社会のつながりは無視して良い? 森の外で暮らすとは?
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00:00 OP
01:20 森の中、森の外
05:44 命としての繋がり
本日は「社会的つながりは無視してよいか」というテーマでお話ししようと思います。
患者さんたちは、社会に傷つけられて社会から排除されてしまっている人たちが多いです。
社会的つながりは大事だと言われると苦しいわけです。
僕から「でも、社会とつながりを持つことは大事だよね」「責任を感じることは重要だよね」と言われると、とても苦しいわけですね。
だからそういうことを無視していい、他人を無視していい、自分の安定を守る、責任を持たずに自分のことだけに集中すればいいんだと言ってもらいたい人も多いと思うんですよね。
だけど、それだとやっぱりうまくいかないことも多いので、今回はつながりは無視してもいいんだけども、無視しすぎはよくないよ。
言い換えるのであれば、社会的つながりは無視していいんだけども、命のつながりは無視しちゃいけないということなのかなと思います。
そういう話をしようと思います。
■森の中、森の外
まず、僕らは健康というか、社会がありますよね。
よく森の中、森の外と僕は例えるんですけれど、多くの人は森の中で中心を目指すんですよ。
中心にはいっぱい果物がなってるので、より多くの果物を欲しがるんですね。
みんな内側に目が向いている。
だけど、不運が重なるんですね。うまくいかない。
例えば、遺伝的な問題だったり、家族との問題だったり、たまたまパワハラ上司と巡り合ってしまったり、そうするとこの社会から一回外れてしまうんですよね。
不運のゾーンに行ってしまいます。
外側にはじき出されちゃう、生存競争から外側にはじかれてしまう。
ここの不運の状況が重なると、例えば、仕事でうまくいかなかった+家族関係もうまくいかなかったとか、そこから犯罪に遭ってしまったとか、恋人からDVを受けてしまった。恋人から犯罪を受けてしまったとかがあるととうとう病気になってしまうんですね。
一個一個の不幸は、100人に一人とか1000人に一人とか50人に一人の不幸なんですよね。
だけどそれが重なるんですよね。重なると病気になってしまう。
これがなかなか皆に理解してもらえないんですよ。
「いや、そんなことある?」みたいな感じに思われちゃうんですよね。
例えば、サイコロの目が6が連続で10回出ることはないと思うじゃないですか。
そんなこと起きないでしょうと皆思うんだけど、起きるんですよ。1億2000万人もいると。日本人の中では。
精神科は本当に1000人に一人とか1万人に一人みたいな人が集まる場所なんですよね。
宝くじに当たる人は絶対いるんですよ。でも周りにはいないですよね。
だからいないものだと思ってしまうし、都市伝説だと思っているけど、そんなことはない。隠してたりもしますからね。
そういう形でサイコロの目が続くように、他の人は理解できないんだけれどもいるという感じです。
だから極めて少数なんですよ。少数なんだけど一定数いるという感じです。
病気が良くなっても、また不運の状態へ戻るだけなんですよね。
うつになりました、休養しました、薬を使いましたと言っても、うつが良くなっても不運に戻るだけなんですよ。
あるきっかけでまた不幸がつながると病気へ戻っちゃうんですよね。
うまくいっていない時はうまくいかなくなりやすいんですよね。だから一回崩れちゃうとなかなか復帰しにくいんですよ。
成功は成功を呼ぶんですよね。
成功者が周りに集まりやすかったり、お金が集まりやすかったりとか。次のチャンスも巡って来やすい。
一回落ち込むとですね。不幸が不幸を呼んでしまうということが起きちゃうわけですね。だから、また病気に戻っちゃうみたいな感じですね。
でも、森の中の人から見ると「こんなことめったに起きないでしょう」とか言われるし、「不運と病気を往復してるのはお前の努力が足りないんだ」と見えてしまうんですよね。
「俺たちだって頑張っているじゃないか」「お前らは頑張ってないんだから」と思われてしまう。
「いや、自己責任でしょ」と思われてしまうんだけども、全然違うんですよね。
やっぱり森の中の人たちは運がいいということに気付いてなかったりすることがありますね。
自分たちが内側に行こうとする時に、蹴飛ばしているんですよね、反動で。
それがわかっていないことがよくあります。
病気から不運に戻って頑張って森の中へ戻ることもあるし、やっぱり森の外と言っているんですけど、福祉の力で生きていくこともあるわけですよね。
皆が皆戻れるわけじゃないわけで、そういう場合は福祉の力を頼って外側で生きていくこともいいですということです。
そういう話を僕はよくしていました。
■命としての繋がり
ただ、これは社会的つながりを切っていいということでもないんですよね。
社会的つながりを切ってもいいんだけど、命としての繋がりは無視してはいけないんじゃないかなと思います。
もうちょっと視野を広げると、僕らは社会の中に住んでいるんだけども、もっと広く見ると人間社会の中で生きているわけですし、もっと広く見ると地球というところで暮らしているわけですよね。
今、僕らはすごく狭い村に暮らしているような形で、外側に点々とあるんですよね。
だけど、地球のコアなところでは、命の何かがあるんじゃないかなと僕は思っていて、根は皆つながってるんですよね。
常識的な価値観とか、皆が持っている資本主義的な価値観とか能力主義、自己責任論とかそういう文脈で繋がる必要は僕は究極的にないと思うんですよ。
常識を疑っていいと思うんですね。
だけど、命のつながりというかですね、そういうのは無視しちゃいけないし、命のつながりの中で僕らは障害がある人もない人もある種平等であり、ある種つながっていて、ある種助け合っているんですよね。
ここの部分が想像できると治療が進むし、自分を責めないと思います。
これは現代人じゃなければ理解しやすいんですよね。
今でこそ僕らは神様というものを信じられなくなってしまいましたが、昔の人は神様というものを信じていたので、常識とかその当時の風土とかではなく、霊的な繋がりっていうものを僕らはどこか感じ取ることができたんですよね。
昔の哲学書とか思想書とか、今日の芸術家であり精神科医であり一流の人たちは、やはりこの霊的な繋がりやコアのところにある命のつながりを確認しているし、魂の修行によってそこに辿り着くことも言っていたりします。
こういうことを言うと、すごく宗教的な感じがしてなんかうさんくさいことを言っているように見えますけど、そうじゃなくて、マインドフルネスを鍛えていくと、自分の中の繋がりというかメタ認知を極めていくと、決して僕らが単純な能力主義とか自己責任論では説明がつかない大きなものに包まれているというか、大きなものと繋がっている感じはわかってくるんですね。
しかも、論理的にも証明できますしね。
信じる力を大切にするとか、お金ではない貢献というのがありますから、そういう意味では皆つながっているので、ここをわかってもらえるといいんじゃないかなと思います。
外にいるからといって社会のお荷物というわけではなく、霊的な意味とか命とか、目に見えない力ではすごくつながっている。
彼らの存在が世の中を動かしていたりしますよね。
歴史を見ていてもそうだし、一見役に立ってないものが後々役に立つこともあるし、そういうのもわかっているから多様であるんですよね。
多様の中にたまたま僕らは森の中いるかもしれないし、不運にいるかもしれないんだけれど、でもそこで卑屈になっていくのではなくて、もうちょっとメタに見てもらって、俯瞰的に見てもらって、僕らはたまたまそこにいるんだなということを理解してもらえると、また見え方は変わるんじゃないかなと思います。
だから働いていない人間なんだけど価値はあるのかとか、生きている意味はあるのかという究極の問いというのは、この水準で考えるとわからないんだけれども、命のつながりの水準だと明らかという感じはします。
今回は、社会的つながりを無視して良いのか、命のつながりは大事なんじゃないか、そういう話をしました。
#精神科医 #益田裕介 #オンライン自助会
Пікірлер: 259
度重なる不運の連続…自分でも信じられないほどです。 これほどまでに苦しまなくてはならないほど、私は罪深いのかと自責の念を感じてしまいます…。 負の連鎖を断ち切りたいのですが、どう跑いても逃れることは難しく…苦しみ踠きながら生きております。 森の外でも穏やかに安らかに暮らしたい…命の繋がり人との繋がりを断たないように、ここで出逢えた皆様との繋がりを大切にしたいと思っております。 益田先生、いつも皆様に寄り添っていただきまして、ありがとうございます。
現在無職ですが、益田先生の動画をみて、コメントを書いているのも社会参加になるような。。
@HH-wf6lo
10 ай бұрын
その通り🙏
やはり私は森の中に戻ることはできず、森の外で福祉に頼りながら生きるしかないのかなと思いましたが、まだ森の中へ戻ることを諦めきれずにもいます。
そんなことある?という言葉を多く浴びて生きてきました。そんなに不幸なことばかりが続くわけない、話を盛ってるんじゃないか、嘘をついてるんじゃないかと言われてしまうことが多々ありました。 信じてくれる人も、わたしが不運ガチャに連続で当たり続ける様子を目のあたりにすることで疲弊し、最終的に去っていきます。 断ち切り方はよく分かりませんが、そういう人が世の中に実在するのだと言い切っていただけたことで、なんだか存在を許されたような心地になりました。ありがとうございました。
障害者雇用で働いて居るけれど、職場の方達が仲間として受け入れてくれて、毎日とても働きやすいです。休み時間には冗談を言い合って笑ったり、一緒に仕事の話を真剣にしたりして居る。社会って、場所によってはこんなにも優しいんだなと8年働いて居る今感じます。皆さん、本当に殆どの方が仲良くして下さり、年上の方ばかりなので、楽しく可愛がって下さって、感謝して居ます。
海外へ行くと(暮らしてみると)また違う森があるんだと気づく。同じ国内であってもきっと違った森があるはず。
人生も半ばを過ぎて、宝くじに当たった人間だと気づきました。 宝くじに当たったことを隠しながら生きてきました。精魂尽き果ててもうクタクタです。森の外でもいい、福祉の力を借りてもいいと言ってもらえると気が休まります。
前に出ない足を一歩一歩必死で踏み出して、働かないもうろうとした頭で散歩をしていました。辛かったのはそれだけではなく、近所の人達の冷たい視線です。あいさつをしても返ってきませんでした。私を励ましてくれたのは、人間ではなく空や山や雑草や花や木や鳥たちです。人間は人間を見捨てることがあるけど自然は見捨てません。底のほうでやっぱり繋がってるんだと思います。自然に感謝して生きてます😊
重い精神障害持ってるため、仕事しながら人の何倍も努力して資格取ったり通信の大学で勉強して日々努力していますが、世間の障害に対するイメージが悪いため頑張っても頑張っても悪いイメージが取れない。辛い。
@ninamuller470
8 ай бұрын
お気持ち察します。 私も発達障害というレッテルだけで婚活市場では不良債権と言われ、悲しくなります。自分達に足りないものを補おうと必死に頑張っているのに、頑張りを見てくれないのは辛いですよね。
森の外の者です。 子どもの頃から不遇で虐待も受け、思春期には鬱病や解離、離人症になりました。 精神論ではどうにも出来ない! 苦痛と世間への憎しみを抱えて生き延びた 生き延びただけの人生。 先生の解説は、的を得ていて、蹴飛ばされた森の外の者に寄り添う、有り難い内容でした。
私は鬱になってよかったとは思えませんが、知らない世界がある事を知ったり、他人にやさしくなれたことは人間的 に成長があったと思う🤭
社会的・経済的に自立できず、精神的・身体的にも疾患を抱え、日々孤独と戦っていますが、益田Drの動画を見る事で、なんとか生かされています。いつもありがとうございます。
どうにもならなかった事や、どうする事も出来なかった事を全部自己責任や努力不足にされるのは嫌というほど味わってきたけど、、心から「自分だけのせいじゃない」って思えていたらずっと楽に生きられただろうなあ。
@3moon1000da
10 ай бұрын
せやで…他責思考ってのも悪くないんやで。 少子化云々なんて社会が悪いし、どうすることもできないことは自分だけの責任でないことも多いで…
@user-gn6xl2bj2x
10 ай бұрын
@@3moon1000da 内向的で友達がつくれなかったり、言い返せずにいじめられたり、運動神経が壊滅的だったり、手先がひどく不器用だったり、まー色々あったなあと。
@yx2038
10 ай бұрын
とてもわかります…苦しみを訴えても甘えるなと助けてもらえず、理解もされず、結局自分を責めるしかなかった…
先生の森🌳の話は、腑に落ちて理解できるので、何回聞いても好きです。
福祉のお世話にはなっていないので、森の中で暮らしていますが、育ちが多分不運だったので気持ちは森の外にいます。生粋の森の住人は森の外が見えていないので、イラついて避けてしまいます。根っこで繋がる命のイメージの概念は知ってはいますが、体感した事はありません。そこへ行ってしまうと、無味無臭の世界であり、諦めるというイメージと繋がってしまって悲しくなります。本当は多分ポジティブなことなのに、繋がる命の感覚を考えようとせず、辛い森の中で森の住人を嫌いながら大丈夫なふりをして生きています。多分認知が歪んでますね。いつか森の景色が素晴らしく見える日が来るといいです。
森の中の人にこちらの事情を話しても、「あーこの人、言葉だけで受け取ってるな」と感じます。何を言ってるか理解はしてるけれど、そこで止まってるというか。 本当に理解してもらうことは不可能なので、それで仕方ないのだけど、森の外が「ないもの」として扱われるのは違うと思います。森の中は中の人たちが思ってる以上に画一化された環境で、本当は誰でも弾かれる可能性を持っているのだと気づく仕組みがあるといいのに。
うまく言葉にできないけど、不運が集中して病気になるっていうの、今身をもって体感しています。今までずっと周りに比べて不運を呼び寄せる体質だなって思いつつも頑張れてたけど、今もう限界が来ててつらい。この動画みてすごく腑に落ちた。
福祉が命の繋がりを軽視している問題もあります。福祉からも排除される人間は もう逃げ場がありません。
あるある😭なんなら不幸慣れしちゃってダメですね💦💦前を向かないと...。
3年、本当はもっと前から鬱は始まっていたんだろうけどずっと踏ん張って来た。 でも今年に入って、不幸が嘘みたいに立て続けに起きて、それでも頑張ろうってしていたら、まさかの帯状疱疹になってしまった。 だけど病院に行ったら十分に休んで下さいって言われて『あ、私休んで良いんだ』ってちゃんと思えた。 もっと前に精神科にもちゃんと行っていたら不幸も繋がらず、病気にもならずに済んだのかなって、ちょっと思った。 すごく不安でいっぱいだけど、今は、少し休んでも自分を許そと思います。
壮大な話だけど何となく分かるのは、私なんて表面的には孤独だし仕事もうまくいってないし精神疾患持ってるしで森の外にはじき出されてる人間だけど、だから死のうとは思わんのよね。自分が生きてる価値って、必ずあると心のどこかで思っている。うまく説明は出来ないけど😅
自分は父親と祖母の愛を受けて育ちました。ですがものすごく貧乏でした、やってみたい事や進学したい学校をすべて諦めました。父は10代で他界 祖母は20代前半で他界 そうなると社会が憎くなり鬱になりました。
@magik0920susanoo
10 ай бұрын
僕も10代で両親の離婚、親の死、おじいちゃん、おばあちゃんは連続で死に、家族の解散、実家は取り壊され、金銭的な理由で大学除籍などを経験しました。 誰もいなくなった暗い実家で過ごしていた日々は独り暮らししてるみたいで気楽だと、家族が解散しても家が変わるだけだと、除籍になろうが大学はもともと好きじゃないし と思っていましたが、精神というのは徐々に気がつかぬうちに蝕ばまれるものですね… 昔は誰とでも分け隔てなく接することの出来る人間でしたが、今となっては人を見下しながら生きていっています…… とてもツラい 昔はみんなで食卓を囲んで、当たり前の生活がありました 昔に戻りたい 昔はあんなにみんながいたのに、今はずっと独りぼっちです 自分の中のクリエイティブな考えも消えてきて、今はただ生きているだけ お気持ちとても分かります 人のせいにするなと人は言いますが、何かのせいにしてなきゃ生きていけそうにない 自分が前に進まなかったってのは分かってるけど 神さまなんて嫌いです 気がつけば歳をくっていて、自分には何も未来がないことを悟りました 苦しいですね……
@26kouko
10 ай бұрын
家族の解散… 今やもう大人かもだけど、子供時代にそんな状況体験するなんてホントかわいそう。私も家族関係クソ悪で精神病んでかわいそうだけどあなたもかわいそう。家族の解散なんて…
@user-wi3dk3fy8v
10 ай бұрын
家庭が悲惨でもそのストレスをクラスや会社でいじめや加害をせずにいたなら救いがあるから
@user-vh5fk3pu9j
10 ай бұрын
でもいつかあなた達を頼りにするかわいい家族が見つかるから、それを信じて生きてみないか?君たちは一人じゃない。希望を持って生きてみて🎉
@user-kq6im4im5o
10 ай бұрын
枯れ木も山の賑わいじゃないけど、私は花や植物のように生きたい。人間で有ることに息苦しさが多々あるから。利益・効率・順応性が壊滅的。「また今年も会えましたね」「もうそんな季節なのか」って穏やかな気持ちになってもらえる存在になりたい。
先生の存在はご自身で思う数十倍の価値があります。何度かコメントしましたが、生きてて良かった、もう少しがんばってみようと思えるのです。お話がとても有意義で、かつ美しいです。
@toomi.103
10 ай бұрын
同感です✨
通院しながら働いています。ふと、私よりも優秀で、やる気も元気もあった人が、他店に転勤し、いつの間にか退職している事に気づきました。なぜ弱く、薬に頼って生きている私が、今続けて勤めているのか、ふと考える事があります。これも運ですね。
やることなすこと、全て裏目にでる。タイミング的にもなぜと思う事があまりにも続いています。
私は無宗教ですがあるお坊さんのKZreadもよく見ます。印象に残っているお話に 「会社では部長さん、帰りに寄ったラーメン屋さんではお客さん、家に帰ったら普通のお父さん」というお話がありました。 私も、仕事はしていませんが散歩をする時は「地域の住人」であり、転がってきたボールを拾って子どもに渡してあげお礼を言われたり、犬の散歩の人にワンコを触らせてもらったり。 先生のおっしゃる命のつながりとはこんなことかな?って思いました。 (全然違ったらごめんなさい💦)
今回、何かすごく大事な事、宝物みたいな言葉に触れた気がしました。腑に落ちました。
@user-2023JkcFk
10 ай бұрын
同感です 不思議なくらい安心感が湧いてきました
不運が、重なるのは、自分の考え方がマイナスだから不運を呼び寄せるんだ!とか、楽しんで暮らせばいいじゃないの!みたいな説教する人が多いので、もういいや.......誰にも相談もグチも出来ないって思ってしまいます。
@user-kt_k___boo.8888
10 ай бұрын
引き寄せの法則は根性論ではないかと感じています。 私は鬱病なのですが、引き寄せの法則を試してみると辛い気持ちになりました。 友人から遠慮せず悩み事を話してくれたらいつでも聞くよと言われ、それを信じ甘えて数回悩み事を話したらLINEが既読スルーになりました。 私も友人の悩み事を聞いてきました。 しかし鬱病の私の不運続きの悩みは友人にとって重荷になったのではないかと思い悲しく寂しい気持ちになり孤独感を感じました。 鬱病の苦しさ辛さを理解できる人は多くはないのだと思いました。
@0120yuyu
10 ай бұрын
@@user-kt_k___boo.8888 ホントにそうですよね。心の持ちよう次第!みたいなプラス思考ハラスメントはうんざりします。 そういう事いう人に限って「話なら聞くよ」とか言いますが、本気で話をすると、返信が来なくなります。もう、そんな事にも慣れてしまって、孤独にも慣れてしまっていて、人間そのものに絶望感を感じてしまっていたので、益田Dr.のように「わかってくれる人もいるんだ」というのが救いです。
@user-kt_k___boo.8888
10 ай бұрын
@@0120yuyu ご丁寧にコメントありがとうございます。 私と同じような経験があるのですね。 LINE既読スルーの件は最近の話なのですが、孤独感と絶望感で鬱病をぶり返してしまっていたので、こちらでコメントを通して少しでも共有できたことを有り難く思います。 仰る通り精神科医である益田先生が世の中には不運続きの人々が一定数いることを理解してくださっていて救いになりますよね。
@user-kt_k___boo.8888
10 ай бұрын
そういえば、以前、DaiGoさんのKZreadで引き寄せの法則は嘘だと仰っていました。
@user-kt_k___boo.8888
10 ай бұрын
今日、既読スルーの友人から連絡がありました。 友人の既読スルーは初めてだったので私の思い違いでした。 友人は忙しくて体調を崩し熱を出して寝込んでいたそうです。 不運続きで鬱病も重なり、物事全てを悪く考えてしまう自分と今後私の悩み事を本気で話すことは止めようと反省をしたところです。 しかし、友人は今までのような返信の仕方とは違い距離を取っているのだと思いますが、最後は必ず"またね!"とスタンプを送ってくれていましたが最近スタンプがなくなりました。 孤独感はありますが、もう私の悩み事は話さないようにしたいと思いましたし、友人から連絡が来るまでは私から連絡するのは控えようと思いました。
とても納得がいく内容でした。子供の頃からなぜ自分だけと思う程不幸を呼び続け親からも不幸体質、ゾンビだと言われてました。仕事しだしてからとても体が弱くなり毎年の医療費9万とかで周りからは異常だと言われて結局は病気だったから本当に全て振り回されている人生です。
運良く優しい両親の元に生まれてきたのに 「親を大事に出来ない人はダメだ」 とか酷いこと言われる
ありがとうございます!
「やっぱり益田先生、信頼できる」と思ったお話でした😊わたしは不運から病気になり、現在は社会に馴染んでいますが、コア(基盤)となるのは命のつながりだと感じています。その上に社会があります。 瞑想などのマインドフルネスで、命のつながりに戻る時間を設け、幸せを味わう習慣は必須ですね😊
社会という境界は人間が生み出したのに実は非常に曖昧だなと感じました。 ドクターが他の動画で言っていた、一人間の役割について「働けなくとも何かを食べて生きているだけで経済を回していて立派な役割を果たしている」というのを思い出しました。
ずっと不幸の中を生きている身からすると、不幸じゃない人間、不幸が続かない人間が居るという事が信じられない。 みんな不幸な中で生きていると思ってるし、みんな笑ってるフリをしているだけで、本当は笑っていないと思う。
自己責任で傷つける人間にならずにすんだのはよかった。恵まれてる人達ほど何も理解していないよね。SNSのおかげで努力しても苦しんでる仲間がいるって知れてよかった。
@bishi.4637
10 ай бұрын
私も、同じ様に感じました。言語化して下さり、ありがとうございます。
先生、ありがとうございます。
ある人に「みんなしんどい」って言われても、自分とは生きてきた境遇が違うから言えるんだよなぁ、と落ち込むこともしばしば。早く過去へのとらわれから解放されたい...
不運が続くと不安になってしまいます 最近だと友達から裏切られたりしまったりしてショックで精神的に辛かったですが益田先生がいろいろ解説していて楽になりました。❤マーク付けてくれる益田先生優しいですね
森の外で生きていても劣等感を感じなくてもいいのだと考えると救われた気持ちです。 有難う御座います。
発達障害の当事者かつ支援者です。 発達障害者でなくても社会的な繋がりが感じにくかなってる昨今であると感じますが発達障害者にとっても同様であり、また健常者の方よりもその繋がりのゆるさは大きいのかなと感じることがあります。 私にとって本やアカデミアの世界で学ぶことや社会的なつながりを感じることにつながりました。 人それぞれ、方法は違えど、他者との繋がりを感じられる温かい社会であればと切に願います。
森の外にいることは不運なことなのでしょうか。 家庭環境や辛い経験などから、森の中にいることが難しくなってしまった場合もあり、それが不運だと言うのなら、 福祉の力を使うことは国民の権利で、私の実体験で感じるのは福祉を味方につけられる人はある意味で運がいいように思います。 森の中でも森の外でもお互いが理解し合えるような生きやすい世の中になることを願ってます。
103歳になる祖母は目が見えなくなって、自分のことが自分で世話できなくなったら、生きてる意味がないといいます。 でも、よく働き今も自分で自炊と洗濯をしていて、デイサービスにもかよっていて、ユーモアがあって元気をもらいます。 何かができるからとか、できないとじゃなくて人が生きて存在することで、周りに影響があるものと思います。貴重な動画ありがとうでした。そんなことを思いました。
はじめは同じ年代でふつうに働いてる人と比べて並びたいと思って焦りました。段々諦めというか、B型からステップアップしていくことを受け入れられました。昨年12月から初めてのA型に行けて働けるようになったことは嬉しいですが、次のステップは意識しながら仕事してます。一見遠回りのような気がしたけど、いろんな壁を乗り越えてきたぶん、 自己理解や成長は一般の人よりしているんじゃないかと勝手にそう思ってます。
体にも軽い障害があるため、実質『森の外』で暮らしています。幼い頃から真理の光を求めていたこともあって、42歳でオーソドックス・クリスチャンに改宗しました。『森の外』のそのまた遥か向こうの宇宙と一直線につながって生きている感覚です。友人が仕事で難病児等の支援をしているので、時折寄付をさせてもらったり翻訳の仕事を引き受けたり。そんな感じで社会とのつながりはごくわずかですね。それが私にできる精一杯かなと思います。
今は、アルバイトでなんとか、社会復帰のふりをして、友達も増やせています。幼少期は、家庭は母の怒号が鳴り響き、父は趣味に走り不在。 今は、私が病んだお陰で、両親が反省し、私も普通の家族を諦めたお陰で、安定しているように思います。 でも、学歴が良いお陰で、恵まれているように見えて、むしろ、周りから嫉妬を受けることも多いです。 自分が求めているのは、女性的な優しさだと気が付いてからは、女性とだけ、付き合うようになっています。そのお陰で、だいぶ、安定しました。男は、利己的で、甘えてくるやつが多い。 でも、両親が、介護が必要になった時、働く時間を増やした時、自分がどうなるのかわかりません。。。 でも、焦っても仕方が無いので、今の生活に感謝しようと思います。
今回は自分的には神回でした。プロテスタントなのでというか自分の育った県という繋りだからか、命の繋がり、という箇所を観て、今の私の最も尊敬する中村哲先生を思い起こしました。 中村哲先生は九大医学部卒という秀才であり、脳神経科(?)か、教会で言ってた精神科のDr.です。私は違いが?なのでどちらにせよ、医者として立派な方で、その安定した地位や財産や名誉を持つ事が出来たにも関わらず、アフガニスタンの貧しい方の為に貢献されました。 (哀しくも最期は銃弾に倒れ、天に召されてしまいましたが…) そんな中村先生でも、生前は、ご自身なり葛藤しておられた様です。 中村先生はご自身の思想から“その土地の文化はその子孫に継承され、受け継がれているべきだ”とお考えでした。 用水路を引き施設を建てる中でも、現地の人の信仰も守るべきだ、とのお考えから、イスラム教のモスクをご自身で建造されていました。 一見、美談ですが、ご自身はやはり葛藤があり、「自分はクリスチャンなのに何故モスクを建造しているのか」という自問自答に苦しまれたようです。 動画とは直接関係ないコメントなってしまいましたが、この動画を観たあたりで 7:13 牧師の語った、その話を思い出したので、思わず書いてしまいました。単なる感想ですみません。 動画ありがとうございました。
@user-mp8gf9hx5v
10 ай бұрын
私も 中村哲氏は 残念な想いです🙏🥺
私は、森の外から出ることが怖いです。 中の人は理解している風を装って酷い言葉を投げつけてきます。 だから、信じきることが出来ません。 本当に信頼できる人としか接点を持つことができないです。
@yx2038
10 ай бұрын
それわかります…無理に中に入る必要はないと思います。私は中は無理でした…
まさに子供の時から「何で毎度毎度!」って言うくらい、病気が不幸を呼び、不幸が病気を呼んで、同疾患の中でも1000人に1人もいないレアケースで治療と社会復帰に躓き続けてます(^^;もう何にも期待を持てないです。でも先生のお陰でただ生きてるだけでも良いかとも思えてきてます。ありがとうございます。
うつ病を発症して20年・・。 森の外にいた時、頑張って森の中に戻らなくてはと何度入っていっても、またはじかれてしまいます。これを六年間繰り返していて、心の底から疲れてしまいこれからどうしたらいいのか途方に暮れていました。 生きてる意味なんて無い。そう思いながら益田先生のKZreadを見ていました。 もしかしたら、私はダメでは無いのかな・・生きてる意味があるのかな。今回の動画を見て少しそう思えてきました。
不安症で、ずっといきづらく、社会から外れてしまいました。精神障がいをもって一人で生きることが迫ってきて、不安でいっぱいです
益田先生の奥深い考え方に救われます。目に見えない繋がり、命の繋がり、信じる力、多様の中に居ること。 広く大きな世界の中にいる1人、私たち1人1人であることを体感できました。ありがとうございます。
祖父母世代の不運を受け継ぎ結果鬱になりましたね。 ただ、鬱になって治療して良かったと最近思う。 色んな支援者を見て人の暖かさみたいなものを感じたから。 世の中酷い人ばかりではなかったと知れた。 あと、鬱が酷いときにファストフードの顔なじみになって、注文を覚えてもらえたのも なんか不思議な感覚があった。 しばらく行かなくて久しぶりに行くとお久しぶりと言われたり。 お金を払ってサービスを受けてるだけのはずなんやけど、 人の繫がりみたいなものとか、 自分もうっすらとでも周りに影響を与えているんだなと感じた。
私は不運という言葉を使いません。試練と言います。乗り越えました。一人暮らしをしてマインドフルネスを毎日しています。すると、物事を俯瞰して見ることができるようになります。次元が少しだけ上昇した感じです。小さな出来事に感謝できます。付き合う人も傷つけないように断捨離しました。孤独が喜びです。でも孤立はしていません。偉そうなこと言ってしまいました。双極Ⅱ型と乖離性障害で通院服薬中ですが安定しています。
初めてコメントします。森の中にはまだいるけども、森の中の価値観にほとほと疲れ果てた人間です。競争、自己責任、個人主義、、、。小さな頃から宗教を持ち、学生時代まではどちらかというと森の中というよりは命のつながりの価値観で育ってきたので、社会人になり森の中のあまりの混沌さにショックから適応障害になりました。 現在復職はしており当分は森の中で生きていくつもりではおりますが、、、。今思えば、あまりにも森の中を知らなすぎた世間知らずだったなとも思います。 ですが潔癖な自覚はありつつも、森の中の価値観を「こんなもんだよな」で済ませることは絶対にしたくない反面、いちいち反抗していると身が持たないので、日々生きていく上で、森の中と命のつながりの両方の価値観をどのように折り合いつけていくか悩んでおり、辛いです。
「命の繋がり」が身についたら、手が差し伸べられるのかもと、後半10回ぐらい見てしまいました。どうやったら自分の手をつかえるか必死で考えます。助けたかった人たちを、次は助けたいみたいなところから、はじめます。私も森の外から助けられたので。
私は宇宙にあるもの全てが尊く、一つであると考えています。宗教とは全く違いますよ!個人的には哲学でもあり、科学でもあると思っています。 ですが、不幸を知らず、自分が幸運である事に気付かずに生きている人達とも沢山会ってきました。度々複雑な気持ちになりましたが、気付きが無いだけなのだな、と考えるようにしています。瞑想、私はエゴが強くて上手に出来ないのですが、マインドフルネスを意識して諦めずに、簡単な呼吸瞑想から頑張ります。
命のつながりという概念が抽象的で、私には理解できませんでした。 精神科に無縁な人たちに能力主義資本主義自己責任論ではない人間の尊厳を理解していただけたら嬉しいです。 しかし現状は、多数派である方々から見れば精神疾患を持つ人は社会のお荷物と捉えられ、 患者は尊厳を傷つけられながら生きているのではないでしょうか。 凸凹グレーの私ですが、命のつながりを理解できたとしても苦しみから逃れられないのではと思いました。
今回の講義は生きていくための根源を教えてくださりまして、有難うございました。 森の中の中心部にいる方々に特に、聞いてもらいたい内容です。 生まれながらに様々な幸運に恵まれている方々は聞いても心が動かない可能性もありますが、少数であっても分かって下さる方が増えてゆくことで、少しずつ社会全体が生きやすく変わるように感じました。 益田先生、いつも有難うございます。
丁度、来月から仕事復帰をする者です。1年5ヶ月ぶりで正直迷惑じゃないか不安で仕方ないです。 森の外とか内とか考えた事もなかったのですが、社会との繋がりは「全て」無くしてはダメなんだなぁと思いました。勉強になります。
益田先生は、理科系の科学的なことだけ述べるのではなく、哲学・社会的なことも喋ってくれるから素敵です。 文系軽視の風潮は止まらないけれど、個人的な経験に対して、一人一人の生活をよりよくすることに関しては、まだ文系は出来ることがあると思っています。 文系も閉鎖的にならず、理系と同等それ以上に社会と繋がり、研究結果を広く共有するべきです。 それこそ、KZread等を使って。
森の中に戻りたいとは思わない。森の外にいる人間のほうが本質的なことがわかる人達だと思う。
まさにこのところ自己責任論の怖さを感じていたのでタイムリーで驚きました。 自分の力ではどうにもできない外的要因で病気とともに生きることになってしまった人も沢山いると森の中の人にはもっと想像して欲しいです。
@user-is5gg6zy9r
10 ай бұрын
人は、自分も同じ経験をして同じ立場・境遇になってみないと、絶対他者のことなど理解しないし、理解できない。森の中の人間に理解を求めても無駄。他者に期待するのは、止めたほうが良い。
益田裕介先生、益々ご活躍されますね。今日の解説お話の全てが腑に落ちた内容で、生き方や考え方の道しるべにもなりました。ありがとうございます。そして、皆さんのコメントも素晴らしいと思います。
なるほどね、、臨床的に非常に深い、為になる話を聞けた気がします。
テーマとは違いますが、先生の話し声が心地よく最後までみたいのに寝てしまうことがあります。😅安心感からなのかもしれないけど、自然にうたた寝できることが心地よいです。ありがとうございます😊
命の絆って素敵な言葉ですね。森の外の話、かと思いきや一歩先に進んだお話聞けてよかったです。私も先々、森の外で暮らす時が来ると思っていますが(身体的理由で)その時もブレずに持ち続けられる価値観は何か?につていつも考えています。
命のつながりは無視しちゃいけない…今の自分にしっくりくる言葉でした 不運の重なり、当人がいくら説明してもなかなか理解されませんね…
幸せってのは人と比べた中には無くて、絶対的価値として自分の中だけにあるものなんですよね
「メタ認知を極めると、命のつながりのような大きなものに包まれていることが分かる。論理的にも証明できる」というお話にとても興味を持ちました。 差し支えなければ、どのような論理で証明できるのか、いつか動画で紹介していただきたいなあと思いました。また、益田先生がメタ認知の学習に読んだ本など参考資料を教えていただけますと嬉しいです。
@Omine.raillines01
10 ай бұрын
先生は医学者として命の絆の何かを捕まれたのですね。ボクはスピリチュアルな経験により、宇宙よりも大きな時限の存在を知りました。恐らくは間違い無く存在すると感じています。先生は、ひとと人が相互に何らかでつながりが有りそうな感覚に気付かれたのでは? また、それについて、教えてください。
@user-te6xk5dk3v
10 ай бұрын
今回の動画は益田先生の人への深い思いやりを感じました。 命のつながりのお話は言葉では説明出来ない次元の話なのではないかと思いました。 老荘思想が浮かびました。 私はまだその世界は分からないです。生きているうちに到達できるかどうか分かりません。 益田先生すごいです!
@user-ro4px4vw1l
10 ай бұрын
優しさ感じました。 日常のなかで 言葉貰うこと感謝です。
多分、本当です…。
必死に森の中へ行きたいと、森の外で努力してきましたが、まだ命のつながりはボヤけています。森の中の人が少し怖いのも、コアな感覚が生まれたらわたしの成長(受容)も大きく進む気がしますが、いつも益田先生のいう生きているだけで価値があるという話は理解できないので、いつか感じたいです。
不運が重なると病気になる…わかる気がします。 20代のときに仕事の人間関係が上手くいかず(今思えばパワハラ上司+パワハラお局からの攻撃でした)、抑うつ状態になりました。半年休職して、復帰するときに産業医の精神科の先生との面談があり、そこで先生から、「今回こうなった(抑うつ状態になった)のは8割が周りが悪い。運が悪かったね。残りの2割はあなたがまわりに助けをもとめるのがちょっと遅かったからかな。周りの信用できる人に早めに相談できれば良かったね。」と言われ、すごく納得しました😌それまでは自分が10割悪いと思っていたので。 不運が重なったときに、いかにまわりに助けを求めるかが大事なんだなと思いました。つい、不運が重なるのは自分のせいだと思ってしまうんですよね…不運て外からくるコントロールできないものなのに😂
不運をフルコンプし続けた気がする。 森の外に出てみたけど、孤立感と周囲からのあたりの強さに追い詰められ余計苦しんでる。開き直って楽しめばというけれど、私には出来そうもない😓 ゲームとか没頭出来る人なら引きこもり楽しいのかもなぁ…
なるほど。それを繰り返して、10年選手が誕生しちゃうのか。確かに、繰り返していると実感しています。もう、元には戻れない。
以前もこの話題の動画を観させて頂いて嬉しく思っていました。また、この話題を動画にして下さってありがとうございます。病気じゃない人にも観てもらいたい動画です。
まだ森の中で暮らすこと、頑張ってみようかな。それでも無理なら森の外で生きて行くことにしよう。霊的な繋がり、いいな。論理的にも説明できるんだ。いつか聞いてみたい。
ついつい、目の前のことばかり考えがちで、俯瞰的にみることを忘れます。 そうは言っても、なかなかな不幸の中に居るなと思ってしまいます。こんな目に遭う予定なかったな…なんなんでしょね。
森の外に出た方々は福祉を利用して生きていくのも、一つの手段です。福祉を利用して、自律をすることで、社会の一員だと自己肯定感が持てたらよいですね。
不運は努力ではどうにもならないんですよね! ただ巡り合わせが良い場合は運が良い状態なんですよ。 想像できない人は自己責任と言います!
ありがとうございます
むずかしい。 森の中でも外でも、一人ひとりの人間はある意味では多様だし、ある意味では平等なのではないかと思います。 でも、それを森の中の人達に理解してもらうのは難しそうですね。 大災害にでも見舞われたら、考え直すきっかけになるのかもしれないけれど。でも災害は起こらない方がいいですね苦笑 私自身、もし社会の中で「普通に」生きれていたら、人の価値についてなんて考えたりしなかったと思います。 社会に適応できなかったおかげで、このようなテーマについて、思いをめぐらせたりできているのは、逆に幸運だと言えるのかもしれません。 まあ、よくわかりませんが🍀
益田先生のお話しを聞いていたら「もうじき たべられる ぼく」という絵本を思い出しました。子牛が最後のセリフで「ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ せめて ぼくをたべた人が自分のいのちを大切にしてくれたら いいな」と言っていました。子牛は自分の命を大切に食べてほしいと願うのではなく、自分を食べた人がその人自身の命を大切にしてほしいと願っていました。 自分は食べられてしまうのに、誰かの幸せを願える子牛はすごいと思いました。子牛も繋がりを感じでいたので、苦しみの中でも穏やかに過ごすことができたのかもしれないです。 自分のことを気にかけてくれたり、大切に思ってくれる存在がいることは嬉しいです。私も誰かの幸せを願える人になりたいです。
私はうつ病、パニック障害、です。 両親と私の3人暮らしです。 今、就労支援で行きたくないけど仕方なく行ってます。 家に帰るなり夕飯の支度を辛いながらに毎日料理作ってます。 ならば親に作ってもらいたいです。 精神状態悪化してます。もう歳なんだから作れと言われます。 正直作ったら作ったで怒鳴られます。もう家族と一緒にいるのが辛いです。 先生どうしたら良いですか?
@rain.over.
10 ай бұрын
障害年金と障害者雇用でどうにかなりませんか? 一人暮らしした方が良いと思います。
@orangeytayama7670
10 ай бұрын
私も、家族と生活に限界を感じて家出同然に1人暮らしをしました。 離れたことで心穏やかに過ごせるようになっています。 現在は、障害年金を受けて、障がい者就労を目指して、 リワークプログラムに通って います。
こんばんは。自尊心が低く相手を理想化してしまうところがありました。そう思わないと、人間の能力なんてそうそう変わらない。と思っていたらやってられなかったのです。環境に対する苛立ちをずっと抱えていました。迷惑はかけたくないけどわかって欲しいと、好きな相手に対してストーカーになってしまったこともあります。相手は怖かっただろうな。申し訳なかったです。今になりやっと、頑張り過ぎない範囲で頑張る。勝手我慢して勝手に爆発するくらないなら、文句を言われてもやりたいことをやる。自分が悪くもないことで謝らない。が出来るようになりました。
母親なら子供の為に頑張るのが当たり前、自分だけ不幸と思うなって言葉を言われるから、森の中に早く戻らないいけないって焦りしかなくて、20年超えの闘病生活面です。社会との繋がりが切れてはいけないのは、孤立して、自責の念だけ抱えて重さに耐えきれず病状が悪化するだけだったと実感しています。居心地の良い場所と人に出会える事がようやく出来て、森の外にもオアシスが有りました。20年超えの闘病生活でも不幸中の幸いが有ったから生き残れて良かったです。
精神科にいくつも通いましたが良くなったためしがないです。結局なけなしの金払って意味無かったです。今通ってる所も通院やめようと思ってます。今回も意味無かったです。結局精神科の先生になる様な恵まれた方々は本当の意味で患者に親身になったり出来ないのでしょうね。この先生を否定している訳ではないですよ!
福祉の力を借りて今行動してるけど、なかなかスムーズにいかずネガティブモードで挫けそうです。勇気がいることがたくさんありすぎて、疲れました。
ワンネスの思想ですね。僕は霊感家庭で視えない人間で、夢視や不思議なことはたまにあります。森の外で生きていて、今でも時々働いてない劣等感がありますし悔しさもあります。孤独感もあります。けれど命はひとりきりではないので…どうにか頑張っています。目に見えないご縁に支えられていて、もっとより良くなるためにもっとお力をいただけるよう願いながら日々を淡々と生きています。
いやー今日の話は深い。深くて学びが多かった。 対世間で考えると発達障害者や精神障害者を排除したり生きる意味があるのか悩む事も起こるが、 対個人で考えると、その人のその人の宇宙の法則みたいなものの中で、果たす使命があって生まれて来てるということが理解できる。益田先生のおっしゃる霊的なものとは、宇宙の本来のリズムという言葉で理解しました。
森は外から見たら美しい。森の中に入れば迷う。森の中から森の景色は見えませんね。
数%の不運の中でもがき苦しむ 人生を過ごすと確かにココロが 蝕まれますね…… 20代の時に父胃癌死、 そこから13年間 育児と両立で母の介護、 統合失調症と難病により母他界 息子2人に恵まれるも、 40代で乳がんに…その頃 社会に馴染めず長男が自死 そして現在 主人に肺がんが見つかりました 幸せにはなれない 人生なのかも知れません…… 森の中は息(生き)苦しい…
命を繋ぐためにはある程度社会性が必要では?と思います
今日も素敵な眼差しを送って下さり、ドキッとしてしまいました🥺少し泣けてきて。誰かもおっしゃってたように前を向かないとですね🤢私の中から開放してあげないと。(笑)先生は誠実で生真面目だから、答えてあげようって思う優しさがあるから疲れてしまわれたら嫌なので。
森の中、外で生きる、とても興味深いお話でした。 森の中のは少しイメージできましたが、森の外とはどのような場所なのかイメージが出来ませんでした。森の外がどのような場所かイメージを共有できると、そこで生きていくことにポジティブな意味を見いだせるのかなと思いました。
社会の繋がりと命の繋がりがわからなかった。 自分で考えてねってことですねぇ。 昔の人はよくわかっていたのはなんとなく。 うつ病真っ最中の時は、わからなかったけど、 2年経って、神社にいい風が吹いていて空気がいいことがわかった。 病院のある通りもいい感じがするなぁと思ったら神社があった。 社会の役に立っていない!と思い込んで、ドネーションで髪の毛をのばしたのも関係あるのかなぁ? 子育て真っ最中にがんになっても、ガンハラを受けても働けていたのは、神様が待っていてくれたのかなぁ。そしてただのパラパラで力尽きたのも運かぁ。 益田先生ありがとう。 神様もいるねきっと。 みんなにもいいことありますように。
益田先生の仰る「命の繋がり」はアドラーの「共同体感覚」と肌感覚としては一緒でしょうか🤔 ともあれ「考えるな感じろ」←これもまた大事ですね 母なる大地地球の棲みか太陽系にいる私 天の川銀河の端っこの辺り 生き物が入れ物みたいでマトリョーシカだわ~😆💕
森の中央の果物を取り合うこととは緊迫感が違いますが、イワシの群れにサメが襲いかかる映像を見たときに、まさに『不運な個体が外側に弾き出されて、食べられて4んでしまう』様子に我々の境遇を投影してしまったことがあります。
生来の性質が森の中に合わない(集団に馴染めず、何事も理屈を求める、体力無し)、虐待、いじめ、性被害、暴力。。色々ありました。不運だったんですね。森の中から弾かれては戻ってを、必死で子供の頃からやってきたように思います。現在、以前より自分を客観視できるようになり、森の中で生きられないタイプなんだとわかりました。悲しいけど、先生のお話で諦めがつきました。どうせなら、どこまでもフラフラと森の外を一人で流れながら生きてみようと思います。 根本で命が繋がっているというお話について、参考文献ありましたらご教示いただきたいです。
先生の言われる事が 今回社会的にの解説よくわかりました。 しかしそれから これからどうしようと考えてしまいます。 なかなか 言葉にできない1日1日を過ごしてます。
早く見たい