思えるようになりました。ユミコさんもポジティブな思い出に変えられる日が早くきますように〜❗️

  • @bekibeki1125
    @bekibeki11254 ай бұрын

    スウェーデンの高齢者施設で働いていますが、胃瘻の介助をしたことあるので全く胃瘻が0なわけではありません。スウェーデンの介護現場にいると、日本の福祉現場の良さ(医療アクセスの良さ、アクティビティ、行事の多さ)も見えてきます。スウェーデンの欠点も指摘されながらのズバリな質問にとても好感持てました

  • @user-hh5iy4vu4s
    @user-hh5iy4vu4s4 ай бұрын

    葬儀司会をやってました。80代以上の方の経歴紹介の締めは「充実した一生を送られました」スウェーデン人の亡くなった方への「(ある意味)あっさりさ」は聞いたとおりです。「自己決定」が幼い頃から徹底されている状況が羨ましい。どうしてあげるのがいちばんなのか、本当のところは本人にしかわからないからです。日本人の「気配り」はこと、生死に関しては、遺された人に心の負担を残す結果にもなりがちと思います。

  • @datte_nanda_mon

    @datte_nanda_mon

    3 ай бұрын

    「心臓が動く限り、とにかく医療費をかけて延命し続けてくれ!」と自己決定するのは素晴らしいですか? 残された家族のためにも、静かにあっさりと逝きたいって考える心配りはダメなのでしょうか? 周囲への心配りはダメで、自己決定が素晴らしくて羨ましいって、ちょっと共感できませんね。

  • @marina-7207
    @marina-72074 ай бұрын

    スエーデン称賛かと思っていましたが 「日本では、家族がこのままでもいいから側に居てほしいという気持ちがある」「胃ろうから口から食べられるように回復するパターンもある」というのを発信して下さってほっとしました。

  • @yasu.8328
    @yasu.83283 ай бұрын

    今回も素晴らしい動画をありがとうございます。私は40代になってから心理学、福祉と学んできました。自立して自分の人生をデザインし生きていく、これは本当にこれからの日本人が学び身に付けていくべき事だと思います。

  • @cafe1968
    @cafe19684 ай бұрын

    深いですね、人の死を”不幸”というワードでくくるのは確かに失礼になることも多々ありますね!?ヨーコさんグスタフさん公子さん、ありがとうございました🤗❣

  • @user-uc7bn4ve5s
    @user-uc7bn4ve5s4 ай бұрын

    母が経口摂取ができず点滴も針を刺せる場所がなくなったのでどうされますかと医師から言われたときに、もう医療行為はいりませんとは言えませんでした。それから数か月延命治療の後亡くなりました。治療をしなければ数日で亡くなっていたのと比較してどちらが良かったかはわかりません。母の死を自ら決定する問題を避けたかったです。😺

  • @user-tg1eq5nf6i
    @user-tg1eq5nf6i4 ай бұрын

    ペースメーカーを入れている90歳過ぎの方を施設で担当していました。認知症が進み会話を理解できず食事も1人では無理でしたが心臓は壊れない。ご家族様も手術して良かったのかわからないと言っていました。

  • @graceIAMok
    @graceIAMok4 ай бұрын

    日本人クリスチャンですが、自分の生き方(死に方)は自分で決めるのが一番いいと思います。胃にチューブでしか栄養が送れなくなったら、チューブは選ばずに楽に死ねるように助けて欲しいなと思います。

  • @user-ml9il4dg8r
    @user-ml9il4dg8r4 ай бұрын

    とっても良い考えるべき動画です。他人ではなく自分がどうしたいのかいう考えを持って行動することが大切だあると思います。

  • @TA-tt3qf
    @TA-tt3qf3 ай бұрын

    深いテーマですね。見終わった後しばらく考えました。 母は末期癌で亡くなりましたが、最期は穏やかに左右の手を子どもがぎゅっと握りながら息を引き取りました。緩和ケアの看護師さんたちも優しくて母は安心して過ごせていました。 「いい最期でしたね」と主治医さんが言ってくれて、そうだと思えました。 親戚の方が、死んだのは「縁起が悪い」から娘(私にとっていとこ)の結婚式には出ないで欲しいと言ってきたり、郵便受けに宗教の勧誘ハガキが入っていたり、、死ぬことが悪いことや不幸なことのように思われて違和感を感じました。 ゴールという表現は良いなと思います。 本人や家族がたとえそう思えなくても、施設の方がそう思っているのは大切な気がします。

  • @user-kq6re2cb3n

    @user-kq6re2cb3n

    3 ай бұрын

    矢張り考えましょう 自分の人生ですからね😂

  • @user-yz6qp2ld4b
    @user-yz6qp2ld4b4 ай бұрын

    義父が元気だった80代の時に息子である夫に 俺の葬式はと言う話を始めたけれど、そんな話は聞きたくないと話を遮ったと言うのを聞いて 義姉と私は声を揃えて どうして聞いてあげなかったの⁉️ と言っていました その時に、命を産み出す女の方が死に対しても現実的に冷静に考えられるのかしらと感じました 実母は93歳で、もう自分の寿命も先が無くなって来たと覚悟ではなく何か寂しさの様なものを感じるみたいです でも亡くなった時のことについては、話をされるだけでは困る。して欲しいことはノートに書いておいてよ‼️ と先行きが長くないであろうことを否定も肯定もせず日々のことを話す様にして話しています 私はこの世の中にひとつだけ絶対と言って良いものがあると思っています 産まれてきた者は絶対に死を迎える だから死をもっと積極的により良いものとするためには、避けずに話さなければならないのではと思います

  • @buruno1223
    @buruno12234 ай бұрын

    うちの母は要介護5で延命を拒否していますが、周りを見ると胃ろうが多いです。本人と家族が延命の話をしていないから、家族は親の命を絶つような意識で決断ができず医師の勧めるまま延命にOKします。また管でつながれている限り、親の年金がはいってくるので年金目当てに長生きだけさせる家族も多いのです。 すべては高齢者の胃ろうを自己負担(今は国民保険で負担はわずか)にすればいいと思うのです。それが国のためだと思います。管だけで寝たきりの老人がいかに多いことか。 意識あるうちに自分の人生の終い方をどうしたいのか、ちゃんと家族と話しておくべきですね。日本人はみんな逃げすぎです。ウェルビーイングの意識大切だとおもいます。

  • @user-ub6jr7hd7z

    @user-ub6jr7hd7z

    4 ай бұрын

    私の言いたい事を、代弁してくれてありがとう! 私の母も要介護5 ですが、胃ろうをしなくて本当良かった。  今は、痩せて食欲も食べたり食べなかったりですが、それが人間の自然な最後の在り方だと思います。 穏やかな表情で生きてます。

  • @user-sr7ye6zi7s

    @user-sr7ye6zi7s

    4 ай бұрын

    胃ろうの自己負担賛成。本来、治る見込みのある人が胃ろうを選択をするというのは保険適応でも良いと思うけどね。元々はそういう目的で作られたものだかた。

  • @peacepeachomomo
    @peacepeachomomo4 ай бұрын

    私は介護施設(老健)で働いていますが、そこでは超強化型と言うのを取り入れています。例えば在宅復帰率やベッド回転率など様々な項目?があり、その割合に応じて加算がもらえるようです。 その項目の中に胃ろうの方がいる割合と言うのもあり、胃ろうの方が多いと加算がもらえるのがあるのでそれを良いと考える施設ならば胃ろうの方が多くいらっしゃる施設もあるのかもしれません。 現状私の部署には胃ろうの方はいませんが、今は病院でも以前よりは胃ろうを勧めないとも聞いたことがあります。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    最近の日本の医学だとこれ人口の比率から見て、介護が無理なのがわかっているので、健康寿命を延ばすことに力を入れてますよね。筑波大学の山海教授の研究で人が発する電気信号で足を動かず装着柄サイボーグとかいろいろありますよね。私も海外の介護施設で働いていましたが、お世話する方が大変だけど、いつか自分がされる側になるのも嫌だなって思って、なるべく元気でいられるように心がけています。毎日運動して、高血圧にはならない食生活を心掛けています。

  • @ayaiwa3851
    @ayaiwa38514 ай бұрын

    いつも聞かせてもらってます、今日のお話はとてもためになる、考え方を帰る?自分を変える?深いお話でした、これからの日本人、皆が変える?為になるお話でした、又まってます2

  • @user-nh5oo9js2p
    @user-nh5oo9js2p4 ай бұрын

    興味深いお話をありがとうございます。 昨年、実父が脳梗塞で嚥下能力を失い、胃瘻をしました。 それから亡くなるまで4か月ほど、話せず、食べられず、自分で動けない状態でした。 とても悲しかったですが、歳を重ねて死を迎えることに対して真剣に考えるきっかけになりました。 自分がどう生きてどう死を迎えたいのか、ヒントになる内容の動画でした。 ありがとうございます。

  • @ck1523
    @ck15234 ай бұрын

    私はハタチの誕生日に親を亡くしました。あの日から人生を引き算するように生きています。トラウマとは言わないけれどじわじわと何かが心を侵食して来るんです。死ぬまでにしておきたいバケットリストに少しづつチェックマークを入れているような感覚で今日を生きて。"まぁ、どうにかなるよ"なんて軽々しくひとに言えない時代。今の40代より下の世代はスウェーデン的な死生観を持つ人が多くなっているのではと感じます。興味深いインタビュー、有難うございます。

  • @ToyToy-1b
    @ToyToy-1b4 ай бұрын

    非常に興味深い内容でした。 産まれた以上、いつか死ぬのは当たり前なのに、死を自分や家族とは関係のないものだと考えてる人が多いのかなあ。 だからいざ、事故や病気などで死を身近に感じたとき、判断を先送りするために延命治療を選択してしまうとかありそう。

  • @user-sn2if1es3r
    @user-sn2if1es3r4 ай бұрын

    今は寿命よりも健康寿命が大事だと思っている方も増えてきて考え方もどんどん変わってきていますよ😊 現に私の祖父母や義父、知人で胃ろうを希望された方はいません。寝たきりになる事を恐怖に思っている方が殆どだと思います。

  • @bruno_giordano
    @bruno_giordano4 ай бұрын

    ウェルビーイングについてのお話、またグスタフさんがおっしゃられてることがまさにキーポイントだと私も思います。 日本の安全さや食事の美味しさや美しい自然と「自主性」が組み合わされば最高の国の一つなのにと個人的に思います。 強制されたり「周りがそうだから」から来る規律や秩序なのか、もしくは一人一人が自らの心で感じて自らの頭で考えて自らの意志で選択し生きている中での調和なのか。暮らす、生きていく場所を考える上で、私にとってもここが本当にキーポイントです、、、 素敵な対談をありがとうございました。

  • @user-dg7jf5yy7o
    @user-dg7jf5yy7o4 ай бұрын

    こういうお話は、日本ではあまり口にしませんでしたが、これからは、積極的に考えていくこと。いくべき。と思いました。

  • @saesae6482
    @saesae64824 ай бұрын

    とても深く、参考になります。介護経験30年です。日本ではピンピンコロリが幸せな死と言い、介護利用者は早くお迎えが来ないかしら?との発言もありました。難しい内容ですが、とても関心があります。

  • @user-rj2py1ov7y
    @user-rj2py1ov7y4 ай бұрын

    いつも楽しく見ています。グスタフさんがおっしゃっていた日本の長老制度、60代以上の男の人の力が持っている現状をもっとお話しを聞きたいです。日本が発展しない原因だと思いますので。よろしくお願いします。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    私の居住国では小学校の理科で蝶のライフサイクルとか象の鼻やきりんの首は何故長くなったのかという進化論などをきちんと勉強するところが死生観また子孫を残すべきと言うことが埋め込まれる内容になっていると思います。寿命の短い生き物を見て生きるってこういうことだと学んだり、地球の環境は変わってしまうけど、それに順応出来る生命体を残すために子供を産んでいくっていう原理が理解出来ます。勿論本能だとか愛だとかそういうことを教えていくことも大事ですけど。日本でも蝶のライフサイクルや進化論を教えていると思いますが、学習内容が多過ぎてあまり自分で感じるような教育になっていない気がします。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    介護施設で働いてよかった点は「こういう人は最期に穏やかに苦しまずに家族や友人達に愛されて終わるんだな。」という死への恐怖感がなくなる例が見れたこと。自分もその方々同様いい人生を送られて、この年まで生きれたら大往生かなって思える年齢で苦しまずに穏やかに最期を迎えたいです。介護施設で働いたことをある人間が必ず言うことは「墓場にお金は持っていけない。」お金があるからいい介護が受けられるとは限りません。

  • @344m_m6
    @344m_m63 ай бұрын

    100歳で最近亡くなった義理の母は、80代のころから亡くなるまで「今が一番幸せ」と申しておりました。理由は、過去に比べ今はすべての自由を手に入れてるからだとのことでした。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    2 ай бұрын

    すてきな体験の共有をありがとうございます。

  • @emi5259
    @emi52594 ай бұрын

    わあ、なんだか有意義な講義を1コマ受けたような感覚でした✨私は地域医療にて看取りに携わることがありますが、なるべくご本人とご家族が望むかたちでその時を迎えられるよう心がけています。悲しみや寂しさがある中で、これまでの人生を振り返り、「よかったね」と笑顔が見られる場面もあります。グスタフさんが教鞭をとられる予定の授業を、私も受けたくなりました😊

  • @AY-qq4le
    @AY-qq4le4 ай бұрын

    本当の意味で頭のいい人たちの対談(鼎談)ですね。感動しました!

  • @kumamiya3227
    @kumamiya32274 ай бұрын

    なぜ生きるの?それは生きているから。この考え方が好きです。何のきっかけでも、その時が来たら抵抗なく行けるように毎日を過ごしたいものです。スゥエーデンとの意外な共通点、何でも信仰できる心が分かり嬉しくなりました😊

  • @ayakahaeger6251
    @ayakahaeger62514 ай бұрын

    すごく素敵で分かりやすい動画でした🎥スウェーデン在住でいまだに意見をはっきり言ったりする機会の時に自分はどう思ってるんだっけと謎に感じますし、周りを考えすぎてしまう事もあります😅またグスタフさん出演してほしいです🤩ウェルビーイングもウェルダイイイングも大切な議題ですね😊

  • @reisetsufarber3951
    @reisetsufarber3951Ай бұрын

    哲学的、興味深い話でした。自然淘汰を受け入れてるかどうかですね。 母は65歳で他界しました。特に最後の2年間、ずっと弟と義理の妹が献身的な介護のもとで、ガンの闘病生活を送りました。最後の12日兄弟で代わりがわりに病院で付き添いました。苦しんでいる姿をみると、"神様、早く迎えてあげて!"と心のなかで祈りました。なくなったとき、長く母が付き合ってきた牧師の夫人が、"これで、自分が天国へ行く楽しみが増えた、再会を楽しみにしてます。"とおしゃった言葉にとても慰められました。 私も、人はうまれたときから、終点は付き物だと悟っているので、命を伸ばす措置をうけないつもりです。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    Ай бұрын

    貴重な体験やご意見の共有をありがとうございます。お母様が身をもって色々なことを教えてくださった感じがしますね。人生の辛い時に心にしみる言葉をくれる方が近くにいるということ、とてもすてきなことですね。

  • @qzc12260
    @qzc122604 ай бұрын

    日本でも年代が若くなればなるほとんど、スエーデン的な考えに近くなる傾向だと思います 団塊の世代を中心に「不死ほど世の中の正義」と言う傾向が強いです 医者も世代間で特にその傾向が強いです(医系学会で聞いた話) 日本は「最大有権者層=団塊の世代」と言う所であり、また、裁判所が思う「社会通念の中心の層」と言う感じなので、司法判断も傾向もそれに従います 元々の憲法もそうなんですが、その様な社会通念が拠り所になっていると、高齢者が死に繋がる医療紛争の場合、医療側が負けた場合高額な賠償請求が多く生まれます つまり「司法の考え自体が、不死こそ正義」と言う感じですので、医療側も「判例に従う」しかありません が、 近年、胃瘻は厚労省(財務省)の指導で、都会に近いほどやらない傾向があります。なぜなら、医療費査定で医療側支払いが却下されやすいからです 田舎は簡単に交付税によって住民が租税に苦しまずに医療提供できるので、胃瘻は残りやすいかもしれません 当方地区では田舎ですが、関東寄りなので胃瘻はかり少なくなりました なので、胃瘻は地域差があると思います そう言う実情から「司法を判断する層」が変化しない限り、胃瘻や高齢者対応は変化しません 近年は世代が進み、徐々に思考のスエーデン化が起きていると思います ただ、日本では若年層程社会的弱者の傾向が強いから、一部、その不死理念の呼び戻しも多くなるかもしれません あとコロナ様な「感染症死」については、やはりEU圏のペストの経験が色濃く残っている感じがあり、「人は感染症には無力」と言うコモンセンスがあると思いますが、日本の場合、その歴史観が非常に薄い…だから完全防護可能と思って所もありますね だから、コロナ死での訴訟も結構多いと聞いています EU圏ではどうでしょうか 報道を見る限りその様なメンタリティ自体存在しない様に思えます

  • @user-yh6po8dw5b
    @user-yh6po8dw5b4 ай бұрын

    幸せは自分の心が決める!好きな歌姫の歌詞にあり、時々思い出してます。忘れそうになってたので、思い出し動画になりました🎵

  • @user-qf3fv2yy7t
    @user-qf3fv2yy7t3 ай бұрын

    私の父が肺炎で入院した時、だいぶ悪くなっていて医師から人工呼吸器の使用を勧められました。本人は意識もありましたが私に聞いてきたので、私の判断で不必要であることに決め、9日後に89才の人生に幕を閉じました。その後私の判断は正しかったのか考えましたが、ふっとした時、健康保険証の裏に父の下手な字で、延命処置は要らないと、書いてありました。本人の意思が解り私は罪悪感から解放されたことを忘れていません。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    2 ай бұрын

    貴重な体験の共有をありがとうございます。元気なうちに、また様々な方法で、自分の意思を伝えておくことは本人に代わって判断しなければならない家族にとってもとても大切なことですね。

  • @guttan_youtube
    @guttan_youtube4 ай бұрын

    「自分がどうしたいかなんてあまり考えたことがない」とか「幸せを与えてもらおうとしてる」とか「自分らしさ=我儘」とか、僕は1度も考えたことがないからつい「それは日本人に対するステレオタイプだよ」と言いたくなるけど、僕の方が特殊な日本人なのかもしれないから何も言えない。 大多数の日本人はそんな感じなんだろうか。

  • @user-xs9fk8ql5p
    @user-xs9fk8ql5p4 ай бұрын

    今回も素晴らしかったです‼️考えさせられました‼️次回も楽しみです♪

  • @korosuke8394
    @korosuke83944 ай бұрын

    生まれた国の死生観が、全く違うのでしょうか。 私は幼い頃から体が丈夫ではなく入院もし、親戚も若くして病気で亡くなった方がいるので、 日常の直ぐ横に命の終わりを意識しています。 それによって気持ちが暗くはならないくらい普通になっています。 両親とも80代になり、胃ろうは避けたいというものの、遺言書は未作成なので、 はっきりと意思を表明するのは、二人とも難しいようです。 今回、とても深い内容ですよね。動画をあげて下さったことに感謝しています。

  • @setsukotruong6854
    @setsukotruong68544 ай бұрын

    とても良いお話でした。お話を聞いて、日本もスウェーデンも良いところも悪いところもあるんだなと感じました。日本の良いところ(命を大事にして最後までしっかり面倒を見る)とスウェーデンの良いところ(自分がどう生きたいか死にたいかを決める)を合わせたのが’一番理想なのではないかと思いました。

  • @TH-dv8xk
    @TH-dv8xk4 ай бұрын

    興味深い動画ありがとうございます。 私も若い頃は死について考えたことなかったです。 日本とスウェーデンの違いをもっと知りたいです。

  • @AoMitch
    @AoMitch4 ай бұрын

    スウェーデンと日本の違いから、出演者3名各々の死生観を聞かせていただいた。 伊達な評論家の月並みな話よりもずーっと実のある内容でした。 次のグスタフシリーズも期待してます!

  • @user-yh6po8dw5b
    @user-yh6po8dw5b4 ай бұрын

    ウェルビーイングという言葉を知る前ですが。長野県で生まれ育って!目指せぴんぴんコロリ❗は、全国的になっていると思って、東京で勉強していたら、先生は長野県ではぴんぴんコロリって😂健康寿命の話をされていました!東京の人がえってかんじでびっくりしていたのが、逆に😅  グスタフさんと皆さんの為になるお話ありがとうございました!  日本でもウェルビーイング、浸透してきてるとは思いますが🎵

  • @akiraodajima3597
    @akiraodajima35974 ай бұрын

    母親を老人ホームに介護をお任せして食べられなくなって「胃ろう」を進められましたが、病気でもないので点滴でしのいで来ました。「いつまで点滴しますか」と問われて死を迎えることは分かっていましたのでこのままでとお願いした結果しばらくして他界し良かったのかどうか反省する日々です 点滴で本人の苦しさもあったでしょう 難しい選択ですね

  • @BKadorer
    @BKadorer4 ай бұрын

    義親の介護を経験中の立場から、残念ながら今の日本では高齢者本人の自己選択や自己決定を実現できる社会的な受け皿がないと感じます。富裕層には選択肢があっても、一般のほとんどの人は、予算や制度のせいでほとんど選択肢はない。医療と介護が商売になってしまってる上に、国の政策も場当たり的だからだと思ってます。現場のニーズと制度設計が噛み合ってないです。結果、介護の負担を家族が背負わざるを得ない状況になってしまう。だから親も家族(こども)に気を遣わざるを得ないという悪循環。日本で親が家族を気遣うのは文化的なものもあるでしょうが、もっと問題なのは家族への介護負担がものすごく重いからではないでしょうか。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    日本だと親の年金を目当てに胃ろうして欲しいと言われることがあると日本の医療関係の方がよく言いますよね。本人はもう苦しいから楽になりたいと言っても。

  • @user-eo8ng5ez7h
    @user-eo8ng5ez7h4 ай бұрын

    幸せのカーブが歳を重ねるにつれて高くなる、まぁそうだろうと思います。 私は40代でカーブで言えば一番低くなっている辺りかもしれません。子育て親の介護、これからどうなるのだろうと心配も責任も大きい世代ですから。メディアも不安を煽ることしか言いませんし。 高齢者は親も見送り子供も独立(一部8050問題もありますけど)それなりに年金ももらえます。ある意味自分のことだけ考えていればいいので、幸せのカーブが高くなるのは当然と言えば当然。 問題は今の50代40代が高齢者になった時、同じように幸せのカーブは高くなるでしょうか? また、団塊の世代以降はスウェーデンに近い死生観を持ってるとコメントがありますね。私も自己決定出来ない状態で生きたいとは思っていませんが、それは今まだ健康だから。 高齢者と言われる立場になったら子供たちと少しでも長く居たいと一縷の望みに賭け、どんな治療延命も受け入れてしまうかもしれません。

  • @sokuhi9272
    @sokuhi92724 ай бұрын

    「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」“ノルウェイの森”、村上春樹著

  • @user-dl7xe5my9n
    @user-dl7xe5my9n4 ай бұрын

    ■「命を大切にするということ=少しでも長く生きられること」という理論は、全くのナンセンスだと思います。また、その人の意志も、意思がない人も、その人の意志としてそのように尊重されるべしかないと思います。そして、高齢になって介護が必要になる状況は、高齢になっていきなり降って湧いてくる現象ではなく、その人自身が長い時間をかけて自分の人生に出した答えを、自分で生きることだと思います。つまり自己責任論です。介護への関りにおいて、そのことを前提としていることは大切で、その前提がない人は、自分の保身等のためのエゴ意識で考えていることになるのではないかと思います。 ■日本人の大半が、無条件にみんなに合わせることやルールに従うことを、聖徳太子様のおっしゃった「調和」だと思っていて、無条件に指示や命令に従うことを「素直さ」だと思っていると思います。それは、自分の意志や努力を置いておいて、そうしていれば自分の人生は幸福なものになっていくはずだという「宗教」だと思います。そのようにして、自分を押し殺すことを「調和」「素直さ」だと思い込むことになっていったりすると思うのですが、真の「調和」「素直さ」とは、みんなで「調和」のために、「素直に」自分の感じている思いを、存分に感じ尽くしながら、表現もしながら、かつお互いを尊重し合って生きる姿ではないかと思います。 ■今回も、大変興味深い貴重な配信を、ありがとうございました!

  • @tmjrq338
    @tmjrq3384 ай бұрын

    日本の施設は崩壊寸前です。外国人も条件悪くて来ません。圧倒的に職員の待遇が悪すぎる。

  • @Ghe810
    @Ghe8104 ай бұрын

    スウェーデンの考え方のように、日本も自己決定にすべきだと思います。なぜ家族決定にされなければならないのでしょう? また、自分で無理だと感じた場合、安楽死できる制度があるべきだと思います。スウェーデンでは安楽死は認められていませんが...。長生きすることは良いことですが、胃ろうのような延命治療が行われていれば、将来、年を過ぎれば過ぎるほど日本全体として機能しなくなると思います。老人と子供のバランスも重要だと思います。

  • @user-fp1cv1oi4s
    @user-fp1cv1oi4s4 ай бұрын

    なかなか難しいですが、今後この話題発展してください、

  • @mtberry7432
    @mtberry74324 ай бұрын

    こんにちは😊すごく興味深かったです。Pew Die Pieさんの日本移住から、スウェーデンに興味を持ちました。以前拝見して、一度見失ってしまいましたので😅フォロー忘れずにしました😂これからも楽しみにしています✨

  • @user-ej6ln3ec9f
    @user-ej6ln3ec9f3 ай бұрын

    5年位前妻沼の荻野吟子記念館に行きました、ガイドボランティアの方が熱心に説明して呉れました本当に努力した人なんだなと感銘を受けました。

  • @MrUkifune
    @MrUkifune4 ай бұрын

    WEll BEING。WEll DONE (良く成し遂げた。褒め言葉) こういう言い方もあって良いかも。

  • @KK-hw2rj
    @KK-hw2rj4 ай бұрын

    日本では胃瘻バッシングによりこの20年間で造設率は半減しています。 胃瘻が全て悪かのように語る人がいるせいで 胃瘻を一時的に導入すれば再び食べられるようになるかもしれない人の選択肢が奪われつつあります

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    介護ってオムツをしている方で自分で替えられない方には介助が必要だと思うんですけど、胃ろうをしなきゃいけないような状況の人を可哀そうだからって生かして置くって介護士どんだけ大変だと思います?安い給料で心身ともに激務。腰も痛めるし。自分の親を見てらっしゃる方で、参ってしまって自死を選ばれる方もいるくらいなのに。

  • @TT-pk5yi
    @TT-pk5yi4 ай бұрын

    すばらしい!深い共感を受けました。日本人、スウェーデン人にとどまらず、世界の人達に知ってもらいたく思いました。 独立と自分らしさの意味が、ワガママでないこと、目から鱗でした。有難うございます。心に響きました。

  • @user-bv6me6ov5z
    @user-bv6me6ov5z4 ай бұрын

    埼玉在住ですので 荻野吟子様は存じております! かるたでも親しんでおりました😊

  • @sagacomonmagpie
    @sagacomonmagpie2 ай бұрын

    高齢者にいきなりどうしますか?って無理ですよね。若い時から個人主義が、教育されているからこその思想でしょう。そこはスウェでの社会では不思議でも何でもない。ただ医療福祉に長年携われば、日本の中でも個人の考えも変わります。そこでギャップが生まれますが、文化的にはそこはマイノリティですから、社会でわずかに議論は生まれますが全体としては変わりません。それより医療技術の進歩と、従来のいつまでも長生きの枕詞に親和性がバッチリかみ合います。現在は胃瘻にまして、中心静脈栄養が盛んになっている印象です。管理がより厳しくなり、寝たきりを増やします。またここでは出ません?が、特養とかですと認知症の方が8割を超えます。そこはもう言語の理屈はあまり通用しません。正に食事風呂排泄の世界です。個人の選択など日本では後先まで無理でしょう。そんな感じです。配信有難う御座います、お三人のまじめな議論には考えるものがありました。お疲れ様でした。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    2 ай бұрын

    コメント、お考えやご意見の共有をありがとうございます!

  • @rh-tf9kt
    @rh-tf9kt4 ай бұрын

    親の年金を当てにしてるニートが、親がなくなると暮らしていけなくなる為、胃ろう希望するケースもあるようです。胃ろう造設が叶わず、親の死後、弔問に訪れたお医者様が被害にあわれた痛ましい事件がありました。また、世界一周クルーズは、高齢の乗客が多く、旅の途中おなくなりになることも。私も、夢を叶えて、ぽっくりいきたいです。

  • @user-rk5pz1re6h
    @user-rk5pz1re6h4 ай бұрын

    ねこちゃんの音がなんかかわいいです💓

  • @user-vg1qo8ju6c
    @user-vg1qo8ju6c4 ай бұрын

    最近聞かなく成ってどのくらい前だかわすれたけど「デスエデュケーション」って言葉在った。 オイラは生物好きなので生まれた物は必ず死ぬって普通に思ってて。 良く生きる為には良く死について考えるべきかと思ってます。 父が意識が無くなった時に家族会議で胃ろうし無い事に成りました、 父の考えは分かりませんが、自分が彼の立場なら「No Way」でしょ。 でも人によっては冷たい人間だと感じる人も居るの分かってます。 生きる権利も在る様に死ぬ権利も欲しいと考えてます。 尊厳死協会がんばってほしいなぁ。

  • @sakura-vj9ds
    @sakura-vj9ds4 ай бұрын

    自分の価値観的には、手術の時の同意書より、胃ろうの時の同意書の方が大きいなと感じました。

  • @em-vz6pq
    @em-vz6pq4 ай бұрын

    確かに、身内に不幸があったという言い方、今まで気にしたことなかったですが、日本の死の受け止め方を体現したことばに思えますね。縁起の悪い話で、触れない方が良い話という感じで。 なので、ゴールと捉えるというのはとても素敵な考え方だと思いました!どういう風に自分がゴールしたいのか考えたいです。 また、家族、ペット、周りにいる人の死を捉えるときの心の支えになりそうですね。

  • @MrUkifune

    @MrUkifune

    4 ай бұрын

    自分が生きたいように生きる=良いゴールにつながる  WELL BEING=WELL DYING 良い言葉ですね。 今、80歳を超えていますが、今年に年賀上には「大谷に負けてたまるかこの歳でニホンのテーマに取り組む我」 と書きました。しかし、今更、新たな結婚もありえませんので、この面に関しては、大谷に完敗です。

  • @user-ib7mc8dv2f
    @user-ib7mc8dv2f3 ай бұрын

    哲学だね。

  • @yoci150
    @yoci150Ай бұрын

    今年の初めに地元の私立病院にて、高齢者が自分の最後を決めてそれを家族に話しておくということの重要性を講演していたので聴きに行った後に、高齢の母にどうしたいか聞いたら「その時にならないと分からない。なるようになるしかない」みたいなことを言われて困ったなぁと思った事があります。 もし病院でくちも聞けない母を前にして医師から「どうしますか?」と問われた時にどう決断したらいいのか?私1人では決められないのでは?と思っています。 ですので母にいよいよの時はどうしたいか聞いたんですが、やはり普段から考えていないので思いが至らないようでした。 重い決断を子供にさせ負担をかけるのはどうかと思い、私自身はしっかり決めて申し送りしたいなと考えています。ですが実行するのは残された家族なので、個人の意思がどこまで尊重されるか?ということもあるようですね。 私自身はスウェーデンの人よりの考えで、人は必ずしぬのだから余計なことはせず、自然に来る寿命を全うしたいですね。 色々と考えさせられる動画で、とても良かったです! ありがとうございました!

  • @nordlabo

    @nordlabo

    Ай бұрын

    コメント、様々な体験からのご意見の共有をありがとうございます。お母様がおっしゃる「そうなってみないとわからない」と言うのは本当に本音なのだと思います。私自身もわからないと言ってしまいそうで…。でも残される家族のことを考えると、わからなくても自分で決めるのが責任というものかもしれませんね!

  • @zeke7457
    @zeke7457Ай бұрын

    日本は寿命も健康寿命も世界一の国 これらは環境が整ってないと達成できない このような恵まれた国で不幸せと言うのなら本人の問題というしかない

  • @masseur0001
    @masseur00013 ай бұрын

    本人の自覚は兎も角、無宗教を自負する人々の中に仏式の葬儀を執り行う日本人は多い。 また法要の初七日や四十九日を理由も知らずに行う日本人も多い気がする。 それでいで「輪廻転生」など信じないなんて言うんだからもう滅茶苦茶。

  • @user-hh1dg4ro1e
    @user-hh1dg4ro1e4 ай бұрын

    Uカーブ、いいですね。高齢者になると、「やりたいことだけできる」ってことじゃないでしょうか。年金が十分でないと無理かもしれませんが。

  • @1010Ton
    @1010Ton3 ай бұрын

    超高齢者は人生の長期の欲求が無くなるのでは。Uカーブで考えたこと。人生の選択を常にしている年齢としない人生。

  • @darumesian101
    @darumesian1014 ай бұрын

    私は安楽死を自由に選べる制度を望む人間なので、胃瘻までして生きたいとは思いません。 平凡ですが幸せに暮らしてきて、この先、無理してまで長生きしたいとは考えません。 でも不幸な人生を送って高齢者になった人は胃瘻のことをどう考えているんでしょうか? 私には分かりません。 安楽死制度は出来そうもないから、安楽に死ねる方法を時々考えてます。

  • @datte_nanda_mon

    @datte_nanda_mon

    3 ай бұрын

    まずは、自分たちの世代がバブルだなんだと踊り狂って、ちゃんと議論してこなかったことを反省するべきでは? 自分たちの後始末を付けられず、自分たちでオロオロする。

  • @yj5666
    @yj56664 ай бұрын

    私はデルタ蔓延の中、東京オリンピックを開催して、パンデミックを起こさせて救急搬送出来なくって自宅で多くの方が亡くなられたのはひどい話だと思います。それ以外ではマスクなど他国より厳重であったのに。

  • @momo-kd8rv
    @momo-kd8rv4 ай бұрын

    荻野吟子さんがお医者様として働いていた北海道せたな町で育ちました(*^-^*)!

  • @csny0627
    @csny06274 ай бұрын

    「不幸」なのは遺族、見送る側の問題なので、近親者が物理的に時間的にいなくなってしまうことで遺族の心が「不幸」、幸せと対極の気持ちになる事じゃないですかね、そう思います。

  • @isaowatabe3031
    @isaowatabe30312 ай бұрын

    死生学、老人學、ウェルビーイング、死をどう迎えるか、人生の大問題だ。

  • @nordlabo

    @nordlabo

    2 ай бұрын

    人生はいろいろなことがつながっているのだなぁとしみじみ思います。

  • @isaowatabe3031

    @isaowatabe3031

    2 ай бұрын

    人は不死の薬を探したが見つからなかった。その代わりに解脱の法を学んだ。 キリストの昇天、仏教の涅槃かな。

  • @souunnkyou
    @souunnkyou3 ай бұрын

    胃瘻をしないと食事の介助が必要に成りますが、1人の患者に1人の介助者が長時間着く事は絶対不可能ですし、90歳の利用者が誤嚥で死亡し2365万円の賠償の判決が出た事例が有りますので、この事実を照らし合わせると胃瘻は絶対無くなりません。

  • @user-pe5lw9kc1s
    @user-pe5lw9kc1s4 ай бұрын

    スウェーデン人の、日本人とは誓うぞ~と思われる自己主張って例えばどんな様子なのでしょうか?具体的な様子が浮かんできません。たわいもないことでいいので教えていただけませんでしょうか。

  • @qzc12260

    @qzc12260

    4 ай бұрын

    日本人との違いは やっぱり人口の少なさ=自分達の生活に直結 て言う所でしょう 日本では、大企業や一部の金持ちが「無尽蔵に金を生み出していて、一般人が搾取されている」感が強いから、国家予算は枯渇しないって感じがします スエーデンは人口の少ないから、金持ちも社会的弱者もみんな身内感覚があると思います

  • @takenindin8904
    @takenindin89044 ай бұрын

    20年ほど医療業界で血液中心の機器や立ち合いの仕事をしその後スウェーデン本社の主に福祉施設中心とした機器関連の仕事をし病院や福祉施設を毎日たくさん回りました。今回の対談で施設長の言われた「家族が胃ろう求める場合がある」多くの病院も施設も同じです。重病患者の治療を依頼され「でもやっても無駄だろうな」私だけでなく医師もそう思ってます。でも望まれればやるんです。1単位8千円の血漿輸血を毎日何十単位、薬も「あれはいくらだ」手技料も考えて「今日の治療費は大体15万、月だと450万かあ、高額医療でいいけどいつまでなのかなあ」無駄な胃ろう、IVH、検査。日本の、特に救命センターなんてそんな患者ばっかり。福祉施設だって似たようなもん。 グスタフさんが言った「日本のコロナ対応は素晴らしかった」そうなんです。世界から見ても死亡者も感染者も少なかった。安倍元首相のおかげです。でも日本の左派や左派メディア、何より政権交代望む野党が「アベノマスクは失敗だワクチン遅いPCR検査足りない韓国様見習え」毎日朝から晩まで批判してました。知ってる人は知っている。んで今更野党はワクチンは打つな死んだのはワクチンのせい自民のせい。なんですから嫌になっちゃう。

  • @Tachi-te210
    @Tachi-te2104 ай бұрын

    『死はゴール』  これに違和感を感じるのは私だけですか?  ゴールは目的や目標ではないのですか?🤔🤔🤔

  • @mildmc0683

    @mildmc0683

    3 ай бұрын

    善く死ねたということは善く生きてきたということでもあります 生と死は正反対の概念に見えて実はイコールなんだと思ってます

  • @user-zq5uc7fy2o
    @user-zq5uc7fy2o3 ай бұрын

    日本には安楽死制度がなく、また、とにかく長く生きることが幸せだし、胃瘻だろうが なんだろうが手を尽くさないで死なせたら葬儀の席で介護に当たった嫁さんが親戚縁者 から吊るし上げられて面罵されるのが実情。手を汚さない奴程激しく詰め寄るよ。

  • @kevinblackwood6384
    @kevinblackwood63844 ай бұрын

    胃ろう って何ですか????

  • @nordlabo

    @nordlabo

    4 ай бұрын

    胃ろうは口から十分に食べられなくなった時に、胃に直接栄養を補給する医療ケアです(^^)

  • @kevinblackwood6384

    @kevinblackwood6384

    4 ай бұрын

    @@nordlabo Tac, thanks. いつから使われるようになった言葉ですか? 昔は植物人間って言葉で表現してた気がしますが。。

  • @Rekisi.Wo.Tadase
    @Rekisi.Wo.Tadase4 ай бұрын

    医療が高いという話に(@_@;)ビックリしました。 また現代において集団免疫をめざすなんて人間として異常だと思いました。 これは医療体制が遅れている証拠だと思います。 未知の病気に対して策を考じる事を諦めたのと一緒ですからね。 スウェーデンは古代人と思考(行動) がかわらない、とも言えますね。 日本に生まれてよかった。 あと途中で頻繁に大声でウンウンと相槌を 打たれるので聞きづらいです。 視聴者に発信している気持ちがあるならそのへんを考えて下さい。

  • @qzc12260

    @qzc12260

    4 ай бұрын

    あなたはおそらく 死 = 敗北 = 不死こそ正義 = 死を受け入れるのは極悪人 = 自分の存在を全否定する抵抗勢力 と言う所でしょう あと 世代はどの辺でしょうか…イメージ的には団塊の世代と言う感じに思えますがどうでしょうか あと社会思考は反権力って感じもありますがどうでしょうか また、社会はもっと複雑ではなく、自分が考えられる以外の事は全て間違っているって思っていませんか? お聞きしたい所です

  • @lichtsmith
    @lichtsmith4 ай бұрын

    「人生をデザインする」なんて自意識過剰ではないですか?

  • @Ghe810
    @Ghe8104 ай бұрын

    スウェーデンの考え方のように、日本も自己決定にすべきだと思います。 なぜ家族決定にされなければならないのでしょう? また、自分で無理だと感じた場合、安楽死できる制度があるべきだと思います。スウェーデンでは安楽死は認められていませんが...。 長生きすることは良いことですが、胃ろうのような延命治療が行われていれば、将来、年を過ぎれば過ぎるほど日本全体として機能しなくなると思います。老人と子供のバランスも重要だと思います。

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