徳島県三好市東祖谷の阿佐地区にある平家屋敷・阿佐家を訪ねました。阿佐家は源平合戦の八島の戦いに敗れた平国盛が落ち延びて生涯を過ごしたという屋敷です。徳島県祖谷地方には、もう一つの平家物語があるという。平家伝説の地、阿佐家を訪ねてみました。
阿佐家の人が隣の隣に住んでました。偶然私の義母の出身が三好市だってので、同じ故郷だと話したら、阿佐と言ってくれたら直ぐに分かるはずだと言ってたので、義母に聞いたら直ぐにわかりました。あの阿佐家の方ねと。もう義母も阿佐家の方も亡くなりましたが、動画で見ることが出来て感慨深いものがあります。
阿佐家は昭和50年代の茅葺の頃から撮影を始めトタン葺きになるまで撮影していましたが合併後、三好市が3000万円で買取して観光用にすると聞いてからはもう古の様子は写真では残せないと考え訪れるのは止めていました。今回動画を見せて頂き変わった様子が見られて良かったです。平家一門の家紋もなくなっていました。過疎地の宝が消えました。部屋の床は当時は畳敷きでした。
無残な物なってる見る影も無い、価値が分からない者が関わると酷いもんだね、神社に成ってるや無いか
昔は平家一門ね家紋が有ったのですね⁉️よく平家の落人とゆう事を耳にしますが本物の落人らしき家はなかなか見つかりません🙇長い歴史にはロマンが有りますね😃
家紋は揚羽蝶が彫られていたのですか?
山奥… 後ろ向きに📷 撮影 ~好いなあ(@_@)発見 有り難う😲😱
歴史の流れる中の 祖谷渓の歴史には 感心しますね これからも長く長くあつて欲しいものです。
いつも楽しみにしています♪風景を見ると、四国は何となく分かります。他の県と違う気がします。いい所なのに、限界集落。寂しい限り。
素晴らしい動画
ゆっくりとした詳しい解説でよかったです。
わたしの祖父母よりもっと前のことを聞いたことがあります。家には甲冑などが大切に隠し持っていて、この村の人は皆安德さんを大切にしていた。子孫もいて。 なんてロマンだろうと思ったものだが、本当の話か知る由も無い。
ずっと「こんな山間の川沿いの村にひとがいる」のをふしぎに思って惹かれていました。 最近やっと自分になりに川添に住むひとの必要性と歴史をみて理解できるようになりました。落ち武者であれ農家の次男坊であれ希望をもってそこに住んだんだと思います。 滅びるのは時代のながれの結果的な必然だし、都会の他の生き方が「豊かさ」だったんだと思います。悲しいですが手入れをしなければ村は山の中で消滅していきます。それでいいと思っています。
40年位前に東京の知り合いと車で高知の宿毛に帰る途中に祖谷渓谷に行ったことがありますその時、平家の落人の土地だと知りました、かづら橋を渡って見ました、結構な高さで怖かった記憶があります
今年、ちょうど、大河ドラマ鎌倉殿の13人で、平家滅亡の場面を観ていました。安徳天皇の入水、国盛の最後?等です。なので、徳島に落ち延びた後、阿佐家での暮らしに繋がっていた事を知り、、歴史のロマン✨を感じます。後世に、必ず伝えてほしいし、その時代に気持ちを馳せたいです☺️
新作待ってました!
いろんな名所連れていてくれて心癒されて嬉しいです😌💓ミトラさんも可愛いい手でラーメン作りましたね見ていて和みました。お疲れ様です有り難うございました。
平家の落人の里、興味深く見させて頂きましたが、ナレーションの中、入水をにゅうすいではなくじゅすいと読むのではないでしょうか?間違いでしたら申し訳御座いません。
他の方からも指摘がありました。入水自殺なので「じゅすい」が正解で制作のミスです。
いつも楽しく拝見させていただいております。祖谷伝説というのを初めて知りました。落ち延びて阿佐家で生きることになった国盛の後半生はいかばかりであったろうかと思います。 風景も非常に美しく、実際に自分で行ってみたいとも思いました。 質問なのですが、9:02あたりから流れているBGMの曲名はなんでしょうか?
ご視聴ありがとうございます。ご指摘のBGMの曲名は「カノン」という曲名です。
@@TV-nv6pm ありがとうございます!^^
昔は観光客や、テレビ取材もありましたが、今は行政も落合集落に観光の力を注いでいるようなので、めっきり観光客が少なくなりました。 道路整備も少しづつは改良されてますが、整備に観光に周知をして欲しいです。
入水、じゅすい
24年間、再興の熱い思いが無念に終わり、静かに命尽きるのを待ったのでしょう。山深い地で、身を隠さなければ生きていけない命、春夏秋冬、廻り重ねる季節に、かつての栄華、あれは一夜の夢だったのだと、自分に言い聞かせたことでしょう。全ては空しいのです‼️ 聖書の伝道の書1章2、4、11節、 なんと空しいことか!全ては空しい! 世代は去り、次の世代となる。 誰も昔の人を覚えていない。 これから生まれる人も、誰の記憶にも残らず、 その後に生まれる人の記憶にも残らない。
祖谷谷の郷士達は明治維新まで蜂須賀家と揉めていた。
「入水」は、水に身を投じて死ぬことは「じゅすい」と読むが正しく、「入水」は単に水に入る意味となります。せっかく日本史に触れるのであれば言葉も正しく使ってこそ深みが増します。
その通りです。誠にすみませんでした。
@@TV-nv6pm さん 謝る事ではありませんし、知識のひけらかしでもありません。日本の原風景が歴史と一緒に保存されているのを紹介して頂いて感銘を受けました。故に些細な誤りを是正すれば完璧になるのではと思って、お節介ながら指摘しました。大意はありませんので悪しからず(^^♪
保存修理の前って住まれてる方いませんでしたっけ?
住んでいる方はいました。今でも隣に住んでいるようです。
(入水じゅすい)でしょう?
7:50 「壇之浦の戦いに敗れ安徳天皇は入水」の「入水」を「にゅうすい」と読んでいるがこれは「じゅすい」と読むw
そうですね。入水自殺の方ですから「じゅすい」ですね。ミスでした。
話はかわりますが、祖谷の変わった温泉を都会の皆様は楽しんでください。
8888888888
BGM ただうるさい
残念 無残な物なってる見る影も無い、価値が分からない者が関わると酷いもんだね、神社に成ってるや無いか
逃亡者の末路。。。
Пікірлер: 38
阿佐家の人が隣の隣に住んでました。偶然私の義母の出身が三好市だってので、同じ故郷だと話したら、阿佐と言ってくれたら直ぐに分かるはずだと言ってたので、義母に聞いたら直ぐにわかりました。あの阿佐家の方ねと。もう義母も阿佐家の方も亡くなりましたが、動画で見ることが出来て感慨深いものがあります。
阿佐家は昭和50年代の茅葺の頃から撮影を始めトタン葺きになるまで撮影していましたが合併後、三好市が3000万円で買取して観光用にすると聞いてからはもう古の様子は写真では残せないと考え訪れるのは止めていました。今回動画を見せて頂き変わった様子が見られて良かったです。平家一門の家紋もなくなっていました。過疎地の宝が消えました。部屋の床は当時は畳敷きでした。
@user-rs9xu3kb3p
Жыл бұрын
無残な物なってる見る影も無い、価値が分からない者が関わると酷いもんだね、神社に成ってるや無いか
@user-jo6wg8ue6y
Жыл бұрын
昔は平家一門ね家紋が有ったのですね⁉️よく平家の落人とゆう事を耳にしますが本物の落人らしき家はなかなか見つかりません🙇長い歴史にはロマンが有りますね😃
@i_love_economics
5 ай бұрын
家紋は揚羽蝶が彫られていたのですか?
@user-rt7jc8ex7t
2 ай бұрын
山奥… 後ろ向きに📷 撮影 ~好いなあ(@_@)発見 有り難う😲😱
歴史の流れる中の 祖谷渓の歴史には 感心しますね これからも長く長くあつて欲しいものです。
いつも楽しみにしています♪風景を見ると、四国は何となく分かります。他の県と違う気がします。いい所なのに、限界集落。寂しい限り。
素晴らしい動画
ゆっくりとした詳しい解説でよかったです。
わたしの祖父母よりもっと前のことを聞いたことがあります。家には甲冑などが大切に隠し持っていて、この村の人は皆安德さんを大切にしていた。子孫もいて。 なんてロマンだろうと思ったものだが、本当の話か知る由も無い。
ずっと「こんな山間の川沿いの村にひとがいる」のをふしぎに思って惹かれていました。 最近やっと自分になりに川添に住むひとの必要性と歴史をみて理解できるようになりました。落ち武者であれ農家の次男坊であれ希望をもってそこに住んだんだと思います。 滅びるのは時代のながれの結果的な必然だし、都会の他の生き方が「豊かさ」だったんだと思います。悲しいですが手入れをしなければ村は山の中で消滅していきます。それでいいと思っています。
40年位前に東京の知り合いと車で高知の宿毛に帰る途中に祖谷渓谷に行ったことがありますその時、平家の落人の土地だと知りました、かづら橋を渡って見ました、結構な高さで怖かった記憶があります
今年、ちょうど、大河ドラマ鎌倉殿の13人で、平家滅亡の場面を観ていました。安徳天皇の入水、国盛の最後?等です。なので、徳島に落ち延びた後、阿佐家での暮らしに繋がっていた事を知り、、歴史のロマン✨を感じます。後世に、必ず伝えてほしいし、その時代に気持ちを馳せたいです☺️
新作待ってました!
いろんな名所連れていてくれて心癒されて嬉しいです😌💓ミトラさんも可愛いい手でラーメン作りましたね見ていて和みました。お疲れ様です有り難うございました。
平家の落人の里、興味深く見させて頂きましたが、ナレーションの中、入水をにゅうすいではなくじゅすいと読むのではないでしょうか?間違いでしたら申し訳御座いません。
@TV-nv6pm
Жыл бұрын
他の方からも指摘がありました。入水自殺なので「じゅすい」が正解で制作のミスです。
いつも楽しく拝見させていただいております。祖谷伝説というのを初めて知りました。落ち延びて阿佐家で生きることになった国盛の後半生はいかばかりであったろうかと思います。 風景も非常に美しく、実際に自分で行ってみたいとも思いました。 質問なのですが、9:02あたりから流れているBGMの曲名はなんでしょうか?
@TV-nv6pm
2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。ご指摘のBGMの曲名は「カノン」という曲名です。
@user-xl3ko4ls7x
2 жыл бұрын
@@TV-nv6pm ありがとうございます!^^
昔は観光客や、テレビ取材もありましたが、今は行政も落合集落に観光の力を注いでいるようなので、めっきり観光客が少なくなりました。 道路整備も少しづつは改良されてますが、整備に観光に周知をして欲しいです。
入水、じゅすい
24年間、再興の熱い思いが無念に終わり、静かに命尽きるのを待ったのでしょう。山深い地で、身を隠さなければ生きていけない命、春夏秋冬、廻り重ねる季節に、かつての栄華、あれは一夜の夢だったのだと、自分に言い聞かせたことでしょう。全ては空しいのです‼️ 聖書の伝道の書1章2、4、11節、 なんと空しいことか!全ては空しい! 世代は去り、次の世代となる。 誰も昔の人を覚えていない。 これから生まれる人も、誰の記憶にも残らず、 その後に生まれる人の記憶にも残らない。
祖谷谷の郷士達は明治維新まで蜂須賀家と揉めていた。
「入水」は、水に身を投じて死ぬことは「じゅすい」と読むが正しく、「入水」は単に水に入る意味となります。せっかく日本史に触れるのであれば言葉も正しく使ってこそ深みが増します。
@TV-nv6pm
11 ай бұрын
その通りです。誠にすみませんでした。
@pagontori1376
11 ай бұрын
@@TV-nv6pm さん 謝る事ではありませんし、知識のひけらかしでもありません。日本の原風景が歴史と一緒に保存されているのを紹介して頂いて感銘を受けました。故に些細な誤りを是正すれば完璧になるのではと思って、お節介ながら指摘しました。大意はありませんので悪しからず(^^♪
保存修理の前って住まれてる方いませんでしたっけ?
@TV-nv6pm
Жыл бұрын
住んでいる方はいました。今でも隣に住んでいるようです。
(入水じゅすい)でしょう?
7:50 「壇之浦の戦いに敗れ安徳天皇は入水」の「入水」を「にゅうすい」と読んでいるがこれは「じゅすい」と読むw
@TV-nv6pm
Жыл бұрын
そうですね。入水自殺の方ですから「じゅすい」ですね。ミスでした。
話はかわりますが、祖谷の変わった温泉を都会の皆様は楽しんでください。
8888888888
BGM ただうるさい
残念 無残な物なってる見る影も無い、価値が分からない者が関わると酷いもんだね、神社に成ってるや無いか
逃亡者の末路。。。