【日本書紀_神武紀⑤】名草戸畔 ~日本書紀の神武紀に準じつつ、神武東征を妄想解釈劇場してます

Ойын-сауық

古事記後に編纂された日本の正史。
日本の歴史はここから始まります。
そんな日本書紀を読んで、妄想解釈して紹介します。
今回は名草戸畔です。
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Пікірлер: 5

  • @kyupytarou
    @kyupytarou6 ай бұрын

    名草戸畔 現在の和歌山市海南市周辺を名草郡と呼ばれていた頃女首長が守っていました。 物部の総帥イツセ率いる神武軍が記紀で記す通り攻めてきます。迎え撃つはナガスネヒコ率いる葛城の軍と名草戸畔率いる連合軍。イツセは必死の抵抗に深い傷を負います。泉南地域にイツセが養生したとする伝承が点在します。しかし養生の甲斐なくお亡くなりになります。その地が竈山神社との事です。 退いた神武軍は八咫烏の協力で大和入りを果たせます。   その間に名草戸畔は不慮の戦死をなされます。  むらびとはその死を嘆き密かにその骸を弔います。  それが独特で身体を三つに分け 頭は宇賀部神社 胴は杉尾神社 足は千種神社にお祀りされました。 ルバング島の小野田さんのご実家が宇賀部神社(おこべさん)です。 生前伝承について語られています。 決して負けたのではない。  負けん気の強いのはご先祖さまから受け継いだようだ…と。 夏にお参りしました。おこべさんで杉尾神社の氏子さんとお会いして名草戸畔の事 小野田さんの事をお話していただきました。 誇りを感じました。 生歴史!感激しました。 伝承をもとに…

  • @user-uw7mr1cu9i
    @user-uw7mr1cu9i3 ай бұрын

    名草戸畔は身体を三分割され 頭の神(宇賀部神社🟰小野田寛郎さん生家) 腹部、杉尾神社 脚部、千種神社と 未だに縁、ありますね

  • @user-zo8hp2ef4u
    @user-zo8hp2ef4u2 ай бұрын

    ヒモの威力はすごい😆🎉 せっかくムナカタ三姉妹のコンサートにも行ったのに😂ゴリヤクなしや

  • @user-ne6rx3lp3x
    @user-ne6rx3lp3x Жыл бұрын

    戸畔が女性と断定するのは無理があります。中言神社には「名草姫」「名草彦」がセットで祀られているから、名草彦が酋長で、名草姫は巫女だったのでは?と考えています。 名草姫が「巫女」だったら、神様は誰?神のお告げを聞き、名草彦に伝える・・・・これが名草姫の役割だったのではないでしょうか?  名草山に降臨した神は誰なのか? 徐福か 出雲族? 五十猛? 饒速日? 肝心の「神様」が分かたない。なのに・・・・和歌山には20か所ほどの中言神社を始めとする名草姫が祀られている。 ・・・何故か?  縄文時代の名草姫。弥生時代の名草姫。古墳時代の名草姫と続き、代々受け継がれて今に至る。つまり・・・・土地神様の巫女なのでは? 「名草戸畔」とは名草地方の豪族・首長さすのであって、一人の人物を特定できないと考えると、合点がいきます。 時代が変遷するに合わせて、次々と名草戸部が現れた! 20人の巫女・・・の役割は何だったの?・・・・・あー、分かたない?!。

  • @user-ks8lw3fs7l
    @user-ks8lw3fs7lАй бұрын

    すっげー妄想で、ついてけない。

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