ルンメニゲが史上最高だったとよくわかる動画!かなり凄い!ゴール&プレー集 シュート サッカードイツ代表 バイエルン ワールドカップ【海外サッカー】
Спорт
サッカードイツ代表並びに、ブンデスリーガの雄・バイエルン・ミュンヘンで一時代を築いた伝説のカールハインツルンメニゲのヒストリー動画です。
ワールドカップでの雄姿、マラドーナやプラティニらとの熱い闘い…どれもこれも名場面です。
チャンピオンズリーグにバロンドール受賞と、獲れるタイトルは全て獲得したルンメニゲですが、W杯だけは手に届きませんでした。それもこれも怪我の影響ですが、何はともあれ今見返してもグッとくるルンメニゲの半生を今週は追いかけます。
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0:41 ルンメニゲ ヒストリー
ASIAN KUNG-FU FOOTBALL
#ルンメニゲ #サッカードイツ代表 #ワールドカップ #ブンデスリーガ #バイエルンミュンヘン #サッカー
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ルンメニゲが、バイエルンからインテルに移籍したのは、当時バイエルンは多額の借金を抱えていたので、自身の移籍金でバイエルンの経営を立て直す為だったんですよね。 おかげでバイエルンはそれ以降、ずっと無借金の健全経営を続ける事が出来る様になったし、ルンメニゲと入れ替わる様にして、低コストで獲得したローター・マテウスが大活躍して、ルンメニゲ並の大レジェンドになった。
80年代のストライカーでも時代は関係無く上手い人のプレーは魅力されますね。こんな貴重な映像が残っていて有難いです!
そう、ダイヤモンドサッカーでめちゃ見てました! 確かイレブンかサッカーマガジンの付録にルンメニゲの折りたたみポスターが付いててあれ貼ってたなあ、あー、懐かしい😂
待ってました!ルンメニゲ.....来たー!何時も楽しみにしています。有難う御座います!
同時代の代表チームメートだったもう一人の「カールハインツ」、ストッパーのフェルスターがカッコよくて子供心に好きだったなぁ…
FWとして最高峰に達した選手の一人ですよね。 ファンバステンの前、世界最高のストライカーはルンメニゲだと私は思っています。
浦和でプレーしたルンメニゲの兄だとは最初は知りませんでした。ワールドカップで優勝できなかったのが本当に惜しまれます。82年と86年のドイツ(西ドイツ)の粘りは驚異でしかない。
ドリブル突破も上手いしゴール前でパスを受けてのシュートも上手い。パワー溢れるキックもテクニカルなキックも自由自在。ストライカーとしての完成度では歴代最高クラスのFWじゃないでしょうか
マラドーナジーコプラティニとバチバチやってきたあのローター・マテウスが最高の選手はルンメニゲっていうんだから凄いな。 それ程までに全盛時のルンメニゲのプレーは凄かった。
カール・ハインツ・ルンメニゲ って名前からしてサッカーうまい
クラマーさんとのやり取り興味深かったです!面白かった! ルンメニゲ凄い!
中学生のサッカー部時代、土曜夕方の三菱ダイヤモンドサッカーで食い入るようにルンメニゲのプレーを観ていました。ベッケンバウアーは既に引退していたので、自分にとっての西ドイツ代表はルンメニゲです!!
若い頃の姿は、金髪の貴公子な感じで、シュナイダーのモデルになったのもわかる。 年を経るににつれ、美術館に置いてあるローマの将軍の彫刻みたいになって行くんだよなw ベッケンバウアーが皇帝、マテウスが闘将と呼ばれてたのに対し、ルンメニゲは軍神と呼ばれてた。
西ドイツの雄、ミスターヨーロッパことルンメニゲ! キャプ翼のシュナイダーで彼のプレーに興味を持ったことを覚えています。
たまに来る、このチョイスが好き。 今回はルンメニゲですか😂
プラティニと並んで、私が最初に好きになったサッカー選手。最初は泥臭くゴールを決めるストライカーだと思ってた
自分が見始めたワールドカップがメキシコ86でした!小学3年生でしたが、記憶に残ってます! 8090年代のドイツは盟主しか居なかった。 あと、本当、クラマーさんの功績の系譜があるからこそ今の日本サッカー界がある。
今のドイツに足りないのはルンメニゲのような選手。ゲルマン魂を体現したスーパースター!
ずっとルムメ二ゲって言ってました。 ルンメニゲはザ キャプテンってイメージでゲルマン魂の象徴の様な選手でしたね。 アルゼンチン戦は特に 鳥肌もんでした。
サッカーを好きになったきっかけの選手。本当にかっこよかった。
ルンメニゲ、ありがとうございます✨僕は86年メキシコがはじめてのリアルタイムW杯でしたので、マラドーナが楽勝すると思い込んでました…2ー1になった後のTVから伝わる熱気に魅了されました。 マークについて寄せていてもエリア内でお構いなしにねじ込むシュート力…DF泣かせですよね😂👍
華麗さと泥臭さを併せ持ち、どちらも見事にハマっていたミスターヨーロッパ。
ダイヤモンドサッカー、日本ではまだマイナースポーツのサッカーの放送。懐かしい…
動画UPお疲れ様です。 キャプ翼のカールハインツルンメニゲからダイヤモンドサッカーを観てルンメニゲを知りました。 その思いも強かったのか、浦和にルンメニゲが来る、ってなった時は大興奮しました。 しかし弟でしたが。 ただ彼は運動量豊富なMFでした。
ルンメニゲを取り上げていただきありがとうございました。 ドイツの歴代ストライカーの中でも最強と言って良いと思います。ミスター・ヨーロッパ。その名に違わぬ選手でした。
ルンメニゲは世代でなくわからなかったでしたがカールハインツって名前だけでピンときました‼︎ 足捌きはやっぱオマージュしてますね👏
浦和にルンメニゲが来る?え?あのルンメニゲ?と思ったら弟だった
今でも大好きなプレーヤーです。 時代時代に素晴らしい選手は居ますが、ベッケンバウアー、ルンメニゲのプレーに唖然としました。 土曜夕方のダイヤモンドサッカー。 欠かさず観てました。 奥寺のブレーメンとバイエルンの放送が多かったように記憶しています。
ミスターヨーロッパの愛称がカッコよすぎる
テレビや雑誌の表記ではルムメニゲだった記憶がある。
奥寺さんを応援していたので好きなチームはブレーメンと西ドイツ代表 インテルに移籍してから100%応援していました
ルンメニゲホワイトだっけな。ルンメニゲの白色モデルのスパイクに当時憧れたなぁ。
まじで感謝です
最近のドイツやイタリア代表にスター選手が少なくなっているのは残念です
正直ドイツと言ったらベッケンバウアーだったけれど、この人もかっこよくて良いね
ルーマニアのラドチョウやってほしいです。
高橋陽一先生が当時サッカーに無知だったからこそ、 当代最高のストライカーとして日本にも数少ない情報が入ってきてたドイツとルンメニゲを、そのまま素直に最強の敵キャラに出来たのだと思う
なんせ名前がカッコ良すぎる というかクラマーさんはルンメニゲでも出場機会あるかわからないチームに釜本さんを呼ぼうとしたのか
Jリーグってこのルムメニゲの弟、マラドーナの弟、ホナウジーニョの兄、知名度はあんまりないがフランスリーグ得点王取った事もあるソニーアンデルソンの兄とか、超一流選手の兄弟が結構来てるんだよな。
@user-ej4se4eq3k
3 ай бұрын
トニーニョってソニーアンデルソンの兄だったのかー! ソニーアンデルソンとジャルデウは得点率異常すぎた
@user-cv4wl5fz1w
3 ай бұрын
@@user-ej4se4eq3k ソニーアンデルソン、ジャルデウ、アイウトン、エイベル、アモローゾ、グラフィッチ等、欧州上位リーグでぶっちぎりの得点王取りまくってる選手達でもセレソンにはほとんど呼ばれないのが、当時のセレソンの異次元の層の厚さを感じるよね。
ただ目を開けて呆然と視線を落としているのではなく目で捉えた情報を処理していく事はサッカーだけで無く全ての仕事で役に立つだろう
あ、シュナイダー君とファーストミドルネームが一緒だぁー! プレーは見てないけどきっとすごい選手に違いない、とサッカー観戦歴が90年イタリアW杯からだった私はこう思ってました
小学生の時にポスター持ってたけど、馬みたいな太ももでビビった思い出。 顔もめちゃくちゃダンディに見えたなぁ。
レッズにいたルンメニゲのお兄さんですよね!
確かにダイヤモンドサッカーでバイシクルシュートを見た時の衝撃はすごかった!
いつもナイス👍な動画をありがとうございます😊
ルンメニゲを初めての知ったのは 84年頃、日産パルサーのCMに 出てたのを覚えてます。 今年50になりますが 自分の世代より少し上の方達が 全盛期を知るのでは無いでしょうか? プレーの記憶はメキシコワールドカップの決勝の反撃の1点のシーンです。
ルンメニゲは史上最高!
ルンメは今のイーフットボールでも現在進行系で最強格のFWです!
ドイツのストライカーは総じてテクニシャンではない。ただ誰もが途轍もない魂の持ち主達だと思う。ルンメニゲも然り。
1986年のメキシコ🇲🇽ワールドカップで優勝して欲しかったですね♪🎉🎉🎉🎉🎉
センターFWってよりも、シャドーのイメージ 空中戦強いディーター・ヘーネスとの2トップ
スペインワールドカップ、チリ戦のゴール、ペレがベタ褒めしたのも頷ける。 大げさなドリブルやミドルシュートなんかより、 同じような、マラドーナのイタリア戦の瞬間的なトリックゴールみたいな方が、 南米の名選手OBたちはシブいプレー!ってニヤついてくれる
ルンメニゲといえばインテル:ナポリ戦の前、ウォーミングアップの最中に眼前のマラドーナにaround the worldを見せられお前もやってみろと。 一瞬でイメージしてルンメニゲも一発で決めたという話も当時のサッカー雑誌にありましたねー。
ルンメニゲは聞いたことあります。すごい選手とは知りませんでした。 ダイヤモンドサッカーは誰が誰か?わからないまま見てました。懐かしい。 メンタルケアは重要なのですね。 今日もじっくり味わいながら視聴しました。アジカンの動画本当に好き。
6:18 当時、ペレが「夢のようなゴール」と絶賛したシーン。
今度は変わった企画で芸能人サッカーチームのザ・ミイラの動画をお願いしたいですね♪😅 それかニューヨークコスモスも期待していますのでお願いします🎉🎉🎉🎉🎉
今でも1番好きです。
@bigcat1411
3 ай бұрын
Me ,too!!
「足元も上手い。」 別に、フェイントこねくり回すわけじゃない。 ワンアクションで一瞬に抜き去る技術はサッカー史上、クライフとルンメニゲが一番だと思っています。
ルムメニゲの下敷き、小学生時代に愛用していたなあ
ルンメニゲと言えば・・・「ルックアップから、、前を見る!」のアナウンスがw
同じく三菱ダイヤモンドサッカーで育ったわたしもルンメニゲと言えば「ミスターヨーロッパ」の称号が金子勝彦アナウンサーと岡野俊一郎さんの解説と共に思い出されます
メンタルがバケモンでゲルマン魂の塊だった😂
”欧州の誇り”ルンメニゲ。素晴らしすぎる動画です。ありがとうございます。’82W杯で優勝していれば、今日でもペレやクライフ、マラドーナと並ぶ評価を受けていたはずと思います。ユップ・デアバル西ドイツ代表監督は「ルンメニゲなら60%の出来でも他の選手の100%以上」との持論を持っていたそうですが、それでも、負傷の影響は大きかったのでは無いでしょうか?そんなコンディションにあっても、そして苦しい試合展開でも、何かをやってくれる選手。単にワールドクラスというだけではない、やはり別格の選手だったという印象です。それにしてもデットマール・クラマーの指導は印象的ですね。ベッケンバウアーの自伝にもクラマーに関する色々なエピソードが出てきますが、選手の心に如何に訴えかけるか?を常に考えているんでしょうね。
全国少年サッカー大会に出場すると参加賞として貰えたadidasの下敷きがルンメニゲだったなぁ。
ルンメニゲにもがっつりクラマーさん関わっていたのか😮 偉大なるフットボールの教授
3度目の得点王 インテル ルンメニゲ🎉 有終の美 メキシコのステージ ゲルマン魂
サッカーを始めたのが、11歳だったのが驚きました。
猫背が独特だったね、ワールドカップでしか見たことないけど、最後まであきらめないところはゲルマン魂の象徴だったね
ルンムメニゲは私が子供の頃のアイドルでした。 ドリブルが上手くスピードにのったドリブルで、対戦国のDFを切り裂いていました。 シュートも上手くどんな角度からでもシュートをしてゴールを狙って、いました。 フランス戦はセビリアの死闘でした。 延長戦前半フランスに2点差を付けられ西ドイツの選手達は、意気消沈をしていましたがキャプテンのルンムメニゲがピッチに立つや否や西ドイツの選手達が水を得た魚の様に、動きが良くなり最後は勝利の歓喜に包まれていました。 たとえ走れなくてもパスやシュートを、撃てなくてもピッチに立っているだけで戦力になり心の支えなっていた。 ルンムメニゲはそんな選手でした。
カレ(ルンメニゲの愛称)はフランツ・ベッケンバウアーに代わるバイエルン・ミュンヘン、(旧西)ドイツ代表の象徴だった。 1974-1975シーズンにプロデビューし、1975-1976シーズンにはチャンピオンズカップ優勝を果たした。バイエルン・ミュンヘンは3連覇を達成。そしてインターコンチネンタルカップでも優勝を果たした。ドイツの常勝軍団としてバイエルン・ミュンヘンに数々のタイトルをもたらし、得点王も3度獲得。1980年のEUROを獲得。1980、1981年にはバロンドールを獲得。 しかし、1981-1982シーズン、チャンピオンズカップ決勝でイングランドのアストン・ビラに敗れてしまう。当時欧州勢はリバプール中心にイングランドの全盛でもあった。 1982年ワールドカップでは初戦でゴールを決めるものの、アルジェリアにまさかの敗戦を喫してしまう。それでも立て直し、2次リーグそして準決勝進出し、フランスとの死闘の疲労は大きく、コンディションも万全でなく、決勝では新鋭ジュゼッペ・ベルゴミのマンマークで抑えられた。 1986年ワールドカップでも何とか決勝にたどり着くも、決勝で追いすがるゴールを決め、3度ワールドカップでゴールを決める。しかし、決勝ゴールを決められ、再び優勝を逃してしまい、名声のわりには栄光に見放されてしまった。
ウイイレをやって入れば知らない人は居ない選手
ダイヤモンドサッカーは見てました。放映してた頃はさほどサッカーに興味はなかったのですが何か見ていましたね。
かのカールハインツシュナイダーのモデルとしても名高い。
7:35 当時のデサント(adidas日本代総理店)のポスターになったシーン。
ダイヤモンドサッカー世代には忘れられない選手ですね リーダーシップもあり、点を取る嗅覚、執念はすさまじい選手でした ケガでW杯では少ししか出れなかったけど、途中出場すると雰囲気がガラッと変わったのはよく覚えています
詳しくは知らなかったけど、やっぱりシュナイダーのモデルとしての印象が強いですね 動画を見る限り、フィジカルや運動能力の傑出したクリロナのようなスーパーアスリートタイプかな?
あの時代はまわりもすごいメンバーがそろっていた、ボンホフ、フィッシャー、ルベッシュ、カルツ、ブリ―ゲル、フェルスター兄弟、ハンジ・ミューラー、リトバルスキー、マテウス。 クリンスマンが頭角を現してルンメニゲも自分の役割は終わったと感じたのだろうか。 1980年の欧州選手権での優勝タイトル取ってます、あのときはシュスターがゲームメークして絶頂期だった。 78年ケンペス 80年ルンメニゲ 82年ロッシ 84年プラティニ 86年マラドーナ 88年フリット 時代を象徴するスターがチームを率いてました。
ウイイレじゃ無くても知ってます!偉大なるドイツのストライカー、僕自身ドイツのストライカーは好きな選手が多いです70年代から2000年代にドイツは偉大なストライカーがいましたミュラー、ルンメニゲ、フェラー、クリンスマン、リードレ、ビアホフ、クローゼ名前を挙げれば数え切れないです
鞍馬天狗👺に教育されたブンデスの牛若丸と言ったところかな(笑)。クラマーさん生前にご自宅に鞍馬天狗の絵を飾っておられたのを見たことあります😊日本では「カマモト、右インターナショナル、左ハイスクール」と言ってカマモトを奮起させる。メキシコ五輪3位決定戦で左右で1点ずつ決めて、大会得点王になっている。 我々オッサン世代は、まだW杯の出場枠が24だった頃のアジア枠3〜4の時代のアジア最終予選の緊張感のある試合の連続を経験して、ドーハの悲劇を経験し、ジョホールバルでのカズの交代、岡野のゴール、W杯初出場を体感した。嬉しさとJリーグ発足当初からの最大の功労者であるカズをW杯に連れて行ってあげられなかった非情さも忘れられない。 一方、西ドイツ国民は、W杯70年の準決勝イタリア戦、ベッケンバウアーが肩脱臼して包帯で固定してプレーしたアステカの死闘。 82年のフランスとの死闘。1-3からのケガのルンメニゲの途中出場直後の得点、クラウス・フィッシャーのオーバーヘッドで同点。PK戦でもサドンデスにもつれ込む。西ドイツのPK失敗したシュティーリケが膝を抱えて体育座りで顔を隠しながら恐る恐る観ていた(笑)。82年、86年、90年と3大会連続でW杯決勝を経験している西ドイツ国民。ドイツ語にゲルマン魂という言葉は無いらしいが、この国民の経験値の差は、途方もなく大きい。 我々が生きているあいだに一度でイイから、W杯決勝とは言わないから準決勝くらい味わってみたいね😊
格好いい方ですね。 男前やな〜😊 某野球選手よりも😂 サッカー選手だからかな😊
ウイイレであなたのコンカにどんだけ助けられたでょう。ありがとう
メキシコW杯、マラドーナファンの私は2点差リードで優勝ムード状態喜んでいたがルンメニゲが交代で入ってきてわずか数分で同点に追いつかれた時は何が起こったんだ?これがゲルマン魂かと唖然となった。
@user-ts8yg5xd9d
3 ай бұрын
ルンメニゲはメキシコのアルゼンチンとの決勝はスタメンだったはず。途中から出たのは前回大会のフランス戦だったと思う。
@user-yn9vm5bm1h
3 ай бұрын
@@user-ts8yg5xd9d 途中出場はフェラーだったか
偉大な選手だけどワールドカップ準優勝2回で優勝出来なかったんだよね。弟のミヒャエルは選手キャリア終盤に浦和レッズに来たけど中々良い選手だったよ。
80年代の世界のサッカー界はマラドーナ、プラティニ、ジーコそしてルンメニゲでしたよ。たしかにスペインW杯ではイタリアのロッシが得点王になりましたがやはりスーパースターは前述の四天王でした。ルンメニゲは地味なイメージがありましたがプレースタイルはドイツ人らしさとテクニカルな一面両方持ち合わせた選手でしたね。カズが11番を背負う前は11番はルンメニゲが第一人者でした。10番じゃないのが逆にインパクトがあり憧れの番号でした。
ゲームより理不尽な選手メッシ以外にもおったんやって感じでした
次は守備でバロンドール受賞者のザマーかカンナバロで宜しくお願いします。
『キャプテン翼』の西ドイツ代表シュナイダーの名前の由来の人。 浦和に来たのは弟さんだったのか。
あのアディダスのスパイクに憧れました。
「ルンメニゲが日本に来るって?」→「弟かよ!」 「マラドーナが日本に来るって?」→「弟かよ!」
@user-co5ry7gr6l
3 ай бұрын
そんな日本に来たイニエスタって…
@kohppp
3 ай бұрын
「ラウドルップが日本に来るって?」→「兄かよ!」
@893kotoge
3 ай бұрын
ロナウジーニョの兄もきたよね
@Jerry-ry6rv
3 ай бұрын
@@user-co5ry7gr6l 兄弟揃って禿げてるわけないやん本物やろ
@YThikkey
3 ай бұрын
ウーゴ・マラドーナw 鳥栖フューチャーズww
フランスファンとしては全盛期のプラティニ軍団を彼一人で叩き潰された感じ。それだけですごい👍
○和サポです。この人の弟さんにはお世話になりました。
全国少年サッカー大会の予選で一定以上の良い成績収めると、ご褒美がルンメニゲの下敷きでしたね 初期はアホみたいな快速を生かした岡野にテクニックをプラスしたドリブラー、20代中盤から中盤にポジション下げたそうですね フェラーも小学校中学校時代は国内で一番足の速い無敵の健康優良児で、陸上に行くかと思ったらサッカーに行ったみたいです
6:00 慶応グランドですね!
ストライカーというよりウィングだけど、80年代ドイツを象徴する選手だったなあー ブライトナー、リトバルスキー、シューマッハー(F1じゃないよ)、ドレムラー、フィッシャー、懐しい
ゲルマン魂の権化のような気迫。同点に追いついたフランス、アルゼンチン戦はよく覚えてます。今のドイツ代表をどう思っているのでしょう。
たしかアビスパ福岡にはマラドーナ弟がいたような・・
とんねるずの番組で、ルンメニゲの弟が出てジャストミート福澤に、「の弟」を強調されてました😅
イーフトでお世話になっております笑
初めて買ってもらったスパイクがルンメニゲモデル
浦和でルンメニゲを見たけたとき兄と勘違いして興奮したことを思い出しました。