スクナヒコナ・少彦名命は誰なのか?神社伝承や史料で紐解く日本古代史

Ойын-сауық

スクナヒコナという神様をご存知でしょうか?
国造りの神様、農業の神様、医薬神、禁厭(呪術)の神、温泉の神として崇められる神様です
一寸法師のモデルにもなったといわれます
一寸法師の説話は、国造りの神、スクナヒコナが水辺に出現したように、昔話の小さな子の主人公も、何らかの形で水辺の世界と関わっていて、水神にまつわる信仰の存在と関連しているとされます
それでは、スクナヒコナの実体を探っていきましょう
スクナヒコナは主に、少彦名命と表記されます
これは、日本書紀で見られるものです
古事記では、少名毘古那神と表記されています
読み方は、スクナヒコナ、またはスクナビコナとも呼ばれます
ニギハヤヒ説
ヤマト王権の初代統治者であるにもかかわらず、記紀ではぼやかされた存在のニギハヤヒ
天磐船で天より降りて大和の土着豪族・長髄彦の妹と結婚したのがニギハヤヒです
つまり、磐座信仰の代表選手でもあります
父親スサノオの下で出雲王国を築いたニギハヤヒは、近畿に入りますが、一旦出雲に戻っている時期があります
それがスクナヒコナの活躍する時期とかぶるため、ニギハヤヒと同一人物なのではないかという説です
あまり華々しい活躍を描きたくない記紀編者にとって、スクナヒコナという名前に変えることはありうる手段ではあります
とはいえ、名前を変えてまでして活躍を描くかと言うと、それはあまり現実的ではないようです
わざわざ名前を変えて書かないで、記録として残さなければいいだけです
ニギハヤヒとはまったく異なる名前にしていることも、同一人物ではないと思います
【目次】
00:00 スタート
01:15 スクナヒコナの名前の由来
01:54 古事記のスクナヒコナ
04:11 スクナヒコナ、常世の国へ帰る
05:37 淡嶋神社
09:32 宿奈川田神社と天湯川田神社
10:23 秦氏とスクナヒコナ
11:36 タカミムスビの息子
12:47 南方渡来人説
13:42 北方渡来人説
14:53 ニギハヤヒ説
16:09 神話擬人化説
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史について発信しています
この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・KZread オーディオライブラリ
・VOICEPEAK
【参考書籍】
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『続日本後紀上下』森田悌 著 講談社学術文庫
・『古代万華』 小椋一葉 著 河出書房新社
・『日本の神さま大図鑑』戸部民夫 監修 PHP研究所
・『現代語 古事記』竹田恒泰 著 学研
・『縄文の神が息づく 一宮の秘密』戸矢学 著 方丈社
#少彦名命 #日本史 #歴史チャンネル #スクナヒコナ #ニギハヤヒ #秦氏 #淡嶋神社

Пікірлер: 9

  • @AKIHIKO-uz7wf
    @AKIHIKO-uz7wf2 ай бұрын

    岡上先生のチャンネルで、播磨の国の、石の宝殿の考察があります。😊

  • @user-gz2ty9ob6j
    @user-gz2ty9ob6jАй бұрын

    少彦名は背が小さく遥か遠くから船でやって来て色々な文化を伝えた事から中国南部、台湾方面から来た東南アジア、チベット系の稲作民で、背が小さい事から倭人と言われたのではないでしょうか。最初は南九州あたりに渡来してから出雲方面にやって来て稲作文化を伝え、縄文系の大国主と国造りをしたのではないでしょうか。

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5uАй бұрын

    あし原の中津国を作る事にあたり大国主さまの補佐をされた神様

  • @haruyukihayashi3796
    @haruyukihayashi3796Ай бұрын

    出雲口伝を参考に!

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    Ай бұрын

    コメントありがとうございます。出雲口伝これから勉強したいと思います。

  • @user-by3kt3sk4s
    @user-by3kt3sk4sКүн бұрын

    出雲王国役職名は、主王・オオナモチ、副王・スクナヒコと呼ばれていた。徐福の命令下、出雲の主王・副王は同時餓死させられた。記紀は事実を隠蔽した神話物語にしたものです。物語と歴史は別物である。

  • @bj21oto40
    @bj21oto402 ай бұрын

    記紀に疑問を持ち、というよりも全く信憑性がない(特に16代天皇まで)と捉え、同様に独自で正しい古代史を調べてきた。 そのため、むらくも歴史チャンネルを創設時から注目し、丁寧に拝聴させていただいている。 故に今回異論を提示するが、その意図は議論を深めたいという気持ちにある。 結果として、原田常治氏の見解を基調として、正しい古代史を判定するに至っている。 ・ 少彦名は、不比等らによる大国主との押し込み合祀を除くと、直接「大和」に足跡は無い。和歌山(熊野)も全く無い。 ・ タカミムスビが、日向から出雲に派遣した大国主の政治顧問 ・ 知恵の神様 出雲風土記:阿羅波比神社 松江市外中原町54  主祭神:少彦名命、大己貴命、天照大神、『高皇霊尊』、素盞鳴尊 ・ 出雲国譲り、神武養子縁組の時は既に死亡していた 最後に、 北方渡来人説は、〇〇〇を背景に持つ連中が執拗にばらまいているものであり、相手にするべきではない。 以上、

  • @kumao01nigi

    @kumao01nigi

    2 ай бұрын

    いつも視聴ありがとうございます。大変励みになる貴重なご意見感謝します。 説明が下手で申し訳ないのですが、スクナヒコナは実体がないなあ、と感じていました。 もちろん、タカミムスビとの関係も信用していません。 そして、北方◯◯◯は、秦氏などアジアのセム族だと推測していて正しくは中央系ですね、北方としたのが良くなかったです。もちろん、半島系ではありません。

  • @siraki77
    @siraki77Ай бұрын

    百濟 王子

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