ランディ・マモラ:伝説のレーサー達
伝説のレーサー達。今回は「ランディ・マモラ」。
ランディ・マモラ (Randy Mamola, 1959年11月10日 - )さん は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ生まれのモーターサイクル・ロードレースライダー。当時、500ccクラスに参戦していた4メーカー(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カジバ)全てのワークスマシンを走らせた経験を持つ。
陽気な性格とジャックナイフ(画像参照)などの派手なパフォーマンスで、ファンや関係者に愛された人気者であった。引退後は国際中継のピットレポーターとして活躍している。現役時代より賞金を寄附するなどのチャリティー活動に熱心なことで知られる。
-Wikipediaより-
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...
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■片山敬済さんの書籍『1980 WGP』ノンフィクション小説
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'79年にHONDAと契約、だが "NR500" は出来上がらず悩みぬいたKATAYAMA。SUZUKIのRG500を購入して、再びプライベートチーム体制でWGPに参戦。当時のGPレース裏舞台の一部始終と揺れ動くライダー心理を描く。片山敬済渾身の処女作。
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■『RIDE? ~Hop on the Motorcycle~』って?
オートバイレースの元世界チャンピオン:片山敬済さんと一緒に配信する「バイクチャンネル」。
テーマは、安全に、楽しく、かっこよくバイクライフをおくるためのノウハウやテクニック、考え方や心構えなど。
いっこうにライディングスキルが上達しない、フツー・・・?のライダーの山ちゃんが、誰よりも速く世界中のサーキットを駆け抜けた世界のカタヤマに、バイクの基本的なライディングテクニックやマナー、そして、バイクライフをより豊かに楽しむ為のヒントやヒケツを聞いていきたいと思います。
初心者や中級ライダーは勿論、ベテランライダーの皆さんにとっても、役立つ情報を配信していきたいと思います。
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■片山敬済アイテムが買えるFacebookページ「Racing Brand "SEKITOBA"」
/ sekitoba
■片山敬済さんが代表を務める民間レベルの緊急災害対策チーム「BERT」のオフィシャルサイト
bert-japan.org/
■山ちゃんインスタグラム(yamabata_hideaki)
/ yamabata_hideaki
■山ちゃんが動画制作した作品集:KZreadチャンネル
/ hideakiyamabata
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Пікірлер: 58
ランディはコース脇で立ちションした事もありましたよね。 本当にサービス精神旺盛なライダーでした。
今週も楽しいお話を有り難うございます 私はこのたび3月末68歳で二輪を卒業いたしました 通勤での強い横風への対応が怖くなり転倒する前にリタイアいたしました 引き続きライドは拝見させて下さい 宜しくお願いいたします
俺の大好きなランディマモラ。
ランディマモラの大ファンで、レプリカヘルメットを今でも持っています。バイクはすでに売却したけど
マモラ乗りは「したくてしているのではなく、当時ライティングしていたNSのシート幅が広過ぎて、小柄なマモラがハングオフすると、外足が浮いてしまう」と聞きました。
マモラ乗りとジャックナイフが印象的でした😊
あの当時 ファンサービス一番が ランディでしたのね、 カメラが向くと必ずふざける姿がありました! バイクに乗らなかったらドラマーになる予定だったらしい。
映画で片山さんが「ヘイ!ランディ〜」ってランディのトレーラーハウスの扉を叩いてパンイチのランディが出てきたのが1番印象深いシーンでした!劇場で見ましたよ!片山敬済カラーのNS250Rにボクはのってました、片山さんカラーのロスマンズヘルメットが欲しかった〜。片山さんは僕の中の今も変わらないヒーローです、引き際も片山さんらしく最高でした!
80年代レーサーレプリカ全盛の頃、ドップリ単車漬けでしたので、大変懐かしく、またその時の事を思い出しながら楽しみに拝見しております。これからも頑張って下さい。有難う御座います。
ヤマハ時代もいわゆるマモラ乗りだった気がするけどな~。 膝裏でシートをホールドしてた記憶があります。
@user-qf4et2fj5h
4 ай бұрын
ヤマハ時代に(途中から?)監督であるケニーロバーツからマモラ乗りを禁止されたと記憶してます。
現役の頃のツナギにもsave the childrenのワッペンが貼られていた
蘇るヒーローではパンイチでモーターホームから出てきて爆笑してましたよねw
@CX-EURO400
2 жыл бұрын
片山さんがとっさに俺を撮ってくれとカメラを渡して、何だか分かってないマモラが片山さんを撮ってましたね。
ランディは今でもたまにMotoGPの現場に輝く頭で現れていますよ。
サーキット走る時、よくやったマモラ乗り懐かしいです。
大人になったトム・ソーヤーってイメージです
無冠の帝王。チャンピオンになってないけどその気になったらいつでも勝てそうな人でした。
化粧してお客さんを盛り上げようとしたり、雨のレースで速かった事が凄く印象に残ってます。
マモラ乗りを普通にしているSS乗りです😊偉い人には分からないんですよ。外側のステップなんて飾りですから(笑)
@_yousan9436
2 ай бұрын
そうか。 ランディは、短足だから編み出した乗り方なんだが。 街乗りレベルで、普通にステップから足を離していると、 「外側にマシンを寄せられない」ってことになるよ。 レースだから、ランディは、事故の心配をしなかったってことだと思う。
あの頃、外足加重は絶対必要と思って走っていたのにランディ・マモラのステップを踏まないコーナリングの写真を見たときは信じられませんでした。片山さんが仰られた様にランディは、「足が短いからステップに届かないんだ」と先輩が言ってた事を思い出しました。(笑)
彼の全盛期は、中学生位でしたね😳懐かしいです🥺
片山さんの喋り方、解説?分かりやすくて大変勉強になります ケニーとかフレディとか、懐かしく毎回楽しみに待ってます。
ジャン・フランソワ・バルデ ぜひお願いします。 独特のフォームでいつもワークスに喰らい付いている姿が神でした。 バルデの話を語れるのは片山敬済(様)しかいないので。 バルデの変人逸話などありましたら聞きたいです。 30年以上前ですがセキトバのグローブ デザインも良くて凄く良かったです。 現役時代の片山さんのバギーのグローブ最高かっこよかったです。 ちなみに好きなレーサーは ステファン・ドルフィンガー チームイタリア 全員! ジャック・コルヌーおじさん などなど
ランディ・・・ おしり・・・ アチャ~😆 (笑)
私には最も記憶に残っているレーサーがランディ・マモラ
500クラスで日本の3メーカー(スズキ、ホンダ、ヤマハ)全て乗った数少ない一人ですね。 03:29 確か、ホンダが79年の8耐にフレディを参戦させようとした際にも同様の理由でアウトだったんですよね。
ランディーは兎に角雨に強いライダーと記憶しています 何年のGPかは忘れましたが鈴鹿で雨天、油の乗り切ったガードナーを 引き離し単独優勝したレースは印象的でした 身長は大きくなくバイクにぶら下がったライディングで パワースライドする能力は秀逸でした 懐かしいバイクレース黄金期の思い出です
@sowhat6833
10 ай бұрын
87年ですね。懐かしい😊
確か、汗対策でヘルメットの下にパンティー被ってたような
電子デバイスが今の様に発達していない時代右手のアクセレイションでカウンターを決めてる! 今のライダーは出来るのかな?
シャケさんがTBCビッグロードレースの解説で、ランディは足が非常に短いと言ってましたねw
KZreadでレースをペラペラのスペイン語?で解説してるのを観ましたよ。88年の鈴鹿でGP決勝の朝、ホテルからサーキットにエディーローソンと並んで笑いながらしゃべりながら歩いて向かっているのを見たのを思い出しました。なつかしいな。
年間チャンピオンを獲得しないで「レジェンド」となったのは、流石に「無冠の帝王」だな。 チャリテイに勤しむ優しさは、本当に尊敬できる。 ただまあ、某映画での「ブリーフ一丁姿」は、ちょっとw
ランディで 1番印象にのこってるのは、確かベルギーだったかなぁ? ハイサイド食らって放り出されそうになりながら、NS500をコントロールして、転倒しなかった、俗に言うロデオ乗りですかね!
@weekendmen
2 жыл бұрын
1984年のシルバーストーンも印象に残るレースです。 ここで優勝すれば年間タイトルを獲得するエディ・ローソン+ヤマハYZR500を阻止すべく、ホンダワークスはフレディスペシャルだった4気筒NSR500をワークスライダーに与えたが、ハスラムもロッシも乗りこなせず3気筒のNSでレースに臨む中、ランディはNSRを選択。 決勝ではコーナーの立ち上がりやストレートで暴れまくるNSRを押さえ付けるように必死のライディングで優勝しエディのタイトル獲得を阻止することに成功。エディは高速サーキットのシルバーストーンでランディの後ろでステディな「超高速クルージング」を決め込み2位入賞。
まじめではないライダーだけど すきなんだな~
ロケットマモラですね。 俺は顔からランディゴリラと言ってましたが(笑)
昔は何処のライディングスクールでも、必ず『外足荷重』だと習ったので、マモラ乗りは衝撃だったな〜😌
@weekendmen
2 жыл бұрын
ホンダのシート幅が広かったから外側ステップに足が届かなかったとも聞いています。
@user-mh3oi8nk9e
8 ай бұрын
ステップに届かないのでシート端外側押さえ踏ん張ってるとも聞いたなー。 多分そうしてたのかな滑ってもコントールしてたしね。とごたったかカウル、スクリーン破りながらもしがみついて戻ったのはカッコよかったです。
1984年、シーズン頭から走っていれば、その年のチャンプはエディではなく、ランディだったと今でも思う。 タイミングだったんでしょう、ランディが無冠の帝王で終わったのは。
レインコンディションのマモラとサロンの共通点はブレーキングポジションが同じで力学的に理に適っていた
翌年1988のレイニー・マギー体制へ移るための交渉不成立だったのでは。 マモラはまだカジバ開発に行く実績ではないし、かわいそうでしたね。
ゆるーい kiss my as ですね!
マモラはロッシが登場するまでの2輪グランプリのアイコン
エディローソンやワインガードナーの話は出て来ないのかい?
山ちゃんさんって、意外と知らないんだ(笑)
個人的には(故)石川岩夫さんの話を聞きたいです。83年フランスの練習走行で追突されて死亡した選手です。
15:00 のケツ出しのエピソードはケニー・ロバーツもやっていたと彼の伝記に書かれています
Wayne Michael Gardner Wayne Wesley Rainey Kevin James Schwantz も 今後出来たらお願いいたします
この人と芳賀紀行は、時代とクラスは異なれど「タイトルを獲れなかった」んじゃなくて「タイトルを獲らなかった」んだと思うよ。
@noraneko9086
2 жыл бұрын
ペドロサは取れなかった方かな。
@tomsug8317
2 жыл бұрын
@@noraneko9086 それが妥当な見方だと思うよ。 あと、マックス・ビアッジとね。
プリ🍑