宿縁の命 彰子の入内で定子捨てられる?一条天皇との三角関係 道長と紫式部の再会「大河ドラマ 光る君へ」歴史解説28

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「宿縁の命」 道長は娘の彰子の入内をきっかけに紫式部と再会することになる。そして一条天皇と定子、彰子の不穏な三角関係に。朝廷内は波乱の展開!
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楽曲提供 株式会社 光サプライズ

Пікірлер: 18

  • @kaetzchenweiss5793
    @kaetzchenweiss579319 сағат бұрын

    市橋先生の解説は楽しく 興味深いです。 TVドラマとまた違うドラマが ここで展開されているようです。 今後も楽しく拝見させて頂きます。😊

  • @user-ju5wc5kn6t
    @user-ju5wc5kn6t5 күн бұрын

    現代とは違い戸籍謄本など無い時代ですから英人の暦を追うのは困難でしょうから解説も楽しく愉快ですね😊

  • @akikorogers5876
    @akikorogers58764 күн бұрын

    倫子さんのお母様と式部の父為時は従兄弟?又従兄弟同士で近い関係でしかも土御門邸と為時邸は道を挟んで斜向かいで、式部の姉と倫子は歳が近く,おそらく幼い頃から姉に連れられて土御門邸に遊びに行っていただろうし,歳が進むと姉妹で土御門邸に女房見習いの様な仕事をしながら通っていたとある本で読みました。(三田誠広さん著書) その本にはその頃から式部は物語の様な物を書いては土御門邸の女房たちの間で披露していたと書いてありました。 やがて道長何婿に入ってその時から2人は知り合いになりそこにはやがて物語を描く式部に道長は惹かれて行き道長は式部と倫子の目を盗んで関係を持つ様になったとありました。 なんか納得のいく内容でした。

  • @mocomoco8094
    @mocomoco80945 күн бұрын

    市橋先生とゆりさんの授業分かりやすくて好きです。市橋先生の本も興味深いですね。買ってみます!

  • @user-dl7sz7ns5l
    @user-dl7sz7ns5l4 күн бұрын

    ドラマでは、ききょうが枕草子を書き始めるときに、まひろがアドバイスしていました。また定子が髪を切る場面もまひろは目撃していました。 このことから、まひろが源氏物語を書き始めるときには、ききょうが関わってこないとバランスがとれないと考えます(定子が亡くなった後かもしれませんが)。 そして二人の本当の関係は悪くないのに、何らかの理由で、まひろはききょうの悪口を書かざるを得なくなる、その辺の持って行き方をどうするのかが興味深いところです。 彰子は定子の遺児(敦康親王)の世話もしますので、亡き母定子のこともイメージできるような物語をまひろは書いたのでは。ドラマではききょうもそれによって慰められるのかもしれません。そういう意味では、定子の逝去が大きなきっかけになっていたような気がします。

  • @m.sakurai9519
    @m.sakurai95195 күн бұрын

    私もその説はいいと思います。、土御門邸の隣が式部の屋敷だったわけですから、幼いときから知っていたというのは、当たり前ですよね。それをなぜ身分で離すのか。おかしいです。 三人とも幼馴染。奇跡のというべきではないでしょうか。

  • @user-op2lq4fs8p
    @user-op2lq4fs8p3 күн бұрын

    大変面白い話しありがとうございます❤ 出版を楽しみにしています🎉

  • @user-eb8sr4yr2w
    @user-eb8sr4yr2w4 күн бұрын

    入内、言葉検索きたら説明動画ありました。 いま、土曜日、まとめ放送視ながらです😊

  • @mocomoco8094
    @mocomoco80945 күн бұрын

    実資をメインしたドラマみたいです。ドラマでは話さない内容までじっくり話して下さるので為になります!この番組を観てから小右記や紫式部日記を買いました。 やっぱり劇中の帝と定子は好きになれません😂

  • @kazupon1967

    @kazupon1967

    Күн бұрын

    そもそも論ですね。 小右記と紫式部日記がベースだったかと

  • @alfredmusset7236
    @alfredmusset72365 күн бұрын

    紫式部はもともと藤式部として倫子の土御門第に出仕していたと思われます。越前帰りからの出仕なら、式部という名前に整合性がありません。源氏物語は最初、帚木三帖が書かれ、宮中で話題になり、道長の要請で一条天皇の彰子への興味を沸かせるように同じ歳の差の光源氏ー若紫物語を書いたのではないでしょうか。そこから時代を醍醐朝に求め、源明子から父親の源高明の日記も入手し、桐壺帖から順次光源氏の出世物語として書きこまれてきたのではないかと。

  • @hiroshiyamashita
    @hiroshiyamashita5 күн бұрын

    花山天皇。懐かしい。

  • @user-cy4qe8zr8r
    @user-cy4qe8zr8r3 күн бұрын

    賢子役も愛ちゃんのようかも、娘は父親似のはずだから!

  • @rosefiore8772
    @rosefiore87722 күн бұрын

    源倫子の母と為時は従兄弟と聞き,両家は境界を接する屋敷跡の事実から類推した説では、 両家は倫子結婚以前から交流して居たと言う説は自明の理と思われるが…

  • @user-rq7ne6vm8u
    @user-rq7ne6vm8u3 күн бұрын

    一条帝と彰子は八歳違いぐらい?かな。ときおくしています。宣孝とまひろよりまし😂

  • @user-px5zp7hi7v
    @user-px5zp7hi7v4 күн бұрын

    定子がまだ健在なので一条天皇は二十歳くらいですよね😮

  • @user-xm6kb4pz2p
    @user-xm6kb4pz2p2 күн бұрын

    こんにちは(*゚ー゚)v😮😊

  • @sasaakih
    @sasaakih2 күн бұрын

    紫式部の家庭教師開始時期の先生の説は至極まっとうで、もっとも理論的であるとど素人の我々も感じますが、  もっとも当り前である説が採用されない事にこの頃の史学や文学に係る研究者・教授陣の歪な争いを感じます。  本当の真実にもっとも近い説は何かではなくあくまで自分の研究が一番で採用されるべきだの論調は  国から予算をぶんだくらなければならない国立大学なら当り前のようにありますので、むしろ国立系の研究員・教授と 私立・民間系の研究員に分かればはっきりし犯人も分かるはずと感じます。 もう少し史実に忠実になろうという 気持ちが欲しいですね。  外国の研究者から見てもなんでこの説が採用だれてるんだが日本史の中には多々あるのでしょう。

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