ブラジル史上最強の1982年の凄さが嫌でもわかる動画!ジーコ スーパープレイ&スーパーゴール ワールドカップ 名勝負【海外サッカー】
Спорт
ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾで構成された黄金の中盤は、サッカー史上最も豪華なカルテットとして今なお語りつがれています。1982年のワールドカップにおけるブラジル代表の個人技とパスワークは、グアルディオラ(バルセロナ⇒マンチェスターシティ)、モウリーニョ、クロップ(リバプール)ら、現在の名将に大きな影響を与えたと云われ、今見返してもその凄さは伝わってきます。
【おすすめ動画】
♦ロマーリオがマジで大好きになる動画!ブラジル史上最強のワルのゴール&伝説のスーパープレー ワールドカップ バルセロナ●怪物ロナウド【サッカーブラジル代表】⇒ • ロマーリオがマジで大好きになる動画!ブラジル...
♦ゾーンに入った本気のブラジル代表の足技がこれ!ぶっ飛んでるドリブル&ゴール feat.ロナウジーニョ ロナウド マルセロ ネイマール【サッカー】⇒ • ゾーンに入った本気のブラジル代表の足技がこれ...
0:00 オープニング
0:38 ブラジル1982 ヒストリー
ASIAN KUNG-FU FOOTBALL
#サッカーブラジル代表 #ジーコ #ワールドカップ #海外サッカー #名勝負 #サッカースーパープレイ #サッカーゴール #サッカー伝説
Пікірлер: 301
その内の二人が鹿島に携わってくれたのだから凄いの一言だと思います。ジーコ御大、セレーゾ元監督いつまでもお元気でいてください😊
@maskedminsk9997
4 ай бұрын
彼らは、世界中のファンから愛されてるから大丈夫❗
82ブラジルの美しいサッカー、74オランダの興奮するサッカー、 アルゼンチン戦ジュニオールへ、イタリア戦ソクラテスへのジーコのスルーパスは脳裏に鮮烈に焼き付いてる。 82ブラジルと74オランダは私にとって特別なチーム。
82年ワールドカップ開催時、自分は8歳。それでもサッカーが大好きでしたから録画してビデオで何度も見直しました。子どもの頃だからかこの時のセレソン、自分にとって今でも最強かつ最高の魅力あるチームです。その後、日本にオスカー、ジーコが来日し、ファルカンが代表監督になった際は興奮しました。そしてトニーニョセレーゾ、レオンも監督、カレカは選手として日本に。何かと日本に縁のある時代です。 それから動画、面白すぎます。これからも期待してます。
@FourLightsofRain
5 ай бұрын
私は94年頃からサッカーに夢中になったので、82年の頃はサッカーに興味がありませんでした。 映像を見るたびに黄金のカルテットを当時実際に見ることができ、堪能できていたら。。。というのがいまとなって非常に悔しい残念な気持ちです😅
カレッカいたら、ゴールキーパーがレオンだったらとかいろいろあるが、仮に彼らがいてもイタリアには負けたかも。 しかし今見ても楽しいよね、しっかり中盤で崩して攻撃するし。 黄金のカルテットも凄いが他の選手もすごいでしょ。 個人的にはソ連戦のエデルのゴールが大好き。あるサッカー雑誌はあのシュートを悪魔のような軌道と表現してました。
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
ソクラテスのスルーから、ボールを浮かせて左足一閃! ダサエフ動けず・・・でしたね。
@user-zh2tl6ot2x
5 ай бұрын
スルーしたのファルカンだったと思いますが
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
失礼しましたファルカンでしたね。
74年のオランダと82年のブラジルを好きな人って多いですよね。 敗者でありながら永遠に語り継がれる特別なチームだと思います。
@user-lv7pl5ih6v
5 ай бұрын
ブラジル代表はメキシコ大会までは中盤でしっかり繋いで崩してましたが、だんだんカウンター中心になったような•••アメリカ大会はロマーリオとベベット、日韓でほロナウドロナウジーニョリバウドの個人技で得点していたような。 時代が変わったからかもだがジーコみたいね古典的10番は不要なんですかね?
@user-lc5nl9zc4q
4 ай бұрын
@@user-lv7pl5ih6v古典が何を指すか分からないけど、その時代もカカいたじゃん。
@user-ql7hm4dg2q
4 ай бұрын
@@user-lc5nl9zc4q カカはちょっと違うな。 推進力あったし。 カウンター向きの選手でしょ。 ミランでもそんな感じだったし。 その時代だと、リケルメとかルイ・コスタが古典的な10番て感じがする。 ブラジルからは古典的な10番は消えましたね。
@maskedminsk9997
3 ай бұрын
🇧🇷代表と🇦🇷代表は、世界中にファンがいる😏
強いチームが勝つのではない。勝ったチームが強い ベッケンバウアーの言葉がここまで突き刺さる事柄もないな
@user-xf9fh5li8i
5 ай бұрын
1974年に、バロンドールをクライフに奪われたときの、ベッケンバウアーの有名なボヤキですねw トータルフットボールで旋風を巻き起こしたオランダでは無く、優勝した自分たち西ドイツこそが強いんだと。 西ドイツでキャプテンとしてW杯を優勝して、チャンピオンズカップでもバイエルンを優勝に導いたのに、これ以上何をすればバロンドールを獲得できるんだ・・・とも言ってましたよね。
攻撃こそ最強の防御を体現した82年のブラジル。 美しくもあり儚くもあり永遠に語り継いでいきたいチームの1つです。
1982年のブラジル代表の何人かの選手が日本サッカーと関わりを持ったことに大きな価値があると思います。日産のオスカーは懐かしい。
@user-pm1tl9lb9h
5 ай бұрын
黄金の4人のうち3人が日本と関わってますからね これ奇跡ですよ
@Dryophytes-japonicus
5 ай бұрын
ジーコが日本に来たのが始まりだけど、 やっぱり81年、トヨタカップでの日本の印象が良かったのかな?
@NYSKNYSK
5 ай бұрын
@@Dryophytes-japonicus日本リーグに移籍してプレーした順番としてはオスカーの日産入りが先ですね。その後のジーコの鹿島入りと合わせて、日本サッカーに多大なる貢献をしてくれました。82年組、今見ても最高ですね。個人的にはレアンドロ、エデルに痺れていました。
@Dryophytes-japonicus
4 ай бұрын
@@NYSKNYSK オスカーってそんなに早かったっけw まー信じられない名前がいっぱいでした。 2次リーグアルゼンチン戦、真後ろからのアングルでエデルのフリーキック。ロベカルのフランス戦まであんなに曲げる人はいないと思ってた。
イタリアの監督がロッシを信じて使い続けたのも大きいですね。確かメディアからの厳しい批判に「チームを作ったのは俺だ。新聞じゃない!」って反論したとある番組でおっしゃってました。そしてジーコとセレーゾという凄い選手が鹿島に来て下さった事に本当に感謝したいと思います。😊
こんな魅力的な代表チームはない
1982ワールドカップブラジル代表メンバーが後年日本に与えた影響はあまりにも大きい。代表監督の10ジーコ、15ファルカン、日産のプレイして引退後監督になった3オスカー、日産や柏でプレイした19レナト、鹿島の監督だった5Tセレーゾ。また、トヨタカップで大会MVPをとった1981ジーコと1993Tセレーゾのプレイも素晴らしかった。
@user-ti8my2le3j
2 күн бұрын
そうなんだよね。
黄金のカルテット率いるこの時のチームは本当にタレント揃い。その中でも私が大好きなジーコには優勝を獲得して欲しかったです。
日系ブラジル人としてこのような動画を作ってくれるのはとても光栄で嬉しいです
@jamataro
5 ай бұрын
ブラジルと日本はサッカー交流はもちろん、仲良くし続けてほしい。 でも、警察が「地獄へようこそ・垂れ幕」という治安やアマゾンのすごい勢いの森林伐採は不安。
アジカンさんの深い知識とわかりやすい解説いつも楽しく拝見しています😊 今この時代に82年ブラジルの動画というのがさすがです
最近の日本代表のスキルは、各段にアップしましたが、このブラジルのプレーは神がかってますね。パスやトラップの華麗さに加え、ロベルトカルロスの兄貴分のパワープレイ、現実離れしてます。そして守備が弱いとこもブラジルらしい華ですね。ジーコをあらためて尊敬します。
マジックマジャールとかやってほしい
優勝してもなお、「美しくなかった」と国民から評される94年のパレイラのチームや02年のフェリポンのチーム。難しいものですね。たしかに納得する部分はあるのですが。美しく優勝したのは70年のザガロのチームだけということなんですよね。 美しいのに優勝できなかった82年のテレサンターナのチーム(動画の通り)や97年(※)のザガロのチーム(ROーROを始め、芸術家が揃っていましたが、98年の前年にピークを迎えてしまった)が頂点に立つ瞬間も見てみたかったですよね。
@user-mf4xu4wz9f
5 ай бұрын
このコメ考察が深い👍
@user-pm1tl9lb9h
5 ай бұрын
守備がお粗末すぎたよね 芸術的なパス回しで尚且つ結果を残したW杯のチームだと南アフリカの時のスペインだと思うけど、彼らは守備力、守備の意識も凄かった 奪われたらすぐに奪い返してカウンターできる そういう力は残念ながらブラジルにはない
@user-vw5sw8dk5e
4 ай бұрын
私も個人的に97年のセレソン・ブラジレイロは、82年、70年に次いで歴代3位のチームだったと思う。ロマーリオ、大五郎ロナウド、リバウドにたまにエスパルスに短期在籍していたジャウミーニャとか出てたよね。ロベカルのあのトンデモナイFKも97年のトゥルノア・フランスだった。シンプルだったけどユニフォームもナイキのわりにカッコ良かった。仰る通り、W杯が97年に開催されていたら、決勝戦は98年と同じ顔合わせだったかもしれないが、結果は違っていたと思う。 94年や02年のチームが何かしらケチつけられるのは、比較対象が70年と82年のチームだからネェ~(笑)。ちょっと可哀想だよね~😜 02年のイングランド戦をエコパで観た。 ブラジルの1点目、ロベカルがベッカムからボールを奪った瞬間、今まで全然動かなかったリバウドがいきなり相手ゴールの方向に走り出した!!「エッ?何?何?」でも同時に「アッ、これ点入る」って雰囲気?オーラ?を感じた。まだロベカルがベッカムからボールを盗ったか盗らなかったくらいのタイミングだった。あっという間にボールはロベカルから若きロナウジーニョへ、ドリブルで相手を引き付けて、リバウドにラストパス、リバウドのゴール。あの不思議な感覚は今でも忘れられない。 ロベカルからの特大のサイドチェンジを逆サイドのカフーがラインギリギリで胸トラップでカンタンにコントロールしたのとかシビレた(笑)。試合終わって、帰り道に加茂周さんとボラ・ミルティノビッチを見かけたのもいい思い出☺️
@user-jo8fn3yo9j
4 ай бұрын
@@user-vw5sw8dk5e ご返信ありがとうございます。その辺のネット記事や専門誌よりも、とても楽しく読ませていただきました。 97年はレオナルドが「10番」で、中盤でバランスを取りながら攻撃に出ていくスタイルでした。そして、おっしゃるとおり、彼のおかげでヂジャウミーニャやデニウソンが攻撃に専念できる素晴らしいチームでした。そしてまた、ドイス・ボランチでドゥンガとコンビを組んだフラビオ・コンセイソンも積極的に攻撃に出てくるという・・・。レオナルドがなでなでしながら可愛がっていたロナウドもケガをする前の手の付けられない時期。RO-ROコンビを組んだロマーリオは円熟の域に達し、ゴールもアシストもできる状態。トゥルノワ・ドゥ・フランスは優勝をイングランドに譲りましたが、同年のコパ・アメリカは攻撃サッカーで優勝しましたね。 こういうことを言うと怒られてしまうかも知れませんが、細かいテクニックよりはパワーに特長のあるリバウドが加わってマイナーチェンジしたチームは個人的に好みではなく(ロマーリオ不在で、ベベトの決定力を補ったとは思いますが)、またおっしゃるようにユニフォームも細いラインが加わる前の97年モデル(NIKEファーストモデル)の方が好みでした。ただ、レオナルドだけは同じように中盤のバランスを取る「影のチームMVP」だったと思っています。 ヂジャウミーニャを98年に見られず、選出確実だった02年も直前のイルレタ(デポルティーボ監督)への頭突きで召集外となり、とても残念に感じたものです。 ちなみに、ネイマール不在のおかげで各選手が流動的に動くことができ、テクニックを存分に発揮した攻撃的セレソン2019のコパアメリカ優勝チームもオススメです。長文大変失礼いたしました。
イタリアの中盤コンティ、アントニョーニ、タルデッリ、オリアリの方がバランスが取れている。 タルデッリとオリアリが空いたスペースを走り回ってカバーするから左サイドのカブリーニ、スイーパーのシレアも攻撃参加できて、右サイドバックのジェンティーレも相手のエースにマンマークでどこまでも食らい付けられる。 ブラジルと違って穴が少ない。 ブラジルは1974年のオランダと違って味方のカバーをしようという発想が乏しかった。
@jamataro
5 ай бұрын
82年のイタリアは堅守速攻ばかり取り上げられ、機能美に言及されない。シレア、タルデリ、オリアリ、カブリーニ、アントニョーニ、コンティの織りなす展開からグラツィアーニ、ロッシに至る攻撃は美しいと思うけどな。
イタリアもユーベ黄金時代の凄いメンバーが揃ってたからなぁ。 どっちが勝っても不思議じゃなかったと思う。
@user-pm1tl9lb9h
5 ай бұрын
この大会のイタリアは結構過小評価され気味だけど 実はブラジルより良いチームだと思います ブラジル派見ていて面白いけどチームとして見た場合混沌すぎるというか 両サイドは中に入ってくる、SBの仕事をしてない 先週ラインは下手したらオスカーしかいないなんてことも多々あった イタリアの方が現代サッカー的には正しい秩序のあるチームだとおもう 左のカブリーニのオーバーラップとか、まるでマルディーニ見てみたいだし アントニーニョのパスやブルノーコンテのドリブルなど武器もあった 守り一辺倒のチームではないと思う
ブラジルは絶対的なFWがいたら勝ってた カレカの怪我による離脱が痛かったと思う その後のブラジルの優勝には94はロマーリオ、ベベト、2002にはロナウド、リバウドがいた
記録を見ただけでは分からないその当時の雰囲気を知れるのは本当にありがたいです。 動画楽しみにしています。
魔法の11人と言われたこのチームを取り上げていただいて感謝です。今もず~っと言われ続けている選手の起用について結果から色々言うのは可能ですが、当時はタレント豊富なブラジル故に非常に人選に苦しんでいたと思われます。 マリーシアなプレーが出来るセルジンニョは、ジーコのライバルであるロベルト・ダイナマイトを押しのけてレギュラーを獲得しました。78W杯で活躍したレイナウドもソクラテスは高く評価してましたが本大会では使われませんでした。戦犯扱いされているGKのバルジル・ペレスも前年の欧州遠征では西独の司令塔にしてPKの名手、ブライトナーのPKを完全に止めたりして神技的ディフェンスという評価を受けていました。守備についても、過去の大会で活躍したジョアン・バチスタやルイス・ペレイラのような選手たちよりも攻撃センスを重視した選択に思われました。 個人的には、人選で言うならFW陣にドリブラーがいなかったことだと思います。’80年のコパ・ディ・オロで活躍し南米最優秀選手を獲得したぜ・セルジオがいれば、ターゲットマンとして優れたセルジンニョにもっと活躍の場面があったと思います。また、南米予選で強力な得点力を見せたフラメンゴのチッタがFWとしてそのまま残っていれば相当違ったのでは無いでしょうか?(確かにカレッカは両方の役割を果たせたと思いますが。)代わりに使われたディルセウ、パォロ・イジドロはスピード不足でした。(それを上回る魅力がある選手達ではありました。(^^; ) ’80年のコパ・ディ・オロでも準優勝に終わったブラジルはこの時期、”棘の無いバラ”と呼ばれた、その表現がぴったりでした。歴史的に見て、’54年のハンガリー、’74年のオランダ、と並び、革命的なフットボールを展開しながら無冠に終わった伝説のチームですね。(もう一つ挙げさせてもらうならば、’86年のソ連代表は未来のサッカーを暗示していましたね。)とはいえ、これだけ人々に語り継がれるチームも無いと思われます。当時言われていたように、ブラジルがワールドカップを失ったのではなく、ワールドカップがブラジルを失った、と評されたことが全てを物語っていると思います。
@user-pm1tl9lb9h
5 ай бұрын
FWのドリブルの役割はジーコがになってたと思いまさよ 彼の得点力やプレースタイル見てもメッシやバッジョみたいなセカンドアタッカーでありクライフのような偽9的なプレーもしますから
ファルカンとジーコは日本代表監督で髭は鹿島と浦和の監督引退後医者になったソクラテス以外は日本で監督やったという奇跡
@ikemen-ni-yowai
5 ай бұрын
ドトール(ドクター)ソクラテス
@user-yb9zu2df5o
5 ай бұрын
@@ikemen-ni-yowai 医者なのにヘビースモーカーで大酒飲みの不養生で早死してしまった。
@ikemen-ni-yowai
5 ай бұрын
@@user-yb9zu2df5o 一生懸命な医者って患者ばかり診て、自分の足元見ない印象がある。 あっさりサッカー界から去っちゃって…キャプテンだったし、いい人そうだった。
真夜中イタリア代表を応援してリアタイしました。まさか勝てるとは…今も最高の試合の一つです。
両サイドバックも「上がりっぱなしで帰ってこないSB」だと叩かれてましたね
さすがアジカンさん!82年のブラジル代表取り上げるとは、粋ですね
異常に攻撃的でファンタジーのような試合をしていた82年のブラジルチーム、このワールドカップが僕がサッカーを始めたきっかけでした。若き日のマラドーナが、どうにもならないぐらい強くて攻撃が凄すぎたブラジルチーム、未だにこのチームが負けたことが信じられないです。
待ってました!
ブラジルではサイドバックは中盤の選手という概念があり、上手い選手が有り余っているからそんな選手がジュニオールのような役割をするんだよな。 日本ではまだまだ考えられないけど。 しかし純粋な左サイドバックとしてはイタリアのカブリーニこそが大会No.1だ。
@hougetu1
4 ай бұрын
94年もレオナルドがサイドバックやってましたしね
われわれブラジル人はつねに勝つことが義務になってます。 しんちょうな試合をするくらいなら攻めて攻めてまけたのがまだ気持ちいいです。 この時のSeleçãoが負けてもずっとブラジル人に好かれるのはたたかった男たちだからです
@alfaemilio156
5 ай бұрын
オランダと同じ思想だからか、オランダのサッカーも好きです。以前のスペインもそんな感じ。フランスのシャンパンサッカーもですね。
懐かしい! 本当に凄い、観ていてワクワクするサッカーをしていたのが、当時のブラジル代表。 守ってカウンターのイタリアは、どうも好きになれなかった。
当時高校生でしたが胸をワクワクしてテレビに食い入るように観ていたのを記憶しています😊 本当に魅力溢れるチームでした😊
82年スペインW杯でのセレソンは、世界中のサッカーファンを魅了しました。 当時私は小学5年生でしたが、セレソンは夢を与えてくれましたね。 82年スペインW杯でセレソンのメンバーとして、名手達が一つのチームに集ったのが奇跡の様な気がします。 道半ばで敗れてしまいましたが、82年スペインW杯でのセレソンは世界中のサッカーファンに、奇跡を見せてくれました。
アニメ「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」で、荒巻課長が言った、 「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。」 は、まさにこのブラジル代表を評したような言葉ですね😃😃😃
このメンツの中でも別格だったズィッコがなぜアマチュア時代の日本に来てくれたのか、ありがたいが不思議だ。
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
だったら何で日本にサッカーが根付いたんだ?(笑)
素晴らしい!ありがとうございます
まぁ攻撃重視はサンターナなら当然なのですが、仏代表同様にW杯のタイミングに(86年も)ベスメン揃えられなかったのが悔やまれるラインナップでしたねぇ
強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ❗(フランツベッケンバウアー)
前からずっと思っていましたが、アジカンさんの解説は分かりやすいだけでなく非常に聞き取りやすいですね。 自分はサッカーは素人ですが、いつも楽しみにしております。 今後もよろしくお願いします。
ジーコは知ってるけど、ファルカンもソクラテスもジュニオールもめっちゃ上手いなぁ あとレアンドロも これは凄いチームだぁ
@ikemen-ni-yowai
5 ай бұрын
私は世代として女だてらにサッカーにハマってしまい奇人扱いされたんですが… トニーニョ・セレーゾの「押し上げ」とボール持ってない時の動きに魅了されました 今でも日本代表にセレーゾみたいな選手がいないかなぁとつい期待しちゃいます
@user-kc7yp8fh9o
5 ай бұрын
@@ikemen-ni-yowai セレーゾ!鹿島の監督のイメージが強いですが、この動画見てめちゃ上手い人だったんだって気づきました!
この時代まだ今ほどサッカージュースも機密にできてないのにジーコはじめブラジル代表の選手は皆んなテクニシャンぞろいですよね。
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
ブラジル人は路上で裸足でボールを操るのが上手い民族だろうが(笑)
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
ブラジル人は子供の頃から路上で裸足でボールを扱っているのを知らんのか?
@yh7636
5 ай бұрын
@@user-lx7yo2yn5d それはブラジル以外アフリカあたりもそうでしょ
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
@@yh7636 だからシューズの機能がどうこう言っているのがナンセンスなのが分からんのか?(笑)
第一次ペレス政権のような記録より記憶的なチームは、ロマンがあっていいな
82年と2000年のブラジル代表がマジで好き
初戦のエデルのゴールが衝撃的過ぎた。 FW?のエデルが3列目から走り込んできて、それを背中越しに察したソクラテスがスルーして、ファーストタッチでちょろっと浮かしてそのままあのドロップキック🤪 どんなサッカーやねん⁉ってなった。今の常識でもありえない😳 ホント子供の遊びのサッカーをワールドカップで実践してた夢のイレブンでした。
「1982年スペインワールドカップ2次リーグでブラジルがイタリアに負けずに準決勝へ進出したら、優勝はブラジルで、今後、攻撃が重視されていた」といわれる。 しかし、2次リーグ突破し、優勝したのはイタリアだった。監督のベアルゾットは1978年ワールドカップを基盤として挑んだが、大きな避難を浴び、八百長事件による出場停止明けのパオロ・ロッシをエースストライカーとして使い続け、案の定、1次リーグでは全引き分けで辛くも2次リーグ進出。しかし、2次リーグになると調子が戻り、アルゼンチンに勝利。パオロ・ロッシにはゴールこそ奪えなかったが、復調の兆しが見えてきたのか、後にベアルゾットは「この1勝が大きい」と言う。2次リーグで勝つしかないイタリアはついにパオロ・ロッシが爆発。ブラジルも失点の度に追いすがるも、パオロ・ロッシのハットトリックで準決勝進出。準決勝ではパオロ・ロッシが2ゴールで1次リーグ引き分けのポーランドを退け、決勝では(旧西)ドイツ相手に得点王を決めるパオロ・ロッシの先制点、マルコ・ダルデリの決勝点、そして次のワールドカップでストライカーとなるアルトベリのゴールで圧倒し、終盤に1点返されるも、3度目の優勝を果たした。ワールドカップでの活躍でパオロ・ロッシはバロンドール、ワールドサッカー誌世界最優秀選手賞と全ての個人タイトルを獲得。
素晴らしい解説と動画、何万人の100%同意した思いを形にしてくれてる!ありがとうございます‼️
88年欧州選手権準優勝の旧ソ連の動画をお願いします🤲
@ikemen-ni-yowai
5 ай бұрын
サッカー誌は特集してましたね すごいチームだって 戦術もさることながら体力も凄いって ミハイリチェンコ、私のタイプ♡
このチャンネルで初めてジーコがマラドーナに引けを取らないドリブラーだということを知り、セレソンでは 明らかにドリブルの回数が少ないなと感じました。 ジーコ中心の堅実なチームにしていたら優勝できたかもしれませんが、美しく勝利するカナリアにはそんな選択肢などあるはずも無いので やはりこの敗戦は必然だったのでしょう。
皆んな10番でもいいくらいエレガントですが、同時にパワフルですよね エデルやソクラテス、ファルカンのミドルは痛快です 今のブラジルに、ネイマールと同レベルでプレーできる上で、自分でも中距離からゴールを狙うようなアタッカンテがいないのは寂しいですね
ワールドカップも時代で出場国数とレギュレーションが異なりますからね。ブラジルにとっては公平ではない日程でコンディションが悪かったのと色々な不運も重なったのでしょうね。
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
おっしゃるとおりですね。この大会をきっかけに1次リーグは偶数チームで組むこと(スペイン大会でも1次リーグは4チームでしたが2次リーグは3チーム)、西ドイツvsオーストリアの八百長(?)試合の影響でグループリーグ最終戦は同時刻キックオフにすることなどが徹底されるようになりましたね。
1982のブラジル代表と、1984のフランス代表の衝撃は今でも鮮明に記憶に残っています。 懐かしい映像と解説、堪能させてもらいました😊
@user-hx8lu5sw6r
5 ай бұрын
84年のプラティニ、ロシュトー、ティガナ、ジレスもブラジルの4人に近い雰囲気があった、どこからでも点が取れる。
アルゼンチン戦のジュニオールのハーフスペースから裏に走り抜けてスルーパスを受けて決めたゴールは、日本の長友のようなサイドバックでは出来ないな。
@user-ds4fr7ob4k
5 ай бұрын
ヤバイ鳥肌がたつ。 あのゴールの過ごさが分かる人がいるなんてー あのまた抜きゴール。 普通の選手なら右足でシュートをする、それをあえて利き足ではない左足に流してまた抜きにする。 ホントのテクニックとはロナウジーニョの様プレーではなく、このジュニオールのまた抜きゴールこそ本当のテクニックです。 私はブラジル歴代BESTイレブンをする時、ロベカルと本当に迷いますがこのジュニオールにします。 まだ自分が小さい時、マラドーナが日本に来ましたが、たぶん私だけだと思いますが、ジョジマール(86年右サイドバック)とジュニオールを目当てに国立に行ったのを覚えてます。 ジュニオールこそブラジル人らしい本物のテクニシャンです。
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
@@user-ds4fr7ob4k 中盤でプレー出来るほどのテクニシャンがサイドバックをやるのがブラジルらしいわな。 鹿島でプレーしたジョルジーニョもそうだった。 86年大会のジョジマール。 華麗なゴールを決めていたから彼もブラジル人らしいサイドバックの系統だろうな。 ちなみにロベルト・カルロスのプレーをKZreadで観賞しようと思ったことはないな。
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
@@user-ds4fr7ob4k 中盤でプレー出来るほどの選手がブラジルのサイドバックだからな。 鹿島でプレーしたジョルジーニョもそうだった。 86年大会のジョジマールも素晴らしいゴールを決めて高いテクニックを感じさせるな。 だがロベルト・カルロスのプレーはKZreadでもあまり観たいとは思わんな。
@Geekoma
5 ай бұрын
@@user-lx7yo2yn5d 86~94左サイドバックのブランコも,攻撃的でよい選手でした。
当時TVで観た記憶が蘇ります・・黄金の中盤が大苦戦しながらも生き残って来たイタリアに負ける・・86年のフランスとの黄金の中盤対決においても・・個性かシステムか・・この頃が変革期だったのかなぁ~と思いました。ジーコ勝って欲しかったなぁ~
トニーニョはJリーグの監督勝率でも優秀だったと思う。それとソクラテスはトヨタカップ制したライーの兄
あしゅけ〜!やっぱり愛さずにはいられない82年のセレソンですなぁ❤ オスカーさん、ジュニオール、そして黄金の4人。 大会には出れなかったカレカさん 大会には出なかったレオンさん 居たらねえ〜と思ってしまいますよね。
サッカーは単純な戦力の足し算じゃないから面白いのかもしれませんね。 かつての銀河系レアルにもマケレレのような縁の下がいたというのもあったし、全てがスター選手でも勝てるチームではないというのは真理かもしれません。
凄いメンバーだったけどバランスが…。一人いれば良いのが四人もいると、どうなるかを教えられた感じです。そこをしっかりと突いたイタリアも凄い。
@user-zh2tl6ot2x
5 ай бұрын
イタリアのロッシがインザーギみたいにポジショニングと嗅覚に長けたFWでしたからね。こういうFWが活躍した時のイタリアは強いですからね
@user-bg9lx3jz5q
5 ай бұрын
@@user-zh2tl6ot2x さん。何故か分かりませんが、イタリアはこのタイプのFWが出てくる印象ですね。リーバ、ベッテガ、アルトベリ、スキラッチ…。スピードがあるわけでも、テクニックがあるわけでもない。ただゴールへの嗅覚が段違い。
@user-zh2tl6ot2x
5 ай бұрын
@@user-bg9lx3jz5q さん イタリアは守備的なサッカーが主流なので、ゴール前はガチガチにマークしたり、人数をかけてスペースを埋めるため、DFのわずかな隙を見逃さずにワンタッチでゴールを決めるFWが多く生まれたみたいです。
@1-.8.-1
5 ай бұрын
ブラジルは押し込みながらも守備ではサイドからあれだけクロス上げさせられてるのだから守備に問題があるのは間違いないです 対策も無かったので失点は当然です
@ikemen-ni-yowai
5 ай бұрын
@@user-bg9lx3jz5q ず~~~~~~~~~~~~~~~~と 日本代表に現れないかなぁと待ち続けてるタイプです あと、ゲルト・ミュラーやリネカーも
ジーコサッカーってゲーム懐かしい
Zico The Best!!!
ファルカンとソクラテスに関しては、ヒールキックが普通のキック並みに、華麗で正確だったからなあw ローマじゃファルカンは、ゴールに入りそうなシュートを、自陣に帰りながらヒールキックでクリアしていた。 当時のセリエAは、外国人枠もやっと解禁されたばかりで、レベルもまだまだ低かった。 ASローマも、ファルカンやセレーゾにおんぶに抱っこな感じで、まともにプレーできてたイタリア人は、コンティくらいだった。
負けたのが、寄りいっそうに 幻想を掻き立てる気がする。
各大陸の強豪で世界単位では中堅レベルの国の選手の特集を見たいです。 ウクライナ→シェフチェンコ オーストラリア→ケーヒル キューウェルetcの06〜10年の黄金世代 コートジボワール→ドログバ アメリカ→ドノバン ウェールズ→ギグス ベイル ベラミー 他にも沢山いますw
パオロ・ロッシの意地が凄かった試合。
今回もとても素敵なプレゼンです。 40年以上前のブラジルの華やかさが良くわかりました。 野球もサッカーも点を多く取ったほうが面白い。 ジャイアントキリングもあるからこそサッカーは面白い。
のちに発売されたナンバーのVHSで擦り切れるほど観たなぁ。 J創設の頃で黄金カルテットは夢の世界そのもの、マラドーナやペレの上のファンタジーという私の中の格付け。 ソクラテスのまんま哲学者の如く風貌とプレイスタイルと一見お茶の水博士でエレガントなファルカンが堪らない… でも今、目に浮かぶのは吠えてるジュニオールなんだよね。 あそこに典型的な香車タイプが居たら効率よく勝てたのかな。 ジーコの絡みだったかな生ダラにも出てたよね
5:56彼ら(ブラジル)に勝てるチームはヨーロッパではいない→当時そんな最強と言われたブラジルにazzurri🇮🇹が勝って優勝したのが凄え嬉しかったし誇りに思う。
サッカーが単なるテクニック披露会ではなく結果が全てだと証明された大会だったと思います。
いつもながら素晴らしい構成 分かりやすい編集 自分自身、少年時代に目にしたサッカーの素晴らしさと理不尽さを思い出しました 今の強くなった日本代表についてもその意味で寛容な目を向けることができる自分がいます
ソクラテスは、ブラジルで最高かつ最も重要なサンパウロ大学を医師として卒業しました。 そしてこの時、彼はボタフォゴ・デ・リベラン・プレトでプロとしてのキャリアをスタートさせていた。彼は本当に素晴らしい人でした。
自分にとってのワールドカップは エスパーニャ82です 深夜にNHKさんのスポーツマーチではじまって(確か画像は日の丸)、ニッポンのサッカーファンのみなさん、今晩は、こちらはスペインノウカンプスタジアムから生中継でお送りいたします、とかってゆう実況からはじまって、、いやー懐かしいわ エスパーニャ82が一番印象的です
ワールドカップ史上最高の試合 アジカンさんありがとう。 ワールドカップのブラジル代表が好きで自分なりに検証してますがこの1982年と2006年は未だ敗戦理由がわかりません。お時間があれば2006年も是非お願いします
@maskedminsk9997
3 ай бұрын
🇧🇷の敗退は、ブラジル以外の国でも悲しんだと思う。
ブラジル史上最高のセレソンでした。この4人以外にもそして82年大会はマラドーナ、ラモンディアス、プラティニ、ジレス、ティガナ、ルンメニゲ、シュスター、ベレーベンエルケーアラルセンなどのタレントが観れた大会でした。キャプテン翼の登場人物の原型はこの大会にあります。
@jamataro
5 ай бұрын
シュスターは代表拒否してます
@TheWatatae
5 ай бұрын
@@jamataro 82年は出場しています。84年のヨーロッパ選手権くらいから代表を辞退しています。
@jamataro
5 ай бұрын
@@TheWatatae 欧州地区予選や国際Aマッチなんかは出場してますが、W杯本大会は一度も出てません。大舞台は1980ユーロだけ。 82スペイン大会はケガで出場辞退。デアバル監督と確執が生まれ、1984年2月24日の国際試合が最後。その後、ベッケンバウアー監督の代表要請も断り続けた。
@jamataro
5 ай бұрын
@@TheWatatae うるさいようですが、エルケーアのデンマークも82W杯スペイン大会は出場してません。ダニッシュダイナマイトが旋風だったのは84ユーロ。
アントラーズ、ジーコの功績が大きい‼️
いつも楽しく視聴していますありがとうございます😊 この試合同様「プラティニの歓喜の涙」として胸に焼き付いている 86年W杯ブラジルvsフランスまだ特集されていなければぜひリクエストさせて戴きます🙇
史上最高に美しいチーム この4人が揃ったこと、ブラジル人だからできたことだと思う もしカレカがいたらとよく言われるが、それはそれでより強くなったかもだが、そうなるとジーコがあそこまでボックスに入ってこなかったと思う またローマの主軸として後にスクデット、C C準優勝まで導いたファルカンの存在があったからこそRWイシドロを外してまで4人が揃ってピッチに立ち、RBレアンドロも上がりまくってフッチボール・アルチが生まれた あと忘れてならないジュニオール この人、本来中盤やし、フリーキックもめちゃくちゃ巧いが、あの中盤4人やと試合出れないから右利きやがLBになったという(94のレオナルドと少し似た境遇)
覚えています。もう絶対優勝すると思ってたブラジルの敗戦は大ショックで仕事が手につかなかった・・・
敗れてもなお語り継がれるチーム
ジュニオール…1990年に来日し、私も千葉マリンスタジアムでのイベントに行ったなあ、今思えば貴重。。
この後に出てくる、ジョルジーニョ、レオナルド、ドゥンガ、カレッカはJリーグでも活躍したね。 フォワードだったらレナト・ガウショがいたんだけど、出たとこ見たことが無い。あとはミューレルって瞬足がいたっけ。
こんな豪華なメンバーだったのに優勝できなかったんだから、日本もアジアカップで負けても責めないで上げて欲しい
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
おかしなことを言うな。 個々は豪華でもバランスを欠いていたら勝てないという事実を歴史上に証明したのがこの時のセレソンだろうが。 お前のように負けても思考停止しなかったから後のセレソンがあるんだろうが。
@1-.8.-1
5 ай бұрын
日本はリアクションサッカーでは個々のスピード活かして結果出せるけど、相手に引かれたら監督の能力が低くて攻めのアイデアがないから負けてるだけだよ
@user-pm1tl9lb9h
5 ай бұрын
@@1-.8.-1いや攻めは監督よりも選手の力量が大切だろ、ピッチでプレーするのは監督ではない ブラジルの何がすごいのかってピッチでの一瞬の判断とかアドリブ性の共通理解とかそういう個人個人の個人戦術の高さ 判断力の共通理解力があるからで これは監督の指示かとかじゃない
@user-wm6no8up2w
5 ай бұрын
それはない批判は当たり前…。 アジアカップグループリーグ敗退なら今までの実績全てパーよ…、日本がグループリーグ敗退になったら東南アジア勢は先入観をなくして戦ってくるだろうし、韓国 豪州 中東勢はナメてくるでしょう。 世界各国の強豪からしたらゴミの一言。
@1-.8.-1
5 ай бұрын
@@user-pm1tl9lb9h攻めは監督のアイデアというのは古くはサッキやナーゲルズマン、モウリーニョが証明している 反対にアイデアがあれば勝てるのはペップは当然としえデゼルビやシャビアロンソが証明している 選手任せだと継続しない、ブラジルのすごいと言われても勝ってないんだから別にすごくない カタールW杯決勝のディマリアのゴールなんてメッシの才能に加えて完全に連動しているサッカーだからこそ生まれたゴール このパターンを作るのが監督、森保にはそれがない。
バルセロナのようなカンテラ育ちの選手たちが何年もの練習を繰り返し、チーム哲学を統一し、熟成されたチームを作り上げるのも難しいのだが、このチームは、大した戦術らしい戦術もなく、同じサッカーのイズムをもった天才たちがほとんど即興でやっているサッカーというところにブラジルサッカーの美学と目指すべき到達点みらいなものを感じることができる。 現在のブラジルサッカーの凋落は、もしかしたら発展したサッカー戦術の裏返しで、もはや天才たちの遊びのサッカーの部分が入り込む余地がなくなってしまった影響なのかもしれない。 そう考えると、この奇跡のカナリアたちが奏でた協奏曲というのは、今後、二度と聞くことができないものなのかもしれない。
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
ヨーロッパ向けに育成されたカカーの成功(直線的でスピードあるドリブルと強いボディコンタクト)が流れを変えてしまったという人もいるようですね。 セレソンレベルの選手の中に、いわゆる ” ジンガ ” を感じさせる選手が減ってしまった印象は強いですよね。ヨーロッパ系の選手で言えばルーカス・パケタは本当に久しぶりの気がします。かつては、日本でも活躍したレオナルドなどは ” ジンガ ” 系の選手だったのですがね。
@user-qm1us4df8w
5 ай бұрын
素晴らしい考察ですね。はじめて知りました。 昔は、個人技の南米、組織の欧州という構図がありましたが、両者の経済格差の広がりで南米の選手が若くから青田買いをされて、欧州サッカーに染まっていってる流れの影響がありそうですね。 一つの絶対的な価値観(社会性)のもと個性が尊重されなくなっている時代背景とかもあるのかもですね。
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
以前に比べて個性が見えづらくなり、選手やチームが均質化したのが顕著ですよね(もちろんハイレベルな中でですが)。「ユニフォームを隠した試合を見たら、どことどこの試合なのかわからない・・・」なんて議論もありました。 クーバーコーチングの隆盛以来、かつての名選手たちの専売特許だったプレーが ”教科書” に載るようになり、みんな、どんどん分厚くなっていくその教科書で勉強しているからだ、と。
@user-qm1us4df8w
5 ай бұрын
@@user-jo8fn3yo9j 情報がそれほど流通しなかった時代や、ボスマン判決による影響がそれほどなかった時代では、国ごと、チームごとの哲学がサッカーに反映されて、そのプライドのぶつかりあいがサッカーの醍醐味でもあったように思います。 このブラジルVSイタリア戦が、今なお色褪せないのもそのような古き良きサッカーが凝縮されてるからのように思います。 今は、どこのチームも似たようなサッカーになってしまい、スター選手をを取り揃えるだけの課金ゲームっぽい感じがするんですよね。 そして、ビッグクラブがあまりにも絢爛豪華だから、代表チームが貧相に見えるという悲しさ😢FIFAまでも銭ゲバ化してしまう始末。
まさか日産のオスカーとは知らなかった、、
ジーコ ソクラテス セレーゾ ファルカンで最高のカルテットと呼ばれていましたね!ペレはフランスを推していましたが!1982ワールドカップはどの国のチームも凄かった!
非常に魅力的なチームでした。2002年ブラジル代表も魅力的でしたが’82年ブラジル代表は同等かそれ以上ではないでしょうか。 ただ、あの場にカレッカとレオンがいれば…。
@user-jo8fn3yo9j
5 ай бұрын
2002年は優勝こそしましたが、「3Rと両ウィングバックの5人しか攻めない」ということで評価しない人も多いらしいのですよね。たしかに3CB(トレス・ザゲイロス)とディフェンス&バランス重視の2Vo(ドイス・ボランチス)では納得しない人もいるのでしょうね。じゃあ、優勝できないのとどっちがいいんだという話になってしまうのですが。
@alfaemilio156
5 ай бұрын
完全に同意します。凄いチームでしたよ。レオンとカレッカがいれば確かに優勝したでしょう。セレソンのエースであるジーコがまさか日本に来るとは。
皮肉にもジーコジャパンにも 通じるところがある気がします。
黄金の中盤と言えばこの82ブラジル以外に86フランスのプラティニ・ジレス・ティガナ・フェルナンデスと92ユーゴのストイコビッチ他が印象深い。 地味に日本の中田英、小野、中村、伊東も好きだったな。
これを日本代表でやったのがジーコなんだよな
@galdoo5760
5 ай бұрын
中田、中村、稲本、小野の黄金の中盤なら決勝Tなんて楽勝楽勝...そう思っていた時期が私にもありました
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
やったんじゃなくてやろうとして失敗したんだろうが。
@elway7923
5 ай бұрын
ジーコは監督として無能過ぎた。 初めてフォーメーション練習したのがワールドカップ大会中なんて、無能過ぎ。
@soundwill17
5 ай бұрын
サイドバックとFWの質が低かった
@1-.8.-1
5 ай бұрын
@@soundwill1782年のブラジルと同じやん
本当に美しかったんだ😊
@maskedminsk9997
4 ай бұрын
そして世界中のファンを楽しませた✨だから🇧🇷ファンは、世界中にいる。
豪華なメンバーがいながら優勝していないのが不思議‼️
@user-lx7yo2yn5d
5 ай бұрын
不思議でも何でもない。 必然の敗北だ。
最後のペップの言葉で涙でた
58年のペレを擁したブラジル、82年の黄金の中盤を擁したブラジルは「夢のチーム」と称されましたね。
中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一等、Jリーグ初期の若手世代は、ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、ソクラテス黄金の中盤の様な華麗なパス回しの影響を強く受けたのでは無かったか?
キーパーのレオンって、後の清水の監督の?
@toshizo_hijikata
5 ай бұрын
Jリーグってね とんでもない選手がいっぱい来てるんよ・・・
@shingoyoshikawa7594
4 ай бұрын
後の柏レイソルでプレーし監督となったゼセルジオもFW(ウイング)で代表候補の一人。故障で代表から外れJ昇格を目指していた日立に加入。引退後、柏レイソル監督になったセルジオとの縁でカレカが加入したわけですが、当時ヤンマー〜セレッソを応援していた一人として、J昇格争いの試合でカレカを生観戦できるとは思いもしませんでした。実は大塚製薬(現ヴォルティス)の応援ツァーにも参加して日立台で観戦しました(苦笑)。
@user-tl1rk7wb7p
4 ай бұрын
はい
2次リーグがあった その後の大会が 2次リーグをせずに トーナメントになり つまらなくなった 今でも1982大会が 史上最高だ
最強チームはワールドカップで優勝できないと言うジンクスみたいなものが·······😓
今考えればセルジーニョを外してセンターフォワードにソクラテスでセカンドトップにジーコでジュニオールをボランチにエデルはロベカルみたく左サイドバックにしたら面白かった
オスカーが来日したのは、びっくらこいたなぁ😮
ジーコの膝を意図的に破壊した選手ほんと許せない。 フィリピン戦での小野と似てる
面白かったです。今見ても段違いに上手いのがすぐわかります。同じスタンスで86年のダニッシュダイナマイトも取り上げて頂けると嬉しいです。
ブラジル人に1982年のセレソン・ブラジレイロが一番美しかったと話せば、すぐに仲良くなれる(笑)。 クアトロ・オーメン・ジ・オーロについては書きたいことが山のようにあるから、サイドDFだけにします(笑)。 ジーコとフラメンゴで同僚の阿吽の両サイドDFレアンドロとジュニオール。 94年のジョルジーニョとレオナルドも良かったね。若きカフーが控え、若きロベカルが代表落ちって選手層の厚さ。でもその後はロベカルとカフーの時代が長かったからネェ〜。ロベカルはエデルからキックを教わったって言ってたね。 更に古くは70年決勝の4点目、カルロス・アルベルト。ヴェンゲル時代の名古屋グランパスにいたトーレスのオヤジさん。78年の彼のシュートは2度曲がると言われたネリーニョ。マァ名手揃いだよね。ダニエウ・アウヴェスだってこの歴代の面子の中では見劣りしてしまう。 そしてみんな守備そっちのけで攻撃の一翼を担っている(笑)。オマエら守れよ~😅 82年のアルゼンチン戦のジュニオールの得点。86年のフランス戦の途中交代で入ったジーコの最初のワンプレーのスルーパスからの左サイドDFブランコが倒されてのPK獲得(ジーコがPK失敗)。 両方とも左サイドDFからジーコにパスが入るのを合図にみんなシレッと右に寄ったり下がったりして、左前方の相手DFの裏にスペースを作る。そこにジーコが3列目から走り込んできたサイドDFに合わせる。あれはテレ・サンターナの作戦なんだろうと思う。 蒼き伝説シュートの藤田東のフラッシュパスを最後サイドDFが決めるのは、これが元になっていると思う。 ブラジルは5回W杯優勝しているけど、82年にカレッカがケガしてなければ、98年にロマーリオがケガしてなければ、最低でもどちらかは優勝していたと思う。